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2018
02.28

サンクスツアー

Category: 浅田真央
またまた真央さんインスタから!


いよいよ始まるようですね!

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とても楽しみです❤️




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2018
02.25

『賞をもらわない99人』

Category:

『「新しい人」の方へ』
大江健三郎/朝日文庫


語り口が穏やかで時に深淵で。
大江さんのこの本は、青少年向けに書かれていることもあって、
大人の疲れた心にも暖かいのです。


以前この本から『嘘をつかない』についてふれたディケンズ作『デイヴィッド・コッパーフィールド』と、その登場人物ユライア・ヒープについて備忘録を書いたことがありましたっけ。
オリンピックの禍々しい報道を目にしながらまたこの本を開くと、『賞をとれなかった99人』に気持ちを揺さぶられます。

今回のオリンピック。
フィギュア以外の競技には、何度も涙しました。
選手たちが素晴らしい笑顔で、『支えてくださった方々』に感謝の言葉を述べていました。

スケ連って、数年前の記事によれば、(ソースは拙ブログの何処かに埋もれてます。面倒なのでリンク貼りませんが。)他の『公益財団法人』のお手本になるほどの黒字を出してましたけど。
実際選手生活を続ける為に、一個人の病院が選手の支援をしていたり、どの選手も大手スポンサーが付いていなければ大変な思いをしながらの競技生活なんですね。

一体あの巨額の黒字は何処へ?

OPの感動話を聞きながら、そんなことを思っていたんです。


大江氏は、スウェーデン人の友人にこう言われたと書いています。

『(ノーベル)文学賞でひとりの受賞者を出すために、我々は、賞にふさわしい水準の候補百人のリストを作って、一年間話し合う。
科学の場合でも同じことだと思うよ。
その百人の候補のレヴェルにあるというだけで、すばらしいことじゃないだろうか?
ひとりの受賞者を作り出す目的をかかげるより、もっと沢山百人の候補のうちに送り出そうとめざすのが、むしろやりがいのある教育じゃないだろうか?
きみが受賞した時にいった、上品な日本人らしい、目標のかかげ方だとも思うよ。』




『賞をもらわない99人』をはじめ、大江さんの本は
琴線に触れる、胸を突かれる、そういったものが、この柔らかな文体で語られます。

至福の時間であり、日本人の課題があぶりだされる瞬間でもあります。



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2018
02.23

倍率どんだけ‼️

Category: 日常のこと
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スミセイ さんのイベント、観覧のみなら北九州市内に在住でなくても応募ができましたので、1000人なら大丈夫かと応募していたら。
忘れた頃に『落選しました』とお返事が!

『観覧のみ1000人』の中にも入れないなんて〜‼️

一瞬でも真央さん舞さんを観たい方が遠方からも応募されたのでしょう。

考えることは皆同じ〜(T-T)






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2018
02.23

『応援しましょう』

Category: TV番組
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2018
02.21

(。-_-。)

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2018
02.17

おめでとう

真央さんインスタをお借りすることがOKなのかどうか迷いましたが、
今回まで、お借りします(⌒-⌒; )

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男子は高難度高レベルな闘いに、言葉もありません。

真央さんからネイサンへの一言には計り知れない想いが込められていると思います。

ネイサンの今季のプログラムは両方とも好きです。
SPの演技でさえ彼の身体の動きから溢れる美しさを見逃すことはできませんでした。

ボーヤンも魅力的な選手になりました。
フリーのキスクラでのあの涙。
本来ジャッジに滑走順が関係してはいけないのではと思いますが、
微妙な立ち位置でもあり、演技構成点で随分押さえられたように見えます。

パトリックには泣きました。
人目もはばからず、ぽとぽと泣きました。
いえね、偶々ゴリオを散髪屋に送って行ったら
ライブ放送があってたもので、散髪屋のおばちゃんと一緒に座りこんで見てしまったんです。
おばちゃんも仕事放棄。
散髪屋のおばちゃんは私と同じくショーマを応援していました。
呼ばれてテレビの前から離れると、
『あの子は?ショーマ君は?』と心配げに聞くので
カット係のお兄ちゃんは、おばちゃんに何か取ってもらうとか、
ちゃんと仕事してもらうのを途中で諦めましたwww
散髪が終わったおじちゃん達も、そのままテレビの前に釘付け。
私も結局ゴリオの散髪が終わっても、椅子から立てませんでした。

それにしても、雨男子3人、本当に素晴らしかったですね。
家に帰ってから録画を全部見ていますが、リッポン!リッポンのカミングアウト後の輝きには心をつかまれるようです。
ブレジナも好きだなぁ。

キスクラメダルはラトビアのデニス君。

それにしても、ネイサンにはソチの真央さんを思い出しましたし、ショーマの転倒にはイェーテボリを思い出してしまいました。
ネイサン君、胸を張って国に帰ってください!
ギネスが君を待ってます!












