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『人間』読了

又吉直樹『人間』を読み終わって、どう記録に残そうかと考えあぐねている。

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来年の手帳と、『ケーキの切れない非行少年たち/宮口幸治/新潮新書』、そして『人間』のサイン本は一緒に買って、『ケーキの切れないー』を先に一気読みしていた。

『人間』は毎日新聞の連載小説だったものが長編として出版された。
又吉直樹にとって3部作となるであろう『火花』、『劇場』、そして『人間』。

今回読み終わった『人間』。
構成としては個人的には『連作長編』のように、『ハウス』、『ナカノタイチ』、『カスミ』、『影島』、『沖縄』のように各々を独立した物語にしても良かったように思う。
『カスミ』の歪んだとりとめのない描き方は特に異質で物語の流れを遮りがちだし、最後の『家族』についての描き方もそれまでとは筆致が違うので、通しで読んでしまうと何だかわからなくなってしまう。
この場合のわからなさって、構成の仕方で随分変わると思うのだけれど。

それにしても出だしから良かった。
グイグイ読ませてくれる。

以下ネタバレですので、未読の方はご注意を。

芸術や表現者を目指す若者が集まって暮らした『ハウス』。
20年の歳月が経ち、主人公永山はそれなりに表現の世界で食べている。
それでも『ハウス』にいた当時に発表した自分の作品についての過去に未だ罪の意識をぬぐいきれない。

芸人作家の影島が、かつて同じ『ハウス』に暮らした『ナカノタイチ』が書いた彼への批判記事に強烈な反論をネットに載せる。
このネットでの反論はそのまま字体を変えて載せてあるのだが、これがなかなか強烈で辛辣。
読んでいるこちらでさえ何故か見たくないものを暴かれるような、欺瞞を許さない眼に晒されて、しんどい。

一方主人公永山の生活に出入りする女性『カスミ』はその名の示す通りに、霞みがかったように現実感からは程遠い。
彼女が一体何者で、主人公にとってどんな存在なのかも曖昧で。
焦点を結ばない彼女の姿は様々に変化して、永山の揺れを見せられるパートだ。

かつて『ハウス』で一緒に語り明かした影島と再会した一夜は、永山の創作意欲に火をつける。
語り合う永山と影島の大阪弁のやりとりは、『セトウツミ』の高校生2人のその後のようで、面白く、やがて悲しい。


影島との再会後、永山の書いた作品は出版が決まり、父の故郷沖縄でお祝いの会が開かれることになり舞台は沖縄へ。
とてつもなく変わった父との思い出。親類縁者との生暖かいやりとり。

永山と影島には又吉直樹自身の生い立ちや来し方がそのまま投影されている。
物事に対する澄んだ視線には『こんなに書いちゃっていいの?』とこちらが怖くなるほどだった。
勿論自分が恥ずかしくなる。

会話が絶妙に可笑しくて、その『間』を想像してしまう。

また映画化もされるのだろう、セリフの大阪弁をリアルに聴いてみたくなる。

話題になるのをわかっていながら、こんな風に『正直に』(実際そうだかどうだか知らないけど、表現するということ、才能を信じるという事において)書くことは、本来至難の業ではないかと思う。

ある種の素直さ、自分と作品を突き放せる冷徹さの両方を持ち合わせている作家の描くものは、読んでいて時々胸が痛い。

私の苦手な村上春樹はその昔、好きな作家だった。それもかなり。デビューの頃から短編やら長編やら手当たり次第読んでいた。
新海誠の小説を読んだ時、すぐに彼の影響が強い事に気がつくくらいはその文体に慣れ親しんでもいた。

『ノルウェイの森』を読んだ時、それまでの彼の殆ど全てが焼き直され、そのくせ格調高そうに包んでみせたやり方に、『結局書きたいことはいつもそこかよ』と、私の中でハルキは唐突に終わってしまった。
生理的に無理だった。少なくとも彼は当たり前のようにフェミニストではない。

なんでハルキをここで持ち出すのかと言うと、同じ核を持った話を繰り返し書きながら、又吉直樹はわかりやすい格好良さでそれを包みはしないだろうと感じたからだ。
作家の人間性で作品の好き嫌いを決めてしまうのは勿論ちょっと違うとは思うけど。

点数で測れないフィギュアスケートの演技の魅力と、そのあたり似ているのかもしれない。



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