2015
10.29

「パトリック・チャンが明かす復帰への思い」

http://sports.yahoo.co.jp/column/detail/201510270001-spnavi?p=1

ところどころ、お借りします。

「ユヅルを意識しないわけではない」
パトリック・チャンが明かす復帰への思い

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今季は“積み上げる年”

――1年間休養して今季の試合を迎えるにあたり、今どんな気持ちですか?


 すごくナーバスになっていたんです。昨季は今までと違った日々を過ごしてきましたが、競技会にしてもショーにしても、今季は違ったレベルで専念することが求められてきます。肉体的・精神的に競技者に戻るために、食べることもトレーニングになり、練習も明らかに違うものになりました。


――まだ競技に復帰したばかりですが、技術はソチ五輪時のレベルに戻ってきていますか?


 明らかに昨年より良くなっています。ショーにたくさん出たことで円熟味が増したし、観客やジャッジの前でも気持ち良く演技できるようになりました。技術的な面だと、ジャンプが良くなってきました。本格的な練習を再開した当初は、最初からやり直しといった感じで、4回転やトリプルアクセルなどはなかなか難しかったですけどね。今季は“積み上げる年”になると思います。パーフェクトとはいかないでしょう。どちらかと言えば、次の平昌五輪に向けて作り上げていく年ですね。


長期的な目標は平昌五輪に出ること

――今季、技術的に新たにチャレンジしてみようと思うことはありますか?


 いや、何もないですね(笑)。これまでと同じく、ジャンプはトリプルアクセルや4回転トウループを跳んでいます。今季も序盤だし、ものすごく変わったことをやろうとは思っていないです。ただ、感情表現やプログラムを通じて伝わるものに進化が見られるのではと思います。それが僕が今、力を入れていることで、観客にも見てもらいたいポイントです。ジャンプはジャンプとして変わることはありませんし、プログラムの複雑さや込められた思いに目を向けてもらいたいですね。


――今は表現や感情といった部分に重点を置いているのですね。


 その通りです。加えて音楽の解釈にもフォーカスしています。そういった要素が昨年、僕が学び、成長してきた部分だと思うんです。ショーに参加したことで、結果ではなくパフォーマンスに集中できたからこそ得られたことです。


――今季の目標、そして長期的な目標をそれぞれ教えてください。


 今季はまず、カナダ王者のタイトルを取り戻したいと思っています。もし世界選手権に出場できたら素晴らしい経験になるでしょうね。そこで成功を収めることができたら、素敵なおまけになりそうです。長期的には平昌五輪に出ることが目標です。3度目の五輪に出られれば、キャリアの終わり方としては最高でしょうね。


――残り2年弱で五輪出場までたどり着く自信は?


 もちろん、常に自信を持っているし、2回経験しているわけだから、もう1度五輪に出場できる自信があって当然ですよ。ただ唯一、言っておきたいのは、けがをすることもあるということ。これだけは予測できないことですからね。でも先を見越してリンクでも陸上でも、正しいトレーニングをすればけがは防げると思います。適切なウォームアップや治療、リハビリをやり 自分の体の声を聞いてやれば、あと3年、五輪へしっかり準備できる良い状態を保てると思います。


(取材・文:大橋護良/スポーツナビ)



パトリック、インタビューも大人になったなあ、と思う。
突っ込みどころがなくて、さびしいくらい(^^)


彼が目指すスケートを、今週末、楽しみにしております。

テロ朝は、変にあおらず普通に放送してくれればそれでよし、ですわ。

私も明日はある種の訓練のため(と自分に言い聞かせ)、小さな集まりでバトルをしてまいります。
勝ち負けには何の意味もないお楽しみ会のようなものですが、
この1年に少しでも進歩があったのかどうか、測るのはきっと、周りではなく自分でしょう。
自分でわかってしまうのも、ちょっと、ツライものですが・・・。



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2015
10.29

素人目のつらつら

素人雑感でございます。

運動音痴ですし、
スポーツといっても、常にルールに疎いので
何を見ても、
「すっげーなー」
とぽやーっとなっているのが日常なんでございます。

そんな私でさえ、これはないだろ、と思ったのが
わかりやすい「フィギュアスケート」の採点でございました。

今回のスケ雨でも
?という採点はありました。

一方、今朝のテレビでは、
今季カナダの初戦で、昨季よりも高いPCSを出したという
王者の「和」プログラムへの絶賛が
はじまっておりました。

思い出したのです。

ラグビー、ワールドカップ、スコットランド戦を。

先日のワールドカップでの活躍以来、
ラグビー界の顔として、五郎丸選手が
ハゲタカメディアを相手に頑張っておられます。
頭が下がります。

あの感動の南アフリカ戦の後、
スコットランド戦の前半。
素人目にも、あの時の審判は、少し日本に手厳しかったと思いました。

前半に何度も反則を取られ、浮足立っていた日本代表は大事なところでミスを重ねていきました。
前半の消耗が、後半スコットランドの余裕のトライを許したように見えました。
よく見る負け試合のパターン。

スコットランドがそれだけ強かったのでしょうし、それが実力差だったということは、
あったのでしょうけれど。
日本にとっては前半取れるところで取れなかったトライやミスが、
後半一気に効いてきた感じがしたのです。

そのちょっとした後押しになったのが、
もしかすると、前半の審判の厳しさだったのかもしれないなあ、と思っていました。
後半、スコットランドの勢いが増したとたん、審判の笛は、驚くほど聞こえなくなりました。