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2018
02.13

ミライちゃんおめでとう

Category: スポーツ
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真央さんの精一杯の気持ちが、手描き?塗り絵?の柔らかな色と共に。

表に出ても、出なくても
メディアは喧しい。

真央さんから、あたたかな『おめでとう』。

未来ちゃん、本当におめでとう💕

舞台を、降りたとき。
その人の素が見える。

私もこんな風に生きたい、と
並べることすらおこがましいけれど
心から思います。






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2018
02.08

結局わかりませんでした(゚∀゚)

Category: 映画の話
このくらい遅れて感想書けば、わからんちんが書いた無教養なブログということで、許して頂けるかと‥。

えっ?

何の話かって?
私、寒いの苦手なので‥ぬくぬくと暖かい部屋で、
先日CS放送された『シン・ゴジラ』を観たのです。
やっと。

こ、これは頭のしっかりした方しか理解できないのではっ!?
いえ、もう、私、運動音痴というか、何でも音痴というか、
なんだかよくわからなかったんです。


日本語字幕だらけで
状況説明入り(足りないの、あれでも足りないの!)で
ゴジラの解析データ入り(ゴジラの体のつくり設定とかのネタバレ込み)で
1から10まで説明して頂かなきゃ、
私にはわからないんです〜〜😭

ゴジラ。
以前の男と比べてしまう、これはいけないことでしょうか?
私の中に住んでいるミニラとかガメラとかモスラの踊りとか。
私が知っていた怪獣特撮には、いつも子ども達の憧れがあった気がします。

笑いながら突っ込まずにはいられない愛すべき『不完全さ』も。

製作側にそういう気がなくても、
何となく観ている方が『おおっ!』となって
『きゃー!』となって、
『ナンジャコリャ?』
そして笑いも🤣‥という。

そう考えると、ちゃんと全てが揃ってはいるかも?


ここで私が思うユーモアがあるかと言えば、せいぜい『君が落ち着け→ペットボトル』とか
あと、パターソンさとみの色っぽいくちびるでしょうか?

CSで放送されていた昔のSF映画(ユル・ブリンナーが荒野の七人でターミネーターな『ウエストワールド』とかゴダールの徹底したSF特撮抜きで描く近未来都市『アルファヴィル』とか、岡本喜八監督、倉本聰脚本のこれもSF!『ブルークリスマス』とか)と、バッチ君悪者になるのスタートレックを観た後でしたので、殆ど特撮無しで行くSFと、bravo!CGなSFの両方を堪能はしていたのです。


今怪獣出てきたら、こんな風な若造(ごめんね長谷川さん)中心みたいに政府動くの?とか、こんな非常時でも出世考えてんの?とか。
リアルだからこそ微妙にズレていく感じが半端ありませんでした。

1番楽しかったのは、やはり爆弾積んだ在来線が並んでゴジラに総攻撃で突っ込んで行ったり、あと並んだクレーン車も最高。
もう殆ど忘れましたがちょっとだけ鉄が入ったことのある身ですので、これは楽しかったです。
ピカーっと光る光線で東京を破壊する怖ろしげなゴジラ。
どんなに『シュワっと』違う光線を放つウルトラが来てくれたら、と思ったことでしょう。
ウルトラ光線とゴジラの背中一面光線があれば、五ヱ門の斬鉄剣もかくやの切れ味で日本どころか地球が3分で消滅するかもしれませんが。
左斜め後ろから、ちょっとアップになると、首の太い哀愁漂う感じが『あ、ゴジラ』。
昔の男、シンじゃない方のゴジラを思い起こさせるのです。



パターソンさん程の人があれだけ早口のナチュラル日本語喋れるのに敬語が苦手って、そこ最大限に変とか。
でも『蒲田くん』と呼ばれるらしい第2形態ゴジラには、あのゴリオも度肝を抜かれておりました。

『ガンダム』とか『エヴァさん』がわからない時点でアウトだったんですね。

というわけで、アニメ版も何となく自虐的に楽しみです。

わからない!と思いつつわからなさが楽しい。

怪獣映画って、深淵です。



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2018
02.02

古典はにがて。

Category:
やっぱり古典は苦手です。
現代語訳している作家は皆一様に、『ぜひ原典を味わってほしい』とか書いてますし。
実際ここまで読んできた現代語訳はめちゃめちゃ話は面白いんですが、語り口的には物足りず。
かといって橋本治氏の『絵本 徒然草』では濃すぎます。


『転校生』⇒『君の名は。』⇒『おれがあいつであいつがおれで』⇒『とりかえばや物語』⇒田辺聖子

田辺聖子⇒『古典の森へ』⇒『永井路子の方丈記 徒然草』⇒『四畳半神話大系』

こんな感じで続いているんですが。

これとは別に、落窪物語は漫画の出来が(編集の仕方が)思いのほか良くて大いに楽しみました。
でも『方丈記』は永井さん版で。


1方丈は京間の四畳半の1.12倍程の広さとWiki先生に書いてあります。
で、四畳半の部屋そのものは室町時代にできたとも。

『仏教においては方丈に全宇宙が内在しているという考え方が生まれ、そこから寺院の住職が生活する建物を特に方丈と呼ぶようになった。』

これこれ、まさに『わたし』が言う所の四畳半の宇宙世界。
そこに『薔薇色のキャンパスライフ』を『並行世界』で繰り広げるという、何という下鴨ワールド。
鴨長明が自分の終の住処の東西南北をどのようにしつらえたか書き記したように、森見の主人公『わたし』も『八十日間四畳半一周』の章で、北側のドアから自分の宇宙世界を説明します。

