2016
10.31

メープルは意味不明。

Category: 日常のこと
週末は、メープル杯だったようです。

メープルは、日本女子にとっては苦い大会になりましたね。

さっとん頑張れ!みんな頑張れ!と。
テレビを流し見しながら見ておりましたが。


女子は「表現力が・・・・。表情がっ!」で塗りつぶすような実況と解説でうんざりしました。
この試合では、「表現力」がTV様のおふれになったようです。

画面右下に予定の演技などの情報が出ていますので、
今更解説のポンデがそれを読み上げる必要などないのですが、
読み上げるんですよね、なぜか。

おぉっ!と思ったのは、ふわ4回転をついに披露したパトリックの演技のみでした。

パトリックのあの「ツルツルスーッ・・・・ふわっ」を見ていると、幸せでした。
解説の殿も、男子の時には専門用語をチラつかせてくれますので、
とっても素敵です。

それにしても私見ですが、スケーティングスキル抜群なこのお方より、
真王さんはもしかするとスケートが巧いのかもしれない、と思ったりしました。

解説ひとつをとっても、
他の選手と、真王の扱いは何故こうに、違うのでしょう。

ポンデリングをくわえ、真顔でグルグル回って見せたあの方は、
メドべのスケート靴の話や体調不良を実況と2人で持ち出し、珍しく選手情報を語り出したと思ったら、
彼女には不調をものともせずに本番に合わせてくる力があるとかなんとか、
そのようなことを強調されておられました。

もちろん、それが何に対する裏返しの言葉なのか、
今までポンデからそんな選手情報なんぞ聞いたことのないものにとっては、
どう聞いても前の試合の選手に対する裏返しのようにしか、聞こえなかったのでございます。

まあ、年寄の戯言ですし。
耳も遠くなり、理解力もなくなってきておりますし。

最初で最後のポンデ流増田明美さん解説だったのかもしれません。

さっとんのステップも行方不明になってしまいました。

ルールが変わったのか、選手にもコーチにも、パッとわからない不明事件が起こるとは。

まったくもって、意味不明な採点です。

それでも銅メダルに手が届くさっとんは凄いです。
本当に、おめでとう!!!!!


さて、週末は。

引っ越しに向けて各方面と話し合いをするなどということで分刻みで車を走らせておりました。




話し合いが終わると、そのまま試合会場のグラウンドへ。

ゴリオ(仮名)は出場できなくなりましたが、チームは花園予選を迎え、勿論全力応援のために遠い試合会場まで出かけることもあるわけです。
急に寒くなりましたので、軽いモッズコートにグルグル襟巻をして。

箱をリノベーションなぞするならば、普通はショールームに行ったりするのでしょうが、私の場合、好みの店の什器(店舗用家具)を見に行くのです。
そして、前から気になっていた障害者の方々が作っておられる家具も見に行ってまいりました。
オリジナル作品なので、シンプルなのにとても良いのです。

床材の研究を一通り終え、結局店舗用の床で見積もりに出しました。
今は新しい食器棚の参考になりそうな店の什器とか、パネル、拡大すると使えそうな小家具を研究中です。

水回り品は全て入れ替えなくてはならないとわかったので、予算の事もあって頭を悩ませました。
交渉の末、意気投合した工務店の展示品で古くなったものを格安で一式譲ってもらうことに。

洗面ボウル位置が通常より高いサイズの洗面台がありましたので、売れ残ったそれも頂くことに。
腰をあまり曲げずとも顔が洗えるのはありがたいので、今回自分で考えていたものはボツに。

ということで、ひとまず見積もりが出るまでの間、段ボールと画用紙などで、楽しい工作をしておりました。

図面を引くより、小さな現物を作って、そこにサイズを書いたテープを貼っていく方が家具屋さんに伝わりやすいかなと思ったのと、メープルが苦すぎて何か手仕事をしたくなったからです。

実際の色はともかく。

ミニサイズの段ボールで作った食器棚は、カウンター部分になる棚の色だけを赤い画用紙で貼ったり。
サイドパネルを黄色にしたりで、かなりカラフルな面白いものになりました。
間仕切りを兼ねていますので、壁になる部分をスノコ状に部分的に開け、抜け感を出してみました。
一部を窓のように開けて、すりガラスを入れたいところでしたが、地震などのことを考えるとそうもいきませんので、苦肉の策です。

近いうちに家具職人さんの工房に行き、無垢の端材を掘り出して材料代を浮かせ、それでコストダウンを狙おうという計画です。
狭くて使いにくい間取りは前回と同じですので、頭のひねりどころです。

というわけで、
食器棚の段ボール工作をしていたおかげで、メープル杯も何とかしのぐことができました。

でなければ、今頃怒り心頭だったことでしょう。



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2016
10.25

若毛の至り

Category: 日常のこと
ゴリオ(仮名)の頭は、剛毛で強力な天パだ。

小さい頃は坊主にしておけば
「髪の毛が薄いのかしら?」くらいに見られていたが、
小学生になると、格好のいじめの材料になった。

公園での野球にも、
グラウンドでのサッカーにも入れて遊んでもらえなかった彼を、
剣道でもさせるか、と思い立ち、
近くの道場に連れて行った。
剣道場は武道場の2階にあり、1階は柔道場になっていた。

ゴリオは頭を叩かれるのが嫌、という理由で2階に決して上がろうとせず、
柔道着を借りて、その日から1階の柔道場で練習することになった。

以来、現在にいたるまで
どちらかといえば格闘系のスポーツに足を突っ込み続けている。

スポーツのおかげで、一番多感な中学時代も何とか乗り越えられたのだと思う。
髪の毛のせいで、辛かったことは山ほどあったはずだ。

中学の卒業式には、担任の先生から、「進学前に、ストレートパーマ、かけた方がいいと思いますけどね」とまで言われた。
ゴリオは、「オレは俺のままでいい」と言い放った。

高校に入ると、真っ黒に日焼けした南方系の顔に、モリモリのガタイで
私服で待ち合わせした友達からは毎度「どこのガイジンかと思った」と言われるようになった。

強面なのに真面目な彼は、学校の先生からは異様に好かれる。

学校の容儀検査では、「お前の髪の毛は何をしてもいい」と言われたそうなので、
今は「どこまでこの髪の毛を伸ばせるか」に挑戦している。
なのでそろそろ、陽水のYouTubeを見せる時が来たと思っている。

昨日、そんなゴリオが久しぶりに「髪の毛」について、語り始めた。
それは「〇ーとネイチャー」のCMの最中だった。

「母ちゃん、あっちゃん(部活の仲間)のさ、髪の毛、やばいんだよね。」

「え?なんであっちゃんなのよ?何がヤバイわけ?」

「あれさ、上からかぶせて隠してるからまだいいんだけど、細毛で薄毛の上にヘッドキャップかぶるから、それ脱ぐとペシャンコになるわけ。髪の毛が。なんかすごい気にしててさ。」

「あの、あっちゃんがっ!
でもさ、ジョン(別の友人のあだ名)だって、生え際危ないって言ってたじゃんよ。」


「そーなんだよ、ジョンはまじやばい。」
「ジョンがさ、『おまえその剛毛何とかしろよ』って絡んでくるからさ、『おまえこそその生え際何とかしてみろよ』って言っちゃったよ。
ほら、オレの場合、どうやっても禿げないから。」

「ええええええっ?あんた、それジョンにひどくない?ジョン、きっと気にしてるよ。」

「だよね。でもあいつもウザいんだよ。俺のふさふさの髪の毛がそんなに羨ましいかねえ。」


//////////////////////

公園に行くたび、上級生からも同級生からも「チリチリ頭が来た!」と、
砂をかけられ罵倒され、泣いて帰ってきたあの日の小さなゴリオ。

あれから10年。

こんな(ひどい)ことを言うようになる逆バージョンなんて、あの頃は想像もできなかった。

昨今、若者の薄毛、生え際の後退が早まっているのか?

由々しき問題だとは思うが、
おかげで、
ゴリオがとっくに「髪の毛問題」を乗り越えてしまっていることに、ホッとしてもいる。


別に他意はないのだが、JBのスケ雨FS「ピアノレッスン」の美しさに見惚れながら、お団子ヘアの彼の生え際に、じっと目を凝らしてしまったのは、ナイショだ。








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2016
10.25

Black bird

ポールはこの曲を、黒人女性に向けて書いたと言われますが、

私は何度も繰り返し聞きながら、
真央ちゃんのことを思います。

黒い鳥よ、折れた翼で闇夜から、ひとすじ差し込む光の中へ飛んでいけと・・・。




Blackbird singing in the dead of night
Take these broken wings and learn to fly
All your life
You were only waiting for this moment to arise

Blackbird singing in the dead of night
Take these sunken eyes and learn to see
All your life
You were only waiting for this moment to be free

Blackbird fly, blackbird fly
Into the light of the dark black night

Blackbird fly, blackbird fly
Into the light of the dark black night

Blackbird singing in the dead of night
Take these broken wings and learn to fly
All your life
You were only waiting for this moment to arise
You were only waiting for this moment to arise
You were only waiting for this moment to arise









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2016
10.24

Inside Skatingから

Inside SkatingのTwitterからお借りしました。

とりあえず、ショーマ君とマオちゃんの分だけお借りしました。
ここには載せきれませんが、フィンランディアのポゴちゃんの写真とか、とても素敵です。
スケ雨のJBは、繋ぎ王とか書かれてますし、URだったクワドも、挑戦したことに高評価ですね。



ショーマ君の4F、カート・ブラウニング氏に褒められてます!

