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SATC的「追憶」

「追憶」
原題名は”The Way We Were”

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Movie Walkerよりストーリー


1937年の春、ケイティー(バーブラ・ストライサンド)とハベル(ロバート・レッドフォード)の2人は、大学の創作クラスで机をならべて勉強していたが、政治活動に熱中するケイティーとそれに興味を示さないハベルの生き方はまったく違っていた。

やがて、学生たちは卒業し、各方面に散っていった。第2次世界大戦中のニューヨークで、ケイティーとハベルは偶然、再会した。ハベルは海軍大尉だった。2人は急速に親しくなり、アパートの1室で愛の生活を始めるようになったが、ケイティーの政治への興味は尽きず、積極的な活動家として活躍し、ハベルはそんなことに興味を持たなかった。

除隊したハベルとケイティーは結婚した。彼女はハベルに創作を促し、著作に多くの助言を与えた。だが、ケイティーはハベルの大学時代の友人たち、キャロル・アン(ロイス・チャイルズ)、J.J(ブラッドフォード・ディルマン)夫婦を好きになれなかった。ケイティーとハベルは40年代の終わりハリウッドに移った。

ようやくハベルの脚本が売れ出し、映画脚本家・小説家として有名になっていった。そして、ハベルの小説をプロデューサーのJ.Jが映画化する。収入も安定してきて、ケイティーが妊娠した。生活は平和そのものだったが、それは永くは続かなかった。ハリウッドにも共産主義者狩のマッカーシズムが荒れ狂い始めたのだ。

ケイティーは反マッカーシズム運動に力を入れたが、創作に自信を喪失したハベルはマッカーシズムの嵐から身を避けようと考えた。そのためにはケイティーと離れ、元恋人のキャロルと近づくことが有利だった。ケイティーはハベルとキャロルの関係を知って別れることを考え始めた。別れることによって、ハベルがブラック・リストからはずされるかもしれない。ケイティーは離婚を申し出た。そして、2人は子供が生まれた後、離婚した。

50年代初め、ケイティーがニューヨークで“原爆禁止”の署名を集めているとき、ハベルに離婚以来初めて会った。彼女はなつかしさのあまり、ハベルに近づいた。だが、1度切れた絆はつながらない。ケイティーは再婚していたし、ハベルは脚本家として一応の成功を収めていた。2人は、お互いの元気な姿を確かめ、いたわるように抱き合った。過ぎ去った愛の時が2人の胸に去来した。

監督 シドニー・ポラック
脚本 アーサー・ローレンツ

katie バーブラ・ストライサンド
Hubbell ロバート・レッドフォード
J.J. ブラッドフォード・ディルマン
Carol_Ann ロイス・チャイルズ
George_Bissinger パトリック・オニール




録画しておいたものをようやく見た。
レッドフォードの若い頃は(年齢を重ねても変わらないが)それはもう美しく、私の興味からは全くあまりにもかけ離れていたので、この映画は観たことが無かった。

大好きだったSATCシーズン2の最終話「Ex and the City」で、ビッグが婚約披露パーティーを開くことにショックを受けたキャリー。
彼女を囲んでいつものメンバーでランチしながら、彼女たちはハタと気が付くのだ。
これは「ハベル」よっ!

他人のロマンスになど興味のないサマンサが「追憶」を見ていないのも笑えたが、ミランダ、シャーロット、キャリーは映画「追憶」のテーマをカフェで歌いだす。

「カーリーヘアのエキセントリックなケイティ―と、ストレートヘアの女。ハベルはストレートヘアの女を選んだじゃないの!」
「ケ・ケ・ケ・ケイティー!」
「カ・カ・カ・カーリーヘア!」キャリーは自分のロングカーリーヘアを引っ張りながら、自分はケイティ―タイプだと腑に落ちる。

私はこのシーンが大好きで、3人が追憶のテーマを調子っぱずれに歌う姿を愛しそうに涙ぐんで見ているサマンサに笑いながらも胸をギュッと掴まれる思いだった。

だから、いつかあの美しすぎる男、レッドフォードとバーブラの「追憶」は見ておかなくてはと思っていた。

さて、SATCの中では、カーリーヘアのケイティ―タイプであるキャリーは、上品でハンサム、全てにおいて完璧な男、ビッグを愛したが、彼は上品なお嬢様ナターシャとシーズン2の最後で婚約してしまう。

このシーズン2最後のシーンで、婚約披露パーティーを終えたビッグに、「なぜ私じゃないの?」と聞かずにはいられなかったキャリー。
ビッグは返答に詰まるが、彼女はそこでバーブラがレッドフォードにしたように、彼の前髪を撫で、言うのだ。「可愛い彼女(ひと)ね、ハベル」
観光用の馬車を引く白い馬が御者の言うことを聞かず嘶く。
白い馬はキャリーの白いドレスと重なり、ビッグに伴侶として選ばれなかった自分をそこに見る。
それは自立したカーリーヘアの、じゃじゃ馬である自分。

彼女は振られた女としてではなく、ビッグが御しきれない女、ケイティ―である自分に納得することで、ビッグと別れる。




SATCのシーズン1で、ミランダがスノビッシュ(今もこんな言葉使うんだろうか?)なエリート仲間の中でモデル好きな男友達の開くパーティーに毎度呼ばれ、そこでは必ず呼ばれた美しい女の品定めのため、同じ話題が振られるというシーンがある。
「好きな俳優は?」と誰かが聞き、順に決まった台詞を答えていくのだ。
そこでミランダがいつも言うのが、「ショーン・コネリー。昔も今も、そしてこれからも」という台詞。

全く同意見。
私はこれで、ミランダとこのドラマが好きになった。


ニューヨークのキャリーの部屋の窓は、ケイティ―のアパートのそれと似ていて驚く。
キャリーもビッグの周りの友人知人とは全く反りが合わなかった。
まあ、彼女に「思想」があるとしたら、それは「labelとlove」だったかもしれないが、
彼女は主張を声高に叫ぶ前に、違う男友達と飲みに出てしまった。

それからGleeのレイチェル・ベリーの「レイチェル」は、ケイティ―とハベルの間に生まれた娘の名前だったとか。

オマージュと取れる断片を見つけていくたび、
長く愛されてきた素敵な映画だったんだなと思った。
全てはバーブラの魅力的な瞳と悲しそうな笑みに集約されているようだった。

私なら、レッドフォードのハベルなんてまっぴらごめんだが。
レッドフォードが嫌いなわけではない。
「サンセット物語」でのレッドフォードはハマり役だったし、
原作にすっかり参っていた時期に見た「華麗なるギャツビー」には泣きそうになった。

ところで、SATCの原作は翻訳もひどいが、
中身も実際面白くはなかった。

あの原作をこれだけのドラマに仕立てたプロデューサー、
「ビバヒル」や、「メルローズ・プレイス」を手掛けたダレン・スターは、やはりすごいなあと思うのだ。

すっかり「追憶」から話がそれてしまった。

ひたすらバーブラが素晴らしく、そしてやはり最後のシーンにグッとくる映画。
再開したケイティ―は、またカーリーヘアに戻っていた。
彼女らしい、生き方を全うしようとしていた。

ひたすらケイティ―の女としての自分へのコンプレックスや美しい男への憧れ、捨てられない信条、でも愛する人には尽くしたい気持ち、そんな諸々が心に残る。

それにしても私のような恋愛音痴には、この映画の良さなんか到底理解できないのだろう。
ほんと、あの男と別れて良かったね、ケイティ―、と最後に思ってしまったのだから。
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