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アンでダイアナで

  • 2017.05.04
CMでもよく見る眼鏡型ルーペで続けざまに本ばかり読んでいたら、目・肩・腰、全身に痛みが・・・。

そうだった。

私はハドソン夫人。
老眼鏡どころか、ルーペで目の疲れを癒さなければならないほどキテいたのだ。

最近読んだのは

重松清 『きみの友だち』

これは構成が・・・。
良い話だが読み辛かった。
この書き方を敢えて押し通してもそうしたかった理由があったのだろうとしか、思いようがない。
ただ、最後まで読み通して、本当に良かったと思える本。
2人の少女に、周りを囲む人々が時を行き交いながら交差する。
哀しみが根底にあるのに、きちんと救いもある。



さて、連休中もゴリオにも休みはない。
夜、夕食と洗濯が終わってからゴリオの弁当を作っておく。
ついでに私は夜型なので、掃除機の代わりに拭き掃除を寝る前にやってしまう。

家事が終わってから読み始めると、一晩で大体ハードカバー1冊が限度。
それでもかなり早いペースなのかもしれないが、
心動かされる本だったりすると後が大変。
しばらくボーっと浸ってしまうのでそのままでは眠れない。

「きみの友だち」を読んだ日もそうだったが、
その前日もそうだった。



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柚木麻子  『本屋さんのダイアナ』

作者の柚木麻子氏が好きだったという児童文学と私のそれとがほぼ重なっているのでこれはたまらなかった。

「ダイアナという友人がいたからこそ、アンは村の人々に受け入れられた」
確かにそうだったと記憶をたどる。

一応ダブルヒロインではあるが、敢えて言えば主人公にあたる大穴(ダイアナ)の少女時代は
まるでリンドグレーンの「長靴下のピッピ」。
小学校までのダイアナと、アンの役を割り当てられた彩子の役回りは逆のようにも読める。
作中のキーとなる、とある「本」の中のダイアナも勇敢なヒロインだ。

一方2人のヒロインが成長するにしたがって、マシューとマリラと現代のアンが「これ?」とばかりに主張を始める。

本書のダイアナとアンは2人とも美少女で、聡明だ。
どちらがアンでどちらがダイアナかなんて、あまり気にしなくて良いように思う。

作者がダイアナと彩子に其々託したものは、夢ではなく、現実世界のアンとダイアナだろう。
どちらもアンであり、どちらもダイアナ。

多くのレビューで「これはいらなかったのでは」と書かれていた「事件」と、その扱いの少し軽い印象も、
私はそう気にならなかった。
彩子の本当の人生(と払わなくてはならない代償)はこの後から始まろうとするのだから。

面白かったのが、「アンの愛情」からはアンのキャラクターが変わってしまって面白くないと主人公達が思っているところだ。

私は真逆で、一作目の「赤毛のアン」には正直うんざりしていた。
アンが大学に行く頃から好きになりはじめ、一番好きなアンを巡る登場人物は「ミス・ラヴェンダー」だった。

アンが流産した巻の悲しみの日々は、哀しい記憶として今も残っている。
本の中のほんの一部分なのに。

アンのシリーズは全て、幾度となく繰り返し読んだが、多分9歳頃から20代の終わりまででそれも終わってしまっていた。
カナダ制作のドラマは、何となく「口に合わな」かった。

それなのに、数十年ぶりにもう一度新しい「アンとダイアナ」に出会ってしまったら、読み終わった後も、しばらく涙は止まらない。

後になって自分でも驚いたのだが、
私は「ダイアナ」と自分を重ね合わせたことがなかった。
大人から「良い子」と見られた覚えも一度もない。

ひねくれた娘だった自分が
全く変わっていないことに、笑ってしまう。

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