どんなスポーツにもあるものなのでしょうが。

試合の場だけではない、別の戦いがそこにあるような気がしてなりません。
採点競技でなくても、これです。
サッカーなどはもうすでに言わずもがなですが。

さて、テレビを見る限り、そして
やったことにたいする評価が出るところを見る限り、
王者はクリケットに行ったことが
正解だったのかもしれません。
※この日記を以前から読んでくださっている方には、この斜め目線具合がおわかりかと・・・・。

あの審判の笛に腐ることなく、
結果としてワールドカップで3勝をあげ、
精一杯戦った桜の戦士は誇らしかったものでした。

スケ雨でも、ジュニアから上がってきたばかりの選手に
あれだけのPCSを与えたジャッジは
宮原選手には「そこそこの」PCSでお茶を濁しました。

詳しい方が喝破されておられました。
知子ちゃんのジャンプにつけられた「!」は、
本当ならほかの選手にもつけられるべきものであったこと。

JOでリーザやソト子を見た時は、
確かにジャンプとは別のところで、
これは演技構成の方に点数あげたいわ、と思わずにはいられませんでした。
私個人としては、メドべちゃんは素晴らしかったと思いますし。

それでも、
試合によって、選手によって、
ある種のパワーバランス的なものによって
出る点数、認めるジャンプ、認められないジャンプがあるのはやはり変。

楽しみなようで、
GPSの試合が重ねられるごとに、
また色んな気持ちが沸き起こってくるのかと思うと
ちょっとげんなりもするのですが。

ただ、
某選手がいない今、
あんな演技であの点数をかっさらっていく人はいないのではないかと思うので
その点だけは以前よりましかもしれません。

気持ちの強さが印象的だったスケ雨の昌麿君と知子ちゃん。

そして一番気がかりな真央選手。

これからのシーズン、どうか、審判の笛に消耗することがありませんように。
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2015
10.27

スケ雨、ジョニタラ再び

テロ朝は、このくらいの番組、作ってみれば?

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すごく素敵な動画です。

スケ雨の女子番組、知子ちゃんもかっちょいいーーーーーー!

とにかくこの動画の中でも、知子ちゃんのどや顔(^◇^)がっ!
すてき!

知子ちゃんも英語で話してます!
「みんな素晴らしい選手ばかり。学ぶことがたくさんあります」って。

ジョニ子とタラさんのトーク、
相変わらず弾丸!

GGのことも褒めてたけど、
なんというか、とにかく彼らの注目はメドべちゃん。
GGの話のはずだったんだけど、ジャンプの話から、メドべちゃんは「練習では3-3-3跳んでるのよ!」と大興奮。

リプ子とは、「同じコーチの二人、オンアイス、オフアイスでも話さないんだって」、とか
ほとんど女子会のノリ。

ジョニタラはメドべちゃんべた褒めの一方、ちょっとリプには・・・。
「コーチもリプにはいろんな顔があるからねって言ってた。」とか、
リプが同門の女子と話すのを嫌がるとか、
全くこのいけずっぷりが女子トークっぽくて。

動画主様、感謝してお借りいたします。




ジョニ子の手元に注目。
「金のウエイトだよ」って、どこがじゃ~~~!
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2015
10.25

スケアメFS、ロヒーン氏も拍手

昌麿選手、スケートアメリカ銀メダルおめでとう!
雨男子、金、銅じゃありませんか!

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そして宮原知子選手!
美しかった。
よくぞ銅メダル!
フリーも本当に素晴らしかった!

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採点、(゜.゜)
スケアメはインフレ気味でしたでしょうか。

昌麿君、知子ちゃん以外は。
ま、そう言ってしまえば、またジャッジ批判になってしまうんでしょうけど。



観るのが好きなだけで、一向にルールについても、ジャンプの跳び分けについても、
わからないのだが。

ただ、先日のパトリック・チャンのインタビューの中で、4回転について彼が語ったこと(こちら)が、
やはり気になるのだ。

拙訳コンニャクのため、間違いが多々あると思いますので、そこはご勘弁くださいませ。

Not About the Quads

Though he admitted that he did not pay close attention to the men’s event at the 2015 World Championships, he later skimmed through the performances of Javier Fernández and Yuzuru Hanyu on YouTube.
昨季、ワールドには余り注意を払っていなかったが、彼は後からハビエルと羽生の演技はyoutubeで見たという。

But Chan is very aware of what is going on in a skating world he believes is leaning too much toward the technical side of the sport. “Unfortunately, it’s become a lot about just the quads and the jumps. It’s always about that,” Chan said. “When I was skating in Vancouver, a lot of the skating was very artistically based. Not many skaters were doing quads.
彼は自分が信じるスケート世界が、余りにスポーツとしての技術面に偏ったものになりつつあることに気が付いている。
「残念ながら(フィギュアスケートは)ただ4回転や、ジャンプの技術に重きが置かれるようになった。常にジャンプなんだよ。
バンクーバーOPの時には、スケートはより芸術性に重きを置かれていたし、そんなに多くのスケーターが4回転を跳んだわけでもなかった。」

“Now we are seeing not just the top eight, maybe top 10 skaters doing quads. We are seeing all these younger skaters rushing to do these crazy, big jumps as opposed to taking time. I am talking at the lower, lower level. I don’t think it’s the best thing to have these kids think they need to land quads at age 14.
「今や世界のトップ8というより、多分トップ10の選手がクワドを跳ぶ。
このクレイジーでビッグなジャンプを十分な時間をかけることなく、若い選手たちが競って跳ぼうとしているけど、14歳やそこらでクワドを降りることが彼らにとってベストだとは思わないよ。」

