2016
08.30

俺の名は。

Category: 日常のこと
先日ドクターストップがかかって以来、
ゴリオ(仮名)は1週間ほど自分の身に起こった現実を処理できず、じっと家に引きこもっていた。

練習を終えたチームの友人達が家に来てくれた日も、冴えない顔をしていた。

普通に考えても、これは挫折である。

私は確かに男の子を産んだはずだが、
気づいたらゴリラに育っていたので、彼の気持ちはわからない。

ただ、このままゴリオをチームから引き離せば、
彼の精神のバランスは崩れるだろうと感じてはいた。

青年というものは、かくも脆い。

チームには迷惑をかけてしまったので、
まずお詫びと検査結果の報告に伺った。
ゴリオの今後を考えるのはその後だ。


日曜日の試合に、ゴリオを連れて行った。
彼は、スパイクを持って行かなかった。


一端チームに合流すれば、水を運び、雨でずぶぬれになりながらチームを応援し、
帰り道、ゴリオはチームのバスで皆と帰った。

よく考えれば、ゴリオは今年に入って練習や試合を休んだことがなかった。
怪我で長く試合に出られず、チームの練習道具の準備や水の補給をしてくれていたチームメイトと、
初めて行動を共にした。

これまでチームを支えてくれていたのは、
マネージャーだけでなく、試合に出られない仲間の力があったことを、
私もあらためて知った。

こんな係活動があっても良いと思った。
ゴリオと先生の中では、
多分部活をやめることを考えていたのだと思うが、
この日、空気が変わったのは間違いない。


2度とグラウンドで戦うことはなくても、
チームを支えて行けば良いのだ。
「係」が交代しただけだ。

たまたま翌日、ゴリオの学校では「メンタルトレーニング講習会」が行われた。

今、スポーツだけでなく、例えば吹奏楽部等においてもメントレは重要らしく、
多くのブカツ生徒が参加したそうだ。

ゴリオがただ一つ、講師の先生の話の中で覚えて帰ってきたことは、
「チームワークが大事」という部分だったらしい。

「例え個人競技であっても、チームの力が必要なんだってさ」と、
小学校の6年間を、厳しい個人競技で過ごした彼は言った。


ゴリオはその後、チームの友人達と『君の名は。』を見に出かけた。
「あと3回は見ていい!めちゃくちゃ良かった!」と上機嫌で帰ってきた。

「俺の名」が、何であろうと構わない。

係活動は続く。

卒業すれば、どちらにしても皆バラバラになる。

その日まで。

辛さや悔しさより、もっと大事なものがあるなら、
それを大事にすれば良い。

というわけで、親として私がこれからできることは

ゴリオ色白化計画と、ダイエット細マッチョ計画、そして
脱ゴリオ、祝人間化計画の実行ではないかと・・・。








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2016
08.28

FLOOR

「これからもダンスが続けられますように。
上手くなりますように。
身体がやわらかくなりますように。」



LOVE ON THE FLOORのBS放送は、7月7日公演の分だった。

高橋大輔が楽屋の七夕飾りに書いた願い事は、ダンスのことばかり。

スケート靴を脱いだ彼が、どんな風に踊るのか、私は足に注目していた。

足の筋肉の使い方、足の甲のしなり、足指が床を掴むさまを、確認していた。

床の上で踊るということは、ダンサーの足を手に入れること。

裸足で踊る高橋の足の使い方は、驚くほど素晴らしかった。

踊れることはわかっていても、ダンサーとしてどこまで通用するか、なまじスケートで鍛えてきた人であるが故、
難しかったこともあるに違いない。

日本のフィギュアスケート選手だった男性で、
かつてこの道を開いた人を私は知らない。

ミヤケン先生があと10年遅く生まれていて、パートナーに恵まれていたら、
日本のアイスダンスも変わっていたかもしれないし、この場に立っていたかもしれない。


体格、ダンスの基礎、大人の踊り。
高いハードルだったと思う。
それでも外国人ダンサーに混じってひけを取らず踊る。

女性をエスコートして踊る、これが日本人男性にとって文化的に見てもどれ程難しいことか。
大きな挑戦だっただろう。

クリスティ・ヤマグチの「スマイル」は素敵だった。
どんなに上手くてもあのくらいが本来、元フィギュアスケーターの限界ではないかと思う。

メリルが別次元なのは以前テレビ番組に出ていた時の高速ダンスを見ても不思議ではないのだが。

タイトル「オフィス」のダンサー2人の演技もキレていて好きだった。

「オフィス」の後の「実験」には、高橋がその場で動かずに肉体を見せつける演出にドキドキした。

容赦ない大人のプログラムを日本で注目させるに、
高橋は最適な役者だと思う。

あの独特の歩き方を日本人男性が、成人になってマスターすることには難しさもテレもあるに違いない。

それにしても、床の上のチャーリーがまさかの男前。
正直、ここまでフロアのメリチャリが素晴らしいだなんて、想像もしていなかった。
やはり最強の2人。
チャーリーは今後振付や演出方面に行くのだろうか。
アイスダンスの選手だとはいえ、踊りの基礎がしっかり入っている人はどうやってもサマになる。
「パープルレイン」、素晴らしかった。

構成も演出も手掛けたシェリル・バークは、情熱的。
終始燃えるような。


もしもこの公演が毎年続くようならば、舞さん、入ったら凄いと思う。
彼女の踊りのセンスも只事ではないので。
和製ミュージカルなんかではなく、本気で踊る彼女をいつか私は見てみたいのだ。



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2016
08.26

coming soon

Category: 浅田真央
http://www.stona.jp/

2016sutona.png

やだ、ストナさんったら、
今年もやる気ですわね。

この真央ちゃんの写真だけでもドストライクなんです。

限定ムービー、早く見たいんですけど。
2016sutona2.png

COMING SOONだなんて・・・・!

