2017
05.28

快速船で宇宙にはなかなか行けない

Category: 日常のこと
夕べ、洗濯も終わり、洗い物も拭き掃除も終わり、さてアマゾンプライムで『宇宙快速船』を開こうとしたその時。

ゴリオが『足の親指の生爪剥がれた』と部屋から出てきた。
完全に剥がれて出血というか、体液っぽく粘っている。

先日、ゴリラ仲間のあっちゃんは足のすり傷からバイ菌が入って足全体がパンパンに膨れ上がり入院。
歩けるようになるまで車椅子だった。

菌でできるイボは年中部員内で移しあっているので、
皮膚科の先生はその度嬉しそうに
『どう? イタイ?』と
液体窒素でジューっと焼いてくれるのだ。

グラウンドの土には破壊力のある雑菌がたくさん棲息しているらしい。

もう11時過ぎ。

試合前の練習を、試合に出られない位でゴリオが休んでくれるはずもない。

『舐めて治せ』と言いたかったがその後に行くグラウンドの土は怖い。

12時まで開いているドラッグストアまでトンネルを越え車で走った。

ゴリオは普通に靴下を履きランニングシューズを履いてついてきた。
イタイより、腹が減ったのだ。

ドラッグストアでキズが早く治るパッド(高いんですよ)を買ったら
『それ、病院に行った方がいいですね〜』と言われ、そのまま夜間救急外来に走る。

処置が終わった途端、『腹減った』。


ところが込み入った住宅街に迷い込んで夜だったこともあり、またしても道に迷う。

昼間、たくさん歩いたので眠くなってくる。

どういう訳かグルグル同じ所を回って出られない。

無事にコンビニにはたどり着いたものの、

ヘトヘトになって空っぽになった財布を手に、夜空を見上げる。

旨そうにコンビニの焼き鳥を頬張るゴリオを横目に、

月に向かって吠えたくなる。

どうしよう、宇宙快速船に乗る前に獣に変身しそうだ。

kaisokusen.jpg
画像お借りしました
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2017
05.26

TVミュージカル映画の方の「シンデレラ」

Category: 映画の話
レスリーアンウォレン
1965年に制作されたミュージカルTV映画「シンデレラ」をAmazonで視聴。
youtubeにもフルバージョンでありますが。

このTV版「シンデレラ」はリチャード・ロジャースとオスカー・ハマースタイン二世の名コンビが楽曲を作り、
1957年にジュリー・アンドリュース主演で制作したミュージカルのリメイク版。

オスカー・ハマースタイン二世は1960年に亡くなっているんですね。
にも拘わらず、1965年版のクレジットには、ちゃんと「Rodgers & Hammerstein's 」と書いてあるんです。
1957年度版の楽曲を殆どそのまま使用したから、というのもでしょうけれど、ハマースタインへの敬意の深さが感じられるクレジットでした。
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さて、参考リンクに載せている「Classic Film and TV Café 」によると、

1959年11月にブロードウェイで初演したリチャード・ロジャースとオスカー・ハマースタイン二世によるミュージカルが『サウンド・オブ・ミュージック』。

そしてロバート・ワイズ監督による映画「サウンドオブミュージック」の長女役のオーディションには落ちたそうですが、このTVミュージカルでは主役を演じているのが主演のレスリー・アン・ウォレン(Lesley Ann Warren )なんですね。

今もご健在、ご活躍していらっしゃるので息の長い女優さんだと思います。
共演のジンジャー・ロジャース(王妃役で本当にちょっとだけ踊るシーンがある)はさすがに風格がございました。

さて、1951年にミュージカルとして初演されたロジャース&ハマースタインの『王様と私』。
これを5年後にミュージカル映画にしてデボラ・カーとユル・ブリンナーが主演したのは有名ですね。
「Getting to Know You 」は、私が最も好きな曲。
この作曲・作詞者がTV版「シンデレラ」の楽曲を担当した
リチャード・ロジャースとオスカー・ハマースタイン二世だったってわけです。



この映画、他の実写版のテレビ映画のシンデレラの中ではwikiの中でも記述は少ないのですが、参考リンクから飛んだ批評を読む限りでは意外に1957年版より「いいね!」という批評が多く、レビューも好意的なものが多く残されています。

ジュリー・アンドリュースの1957年版は白黒だったそうですのでその点こちらはフルカラーでビジュアル的にも美しかったこともあるのかもしれません。

"In My Own Little Corner,"
"Impossible,"
"Ten Minutes Ago,"
"Do I Love You Because You're Beautiful?"


