2017
03.05

アナ雪

Category: 映画の話

あの「アナ雪」をうじで観ました。

映画そのものは

「歌うまいなあ」

「映像すげーなー」で終わってしまいましたが、やはり素晴らしかったです。

アニメーションは「ポーラー・エクスプレス」(トム・ハンクスが出てましたね。全編CGでパフォーマンスキャプチャと呼ばれる手法をとっていました)っぽく、美しいものでしたし、やはり音楽が良い映画でした。

最初の方で、アナがエルサの戴冠式のために城中の扉が開かれていく時の喜びを歌いながら城を駆け巡るのですが、壁に掛けられた絵画に自分が重なりながら踊るシーンの映像の美しさには心底驚きました。
止まったままの平面な絵画の上に、同じ平面な世界にいるはずのアナが完全に立体的画像として動きだけでなく質感でもその違いをくっきりと見せているのです。
テレビで見てさえそうなのですから、このCG技術(?)はすごいなあ、と。

おかげで今朝からも何度もリピートして見ています。

昔のディズニーアニメとの比較は意味のないことかもしれませんのでもう門外漢が何を言うでも書くでもないのですが。
結局ミュージカルアニメというか、プロモーションビデオのような感じは否めません。

主人公のアナとエルサの動きも今のダンスの「キメ」の影響でしょうか。
昔のクラッシックなバレエを思わせるプリンセスの所作が懐かしいと同時に、
エルサにもアナにも、もう少し一貫した動きの特徴があっても良いかもしれないななんて思いました。
ディズニー系のテレビドラマの主人公で見慣れてしまった表情と動きだけでは、
どうしても飽きがきてしまうんですね。

もう少し、もう一工夫、「これぞディズニー」という動きを見せてほしかったところです。

贅沢でしょうか。

映画のエンドロールがいかにも蛆で、そこで録画も切ってしまいましたが、やはり不評だったようですね。


歌い手の歌の上手さも、アニメーターの技術も高い水準にあることはわかっているのですが。

手作り感とチープさ、ある種の綻びのようなものがあるからこそ楽しめるということもあるのかもしれないなと。

作り手の「これ」や「どうしても」という強い意図や願望や、
そんな切々と訴えかけてくる何かを感じ取る手掛かりが失われていることが少なからず残念です。

ザラザラとした手触りは、つるつるとした表面感より気持ちを引っ掻いて、長く心に何かを残すのかもしれません。

こちらのアナ雪は、
美しく、アナログで、優しく厳しく、彼女たち姉妹の辿ってきた道すら思い起こさせるものでした。




真王の上半身のぶれなさとスーッと音もなく滑る、しかもショープロの一つとして姉の舞さんに合わせて軽く滑っているだけなのに腕の動かし方肩の使い方足の向きだけでしっかりアナ雪の世界を表現できる力。
昨夏の慈愛でもそうでしたが、これだけのことができるから、競技でなくては物足りなくなるのではと思います。

四大陸の男子のフリーを見ながら、ボーやん、ネイサンともにあれだけ踊れる選手達がジャンプの疲れで後半足元がグダグダになるプロに惜しくて仕方ないと思っていました。
特にネイサンの韃靼人は大好きなので、もっとステップに余力残してくれーと思ったんです。
ショートは最高でしたが。
一方パトリックはジャンプが上手くいかず、JBはまたフリーでも2A。
ショーマでようやくジャンプと表現がうまく高い次元で溶け合う演技を見られたと思ったのでした。

男子と女子は今や全く違った競技じゃないかと思うような方向の違いを見せていますが。

ジャンプさえ戻ってくれば、と真王も彼女の周りも思っていると思います。

これほどの選手をこのまま終わらせたくない、そう思いながら
アンチブログやネット記事に何でもかんでも「マオタの所業」と書かれないためにも、
真王のファンは黙らなければならなくなるのでしょうか。


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