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以下には私も同感です!ジャンプも芸術性も!
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「生まれ変わったらショーマみたいにクールになりたい」って(⋈◍>◡<◍)。✧♡

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練習の時も見て見て見てしまうんですと💛
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こちらはフィンランディア杯の時の写真。
彼女のスキルと芸術性のクオリティー、もうやめられまへん・・・・。・・みたいな?

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赤と白と青の交響曲
穏やかな表情で、真央が優雅に観客にお辞儀を。
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バレエを経験なさった方ならおわかりかと思いますが、この最後のお辞儀には、個性が出ます。
誰一人、同じようにはできないと個人的に思っています。
よく見ていますよね。



スケ雨のEXに、真央ちゃんが!

この時の最後のお辞儀の気品といったら、一体何にたとえればよいのでしょうか。

このスケ雨の黒リチュとチェロスイートは、私の中ではこれまでの真王伝説の中でもかなりの上位につけています。
溜息モノです。


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2016
10.24

スケ雨男子を少しだけ

スケ雨、男子は楽しくショートだけ、見ました。

ショートはテレビで、フリーはショーマ君だけ今朝のニュースでフル放送していましたので、全部を見たわけではありませんが。

それにしても、ショーマ君、優勝はおめでたいけれど、点数もっと出ても良いのでは?

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クワドを3本、フリーで決めるだなんて、とんでもない偉業だと思うんですけど。


繋ぎ大王ブラウン君との総合の点差に、ちょっと驚きました。

ブラウン君が高評価を受けるのは正当だと思います。

もちろんポニーテールファンですからね。
あの怒涛の4回転を相手に、スケーティングの美しさと休むことない密な繋ぎを武器に、ここまで来るだなんて、本当に素晴らしい!

やったわ!JB!です。
女子のキスクラに座っていた時から、振付のロヒーン氏も、異様なほどの存在感で、女子選手を圧倒していましたね。
少し髭が目立ったショートのJB、男っぽさと艶が増しました。
驚いたのは、JB独特の上半身のしなり方の癖が修正されていたことです。
あのわずかなしなりが彼の踊り部分の大きな個性でしたし、見方は分かれるところだったと思います。
簡単にいえば、オネエっぽく見えたわずかな動きが払しょくされていた、ということです。
それが見られなくなったことで、ソリッドでシャープな動きがくっきりと際立つようになった気がします。

これはクワドを跳ぶためのトレーニングとも関係があるかもしれません。
軟体の選手がジャンプで怪我をしやすい傾向にあることは、これまでの選手たちを見ていると否めないところです。

すごいぞJB!すごいぞロヒーン氏!(彼の仕事かどうかは知りませんけど、なんとなく)
本当はもっと雨男子を讃えたいところなんですが、今回は違うのです。

ショーマ君ですよ、見ていてワクワクしました。

ただ、ショーマ君は元々細かい上半身の動き、イーグル、ステップ等々、表現の評価の高い選手。
高難度のジャンプがそこに乗ってきたのだから、フリーの3連が抜けたとしても、もう少し点が出ても良いのでは?

プロトコルの詳細を見ていませんし、単純に王者の点との比較でそう感じてしまうので、所詮素人の感想なのですが。

ところで、リッポンポンの笑顔、昨季あたりから充実している表情と彼の演技の個性が(ビックリ衣装とか(@_@))たまらなく嬉しいです。
オーサーの隣に座ったキスクラで、絶望にも似た表情を浮かべていた彼が強烈に印象に残っていましたので、コーチを変えてスケートを続けた彼の「現在」に「続けてきてよかったね!」と祝福せずにはいられません。

ぼーやん君、スパイダーマンは楽しい!
今回、ジャンプは残念だったけれど、4回転は逃げないから、次を楽しみにしています。





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2016
10.23

逆説 裸の王様

昔々、あるところに、美しい姉妹が住んでおりました。

姉妹の家は、湖のほとりにたっておりました。

冬になると湖には氷がはり、姉妹は来る日も来る日も、両親に買ってもらったスケート靴で、氷の上をクルクル回ったり、踊ったりして、くらしておりました。

ある日、湖の近くを国の大臣が通りかかり、2人は国の代表として世界でスケートを滑って見せるようになりました。



しばらくすると、姉むすめは、その美しさと聡明さで有名になり、家を出て、そのまま町に住むことになりました。

妹むすめは、それでも一人、スケート靴を履いて、跳んだり、回ったり、美しく舞い続けておりました。

いつしか妹むすめは、沢山のメダルをもらうスケーターに成長しました。

ところが、この国にはすでに、世界で一番のメダルを持つ、「スケートの女王」がおりました。
女王はこの妹が、自分より若く美しく、あまりに上手にスケートを滑るため、心の中で憎しみを感じるようになりました。

妹むすめの住む国は、小さな国でした。
隣の国とは、さまざまな事情で、むずかしい関係を続けておりました。
大国の助けを受けながら、立派な人物を育て、国を守ろうとしておりました。
大衆伝達(たいしゅうでんたつ)は、国にとって国民の支持を左右する、大切な手段でした。
けれど、この国の大衆伝達手段は、とても不自由で不確かなものでした。

ある時から、この「大衆伝達」をする偉い人達にとって、妹むすめのスケートは、邪魔な存在となりました。
隣国に、妹むすめと同じ年の、「スケートのくいーん」がいたからです。

妹むすめの国の「スケートの女王」はますます力を持つようになっていました。
妹むすめが妬ましく、疎ましかったので、隣国の「くいーん」を褒めることにしました。


大衆への伝達は、世界的に「くいーん」は素晴らしい、その一色に染まりました。

「くいーん」は、スケートの技術よりも、「表現」を褒められていました。
女の子のスケートは「技術」より「表現」がだいじ、と大衆には伝達されました。

妹むすめは元々音楽にのって舞うことが上手でした。
「表現」は十分に見る人々に伝わっていました。

けれど、そのことは大衆に伝達されず、「跳んで回るだけ」と言われ続け、
娘は人知れず涙をこぼしました。

とくいだった「とぶこと」さえ、「足りていない」と認めてもらうことができず、大人になるにつれ、「とぶこと」さえむずかしくなってきました。

娘に審判を下す人々や、「大衆伝達」について、娘を熱心に見ている人たちは、「どうしてだろう?こんなに上手で、美しくて、むずかしいことをしているのに」とふしぎに思いました。
でも、ほんとうに娘が滑る姿をねっしんに見る人は、大衆の中でも一部の人たちだけでしたので、多くの人々は「伝達」を信じました。

妹むすめは、それでもスケートを愛していました。
来る日も来る日も、世界で一番難しいことを練習しました。
そして、世界一のメダルはもらえませんでしたが、世界中の誰もが、忘れられないスケート
を、人々の前で滑って見せたのです。

その後娘は、1年間、おやすみをしました。
姉むすめは妹と一緒に、肉を焼いて食べたり、スケートを滑って、2人は子どもの頃のように楽しく過ごしました。

「くいーん」がスケートをやめ、妹むすめがおやすみをしている間、こんどは大国の若い娘たちが、次々に妹むすめのように難しいことをするようになりました。
大国の若い娘たちが皆、妹むすめを尊敬していることは、大衆にはあまり伝達されませんでした。

妹むすめが再び大衆の前で滑り始めた時には、「表現」より「たくさん回って跳ぶこと」の方が大事だと「伝達」は言うようになりました。
それまでは簡単なことを間違えずに綺麗に見せることが大切だったのに、今度はそんなに美しくなくても、たくさん回って跳ぶと、メダルがもらえるようになったのです。

熱心に滑り続けていた娘は、滑らかに音もなく氷の上を滑り、高く高く跳び、あまりにも難しい足技で、よその国の人々から「宝石」と呼ばれるようになっていました。
娘の「スケート」は、美術品のような「アート」になったのです。

それでも


娘のスケートに、偉い人達は「娘はへたくそだ」と言いました。

大衆も、偉い人達がそういうのだから、間違いないと、一緒になって「へたくそだ、へたくそだ」とはやし立てました。
ヤフコメでも、むずかしいことを言えば、大衆はすぐに信じたのです。

偉い人たちの言葉は、プロトコルと、すでに何のためなのかわからなくなってしまったルールブックでした。
プロトコルをていねいに説明してくれる人は、なぜかてれびじょんにもあらわれませんでした。
一般の庶民の中には、得意げに説明をする人もいましたが、妹むすめにだけ使われるルールや、
他の娘たちにだけ許されるエッジや回転不足について、どうして同じ説明ができないのか、だれにもわかりませんでした。

キス&クライと呼ばれる場所に座った娘に、偉い人々は尚も、「あれもだめだ、これもだめだ」と言い続けました。



アメリカのキス&クライでも、それは変わりませんでした。

妹むすめの隣で、ひっそりと、目立たない落胆の表情を見せたのは、「マスター」と呼ばれるおじい様でした。
妹むすめの演技がどんなものであったのか、誰よりも、よくわかっていたのが、「マスター」でした。


