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『日はまた昇る』

『日はまた昇る』アーネスト・ヘミングウェイ/集英社

小説にジェンダーは関係ないと言いたいけれど。
やっぱりあると思う。

この本は、というか、ヘミングウェイの小説は、やはり女性向けではない。

昔の名作って、ミステリでさえネタバレしてしまっているので大体結末の予想は付く。

この本に限っては、それでもこのテーマをどう完結させるのかという興味に惹かれて読んでいるわけだけれども。


第一次世界大戦後のパリ。
戦争で心身ともに傷つき、それでも何故か母国アメリカから戦地だったヨーロッパへの郷愁に舞い戻る若者たち。
洒落た酒場、カフェで過ごす無為な時間。
作家と英国の貴婦人(という名のビッチ)。
アメリカ人の主人公と彼の友人たちはパリからスペインの山岳地帯を抜けてフィエスタの闘牛場へと向かう。
祭りの熱狂。人いきれ。
闘牛士の誇りはアスリートのそれととてもよく似ていることに気が付く。
男と女。老いと輝くような若さ。
持てる者と持たざる者。
コントラストの効いた配置に、読み手の気持ちもジリジリと追い詰められていく。


私は女で。戦争を知らず。
ヨーロッパに生まれてもいず。
パリにもカフェにもお酒にも、スペインにも釣りにも闘牛にも興味はない。
そして色恋沙汰にも。
よってこの小説とは何の接点もない。

数十ページ読んでは寝落ちし、目覚ましにコーヒーを入れてはまた読み進め。
なんでこんなくだらない話を延々と描くのだろうと思いながら、段々と作者の手に囲い込まれている。
構成が巧みなのか単にくどいだけなのか。
最後まで読むともう一度主人公の気持ちを確認しに、最初のパリに戻るしかなくなる。

闘牛場にいる去勢牛のくだりは切ない。
ここをセンチメンタルに陥らせないところは流石。
フィエスタの熱狂から醒めて、現実がくっきりと見え始める。

主人公が愛した女ははじめこそ魅力的だが、途中から薄汚く見えてくる。
闘牛士ロメロの美しさと純粋さとの対比があまりにも鮮やかだからだろうか。
ヒロインのブレットは、女にとっては最悪の友人。
男にとってはミューズ。
私はこのタイプの女をよく知っている。女子校は女のサンプルだらけだった。

今となってみれば、そこも含めて、結局は彼らの苦しみさえ愛しく思えてくるのだから、不思議なものだ。


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昨日、友人のさっちゃんから動画のURLが送られてきた。

ミスチルの「Your Song」のミュージック・ビデオに出ている林遣都君が可愛いと言うのだ。

もちろん観ていたので、ありがとう、と返すと。

「若いって、いいわね~~~。。。。年寄か!?」

そう来た。

さすがさっちゃん。

私には彼女の気持ちがよくわかる。

輝くばかりの若さを観て初めて、私たちは自分の老いを客観的に知るのかもしれない。



訳者の佐伯彰一氏による解説を読んで、答え合わせをする。
ヘミングウェイの晩年。ことに最期について。彼にとっての「若さ」とは何かについて言及している。
なるほど。
初期の作品には作者のほとんどすべてが詰まっている。

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さて、「日はまた昇る」のスペイン旅行の描写を読みながら私が何を考えていたのかというと。

椋鳩十はスペインの山にあこがれ、山賊になりたいと願っていたという。
坂口安吾は大陸の馬賊にあこがれたそうだ。

賊になるには徒党を組まなくてはならないだろうに、何が彼らをそんなに惹きつけたのだろう。

憧れは想像力の限界を越え、妄想世界に足を踏み入れる。

作家の原動力って、その辺にあるのだろうか。


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