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時々うっかり読んでしまう本

元々忘れっぽい上に、だんだん加齢と過労で何でも忘れるようになってきた。

老眼が怖いほど進んだおかげで、ずいぶんホコリにも無頓着になった気がする。
良く見えないので、鏡の中の自分の肌でさえ、「毛穴レス」に見えるという利点もある。
老化というのは体のあちこちに出るものだが、あちこちに起こるために、トータルで丁度良い加減になってゆくものらしい。

忘れやすいということは、何度も同じ本を読めるということであったりもする。

ただ、そこにあったからつい手に取ってしまい、ああ、またこの本読んじゃった、とか。

この夏にも、ある日カフカ(しかも変身)にうっかり手が伸び、何度読んでもやっぱりわけがわからず、後味も悪かった。

今日、隙間の時間に読んでしまったのはコクトーだった。

老眼鏡をかけてコクトーを読んだのは初めてかもしれない。
「恐るべき子供たち」の文庫版だが、本編より読み応えのある「コクトーの人生」の方が面白いくらいだった。

やはり本は若い時に読むに限る。
「恐るべき子供たち」は、今の私にとって、「恐るべき大人たちのネグレクト問題」としてなんだかやるせない気持ちになるのだ。
親になって読み返したサガンだってそうだった。
時代の先端でも何でもない、今だって繰り返されている「大人」の問題を多く孕んでいる。

早熟の天才、しかも早くから世に認められてしまった天才たちの生涯は、それほど幸福ではない場合も多く、早世した才能はどれだけあったろうか。

まして純然たる子供時代がなかった天才はやいつまでも大人になりきれず、まっしぐらに破滅に向かったりする。

コクトーが74歳まで長生きできたのはアヘンと手を切ることができた(と言われている)からだと思うが、長生きした天才は長い人生の分だけ多くを成している。

若い時でなくては噛み砕けない本もある。
消化できない内容もある。
ヨーロッパの文学は元々苦手なんだから、手元におかなければ良いのに、なぜにこう、うっかりするのだろう。

浅田真央本をうっかり読み返しても別の意味でムラムラくる。
いつか、これまでの「困難な道のりを、頑張って成長してきた」とかいうどこまでも自虐でMな話じゃない内容の真央本を読みたくてウズウズする。
真央ちゃんが成した演技の内容の素晴らしさを緻密に描いた、ひたすらブラボー浅田真央な本。
審判もスケ連も認めたくないふんわりジャンプのエアリー価値とか、絶品スピン、美ポジすぎるスパイラル、超絶ステップ話なんかでいっぱいの本。
文才青年ジョニーでいいから、いつか、書いてください。

というわけで、今日のコクトーの後味は、さっぱりと岡田淳著、太田大八が挿絵を描いた「二分間の冒険」で洗い流して寝ることにするわ。
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