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エリーのキス

朝ドラの『マッサン』。
流産しただけでなく、自分の子を望めないと知ったエリーの苦しみに、マッサンが「わしゃエリーと一緒におりたいんや!」と精一杯の気持ちを伝えるシーン。

エリーは、マッサンにキスする。

昔のNHKを知っている世代からすれば、朝ドラのこのシーンは実に驚きだった。

massan.png


http://www.nhk.or.jp/massan/premium/w12.html
こちらによると、このシーンのエリーのキスは、アドリブだったそうな。

ここでマッサンに思わずキスしたのは……私のアドリブです(笑)。 カットの声がかかった瞬間に「ごめんなさい!」って言いましたけれど(笑)。 このふたりは長い時間を連れ添っている夫婦だから、そうなるのが自然の流れに思えたのです。 ふたりの愛の物語の中で、ひとつのピークがここにあるように感じて、このシーンはとても愛おしかった。 すごく愛にあふれたシーンになったと思います。



私も「医学的には子供はもう望めない」という宣告を、医者から受けていた。
にもかかわらず、親子共に生きるか死ぬかではあったが、奇跡的に子供に恵まれた。

産めない辛さも、産んでからの苦しみも、心身共に存分に味わったと思う。

なのでこういったシーンには、全くリアリティーを感じない。
実にドラマだなあ、と思う。

誤解を恐れずに言えば、産んでみてわかったのは、子供は大きな命の流れの中で、自分を介して出てきただけのことだということだ。だから尊い。

子供は、実に様々なご先祖様の特徴をあちこちに散りばめられ生まれてくる。
だから「授かりもの」ではなく、「預かりもの」だとは良く言ったものだと思う。
ましてや、「わたしのもの」であるわけもない。
私にあるのは責任だ。
私の存在など、コマの一つ。

大きな命の流れの中で、ちょっとバトンを握っただけだ。

その命の流れの中では、私の母性や夫への愛情など、ちっぽけなものだ。
子孫を残したいという切なる願望は、もっと根源的で、まことに生物的なものなのではないかと思う。
だからこそ、それが叶わない苦しさは想像を絶する。
叶ったからにはそこには大きな責任と試練も待っている。


リアリティーのないドラマの中だからこそ救われるものもある。
この夫婦の睦まじさに、こちらまで幸せな気持ちになる。

私も、こんな風に立ち直るきっかけがほしかったなとか。
もっと愛情深く、生きたかったな、とか。

エリー役の女優さんの中に、母性にも似た何かが生まれつつある表情が見える。
その笑顔が、実に素晴らしいと思う。

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