“It’s more important for kids to actu- ally take the time to learn how to skate and learn the proper skating skills and become good skaters — like how Mr. Colson taught me when I was younger. We are leaning a little too much toward the technical side, and we’re not seeing enough really great skating, great stories and great programs that people remember. People are just remembering the big jumps, the big quads and all that stuff.”
「いかにスケートを滑るかを学び、相応しいスケーティング技術を身に着け、良いスケーターになるかに時間をかけることは、子供たちにとってとても大事なことなんだ。Mr.コールソンが僕に教えてくれたようにね。今のスケーターは少しテクニックの方に進みすぎているし、素晴らしいスケーティング、ストーリー性、そして人々の記憶に残るプログラムを僕達は見ていないんだ。人々は只、すごいジャンプ、すごい4回転、それを覚えているだけなんだよ。」

New Perspective

While Chan admires the talents of Fernández and Hanyu, he feels their programs are based on the jumps. “I have to admit it. They’ve found the formula. They’ve found their formula to success, which is doing the quads, doing great triple Axels and whatnot.
一方でチャンはフェルナンデスと羽生の才能を認めている。彼らのプログラムはジャンプをベースにしていると感じている。
「彼らは成功の法則を見つけたと認めなくちゃならないね。4回転や素晴らしいトリプルアクセルを跳ぶこと等々で成功する法則を見つけたんだ。」




スケアメ、フリーでのジェイソン・ブラウン君のキスクラ3人組に、
私はなぜ何とも言えない感慨を覚えるのか。

低空ジャンプで回転不足を取られ、ジャンプ構成を変えた昨季のチーム知子ちゃんの
やったぜ知子を思い出すのですが、ジェイソン君の場合は、
なにせ4回転はまだ試合で成功していないので、
そこからの問題。

彼の4回転はまだ十分に入れられるレベルではないのだと思う。
ショートでは濃厚で美しすぎるプログラムを用意し、
フリーで4回転と後半ジャンプ固め。
しかも今度はゆっくりとした軟体JBの良さを前面に出しながら
ジャンプと繋ぎの両立を図って見せた。

フリーで挽回したブラウン君、
地の利のあるスケアメがチャンスだったと思う。
ファイナルはともかく、全米、ワールドを見据えて、
彼がこの超4回転時代にどう生き抜こうとするのか。

スケアメの男子、4回転のない選手を探すほうが難しいほどではなかったか?

メンショフ選手のように、あれだけ4回転を跳んでも表彰台には届かないのだ。

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振付のロヒーン氏は、昨季のこともあって、考えに考えたと思う。
4回転が完成とは言えない今、できること。
4回転を入れることで昨季崩れ気味だった3Aに響くようなことをさせずに
繋ぎの美しさも損なわない演技。
うまくいけば、上位にも食い込める可能性が出てくる。
まだジャンプは安定しないが、ミスのない演技ができた時のジャッジの判断を見たいものだ。


エン・カン選手とはジャンプにおいて対照的。
彼は大きなジャンプが強みだが、大きすぎてコントロールが効かずに惜しいジャンプが今までもあった。
佐野爺が言ったように、スピードを少し落として、ジャンプと繋ぎ、演技の流れのバランスを取るようにしたのではないか。
決して踊れるタイプではないと思うので、スピンも振付もちょっと独特な感じに。

どちらのタイプも、ジャンプ、演技力、スケーティング技術、全てを兼ね備えた、パトリックの言う理想の選手に近づくことはたやすくないのだろう。

ロヒーン氏の、爪の先まで美しい手が笑顔と共に拍手をした時、スポーツとして進化しつつあるフィギュアスケートの面白さを感じたのだ。


ジャッジが完璧に信じられるものではないと思われている中で、
がっくり肩を落とす選手とコーチばかり見てきた。

あ、クリケットのお嬢のところは別でしたわね。

そこに、
してやったり、というコーチやコレオグラファーの顔をキスクラで見る爽快さ。

私はブラウン君の3人組にこそ、フィギュアスケートにおける採点に対しての「戦略遣い」という言葉がふさわしいと思う。

ブラウン君、銅メダル、おめでとう!

2年前のスケアメの話に、コリ・エイドコーチのジャッジについての見解(?)らしきものが伺えたので、ちょっとだけ書いています。
Underdogs have their day in men's short 
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2015
10.25

スケアメ、SPからびっくり大会

いやもう、大変ですね、スケートアメリカ。

PCの調子が悪く、夕べは苦戦しましたが、明け方寝落ちしました。

FSの結果は見てしまいましたが、まずはSPから。

テレ朝と、BS朝日で両方見ても足りずに、ずっとリピ見。

何がびっくりって、テレ朝の放送よ。
女子解説に殿さま、織田信成氏。
男子解説にうつけ者、佐野爺。

ジャニーズなし、女子アナなし、修造なし。
日本人選手一人一人の紹介&インタきっちり。

そしてあっと驚く男子SP1位のアーロン君バッサリカット!!!
で、女子SP4位のカレンちゃんもよ。

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まず地上波ではさっくりカットされたアーロン君。
感激だったことでしょう。
やっと、やっと、やっと、頑張ってきたことが報われたところに、PCSも出してもらえた。
スケアメだから、ということはおいておいても、素晴らしかったです。

1位 マックス・アーロン  TES 47.96  PCS 38.71  合計 86.67
2位 エン・カン        TES 46.25  PCS 40.28  合計 86.53
3位 メンショフ       TES 48.61  PCS 37.54  合計 86.15
4位 宇野昌麿      TES 43.28  PCS 38.50  合計 80.78
6位 デニス・テン     TES 38.24  PCS 41.78  合計 79.02
8位 ジェイソン・ブラウン TES 36.57  PCS 42.07  合計 78.64
10位 無良崇人       TES 32.80  PCS 38.86  合計 71.66

