2017
06.22

カメカメカメよ、カメさんよ〜♫

Category: 映画の話
『素敵なウソの恋まじない』

ダスティン・ホフマンとジュディ・ディンチのラブコメディー。

原題『esio trot』の意味がわからず、調べてみると、原題まで逆さま言葉になっていた❣️

『tortoise』⁉️そのものズバリ、🐢カメだった💕

原作のはじめには、北アフリカからかつて劣悪な環境下、大量に輸入されたカメの話が書いてある。
今は人間ではなく『tortoise』のために、保護され、輸入は制限されているという。

先日CSで『卒業』が放映されていて、勿論見逃せなかった。何回見ても年を経るごとに感慨深い。

彼の映画でどれが1番好きだなんてとても決められないが、もしかすると、この『恋まじない』が一番好きかも。

Roald Dahl原作の邦訳は『ことっとスタート』。『恋のまじない、ヨンサメカ』が新しいダールコレクションでは改題されている。
映画を見た後、原作を読んでみたら、so lovely だった💕
飼っている亀をこよなく愛するおばあちゃんに恋したおじいちゃんのお話。
プロポーズまでの遠回しなバカバカしいほどの努力が何とも可愛らしい。

亀は何十年もかかって成長する。
なのに今すぐにでもすくすくと育って欲しいとミセス・シルバーは心から願っているのだ。
主人公のホッピーさんは似たような亀を100数十匹も買ってきて、彼女の願いを叶えるべく、似たような少し大きめの亀にすり替えていく。

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ダスティン・ホフマン演じるミスター・ホッピーのベランダガーデンが素敵。

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恋の駆け引きとしても見ることができるが、何しろ『小さいのは嫌でしょ?』と小柄なホフマンを目の前にしてミセス・シルバーは言ってしまうのだ。
原作には現れない背の高い恋のライバルや亡くなったミセス・シルバーの夫が、ミスター・ホッピーのコンプレックスを刺激するのだが、彼は負けない。

原作の方は子供にも読める単純な短編だが、映画は登場人物を増やし、よく肉付けされていてとても楽しめた。

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物語の語り手、ジェームズ・コーデンが2人の出会いを語り始めてからクライマックスの着地点に至って、なーるほど、と笑顔になる。

人生の終盤を迎えた2人の恋を描いて尚可愛い、ダールのお話を愉しんだ。

ところでダールは友人イアン・フレミングのために『007は二度死ぬ』、『チキ・チキ・バンバン』の脚本を書いている。
ダール脚本の007映画は、浜美枝、若林映子(宇宙怪獣ドゴラの美しい女優さんでした)出演の日本を舞台にした映画。あの日本でのとんでもなくシュールな漁村や結婚式、可笑しなお風呂のシーンは忘れがたい。
余談が止まらないが、この映画で海女のキッシー鈴木(浜美枝)との間に生まれた『鈴木ボンド』は小林信彦の『大統領の密使』に登場し、『わかる人にはわかる』という、イジワルい笑いを提供している。

普通ダール原作の映画作品といえば、あの『チャーリーとチョコレート工場』なのだろう。

『へそまがり昔話』にならって、ジョニデとバートンの映画にはここでは触れないことにしよう。
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2017
06.18

時は、やってくるものなんだ。

Category: 映画の話

「深町君・・・おねがい」

「なに、急に・・・」

「へんな女の子だって、思わないでね」

「うん、思わないよ」

「あなたの、パジャマを見せて」



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いえ、
「KIDS STATION」で『時をかける少女』を観た、というだけなんです。

十分、「へんな女の子」ですよ、芳山さん。

何度も再放送されていますので、何度も観ているんですけど。

こんなにいい映画だったとは・・・!!!


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白いブルマくらいで驚いてはいけません。
体操服がブルマにIN、くらいでも驚いてはいけません。

先生だって
「ホットパンツ」ですから。

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ちがいました。

こんな話ではないんです。

SF的な部分を、
映画は言葉で最低限しか語らない。

あのチープなタイムトラベル場面も、今ならOK。

『事情を最低限しか語らない』ことは必要でした。



やはり「尾道3部作」の代表的作品(だと思うんですけど)。

町並みが、素敵すぎ。
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SFと日本家屋のノスタルジックな雰囲気が独特。

そんなことは、この映画が公開されたころから言い尽くされたことでございましょう。

今頃、その貴重さに気が付いたんですね。

古民家再生とか、斜面地の古い家を残すために、尾道で活動されておられる方のFBなどを見ているせいでしょうか。

「尾道空き家再生プロジェクト Onomichi Akiya Saisei Project」FBからお借りしました。
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通称「ガウディハウス」