どれも音楽、歌詞共に素晴らしかったのでございます。


この映画、オープニングから、もしかすると○NKの着ぐるみ人形劇?と思ってしまった舞台っぽいセットでまず観客を惹き付けます。

王子は「ドラゴン退治したりあちこちで色んなプリンセスを救ってきた」という武勇伝を持つイケメンですが、救ったプリンセスの誰とも恋に落ちることなく、国に帰ってくるのです。
武勇伝をどちらかと言えば自慢というより自虐気味に語る王子とか、シンデレラの継母と義理の姉たちの面白おかしい演技とか、素晴らしい楽曲などなど、語るべきところは多くあるのでしょう。
あるのでしょうが、私が今回目が離せなかったのは・・・。

衣装・・・。
衣装に、とにかく目が釘付けでした。

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エンドロールの名前を頼りに調べてみました。

衣装を手掛けたジョージ・ウィッテカーは『刑事コロンボ』や『ナイト・ライダー』『刑事コジャック』などの衣装を手掛けた方なんだそうです。
あら、こちらのドラマも懐かしいではありませんか。

シンデレラって「灰かぶり」なんですから、もっと地味にグレーでも良かったんじゃ?と思うのですが、この衣装を手掛けたお方は全くそうは思わなかったのでしょう。、

普段着のシンデレラ、とにかく衣装も性格も明るいのが印象的です。
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こちらは普段着の継母と姉たち。
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一番まともだと思ったのはシンデレラの後継人らしい妖精さんの衣装でした。
どちらかと言えば、シンデレラより可愛いかも。
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右側が変身後のシンデレラで左が妖精さんなんですから、私ならピンクの可愛い衣装がいいなあ、と思ってしまいました。

が、このシンデレラの衣装には、ちゃんと意味があったのです。

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シンデレラの襟元が、白くてフワフワなファーで縁取ってあるのですが、その白いフワフワに「刺」、ささってませんか?
どう見ても尖ってますし、どう見ても好き勝手な方角を向いた「とげ」。

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襟元に「刺」をさしたままのシンデレラは、とりあえずこんな馬車に乗ってお城へ向かいます。

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すると舞踏会を開いた王様と王妃様のお衣装にも同じフワフワに刺が刺さっているではありませんかっ!

ちなみに一般庶民はこんな感じなんです。
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中世っぽくて、カラフルで素敵です。

で、一応男性は他にもタイツ履いて沢山参加の模様です。
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お姉さま方はこんな感じ。左側のお姉さんなんて、おっかさんのようで、いい味出してます。
正直、シンデレラの衣装より一見ゴージャスですね。
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一方、なんと王家のご家族3人、親子で刺が刺ささってますっ!
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王様の王冠周りにまでファー&刺がっ!
立ってますよね、「刺」!
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さて、そこに「刺」と「冠」でクラス感を出した、明らかに他の参加者とは違うテイストの衣装で、シンデレラが登場します。
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「刺」さして現れたシンデレラを迎え撃つ王子。
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速攻でワルツを踊ります。途中、王子は勢い余って見物人と化した姉さんの一人にぶつかりますが、構わず踊り続けます。
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もちろんジンジャー・ロジャースもいますんで、王様と王妃だって踊りますよ、そりゃ。
刺がどれだけ刺さっていても、踊るんです!
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そして2人きりで向かい合ってみると・・・。
シンデレラの衣装は王子と何気におそろなんです。
はい、このままこの衣装で結婚式があげられそうですね💛
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王子の「刺」は上着の裾と袖口に刺さっておりますが、そんなことはいいんです。
"Ten Minutes Ago,"を歌いながら、
「出会って10分」でこれです。
この後2人は2度にわたってAに及びます。
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さて、12時で魔法が解けた後、王子はガラスの靴を拾っちゃいます。
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例によって「ガラスの靴の持ち主」探しが始まります。
お約束の、「継母の靴だめし」もちゃんとあります。
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さ、シンデレラは機転を利かせて初めて王子と出会ったシチュエーション(お水をひしゃくに一杯、差し上げるんですわ)を再現し、見事王子に気が付いてもらえます。
妖精さんもシンデレラをその場で「刺さしドレス」に着替えさせて準備はOK。
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こうして、白い毛皮のトリミングに刺をさす一家に、家族が一人増えましたとさ、と大団円。
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妖精さんがシンデレラのために歌う"Impossible,"にはこちらまで勇気づけられるようでした。
不可能を可能に!
妖精さんにできないことはないんです。
でも、それもシンデレラの夢見る気持ちがあればこそ。

というわけで、大いに楽しませてもらった1965年版『シンデレラ』ですが、音楽も衣装も、思わぬ懐かしい作品と繋がっていたことがまた嬉しい映画でございました。

「刺」衣装のセンスの謎は多分永遠に解けないかもしれませんけどね('ω')ノ




参考リンク

シンデレラ (ミュージカル)
ロジャース&ハマースタイン
リチャード・ロジャース (作曲家)
サウンド・オブ・ミュージック (映画)
George Whittaker  「IMDb」記事より
レスリー・アン・ウォーレン
CMBA Blogathon: "The Prize" and Rodgers & Hammerstein's "Cinderella"
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2017
05.22

バンクス氏の救済

Category: 映画の話
『ウォルト・ディズニーの約束』

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原題は 『Saving Mr. Banks』
直訳すれば「バンクス氏の救済」で、これは映画のテーマそのもの。
バンクス氏が、メリー・ポピンズの原作者、トラヴァース夫人にとって本当に「救済」されたかどうかはわからない。

映画.comより http://eiga.com/movie/77784/

米ウォルト・ディズニーが、自社の映画製作の裏側を初めて描いた作品で、1964年の名作ミュージカル映画「メリー・ポピンズ」の製作秘話をトム・ハンクス&エマ・トンプソン主演で映画化した。