なぜ、「ゴールポストを移動する」ようなことを続けるのでしょう?
だれにも、わかりませんでした。

妹むすめを讃える一部の人々は、「スケートのルールもわからない、愚鈍なものだ」とさえ言われました。

「陰謀論」を唱える馬や鹿のように書かれました。

偉い人や、ルールに詳しい人がそういうのだから、きっと、そうなのでしょう。
国には、娘を素直に讃えられない雰囲気さえ、霧のように漂いはじめました。

娘は、黒い衣装で微笑みながら、次の日の赤い衣装では、傷ついた心がそのまま足につたわったように滑りました。

それでも、とびました。



////////////////////


大衆の中に、空気の読めない子どもがいました。

「娘はうつくしいよ!だれよりも いちばん!」



偉い人々は慌てました。

「何を言うのだ!」
「フリップは回転不足、ステップはレベル3、3Aも3-3も入っていない構成で、しかも膝に問題を抱えているのだぞっ!」



子どもは空気を読めませんでした。


なおも大きな声でさけびました。


「ブラボー! マオ! ブラボー!」







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2016
10.22

飾りじゃないのよ定規は

Category: 日常のこと
ライストでスケアメのショートを見たばかりです。
もう、真央ちゃんだけでいいので。

何かと忙しく、丁度電話中で、PCの前で電話しながら「キターーーーーー!」とガッツポーズしておりました。

何度もリピしたはずの黒リチュですが、このスケアメの黒リチュの妖しさと言ったら!

いやもう、もうもうもうもうもおおおおおおおおおおおおおお~~~~~~~!

まさに宝石(⋈◍>◡<◍)。✧♡

美術品?
芸術品?

いやもう、美しかったです💛



点数はね、驚きましたわ//////////。

以下自粛。


今夜、テレビでとりあえず見て、また別記事にいたします。





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2016
10.15

オシャレ怪獣ドゴラ

Category: 映画の話
『宇宙大怪獣ドゴラ』をCSで観たのです。
1964年、東京オリンピックの年に公開されているんですね。

チャンネルNECOより
http://www.necoweb.com/neco/program/detail.php?id=3797

宇宙大怪獣ドゴラ 1964 東宝

【キャスト・スタッフ情報】
監督:本多猪四郎 特技監督:円谷英二 原作:丘美丈二郎 脚本:関沢新一 出演:夏木陽介 ダン・ユマ 中村伸郎 小泉博 藤山陽子

あらすじ

『ゴジラ』の本多猪四郎監督×特技監督・円谷英二コンビが手掛けたSF怪獣映画。あいつぐ核実験の結果、宇宙に発生したアメーバ状の細胞が巨大な宇宙怪獣ドゴラに成長し、ドゴラのエネルギー源である炭素を求めて地球に大挙来襲する。ドゴラは石炭やダイヤモンドを吸い上げては成長し、地球を壊滅の危機に追い込んでいく。


ええと、音楽もですが、私、特撮SF映画にも全く詳しくございません。
ですので、手前勝手な感想のみ書き残します。
お詳しい方には、以下、馬鹿馬鹿しくてやってらんねえ感じの感想ですので、
スルーしていただけると幸いです。


この映画をつべで探すと、英語版のタイトルには『宇宙怪獣ドゴラ-「jellyfish」クラゲの襲撃』と書いてあるのです。
なるほど、wikiには「イカ型」とか書いてありますが、確かにクラゲっぽくもありますね。

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宇宙大怪獣ドゴラ予告

予告編に、映画全編で活躍する外国人マークを、単に「変な外人」と紹介しているのが笑えました。
彼はこの映画の「ギャング」対「外事警察」を国際的な秘密組織な感じに大きく見せる、スリルでボンド的な役割を担った重要人物なんですよ。


Dogora the Space Monster (1964) - Attack of the space jellyfish!


この映画、一言で言って、とにかくオシャレ。

出だしに謎の女が見張りに使っているスポーツカーからしてもうオシャレ。
警報の出ている北九州市に寝台特急「さくら」に乗って、東京からヤングソルジャー気分で乗り込む「博士」と「お嬢」の2人組。
この2人が寝台車の中で使う赤い水筒が死ぬほどオシャレかつカワイイ。
どこでだったか、皆でラジオのニュースを聞き入る場面で大写しになるラジオのデザインがまた悶絶するほどオシャレ。
イカ型になった「大怪獣」のフォルムがスマートでオシャレ。
華麗なる怪獣だと言ってもよいほど、動きだって軽い。
新鮮なイカならではの透明感がそこはかとなく漂っていて、それはもう、上空のトルネードと一緒に神秘な映像になっています。



映画「ボルサリーノ」が1970年だとしても、それ以前に真似真似ではなく日本人がスーツに帽子をかぶるそのオシャレな感じ。
悪役が揃って洒落ているだけでなく、悪い人なのか何者なのか判然としない外国人のマークが明るい暖色系、茶系の服と茶色い帽子のリボン的なもの(なんていうのかわかりません)がキャラクターをよく示していて、この映画を独特なAに引き上げている気がします。
あくまでも、私の中でですが。

怪獣とダイヤ窃盗団に、マークとかいう謎の外国人と「博士」、夏木陽介の外事警察がどう絡もうと、正直どうでもよくなるほどのオシャレ感。

窃盗団の女は黒髪のロングヘアにノースリーブの短めチュニックとスリムなパンツがもうオシャレ。
彼女の短めチュニックはレオパード柄のVネック。
ワルイ女を表現した柄の選び方にもかかわらず、これが黒髪によく似合って、下品にならないのが上級者。
ボスと合わせたような半袖グレーのタイトスーツも、悪役集合の画面全体のコーディネートとして、クールでステキでした。

「博士」の美人助手の「お嬢」も、ダークスーツのオヤジ共に囲まれながら、あくまでも、どこまでも「お嬢ファッション」を貫きました。

「お嬢」と「博士」と「外事警察」3人組
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この時のペイズリーっぽい柄のノースリーブ、こちらもオレンジ系で、お嬢の肌の色によく似合っています。
昨今いうところのカラーコーディネートの理論から言っても、善悪、その中間の人物像を、着ているものの色で描き分けをしているかのようで、このあたり、ただモノではない衣装係のセンスが伺えます。

外事警察のくせに、謎の外国人マークの空手チョップでのされた若き警察官が目覚めると、そこには真っ白いブラウス姿の「お嬢」が。
今年よく見る襟の詰まったラウンドネックに小ぶりなペンダントが清楚で超オシャレ。
その時点で彼女の身にどう危険が迫っているかには関係なく、彼女を自宅近くまで送る刑事の特権。
オシャレな「お嬢」は、外に出ると、そのブラウスらしきものの上には、短い襟付きのノースリーブジャケット。
これがスカートと上下のスーツになっていて色がまた上品なコーラルピンク。

ノースリーブの水色ドレス。
柄物のノースリーブのツーピース。
生地と、女優さんの身体にピッタリした仕立ての良さからして、制作予算のいくばくかにこのお衣装代がつぎ込まれていることは間違いないと思われます。
外事警察もときめく可愛い上品系衣装が美人さんによく似合います。

ほかのオヤジ全員がダークスーツにも関わらず、「博士」だけは麻らしき薄ベージュのジャケットを着ていたり、半袖グレージャケット姿の窃盗団の「ボス」もいますので、夏から秋にかかる季節とお見受け致しました。
地球温暖化が進む前の湿度の高い日本の残暑でも、警察ではこれでいけたんでしょう。

外の場面では半袖白シャツ姿や浴衣姿の普段着衣装の庶民が逃げまどったりしますので、怪獣が東京上空などに出没して初めて、本当の季節感を感じる映画ですね。

でもノースリーブを貫く間に、「お嬢」が長そで花柄プリントブラウスなどを突然着て、お茶を出したりしていますので、油断のできないオシャレさんです。
黄色を基調とした同系色の花柄に白いタイトスカート姿も、広めのラウンドネックブラウスのわずかな襟の立ち上がりがなんともレトロで可愛らしい。

後半、ダイヤを持ち逃げした窃盗団の女の方は、黒いノースリーブのドレスにハイヒールで林を分け入り、海岸を逃げまどいます。どう考えても場にそぐわない衣装なんですが、ヘプバーンのティファニーで朝食をの衣装を盛り込みたかったとしか思えません。

思わずwikiでこの映画と同年の映画のラインナップを探してしまいました。
海外映画も華やかな名作映画が多かった年ですね。
なーるほど、と膝を打ちたくなりました。

dogora.png


さて、肝心の怪獣です。

どんな「大怪獣」かと思いきや、「大怪獣」が「大」だったのは、炭鉱の町、北九州上空だけでのことでした。
巨大イカのような大怪獣になった後は攻撃やら何やら受けまして、散り散りに散った水晶の玉的なものになったり、最後は「地蜂の毒」でカラフルな巨岩になって落ちてくる、という姿を変える怪獣だったのです。

「大」の時でさえ、その全貌はチラリとしか出てきません。
チラリズムの極致を楽しむのに、これほど食指を動かされる怪獣映画があるでしょうか。
もうそのものをズバッと見せつけられる何倍も、「いいんじゃないの、これ、くるわー」感が増幅されます。