PCが言うこと聞いてくれず、表にできませんでしたので、とりあえず書き並べましたが、
PCSの出方です。

男子のSP,私的にはアーロン君のPCS上昇を見ると、やはりTESとPCSは連動するのかなと思うしかないのですが、
メンショフさんが・・・。
勿論PCSの差は出してありますが、演技そのもので言えば、もう、ジェイソン君と同じ競技とは思えないのでありました。
確かにショートで4回転二つ成功はすばらしいのです。
本当に。
ただ、その他があまりにもあまりにも、・・・・・。
昌麿君とのPCSの差を見ると、萎えました・・・。

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その昌麿君。
ああ、伸び伸びと、緊張はありながらも彼らしく滑り切りましたね。
真央選手の息子なら、私には孫。
目の中に入れても痛くないほど可愛い孫でございます。
少年から青年へのこの一瞬の間の輝きを、胸に刻みたいシーズンです。
これから先を楽しみに。

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テン君はやはり怪我の後(?)なのか調子が良くなかったようですが、
それでも美しさとジャンプのバランスでは理想的だなあと思いながら見ておりました。
私には理解できなかったのがエン・カン選手。
大好きな選手なのだけれど、
ローリーさんの洗練された振付で、垢ぬける・・・はず・・・垢ぬけた・・・はず。
佐野爺は「面白い!」を繰り返しておりましたが、
うーん・・・・・。


ジェイソン君の粋とは、やはりちょとちょとちょと違う気が・・・・。
これは好みの問題なんでしょう。
ジェイソン君の点数が出た時の、ロヒーンさんの顔が厳しくなりました。
コーチのエイドさん、以前もジャッジのある種の「仕訳」的なことに言及していましたものね。

それにしても、この演技でも、ジャンプに4回転がなく、しかも3-3が3-1になったということでこのTES。
演技構成点は、これだけ出してもメダルに絡まないとなると、ジャッジもちゃんと出すべきところには出すんですね。




で、女子ですが、
もう、リンクに姿を現したその時から違ったのがすでに女王の風格15歳、
ミニメリルを見たような気持ちが致しました。

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エフゲニア・メドベジェワを見てしまった後でのゴールド選手は、
あんなに美しいのに「真っ直ぐでパワフル」な彼女の良さが
どこか物足りなく見えてしまったのでした(T_T)
こんなに素晴らしい選手なのに・・・私のバカ!

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もう、とにかく素晴らしく成長したっ!という感激で胸が一杯になったのが知子さんです。
もうもうもう、魅了される、というか、驚きでした。
彼女のプログラムはこれまでもどれも全部好きでしたが、ファイヤーダンス、音楽が彼女にぴったりの部分を使ってあって、本当に素敵でございました!
どやっ!gpsa8.png




リプのことは、おいておきましょう。
乗り越えられるか、どうか、
とにかく私はリプが好きなので。
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初戦といえば、
もう昨日になってしまいましたけど、
うちの「ごりお」(仮名)も昨日が大会の初戦でございました。

勿論、スケートを観たい、観たいという心と裏腹に、
芝生の端に他のお母ちゃん方と応援旗を持ち、手作りのうちわも振り、
ゲキを飛ばしたのでありました。

相変わらず、先輩方に遠慮して
「オレの本番は文化祭だから」という立ち位置を崩さないオタク男。

「これが終わったら、オレ、文化祭の映画の編集と、みんなでステージ演奏の練習もするし」

しかし、彼はどんな時も人様の一番下敷きになるのが役割。
「わが屍を乗り越えよ」とばかりに身体の下からボールをチームに送る。
男たちでできた小山の中から最後に彼が立ち上がる時の恐ろしさ。

このまま一人、立てなかったら、と思う怖さ。

「ごりお」に負けず劣らず、「さっさと終わってくれ」と母は願ったのでしたが。
負けは、来週に持ち越されたのでした。

来週もまた、こんな思いをするのでしょうか。
ってか、スケートと重なるのはよしてほしい、と心底思うわ。

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2015
10.23

あしたはショートプログラムです!

いよいよグランプリシリーズ アメリカ大会でございます。

ジェイソン・ブラウン選手のTwitterが相変わらず日本語交じりでカワイイ。

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JBに関しては何も情報を知らないので、彼のジャンプ構成がどうなっているのか、ドキドキです。

エイド女史とロヒーンさんが4回転をどうするつもりでJBを育てているのか、ワクワクです。

願わくば、あの濃いぃいいいいいい繋ぎはそのままにしておいてほしいんだけど・・・。

男子注目選手の写真の中に、エン・カン選手が入っていないのは、どういうことよ?

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女子も華やかで楽しみです。

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日本人3人娘、頑張ってください!

そしてリプ~~~~~~!