ウォルト・ディズニーは娘が愛読している児童文学「メリー・ポピンズ」の映画化を熱望し、原作者パメラ・トラバースに打診するが、トラバースは首を縦に振らない。

やがてイギリスからハリウッドへやってきたトラバースは、映画の製作者たちが提案する脚本のアイデアをことごとく却下。なぜトラバースは「メリー・ポピンズ」を頑なに守ろうとするのか。

その答えが、幼い頃の彼女と父親との関係にあると知ったディズニーは、映画化実現の最後のチャンスをかけ、トラバースにある約束をする。監督は「しあわせの隠れ場所」のジョン・リー・ハンコック。




メリー・ポピンズの原作者P.L..トラヴァースをエマ・トンプソン、
ウォルト・ディズニーをトム・ハンクス、
リムジンの運転手ラルフはポール・ジアマッティ、
トラヴァース夫人の実父をコリン・ファレルと、
俳優陣が素晴らしかった。

私は映画のメリーポピンズが大好きだったので、この映画の原作が、実は完全に作者トラヴァースの幼少期の裏返しとして描かれていることに結構な衝撃を受けた。


映画は誇張でもなく、すんなりと、たまらなく辛く、でも少しだけ救われる形で描かれる。

ディズニーですから、と言えなくもないが、ディズニー映画にしては大人の映画だし、個人的には素晴らしかったと思う。

トラヴァースの育った家庭と、見事なほどの映画のメリー・ポピンズとの裏表。
「ミスター・バンクスを、救済しよう」というウォルト・ディズニーの最後の口説き文句は泣けた。

メリー・ポピンズのイメージがトラヴァースの過去の中に随所に散りばめられ、映画とは正反対だった事実。

この映画の企画段階でのいきさつが興味深いのでwikiから転載。

Wikipediaから

2002年、オーストラリア人プロデューサーのイアン・コリーはP.L.トラヴァースのドキュメンタリー映画『The Shadow of “Mary Poppins”』を製作した。

製作段階でコリーは「明らかな伝記映画」の要素があることに気づき、オーストラリアのプロダクションであるエッセンシャル・メディア(英語版)にスー・スミスの脚本で長編映画化すべきであると持ちかける。この企画はBBCフィルムズおよびRuby Filmsのアリソン・オーウェンの興味を引くこととなる。BBCフィルムズは企画への融資を決め、オーウェンは脚本の共著者としてケリー・マーセル(英語版)を起用する。

マーセルの草稿ではトラバースと彼女の息子に関わるサブプロットが削除され、また物語をトラバースとディズニーによる製作争いとトラバースが抱える子供時代の問題との取り組みの二筋に分けられていた。しかし、このマーセル版は明らかにウォルト・ディズニー・カンパニーの許諾なくしては使用不可能である音楽および映像の知的財産権にあたる部分を大きく取り上げていた。

「ディズニーという大きな壁を見て見ぬふりしていたよ。」コリーはそう回想している。「ウォルト・ディズニーは映画のキーとなるキャラクターだったし、メリー・ポピンズからいくつか音楽も使用したかった。いずれはデイズニーに伺いを立てなければならないのは皆わかっていたよ。」

2011年7月、イタリアのイスキア映画祭にてオーウェンはジャズミュージシャンのコーキー・ヘイル(英語版)と会う。『メリー・ポピンズ』の作曲を務めたシャーマン兄弟のリチャード・シャーマン(英語版)とは近所づきあいがあるというヘイルがシャーマンに脚本を渡すことを提案。ヘイルに渡された脚本を読んだシャーマンは企画を支持する。

その後マーセルの脚本は出来が良いにもかかわらず製作には至っていないために、プロデューサーたちからランクリン・レオナルド(英語版)の「ブラック・リスト(英語版)」に投票された。

2011年11月、ウォルト・ディズニー・スタジオの製作社長であるショーン・ベイリーはマーセルの脚本の存在を知らされる。ベイリーはディズニーCEOのボブ・アイガーを含むスタジオ重役たちと共に製作の可能性について議論した。スタジオ会長のアラン・F・ホルンはスティーブ・ジョブズからの言葉を借りて映画を「brand deposit」と称した。

アイガーは映画化を許可し、ウォルト・ディズニー役としてトム・ハンクスと連絡を取った。ウォルト・ディズニーがメジャー映画で描かれるのは初めてのことである。役を引き受けたハンクスは、「ピカソやチャップリンと同じく世界に影響を与えてきた人物を演じる機会」だと考えたという。ハンクスはウォルト・ディズニー・ファミリー・ミュージアム(英語版)を何度か訪れ、ディズニーの元従業員や、また娘のダイアン・ディズニー・ミラーを含む親族たちにインタビューを行っている。

メリル・ストリープとの交渉に失敗した後の2012年4月、エマ・トンプソンがP・L・トラバース役の最終交渉に入った。トンプソンは自身が演じた中で最も難しい役柄の1つであり、「彼女はとてつもない複雑さと矛盾を抱えた女性だった」と述べている。

また「悲しみについて、彼女は非常に優れたエッセイを書いている。彼女は実際、非常に悲しい女性だった。つらい幼少期を過ごした人よ。父親はアルコール中毒で、母親は自殺を試みて。彼女は生涯をまさしく深い悲しみの中で過ごしたのではないかしら。それ故に多くを成し遂げたのよ。」とも。