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なにせイカですから、何本も触手があって、それが時折アニメ化までして、特撮もあの時代ですから、どんな風に撮ったのか、興味深くてお詳しいブログ様やwikiを散々読む羽目になったほどです。

1964年、CGもない時代に、実写だったりとても精巧に作られたミニチュアだったり、なんとアニメですらあったりする「若戸大橋」をぐしゃっと掴んでポイッとやる、なんて映像が出てくるわけです。

この部分なんて、ディズニー映画のようです。

アニメからの
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合成からの
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本当に質感のあるミニチュア
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そしてドボーン!
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あとは何といっても、「炭素」系のものを食べて生きる大怪獣が吸い上げる「巻き上げられる石炭」のシーン。
撮影は大変だったそうですが、工夫の甲斐あって今見ても自然です。


大怪獣が石炭を吸い込んでます!確かに!墨吐いてません、吸い込んでるんです!
でも粉々になったあとの身体で、どうやって摂取していたのかは、最後まで謎のままでした!
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実際の映像とミニチュアの「若戸大橋」の赤が、嫌味なく普通に繋げて鑑賞に堪えます。
潰れていく工場や町の精巧な作りには驚くほど。
何しろ作り物感で猥雑な感じが一切ないのは、空一面を覆う得体のしれない怪獣を見せるために、街全体を引いたカメラで撮っているせいでしょうか。
『スカイライン-征服』とか、『クローバーフィールド/HAKAISHA』とか、お好きな方には申し訳ないのですが、このあたりのディザスターSF映画は、見た後にどっと疲れる私ですので、レトロ系はしっくりくるのかもしれません。

宝石泥棒の話と怪獣退治が平行線で噛み合わなかったりする話ですので、そこをどう感じるかで評価も別れるところでしょう。
ラストの「博士」の旅立ちといい、子どもが見てもつまらなかったかもしれませんが、大人が見る分には十分楽しめました。



Comment:5
2016
10.14

イノセンスとナンセンスの間(10/28)追記

Category:


「絵本ジョン・レノンセンス 」
ジョン・レノン (著), 片岡義男 (翻訳), 加藤直 (翻訳)

Amazon内容紹介より


奔放自在なことばあそび。つぎつぎに生み出した詩、散文、ショート・ショート。余白せましとちりばめられた自筆イラスト――。ビートルズの天才詩人ジョン・レノンが、その底知れぬ笑いの世界をこの一冊にこめて贈る、ナンセンス絵本決定版。

出版社からのコメント
新版の初版には、片岡義男さんの特別エッセイを付録。




ええと、以下は音楽には全くド素人の私見のみで書いております。
「それ違うんじゃない?」というところも多々あるかと思います。
本を読んだら思い出した、程度の話ですので、
音楽にお詳しい方は、どうか読み飛ばしてくださいませ。



この本には、さすがのAmazonにもまだレビューが載っていない。
感想の書きようも、おススメのしようもないからかもしれない。
ちくま書房の文庫の方には2つほど載っていたけれど。

私は勿論、「有名になる前のビートルズが好きだった」という内容の、本文とはほとんど関係のない片岡さんの特別エッセイから読んだ。

そしてジョンが書いた本文を、少しだけ真似したかのようなポールの「序文」に、一瞬泣きそうになった。

「日本語に翻訳は不可能」と言われた「In His Own Write」は、「かたちの変化ではなく、口に出して言うときの音の変化」で紡がれた、意味をなさない、詩や散文、戯曲めいたものの集まりだ。

それでもショートショート的な話には、えっ?というオチがあったりする。
意味を考える必要はない。楽しめれば、というのは本当だろう。

少しダールっぽい感じだと言えば近いだろうか。
でも、形のないふわっと消えてしまう言葉の数々は、何にも例えようがない。

ジョンの挿絵はエッチングのようで素晴らしい。

片岡義男の解説には、原文を例にとってどのように翻訳を進めていったかが述べられているが、気の遠くなるような作業だっただろう。
私は不可能だと思われたこの日本語訳の語り口がとても好きだ。
声に出して読みたくなるほど。何度でも。
日本語の奇妙奇天烈な言葉の選び方も、全部気に入っている。

それらがどんなにヘンテコな言葉の羅列であろうとも。

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忘れないうちに、記録のための追記

同僚によると、このタイプの「言葉遊び」は元々イギリスでは珍しくなく、
「A Book of Nonsense by Edward Lear 」=エドワード・リア 『ナンセンスの絵本』などが邦訳されている詩人が有名だとか。
その詩人、エドワード・リアは画家でもあったそうだ。

同僚が自分のお気に入りのエドワード・リアによるリメリック詩をいくつかと、ナンセンス詩を原文で見せながら読んでくれたが、(スマホってほんとに便利)全く意味はわからなかったし、わからなくても当然らしい。
ただ、何と心地の良い言葉転がしであったことか。
お返しに太宰の「女生徒」の出だし、息継ぎもできないような中々終了しないあの文体を読んで笑った。
元ネタのファンレターを書いた女性の日記(?)の話と相まって、話はつきなかった。

さて、エドワード・リアのナンセンス詩は「不思議の国のアリス」のルイス・キャロルが継承したと同僚の話は続いた。
ダールの「ダール語」と呼ばれる造語にも通じるが、あれは物語にしっかりとした意味があるので、区別した方が良いらしい。

同僚の好みとしては、ルイス・キャロルのわかりにくさよりは、言葉の一つ一つは難しくないが、話の飛び方が異様に面白いのがエドワード・リアなのだそうだ。
ジョン・レノンが19世紀の詩人の作品を読んで育った可能性はあるだろうが、そのあたりは詳しい方はよくご存知の話なのかもしれない。
絵の才能も似ている気がして、興味深い。

wikiより
リメリック(またはリマリック、リムリック、limerick)は厳格な形式を持つ五行詩で、滑稽五行詩、五行戯詩とも呼ばれる。イギリスでは、エドワード・リアによって広まった。リメリック詩はウィットに富んだものやユーモラスなものであることが多く、時には笑いを目的とした猥褻なものもある。




さて、話は「ジョン・レノンセンス」の流れに戻る。

この本は、井上 夢人の「 ラバー・ソウル 」(講談社文庫) と合わせて読んだ。
「ラバー・ソウル」は衝撃だった。
ミステリとしても十分面白い作品なのに、
ビートルズの蘊蓄が勘弁してほしいくらい出てくる。
こんなに分厚い贅沢な愉しみは、ほんとに、勘弁してほしい。

作品世界に、持っていかれる。

色々考えながら読まずにはいられなくなるのだ。


井上夢人の「ラバー・ソウル」は、アルバム『Rubber Soul』の曲の順にそれぞれの章立てがリンクしていて、それだけでも十分に魅力的なのだが、ビートルズナンバーの歌詞に潜むストーカー気質、変質者傾向が同時に明らかにされていくようで、胸がざわざわした。

私が初めてビートルズを聴いたのは、たしかベイシティ・ローラーズのデビュー当時ではなかったかと思う。
姉のカセットテープ(時代が知れますね)には、ラジオからかき集めた洋楽が色々入っていたのだと思う。
その中にビートルズの「Hello, Goodbye」も入っていた。
当然聞き比べたわけだ。

何も知らない小学生だった。
そのくせ、この2曲を聴いた私は、姉にこんなことを言ったのを覚えている。
「残るのはこっち(ビートルズ)だから」。

姉は当時荒井由実に夢中だったので、ピアノでは彼女の曲しか弾いてもらえなかった。
多分、彼女は内心ベイシティ・ローラーズの方が好きだったのだと思う。

流行りのタータンチェックを拒否した私は、姉に次から次へとビートルズのアルバムのカセットテープを入れてくれるよう頼みこんだ。
テープは何本もダメにした。

中学生になって、姉のおさがりではない、自分のレコードがようやく買えるようになった。
「アビイ・ロード」を真っ先に買った。
「ホワイト・アルバム」はレコードではなく、カセットを買ったと思う。
他のLPは全部姉が進学する時に残して行ったものを貰った。

けれど多分それらには日本語の歌詞まではついていなかったのだ。

姉からもらった文庫版の「ビートルズ詩集」を持っていたが、それを読んでも物足りなかった。
そこで「Maxwell's Silver Hammer」を自分で辞書を引き引き日本語訳してみて、びっくりした。
この作詞者は「レノン・マッカートニー」となっているが、言葉遊びがふんだんに使われていて、歌っていても楽しい曲だったが、こんな歌だったのかと・・・。

他の歌詞も時折「なんじゃこりゃ」と迷宮入りする部分があった。

無垢でいて、ナンセンス。

意味なんて考えるほうがナンセンス。


「ジョン・レノンセンス」と「ラバー・ソウル」を合わせて読んでみて、
何となく、歌詞の不条理、というか、rhymingの妙、そして時折牙をむく陽気な残酷さというものが、これか、と腑に落ちる気がした。