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2016
08.22

ブラッドベリと怪獣

Category: 映画の話
この夏、CSで怪獣映画を沢山流していた。
もしやと思って番組表から
和田誠さんの本にも出てきた「原子怪獣現る」を見つけることができた。


「原子怪獣現る」

dvd-642.jpg

原題は「The Beast From 20.000 Fathoms」

つべはこちら➡https://www.youtube.com/watch?v=rGsilO8T4yI
こちらの方が見やすいかも➡https://www.youtube.com/watch?v=NbqhbrycSGE

wikiより
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8E%9F%E5%AD%90%E6%80%AA%E7%8D%A3%E7%8F%BE%E3%82%8F%E3%82%8B


概要

核実験で現代に蘇った恐竜と人間との攻防を描く作品。『Monster from Beneath the Sea』のタイトルでも知られる。
原作はレイ・ブラッドベリの短編小説『霧笛』 (The Fog Horn)。特撮部分をレイ・ハリーハウゼンが担当している。登場する恐竜と思しき巨大生物は、原作小説では「灯台のサイレンに反応して現れた」とされているが、映画では「水爆実験によって復活した」と設定が変更されている。「夜の灯台を怪獣が破壊する」というシーンに原作の名残が見られ、それが本作の名場面にもなっている。
「核実験で蘇った巨大な怪獣が都市を襲撃する」という本作の設定や特撮技術は、『ゴジラ』(1954年)など後世の作品にも大きな影響を与えた。

あらすじ
北極圏で核実験が行われる。様子を見ていた物理学者のトーマス・ネスビットは、「繰り返される核爆発がどのような結果をもたらすのか、今は誰にも分からないだろう(時間が経たないと分からないだろう)」と予言じみたことをつぶやく。その翌日、野外調査に向かったネスビットは、核実験でひび割れた氷原で、全長30メートルの肉食恐竜リドサウルスを目撃する。しかし、恐竜を見たと訴えても周囲の人には信じてもらえない。
リドサウルスは北アメリカ大陸東海岸を南下し、グランド・バンクス(ニューファンドランド島沖の大漁場)とマーケットで漁船を、メイン州で灯台を襲撃する。生き残った漁師の一人がネスビットと同じ恐竜を目撃したと証言し、以後、ネスビットは古生物学者のサーグッド・エルソン教授と助手のリー・ハンターと行動を共にするようになる。エルソンは、リドサウルスは同種の恐竜の化石が最初に発見されたハドソン川流域に戻ろうとしているのではないかと予想し、ハドソン川の河口の海底谷を潜水鐘で捜索する。予想通りリドサウルスが現れたものの、リドサウルスは潜水鐘を沈めてマンハッタンに上陸する。リドサウルスは市街地で暴れまわり、数百名を死傷させる。駆けつけた軍隊はリドサウルスを電気柵で足止めし、バズーカを命中させて海に追い返すが、リドサウルスがまき散らした血液は謎の病原体を含んでおり、さらに多くの人が感染症の犠牲になってしまう。
血液を流出させずにリドサウルスを倒すため、ネスビットは新兵器アイソトープ弾の使用を提案する。一方、リドサウルスは再上陸を試み、コニーアイランドの遊園地を襲撃する。軍隊の狙撃手のストーン伍長はアイソトープ弾を装填したグレネードランチャーを携えてリドサウルスと対決し、バズーカの傷跡にアイソトープ弾を撃ち込むことに成功する。リドサウルスは悲鳴を上げてのたうち回るが、ついに地面にくずおれ、息絶えるのだった。


スタッフ
監督:ユージーン・ルーリー
製作:ジャック・ディーツ、ハル・チェスター
原作:レイ・ブラッドベリ
脚本:ルー・モーハイム、フレッド・フリーバーガー、ユージーン・ルーリー、ロバート・スミス
撮影:ジャック・ラッセル
音楽:デビッド・バトルフ
美術:ユージーン・ルーリー
編集:バーナード・W・バートン
特殊効果:ウィリス・クック
特殊撮影:レイ・ハリーハウゼン



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クライマックスの遊園地のシーン。
巨大木製ジェットコースターに乗って怪獣にアイソトープ弾を撃ち込む射撃手と科学者の二人。

インディ・ジョーンズのトロッコをちょっと思い出してしまったが、こちらのジェットコースターの箱は、この映画では無常にも逆側に落ちて行ってしまって、逃げる時には乗れない。
主人公がそれでも普通に助かってしまうのはご愛嬌。

原作がレイ・ブラッドベリであったことも、しかもその原作があの「霧笛」であったことも、
ネットで調べるまで知らなかった。

わずかにタイトルから感じられる、深い海の底から来たんだよ、という感じ。
原作の遠い水底から霧笛の鳴る灯台を、仲間ではないかと遙々やって来た取り残された恐竜の哀しみは描かれずとも、このタイトルは紛れもなく原作のテイストを残している。

あの短編から、こんな映画を作ることができるだなんて。

インスピレーションは無限。

勿論映画と原作は全く別物なのだが、
あの短編から巨大化した恐竜(リドサウルスとか言うらしい)を造形し、
「何故」そんな姿になったのかを水爆実験と関連付けた。



恐竜の体液や血液に入っているかもしれない病原菌や放射性物質に言及することで
パンデミック映画の系譜にも名を連ねることができるかもしれない。
その上ロマンスあり、
科学者の命を懸けた研究への情熱まで垣間見せる。

昔の映画らしく、全てにおいて品が良いところも私には好もしい。

1953年公開のこの映画に、今に通じる怪獣映画のほとんど全てが、
「種」くらいの形で沢山つまっている。

ブラッドベリの「霧笛」をわずかに思い出させるのは、巨大化した恐竜が灯台を破壊する場面なのだが、
事件の1点にしかなっていない。


私の中で、「霧笛」は郷愁。
古代からただ一頭だけ生き残った巨大な生き物の時間を超えた孤独と、灯台守の心象風景が重なった「詩」だった。
海の底で過ごす、孤独な恐竜の長い長い時間が、短い言葉の中に手に取るように感じられる、
不思議な深く青い海の、詩だ。

ブラッドベリは短編の名手。
SFも彼の手になるものはあまりに美しく、時に胸に刺さる悲しみを残す。

「ウは宇宙船のウ」で、若い日の切なる希望と現実を鮮烈に体験させてもらい、
「宇宙船乗組員」では人を愛する悲しみを知り、
「長雨」では人間の欲するものを皮膚感覚で味わった。

それが、怪獣映画の元になるとは思いもしなかった想像力の欠落した自分にびっくり。


さて、お次は

「怪獣ゴルゴ」


同じユージーン・ルーリー監督の手になる1961年制作のイギリス映画。
こちらはカラー。
wiki➡https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%80%AA%E7%8D%A3%E3%82%B4%E3%83%AB%E3%82%B4

612u8ge28eL.jpg

トレーラーだけですが、つべはこちら➡https://www.youtube.com/watch?v=RxazeJ7TlWM


怪獣ゴルゴ

親:身長60メートル
子:身長20メートル

海底火山の爆発によって目覚めた太古の怪獣。ナラ島ではオグラと呼ばれており、海の精霊、航海の守り神として言い伝えられていた。ゴルゴという名前の由来はギリシャ神話の怪物ゴルゴンからで、サーカス側が勝手に名付けたものである。劇中では詳しい生態には触れられずゴルゴが恐竜の生き残りなのかは不明(ゴルゴサウルスという恐竜は実在したが、関連はない)。
海外の怪獣映画としては珍しく人類の兵器は一切通用しないという設定である。幼獣は危険を感じると体から燐に似た体液を出す。