ウォルト・ディズニー・ピクチャーズの承認によって、製作チームはトラバース、ディズニー、シャーマン兄弟そして脚本の共同著者ドン・ダグラディらのやり取りが含まれる『メリー・ポピンズ』の企画開発中の音声録音と1940年代から1960年代にかけてのトラバースとディズニーの書簡の利用が可能となった 。

当初、監督のジョン・リー・ハンコックはディズニーの関与について、創始者の有利になるよう脚本を手直しするのではないかという疑念を持っていたという。しかしマーセルは、ディズニー側は「明らかに脚本への参与や不都合な描写の削除、またウォルトを変えてしまうことを望んではいなかった」としている。

ウォルト・ディズニーに関する描写についていかなる干渉も受けなかったものの、ディズニー側は喫煙シーンを省くことを強く要求した。
これは自社映画から直接的な喫煙描写を排除するという会社理念によるものであり、また、アメリカ映画協会によるレイティング指定を避けるためである。





原作者が、自分の作品の主人公を「売りものにする」ことは魂を引き裂かれるようなものだということをディズニー自身も理解していた。

映画にアニメーションが挿入されることを知り、契約を反故にしてイギリスへ帰ったトラヴァース夫人をディズニー自ら説得に追う。
ディズニー自身が夫人に自らの生い立ちと父を語るシーンは胸にしみる。

ディズニー映画だから、と言ってしまえばそれまでだ。

でも、ウォルト・ディズニーが娘たちに「メリー・ポピンズの映画を作る」と約束した話、
そして唯一トラヴァース夫人と心を通わせたリムジンの運転手の娘も「メリー・ポピンズ」の愛読者であったこと、
ディズニーが原作に惚れ込んだ気持ちは、本の書き手ではなく、読み手として十分すぎるほど理解できる。

トラヴァース夫人の父も銀行家であり、夢見がちな大人だった。
彼にとって銀行はまるで檻のように息苦しく、辛い場所だった。
酒に溺れ、病で早逝する父をコリン・ファレルが好演している。

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この写真の場面、言葉としては出てこないがオーストラリアだそうだ。
彼女の父は「私たちにはケルトの血が流れているんだよ」と娘に語る。
「いかにもイギリス人」として振る舞うトラヴァース夫人だが、生まれも育ちもオーストラリア。

複雑な彼女のコンプレックスが言葉を多用せずに映画でもわずかに描かれる。

メリー・ポピンズのプレミアに呼ばれなかったトラヴァース夫人は自らハリウッドに乗り込むが、出来上がった作品を見ながらあらゆる表情を見せる。
眉をしかめ、あきれ、時に失笑しながらも、父親バンクス氏のことをバートが子供たちに語って聞かせる場面、ミスターバンクスが銀行を首になり、寂しげに歩くシーンに涙を流す。

ディズニーに「泣いている理由」を問われ、「アニメが耐えられなくて」と答えた時のトム・ハンクスの表情が実に味わい深い。
彼女が泣いたシーンに、アニメのペンギンは映ってなどいない。

南半球出身の同僚がよく言う。
「僕たちはよく、残酷さを笑い、悲しみをユーモアでくるみ、真逆の言葉で真逆の気持ちを表すんだ。」と。
彼はアメリカ人とヨーロッパの血筋を色濃く残す自分を一緒にされることをとても嫌う。

彼の言葉を思い出すと、トラヴァース夫人の複雑な反応(とその描き方)も納得できる気がする。

映画の終盤、ミスターバンクスが子供たちと一緒に凧揚げに向かうシーンでは一緒に歌を口ずさんでもいる。

後味は決して悪くないが、これはとても悲しい映画。

最初に作られたドキュメンタリーのタイトル通り、「メリー・ポピンズの影」なのだ。
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2017
05.21

マッサージ探偵

Category: TV番組
http://www.tv-tokyo.co.jp/mt_jyo/
『マッサージ探偵 ジョー』tubo.png

テレ東土曜ドラマ。
Amazonのオンデマンド配信で視聴。

色んな探偵がいますが、とうとうマッサージしながらツボと一緒に犯人を探し当てる探偵が登場したんです。

短い、間合いが笑える、もちろん設定も変、ついでに最後の踊りの残念感がツボ、などなど、確かに『ほぐされました』という感じで笑わせて頂きました。

連休中に行った鍼&マッサージが体にあっていたのか、先日鍼を打ってもらって以来目の調子が上向きなんです。
この2週間、遠近の眼鏡は外したまま、軽めの老眼鏡だけで仕事ができました。

前回、鍼の直後からあまりにも絶好調だったので、今回も鍼終了後は遊びに行く気満々でいたのですが、普通の人は眠くなったりするそうで、「鍼の後はゆっくり半日身体を休ませるよーに」と言われて、真っ直ぐに家に帰りました。

確かにすごく眠かったんです、今回。

やっと反応が人並みになってきたようです。

で、帰ってからそのまま爆睡し、夕飯後から見ハマったドラマが
『マッサージ探偵』。

内気なマッサージ師が出張マッサージに出向いた先で様々な事件を解決するのですが。
容疑者を一列に寝かせてマッサージをし、身体の張り具合から真相を推理するという無茶な発想がツボ。

