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ラベンダーとこうもり

夕べ、テレ朝ch2の「フィギペディア2010#1」を見て眠ってしまった。

これ、「浅田選手VSキムヨナ 激闘の歴史」と銘打って、GPFでの二人の戦いを2006年から2008年まで綴るっていう巻なんだけど、私とて、肥えているのは身体ばかりじゃなく、目だって少しは肥えたのかもしれないわ。
年ごとに開いていく二人の技術の差はこれ見りゃ歴然。

おかしかったのは点数が実力と反比例していく様よね。

今のやり方(GOE加点とPCS演技構成点の爆盛り)が始まった頃の浅田選手のキスクラでの表情。
切ないわ。

特に2007年GPFショートの浅田選手の「ラベンダー」と同じ試合での沢庵製「こうもり」。

「ラベンダー」はバイオリンの音が美しくも緊張感の絶頂で終わる何とも難しい曲。
タラソワ先生が初めて浅田選手に振付けた曲がこの「ラベンダー」だったわ。
何しろ現在の浅田選手に通じる彼女にしかできないあんなステップこんなツイズル、あのスピン、スパイラル。
豪華でひたすらゴージャスな振り付け。
ハンガリー民謡チャルダッシュと同様、私たち日本人の血の中に、あのようなリズム感は入っていない気がするわ。
それですらしっかり音をとって踊りこなすあの才能。

それに対して「こうもり」は華やかなオペレッタ。
曲の軽やかさ、きらびやかさに比べて、現在と何ら変わることのない中身の演技。
オペレッタである必要もなく、なんというか、この時も今も、彼女の表現は「音楽」とは関係なく、「沢庵流」。
アジア人としてはあれで素晴らしいと思うけれど、世界中のどんな楽曲も滑りこなすとなると、ジゼルでその実力は驚くほどはっきりしたわよね。

音を正確にとる耳の良さとは別に、やっぱりつくづく思うのは、技術的に高いレベルにない選手に、高い表現力がついてくるはずはないのよね。
旋律に乗るその細かい感覚を正確にステップに、スピンに、ジャンプにさえ刻んでゆくのに、毎度同じことしていてそんなことができるわけもなく。

曲によって違う表現をするためには、違う種類の技術が必要でしょ。あの手この手で繰り出される音を身体で見せたいなら、あの手この手の身体の動きで見せていくしかないんだから。
その身体を動かす技術のバリエーションがしょぼい人に、「表現」のバリエがあるわきゃない。
沢庵にそれがあるとするなら、「セックスアピール」しかなかったってことなのかしら。
表現したいものがたとえ「音楽のストーリー」であったとしてもそれは同じことでしょ。

この二人の演技を両方、ご覧あそばせ。
浅田選手がいかに日本人を、アジア人を超えて存在しているか。
浅田選手は、いわゆる欧米人が思う「アジア的」なステレオタイプとは明らかに違っているわ。
沢庵が欧米ウケする一つの理由は、彼女のオリエンタルな魅力が、まさに彼らが思う「アジア女性」のセクシーさにピッタリあてはまったからじゃないかと私は思っているのだけれど。
ま、それも茶番までの話で、過去のことですが。

浅田選手「ラベンダー」


沢庵「こうもり」
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