解説
本作は着ぐるみの怪獣を特撮用ミニチュアセットの中で演技させている。日本では1954年の『ゴジラ』以降、「巨大生物モノ」に関しては時間や予算的制約から人間が中に入る“着ぐるみ”で撮影するのが一般的だが、モデルアニメーションや機械・操演によるパペット、あるいは本物を大写しにするといった手法が多い海外の特撮作品としては、珍しいタイプの特撮映画といえる。
監督のユージン・ルーリーはかつて『原子怪獣現わる』でもメガホンを取ったが、この映画を自身の娘に見せたところ、その結末に関して大いに不満を漏らした。この経験が、本作のラストに生かされている。
企画の段階では、怪獣ゴルゴの上陸地点はフランスの首都・パリということになっていた。だがパリは海から100キロ以上離れた内陸にあったため、海から上陸した怪獣が襲うのは変だということになり、より河口に近いロンドンへ舞台が移された。

当初は舞台を日本にした、日英合作の作品にする案であった。

ゴルゴの捜索シーンに『空の大怪獣ラドン』のF-86Fセイバーのフィルムが一部流用されている。
キャスト全員が子役も含めて全員男性であり、母ゴルゴを除くと、主要キャストに人間の女性が一切出演しない映画である。
本作は製作国であるイギリスに先駆けて日本で先行公開された。





wikiを読んで納得。

只怪獣映画のイギリス版と見るには、あまりに設定が日本人好みでおわり方もお馴染みな感じだったので不思議だった。

欲に流され、海から怪獣の子どもを引き上げて見世物小屋に売り飛ばそうとする大人達の中で、「これは人間が見るものではないよ」とゴルゴを逃がそうとする男の子。
人間から見ると巨大でも、男の子からすりゃ、同じ子ども同士だったのだ。

「原子怪獣現る」の唐突なエンディングに比べ、親子で海へ帰っていくラストもいつか見た怪獣の後ろ姿な気がして。
本当にそんな怪獣映画を見てきたかと聞かれても、「イメージ」先行型なもので確信はないが、
非常に共感を覚える映画だった。

同じ監督の手による怪獣映画でも、ずいぶん雰囲気が違って、こちらはこちらでまたとても良い。
カラーだし。


ところで、ブラッドベリの「巨大生物と郷愁」をある意味踏襲しているのは、実はこちらかもしれないと思ったのだった。


ウルトラマン空想特撮シリーズ第35話「怪獣墓場」2/2

怪獣のフォルムはカッコいいのに、たそがれたり、すねたり、最後はウルトラマンに首をすくめるジェスチャーをされてしまう。

カッコ可愛い怪獣。

東京オリンピックの8分間プレゼンを、テレビは流 しておりますが。

同じくカッコ可愛い感じが、ニッポンなのでしょうか。



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2016
08.22

人生のホーン岬

Category: 日常のこと
オリンピックもクライマックス。

今回、直前まで治安や選手村など、不安要素も多かった五輪なのに、
なんと素晴らしい大会になったことか。

チームワークの良さが際立っていた。

陸上男子リレーの4人には、
「ものづくりニッポン」的な努力と工夫が見えて誇らしかった。

不可解判定もロンドンに比べると格段に少なかったように思える。

報道だって、冬季に比べりゃ絶叫しようと失言があろうと、
どれだけましだったことか。

解説には愛があり、興奮があり、感動がそのまま伝わった。

本来、自国選手はこのように扱われるものではないのかと、
つくづく思う。

某TBSは別枠だが。

スポーツを長年続けること、しかも世界でトップクラスでい続けられることは、
ほとんど奇跡ではないか。

持って生まれたもの、運と努力、人に恵まれることは勿論のこと、
ありとあらゆる条件が揃って初めて、あの表彰台に立てる。

スポーツ選手は、宝物だ。

そんなこともわからないで
彼らを持ち上げたり貶める報道や番組はまったく馬鹿だ。


世界の舞台で戦う彼らは、
それがかなわないまま、競技を辞めていったものたちの
星の数ほどいる全ての選手たちの
夢を叶えてくれている。



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2016
08.15

女子会報告

Category: 日常のこと
盆と正月に、大体集まる同級生。

今回は日曜日だったが、私たちの年代は忙しい。
ようやく5人集まったのだが、毎回とはいえ、我が身の老化が嘆かわしい。

よくよく聞けば、私以外の全員が、ホットヨガやジム、ウォーキングなどで「筋活」をしている。
皆若い若い。
お肌はつやつや、このクソ暑いのにふんわりスカートにストッキングにハイヒールとか。
私には死んでも着られないノースリーブとか。
階段を後ろから上っていると、彼女たちの手足の美しさに見惚れてしまう。

なんでこんなに綺麗なんだろう。
遠近両用メガネのマツコ(私)以外は(T_T)

とても年齢相応には見えない彼女たち、
話題はまずもちろんの事、SMAPショックから始まった。
特にしんご君ファンの友人は、午前1時の速報の直後、そして早朝6時から、娘たちから励ましメールが入ったそうだ。
「お母さん、SMAP解散、大丈夫?」

彼女はいたって冷静で、「しんごが辛そうなのはもうずっとわかってた」と、身内発言。
そして「そろそろ嵐に乗り換え時かな・・・」と揺れる女心をチラリと見せた。

話はそのまま嵐にスライドして、次のツアーのチケットは、もっと広域で申し込んでおくことで
嵐ファンの2名は作戦会議を終えた。
尚、この2人の片方は、嵐の初回限定盤ブルーレイをゲットしたのに、家のブルーレイの機械が古くて再生できず、
もう1人は最新ブルーレイ機器を持っているのに初回限定盤が買えなかった。
勿論ブルーレイじゃないヤツをもう1人が買い、2人で取り換えっこしたらしいが、
50過ぎてもやってることが何となく学生の時そのままで微笑ましい。

それからしばし、
『先祖代々檀家のお寺に新しく「納骨堂」ができて、今〇〇万で買えるんだけどどう思う?』
と一人が言い出しお墓問題で盛り上がる。
断然その「納骨堂」は買い、という結論で全会一致。

その他、健康診断は何と何をどこで受け、どこなら楽に大腸検査が受けられるかなど役に立つ情報交換。
健康診断は皆結果が気になるところで、まるで通知表をこっそり見せ合うがごとき告白大会。

やっとリオ五輪の話になる。
スポーツで盛り上がるのは私一人だが、ついでに中学の時に体育で「1」を取ったことがあると、うっかり自慢してしまった。
自慢のつもりだったのに。
「なかなか取れないよ~~~~。」
「1だなんて、しかも体育よお。」
本気で驚かれて自爆。

1980円スマホCMの話題では、皆少し怒り気味。
『バカにしてるわよねえ。バブルの時代を馬鹿にされたら、自分たちのこと言われてるみたいじゃない』
皆「バブリー」でも「美奈子」でもなかったのに、なぜここで怒るのかが興味深い。