鍼を打ってくれる従弟から教えてもらったのですが、
モノホンの鍼灸師が見ても十分面白いとか。

たまには何も考えず、ゲラゲラ笑って楽しむことも血行を促すと信じて。
『マッサージ探偵』に笑いのツボを押さえてもらう週末です。




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2017
05.16

手書き文字の愛

Category: 浅田真央
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2017
05.15

メロディ

Category: 映画の話
今でも時折CSなどで放送される『小さな恋のメロディ』。

小学生になるかならないかの頃、年の離れた姉に連れられて何度映画館に足を運んだことだろう。

ビージーズの音楽が全編に流れる、美しい、特別な映画。

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あらすじ(Wikipedia)

舞台はロンドン。公立学校ながら、厳しい教師と生徒たちの間でささやかな対立がはじまっていた。厳格な教えを説く教師たちや子供に過干渉な親たちと、それらに従うことなくそれぞれの目的や楽しみを見つけようとする子供たち。

気が弱く大人しい11歳のダニエルもそんな生徒の一人だったが、同じ学校に通うメロディという少女と出会う。2人はいつしか互いに惹かれあい、悩みを打ち明け、初めて心を許す相手を見つけたと感じた。純粋ゆえに恐れを知らない2人は、学校をさぼって海水浴場へデートに出かけたことから校長先生に叱られ、クラスメートたちにも散々笑い者にされる。ダニエルは悪友オーンショーにしつこくからかわれ、殴り合いの喧嘩まで繰り広げてしまう。

事情を聴くこともなく押さえつけようとする大人たちに対し、2人は一つの望みを口にする。それは「結婚したい」という驚くべきものだった。「どうして結婚できないのか」と問うが、当然親も教師もとりあわない。ある日、教師が授業を始めようとすると、教室はほとんどもぬけらの空であった。自分たちの手で2人の結婚式を挙げようと、クラスの生徒が集団エスケープしたのである。教師たちはあわてて彼らを探しに行く。

廃線脇の隠れ場所で、オーンショーが神父を務める結婚式がとり行われていた。ダニエルとメロディが誓いの言葉を唱えようとした時、教師たちに見つかってしまい、子供たちは散り散りに逃げていく。暖かい日差しの中で大人と子供の乱闘が繰り広げられ、発明狂の男の子が作った自家製爆弾が車を見事に爆破すると、大人たちは恐れをなして一目散に逃げて行く。子供たちはやんやの喝采を挙げる。その頃、ダニエルとメロディの2人はオーンショーの助けで追手を振り切り、トロッコに乗って線路のはるか向こうへと駆け出して行った。



『若葉のころ』が流れるお墓でのデートシーン。
歌詞を聴きながら、
やはりこの映画は、かつて無垢な子供だった全ての大人へのオマージュなのではと思った。

映画は実のところ、子供の目線ではなく、はっきりと大人の目で描かれている。

ダニーとメロディの家庭の違いを印象付けるシーン。

海でのデートでも、彼らの会話から両親の姿が浮かび上がる。
くっきりと。

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ダニー 「結婚しようか」

メロディ 「いつかね」

メロディ 「なぜ水がしみ出ていくの?」

ダニー 「いくつで結婚できる?」

メロディ 「石を入れとくとどうかしら・・・。
      両親くらいの年よ」

ダニー 「そんな年まで待てないよ。年寄りはたいていみじめだ。」

メロディ 「年をとると何でもわかるのよ。だから飽きちゃうのよ。」

カメラは中年の太った男女が海に足だけ浸しながら並んで立っている後姿を映す。

メロディ 「わからないわ。ほんとよ。」




「わからない」ことの尊さ。

爆弾づくりの少年の意外な活躍。
ジャック・ワイルドが実に繊細に表現した友情(今ならBLと言われても仕方ないほどの)。

以前もGleeの最終回の記事で同じことを書いたが、
最後の曲は深い。


「Teach Your Children」(Crosby Stills Nash & Young )

You who are on the road
Must have a code that you can live by
And so become yourself
Because the past is just a good bye.

Teach your children well,
Their father's hell did slowly go by,
And feed them on your dreams
The one they picked, the one you'll know by.

Don't you ever ask them why, if they told you, you would cry,
So just look at them and sigh and know they love you.

And you (Can you hear?) of tender years (And do you care?)
Can't know the fears (And can you see?) that your elders grew by (We must be free)
And so, please help (To teach your children) them with your youth (What you believe in)
They seek the truth (Make a world) before they can die (That we can live in)

Teach your parents well
Their children's hell will slowly go by
And feed them on your dreams
The one they picks, the one you'll know by

Don't you ever ask them why
If they told you, you will cry
So just look at them and sigh
And know they love you



三者面談でゴリオの担任の先生から
きつーいお言葉を頂いてきた。

実はかなり、どよーーんと落ち込んでいるので、
この映画でこの曲を聴きたくなってしまったというわけです。
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2017
05.13

Chitty Chitty Bang Bang

Category:
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『わたしの絵本、わたしの人生』
ジョン・バーニンガム/著

高かったが、どうしても買わずにはいられなかった。

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この素晴らしい挿絵は、007シリーズで有名なイアン・フレミングが書いた、あの『チキチキバンバン』のためにバーニンガムが描いたものだ。

バーニンガムの挿絵に、フレミングは殆ど注文を付けなかったそうである。

この本の挿絵がバーニンガム、映画の脚本はあのロアルド・ダール!

