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修造さんのフィギュア愛

2日前の記事ですが。

 「羽生への取材はスリル」 松岡修造さんのフィギュア愛
朝日新聞デジタル 2015年4月10日21時57分

■伊藤みどりさんに書いた手紙

 フィギュアスケート(のキャスター)って、僕に本当に向いている職業だと思っています。米国にいた時に、見ていて好きだったのがフィギュアでした。当時は米国がすごく強い時期。非常にエンターテインメント的で、選手の思いが表現できて、銀盤をたった1人で滑るスポーツ。僕の好きなミュージカル的な要素もある。勝負だけど演じる要素が入るから、テニスにはない面があってより好きになりました。

 五輪ともなると、フィギュアはすべてがメンタルと言っていいくらい、緊張するスポーツじゃないかなと思っています。伊藤みどりさんは1992年アルベールビル五輪の時、オリジナルプログラムで失敗して「すいません」とコメントした。僕は米国にいて我慢できずに、すぐに手紙を書いた。「謝ることは絶対おかしい」って。僕の中ではそれくらい応援したくなるスポーツでした。

 フィギュア取材は2002年ソルトレーク五輪でも担当しましたし、フィギュア選手との対談本も出させてもらって、もっと好きになりました。僕が感じている面白さをテレビを通じて伝える役割を担う。こんな最高なことないなと。フィギュア選手の緊張感と、演じるというスポーツにはない要素をどうやったら伝えられるのか、ということを十数年間やってきました。

 特に注目しているのはアイスダンスのスケーティングです。スケーティングの良さがわかってくると、ジャンプとジャンプの合間が楽しくなる。しぐさひとつでも表現していたり、手をパッと振っていたりする瞬間に、僕はものすごく引きつけられる。

 これは好き好きですが、一番分かりやすいのは、ぐーっと長くいくステップ。あそこは誰が見ても、曲の中で一番盛り上がるところだと思う。選手が言うには一番きついけど、一番思いを伝えられるところ。そのステップがすごい細かいんですよ。ぎゅーっと止まって、クルクルクルと回る。僕が同じステップをしたら100回は転ぶでしょう。

 ジャンプも一つの魅力。できるかできないかという勝負感があります。一方、ステップは感じようとすることができる。感じるって、スポーツでは難しいんですよ。勝負だから。テニスの場合は、点が入ったとか入らないとか、こっちに打った打たないとか。その意味でフィギュアは最も感覚に訴えやすいスポーツだと思います。

 技と技のつなぎの部分にも注目しています。特に荒川静香さんのイナバウアーは、直接の点数にはならないと言われましたが、今は主流になってきた。審判が決めるものですから、印象や芸術要素も含めて最終的に加算されていく。テニスもそうですが、スポーツ自体が本当に進化している。フィギュアは練習量も多くなり、メンタルトレーナーもついてきた。ジャンプなら男子は4回転、女子はトリプルアクセル(3回転半)。昔では考えられなかったことが、今では常識になっている。選手の向上心と、観客がもっとこういう演技を見たいという期待度が、新しい技を作ったのではないかと思います。

■他にはない緊張感

 今はほとんどの選手が音楽の世界を表現している。羽生結弦さんが演じる「オペラ座の怪人」は、もう完全にミュージカルを見ているようです。彼の一つ一つのそぶりが、怪人のとらえ方になっているし、(怪人の)苦しみも含めて跳んだりはねたりする表現力がある。

 特に羽生さんはジャンプも本当にチャレンジしている。できるジャンプだけにしても勝てるわけですよ。でも「それが申し訳ない」っていう言い方を僕にした。今は羽生さんにインタビューするのは、僕にとっては一番スリルがある。この人は何を話してくるんだろうっていうくらい言葉の内容が飛び抜けている。

