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ゴッホと清志郎

[BSプレミアム]
2014年5月2日(金) 午後2:35~午後3:00(25分)
「忌野清志郎、ゴッホを見に行く」

死の直前まで絵を描き続けた忌野清志郎。清志郎があこがれた、画家・ゴッホ。“反骨のロッカー”と“炎の画家”の意外な関係とは? 全国のゴッホ作品と徹底的に向き合う1人旅。生涯で1枚しか絵が売れなかったゴッホは、清志郎が下積み時代の心のよりどころであり、油絵に興味を持ったきっかけだった。本物のゴッホの絵に向き合う濃密な時間をドキュメント。ゴッホの絵と人生から、何を受け取ったのか。清志郎の素顔に迫る。



相変わらず、清志郎のすることに、「ゴッホの絵と人生から、何を受け取ったのか」なんてこんなこと番組詳細に書くなんて、やっぱりtv局なんて表層だけで生きてる人たちの集まりに思えて仕方ない。

2004年7月に、岩手県の美術館で、ゴッホとミレー展を見に行った清志郎の番組がBSで放送されたので今朝ようやく見ることができた。
この短いドキュメンタリー、風な、番組。番組制作者の意図を軽く無視した(たぶんね)清志郎の感性。
バックに流れたRCサクセション時代の「君を呼んだのに」は高校生だった私には忘れがたい一曲。
その当時の私も、ピカソの才能にひれ伏し、黒田清輝に恋し、ゴーギャンになまなましい人間の生命力を、ゴッホに現実の向こうの世界に突然連れて行かれる感覚を覚えながら毎日を過ごしていた。
けれど、画集に載せられた絵と原画は違う。
原画を実際に見るということは衝撃なのだ。
原画の大きさも、そのタッチも。何もかも。一気に画家の吐息に触れてしまうと、ある種の毒気にあてられてしまうこともあるほどのパワーがそこにはある。

「ゴッホ」を見に行った番組で、「ミレー」の絵画に魅せられてしまい、ゴッホ初期の自画像と、正気を失いつつあった時代の絵に接した清志郎。失望を絵にかいたような顔はしなくても、かみ砕くのにしばらくかかったようだった。

「ミレー」については、「最後まであきらめなかったんだな」と言った。
一瞬、浅田真央を思い出したのは言うまでもない。
天才的な芸術家でありながら、精神的に破たんをきたさず、天が自分に与えたもうた才能を活かしきる生き方ができる人はごくごく選ばれた数少ない人々ではないのか?
まわりの環境も、あるかもしれない。出会った人、にもよるかもしれない。
それでも、ごくまっとうに「天才」と「人間」生活を両立できる人は器が違うのかもしれないと思うことがある。

ミレーが清志郎が好むタイプの画家だとは思わない。けれど、ミレーを模したゴッホの絵を見て、圧倒的な王道をゆくミレーの作品に同時に触れてしまった時、やはりゴッホが一瞬翳んでしまったことは否めないだろう。
最後に東京で見た「ひまわり」でようやく清志郎は、彼の「ゴッホ」に出会えた。
清志郎は「ゴッホ」を「ジミヘン」だと語った。大量の駄作の中に、物凄い一作を残す人だと。

ヴィンセント・ヴァン・ゴッホにちなんで「便箋と」旅した清志郎。
私は彼が大好きだった。今も。これからも。
ロマンティストでありながら、歌詞の最後には必ず一言、「落として」くる。何度ドキッとさせられたろう。
彼のものの見方は、いつも一方向ではなく、右を向けと言われりゃ左を向いてみよう、とケロッと言える人だった。歌詞の中に言いたいことを詰め込みすぎて、いつもダブルミーニングとなる裏エピソードが付いて回った。
そこが、好きだった。
井上陽水の「帰れない二人」「待ちぼうけ」が清志郎との共作だったと知ったときには、ああ、と腑に落ちたもんだった。この2曲も、何度聞いたかわからない。
会場の後ろのファンのために歌ってくれる歌も、マスコミを笑いのネタにし、自慢げに「権力者」からのバッシング具合を語ったそのひょうひょうとした姿も。

この歌詞と、そのギターが忘れられない。私はあれほど「夜」を走るギターを他に知らない。RCの一番売れたと言われるアルバムの中の一曲だが、私が好きだったRCは、もうピークを越えてしまい、下り坂に差し掛かっているかのように思える節があった。

「君を呼んだのに」
アルバム 「BEAT POPS」  
作詞:作曲 忌野清志郎  

バイクを飛ばしてもどこへも帰れない
バイクを飛ばしても帰りつづけるだけのぼくらは
寄り道をしてるんだ

描き上げたばかりの自画像をぼくに
ヴィンセント・ヴァン・ゴッホが見せる
絵の具の匂いにぼくはただ泣いていたんだ

自動車はカバのように潰れていたし
街中が崩れた

それで君を呼んだのに
それで君を呼んだのに
それで君を呼んだのに
君の愛で間に合わせようとしたのに


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Comments 2

sona  

「世の中の人は良いものがわからないんだ。」

清志郎が生前遺した言葉。

そう、地上にある星を誰も見ようとしない
人は空ばかり見てる。

中島みゆきの歌詞そのままなのです。

清志郎が逝った日感じた事。自分のスタイルを変えずに生を駆けぬけた生き様は、正にロッカーだったという事。もっと素直な気持ちで彼の歌を聴けば良かった。


山梨の美術館にて、ミレーの落ち穂拾いを見た時は、私も衝撃を受けました。仰る通り原画の持つ力は強烈で、画集やテレビで見るのと全く違います。画家の魂が今もな息づいているかのようなパワーというのでしょうか。天啓というのでしょうか。文章にしたところでウソっぽくなってしまう。真の芸術は言葉で表現ができません。浅田真央のスケートのように。

2014/05/07 (Wed) 00:12 | EDIT | REPLY |   
mikaidou  
Re: タイトルなし

sonaさま

いつも拙い私の言葉に、深いコメントを頂き、恐縮です。
ありがとうございます。

>真の芸術は言葉で表現ができません。浅田真央のスケートのように。

そうですよね。ほんとに。

清志郎は、私の中ではまだ生きていて、私は彼の追悼コンサートなど、誰が開こうと歌おうと、いまだに認めていない一人です。清志郎には、はなはだ迷惑な話でしょうけど、えへ。

2014/05/07 (Wed) 00:25 | EDIT | REPLY |   

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