頑張れとは言わないから、
これがリプニツカヤよっ!って演技ができますように!
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2015
10.19

正義を水のごとく

Category:
1963年、キング牧師が行ったワシントンでの演説の折には、多くの支援者がリンカーン記念堂に集まった。

その中には世界で名を馳せたアルトの歌姫、
「マリアン・アンダーソン」もいた。
この時彼女はすでに66歳。
どんな思いでこの場に立ったのだろう。

彼女は1939年、アフリカ系アメリカ人で初めてリンカーン記念堂で歌った人物だ。


キング牧師の演説で歌った時は、3度目だったという。

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youtube、「Nobody Turn Me Around: A People's History of the 1963 March on Washington」1分56秒あたりに、歌う映像が残されていた。


初めて彼女の絵本を読んだ時、
差別に苦しんだ彼女の時代を、知りたいと思った。

彼女は1924年、27歳の時にアフリカ系アメリカ人で初めて、大手レコード会社ビクターで、ゴスペルのレコーディングをしたコンサート歌手だった。
8か国語で歌うことができたというが、その努力は当時の状況を考えても並大抵ではなかった。

余談ですが、私の姉もかつて声楽を勉強していました。
発音、発声、言葉の壁は厚く、しかも文化的な素養の違いもあり、苦労していたことを覚えています。
それを、あの時代に、アフリカ系アメリカ人で、
正攻法な歌い手を目指すという途方もなさを感じずにはいられませんでした。





ヨーロッパでは歓迎されても、自国でのコンサート開催には度々横やりが入った。
そんな彼女を支援する人々の中には、内務長官ハロルド・イックス、エレノア・ルーズベルト大統領夫人がいた。

マリアンは自分の問題がすでに黒人全体の問題になっていることを自覚した時から、白人と黒人の座席を区別しないホールでしか歌わないことを宣言した(1952年)。
自分の後に続く歌い手たちのために。

自らの歌声で、彼女もまた黒人差別により閉ざされた扉を、一つ一つ開いていった。

そしてついに、黒人であるという理由で、彼女が歌うことのできなかったホールは、なくなるのである。

1953年、日本でもコンサートを開いている。
N響が招いた海外からのソリストとして、客演していた。
http://www.nhk.or.jp/fm-blog/200/222106.html←NHK-FMブログより
ピアニストのワルター・ギーゼキングとバイオリニストのアイザック・スターンと共に招かれているが、HPによれば、マリアンの録音は残っていないそうだ。


絵本、というには美しく、重厚でさえある。




「マリアンは歌う 」
パム・ムニョス ライアン (著), ブライアン セルズニック (イラスト)


Amazon(「BOOK」データベースより)

「あなたのような声は、100年に一度しか聞けない」。世界的な指揮者アルトゥーロ・トスカニーニは、マリアン・アンダーソンの歌声を、こういってたたえました。幼いころからマリアンは、歌うことが大好きでした。マリアンは、黒人という理由で、どんな屈辱を受けようと、誇りをうしなわず、心をこめて歌いました。これは、自らの歌声で、自身の、そしてあとに続く黒人音楽家たちの道をひらいた歌手、マリアン・アンダーソンの物語です。



挿画はあたたかなブラウンのグラデーション。


1897年生まれのマリアン・アンダーソン。
「天使の歌声」と言われる声を持っていた彼女は、少女時代に父を亡くしたが
聖歌隊で歌う彼女に、教会は学費を援助すると約束した。

しかし現実は厳しかった。

“黒人に生まれたら、プロの歌手にはなれないのだろうか?”

黒人であるが故、国内では音楽学校への入学は許されず、
なかなか良い先生につくこともできなかった。
コンサートに呼ばれるようになっても、
往復の列車は「黒人専用」の汚れた車両。
彼女が歌うステージの客席は、前の方の良い席が白人、後方が黒人の席、と分けられるか
白人用、黒人用の2回、一日の間に同じプログラムを歌わなくてはならなかった。

ステージでどんなに大きな拍手を貰おうとも、
彼女を泊めてくれるホテルがないこともあった。

彼女は歌の勉強がしたかった。
コンサート歌手として国内を回りながらも、教えを請うために声楽家、ジュゼッペ・ポゲッティのオーディションを受けた。

ポゲッティは気難しい先生だったが、マリアンの歌声に
「今すぐ、きみを生徒にとろう。」と言った。
先生の教えの元、マリアンはイタリアオペラも勉強した。

絵本は、彼女が憧れて、どうしても立てなかった舞台、オペラ「蝶々夫人」についても触れている。
念願かなって黒人として初めてNY、メトロポリタン・オペラに出演した時、ヴェルディの「仮面舞踏会」ウルリカ役で歌ったそうである。



ヨーロッパに渡った彼女は、勉強を続け、歌手として成功を収めた。
しかし本国アメリカでは、歌手としてだけでなく、黒人の代表としても
人生を全うすることになった。

1977年、80歳で国連平和賞を受賞している。

絵本の「マリアンは歌う」には、静かな語り口の中に、つぶされてもおかしくなかった一人の天才の、
強さと思いが選び抜かれたエピソードで綴られている。
彼女は決して自分の主張を貫くタイプではなかった。
政治的に控えめな態度が、かえって白人の支持を受けたのではないかと思う。

1936年、彼女への支援を惜しまなかったエレノア・ルーズベルト大統領夫人のために
ホワイトハウスでも歌っているが、あの時代に
黒人として多くの尊敬を集めたことに驚く。
マリアンの出演を拒否した婦人団体に抗議し、彼女の立つ舞台のために奔走したルーズベルト大統領夫人の勇気にも。

彼女は黒人霊歌を多く歌ったが、その歌が白人を動かした。
彼女に続く黒人歌手に残した「開かれたコンサートホール」は、
まさに「非暴力」で勝ち取った価値あるものだったと思う。



こちらは1939年のリンカーン記念堂での歌声。

天上人の声とは、このような声のことかと思う。

75000人の聴衆を前に、歌うマリアン。

4000人が入る憲法記念ホールで歌うことを拒絶された彼女のために、
多くの人々が抗議し、時の大統領、ルーズベルトが内務省を通じ、
リンカーン記念堂の、リンカーン座像前で歌うように、マリアンを招いたのだ。