 アルベールビル五輪の伊藤みどりさんの時はテレビの前で完全に正座でした。今は放送席で見ていますが、五輪になると、ガッツポーズをするよりも「ううっー」って心配になるわけですよ。できたら見たくないというくらいの緊張感が来ますね。これが他のスポーツではないフィギュアの良さです。「ぐわっー」という叫ぶ感じではないんですよ。



フィギュアスケートを好きな人なら、修造さんの言葉の一つ一つに頷けることは多いと思う。
スポーツでありながら、ほかにない魅力を持つ競技。

ドラマの番宣とフィギュアスケートを一緒にして、キムタクと修造氏をキャスティングするという国別対抗戦。
修造氏にもキムタクにも罪はなかろうけれど、蛆と同じ道を行くテロ朝、国別の番宣もあざとい。

今季のワールドで、ロシアのトゥクタミちゃんが3Aを跳んだことはファンにとって大きな喜びだった。
ネット記事でも、「女子新時代の幕開け」という安い言葉が並んだ。

では5年前はどうだっただろう。

以下は2ページ目からの抜粋。

http://number.bunshun.jp/articles/-/19080

生島淳のスポーツ・インテリジェンス原論
2010/04/07
スポーツである以上、難易度の高い技にこそ高評価を!

 私が思うに、現状の採点の問題は、難易度の高いジャンプの評価が低いことにある。

 現状、トリプル・アクセルの基礎点は8.2。しかし浅田のプログラムを見ていくと、後半に組み込まれたトリプル・フリップ+ダブル・ループ+ダブル・ループのコンビネーション・ジャンプの基礎点は9.35になる。

 キム・ヨナのプログラムで目立つのは冒頭のトリプル・ルッツ+トリプル・トウループのコンビネーションで、基礎点は10.00。どの選手よりも高い基礎点をたたき出す。

 つまり、現状ではトリプル・アクセルに挑戦するよりも、コンビネーション・ジャンプの精度を高めた方が得点を稼げるのだ。

 このままではトリプル・アクセルに挑戦する選手は消えてしまうだろう。

 難易度の高い技に挑戦すること、それを奨励する採点システムであって欲しいと思う。なぜならフィギュアスケートは、純然たるスポーツだからだ。

今季フィギュアスケート界を振り返って見えてきたこと。

 競技面の方に視点を移すと、世界選手権の採点表を見ていて気づいたのは、キム・ヨナはプログラムの冒頭に大きく点を稼ぐ技を持ってきていることだった。おそらく体のフレッシュな時点で、基礎点に加えて加点を確実に稼ごうという戦略だったのだろう。

 対する浅田はトリプル・アクセルを前半に持ってきているが、なにせ基礎点がコンビネーション・ジャンプに及ばない不運と、加点がキム・ヨナに比べて少なかった。

 むずかしいのは、加点や総構成点に関して言えば、一朝一夕には点が上がらないということだ。審判団の選手に対する印象が大きく、これは選手が秋に始まるシーズン全体を通して、どんな滑りが出来るのか、それを常に印象付けておかなければならないことになる。

 その意味で、浅田は秋の出遅れがオリンピックまで響いてしまった気がする。

 フィギュアスケートの一筋縄でいかないところは、オリンピックや世界選手権は一発勝負ではなく、シーズンを通して、どんなプログラムを作るのか、どれくらいの技をどれほどの確率で成功させられるのか、時間をかけて審判団にプレゼンテーションしていくスポーツだということだ。

 
その過程はやはり一年ほどかけて国家元首を選んでいく、アメリカ大統領選挙の仕組みと相通ずる部分がある気がする。



5年前、生島さんが指摘した3Aに挑戦する選手は消えてしまうだろうという危惧はケロッと忘れられたようだ。
それはとても良いことだけれど、マスコミの報道の仕方には、私はいまだ疑問を禁じ得ない。

彼女がいたからこそ、トリプルアクセルの灯は燃え続けている。
彼女がいたからこそ、女子フィギュアはスポーツたりえた。




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