映画には、
昭和の終わりが、そのままに。

「時は、過ぎていくものじゃない」

「時は、やってくるものなんだ」


って、西暦2660年からやってきた深町くんも言ってましたね。

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2017
06.14

満員電車は乗り過ごそう

Category: 映画の話
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日本映画チャンネル「市川崑劇場」で見た「満員電車」

ところどころオチに言及しておりますので、あしからず。

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日本映画チャンネルの「あらすじ」には
「ぶっ飛んだギャグの連続は爆笑必死。」とある。

私には全く笑えなかった。
登場人物の名前で辛うじてコメディーだったと気が付く。

作品紹介の様に「ぶっ飛んで」もいず、ギャグという言葉ではとても括れない。
クレイジーキャッツとは全く違うアプローチなのだから。

歯医者といい、社内診療所といい、精神病院といい、
ストレスによる体の不調と医療の関係もストーリーの根幹になっている。
精神科の治療を、「もっと気軽に診てもらえるような精神病院に」と医者の卵が語る場面は、
まるで今の世のことのようだ。



風刺に富んだコメディーだとしても、「非常に上質な」という言葉で修飾したい。
1カットの無駄もなく、際立った個性のスター俳優を随所に配し、
思わせぶりな印象を残しながら脇役一人ひとりに説明不要なスポットライトを当てる。


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主人公 茂呂井民雄 (川口浩)
一流大学を卒業、一流企業(ラクダビール)に就職。
生涯給与の計算など、優秀さはところどころで見せるが、
「茂呂井(もろい)」だけあって、職場のストレスから、人生という満員電車にはじかれる運命だ。

冒頭、卒業式のシーンの土砂降りからすでに雲行きは不安だ。
学生時代のガールフレンドたちに別れを告げ、民雄は社会人への一歩を踏み出す。

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大学でのガールフレンド、壱岐留奈(小野道子)との別れは、いかにもドライな若い男女らしい。
が、この2人も人生の不条理に押し流され、再会した時にはメロドラマか演歌のようなセリフを吐くようになる。
壱岐留奈=(生きるな)って、一番ひどい名前ではなかろうか?

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一種異様な通勤ラッシュが様々な形で描かれる。
狭い商店街を無理に行き交うバス(レトロで素敵)の間を縫うようにして通り抜ける小学生の一コマにゾッとする。


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工場の煙突、ベルトコンベアーで次々に生産されるビール。
この工場がまたとても良くできている。

最先端で、まだ薄汚れた感じはしない。
セットなのだろうが、リアリティーの無さがこの映画の趣にピッタリだ。

それなのに工場の中の騒音とビールが生産されるカットでは一転、
生産効率だけを考えた非人間的工場の無味乾燥さを余すところなく伝える。

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主人公の同僚 更利満(船越英二)
独身寮では珍しく、くつろいだ部屋づくりを心掛け、会社の中では情報通。
満員電車で一人だけ異質な雰囲気を醸し、すいすいと渡り歩く様子が描かれている。
ちょっとオネエっぽい仕草がいい。
「なまけず、休まず、働かず」というサラリーマンの三原則を民雄に説くが、
彼の真の姿もまた、哀れな働き蜂の犠牲者だった。


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和紙破太郎 (川崎敬三)も複雑だ。
孤児として育ち、人生を三段跳びに例え、野心に燃える。
人を手玉に取り、三段跳びをしたつもりが、文字通りその最中にバスにはねられる。
彼の死のあっけなさが、この映画を「コメディー」というより「不条理映画」と呼びたくなる一因かもしれない。

主人公民雄の実家は時計屋。
壁一面の時計が異様に見える。

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父親役の笠智衆の「か」の発音が懐かしい。
「くぁ」と聞こえるのだ。
「かんじょう」を「くぁんじょう」、という具合に。

父は自分の仕事に誇りを持っている。
1分1秒の狂いもないと自負するが、あまりにも言うことがまっとう過ぎて
それ故に世の中と相いれない。
「道理が通らない」ため、
自ら精神病院に入ることで心の安定を図ろうとする姿が、辛うじて哀れに見えない。
妙に共感を覚えてしまうのは、私自身も「世の中と相いれていない」せいだろうか。



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母の杉村春子。
あまりに苦しいことが多いので、
愚痴を言いたくなるたび笑うように心掛けたことを「発狂した」と思われる。

夫を精神病院に置いたまま、無職になった息子の再起に吹き荒れる
文字通り「嵐」にあっても、
息子と一緒にいることに生きる希望を見出している。
吹き飛ばされそうなバラック小屋にしがみつく息子の身体に更にしがみつく母親の異様さが身につまされる。

