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正義の仮面

https://www.mag2.com/p/news/419391
『小学生レベルの言い分。他人を叩く「正義の仮面」を被った人々』

正義とは仮面だ
タイトルは、次の本からの引用。

『ことばの贈りもの』松岡享子 著/東京子ども図書館

「正義とは仮面だ」とは、ウルトラセブンや仮面ライダーの脚本家である市川森一さんの言葉である。我々、ウルトラマン、仮面ライダー世代の人間からすると、衝撃的な言葉である。

つまり、誰でも正義の仮面を被れるということ。

この本の中では、地下鉄サリン事件におけるオウム真理教信者の「正義」についての記述がある。正義の仮面さえ被れば、どんな卑劣なことも「正しいこと」としてしまえる恐ろしさである。原爆問題と同じ構造である。

ここからは私見。「正義」についての疑問は、以前から何度も書いてきた。例えば、次の記事である。

● 日本語の「正義」にあって英語の「justice」にはない、大切なもの

「正義」というのは、正しさである。正しさというのは、常に相対的である。物差しがあるからこそ、正しい(プラス)と誤り(マイナス)が規定される。誰かに与えられたものといえる。

「正義の仮面」を与えられたと勘違いする人間は、危険である。正義を他者に規定されるため、思考が停止する。「正しいと言われたから、やってもいい」ということになる(「ウルトラマン」で子どもの頃からずっと疑問だったのが、破壊されるビルの中の人々のことである。ハリウッド映画での様々なヒーローの、街中の逃走・暴走・追跡シーンも同様である。正義のためだからやっていいという類のものではない)。

これは子どもの「先生が言ってた」と同じ幼稚な思考パターンである。子どもは、子ども同士を自分の考えに従わせる場合、子どもにとって強い「正義」である先生や親を利用する。そこに正義が規定されているのだから、「錦の御旗」「絶対」として堂々と正義の剣を振りかざせる。

これは、大人社会でも同様である。相手より上の立場の意見である「正義」をちらつかせれば、弱い者は言うことをきく。自分の存在の大きさは関係なくなる。「あの偉い人が言ってた」となれば、それは急に正義になる。

教育現場では黒いカラスが白くなることなど、ざらにある(ゆとり教育などは、その最もわかりやすい例である)。

ネット上で、「叩く」行為も全てこれである。この場合の正義は「世論」という架空にして確かに「ある」存在から与えられている(それが故に完全に責任者不在なのが厄介である)。

思考停止してはいけない。絶対的な正しさは存在しない以上、常に考える必要がある(この一文自体も矛盾を含むのが、悩ましいところである)。正しさは、常に自分の心で追い求める。






ショーマのあの滑らかなスケーティングにまるでヨナのように「漕ぐ」とか。

wingsが「羽」とか。
せめて「羽根」って書けば。「翼」って言葉を知らないのならね。



自分がとても嫌だったので、○○ファンと一括りにしたくはないのです。

『正義』が違う相手なんですから、相入れないのは当然としても、『小学生レベル』の言いがかり。

ショーマ頑張れ。








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