方丈記は天変地異におののき、政治的にも揺らいだ時代。
ここで綴られていく前半は特に災害の歴史のよう。

鴨長明が『住処』をどんどん身軽で小さなものに住み替えていき、やどかりだったか、生き物でさえ大きな貝は選ばないとか例えているんですが。
経済的な困窮、大火、風、遷都に伴う政治の危うさ、飢饉、地震の恐ろしさをすべて経験した上で、

『ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。淀みに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人とすみかと、またかくのごとし。 』


という境地に達しているんですね。

着るもの、住む場所、住む家の造りでさえも身の丈に合うだけでいいと。

実はこれと同じことを、熊本で地震にあった友人が言っていたのです。
台所で食器棚から落ちて粉々になった食器類を目の前にして、
憑き物が落ちたように物欲がなくなったと。
『もう、綺麗な食器を買いなおしたいとか、そんな気は起らない。
あれを見たら、物なんて、いるだけあればいい。』


同じ本に収録されている永井さん版『徒然草』にも、同様に、身の丈に合わない大きな住宅に住むことに、チクリと釘を刺すようなことが書いてあるのが面白いんですね。
断捨離とか、ミニマリズムとか、今も言っているようなことを1000年も前から人は言っている。
そう思うと、自分も年齢と共に同じようなことを思うようになったことも、『ま、普通のことなんだわな』と思ったりするわけなんです。



仏教と古典文学は切り離せないものだと、キリスト教とキリスト教世界の文学同様に感じます。
物事の感じ方、考え方、道義の持ち方が『無常』であったり、『許し・贖い』であったり。
先日観た新しい『オリエント急行』の映画からはそこが切り取られていたのです。
あれでは何故ポワロが彼らを見逃すことにしたのか、彼の正義との葛藤・苦しみが感じられません。
そこが私には受け入れがたい部分だったのだと改めて思います。


話がそれました。
方丈記で胸にしみた部分は
『勝地は主なければ』。

抜粋すると

『またこの山の麓に、一つの柴の庵がある。これは山守のいるところで、ここに少年がいて、ときどき私をたずねてきてくれる。退屈しているときは、彼を友としてあちこちを歩いたりする。彼は十歳、私は六十歳、その年の差は大変なものだが、心はひとつ、楽しみを共にするのである。』

『永井路子の方丈記 徒然草』より

原典ならまたさぞかし味わい深いのでしょうが、10歳と60歳が一緒に野遊びに興じ、山から景色を眺め、『楽しみを共に』するという章です。

教えるでも教わるでもなく、世代を越えて『共に』楽しむ。
人生も終わりに近づいた鴨長明が、最後に住んだ山の庵で誰に気兼ねもなく伸び伸びと、
けれど時に寂しさも感じつつ送る日々。
そこに添えられた一輪の花のような美しさ、10歳の子。


田辺聖子『古典の森へ』はこれぞおせいさんと言うべき、いつまでもずっと読んでいたい語り口。
実際、工藤直子がインタビューを書き起こしたものですが。

この『古典の森へ』で紹介される古典は全部どれもわかりやすく語られて、読みどころなんて『へえええ』と唸るばかりなのですが、その中でも『古事記』に関連しておせいさんが大好きな宝塚で舞台化された自らの作品について語っている部分が作家としてのマジ話になっていて面白かったんです。

『隼別王子の叛乱』を書くにあたって、『古事記』から近代小説にするには〈文体〉を手に入れなければいけない。
中略
この小説には沢山の人物が登場しますが、これを、普通の文章で書こうとしても素材に負けてしまうのですね。
中略
で、ひとつの青春を手の中にとらえて書こうとしたのだけど、二十年前は、自分がまだ若く、青春はいわば同じ世代の問題で、目の前にあるとかえって、それをどう摑まえていいか分からないんですね。それが、自分が年をとってきたら、こんどは隼別に対する大王の目から若者をみられるようになった。つまり、青春をみられるようになった。』


『古典の森へ』田辺聖子・工藤直子/著より

古典の面白さに目を開かれると同時に、『かもかのおっちゃんシリーズ』とは一味違う、作家の凄みが垣間見える本です。
『文車日記』?でしたっけ?そちらも読みたくなります。

・・・が、私には『作家と楽しむ古典』、そして編者池澤夏樹が選び抜いた作家たちのめくるめく一番新しい『古典の翻訳』
『池澤夏樹=個人編集 日本文学全集』が待っているのでした。

作家が其々どんな『文体』を古典の中で作り上げるのか。
これ、本当に楽しみなんです。



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