いや、ほんとにお笑い芸人に笑われてるって。

hirano.png
こちらの方ですね。
http://halleluja.jp/25313

バブル芸人こと「平野ノラ(バブリー美奈子)」に学ぶバブル用語

平野ノラさんが演じるキャラクターバブリー美奈子が、バブル時代を思わせる衣装をまとい、太眉にロングソバージュ、大きな携帯電話を携えてバブル用語を連発するという芸風。「バブルはそこまで来ているゾ!」「おったまげ〜!」「ぶっとび〜!」「OKバブリ〜!」などのセリフが有名です。


この「でっかい携帯」の話で皆大いに笑った。


というわけで、昨日は息子が汗と泥にまみれている間、しばし息抜きの休日を過ごしたのだった。

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2016
08.15

リチュアルダンス

Category: 浅田真央
お盆休みは無いので、細切れの時間で何度も繰り返し見ているリチュアルダンスです。

この曲いいなあ。

原始的な何かをムズムズと蘇らせる曲。

所々GGの火の鳥の振付を思い出すなと思っていたら、
動画のコメント欄に同じことを書いてる人がいました。
「ポル・ウナ・カベサをSPにしてもう一度!」とか書いていらっしゃいますので、
この曲に難癖つけてはいても、きっとすごいMaoファンの方なんでしょう。

チェロ・スイートもそうでしたが、曲に助けられるのではなく、
逆に音楽の魅力を引き出してしまうのが浅田真央の特徴かもしれません。

リチュアルダンスという曲は、あざとくそれらしく滑ろうとすればいくらでもできそうな曲ですが、
それをしないのがまたストイックです。

これが黒真央編だからでしょうか。

この曲を滑ってなお気高さを感じさせるとは。




ritualdance2.png
ritualdance3.png

ゾクゾクするほど素敵。

ritualdance1.png

演技中とは全く違うこの笑顔。
お肌もツルツル💛


ritualdance4.png

もう、ずーーーーーーーーーーーーーっと見ていたいです・・・・・・・・・。


それにしても、つべは早くタイトルだけの偽物動画を削除すべきでは?
リチュアルダンスの再生回数を狙ったものでしょうが、
片っ端から見たいものにとってはムカつくのです。まじで。
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2016
08.14

ゴリオの係活動

Category: 日常のこと
オリンピック期間中は、テレビをつけるとどの時間帯でも大抵何がしかのスポーツの中継や録画が流れていて、
見ているだけで幸せだ。

離れがたいがテレビを消し、とりあえず身支度を済ませ、車で2時間ほど走る。
炎天下、10分と立っていられないほどの暑さと日差しの下に立つ。
オリンピックとは無縁の、部活動見学である。

ゴリオ(仮名)は今月だけでも合宿が3回。
ほとんど休みなく、お盆も遠征だ。

弱小の上、新チームにはメンバーが足りず、試合に出ることはできても
次の新人戦では正規のリーグ戦に出場はできないだろう。

先生方には頭が下がる。
ブラックもブラック、ずっと選手と一緒に合宿中は寝食を共にし、
強烈な日差しの下、立ちっぱなしの指導。
行き帰りのバスの運転までしてくださる。

昨日は一試合で相手チームの3人が足を怪我して担ぎ出され、ゴリオのチームメイトは熱中症と内臓強打でグラウンドの外に運ばれた。
ゴリオ(仮名)は去年は血尿に悩まされたが、今年はまだ何とか耐えている。
足の裏は一面水膨れで腫れあがり、痛む上にシューズがきつくなり更に痛む。
夏は人工芝のやけどしそうな暑さで、擦り傷が膿んで治らない。


休むことも許されず
笑うことは止められて
這いつくばって
這いつくばって
一体何を探しているのか    

~井上陽水「夢の中へ」(うろ覚え)



リオ寝不足でフラフラの早朝、やっと作った弁当もそのまま持って帰って来る。
疲れすぎて食べられない。
豚丼にしたご飯とおかずもだめ、麺類を弁当にしてもだめとなると、こちらも考えなくてはならない。
今日はロールサンドとエナジー系ゼリー、凍らせたスポーツドリンクにしておいた。
夜は野菜でスープを作るが、
朝はスムージーか何かにするしかないだろう。
米の飯が一番良いのはわかっているが、もう限界の暑さ。

弱小チームは、予算も限られる。
マネージャーはまだ不慣れ。
氷の準備も足りず、怪我人の手当てもその場で対応できていない。

練習試合で自分たちの勝ち負けもよくわからないまま、
何度もメンバーの動きとサインを確認している(らしい)。

ゴリオの担当はいよいよ、一番避けたかったポジションになった。
どんなに向いていなくても係活動なので仕方ないが、
指示出しの仕方が「優しすぎる」と
猛烈に叱られていた。

底辺の底でスポーツをしている子ども達を見ていると

リオで輝く選手たちの、その裏側を見るようで。
オリンピックの頂点に立つまでの苦しさの一端を見てしまうようで切ない。

強くなればなるほど、いわゆる上部組織の問題も絡む。

その万難を越えて来た、
オリンピック選手の笑顔よ、もっと輝け。












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2016
08.12

コーナー本

Category:
『Olympic Winter Games, Sapporo 1972 氷雪賛歌』 朝日新聞社/編

図書館に行くと、夏も冬も取り混ぜたオリンピックの本のコーナーが作ってあった。

私の目を引いたのは、真っ白な表紙に、黒文字の表題と、
一目でフィギュアスケートの女子選手であるとわかる黒いシルエットのみの非常にシンプルなハード本だった。

札幌冬期オリンピックの記録写真集である。巻末の入賞者一覧も非常に簡潔。
この時の各国メダル獲得数は、この本によれば
ソ連16、東ドイツ14、ノルウェー12、スイス10、オランダ9、アメリカ8、西ドイツ5、イタリア5、オーストリア5、スウェーデン5、そして開催国日本が金、銀、銅の1メダルずつ計3個であった。

目次のトップにはフィギュアスケート。
このOPでフィギュアスケート女子シングル銅メダルだったジャネット・リンの写真が、「リン(アメリカ)」とだけ書いてあるのだが、彼女一人に5ページを割いてある。
あの時の彼女の「旋風」を思うと、さもありなんである。
が、金メダリストのシューバ(オーストリア)の写真は1枚もなく、ジャネット・リンの次は6位のモルゲンシュテルン(東ドイツ)で、ようやく銀メダルのマグヌセン(カナダ)の写真が。

ベストショットを載せたのだろうが、この偏りも今なら許されなくても、当時を思えば微笑ましいもんである。

1972年当時の写真技術を考えれば、競技の写真も開会式の各国選手団のファッションも、カメラマンの渾身の一枚だったことがうかがえる。
写真には見事なまでに何の説明もなく、個人選手には名と国名、選手団の写真には国名のみ。