ジョンの才能は、ビートルズのメンバーの、他の誰とも違っていたのだと思う。

音楽の枠に囚われない、実はどんな芸術でも良かった、そんな自由な才能だったのかもしれない。

本は過去を運んでくる。
希望もかもしれないが、年齢と共に、過去の方が圧倒的に多い。

ああ、そうだったのかと、今頃納得したり、意外に思ったりすることも多い。

私の眼がまだ見えるうちに、
読めるだけの本を、読んでおきたい。








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2016
10.12

感情を掻き立てられるプログラム

今回、パトリックのフリーの曲を作ったというラドフォード氏ですが。

デュハメル&ラドフォードペアの演技と言えば、まだ記憶に新しい世選でのEX。
真央ちゃんの演技を差し置いて、ポゴのシュニトケと一緒に、しばらくこればかりリピ見していました。





パトリックとラドフォードさんは、音楽の好みの系統が似ているのではと思います。



メーガン・デュハメル&エリック・ラドフォード 世界選手権2016 エキシビション

このプログラムは、暖かくてちょっとラフで、完全に私の中の郷愁のようなものを搔き立てるものでした。

口元には笑顔、でも目からは( ;∀;)、みたいな。

すごいものを見た、というスケートとは全く違います。
気持ちの奥を揺さぶられるEXでした。


pianoman.png

今季のパトリックのフリーの振付に関して、
前のパトリックの記事で、ラドフォードさんがパトリックの今季フリーを作曲することになったことが載っている1部分のみを切り取って書きましたが、興味深かったのは、その先の話でした。

私はウィルソン姐について偏見があるもので、実のところ決して認めたくはないのですが、
彼は選手の本質を良く見ているコリオグラファーだと思います。
むしろそこに彼の才能の殆どがあるようにさえ思えます。

記事によれば、私はウィルソンの狙い通りに気持ちを撃ち抜かれたということです。
そしてそれは、デュハメル・ラドフォード組のこのEXと全く同質のものでした。

この記事を書いた方の、パトリックに注がれる視点が、何と暖かいのでしょう。

元記事はこちら
http://www.cbc.ca/sports/olympics/winter/figureskating/patrick-chan-new-program-1.3660210
Patrick Chan finds soul in new long program
Skate set to music by fellow Canadian Radford

By Pj Kwong, CBC Sports Posted: Jun 30

ところどころを実にざっくりと要約しますので、ぜひググって実際の文章をご覧くださいませ。

Wilson said. "We wanted to find something that would highlight the simple beauty of [Chan's] skating. We wanted something that would fit like a comfortable glove with his skating style, making the little subtleties speak loudly."
ウィルソンは言う。
「僕たちはチャンのスケーティングのシンプルな美しさに焦点を当てる“何か”を見つけたかった。
彼のスケーティングスタイルにピッタリくる手袋のような何かを。
そして細かな微妙な点を大きく魅せたかったんだよ。」

Coming back to skating has not been easy, with a new generation of men continuously upping the ante. In my view, this program represents another way to compete.
毎年レベルを上げていく若手と一緒に戦うことは、容易いことではなかった。
このプログラムは、もう一つの戦い方を示していると思う。

Wilson and Chan both know he can compete with the best of them.
ウィルソンもチャンも、チャンが若手の(トップ)と競っていけるとわかっている。

Why not take a step back and do what you do best — which is, for me, Chan's ability to elicit an emotional response as I watch him skate.
後戻りせず、できることをしようじゃないか。僕(筆者)にとって、チャンの才能は、彼のスケートを見る者に(ある種の)感情を呼び起こさせるというところにある。

Wilson's philosophy is simple: "We're born with everything. It's a matter of connecting with it."
ウィルソンの哲学は“シンプル”。「人は全てを持って生まれてくる。
問題はそれに繋がっているかどうかだ。」

Chan looks totally connected.
チャンは、全てにおいて、繋がっているように見える。






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2016
10.11

牛乳―――――♪

Category: 日常のこと
ゴリオ(仮名)が珍しく、
「母ちゃん、あのさ、昔の唄でさ、こんなの知ってる?」と聞いてきた。

「何にもなくって、とにかく何にもないんだよ。」

「でさ、歌ってる人は『さん』って言うんだ。」

・・・・・・・・・・?

ゴリオの知性に元から期待はしていなかったが、
この質問は・・・3歳児か?


「ほら、なんにもねーって言う奴。」

こんなゴリラでも息子なので、
通じるものがある。
私の脳裏に、昭和のあの歌が蘇ってきた。


「それって、さん、じゃなくて、ぞう、じゃないの?」

「とにかく数字で三(さん)って書いてあるんだよ。」

「吉幾三でしょ」

そして私は、夕食を作りながら
「おらこんな村、いやだ~♪」と歌ってみせたのだ。

「それそれそれっ!母ちゃん、すげーじゃん!」

・・・・・・そこでゴリオが携帯で持ち出してきたのがこの曲だった。

元歌はきゃりーぱみゅぱみゅなどのプロデューサー、中田ヤスタカのユニット。
そこに吉幾三さんの『俺ら東京さ行ぐだ』をマッシュアップしたものがあって、
それをさらにリミックスしたらしいバージョンがこれ。
吉幾三の歌がこんな風に聞こえるという英語がまた、!!!!!



ゴリオは小学生の頃からアニマックスの番宣のバックで流れていたこの元歌が好きで、ずっと探していたところ行きついたのがこれだったそうだ。
つべで見つけて聞いたけれど、番宣のバックの曲なんて、ナレーションがうるさくて耳に入っても来ない。

どんな耳で聴き分けているのやら、わけがわからない。

耳だけはいい息子だが、もっと脳みそにもこの才能が欲しかった、と惜しまれる。



それから「吉幾三」で意気投合したゴリオと私が、しばしこれに合わせて腰を振り振り踊ったことは、
誰にもナイショだ・・・・・・・・。

牛乳wwwwwwwww


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2016
10.10

今一番の男前

今、私の中で一番の男前と言いましたら、
間違いなくこのお方。


「言い訳しない」
その選手を守ろうとしたコーチ。

選手も、コーチも、侍です。

coarch.png

スケートリンクを1枚の画用紙にたとえて、その画用紙一杯に子供たちが何かを書いたとしたら、それは素晴らしいことだ、と言っていらっしゃいます。スケートリンク一杯にトレースを描けば、その間に子供たちは大人になって習う何倍ものスキルを身に着けることができる、といったことです。
こういった比喩ができるコーチで、真央ちゃんは本当に良かった、と思います。

指導歴50年、佐藤信夫コーチが語る
スケーティング「基本中の基本」

https://sportiva.shueisha.co.jp/clm/othersports/figure/2016/10/09/50/

書いているのは御用達ライターですが、これに関してはありがたく記事を転載させて頂きます。

連載・佐藤信夫コーチの「教え、教えられ」(3)

日本フィギュアスケート界の重鎮であり、選手時代から指導者になった今でも、フィギュアスケートの発展に尽力している佐藤信夫氏。コーチ歴50年。74歳になった現在も、毎日リンクに立ち、浅田真央らトップ選手から幅広い年齢の愛好者まで、フィギュアスケートを教え続けている。

 その佐藤コーチはフィギュアスケートに、「本来あるべき基本がある」と言う。

フィギュアスケートの「スケーティング」の概念をお話しすることは非常に難しいものがあります。僕は僕のやり方で「スケーティング」というものを理解して、指導者としてそれを教えている。もちろん私のスケーティング指導がすべて正しいということではないのですが、それでも私にとってのすばらしい「スケーティング」というものはあります。

 以前、スケートを教わる時期は若ければ若いほどいいという話をしました。それは人間が持つ身体的な仕組みでもあるから、大人になってから習ってもなかなか身につかないことがあるのは仕方がないのです。大人になってから一輪車に乗れるようになるのは大変なことだけど、小学校の低学年の子どもたちはいとも簡単に乗れてしまう。それは、重心があっちへ行ったりこっちへ行ったりしても、子どもはそれを自然に体で吸収して、「こうなった時にはこっちに体重を預ければいいんだ」ということをすぐに覚えてしまうためです。

スケートも同じです。大人は言葉と頭で解決しようとします。だから大人には「こういうことをしたら転びますよ」「スケートは体重で氷を押して進むことだから、大きな力を使わないで静かに移動すればだんだんうまく滑れるようになりますよ」という説明をします。でも子どもにはあれこれと難しいことは言いません。小さい子を教えるときには、あまり型にはめないで、ある程度安全かなと思うところまできたら、できるだけいろいろな遊びをさせるのが賢明かなと思っています。

 たとえば、1枚の画用紙に子どもがいたずら書きをします。その子が画用紙の白い部分が見えなくなるまでいたずら描きをしたら、それはすばらしいことなんです。その画用紙をアイスリンクに置き換えてみてください。氷上での遊びを通じて多種多様な動きを体で覚えさせたいわけです。夢中になって遊ぶことによって、一番自然な体重移動ができるようになるのです。

 氷上を滑っている途中、体重をグーッと右にかけたり、左に持っていったりすることによって、こっちへ行ったりあっちへ行ったりするわけじゃないですか。ありとあらゆる方向に行くことを自然と覚えていけば、何だってできる。そして慣れていきます。こう滑りたいという気持ちさえあれば、自然と答えが出てくるものなのです。だから子どもたちには「いろいろな動きをしなさい」と言います。どこまでも単純に「あそこへこういうふうに行きたいんだ」という欲を大切に持ってもらいたいです。

