現在の閲覧者数: ゴリオ(仮名)の日 - 老嬢の鼻眼鏡

ゴリオ(仮名)の日

先日CSで大昔のディズニー映画、アニメーションの「シンデレラ」を観ていた。
ああ、この曲はいつか繰り返し聴いた曲・・・。
映画の一部からそのままCD化されていたんだなあ、と懐かしい。

ゴリオ(仮名)がまだ腹の中にいた頃、繰り返し聴いていたのはディズニーの映画音楽だった。
つわり症状の一環か、ホルモンのせいだったのか、妊娠中は食べるものだけではなく、
聴ける音楽、観られるテレビ番組が極端に変わっていた。

「名探偵コナン」のコミックスを甥っ子が暇つぶしにどっさり貸してくれたのに、とうとう一冊も読めなかった。
テレビは相撲と野球しか見ることができなかったし、
音楽は一日中胎教用のクラッシックかディズニーの二択。

まったくどうかしていたとしか思えない。

さて、アニメーションの「シンデレラ」である。

シンデレラの住む家から王様の住むお城の窓にカメラが鳥のように飛んでいく。
鳥たちと窓に近づくと、いきなりガシャン、と王冠が窓から飛び出てガラスが割れ、
お城の中の様子に場面が切り替わる。

王様は王冠を窓に投げ捨てて王子に怒っている。

「言い訳は聞きあきた!
息子が王子としての責任を自覚しておらぬのがじれったい。」

「余はもう若くない。
年ごとに、老いていくだけだ。
生きているうちに、孫をこの手に抱きたいのだ。」

「いや、一人息子に親離れされる親の気持ちはそちにはわからん。
息子というのは、大きくなるにつれ、
親から離れていくものだ。
余は、この古い王宮の中でひとりぼっちで・・・。
もう一度、バタバタと走り回る小さな足音を聞きたいのじゃ・・・。(泣く)」



といった複雑な親心で、例の舞踏会は開かれることになったわけだ。


今日はこどもの日。

ゴリオ(仮名)は、言うまでもなく我が家の子どもだが、
とてもじゃないが、「こども」という雰囲気は既に微塵も残っていない。

今の私には、王様が王子に怒っている気持ちがよくわかる。

すっかり大人のくせに、大人としてなすべきことをしない歯がゆさ。
一方で親離れしていく息子が何かと小憎らしい。

小さかった息子がパタパタと走り回る、その足音までが愛おしかった。
幼いあの子がもう懐かしい日々と共に戻ってくることがないならば、
「孫をこの手に抱きたい」のがせめてもの願いではないか。

私も、あの日のゴリオの小さくて元気の良い足音をもう一度聞きたい。

そんな思いは「シンデレラ」に秘め、
ゴリオの未来に向かって、私も走り出さねばならない。

ああまったく、それが舞踏会だったら、いいのだけれど。

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