彼女が歌う前に、聴衆にはこのように紹介されている。拙訳ですが、大体こんな感じでしょうか。
Genius draws no color line, and so it is fitting that Marian Anderson should raise her voice in tribute to the noble Lincoln who mankind will ever honour.
「才能は白人と黒人の境界線を無くしてしまいます。だからこそ、皆が敬意を払う高貴な人物、リンカーンに対し、マリアン・アンダーソンの歌声は、高らかに響くにふさわしいのです!」

「この当時、“天才”とか、“才能”という意味の言葉を黒人に対して使ったところがすごいと思う。」と、マリアン・アンダーソンを尊敬すべき人だと語ったのは私の隣の席の同僚である。
彼はニュージーランドの人なのだが、なんであーたが彼女のことをそんなに知ってるのよ?と驚いた。
クラッシック音楽ファンの彼は、彼女をゴスペルだけでなく、オペラ歌手として認識しているのだ。
ということで、リンカーン記念堂でのこの前ふりは、マリアンに対する最高の賛辞だと思ってよいと思う。






彼女が歌った歌詞が効果的に、絵本の中に入れられている。
youtubeで残された音源も聞くことができた。

http://www.worldfolksong.com/songbook/spiritual/deep-river.html
「世界の民謡・童謡」というサイト様には
黒人霊歌として知られる「深い河 Deep River」について詳しく載っている。

北部州と南部州の境界に位置する州として、そこを縦断するように流れる河川「Deep river(ディープ・リバー)」は、あたかもヨルダン川のように、自由と隷属、生と死の境として象徴的に解釈されるのだろう



マリアンの「深い河」は、聴くと耳から離れないような魂の歌。
この曲をカバーしたアーティストとして挙がっていたのが、
バーバラ・ヘンドリックス、
マリアン・アンダーソン、
マヘリア・ジャクソン、
アレサ・フランクリンなどである。

マリアンと共にキング牧師のワシントン大行進に参加した
マヘリア・ジャクソンも歌ったこの曲。


マリアン・アンダーソン「Deep River」



こちらはマヘリア・ジャクソンの「Deep River」


マヘリア・ジャクソン

wikiより

リンカーン記念堂での演説の終盤にマヘリア・ジャクソンが「あなたの夢をみんなに伝えて」という叫び声が聞こえたことを受けて、キングはあらかじめ用意していた演説の締めくくりの部分を読まずに、“I Have a Dream” という題について即興で語りだしたという。




1964年7月2日に公民権法(Civil Rights Act)が制定された。これにより、建国以来200年近くの間アメリカで施行されてきた法の上における人種差別が終わりを告げることになった。



奴隷から解放され、法的に認められたはずの黒人の権利.。
それでも南部を中心に、差別が生んだ悲劇の事件はあちこちで続いていた。





映画「グローリー」こちら

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「yuccalinaのヨガ的雑記帳」さまの記事に、この映画について、公民権運動の活動家たちについて
詳しく載せておられましたので、大変勉強になりました。

こちらで活動家の面々についてや、キング牧師の有名な演説について知らなかったことを沢山教えて頂いたおかげで、この映画を何倍も堪能できました。

『グローリー/明日への行進』を見た!と『The 60's 公民権運動』のこと
☝リンクしています。

公民権運動は、黒人の運動だけにとどまらず、白人の支援者たちにとっても命がけであったこと。
そこには政治的な駆け引きや、ユダヤ人の協力もあったことなど、一連の流れとして詳しく書いてくださっています。

演説を知っていたくらいで、公民権運動のことなど何も知らなかったのだとつくづく思いました。

そしてまた、
youtubeでマーティン・ルーサー・キング牧師のワシントン大行進の時の演説を見たわけです。

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キング牧師とローザ・パークス―黒人の平等な権利を求めて
ファエル フリエル (著), ザウ (イラスト), 高野 優 (翻訳),


この本は子供向けではあるが、アメリカの公民権運動について
キング牧師とローザ・パークスを軸に、わかりやすくまとめてある。

wikiによると、ローザ・パークスとは

1955年にアラバマ州モンゴメリーで公営バスの運転手の命令に背いて白人に席を譲るのを拒み、人種分離法違反の容疑で逮捕されて著名となる。これを契機にモンゴメリー・バス・ボイコット事件が勃発。アフリカ系アメリカ人(黒人)による公民権運動の導火線となったことで、ローザは米国史における文化的象徴と見なされ、米国連邦議会から「公民権運動の母」と呼ばれた。

人権擁護運動の共有財産(共有遺産)として、その行動は国際的に高く評価されている。



同じくwikiより
バス・ボイコット事件とは

1955年12月1日、市営バスに乗車したローザ・パークスは、白人優先席に座っていた。運転手のジェームズ・ブレイク(英語版)が、後から乗車した白人のために席を空けるように指示したが、パークスはこれに従わなかった。ブレイクは警察に通報し、パークスは、運転手の座席指定に従わなかったという理由で逮捕された。

ローザの逮捕を知った社会運動家のエドガー・ニクソン(英語版)は、ジョージア州アトランタからモンゴメリーの教会に移ったばかりの若き牧師マーティン・ルーサー・キング・ジュニアらに、バス乗車ボイコット運動の組織化を持ちかけた。

キング牧師らが、バスへの乗車のボイコットを呼びかけると、多くの市民がこれに応じた。結果として市のバス事業は財政破綻の危機に瀕することとなった。1956年11月13日、連邦最高裁判所は、地方裁判所の判決を支持する形で、モンゴメリーの人種隔離政策に対して違憲判決を下した。そして、運動は1956年12月20日に公式に終了した。



