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人間はすばらしい

さて、この1週間というもの、私が没頭していたのは、実はスケアメでも森下アナでもなく、なぜか知らんが椋鳩十の本であった。

たまたま読んだブログの主様が椋鳩十がとてもお好きだったとかで、「日本のシートン」と言われることに違和感があるほどシートンと椋鳩十には動物に対する立ち位置の違いがあり、実に日本人的である椋鳩十の素晴らしさについて情熱をもって書いておられた。

自慢じゃないけど、私、忠犬ハチ公を始め、「動物の物語」は昔から超がつく苦手分野だった。

大昔、小学校の小さな図書室の本は辞典以外はほとんど読み尽くしていたはずなので、読んだ記憶はあるが、心に刻まれてはいないのが、この類の本。

でもせっかくなので、椋鳩十の一冊や二冊、生きてる間にもう一度読んでみよっかな、と思い立ったのである。

で、大好きな太田大八さんの表紙の本や何やかや、借りたり買ったりして読んでみたわけだ。

椋さんが子供向けに動物の物語を書き始める以前に書き、検閲で発禁処分にされたという『山窩調』。
この山の民について書かれた本から椋さんの描きたかった世界の源流を紐解いた考察も読ませていただいた。
この『山窩調』に描かれる女性像のなんという自由。なんという強さ。
ある日ふと、「行ってみたくなったから」とふらっと住み慣れた土地を離れ、どこかへ行ってしまう若い女。
俺を置いていくなら行ってみるがよい、と、その女とステディな関係にあった男は無理やりにその女を乱暴するが、女は動じない。
この女の逞しさはある種、究極の女性賛歌であるかもしれない。
確かに、動物的であるし、決して褒められた生き方ではないかもしれない。
そのような世界には、山賊、と呼ばれる人々もいたかもしれない。
ただ、そこには暴力はあっても、被害者も加害者もいないのではないか。
女に捨てられ、置いていかれる男と、自力で新しい土地を探し流れて行く女がいた。
あくまでもその世界の中の話ではあるが。
どこぞの国の女たちが、商売にしていたことに「奴隷」と名付け、いまだに被害者を装っているのとは大違いである。

しかしこの物語は戦時下の日本ではタブーな性描写が含まれていたということで、封殺されてしまう。

ジプシーの民に近い生活を送っていた山の民も、その昔日本には存在したという。
その自由と引き換えの過酷な人生も。
椋さんは、大自然の中で生き抜く人間、それも強く自由な人間に強烈に惹かれていたのだろう。

戦時下、大人向けの小説を書けなくなった椋さんは、「少年倶楽部」の当時の編集長に薦められ、鹿児島で教鞭を執りながら子供向けの物語を執筆するようになる。

まだNHKが日本のテレビ局だったであろう1987年9月30日に放映された“シリーズ授業”「生きものはすばらしい」のビデオから書き起こした原稿を元に作られた本、「人間はすばらしい」。
椋鳩十さんが故郷長野で卒業した小学校を訪れ、その小学校で児童と語り合う様子が話し言葉そのままに、描かれている。
動物の生態に関するお話を子供たちを相手に繰り広げられるのだが、これがわかりやすく、惹きつけられる話ばかりだ。
目次には、「スカンク」、「アマミノクロウサギ」、「コウモリ」、「トカゲ」、とあり、最後に「ヒト」とある。

椋鳩十著「人間はすばらしい」 より  「ヒト」


前略
コウモリならば、ほかのことはできないが、超音波を出すという力はみんな、おなじように、あたえられとる。
ところが、人間は、動物として生きるための力のほかに、ひとりひとりに、それぞれ、べつべつの“力”をあたえられておる。
絵のじょうずなひと、歌のじょうずなひと、それから、・・・・・・・中略

くりかえしになるけれど、コウモリはねえ、超音波を出す。このへんのコウモリは、ぜんぶ出す。超音波を出せないコウモリなんて、一ぴきも、おらん。
中略
人間でもねえ、それぞれ“すばらしい力”を、じぶんのなかに持って生まれてこない人間はひとりもおらない。
きみも、きみも、きみも・・・。なにかはわからん、ね。なにかはわからんが、みんな、“すばらしい力”を、ひとりひとりが持ってる。



こんなことを言ってくれる大人が、誰か一人でもいてくれる子供は幸せだと思う。

「片耳の大鹿」の、嵐を避けて身を寄せた洞窟での出来事は、ただの絵空事とは言いきれまい。
あの寒さに震える身体を寄せずにはいられなかった動物たちの暖かな息遣いと「生きている」温もり。

一歩外に出れば生きるか死ぬかを賭けた敵同士になりかねないお互いである。
地球上に生きる者同士が、いざとなれば、肩を寄せ合い、嵐を凌ぐのだ。

それに対してのちに絵本として描かれた「におい山脈」の人間の、なんと浅ましいことよ。

晩年、変わりゆく世の中を見ていて書かれた絵本であろうが、自分勝手な人間たちに、非常に厳しい目が注がれている。
この「におい山脈」に覆われた地球の最後に、生き残るのは、やはり、文明とはかけ離れた生き方をしていた山の民だというところに、椋さんの見てきた戦前戦後の「オチ」がつけられている気がするのは、私の読み違いであろうか。

椋鳩十はのちに、鹿児島県立図書館の館長となり、現在は当たり前のようになっている、「図書館ネットワーク」の構築の礎を鹿児島で築き、「母と子の20分間読書」運動を推進したという。

さて、もし椋鳩十なら、「母と子の20分間読書」に、選ぶだろうか?
現在の官庁が押し付けるような「おすすめ図書」を?
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