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コーナー本

『Olympic Winter Games, Sapporo 1972 氷雪賛歌』 朝日新聞社/編

図書館に行くと、夏も冬も取り混ぜたオリンピックの本のコーナーが作ってあった。

私の目を引いたのは、真っ白な表紙に、黒文字の表題と、
一目でフィギュアスケートの女子選手であるとわかる黒いシルエットのみの非常にシンプルなハード本だった。

札幌冬期オリンピックの記録写真集である。巻末の入賞者一覧も非常に簡潔。
この時の各国メダル獲得数は、この本によれば
ソ連16、東ドイツ14、ノルウェー12、スイス10、オランダ9、アメリカ8、西ドイツ5、イタリア5、オーストリア5、スウェーデン5、そして開催国日本が金、銀、銅の1メダルずつ計3個であった。

目次のトップにはフィギュアスケート。
このOPでフィギュアスケート女子シングル銅メダルだったジャネット・リンの写真が、「リン(アメリカ)」とだけ書いてあるのだが、彼女一人に5ページを割いてある。
あの時の彼女の「旋風」を思うと、さもありなんである。
が、金メダリストのシューバ(オーストリア)の写真は1枚もなく、ジャネット・リンの次は6位のモルゲンシュテルン(東ドイツ)で、ようやく銀メダルのマグヌセン(カナダ)の写真が。

ベストショットを載せたのだろうが、この偏りも今なら許されなくても、当時を思えば微笑ましいもんである。

1972年当時の写真技術を考えれば、競技の写真も開会式の各国選手団のファッションも、カメラマンの渾身の一枚だったことがうかがえる。
写真には見事なまでに何の説明もなく、個人選手には名と国名、選手団の写真には国名のみ。

日本人の女子フィギュアスケーターでただ一人、バレエジャンプの写真が掲載されていたのは
山下一美さん。巻末の記録に、男子フィギュアシングルの「豊の部屋」の主、ユタカ先生の16位が載っている。

この本の「美のなかのドラマ」で、川本信正氏は

「お行儀がよくて、ファッション・スクールの卒業式みたいな、札幌オリンピックの閉会式だったが、・・・」
と冒頭述べている。
北欧ヨーロッパが強かった冬期(この本での冬のオリンピック表示は「冬季」ではなく「冬期」表示)
この大会で、スペインの選手がはじめて冬のオリンピックで優勝したと続けている。
どんどん世界が狭くなり、グローバル化していく、世界が変わっていく一端が垣間見える。
「テレビ・オリンピック」と呼ばれ、公式記録は「手持ち時計による記録」と「公式記録」で分けずとも、その場で公式記録を見ることができる技術の進歩を見た初めての大会だったらしい。
会場の電光掲示板で競技が終わるやいなや、記録が発表される。これはレースが終わってから記録の発表まで、場内アナウンスを待つ楽しみを奪うものだったとも記してある。ネット時代に生まれた人々にはもう想像もつかないであろう。

川本氏の巻末のコラムは、「オリンピックでは、むきだしの人間を描いた”人間ドラマ”が見られるのだ。」と続く。
1972年当時の「律義でお行儀のよい」日本のオリンピック。
2016年のリオ大会の日本人選手に、国を背負い悲壮な顔で臨んだ選手は、すでにあまりいない気がするのは私だけだろうか。

想像を絶するプレッシャーの中、団体で金メダルを獲り、その後、疲れた体であっただろうに、個人総合でも連覇を果たした内村選手。
団体金を獲った時の笑顔の表彰式、笑顔の国家斉唱には、やりきった選手の喜びがあふれ、見ているこちらが「幸せです」と言った彼に幸せを感じさせてもらった。