そして、僕がスケーティングを教える中で、言葉にして厳しく言う基本の姿勢は、「まず、体をなるべくまっすぐにしたほうがいいよ」ということです。スケーティングというのは「1本のエッジに乗ってスーッと弧を描くこと」ですが、姿勢が良ければ次の動作(ターンなど)に無理なく移れるからです。もちろん、転倒時に頭部を守るために前傾気味になる初心者が、最初から体をまっすぐにして立つことはできないかもしれませんが、まっすぐな姿勢を作るという意識を持つことが必要なのです。

 まっすぐ立っている姿勢と前傾で立っている姿勢とでは、全然重心点の位置が違います。だからスケートにかかってくる角度の問題だとか、いろいろなものがみんな微妙に違ってしまうわけです。体をまっすぐにして、片足で立つことがどういうことなのか。右足、左足と交互に立って、こんな感じだ、あんな感じだとやっているうちに前方に滑り出し、その次は大きなカーブが生まれ、どこかのタイミングでターンが始まり、そしてチェンジエッジが始まるといった具合です。

そういう大雑把ながら基本的なことを、順番に体に植え付けていくという作業はものすごく大切です。「だって、こうやったほうがやりやすいんだもん」と言う子どもに対して、「それは駄目だよ」と言わなければならない場面も出てきます。なぜかというと、そういうことをしたら次の動作につながらないからです。自由にいろいろな動きを覚えさせながらも、やはり基本をしっかりと教え込み、自分の思い通りの滑りが自然とできるように導いてあげる。癖がついてしまうと、ややこしい部分がだんだん出てくるからです。

フィギュアスケートの「スケーティング」には、基本中の基本とも言える動作があります。それがコンパルソリーです。

 コンパルソリーとは、フィギュアスケートの語源でもある図形(=フィギュア)を描く規定種目のことで、スケート技術の基礎として昔も今も非常に重要な要素だと言えます。

 コンパルソリーでサークルを描くときは、弧の上に置いた片足(スケーティングレッグ)に重心を置きながら、もう片方の足であるフリーレッグ(氷に付いていない足)と両腕でバランスを取りながら、回転運動をしようとする体を押さえるようにします。そうしなければ渦巻きを描いて終わってしまうからです。体の角度を一定にし、そしてエッジの倒れ方をある程度一定にしてあげると、ほぼ正円の形が描けます。

 それでも厳密に言えば、どんなにいい氷でも摩擦抵抗がありますから、途中でスピードは落ちてきます。そうすると、やはりわずかだけどズレてきます。フィギュアスケートの基本的な動きであるサークルエイト(八の字を描く)を行なうとき、スタートとゴールは一緒でなければいけないので、そのためにはエッジの傾きを少しずつ起こしながらそのズレを調整して正円を描かなければならないのです。

もしゴール地点がスタート地点と違えば、規定競技(コンパルソリー)の場合は高い得点をもらうことはできません。ひと口に「氷上に正確なサークルを描けるようになる」と言っても、昔、行なわれていたコンパルソリーフィギュアでは、1日に5~6時間の練習を10年、15年と続けてやって初めて一人前になったものです。

 現在のフィギュアスケート界では、「そんなことやってられるか」ということで競技会からコンパルソリーはなくなってしまいましたが(笑)、正確なエッジに安定して乗れる技術を習得して「スケーティング」を極めるということは、それほど難しいものなのです。現行のルール上ではフリースケーティングの中で行なうターンなどは、昔のようなコンパルソリーとまったく同じものではないけれども、その流れを組む動きの一種であると言えるではないでしょうか。

「スケーティング」の基本的な動きをきちっと身につけるということは、技術をきちんと覚えるということです。だからこそ、しっかりと教えるという作業がそこには必要になってくるのです。たとえば「じゃあここでチェンジエッジをしましょう」というときでも、足首の力だけでやったらトレースがキュッキュッと直線的になってしまいます。だから、「フリーレッグのスイングを使ったり、ひざのアップダウンを利用したり、体の回転運動を増やしたり減らしたり、いろいろなことをしながら、円から外れないようにスーッと回っていくんだ」と、全身を使ってやるように指導するわけです。

まったく関係ないと思える指を怪我しただけでも影響を受けるほど、スケーティングの技術は繊細な全身運動なんです。それほど微妙で研ぎすまされた感覚と技術がなければ、本来あるべきスケーティングはできないわけです。

この場で「こうやったらできますよ」とお話しできるほど、簡単なものではありません。




全日本とワールドを焦点にしても良いと思うのです。

万全の身体で息長く、走り続けることができますように。
祈っています。
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2016
10.10

ふわパトちゃん SP音声動画入り追記あり

フィン杯の男子動画が上がっていましたので見ていたのですが。

いや、驚きました。

ネイサン・チェン君。

跳べるし、踊れる!

あれ衣装?にも驚きましたが、これから楽しみですね。


そしてパトリックです。

はなぢが出るほど緊張したのでしょうか。

ショートは音声無しで見たのですが、相変わらずのツルスケ。
でもジャンプの回転軸がああああ。
コーチのこともありましたし、調整不足だったのでしょうか。

なんつって、今更私がPを心配するだなんて、全く冗談のようですが、本気です。

音声入り動画のUPありがとうございます。
ブラックバードからのステップはたまりませんでした。


私はスケートの技術的なことなんて全くわかりませんのですが、
ジャンプはどれもかつての「絶対王者」の面影は影を潜めておりました。
が、
なんだか、ふわっと、やわらかいジャンプが
音楽とスケートを上手く繋いでいるように見えるのです。

ジャっと跳んで豪快に着氷するけど、綺麗に流れる・・・というジャンプから、
音もなくスーッと漕ぎもせずに移動してきてフワッと跳ぶ、というような。
着氷が上手くいかないのでまだ何とも言えないのですが、
何でしょう、このジャンプ。

パトリックが競技に戻ってきたことは、私には結構大きな関心事でした。
茶番の時から全く好きになれなかった珍しいスケーターだったからです。

この日記にだってPには観客とのコミュニケーション能力が無いんじゃないのかとか、
散々書いてきたのです。

ジャンプさえ良ければいいのかよー、と思いながら見ていた頃。
ああ、Pだって、踊れるようになりたいとは思ってるのね、と意外に思っていた頃。

そして競技に戻ってきた時には、
そのPから、とうとう演技で泣かされてしまいました。

このフィン杯の動画でも、
もさっと崩れかけたジャンプを目の当たりにしてさえ、
えっ?というジャンプで転んだ彼を見てさえも、
それでも彼のスケートには、幸せな気持ちになったのです。

fincup4.png

フリーの演技を終えたPの笑顔の素晴らしかったこと。

こちらの動画につけられたコメントにも、ウルッと来てしまいました。

Beautiful musical composition for skating. Patrick, u r d consummate skater, all u need is to go into the rink and skate wth confidence and conviction, and all will fall into place. Make the most of the remaining 2 seasons to reach new heights, make us happy and mesmerize us as we watch u skate.

「スケートのために作曲された(ような)美しい音楽。パトリック、完璧なスケーター。あなたは只、自信と確信をもってリンクに降りさえすればいい。全てはリンクに注ぎ込まれるわ。あと2シーズンを、新たな到達点にして。あなたのスケートを見ている私たちを幸せにし、そして魅了して。」






「Patrick Chan finds soul in new long program」
http://www.cbc.ca/sports/olympics/winter/figureskating/patrick-chan-new-program-1.3660210
ROAD to the OLYMPIC GAMES  By Pj Kwong, CBC Sports Posted: Jun 30, 2016

Chan's new long program is set to an original composition by fellow Canadian skater Eric Radford, who is one half of the two-time world champion pairs team with Meagan Duhamel.


今更6月の記事ですが、こちらですね。

パトリックのためにメーガン・ラドフォード組のエリック・ラドフォードが曲を書いてくれて、(しかも日本でショーに出ている間に話が進んで!)それをとても気に入ったパトリックがいくつかのフレーズを(当時の)コーチとウィル姐に送って使用することにしたと。

音楽そのものの中に繋ぎや(構成の)層を入れ込んだというこの曲、素晴らしいです(´;ω;`)
だから滑る時もこの表情なのか・・・と、納得。

SP、FS、EX、3つ揃えて自分が滑りたい曲を選んだことが、大正解だったと思います。

パトちゃんミトンもカワ(・∀・)イイ!!

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作曲家さんも喜んでます!