『チキチキバンバン』は私が本当に小さな時、初めて映画館で観た映画で、洋画好きな母に連れて行かれた記憶がある。

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ジョン・バーニンガムについては➡Whadayamean で一度書いているのだが、「わたしの絵本、わたしの人生」を読むまで、「チキチキバンバン」の本の挿絵については全く知らなかった。


1年ほど前、バーニンガムの絵本『いつもちこくのおとこのこ』の朗読をさせて頂く機会があった。

原題にもなっている、主人公の名前、
『ジョン・パトリック・ノーマン・マクヘネシー』と書かれた、そのままを読むことに違和感が拭えず、原書で読み直した。
「マクヘネシー」ではリズムが取れなかった。

これ程名前を繰り返すには、何か意図があるはずだ、と思っていたら。
絵本の中で主人公の名前が何度も繰り返される理由は、バーニンガムの本で解き明かされる。

『法廷では、被告人はフルネームで呼ばれるという慣習がある』

これにヒントを得てこのタイトルと文章になったのだそうだ。(私の絵本、私の人生p158より)


『良心的兵役拒否』。
バーニンガムについて調べていると必ず出てくる言葉だが、
戦時下のイギリスにこんな制度があったことを全く知らなかった。
彼の父は一度兵役に就いたのだが、
第一次世界大戦、第二次世界大戦を通じ、親子2代でこの「良心的兵役拒否」を選択している。

「何でも屋」のように、トレーラーハウスで各地を回りながら様々な仕事を無償で行う。
それが良心的に兵役を拒否したものの仕事だった。

彼の作品を数多く収めたこの本には、その生い立ちについて辛かったことは何も書かれていない。

学校生活でも、売れない画家だった時も、
彼は洒落者で、ちょいワルで、そしてアーティストだった。

最初の絵本、『ボルカ』以来、強烈な主張があるように思って読んでいたが、
自伝に書かれた絵本に込められた思いは意外なほどサラッとしている。

表現しているものの豊かさと、彼自身のあっさりとした軽やかさに、ますます魅了されている。


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2017
05.09

「たつのこたろう」も少年だった

Category:
「赤神と黒神」は2人の男性に慕われるモテ女子の話だった。➡「赤神と黒神」

今回、松谷みよ子の名作『たつのこたろう』=少年ジャンプ説を私は唱えたい。

私が読んでいるのは絵本なので、元の話はかなり端折られていると見た。

にしても、パロディーにしたらワンピースっぽくなった、というより、
話そのものがアクションシーン満載のマンガなのだ(と、私には読めてしまったので松谷さんの偉大な本を尊敬こそすれ揶揄する気持ちはみじんもございませんm(__)m)。



たつのこたろう (新装版日本の名作)
松谷 みよ子 (著)



以下は絵本のざっくりとしたストーリーと、一部私のツッコミですので、
物語はネタバレしております。


―たつのこたろう―

父は無く、母は青龍にされ、自分の目玉をお乳の代わりにたろうに与えて姿を消した。

たろうは母の目玉をしゃぶって育ち、村では『たつのこ』と囃し立てられながら、ばあさまに育てられた。

ばあさまの作る団子を食べ、只ぶらぶら暮らしていた彼に、ある日「あや」と言う名の友達ができる。

彼女は横笛を吹く少女で、笛でけもの達を魅了する能力者だが、ある日鬼にさらわれる。

突如として目覚める たろう。

鬼退治に行こうとする たろうに、ばあさまは天狗の最強アイテム、『力のつく酒』をもらって行けと言う。

団子ばかり食べてぶらぶらしていた時にそれを言ってあげていれば、
彼ももう少し早目に覚醒したんじゃなかろうか?

でもそこはそれ、たろうは赤天狗と白天狗の酒を無事に頂いて、最強のパワーを手に入れる。

たろうは太鼓好きな鬼を投げ飛ばし、あやを奪還して帰ってくるが、
ただ投げ飛ばして来たわけではなかった。

赤鬼は空へ投げられ、彼が望む雷様になった。
黒鬼は望んだかどうか知らないが、岩となって動けなくなった。

考えると、鬼たちは音楽が好きなだけだった奴らではないのか。
バンドのメンバーに「横笛」を加えたかっただけではないのか。

でも鬼はいつの日も悪者にされるので、
鬼退治を果たした たろうは、ふもとの村で大そう感謝される。

見返りは米の握り飯だったが・・・。
もしかすると、その握り飯は天狗の酒の数百万倍のパワーを秘めた握り飯だったかもしれない。

さて、たろうは、ふもとの豊かな村で広い田畑を見た。

そこでばあさまの待つ貧しい村にも、こんな土地があったらなあ、と何がしかのミッションを感じる。

たろうは握り飯をもらって、そのまま母を探しに旅立つ。

途中ふしぎな婆様に出会い、これから先に待ち受ける困難を諭されるが、もちろん先へ進む。

9つの山を越え、勇敢に困難を乗り越えてゆく。

婆様の予言通り、雪女があらわれ、たろうは道を阻まれるが、そこに黒鬼退治で奪ったらしい白馬に乗った「あや」が助けに来る。

1日百里(約3.9km×100=約390㎞)走る、という触れ込みで登場した子馬
(ちなみに百里= 「JR中央本線 東京駅―名古屋駅 : 396.9km」“Yahoo知恵袋より”なので現代ならどうってことはない)
は、なんと東京―名古屋間どころか空飛ぶ白馬となって あやと再登場した。
すごいバージョンアップである。