日本人の女子フィギュアスケーターでただ一人、バレエジャンプの写真が掲載されていたのは
山下一美さん。巻末の記録に、男子フィギュアシングルの「豊の部屋」の主、ユタカ先生の16位が載っている。

この本の「美のなかのドラマ」で、川本信正氏は

「お行儀がよくて、ファッション・スクールの卒業式みたいな、札幌オリンピックの閉会式だったが、・・・」
と冒頭述べている。
北欧ヨーロッパが強かった冬期(この本での冬のオリンピック表示は「冬季」ではなく「冬期」表示)
この大会で、スペインの選手がはじめて冬のオリンピックで優勝したと続けている。
どんどん世界が狭くなり、グローバル化していく、世界が変わっていく一端が垣間見える。
「テレビ・オリンピック」と呼ばれ、公式記録は「手持ち時計による記録」と「公式記録」で分けずとも、その場で公式記録を見ることができる技術の進歩を見た初めての大会だったらしい。
会場の電光掲示板で競技が終わるやいなや、記録が発表される。これはレースが終わってから記録の発表まで、場内アナウンスを待つ楽しみを奪うものだったとも記してある。ネット時代に生まれた人々にはもう想像もつかないであろう。

川本氏の巻末のコラムは、「オリンピックでは、むきだしの人間を描いた”人間ドラマ”が見られるのだ。」と続く。
1972年当時の「律義でお行儀のよい」日本のオリンピック。
2016年のリオ大会の日本人選手に、国を背負い悲壮な顔で臨んだ選手は、すでにあまりいない気がするのは私だけだろうか。

想像を絶するプレッシャーの中、団体で金メダルを獲り、その後、疲れた体であっただろうに、個人総合でも連覇を果たした内村選手。
団体金を獲った時の笑顔の表彰式、笑顔の国家斉唱には、やりきった選手の喜びがあふれ、見ているこちらが「幸せです」と言った彼に幸せを感じさせてもらった。

札幌OPスキージャンプの笠谷選手は、70m級ジャンプで優勝したものの、90m級で失速した時、「人間に戻れる」と言ったそうである。試合に臨む選手である間は、「人間ではなかった」ほど過酷な生活だったのだろう。
当時の日本の開催国としての在り方も、選手のメンタリティーにも、未だ戦時の影響から脱しきれていない「悲壮さ」が随所に書き込んである。
「人間に戻れる」という言葉も、戦争が終わった時の兵士の感慨と同じだと書いてあった。

スポーツ選手の過酷さは、今も昔も変わることはないだろうが、日本の代表として戦うと同時に、競技者としての幸せをかみしめることのできるメンタルに、計測器の進歩以上の進歩を、選手は遂げている。

ロンドンの時の競泳陣がそうであったように、強く、明るく、チームワークが良いように見える。
柔道競技でさえ、前回のロンドンOPの時と今回はずいぶん違う。
結果を出している、それも大きいとは思うが、井上監督も若く、素敵なヘアスタイルになったが、選手世代も若返り、オシャレ化したのである。
身長でも世界の選手に引けを取らず、6パック割れした美しい体型だ。
金メダルが全員獲れたわけではなかったし、各々悔しさはあっても、前回のような見るからに、な悲壮感が無いというのは、私は良いことだと思っている。

さて、悲しいことに、比べ読みが習慣としてある私は、この写真集を見つけると同時に、こちらの本も同時に読んだ。

「オリンピックと商業主義」
小川勝/著 集英社

2012年に記されているからには、もっと掘り下げてもよい事実はいくらでもあっただろうに(特に五輪マネーの分配についてとか)、少々食い足りない感も残るが、オリンピックが商業化されていく経緯が興味深い。

売り物になったオリンピックは今に始まったことでも、ロサンゼルス大会で始まったものでもなく、もっと以前からあったのだという。フィギュアファンにもおなじみの名前が出てきて、とんでもない必要経費を使うIOCの元会長の驚く話も載ってはいるが。
茶番には踏み込んでいない。
一つや二つではなく、様々な利権が絡んでいるからだろう。
この本はニュートラルと言ってもよいスタンスで書かれているため、そこが良いところでもあるのだが、本に書けないことは山のようにあると思われる。
OPの商業主義を否定できないのは、歴史的経緯を読んでいけばなんとなく理解できる部分もある。
ただ、それが行きすぎた利権とビッグマネーを産み、権力にしがみつく亡者が競技を破壊した挙句、そのしわ寄せが選手に行くとしたら、もっと糾弾されるべきだろう。

前会長が会長の任に着いていた間のホテル暮らしの経費など、驚きを通り越す話も多い。
貴族が私費を投じて運営していた頃のからどれほどの変遷があったことか。
てか、もう別物。

さて、オリンピックの申し子とかつては言われたお方、リオでも「あたしが主役だから!」とばかりに手を振りまくりつつ先頭切って行進されておられたこの方も、本を出しておられます。
ロンドンOPの翌年ですね。

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「オリンピック魂」 橋本聖子/著

「人間力を高める」という副題に、思わず手に取って読んでしまいましたよ。
キワモノは誰しも覗いてみたいもんです。

彼女は自分が「苦難に打ち勝ってきた努力の人」であり、「あの時もこの時もバッシングも受けたけど頑張りぬいた人」であり、「良き母(でもあるのにバッシングされた)」でもあり、政治家までやっているという、強烈な自負を本にしたわけだ。
東京OP招致のCM本にしても、人選を誤ったものである。
「魂を磨くことに限界はない」そうだが、ご自分の行為行動を振り返る謙虚さを身に着ける機会には恵まれなかったようだ。
これほど傍から見た彼女と、彼女自身が自分に抱いているセルフイメージがかけ離れているのは、まるでポンデリングの人と同じ。
素敵な乙女の気持ちを、ああ怪物化した今も持ち続けている。
怪物と呼ぶにも怪物に失礼か。

スケ連もJOCも、進化し続ける選手に、本当の意味でのサポートを。
金の亡者となり果てた一部役員が選手の邪魔をすることが、ないように。


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2016
08.11

コンパルソリー

Category: 浅田真央
web Sportiva

フィギュアスケート界の名伯楽が語る 「初心者にまず教えること」

連載・佐藤信夫コーチの「教え、教えられ」(2)

~前略~

ママの顔しか見ていないような子どもであっても、見本を見せるほうは命がけで「サークルを描く」。最高のコンパルソリーを本気で見せます。

それを見た子どもたちに植え付けられたイメージは生涯消えないんですよ。だから目いっぱい、真剣にやります。「これが最高の姿勢だ」と自分が思う姿勢で、汗びっしょりになりながら滑ります。だって、それでその子たちの将来が決まっちゃうんですから。