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パトリックのステップを見ながら思ったのですが、
ウィルソン姐のプロらしいフリーの振付、超絶スケーティングスキルを持つパトリックでさえ、上半身を上向きにしならせるのは難しいことのようです。
元々身体は固いですが、それ以上に、上半身をあのスピードに乗ってそらせるって、バランスをとるだけでも大変そうなのですが。
気になったのはこの部分。

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真王は高速なのでよくわかりませんが、
fincup7.png

fincup9.png

この首の角度で思い切り背中を使っているんですね。
で、小技の効いた振付の中に大胆さも醸しているんです。


ごめんなさい、パトリック。
こんなことで比較されても困ると思うんですけど。
真王が尋常じゃないだけなんですよね。

真王というお方は、
とても難しいことを簡単そうにやる、とよく言われておりますが、
何度リピ見していても、「そーだよねー、これ、一瞬だからわからないけど、相当難しい高速な何かの技だよねー」とアンテナがピクピクします。
よくわからないまま、その難しいことが美しいもんですからね、
ボーっと見とれてしまうんです。
それに慣れてしまうと、
今回の赤リチュのように、繋ぎこの辺だけまだ薄い?と真王比で感じてしまうのでしょう。

パトリックも真王も、どちらもベテランの域に達したスケーターですが、
現役を続けながら、なお同じように競技者からアーティストへと変貌を遂げようとしています。
パトリックに向けられたコメントには、とても共感を覚えます。


「完璧なスケーター。あなたは只、自信と確信をもってリンクに降りさえすればいい。全てはリンクに注ぎ込まれるわ。あと2シーズンを、新たな到達点にして。あなたのスケートを見ている私たちを幸せにし、そして魅了して。」




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2016
10.09

フェアウェルパーティー

Category:
連休は特に約束もなかったので本を読んでいる。

ゴリオ(仮名)に3連休などあるわけもなく、弁当持参で通常通りの生活を送っているため、
私にとっても連休なんていう実感はないのだ。

先日から続く「青春小説」の流れで「いちご同盟」以前の「青春」を読んでみようかと思ったが
手に取った立原正秋の「恋人たち」(ドラマになった後、夢中で読んだ)、あれは大人の話だった。

そこで、出版されたばかりの本を読むことにした。

読んでいたのはこちら



「僕たちの赤い鳥ものがたり 1978-79 」
新井 啓介 (著)

尚、作者の新井さんのブログは、拙ブログからリンクを掛けさせて頂いている。
http://kei1959.blog43.fc2.com/

偉そうに感想など書いてしまって、申し訳ありません。


//////////

この本は日記の体裁をとったある種の青春ストーリー。
後半に「体験的 赤い鳥ヒストリー」や「体験的 70年代フォーク論」が掲載されているため、
純粋に小説とも言えず、友人と昔話をしているような不思議な気持ちになる。
赤い鳥は勿論、日本のフォークについて知らなかったことが多く書かれているので興味深い部分も多い。

1970年代の音楽や映画、TV番組に興味のある方にはきっとたまらないだろう。

「赤い鳥」は昨シーズン、さっとんがEXで滑った「翼をください」を歌っていたフォークグループ。
のちに「ハイファイセット」と「紙ふうせん」に別れ、其々の活動に入るのだが、
「紙風船」、「竹田の子守歌」などの忘れ難い曲を歌っていた。
「翼をください」は私にとって新しい音楽の走りだというイメージがいつまでもあったためか、
初めて教科書に載り、合唱曲になった時には驚いた。



私が特に興味をひかれたのは、「赤い鳥」のリーダー、後藤氏について、後年ハイファイセットのボーカルとなった山本潤子さんが語っていたという、音楽評論家・伊藤強氏の著書からの言葉の引用だ。

「後藤さんはひとつの歌を歌うとき、その背景にあるもろもろすべて理解しなければ気がすまなかった。それに対して私たちは楽しく歌えればそれでいいじゃないか、それでお客さんが満足してくれれば。」
後略

「僕たちの赤い鳥ものがたり」P209 より

これが、私にはとても気になった。

聞き手としてはハイファイセットがとても好きだった。
軽く聞けるのに、切なくもあるから。
聴いていて、楽しく心地よかった。
聴いている音楽に、意味は求めなかった。

けれど、「ひとつの歌を歌う」ように、自分の仕事をするとき、
私は後藤氏と全く同じことをする。
他人から見れば不必要な背景をすべて頭に入れなければ、前に進めない。

非常にメンドクサイと思われていることは間違いないが、それが表現する土台になるからだ。

後藤氏が「伝承歌」を大切にされるのは、何事も「系統立てて理解する」必要があるからだと思う。
「基本」と言っても良いかもしれない。
これを外すと、「今現在」までの流れがわからなくなる。

組織の中でこれをやろうとすると、大変だ。

目指すところが高すぎると、万人の理解は得難いし、商業的にも成功しにくいのではないか。

日本の音楽の今昔を両方併せ持つことで、「赤い鳥」は幅広い魅力的を持つグループだったはずだ。
「伝承歌」と「Jポップ」を結ぶ糸はここから始まったのではないかとさえ思う。

あ、これは同じことを作者も書いていらっしゃった。

話を戻そう。
予備校生、男子3人女子2人の「僕たちのものがたり」は紛れもない青春小説。
背景に流れる懐かしいもの列伝と共に語られる主人公たちの人間関係は、
今と同じで密なようで儚い。

「いちご同盟」では「変わったな」と思った今時の小説の主人公たちだが、
もう少しさかのぼると、この差って、もしかすると「一部の少年たち」と「よくいる少年たち」の違いかもと思ってしまった。



・・・・というわけで、ゴリオ(仮名)のセンパイおススメの「青春ラノベシリーズ」から遠く離れたところまで来てしまった。

遠いところまで来すぎて、帰り道もわからない。
仕方がないので、寝るとしよう。


この曲を聴きながら・・・。




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2016
10.08

アールヌーヴォーの宝石 追記あり

Category: 浅田真央


inside1.png

アールヌーヴォーの宝石
私が怪盗ルパンなら、絶対この宝石を狙いますとも。
なんて的確で美しい言葉で真王を表現するのでしょう。

写真、沢山、早くUPお願いしますよ。


inside2.png


そうですとも。おっしゃる通りです。
優勝のケイトリンちゃんにもおめでとうを言っていますが、
まずはMAO採点への疑問をしっかりつぶやいてくださっています。
あのPCSですものね。

ジャッジはMAOのスケートの価値を理解できていませんし、彼らには採点するにふさわしい教育が必要だと。
さすがのToneさんも、このあたりは「自分よりもっと賢い方が以前そんな風に言ってましたわ」、というような
ワンクッション置いた言い方をしていますね。
採点に物申すということが、フィギュアスケート界でどれ程大変なことなのか、それでもつぶやいてくださっている勇気に、胸のすく思いです。

宝石の鑑定をするには、宝石の価値のわかる鑑定人でなきゃ、ですよね。




inside3.png

そうですとも、彼女から目が離せない。
炎のようなMAOなんです。




fincup1.png

3人とも、まるでお人形さんのようですね。
今朝方ライストを見ながら、ポゴの涙にはこちらも切なかったです。
でもシーズンはこれから。


fincup3.png

この可愛い手袋(ミトン?)の写真、フィン杯の毎年恒例なのでしょうか。
これまでのタイムラインの写真にも載っていましたね。
どの選手も嬉しそうに手袋見せて写っているんです。
みんな自前の手袋なんでしょうか?
真王の手袋、レトロな感じでカワイイ!

センターパートのヘアスタイルも、赤でも重くないこの品の良い衣装も、本当に似合っていましたね。
黒リチュ衣装もとても素敵でしたが、
こちらもまた彼女の「お姫様感」を際立たせています。

身体の使い方がSP、FSでは全く違います。

赤リチュがこんなにエアリーな炎だとは。
火の鳥でもあるのでしょうが、
後半に進むにしたがって、
その炎は高く空に向かって燃え盛るのです。

力むことない自由闊達な炎。


動画主様、ありがとうございます。



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2016
10.07

跳ぶ舞踏

Category: 浅田真央
blackmao5.png



フィンランディア杯。
女子のショートが終わりました。

恥ずかしながら、早く寝て早く起きればよかったのですが、
ドキドキして
午前3時前に寝落ちしてしまいました。

起きると、丁度朝のニュースでショートプログラムをフルで流してくれておりました。

ありがたや。

黒真央、黒リチュ、黒衣装、ゾクゾクするほど怪しかったですね。

ジャンプはこれから精度を高めていくのでしょうけれど
何というか、JBの繋ぎプロともまた違う、
ジャンプも何もあーた、とにかくスケート靴を履いた跳ぶ舞踏なんですから。


勿論真王採点ですから手厳しいのはわかっています。
でも、本当に珍パンは選手に何をさせたいのか
よくわかりませんわ。

blackmao1_2016100708380224c.png
ここから一瞬パッと振り向くのですが、鮮やかでくっきりした演技の輪郭は、実は高速で動いていて「一時停止ボタン」なんぞの及ぶところではないのでした。



blackmao2.png
アイシャドウは濃いグレー。
黒衣装に似合って、怪しいです。



blackmao3.png
後半のステップ。
クライマックスに近づくほど動きが良くなっていきます。
動きがあまりにもハッキリキレキレなので、高速でも指先1本まで印象に残ります。
時間があっという間。
魅入られてしまいます。


blackmao4.png
何というか、もうこれ、舞台を見ているようなんですね。

客席の方から途中、手拍子も聞こえてきました。

ブレードが付いているとは思えない足先。

真王の演技は、単体で見るとうっとりなのですが、
試合の流れの中で他の選手と見比べると、
違う氷にでも乗っているかのように違うのです。

動画の神様、
お待ちしております!