誰が正気で誰が狂気なのか、この世の中では判然としない。


実に上手い。



これを今作り直そうとしても、過剰な演出でダメにするだけだろう。
テレビ版の「黒い十人の女」なんて、悲惨だったではないか。

元々金田一シリーズの映画位でしか市川崑を知らなかった。

日本映画は昔、こんなにも素晴らしかったのだと、またしても唸る。


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2017
06.14

路面電車の休日

Category:


『袋小路の休日』

小林信彦の連作短編集。

乾いた、と評されるクールな文体で東京の人、街の変貌をスケッチしたかのように描く。

文字で残さなければ、という小林の意識がそこここに感じられる。
私小説に限りなく近い文学。

彼以外に誰がこの高度成長期の東京と、そこに生きる人々をこんな風に描けただろう。

彼の物事の捉え方、笑いのセンス、透徹する目。
全てが教科書だった。

芥川賞、直木賞に5度もノミネートされながら受賞を逃した。

山田詠美が直木賞を獲った時にもノミネートされていたというから驚きだ。

今これを読むと、解説とは違う見方になってしまう。
小林信彦はその時代には早すぎる才能だったと言うが、
同時にバブル期に咲くには遅すぎた文学、だったのではないか?

小林氏御本人が1番良く描けているとあとがきで述べた『路面電車』。

瞬く間に東京から路面電車が消えて行った頃。
最後に残った都電荒川線に娘を乗せてやろうと
主人公は家族で出かける。

ところが
荒川線の始発が早稲田からなのか、
早稲田のどの辺りに乗り場があるのかも心許ない。

結局早稲田から王子で一時下車、飛鳥山で子供を遊ばせる。

『東京からずいぶん離れてしまった気がする』

主人公にとって、当時の王子は東京ではなかった。
何しろ転居した先を三鷹辺りかと思って読んでいたら、杉並だと言うではないか。

この辺りがとても興味深い。

『街』でも環状7号線ができる前後の街の変わり様が描かれる。

ゴリオを連れて環七を通るバスで王子に向かい、飛鳥山で遊んでから都電で荒川まで足を伸ばしたことがあった。
クタクタになったあの日をふと思い出す。

小林信彦の描く世界に、自分との接点は一つもない筈だった。

まさか彼の小説で、時代もシチュエーションもこれ程違うにも関わらず、
何か郷愁めいたものを感じるとは思いもしなかった。

奇妙な感慨を胸に、『唐獅子』の世界へまた舞い戻ることにしよう。

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2017
06.13

カエルの君

Category:
『青木雨彦』

紫陽花の頃、雨といえば思い出すのが、コラムニストだった青木雨彦のことである。
最初に出会ったのが、高校生の時、この『夜間飛行』だったと思う。

私が只一度、著者のサイン会の行列に並び、サインを貰った人である。

おじさんおばさんの列に1人混じった19か20歳の私は、場違いな雰囲気に恥ずかしくて堪らず、
終始俯いていた。
青木氏の顔は、見ることもできなかった。

ミステリを語りながら男女のなさぬ仲をいつの間にかチョロリと読ませる。
彼が書くサラリーマンの背中は、カッコ悪く、憎めなかった。
照れくさがりな人柄が滲むコラムを夢中で探して読んだ。

評論家という肩書きも、ご本人の容姿コンプレックスから『雨彦』と名乗るお茶目さにかき消えてしまう。
堅苦しさも難解さもない文章の数々。

堤中納言物語の『虫めづる姫君』が蛙につけた『雨彦』がペンネームの由来だったと記憶している。
違ってたらごめんなさい。





訃報を知って以来、悲しくて一度も彼の本を開いていない。

あの頃の彼の年齢になった今なら、もう一度読めるかもしれない。




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2017
06.06

パーフェクトな女

Category: 映画の話
『ケイト・レディが完璧(パーフェクト)な理由(ワケ)』をAmazonプライムで視聴。

サラ・ジェシカ・パーカーが主演したコメディーである。
wikiより

ボストンの投資会社でファンドマネジャーとして働くケイトは、夫と二人の子供を持ちながら、数々の仕事で成果を挙げるキャリアウーマン。

仕事と家庭をなんとか両立させながら懸命に働く彼女に、ついに大きなチャンスが訪れる。新しい投資ファンドに関する彼女の提案を、ニューヨーク本社の幹部が高く評価したのだ。

