2016
11.02

「技師の親指」ならぬ、「職人の指」

Category: 日常のこと
スケ雨もスケカナも、ステップのレベルやら何やらでジャッジやルールについて細かく検証されておられるブログ様のフィギュア愛には頭が下がる。

結果ありきの後付けで理由を探すためにルールブックがあるんだろうかと思ってしまう。

キスクラで選手もコーチも一瞬驚くレベルだと、素人には余計に難しい。

毎回重箱の隅をつつくように、ルールブックに載っている「理由」を探さなければ理解できない競技って・・・。

私もフィギュアスケートはやはりスポーツで、勝ち負けがあるからこそ面白いと思っているし、
ショーだけだと、正直満足できないところもある。

でも同時に、スケ雨の真央EXや、スケカナのパトEXなんかを見てしまうと、幸せ過ぎて、本当に順位など
もうどうでも良いと思う瞬間もある。

パトリックが地元で優勝したことや、そのプロトコルなんかより、あのフリーやEXにはシンプルにスケートの楽しさと美しさがあった。
真央スイートも同じ。
美しさを裏付ける確かなテクニックの積み重ねにどうにも気持ちを持っていかれてしまう。

レベル取りこぼしの原因を探り、対策を立てる。
どの選手もチームも必死だろう。
ファンもだ。
そこに注目しない私は、純粋なスケートファンではないのかもしれない。

ジャッジの無能より有能な証拠を見つける作業なんて、私にはできないから。

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全く違う話だが、今朝も書いたうちの食器棚は、2本の手の、9本の指で作られたものだ。

有名なデザイナー家具や、お洒落な店の品物でもない。
北欧風でもないし、シャビ―でアイアンなものでもない。

世間の評価がどうであれ、私にはとても価値のあるものだ。

家具を売る店で、商品ではなく、店の什器を売ってくれと迫った私に、家具屋さんが親切にも紹介してくれたのが、今私のつたない絵をリアルな家具に仕立ててくれる家具職人さんだ。

彼は10年ほど前、仕事中の事故で指を1本失っている。

ゴリオと同じ位の子どもさんと、明るい奥さんのいる家庭をそれでも支えるため、9本の指で、家具を作り続けている。

尊い手で作られたシューズボックス。
一切のたわみもゆがみもないそれは、古いマンションの狭い玄関の壁が、断熱材のせいなのか何かで、すでに真っ直ぐではないことを明らかにするほどだった。
背板一枚、材料に手抜きはしない。
昔ならカンナで家具の方を削ったそうだが、今はコーキングで綺麗に処理してくれる。
その手際は、指のことなど微塵も感じさせない。


短期間で引っ越しを決める決定打になったのは、「作り付けの家具がとても気に入ったから」という買主さんの一言があったからだ。

家具を作った彼は電話口で「こんなに嬉しいことはないです。」と喜んでくれた。

技術や出来栄えでも申し分のない家具だが、
その家具には職人である彼の魂が宿っている。

高く売るために、稼ぐためだけに作っているわけではないことがよくわかる。
喜んでもらえるようにと、精一杯の仕事をしてくれた。

次の古くて使いにくい箱を使えるものにするために、
また彼の手は忙しく動くだろう。

ゴリオはいずれ家を出るし、私たちは年をとる。
オシャレやステキとは無縁だが、年寄り向けの住まいにはなるだろう。

このように、価値観というものは本当に人それぞれ。


同じものを見ながら、気になる部分が違うのも、当たり前なのだろう。



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