 僕がそうだったんです。スケートを始めて60年が経ちますけれども、一番最初に教わった永井康三先生が滑っている姿や、ゴリゴリゴリッという氷の音は、いまでも鮮明に覚えています。昔はすごく体を傾斜させて滑っていたんです。先生たちの選手時代は、ほとんどのリンクがアウトドア。風が吹いても耐えられるような滑りでした。我々インドア育ちのスケートじゃなかった。僕はそういうスケートをいまでもイメージできます。

 映画か何かで、渡り鳥の子どもたちを、親鳥役の飛行機を使って隊列を組ませていくシーンを見たことがあります。本来であれば、子どもたちは親鳥の飛ぶ姿を見よう見まねで覚えて、ついていくのでしょう。それだけ刷り込みというのが重要になるわけです。一番最初に見たものが、その人の将来を運命づけることになります。特に日常生活の中にはないスケートでは、最初にきちんとしたものを学ぶことが大切だと思います。



チェロスイートで浅田が魅せた「コンパルソリー」。

コリオグラファーはローリーかもしれませんが、
動きの一つ一つは浅田真央がこれまで重ねてきた技の連続。
このプログラムは、「積み上げてきた選手」にしかできないと思いました。
これをあの「オルゴール人形」のような衣装で
「大人」ではなく、「少女」のように演じるところが実はミソなのではないか、そう思いました。
このプログラムを、例えば今回の「ボレロ」や「ジュピター」などの衣装で滑っても、
驚きは半減するかもしれません。
他の誰にもできない難しい足技の繰り返しを、
少女のような姿でやってみせる。
ふわふわの甘い、スイーツのように。

昨日、私は浅田のチェロスイートのスタートを、彼女の背中側から見ました。
美しい、美しい背中でした。


THE ICEで、「チェロスイート」と同様、カロコスの「月の光」。

圧巻でした。
一蹴りの伸びやかさ、手足の使い方だけで魅せることができる。

時々、その場に何人いようと、人前に立っただけで場の雰囲気を支配してしまう人がいる。

ただ横にスーッと滑っていくだけ。
ただ腕を少し動かすだけ、それだけで「ホゥ」とため息が出る。

これ以上の演技を、次のスケーターはできないだろうなあ、と思ったら、
次はパトリック。

いつもの普段着衣装、彼のスタイルとなった曲の雰囲気。

昨日滑ったのはこの曲ではないでしょうか。(間違っていたらごめんなさい!)

Maroon 5 - Sunday Morning 
今季のEXの曲です。

彼のEXの曲の選び方に、私は胸の奥をぎゅっと掴まれます。
楽しそうに、いつもと変りなく、でも笑顔でこの曲を滑るパトリックに、
何か昔のあの日を思い出すような、不思議な感覚を引き出されてしまいました。

そうでなくても泣き通しだったのに、
普段着のパトリックにここまで泣かされるとは・・・。
ほんとに、彼は大人になったと思います。
・・・昔から老けてましたけど。

JBは、ジャンプを跳んだのかどうかもろくに思い出せないほど、
「繋ぎの玉手箱」をたっぷり楽しませてくれました。
彼の演技も人柄も、皆を笑顔にしますね。

身体が超軟体。
この柔らかさだからこそこの演技ができるのでしょうが、
ジャンプで怪我をしやすいタイプなのではと心配になるほどでした。
クワドの練習はしているはずです。
昨季のことを思えば、怪我だけはしないでほしいと祈ってしまいます。

サプライズの浅田真央のジュピター。

先だっては熊本に自ら行き、現地を見て。
東北でスケートリンクを失った子供たちを九州に招待し。
一緒に滑ってくれました。

規模は違っても、地震の被害にあった人々にとって、
同じ思いを持ってくれる人がいる。
ショーではプレゼントの一切を断り、募金の呼びかけをしていました。

私も、お土産を買うのをやめました。
ささやかに呼びかけに応じることにしました。
余りの暑さと日差しに、日傘は買ってしまいましたが。

どこまでもファンに、皆に気持ちを届けようとするから、「慈愛」。

フィナーレの最後の瞬間まで、
彼女は自分が先頭でもセンターでもなく、
看板でありながら全体を見守っていたと思います。

今朝、銅メダルを逃した福原愛選手のインタビューには浅田真央と同じ雰囲気が漂っていました。
強くて、優しく。
一瞬声を詰まらせた彼女に、応援してくれた全ての人に向ける感謝の気持ちが伝わってきました。
試合中のキリッとした表情には、昔の面影はすでにありませんでした。
例え負けても、「やりきった」と言える彼女は、美しかった。

勝っても負けても、浅田選手の今季が、自信に満ちたものになりますように。
揺るぎない自信を持って、滑りぬくことができますように。



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2016
08.11

人として凄い

Category: 浅田真央
情弱の私に、綺麗なフィギュアファンの方が教えてくださいました。

前記事のJBの話にも書きましたように、慈愛のゲストスケーターが太宰府などを観光中、
真央ちゃんは、熊本にいたのでした。

画像お借りいたします

maokumamoto2.png
maokumamoto.png







真央ちゃん、舞ちゃん、本当にお疲れさまでした。
そして、本当にありがとうございました。
終わりたくないねって、言ってくれてるあなたたちが凄い。
あと2公演、頑張ってくださいね。

theice18.png


夜遅く地元に帰り着いたのですが、
途中から電話しておいた焼き鳥屋の大将、なぜか焼き鳥ではなくオムライスを作って待っていてくれました。
下戸なもので、「ごはんください!」と言うのを、読まれていました。
今日は朝から晩まで本当に良い日でした。

あ、もう昨日ですね。

興奮しすぎて、帰りの道中からずっと眠れません。

そういえば、THE ICEの後、コーヒーを飲んでいたら、さりげに目の前の階段を下っていく二人が!

カナダのお二人です。

ジェフ&ロシェ!

一瞬でしたが、リラックスして素敵でした!


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2016
08.05

雑誌の整理をしていた

Category: 日常のこと
本棚がパンパンになり、家具の買い足しか買い替えを考えなければならなくなった。
本や雑誌、資料の類が増えすぎた。

こんな時、まず私は物をドンドン処分する。
物だけではなく、増やすつもりだった家具も、逆に減らしてしまうほど処分する。

部屋の片づけの際、一番の関所は本と雑誌の山である。
この関所は、「読まねば通せぬ」とばかりに私の前に立ち塞がって時間を奪う。

というわけで、今、私の手元にあるのは茶番の時のNumberだ。
捨てないけれど、読み始めたら止まらない。
6年前の№747と749を読み返している。
どちらも蕎麦の茶番選手の特集が大きく紙面を割いている。
自国の安藤、鈴木両選手よりも多くの紙面、多くの情報、多くの褒め言葉と写真を多用して。
今見ても、異常な扱いだと感じる。
ソチ前のテレビでも何度も刷り込みが行われたが、茶番後のNumberでもあの選手の「驚異的な加点の理由」が技術的なものでなく、「チームの作戦勝ち」という、理屈にもならない屁理屈をこねた記事が堂々と載せられている。

