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なぞの女性

「エミリー」(マイケル・ビダード作/掛川恭子訳)という絵本を読んでいた。
原書ではないけれど、翻訳の日本語も繊細で美しい。

この絵本の主人公は「エミリー」の住む家のお向かいに引っ越してきた少女。
少女は、もう20年も外に出てこないお向かいの黄色い家に住んでいる「なぞの女性(ひと)」の存在を不可思議に思っている。
この「なぞの女性」は実在の人物で、「エミリー・ディキンソン」という19世紀のアメリカの詩人。
死後、親族らによって出版された詩の数々が20世紀になって評価され、多くの研究もなされている。
一風変わった作風のこの詩人の逸話を膨らませ、創作されたのがこの絵本。

普段外にも出ず、誰とも付き合うことのない「なぞの女性」エミリーから、ある日少女の家に手紙が届く。
少女の母親が弾くピアノが素晴らしいので、ピアノを弾いてほしいとエミリーの家に招待されたのだ。
これはあらすじだからこんな風に書くけれど、実際は「ブルーベル」の押し花とともに詩のような手紙が送られてきている。

「いまのわたしはこの花のよう。あなたのかなでる曲で、わたしをいきかえらせてください。きっとわたしのところへ、春がやってきてくれるでしょう。」

お母さんはピアノを弾きに少女を連れてエミリーの住む家を訪ねるけれど、エミリーは姿を見せず、2階でピアノを聞いているという。

主人公の少女はこっそり部屋を抜け出し、階段の踊り場に座っていたエミリーと出会う。
エミリーの膝の上には紙が乗っていた。

「それ、詩なの?」
「いいえ、詩はあなた。これは、詩になろうとしてるだけ。」


心優しい少女は、エミリーに用意してきたプレゼントのユリの球根を渡す。

「わたし、春をもってきてあげたの」


少女の両親は、「変わり者のなぞの女性」を訪ねることに、はじめは躊躇しただろう。
けれど、なぞの女性、エミリーのために少女のお母さんは、ピアノを一生懸命に練習したのだ。

少女はお父さんに、詩を書くというエミリーの話を聞き、「詩ってなあに?」と問う。

「ママがピアノをひいているのをきいてごらん。おなじ曲をなんどもなんども練習しているうちに、あるとき、ふしぎなことがおこって、その曲がいきもののように呼吸しはじめる。きいている人はぞくぞくっとする。口ではうまく説明できない、ふしぎななぞだ。それとおなじことを言葉がするとき、それを詩というんだよ。」


少女にこう答えたお父さんの言葉に、胸がつまった。

浅田真央の演技は、きっとこういうものだった。
私たちが見てきたものは、これと同質のものなのだ。

あんな輩がどんな点を彼女に与えようと、彼女がなんどもなんども練習してきた果てに起きた奇跡は、人の手では測れない呼吸をはじめたに違いない。

2ちゃんで「月の光」の話をされてたわね。
思い出しただけでも、心がシン、とそこだけ氷に乗っかるような美しい演技だったわ。



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