キング牧師のwikiから

モンゴメリー・バス・ボイコット事件

1954年以来、アラバマ州モンゴメリーのバプテスト派教会の牧師をしていたが、1955年12月にモンゴメリーで発生したローザ・パークス逮捕事件に抗議してモンゴメリー・バス・ボイコット事件運動を指導する。11ヶ月後に裁判所から呼び出しがあり運動中止命令かと思っていたが、連邦最高裁判所からバス車内人種分離法違憲判決(法律上における人種差別容認に対する違憲判決)を勝ち取る。これ以降、アトランタでバプテスト派教会の牧師をしながら全米各地で公民権運動を指導した。



注:モンゴメリー(Montgomery、モントゴメリーとも)は、アメリカ合衆国アラバマ州モンゴメリー郡にある都市。
私が読んだ本の表記は全てモントゴメリーでしたが、wikiでは全てモンゴメリーになっています。


1963年のワシントン大行進、1965年、映画「グローリー」で描かれたセルマの大行進、
それ以前にキング牧師等が指導したと言われる「バス・ボイコット事件」。

キング牧師の身の安全のために、「キング牧師に先導されてバスに乗らなかったわけではない」と裁判で証言した人々の中には、当時十代だった少女も含まれていた。


公民権運動に関わった人々の中には、光を浴び、
称賛された人ばかりではなく、歴史の影に
葬られた人々もあった。
無残に殺された人々もいたが、生きながらも同じ黒人によって
その勇気を称えられるどころか、表舞台から消し去られた人々がいた。

一部の白人は、公民権運動に命がけで協力した。


その一方、公民権運動では、黒人の支援者だった白人も、同じ白人によって殺されたり暴力にさらされたが、
黒人同士であっても、公民権運動で命を危険にさらすか否かで意見が割れたり、
「黒人である自分を憎む」といったメンタリティーに苦しんだこともあったという。



その繊細な心が語られている、あの時代を生きた一人の女性の証言として、貴重だと思われる一冊がこちら。
Amazon「BOOK」データベースより

1950年代、アラバマ州モントゴメリ。人種差別の激しいこの町では、バスの座席も白人用と黒人用にわけられ、空席がなくなると黒人は白人に席をゆずらなければならなかった。そんな差別にたいして、はじめて「まちがっている」と声に出して言った少女がいた。




席を立たなかったクローデット―15歳、人種差別と戦って
フィリップ フース (著), Phillip Hoose (原著), 渋谷 弘子 (翻訳)


こちらを読むと、モントゴメリでの「バス・ボイコット」に至るまでに、
「ローザ・パークス」以前にも、「席を立たなかった」(白人にバスの座席を譲らなかった)少女が少なくとも2人、いたという。

この本の主人公、クローデットは白人にバスの座席を譲らなかったことで有名になったが、学校には彼女を批判する向きもあった。果てに妊娠を理由に放校になるのだ。

それでも彼女は出産後すぐに、市バスを黒人側から訴えるという裁判(ブラウダー対ゲイル裁判)の証言台に立ち、裁判に勝ったことで「バス・ボイコット」は終わりを告げるのだが、十代で未婚の母となったクローデットは活動の表舞台に立つにはふさわしくないと、活動家の人々からも一線を引かれてしまう。

この本の中で、当時高校生だったクローデットが、黒人ばかりの高校生活の中にもスクールカースト的なものがあったことを語っていた。
白人との混血で、家が裕福な子は学校での頂点に位置し、クローデットのように色も人一倍黒く、縮れ毛も強い子は、下層、というように。
白人に憧れ、女の子達は縮れ毛をストレートヘアにするために必死だった。
クローデットも最初は皆と同じようにしていたが、バスの事件以来、そんな自分達自身がおかしいと感じるようになった。
そして自分の髪の毛をコーン・ロウ(編み込み)にする。
私は私のままで美しい、というように。
ところがそんな彼女に周囲は益々冷たさを増すのだ。

公民権運動は大人たちの人生にも様々な戦いを強いたと思うが、子ども達の心の中にも影を落としていたに違いない。


「ブラック・イズ・ビューティフル」という言葉の記憶を、呼び覚まされるようだった。

自由を勝ち取ることと同時に、自分達の尊厳、プライドを得るための戦いを、彼らはあらゆる立場、あらゆる場所で行っていたのだ。


ローザ・パークスが勇気ある人権活動家と称賛される一方、彼女は未婚のまま2人の子どもを育て、生活は苦しいままだった。
ノンフィクション作家であるフィリップ・フースが情報を得てインタビューを取るまで、彼女の存在は忘れられてしまっていた。




1963年、ワシントン大行進の折、リンカーン記念堂の座像の前で、キング牧師はこう語っている。


“justice rolls down like waters, and righteousness like a mighty stream.”
「公道を水のように、正義を尽きぬ川のように流れさせよ。」
アモス書より

あの何度も繰り返す「私たちは~するまで、決して満足(納得)することはない。」の最後の部分だ。

リンカーン大統領からオバマ大統領まで、公民権運動から連なる様々な本を読んでみた。

人種を超えた友情を描いた本は、翻訳された絵本だけでも数多くある。

実話であっても子供向けの絵本は本編は単純化され、あとがきに簡単な情報が載せられている。
絵本としての完成度、事実をそのまま伝えきっているかなど、大人向けの本のように詳しくない分だけ、興味がわく。