同時に掲載されている宇都宮さんの記事と好対照になっていて興味深い。「最高難度の技術には、もっと敬意が払われるべきだ。」という宇都宮さんの言葉は今もずっと言い続けてもらいたい部分である。

茶番とソチシーズンのNumberの違いは、フィギュアスケートにおいての男子選手の取り上げ方だろう。
茶番OPで、高橋大輔は日本人男子として初めてのメダルを獲得した。
にもかかわらず、女子フィギュア選手の後のカーリング選手の後、ライサとプル様の後にしかそのインタビュー記事は載せられていない。織田、小塚両氏は更に申し訳程度である。
雑誌の構成としては中盤の大特集のつもりだったのかもしれないが、現在の男子選手との扱いの差は歴然である。

浅田の記事は、6年前のこのNumber2冊に関しては宇都宮さんの手になるものだ。宇都宮さんの「浅田真央○○才」シリーズから部分的に使用した「発掘ノンフィクション」は747号に載っている。
記事そのものは以前書かれた本からの再構築だし、宇都宮さん自身に浅田を貶めるつもりはなかっただろう。しかしこの記事構成、浅田家と親しかったゆえの言葉の切り取り方、タイトル、小見出しのつけ方は浅田のイメージを非常に損ねるものだった。
残念極まりない。

雑誌でさえ読めば読むほど、結局、政治的なものに目を向けずにはいられなくなる。

リオOPが始まる。
日本のメディアが本気で騒ぎ立てるのはリオより「ぽんちゃん」の方だろう。
それはまだいい。
ニュースで見ることのできる世界の出来事の幅は、ますます狭められている。
自分の母親を見ていても思う。
情報操作は、見事に功を奏している。
犬HKですら大きく取り上げないニュースの陰で、お気軽な感じのGA隊入隊のCMが流され始めた。


ああ、こうしてあれこれ考えていると、片付けというトンネルの出口は、益々遠のいていく・・・。
いやしかし、「好きな人が載っている雑誌」、「好きな作家の本」から残すことにしていけば、「関所」の山も早く減っていくはず。
はずっ!

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2016
08.04

ある意味紹介本より面白い

Category:
「第2図書係補佐」
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又吉直樹/著

コラム的な短文が好きだ。
コラムやエッセイで慣れ親しんだ作家は、大抵独自の「くすぐり」と笑いのツボを持っていて、そのくすぐられる感じが心地よく、気分転換にはもってこいだ。
又吉のコラムも同じく、その語り口がもう「くすぐり」に満ちている。
言葉の使い方そのものが、すでにくすぐっている。

「第2図書係補佐」は、開いてすぐの「はじめに」から涙腺にきた。
誰でもそう感じるとは決して思わないが、
気持ちの琴線に触れる文章とはこのようなものではないか。

彼がものを書く作家に、それをプロとして批評する人々に、どのような生きざまを感じ、望んでいるかが喉から手づかみで引き出されたように書かれる。
その言葉が卑屈や謙虚さを装っているのではないことは本文を読めばわかる。
ある意味真っ向からベタな前書きだが、まじめなベタを書いて泣かせる人などそういないだろう。

短い「はじめに」を読むと、劇場に置かれたフリーペーパー、そこに集まる人々の熱気、分け合った菓子パンの悲しさと美味さ、「生活の傍らに常に本という存在」がボソッとした彼の語り口調と少し前かがみな立ち姿まで思い起こさせる。彼が「芸人」としてテレビの画面に映っている、その場面までぼよよんと立ち上る。着物姿の彼ではなく、ネタを披露している彼だ。

本を枕に自らを語る、まさにそういったコラムの数々。
この込み入ったアイロニー。

孤独と空腹を満たす読書。
心も体も乾いている中に注ぎ込まれた作家の魂は濃度をもって彼の中に浸透しただろう。

「昔日の客」の中で、古本屋めぐりの話を彼はこう書く。

「気になる本は手に取り裏の紹介文を読み、帯文を読み、ページを開く。するとそこに宇宙が現れる。」

本文より

少ない手持ちのお金で本を選ぶ時の、本棚いっぱいに詰まった本のタイトルを前にした時の、切ない欲望が蘇る。
彼もまた、本は借りずに買って読む人なのだろう。
それは金銭感覚とは別のところにあるものだ。
私も今でこそ図書館を利用するが、かつて「借りる程度の本なら読まなくてもいい」とさえ思っていた頃があった。
読み進むと、これはほとんど青春小説に思える。
又吉直樹が描いた、彼自身の。

西加奈子の「炎上する君」、パトリック・ジュースキントの「香水 ある人殺しの物語」、「人間コク宝」なんて本当に笑える。笑えるが鋭い。彼の心のつぶやきが奇妙奇天烈だ。
「人間コク宝」のサッカー部の男子の話なんて、いるいる、こんな奴、である。

中二病の胸の奥に潜むガラスを割った凶器のような鋭さを見せるかと思えば、子供に寄せる温かな目線、サッカー少年であった意外な一面、祖父母の故郷、自らのルーツを書く。
本そのものの紹介はほとんどなく、それが却って読みたい気持ちを増幅させる。
バラエティーの豊かさは意外なほどである。

「ヴィヨンの妻」では又吉と太宰治の奇妙な縁(えにし)が綴られる。テレビでこのあたりの逸話を語る彼の話を聞いてはいたが、「自意識過剰」と呼ぶにはあまりに「何か」を感じさせる偶然にやはり鳥肌が立つ。
私の亡くなった父は、あの斜めな横顔が太宰と瓜二つだった。
初めて太宰の本を文庫で読んだ時、その写真に「これ、お父さんじゃないの?」と本気で疑ったほどだった。精神科の医者だった父は、仕事に向いていなかったのか若くして自らアルコールに溺れるようにして亡くなった。父はお酒を飲みに行っても、必ず母によく似た女性にお酌をさせたそうである。不器用な父は、彼なりに妻である母を愛していたのだと今ならわかる。あんなに太宰を繰り返し読んだ高校時代、太宰の描く男たちの中に父の不運と不幸をなぞらえながら、誰からも理解されなかった父を私くらいはわかってあげたいと思っていたのかもしれない。
理系頭の構造も、容姿も性格も身体が丈夫でないところまで父に似ていると家族に半ば嫌悪されて育ったと思う。
ところが幸いなことにアルコールは体が受け付けず、繊細でありたくともゴリオ(仮名)にすっかり鍛えられ、人生に疲れるには世の中が面白すぎる時代に生まれてしまった。
体脂肪は多いが肝機能は勿論、内臓はめっぽう良い状態を保って父が亡くなった年齢をとっくに超えた。