白馬は2人を母の住む五色に輝く湖に運ぶ。

もちろんナビなど付いていなくとも、白馬には何もかもわかっているのだ。
理屈などいらない。

湖に到着した たろう。
「のどから血がでそうなくらい」叫んでも湖から母が出てくる気配はない。

しかし「お通さん」(吉川英治の小説「宮本武蔵」に登場する)かと勘違いしそうな『あやの横笛』の能力により、
湖は真っ二つに裂け、
サンダーバードならぬ、龍となった たろうの母が現れる。

母が龍にされたのは、村が貧しく食べ物が足りなかったせい
(この山国では「一人で岩魚を三匹食べると贅沢な所業とされ龍になる」という悲しいオキテがあったんで)
だとわかり、
たろうは湖を開いて田んぼにしようと、母である龍の背中に乗り、山にぶつかっていく。

と、そこに現れたのは、かつてたろうと戦ったあの赤鬼ではないか!
しかも仲間を引き連れて。

鬼たちの手助けもあり、湖の水は川となって海へ流れ落ち、平野が生まれた。

そして青龍は、母の姿に戻った。

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いやこれ、少年ジャンプでしょ、と思うのは私だけだろうか?

後は黒鬼なんかが実の父親だったら、
コンプリート?

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2017
05.08

連休総括

Category: 日常のこと
この連休中、我が家で一番働いていたのは、
誰あろう、空気清浄機の「キヨコ」だろう。

黄砂が飛んできているらしく、窓を開けていると
ゴォォォ~~~~~~~~!と左右に赤ランプを点けながら全力で何かを除去している。

ゴリオ(仮名)のニオイ以外にこんなに反応するのはかつてないことだった。

キヨコはついに自分の本領を発揮しはじめたのである。
「高感度モード」でもないのにランプはマックスの赤、
回転する音は夜中まで続いている。

せっかくなのでしっかり働いてもらおうと「静音モード」にもしないでいると、
キヨコは本当に休むことなく動き続けた。

我が家の空気は、どんだけ汚れているんだろう?


古本屋で見つけたムック本のおすすめ家電を見ながら、
「ルンバ」の拭き掃除版を買ってもいいかなと一瞬思ったが。

うちの砂と泥だらけの床を思うと家電に気の毒でそれはできない、と思う。

働き者のキヨコに晴れやかな休日が訪れるのは、一体いつだろう・・・。



というわけで、
連休も終わってしまった。

どこにも行かず、なーんにもしなかったと思っているのだが、三原ちゃん式に「嬉しいこと」を数えてみたら、結構あった。

まず、

巨大な古本屋でゆっくり本を選び。



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温泉で汗を流し。



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人生初の「鍼」をうってもらった。
「鍼」がとてもよく効くタイプらしく、一発で楽になった(部分もある)。


身体のケアをするとテンションも上がる。


学生時代の友人たちと旧交を温めもした。

数十年ぶりに再会した友人とは、
誰だか一瞬わからなかった場合もあるにはあるが、
それはお互いさまだろう。

話し始めると、長い年月は吹っ飛んで、
まったく普通に話がはずんでしまうのが不思議なほどだ。

古い町並みを歩き、空き家の冒険を果たし。

賑わう場所には一切近づかず。

いつもは連休中も持ち帰りの仕事をするのだが、
とうとう一度もUSBをパソコンにささなかった。


ロシア版のシャーロックホームズ(リヴァーノフ版とペトレンコ版ですね)を堪能し、
録りためていた古谷版金田一シリーズに拳を握りしめて(心の中で)ツッコミを入れ続け、
アニメ「団地ともお」に涙し、

建設的なことは、何もしなかった。


休みだから休んだ、それでよかったということで。

今日からまた働くのだ。

行ってまいります。



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2017
05.05

ゴリオ(仮名)の日

Category: 日常のこと
先日CSで大昔のディズニー映画、アニメーションの「シンデレラ」を観ていた。
ああ、この曲はいつか繰り返し聴いた曲・・・。
映画の一部からそのままCD化されていたんだなあ、と懐かしい。

ゴリオ(仮名)がまだ腹の中にいた頃、繰り返し聴いていたのはディズニーの映画音楽だった。
つわり症状の一環か、ホルモンのせいだったのか、妊娠中は食べるものだけではなく、
聴ける音楽、観られるテレビ番組が極端に変わっていた。

「名探偵コナン」のコミックスを甥っ子が暇つぶしにどっさり貸してくれたのに、とうとう一冊も読めなかった。
テレビは相撲と野球しか見ることができなかったし、
音楽は一日中胎教用のクラッシックかディズニーの二択。

まったくどうかしていたとしか思えない。

さて、アニメーションの「シンデレラ」である。

シンデレラの住む家から王様の住むお城の窓にカメラが鳥のように飛んでいく。
鳥たちと窓に近づくと、いきなりガシャン、と王冠が窓から飛び出てガラスが割れ、
お城の中の様子に場面が切り替わる。

