2017
04.08

夜は短し走れよゴリオ

Category: 映画の話

昨日、ゴリオ(仮名)はほんの1日、春休みだった。
終業式も始業式もよくわからなくなるほど、ずーーーーっとまともな休みがない。

私もここ1週間、時間外まで仕事でドタバタしていたので、昨日はさすがに早めに帰らせてもらった。
昨日は歓迎会を断っても大事な用があったのである。

「夜は短し歩けよ乙女」の公開日だった。
あさイチで映画館に行くと言っていたゴリオ(仮名)は宿題が終わらず、
私が帰るまで家にいた。
私はチケットも購入済だったのでゴリオを乗せ、
結局一緒に映画館まで車を走らせた。





白い「もちぐまん」の残り1個を手に入れ、
日めくりカレンダー(これは書店でも売っている)を其々1冊ずつ買い、
別々にポップコーンとドリンクを持って別々に映画を堪能。

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四畳半神話大系のアニメ版の出来が出色だったので、
つい期待してしまった。
ウジ系なので、主役の先輩の声優に早口に慣れていない人を持ってきたところでもう期待すべきではなかったのかもしれないけれど。

でも、楽しかった。

最後のシーンは先輩と黒髪の乙女、2人の初デートなのだが、
入場の折にもらった小雑誌「劇場来場者特典 その1 夜は短し歩けよ乙女 銀幕編」で
手紙の体裁をとって彼らのその後をチラ読みできることになっている。

単純なラインで描いた独特の絵が大好きで、女子にはたまらない。
森見ワールドにはピッタリだと思う。
背景の描き方に実写を使う方法を四畳半と同じように使っていたらもっと良かったのに残念。

先輩があまり語らない代わりに学園祭の劇で登場人物に散々歌わせる。
これが冗長というか、退屈で勿体なかった。
「先輩」役同様、「声優」ありきで映画の台本を作ったんじゃないかと思ったほどだった。


小説はいつもの森見ワールド。
声に出して読みたい小説、というものがもしもあるなら、私にとってはまさにこれ。
ご飯を食べるように文字を食む感じで読む。

原作では、古本市のシーンが圧巻だ。
映画でも大好きな部分を少年の姿をした古本市の神さま(四畳半で言えば小津の小型版だが)がサラッと言ってのけている。

「本たちがみな平等で、自在につながりあっている」
ということを示すために先輩が手に取った本と本を実に見事につなげて語ってみせる。
パロディーという視点ではない。
一冊一冊の本がどのように影響し合い、作家と作家がどの1点で袖すり合っていたのか。
敬意が感じられる森見の言葉の数々には、読み飛ばすことのできない共感を覚える。

ここを外さなかったというただその1点で、この映画は見る価値があると思う。

さて、先輩と黒髪の乙女のラストシーンを見ながら、
ゴリオは胸をときめかせたかもしれない。

私はどうだったか。
エンディングのアジカンの歌が終わるまで、泣いていた。

よく簡単に泣く女だと思われても仕方ない。

自分の人生に、こんなシーンはもう二度と起こりはしないのだと思ったのである。

さて、ゴリオの感想はやはり「歌はアジカンの1曲だけでよかった。」だった。
それから私にRADWIMPSの曲を聞かせて、こう言った。

「この歌の通りでさ、
『2人はそれから幸せに暮らしましたとさ』の
『幸せの中身』が知りたいんだよね。
先輩と乙女に、これから何が起こってどんな幸せがあるのか、
俺はさ、そこが知りたいわけなんだけど。」

というわけで、映画館を出て、すっかり日が暮れた道を「△△OFF」に向かって車を走らせた。
古本屋なので気兼ねなく「森見本」で持っていないものを全部買い、猫ラーメンならぬ、普通のラーメンを食べに更に走った。

オットもこの日が会社の歓迎会だったので、帰りは迎えに行く約束をしていた。
ゴリオも珍しくついてきたのだが、酔ったオットの迎えに走る母親を見て、
悟ってくれればいいと思った。

身もふたもない言い方かもしれないが、
『幸せの中身』なんて、結局人それぞれ。

動物的生殖行動の季節が終わったら、夫婦だってそれぞれの道を歩くようになっているんじゃないかと思う。
『2人の中身』なんて、そもそも赤の他人だし。

それでも。
映画館で、先輩と乙女のように初々しいデートに出かける、
そんなことが、2度と自分の人生に起きることはないと痛切に感じた時、
やっぱり泣いてしまったのさ。

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