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華氏451度

引き続き朝ドラ『スカーレット』での林遣都君の演技の『間』について考えていた。

ふと今夜の読書会のために読み直しているレイ・ブラッドベリ『華氏451度』に、実はこんな風な『会話の間合い』は存在しないような気がしてきた。

ページの合間に時折挟む混まれる一、二、三。四、五、六、七のリズム。
間合いではなく、リズム。

リズムを伴って本の中から連打されるのは、百花繚乱の如き華やかな比喩暗喩。

読み手はひたすら上を向いて舌を出し、降る雨を受け止めるように行間から落ちるそれを舐めるだけ。

まあここで実際にそんなことをするのはこの本冒頭に登場する『クラリス・マクラレン』だ。

『歳は十七で、頭がイカれてるの。』

十七歳の頃、この言葉がどんな意味を持つのか、全く分かっていなかった。

単に自意識過剰、いかにも翻訳物の言い回し、何を可愛こぶっているんだと正直思っていた。


読み直してみてゾッとした。

あの日17歳だった私は、自分がまだクラリスだったことにも気づかぬまま、ミルドレッドより老いて彼女の成れの果てになっている。

ブラッドベリが描いたのは未来のサイエンスなフィクションではなく、今、目の前に起こっている話だ。

リビング全部テレビ画面という世界で幸せだけを追求したら、本は焼き捨てることになった世界。
自分の頭では考えないようにされたディストピア。


初めてこの本を読んだ時、これは悲しく醜悪な世のcaricatureだと思った。

でも今読めばこれはまさしく今現在のドキュメンタリー。
しかも正確無比。


物語は三章立て。

其々がロマンスめいた物語の始まり、冒険、そして最後に仲間と未来と、違う様相を見せる。

どう読むかは人によって違うだろう。

章ごとに主人公モンターグの見せる顔が変わりブラッドベリの筆致さえ変わる。

モヤモヤとした比喩暗喩の未来世界から広野に逃亡した主人公に見える風景描写は、最後にはスッキリとクリアだ。


この内容で冒険活劇の顔。

哲学を体力仕事で全力疾走する感じ。

本は読み直してみるものだ。

名作なら尚更。

『頭の中に図書館を持った連中』
究極の図書館。

この概念はカンバーバッチシャーロックのチャールズ・オーガスタス・マグヌセンかな。
それともアカシックレコード?

蛇足だが、『華氏451度』で描かれる、主人公たちが目にした一瞬光を放ったのみの戦争。
少なくとも私にとっての湾岸戦争、9.11はそのようなものだった。
最初にこの本を読んだときにはまだ未来の出来事だった。
ライブ映像に映し出される追跡劇はウサマ・ビン・ラディンのあの映像を想起させさえする。
1950年代に書かれた本にも関わらず、だ。

現実は速度を上げてこの本に追いつきつつあるのに、その自覚すらない。


市街地が破壊されると思った次の瞬間、爆発の衝撃は主人公達をなぎ倒し、遠くにいた筈の戦争がいつ自分の頭上で、あるいはすぐ近くで起こり得るのか思い知らされる。

この辺りのブラッドベリは、読者を予定調和の世界から引き離す獰猛な作家だ。

爆撃の後、火を起こしベーコンを焼く男達の中の1人が、『不死鳥という愚かな鳥』と人間という不死鳥について語る。

本はただの入れ物で、それに意味はなくて、中身が大切だと言う。

これが紛れもない予言の書だということを、再確認。

そして私が読んだ【新訳版】に載せられた数々の出典から、この本そのものが本の歴史であり『記憶』であることを知るのだ。








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Comments 2

chocoacco  

なんだか今日は
一段と素晴らしい文章ですね

引き込まれてしまいました

2020/01/12 (Sun) 23:00 | EDIT | REPLY |   
mikaidou
mikaidou  
Re: タイトルなし

chocoaccoさま

こんばんは。
いやもう、お恥ずかしいです(^^;;
読み直してやっぱりこの本素晴らし過ぎて、全然意味不明な感想になりましたwww


2020/01/12 (Sun) 23:50 | EDIT | REPLY |   

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