王様は王冠を窓に投げ捨てて王子に怒っている。

「言い訳は聞きあきた!
息子が王子としての責任を自覚しておらぬのがじれったい。」

「余はもう若くない。
年ごとに、老いていくだけだ。
生きているうちに、孫をこの手に抱きたいのだ。」

「いや、一人息子に親離れされる親の気持ちはそちにはわからん。
息子というのは、大きくなるにつれ、
親から離れていくものだ。
余は、この古い王宮の中でひとりぼっちで・・・。
もう一度、バタバタと走り回る小さな足音を聞きたいのじゃ・・・。(泣く)」



といった複雑な親心で、例の舞踏会は開かれることになったわけだ。


今日はこどもの日。

ゴリオ(仮名)は、言うまでもなく我が家の子どもだが、
とてもじゃないが、「こども」という雰囲気は既に微塵も残っていない。

今の私には、王様が王子に怒っている気持ちがよくわかる。

すっかり大人のくせに、大人としてなすべきことをしない歯がゆさ。
一方で親離れしていく息子が何かと小憎らしい。

小さかった息子がパタパタと走り回る、その足音までが愛おしかった。
幼いあの子がもう懐かしい日々と共に戻ってくることがないならば、
「孫をこの手に抱きたい」のがせめてもの願いではないか。

私も、あの日のゴリオの小さくて元気の良い足音をもう一度聞きたい。

そんな思いは「シンデレラ」に秘め、
ゴリオの未来に向かって、私も走り出さねばならない。

ああまったく、それが舞踏会だったら、いいのだけれど。

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2017
05.04

アンでダイアナで

Category:
CMでもよく見る眼鏡型ルーペで続けざまに本ばかり読んでいたら、目・肩・腰、全身に痛みが・・・。

そうだった。

私はハドソン夫人。
老眼鏡どころか、ルーペで目の疲れを癒さなければならないほどキテいたのだ。

最近読んだのは

重松清 『きみの友だち』

これは構成が・・・。
良い話だが読み辛かった。
この書き方を敢えて押し通してもそうしたかった理由があったのだろうとしか、思いようがない。
ただ、最後まで読み通して、本当に良かったと思える本。
2人の少女に、周りを囲む人々が時を行き交いながら交差する。
哀しみが根底にあるのに、きちんと救いもある。



さて、連休中もゴリオにも休みはない。
夜、夕食と洗濯が終わってからゴリオの弁当を作っておく。
ついでに私は夜型なので、掃除機の代わりに拭き掃除を寝る前にやってしまう。

家事が終わってから読み始めると、一晩で大体ハードカバー1冊が限度。
それでもかなり早いペースなのかもしれないが、
心動かされる本だったりすると後が大変。
しばらくボーっと浸ってしまうのでそのままでは眠れない。

「きみの友だち」を読んだ日もそうだったが、
その前日もそうだった。



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柚木麻子  『本屋さんのダイアナ』

作者の柚木麻子氏が好きだったという児童文学と私のそれとがほぼ重なっているのでこれはたまらなかった。

「ダイアナという友人がいたからこそ、アンは村の人々に受け入れられた」
確かにそうだったと記憶をたどる。

一応ダブルヒロインではあるが、敢えて言えば主人公にあたる大穴(ダイアナ)の少女時代は
まるでリンドグレーンの「長靴下のピッピ」。
小学校までのダイアナと、アンの役を割り当てられた彩子の役回りは逆のようにも読める。
作中のキーとなる、とある「本」の中のダイアナも勇敢なヒロインだ。

一方2人のヒロインが成長するにしたがって、マシューとマリラと現代のアンが「これ?」とばかりに主張を始める。

本書のダイアナとアンは2人とも美少女で、聡明だ。
どちらがアンでどちらがダイアナかなんて、あまり気にしなくて良いように思う。

作者がダイアナと彩子に其々託したものは、夢ではなく、現実世界のアンとダイアナだろう。
どちらもアンであり、どちらもダイアナ。

多くのレビューで「これはいらなかったのでは」と書かれていた「事件」と、その扱いの少し軽い印象も、
私はそう気にならなかった。
彩子の本当の人生(と払わなくてはならない代償)はこの後から始まろうとするのだから。

面白かったのが、「アンの愛情」からはアンのキャラクターが変わってしまって面白くないと主人公達が思っているところだ。

私は真逆で、一作目の「赤毛のアン」には正直うんざりしていた。
アンが大学に行く頃から好きになりはじめ、一番好きなアンを巡る登場人物は「ミス・ラヴェンダー」だった。

アンが流産した巻の悲しみの日々は、哀しい記憶として今も残っている。
本の中のほんの一部分なのに。

アンのシリーズは全て、幾度となく繰り返し読んだが、多分9歳頃から20代の終わりまででそれも終わってしまっていた。
カナダ制作のドラマは、何となく「口に合わな」かった。

それなのに、数十年ぶりにもう一度新しい「アンとダイアナ」に出会ってしまったら、読み終わった後も、しばらく涙は止まらない。

後になって自分でも驚いたのだが、
私は「ダイアナ」と自分を重ね合わせたことがなかった。
大人から「良い子」と見られた覚えも一度もない。

ひねくれた娘だった自分が
全く変わっていないことに、笑ってしまう。


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2017
05.01

きらきら

Category: 浅田真央
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