2017
06.06

出会いのタイミング

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『あしながおじさん』を数十年ぶりに読んだ。

言わずと知れたウェブスターの名作。
アステアの映画は借りてきたのに見ることができなかった。

原作もアステアも好き過ぎて、どちらのイメージも壊したくなかった。

大人になって読み直すと、以前は気づかなかったことに気がつくものだ。

ジューディーが『普通の女子学生』の中に入る時の第1のハードルは、皆が成長過程で当然知っているはずの一般常識的事柄がすっかり抜け落ちていたことだった。
たわいない冗談も『メーテルリンク』もわからない。

そこから彼女は猛然と読書を始める。

どんな本を読んだのか、その内容の彼女的解釈、感想、文体、登場人物の言葉を真似て『おじさん』に手紙を書き送る。

女性に参政権がなかった時代に、この手紙は読み手の「ミスター・スミス」にとってどれほど痛快で画期的なものだっただろう。

辛かった少女時代を『今この瞬間を生きることにする』ことで徐々に克服していくジューディーは、
ユーモアと客観性に富んだ物の見方で、学生生活を謳歌し、作家としてデビューする機会を得る。

この本のチャーミングな所は、惨めな思いをして育った「孤児」が知的な、でもごく普通の女子に変貌していくところでもある。
スイーツや服や帽子や靴、室内装飾、家具に至るまで、その抗いがたい興味関心がつぶさに描かれる。

さて、それにしても、だ。

自分が思っていた本の世界の数十分の一しか、実は文字としては描かれていなかったことに今更気が付く。

何度となくこの本を読み返していた頃は、きっと本の文字の間に埋もれる未知の世界を『想像』で膨らませ、はっきりと本の世界を脳内に描きながら読んでいたのだろう。

人生のどの時点でその本に出会ったか。
その映画に、音楽に出会ったか。

これはとても重要なことではないのだろうか。

もし今、私が初めてこの本の読者になっていたとしたら。

この時代のこの階級のお金持ちの言うところの「コミュスト」、「フェミニズム」がどの程度のものだったかを調べ、
慈善施設を作ることの困難さをクリスティーの「魔術の殺人」と比較もするだろう。

本の中に描かれなかった「抜け」にツッコミを入れ、
所詮「シンデレラ」だなんて、思ったかもしれない。

人と出会うことも同じ。

人生のどの時点でその人と出会っていたら、どう変わっていたかわからない。

岩波書店の箱付の本を今も大切に持っているのに、
本がこれ以上いたむのが嫌で、文庫本を買いなおした私は、

『あしながおじさん』に9歳で出会って、幸せだった。

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コメント
そうです、そうです。6歳でウルトラマン(初代)に出会って、ほんと良かったと思いますもん。

小林信彦がかつて、今の若い人の笑いの原点がドリフターズであることを嘆く、というか批判的に書いていて、でもそれって世代的に仕方ないじゃないか、最初にドリフを知って、さかのぼってクレージーの素晴らしさを理解できれば、なんて思っていたのですが、最初に何を観るか、聴くか、読むか、重要なんですよね。
このこと、若いときはわかりませんでした。
keidot 2017.06.10 17:33 | 編集
keiさま

本当にそうなんですよね。

私のファーストウルトラマンは「帰ってきた」方だったので、
いつも「どこから帰ってきたんだろう?」と
「初代」を見るまで
根本的な疑問から抜け出せないままでした。

人との出会いもそうだなあ、と最近つくづく思います。
子どもの頃から知っている相手だと、
いくつになってもお互いに「おじさん、おばさん」という
意識がないまま話してしまいますよね。
mikaidoudot 2017.06.10 21:09 | 編集
わたしは児童文学としての「あしながおじさん」と正面切って向き合ったのが43になってからでした。

夢中になって頁を繰ったその時間を「幸福でなかった」とは誰にもいわせない(^^)
ポール・ブリッツdot 2017.06.24 23:29 | 編集
ポール・ブリッツさま

コメントありがとうございます😊
そうでいらしたのですね。
『夢中で頁を繰ったその時間』は、何人も侵し難い至福の時間だったと思います(^-^)
ポールさまの感受性の豊かさ、とても素敵ですね。
私はすっかりねじ曲がってしまった自覚がありますです、はい(T ^ T)
mikaidoudot 2017.06.25 15:20 | 編集
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