札幌OPスキージャンプの笠谷選手は、70m級ジャンプで優勝したものの、90m級で失速した時、「人間に戻れる」と言ったそうである。試合に臨む選手である間は、「人間ではなかった」ほど過酷な生活だったのだろう。
当時の日本の開催国としての在り方も、選手のメンタリティーにも、未だ戦時の影響から脱しきれていない「悲壮さ」が随所に書き込んである。
「人間に戻れる」という言葉も、戦争が終わった時の兵士の感慨と同じだと書いてあった。

スポーツ選手の過酷さは、今も昔も変わることはないだろうが、日本の代表として戦うと同時に、競技者としての幸せをかみしめることのできるメンタルに、計測器の進歩以上の進歩を、選手は遂げている。

ロンドンの時の競泳陣がそうであったように、強く、明るく、チームワークが良いように見える。
柔道競技でさえ、前回のロンドンOPの時と今回はずいぶん違う。
結果を出している、それも大きいとは思うが、井上監督も若く、素敵なヘアスタイルになったが、選手世代も若返り、オシャレ化したのである。
身長でも世界の選手に引けを取らず、6パック割れした美しい体型だ。
金メダルが全員獲れたわけではなかったし、各々悔しさはあっても、前回のような見るからに、な悲壮感が無いというのは、私は良いことだと思っている。

さて、悲しいことに、比べ読みが習慣としてある私は、この写真集を見つけると同時に、こちらの本も同時に読んだ。

「オリンピックと商業主義」
小川勝/著 集英社

2012年に記されているからには、もっと掘り下げてもよい事実はいくらでもあっただろうに(特に五輪マネーの分配についてとか)、少々食い足りない感も残るが、オリンピックが商業化されていく経緯が興味深い。

売り物になったオリンピックは今に始まったことでも、ロサンゼルス大会で始まったものでもなく、もっと以前からあったのだという。フィギュアファンにもおなじみの名前が出てきて、とんでもない必要経費を使うIOCの元会長の驚く話も載ってはいるが。
茶番には踏み込んでいない。
一つや二つではなく、様々な利権が絡んでいるからだろう。
この本はニュートラルと言ってもよいスタンスで書かれているため、そこが良いところでもあるのだが、本に書けないことは山のようにあると思われる。
OPの商業主義を否定できないのは、歴史的経緯を読んでいけばなんとなく理解できる部分もある。
ただ、それが行きすぎた利権とビッグマネーを産み、権力にしがみつく亡者が競技を破壊した挙句、そのしわ寄せが選手に行くとしたら、もっと糾弾されるべきだろう。

前会長が会長の任に着いていた間のホテル暮らしの経費など、驚きを通り越す話も多い。
貴族が私費を投じて運営していた頃のからどれほどの変遷があったことか。
てか、もう別物。

さて、オリンピックの申し子とかつては言われたお方、リオでも「あたしが主役だから!」とばかりに手を振りまくりつつ先頭切って行進されておられたこの方も、本を出しておられます。
ロンドンOPの翌年ですね。

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「オリンピック魂」 橋本聖子/著

「人間力を高める」という副題に、思わず手に取って読んでしまいましたよ。
キワモノは誰しも覗いてみたいもんです。

彼女は自分が「苦難に打ち勝ってきた努力の人」であり、「あの時もこの時もバッシングも受けたけど頑張りぬいた人」であり、「良き母(でもあるのにバッシングされた)」でもあり、政治家までやっているという、強烈な自負を本にしたわけだ。
東京OP招致のCM本にしても、人選を誤ったものである。
「魂を磨くことに限界はない」そうだが、ご自分の行為行動を振り返る謙虚さを身に着ける機会には恵まれなかったようだ。
これほど傍から見た彼女と、彼女自身が自分に抱いているセルフイメージがかけ離れているのは、まるでポンデリングの人と同じ。
素敵な乙女の気持ちを、ああ怪物化した今も持ち続けている。
怪物と呼ぶにも怪物に失礼か。

スケ連もJOCも、進化し続ける選手に、本当の意味でのサポートを。
金の亡者となり果てた一部役員が選手の邪魔をすることが、ないように。

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