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田辺聖子版『とりかえばや物語』


田辺聖子さんの作家としての構成力は『リアリストだから』と『古典の森へ』の中に書かれていますが、彼女は同時に宝塚を観て育ったロマンティスト。
お聖さんは小川未明が大好きだったそうです。

小川未明は『赤いろうそくと人魚』などで知られる児童文学作家。
我が家でも祖母から母、母から私へのクリスマスプレゼントになったのがこの小川未明の本でした。


さて、田辺聖子の手になる『とりかえばや物語』。

以前他所に書いて残しておいたものをこちらに移しておきます。
備忘録ですので、完全にネタバレです。

田辺聖子版、『とりかえばや物語』には、ハリーポッターにでも出てきそうな人物相関図がついています。

何度も人物相関図を見直しながら読みましたが、登場人物は絞られているのに皆どんどん出世していくため、『何とかの何とか』が誰だったか、どの東宮だったのかが、難しく。よくぞこの話をここまでわかりやすく現代語訳したものだとお聖さんに感服します。
話の展開の面白さとも相まって、ページをめくる手が止まりませんでした。

読むべきはお聖さんのあとがき。
ここにいつもの田辺聖子が現れ、強力な援軍となって読み手の『すごい話読んだっ!』という冷めやらぬ興奮を冷静に解説してくれるのです。

作者不詳で、お聖さんが学生の頃まで読むことができなかったというアラウンド源平時代に生まれたらしきお話。

源氏物語とはひと味違います。

女が男として生きた時、その立場から見える男のズルさ、浮気性、そして仕事の手ごたえに感じる充実感。

一方で女であるために起きる身体の変化、出産に伴う命がけの密かな決心。

『とりかえばや』は『転校生』や『君の名は。』と違って、前半は自分の身体のまま男女が入れ替わって、その人生を生きます。
けれど女として生きる男が、女同士として仕えるうち愛した人に子を産ませ、男として生きる女は無理矢理同僚の男の子を身ごもることで、其々の人生が暗転するのです。

男女が入れ替わったように生まれついた2人の兄妹は、其々の性にぶちあたった時、人生最大の危機に陥ります。

ざっと内容を書くと。

左大臣の2人の妻には、其々男の子と女の子が産まれましたが、男の秋月は女の子のような身なり、女と見まごう美しさで、お人形遊びが大好きな大人しい性格。
対して女の子の春風は男勝り。身なりも遊びもまるきり男のように育ちます。
前半は女主人公、春風が活躍し、男として帝に仕える華々しさ、男が仕事に充実していく何とも言えない誇らしさを感じる部分、秋月が女東宮の遊び相手として出仕するという煌びやかさの中に話は進みます。

世の習わしで、仕方なく春風は男として右大臣の娘、冬日を妻にめとります。勿論本当の夫婦にはなれないのですが、それなりに仲良く暮らします。ところがそこに春風の同僚、女好きの夏雲が冬日に横恋慕し、冬日は2人も夏雲の子を産むのです。

春風は女性ですから、嫉妬というより、人の世の儚さに『所詮しばらくの間の縁』と、見かけ上の妻にも、自分の妻を寝取った同僚にも優しく接するのです。

ところが一転、春風は同僚の遊び人夏雲に女であることが知れ、「夏雲の囲われ人」として密かに子供を産むことに。
究極の三角関係です。
一昨日見た、デンマーク王室の映画は王と王妃と元主治医の壮大なる三角関係でしたが、こちらは王にあたる春風も、王妃にあたる妻の冬日も子どもを産んでしまいますのでもう大変です。

その頃の春風の絶望感には、出家どころか、死をも覚悟した深い苦しみがあります。産んだ子供のためにその日その日を生きながら、男として生きた輝かしい日々と、自分の数奇な運命に涙するしかありません。
男として生きてきた故、表には出しませんが、夫となった夏雲の、人としての器を見切っています。
こんな男を待つだけの女に成り下がるくらいなら、死を選ぼうと決心します。
一方秋月は出仕した先で、お仕えする女東宮に男としての愛を感じ始め、東宮は人知れず秋月の子を産みます。
その頃人知れず子どもを産むために家を出て、夏雲に囲われた春風の行方知れずに胸騒ぎを覚え、人見知りの秋月は一大決心をして東宮の元から実家に戻り、春風を探し当てます。

ここからの後半、春風と秋月はこっそりと互いに生きてきたこれまでの細かな情報を交換して春風はこれまでの秋月の人生を、秋月はこれまでの春風の人生を、其々元の性として生きることにするのです。

そこから秋月は男として活躍し、最初の妻冬日とも寄りを戻し、春風は帝の妻となり国母となり大団円を迎えることになるのですが。

これまでの2人の兄妹、春風と秋月の男女入れ替わったような心の持ちようは左大臣の家に取り憑いた物の怪の仕業にされ、春風は帝の妻として、秋月は出世と女性達とよ色恋沙汰に華やかな人生を謳歌するのです。

作家不詳ということは、途中途中で改編されたこともあったはずかと思います。
この物語の前半で、春風が男性の雄々しさを気持ちに秘めながら
子どもを産むことで女性としての性に目覚めますが、その悔しさ複雑さは胸を打ちます。

ところが彼女、後半は『なよなよとした』美女になって終わってしまうのですね。
非常に聡明ではありながら、帝の人柄に惹かれ、その後の彼女の胸のうちは語られることはありません。

それは左大臣家がえらくご祈祷し、物の怪が消滅したからだと語られるのですが、この辺りは前半の『女であっても人間である』という春風の魂の叫びを全く無いもののようにしてしまっているように感じます。

後半はのちの誰かによって、男性にも都合良く書き換えられたとしか、私には思えないのでした。

それにしても殆ど一千年の時を越え、今も昔も人間はさして変わらないのかもと思います。
が、同時に貴族の話とは言え、色恋沙汰に命を燃やし、今以上のリアルな人間くささに圧倒されます。


と、長々と内容に触れましたが、この程度のネタバレではびくともしない面白さですので、ご安心を。

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余談ですが、山中恒の『おれがあいつであいつがおれで』は『王子と乞食』や『ジキル博士とハイド氏』などに影響を受けて主人公2人の入れ替わりが描かれたそうです。
でもこの本も、映画になった『転校生』も、男女が入れ替わる面白さが多くの人を惹きつけました。
『とりかえばや』は、氷室冴子も『ざ・ちぇんじ!』として書いていますね。
1000年も昔、こんな面白い話が書かれたことに改めて驚きます。

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