この報せを受けて喜ぶ彼女だったが、プロジェクトへの本格参加が決定したことで、ボストンとニューヨークを往復する多忙な日々が始まってしまう。

どうにか今まで通り家庭と仕事を両立させようと奮闘する彼女だったが、次第に両方とも上手くいかなくなってしまう。



原作を読んでいないので、原作者の意図が映画の通りだったかどうかは知らない。

映画は楽しく、予定調和な流れでスルリと喉に通る感じ。

どんなに忙しいワーキングマザー(私は正直、昨今の自称『ワ―ママ』という言葉にはゾッとする)でも、
そこはサラ・ジェシカ・パーカーだ。
実にはまり役だった。
彼女が演じると、決してワーキング・ウーマンにも、冷たい母親にも、やつれた女にも見えないのだからヒロインとしては最高だ。

私が知っている限り。

『シンデレラ』⇒昔話ですから

『風と共に去りぬ』⇒ラスト、スカーレットがレットを失っても立ち上がった姿に拍手

『マイフェアレディ』⇒結局はシンデレラ以上にシンデレラだが映画には全く共感するところ無し

『プリティーウーマン』⇒いかにリチャード・ギアでも私は無理

『ワーキング・ガール』⇒80年代と言えばこれっ!痛快だったがこの時のハリソン・フォードは無理

『この映画』⇒現代版ワーキング・ガール。
全てを手にした女だが、サラ・ジェシカのおかげでキュートでチャーミングで嫌味がない。
ピアース・ブロスナン、メチャクチャ素敵ですし。
正直これこそ夢物語のその上をいく。
子ども達が反抗期の頃には、あなたも更年期で悩む年頃では?と意地悪く思ってしまう。

これを「パーフェクト」と呼んではばからないのなら、
世の「働かなくちゃ生活できませんから」という多くのおっかさん方は
昔から「パーフェクト」だったんじゃと思ってしまった。

ああ、素直な心で映画が観たい。

ということで、次はドリュー・バリモアの「Ever After」で勇気をもらおう。

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2017
06.06

出会いのタイミング

Category:
『あしながおじさん』を数十年ぶりに読んだ。

言わずと知れたウェブスターの名作。
アステアの映画は借りてきたのに見ることができなかった。

原作もアステアも好き過ぎて、どちらのイメージも壊したくなかった。

大人になって読み直すと、以前は気づかなかったことに気がつくものだ。

ジューディーが『普通の女子学生』の中に入る時の第1のハードルは、皆が成長過程で当然知っているはずの一般常識的事柄がすっかり抜け落ちていたことだった。
たわいない冗談も『メーテルリンク』もわからない。

そこから彼女は猛然と読書を始める。

どんな本を読んだのか、その内容の彼女的解釈、感想、文体、登場人物の言葉を真似て『おじさん』に手紙を書き送る。

女性に参政権がなかった時代に、この手紙は読み手の「ミスター・スミス」にとってどれほど痛快で画期的なものだっただろう。

辛かった少女時代を『今この瞬間を生きることにする』ことで徐々に克服していくジューディーは、
ユーモアと客観性に富んだ物の見方で、学生生活を謳歌し、作家としてデビューする機会を得る。

この本のチャーミングな所は、惨めな思いをして育った「孤児」が知的な、でもごく普通の女子に変貌していくところでもある。
スイーツや服や帽子や靴、室内装飾、家具に至るまで、その抗いがたい興味関心がつぶさに描かれる。

さて、それにしても、だ。

自分が思っていた本の世界の数十分の一しか、実は文字としては描かれていなかったことに今更気が付く。

何度となくこの本を読み返していた頃は、きっと本の文字の間に埋もれる未知の世界を『想像』で膨らませ、はっきりと本の世界を脳内に描きながら読んでいたのだろう。

人生のどの時点でその本に出会ったか。
その映画に、音楽に出会ったか。

これはとても重要なことではないのだろうか。

もし今、私が初めてこの本の読者になっていたとしたら。

この時代のこの階級のお金持ちの言うところの「コミュスト」、「フェミニズム」がどの程度のものだったかを調べ、
慈善施設を作ることの困難さをクリスティーの「魔術の殺人」と比較もするだろう。

本の中に描かれなかった「抜け」にツッコミを入れ、
所詮「シンデレラ」だなんて、思ったかもしれない。

人と出会うことも同じ。

人生のどの時点でその人と出会っていたら、どう変わっていたかわからない。

岩波書店の箱付の本を今も大切に持っているのに、
本がこれ以上いたむのが嫌で、文庫本を買いなおした私は、

『あしながおじさん』に9歳で出会って、幸せだった。


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