さてこんなことまで書いてしまうほど、
又吉の引き出しの多さに、こちらの感傷まで引き出される、といった具合である。

対談もあり、本編だけでも楽しめる。
これ、大好きな一冊だ。



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2016
08.03

静かなパッション

Category:
齋藤孝のガツンと一発シリーズ第12巻
「最終指令 ミッション!パッション!ハイテンション!」
saitoutakashi.png


面白いので読んでいたら、小学生向けの本だった。

鑑真や「スパイ大作戦」、伝統芸能、マイケルジョーダンや野球選手の逸話を盛り込みながら、気さくな語り口調でぐいぐい読ませる。

別に説教くさいわけではないが、この本を読んだからといって、人はすぐにミッションを感じるわけでもパッションがわいてくるわけでもハイテンションになるわけでもないのだろうが、面白い。
「人のためになる生き方をしよう」なんて書かれていたってこちとらそうはいくまいと思ってしまう。

けれど

「僕がわかっていることは、お金だけを追求する人には、最終的にはだれもついてこないってこと。仲間がつくれないよ。ひとりぼっち。」


ああ、これはソチで起こったモーゼの海割れ某スケート選手を彷彿とさせる言葉。

さて、興味深かったのは「パッション」の項だ。

「パッション」=情熱
「メラメラと燃え上がるエネルギー」
「悲しみや苦しみを燃料に変える力。“逆境(思うようにならず苦労の多い境遇)”をあきらめずに乗り越える力」といったことが書いてあるのだが。

パッションとただの情熱との違いは、強さだと作者は言う。

そしてその強さの源は「受難」。

この受難は、「自分のせいじゃないのに、ひどい目に遭う」、「いわれなき災難」だという。受難にあった時にへこんだ心の穴のようなものに一端パワーを溜めて「ナンダコンニャロー」と噴き出すのが「パッション」なのだそうだ。

「passion」が「the Passion」になればキリストの「はりつけ」のことになるそうだ。

「情熱」と「受難」の言葉の出自が同じだとすれば、この二つをセットで持っている人が強いのは当然と言えば当然なのかもしれない。あとはその大きさの違いだろう。

チェロスイートを延々とリピした後、この本に余計大きく頷いてしまった。

このpassionをもってしてあの綿菓子感。

そこが浅田真央の本当の凄さかもしれない。

情熱は、他人に向けるものではないのだろう。

静かなスケートと浅田だけの囁きに、耳を傾けよう。

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2016
08.03

東京ガールズエレクション

Category:
東京ガールズ選挙(エレクション)~こじらせ系女子高生が生徒会長を目指したら

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長嶺超輝/著


アマゾンレビューではけちょんけちょんに言われている。
出来の悪いラノベではある。
がしかし、青少年なら面白く政治の話を自分たちに置き換えて読めるのではないだろうか。


少しネタバレ

校庭に立つ樹齢300年のイチョウの木を自分の根城として一人「ぼっち」をこじらせている女子高生「イチョやま」。
彼女の元にある日現れた徳川家基の霊。若くして謀殺された将軍候補が、今の世に政治家を作り出すことに成功した時、生まれ変わることができる・・・。
選挙コンサルタントとして「イチョやま」に政治や議会制度、民主主義について講義をしていく家基。
講義部分は少し眠くなるが、これは誰もが知っておくべき知識である。
何しろ国民、選挙民の一票は世の中を変えられるのかという18歳選挙権時代に合わせてユーキャンがぶつけてきた本なのだから、ためにならないわけはない。
「イチョやま」の高校の生徒会長は自らアイドル気取りの日色冴。
校庭のイチョウの木を保存するか撤去するかの戦いは、そのまま日色冴とイチョやまの選挙戦へとつながっていくのだが・・・。

この本に唯一重みを与えているのはイチョウの木の話である。
イチョウは火に強い樹木。
「火災に見舞われれば、水を吹き出し、火を消す」と言い伝えられていると家基が語る。
江戸の大火から町を守るため、多く植えられたとも言われているそうだ。

途中、議会制度の説明では眠りかけたが、最後の最後まで、面白かった。
気持ちよく読めた。
生徒会長選だって選挙戦。
不利な選挙戦の場合、浮動票をどう取り込むかの作戦が重要だ。
こじらせマスク女子はウソツキと言われ、イチョウの木の季節によってはひどい臭いをまとった嫌われ者だった。
いよいよ立候補してから、彼女の中身と同様、外見がどう変わったか。
鎧を脱いだ彼女に家基ではないリアル選挙参謀や友人たちがついてくる。


小池さんの初登庁がニュースで流れた。
ゾエやそれ以前の都知事の初登庁と比較して放送される。
大人気ない都議会の面々。
人として自分たちがどう見えるか、わかっているのだろうか。
やればやるほど小池さんを応援する層が増えるだけだ。

「東京ガールズ選挙」の終盤、生徒会長の改選にあたり立候補を決めたイチョやまに、家基が指南する。


「議論の相手を尊重(リスペクト)せよ」


「もちろん、選挙における対立候補じゃから、おぬしが戦うべき敵ではあるんじゃが、同時に、この学校を良くしたいという、共通の目的を持つ仲間でもある」



小池さんはこの通りに言い、やってみせたのだ。
それを入口から拒否してみせる。公衆の面前で。
オヤジたちは面目をつぶしたつもりだろうが、さて、テレビの前の公衆の眼にはどう映っただろうか。

蛇足だが、北区選出おときた駿@ブロガー都議会議員のブログにネット記事からリンクで直接飛んでしまったので読んでみた。
ブロガーはネット記事を書く人(多分それはもう、記者とも呼べないであろう)より余程まともな文章を書く。

「都民の意を受けた都知事にあからさまな対立姿勢を示しているのは一体誰なのか。」と太文字で書いてある。

都議会のオヤジは私の人生には関わりのない人たちではあるし、小池さんを特別応援する人間でもないが、私は人の挨拶を無視する奴は大嫌いなのだ。


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2016
08.02

究極のBasicは新しい

Category: 浅田真央
チェロスイート。

驚くべきナンバーではないでしょうか。

確かに、他の誰にもできない、あの軽やかさと音の刻み方。

コンパルソリーから入り、軽々とあらゆるステップ、ターン、ツイズル、スピンにグラン・ジュテ。

それをあんなにもふんわりと。

何度繰り返し見ても掴みきれない、あっという間に終わってしまう、綿菓子のような、美しいチェロスイート。



浅田真央にはクラシカルな曲が似合う。

ジャズナンバーも素敵だけれど、
彼女の本質は「私を見て」ではない。

スケートとバレエの基本を積み上げてきた彼女が、
黙々と自分の動きを練習するそのままを演じている。

愛している。
只、スケートを愛している。

こんなに純粋でひたむきな選手を
私もまた、愛さずにはいられないのです。


2016theice7.png

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