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夜想曲集

「夜想曲集ー音楽と夕暮れをめぐる五つの物語」
ハヤカワepi文庫
カズオ・イシグロ(著)

日本人の笑いのツボ、センスと、翻訳もののそれと。
ズレていることもあれば、擽られることもある。
「夜想曲集」。
クスっと笑うことはあっても、何かが違う。
これは漫才の「間」や落語の「オチ」が正確には翻訳できないのと同じではないか?

訳者あとがきに興味深いことが書いてある。
イシグロは、作品を発表するたびにプロモーションに駆り出され、インタビューを幾度となく受けるうち、
「自分の作品が翻訳でどう読まれるか意識せざるをえなくなった」という。
故に「英語でしか通用しない洒落や語呂合わせなどは翻訳では消えてしまうから極力避けるようになった」というのである。

例えば「ジョン・レノン・センス」は、片岡義男が翻訳不可能と言われたジョンの言葉遊びのリメリック詩のようなものを日本語訳して出版したものだが、正直さっぱりわからないし、元々わからなくても当たり前のもの。

イシグロのような世界的作家にとって、翻訳されることを前提とした作品は、どんな言語に訳されても意味が通るように書くことが今のところ必然なのだろう。
リメリック詩の国の作家なのに!

イシグロの努力にもかかわらず、彼のユーモアの質は翻訳のリズムでは伝わりにくいのかもしれない。
「日の名残り」のアメリカンジョークについて大真面目に考える主人公の可笑しさは、大真面目な翻訳によって笑って良いのかどうか、一瞬躊躇してしまう。翻訳における文体とは何と難しいものだろう。

高度だとかブラックだとか、そういう括りではなく、シチュエーションで笑わせてくれる。
言葉遊びを用いないジョークは、皮肉であっても残酷ではない。

ちょっぴり苦いのにウェットな感じは、ダールの短編などの斬れ味とは異質。同じ翻訳ものでも違う手触りなのは、同じ日本で生まれ、育った国も島国、という親近感を抱かせる。

それでもきっと笑いのツボは、本書あとがきの中島京子さんが書くほどには私などの知的レベルでは押さえられないもののようだ。


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