早速動画が上がっておりました。
感謝してお借り致します。







詳細は見ていませんが、ジャンプは刺されまくりなんでしょうね。
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きっとポゴも良い演技をしたのですね。
昨シーズンから惚れてしまいましたので、
こちらも動画が楽しみです。






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2016
10.06

「キミスイ」

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「キミスイ」と、呼ぶらしい。

「君の膵臓をたべたい」のことだ。

ゴリオ(仮名)のセンパイに本好きオタクがいるので、彼が遊びに来ると、
私もおススメの本を貸してもらえる。

ゴリオにだけしか見せない怪しげな本もある。
それも貸してよ、と言うと
「お母さん、これは勘弁してくださいよお~~( ;∀;)」と心底困った顔をされるが、
「いやいや、別におかしな下心はないのよ~~~」と
気持ちの悪い会話が今や小芝居と化している。

彼の薦める本には意外とハズレがない。

110キロあった体重が部活で20キロ減ったというが、
失礼ながらその体型で彼女のハートをガッチリと掴んでいるのは、
もしかすると彼の豊富な読書量と選書眼、その上に類まれなるプレゼンとコミュニケーション能力があるからではと、私は推測している。

センパイ情報によると、
流行った本は新人や押しの俳優で映画化するという世の流れに従って、「キミスイ」も来年実写化されるという。
早速ググった実写化情報には疑問だらけ。
何故12年後の思い出話に?
ダブルキャストにしたかったから?

ラノベではあるし、アニメ化の方がましだったかもしれないと思えて仕方ない。

さて、センパイに勧められて「キミスイ」を読んだ私は、驚いたことに泣いた。

元々この手の話は好きではないので全くそんな気はなかったのだが、なんでまた泣くのか?
よくわからないまま、ゴリオ(仮名)とセンパイの感想を聞いてみた。
2人の評価は同じ。
「最初と最後はすごくいいけど、中盤は現実味がなくて怠い。」

ふーむ。

そこで思いついたのが「いちご同盟」だった。

今私の手元にある「いちご同盟」は“三田誠広”の1991年集英社文庫版。
「君の膵臓をたべたい」は今年の本屋大賞2位に輝いた、“住野よる”のデビュー作。

両方とも、ざっくり言えば、学生が自分の好きな女の子を亡くしてしまう話である。

「いちご同盟」はその名の通り、一五(いちご)歳が結ぶ同盟。
「生きる」という、シンプルな、でも力強い同盟だ。
可愛いタイトルとは相反する男同士の約束である。

一方の「君の膵臓を食べたい」。
なんだこのタイトル?と最初は思ったが、確かに、このタイトルが全てを語っている。
グロいだけのタイトルかと思いきや、こちらも良い意味で裏切られる。


「いちご同盟」と「君の膵臓をたべたい」の間には、其々の主人公の年齢、15歳と17歳という年の差以上に、プラス四半世紀もの時代の違いがある。



以下は小説の結末としてはネタバレですので、
興味の無い方、またはこれから「君の膵臓」を読まれる方はスルーしてくださいませ。



「いちご同盟」の主人公良一と、彼が生きる現実には漫然とした「ばかやろう」が潜んでいる。大人はまだ反発の対象であり、自殺した少年、不登校になったかつての仲間や、好きになってしまった少女直美の死を間近にしながら、これから歩き出そうとする大人社会への危うい橋を渡っていく。
ピアノという媒体を通して、母親をはじめとする大人社会の「楽譜通りの」生き方に折り合いをつけようとする姿が、ここでの「成長」なのだろうか。
解説では「自分とおとなの社会との価値観の差、その違いによって生まれる心の痛み」と、解説者の青春時代を重ねて語られている。

一方「キミスイ」の方にはそんな葛藤はほとんど見られない。

「キミスイ」の主人公は自分も人も傷つけたくない。できうる限り他者とのかかわりを持たず、じっと目立たずに生きていきたいだけである。
その生き方は“三秋縋”の「スターティング・オーヴァー」の主人公の2周目の人生とも似ていて、その他あらゆる今どきの主人公にありがちな青少年のデフォルトであるかもしれない。

世の中や大人への反抗心を持たない主人公の学校生活はごく短調だ。
いわゆるボッチだし、友人がいなくても読書で色んな経験を積んでいるつもりでいる。
主人公の両親は共働きとはいえ健康でごく普通の、いや、息子の全てをお見通しなのに口も手も出さず、只見守ることのできる、素晴らしい親だ。
ヒロイン桜良の家族も同様。
親の立場で読んでも、その辛さは想像を絶するのに、抑制のきいた素晴らしい家族。
これだけでも「いちご同盟」の大人のカッコ悪さとは随分違う。
大人の狡さや本音に気が付かないほど、主人公は他者に興味がなかったのかもしれない。

「キミスイ」の主人公の名前はなぜか小説の最後に明かされる。
それまでは「〇〇なクラスメイトくん」と呼ばれ、「〇〇なクラスメイトくん」はヒロインを名前ではなく「君」と呼ぶ。
名前を呼ぶとそれは記号ではなく意味を持つようになるから。
2人は初めから別れを知っていたし、恐れてもいたということか。

友人であることと「好き」の狭間で、2人は揺れる。
踏み込めないけれど、明と暗の両極にある2人は確実に惹かれ合っている。

性的な部分ではむしろ「いちご同盟」の方が中学生であるにもかかわらず、僅かに進んでいる。 
「キミスイ」」はせいぜい、「言葉」と「ハグ」で終わってしまうのである。
 
ところが何故か、「君の膵臓」は私を泣かせ、そうでなかった「いちご」をあわてて読み返したわけだ。

センパイが指摘した「キミスイ」の中盤の穴は、「いちご」の方がきっちり描きこんであると思う。
でもなぜだろう。
今読んでも、「いちご」は私のタイプではない。
多分何がしかの「説教臭さ」、「大人の目線で描かれた思春期」を感じるからだろうか。
でもそれは小説としてよくできている証拠ではないだろうか。

モモエちゃんの赤いシリーズでも見たように、「10代の死」、あるいは10代の死生感を扱ったものはドラマにも映画にも、本にも連綿と続くテーマのようなものなのだろう。
私には、それが何の感動にも恋愛にも、ましてや美しい結末にも結び付かない。
自分をヒロインに置き換えようとしても、家族や周囲の友人たち、ましてや同級生の男の子が、あんなに悲しんでくれるとは到底思えなかった。
17歳の自分なんて、稀薄で狭い人間関係の中で、何も考えられずにいたのだから。
もしかすると他の読者もそうだからこそ、密な人間関係から紡ぎ出された喜びや悲しみを小説の中に見出したいのかもしれないが。

「キミスイ」の伏線の無駄遣い、病気に関する無知、言葉遣い、設定の現実味の無さ、粗を探せば確かにきりがない。

でもその抜けた「穴」が、どうでも良くなる「書き手の若さ」が、今の私にはリアルなのかもしれない。



センパイの薦めで、この前に三秋 縋の「スターティング・オーヴァー」を読んでいた。

「スターティング・オーヴァー」も、最初の数行で一気読み決定だった。
寄る年波には勝てず、老眼鏡の度数を上げて貰いにメガネ屋さんに行ったのに。
行った先の待ち時間にまで読みふけっていた。

「スターティング・オーヴァー」は、サリンジャーを読み、ジョン・レノンを聴いてきたものにはまるで映画のようにわかり易く頭の中で映像と音楽がシンクロする。
「あのバナナフィッシュを書いたサリンジャーが、ライ麦を単なる青春小説に書くわけない」といった内容の台詞にニヤリとする。
1990年生まれの2chから産まれた作家らしいが、センパイ一押しの「三日間の幸福」も、「君が(僕が)電話をかけていた場所」も読むことにした。

センパイが押さなかったのがやはり映画にもなった七月隆文の「ぼくは明日、昨日のきみとデートする」。
一応読んだが、タイムパラドックスというのか、最後は正直考えるのも面倒くさかった。
勿論それでも最後まで読ませる力が小説にはあるのだが、設定がフクザツになればなるほど、主人公に感情移入している暇もなくなる、という感じか。
「君の名は。」も映画以前に本を読む気が失せたのは、同じ系列かと思ったからだが、どうだろう。


ところで先日CSで寺山修司の映画を観てしまった。
ついでに原作「書を捨てよ、町へ出よう」も読んでしまった。


本の方には、マザーコンプレックスとセックスがごちゃまぜの人間臭さの中に、鋭い真実が垣間見える。
凄まじい生命力。

映画はどう感想を持ちようもないものだったが、
美輪さんが丸山さんの名前で出演されていて、
そこだけは別世界のようだった。
かなり際どい台詞を軽々と言ってのける。

本も映画も、簡単に時間を超える。

「若さ」が世代の違いでこうも変わろうとは。

現実世界への抵抗がなく、
セックスにさえ振り回されることのなくなった「若さ」は
身体的にではなく、心の引きこもりに陥っているのだろうか。

「君の膵臓をたべたい」で桜良が書き残した「生きる意味」は
主人公「春樹」の名を彼が名乗ると同時に彼をシェルターから引きずり出した。

これを書いた作者の年齢がまだ20代後半ということは別にしても、
大人が少年少女に向けて書いた「青春小説」ではないことは明白だ。

それが、私を泣かせたものだったのかもしれない。






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2016
10.02

アナ米

Category: TV番組
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