「リンカーンとダグラス」 
ニッキ ジョヴァンニ (著) ブライアン コリアー (イラスト)


リンカーン大統領とフレデリック・ダグラスの人生を絵本の中に短い対比で浮かび上がらせ、
北軍が南軍と戦ったあの戦争に、「奴隷制度」について意見の一致をみた二人(複雑な経緯はありますが)を描いている。
この本の「ダグラス」は合衆国大統領選挙でリンカンーンに敗れたスティーブン・アーノルド・ダグラスではなく、奴隷から身を起こし、アメリカ史上アフリカ系アメリカ人としては初めて副大統領候補に指名された人物だ(本人には知らされていなかったそうだが)。

さて、このリンカーン大統領を尊敬し、「リンカーンと握手した」その手を支えに兵士となった少年の絵本は有名なのでご存知の方も多いかもしれない。



「彼の手は語り継ぐ」
パトリシア・ ポラッコ (著)


こちらも実話である。
南北戦争時、北軍に従軍していたものの、あまりの恐怖と辛苦に耐え兼ね、脱走した15歳の白人少年兵。
足を撃たれた彼は、生死の境をさまようが
同じ北軍の黒人少年兵とその母親によって命を救われる。
北軍には南部からの逃亡奴隷を中心とした黒人部隊が組織され、戦争終結までには18万人もの黒人が参加していたという。
黒人部隊はまともな武器も持たず、それでも「奴隷解放」のために戦った。

残酷にも彼らをかくまってくれた、優しかった黒人の母親は殺され、少年二人は捕虜となる。

同じ捕虜となっても、白人である少年は命を助けられ、黒人であるがゆえに「ピンクス・エイリー」という名の少年は殺された。

のちに結婚して、子供や孫に恵まれた白人の少年。
彼のいのちを救った素晴らしい心を持った黒人の名前を残すために、少年だった主人公は、この話を自分の子どもや孫に語りついだ。



「正義を尽きぬ川のように流れさせよ。」

余談だが、
ミス・マープルが「復讐の女神」の中で、事件解決の依頼主であるラフィール氏から貰った手紙に書いてあったのも
この言葉だったと思う。

ジェラルディン・マクイーワンのドラマの中でも物語を貫く柱のセリフとして使われていた。

「正義を川のように流れさせ」
ミス・マープル自身が、「ネメシス」(復讐の女神)となり、依頼主の遺言を果たしたという話だった。



「正義」とはなんだろう。

自分達だけに都合の良い正義も世の中にはあるのだろうが、
そのために誰かが虐げられ、泣くことがあるのなら、それは正義とは呼べない。

「正義」とは何だろう。

自分たちにだけ都合のよい「正義」がまかり通ってはならない。

「正義を尽きぬ川のように流れさせよ。」



キング牧師の残した言葉の力。

そしてマリアン・アンダーソンが残した歌声の力。

正義は、人を通して、川のように流れたのだろうか。






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2015
10.18

結局“ワケ”は、わからない

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20151017-00000031-tospoweb-spo

スケート連盟・橋本会長が羽生をベタボメするワケ
東スポWeb 10月17日(土)16時0分配信


【カナダ・バリー15日(日本時間16日)発】フィギュアスケート男子のソチ五輪金メダリスト・羽生結弦(20=ANA)が今季初戦に圧勝した。オータム・クラシックでショートプログラム(SP)に続き、フリーでも184・05点で1位となり、合計277・19点で貫禄のV。3回入れた4回転ジャンプのデキに不満を見せたが、日本スケート連盟の橋本聖子会長(51)は五輪王者の“ミス”を大絶賛した。

 今季のフリーに採用した楽曲は映画「陰陽師」の「SEIMEI」。笛や和太鼓が鳴り響く中で“平成の安倍晴明”に扮した羽生の演技に注目が集まった。

 自身初の和のプログラムは4回転ジャンプを3本組み込む超高難度。SP首位発進の羽生は冒頭の4回転サルコーを鮮やかに舞って着氷。続く4回転トーループも手をつきながらなんとかこらえる。しかし、後半の4回転トーループは転倒。2つのトリプルアクセル(3回転半ジャンプ)にもミスが重なった。

 ジャンプの基礎点が上がる後半勝負に不安を残す結果に「まだ4回転を3つ入れた構成を決められていないのが悔しい」と唇をかんだが、その表情に暗さはない。「点数は自分が思っていた以上に評価された。試合勘のない中でサルコーとトーループの4回転を立てたことは1つの収穫になる」と前向きだ。

 橋本会長も4回転ジャンプの失敗よりも、羽生の果敢な挑戦を高く評価する。
「滑り出しは好調じゃない?(今季は)すごく自分に多くの課題を与えてやってるから。難度の高いのにチャレンジしてるでしょ。いい傾向だと思う。最初から守りにいってないし」


 本番はあくまで2連覇をかけて臨む2018年平昌五輪。「彼がそういうふうに目指してやっていこうとしてたことだから、今年はどんどん冒険をしてほしい。今年しかできないことをやる。今シーズン、来シーズンと全部やり尽くして(3年後の五輪)本番だから」と続けて、羽生の“3か年計画”を後押しした。

 次戦はGP(グランプリ)シリーズ第2戦スケートカナダ(30日開幕、レスブリッジ)。五輪王者は「一呼吸おいてからスケートカナダに向けてたくさんのことを調整していかないといけない」と気を引き締め、12月のGPファイナル(バルセロナ)での3連覇をしっかりと見据えた。



佐野爺と一緒。
仲良くいっしょ。

なんだか理由はわかりませんが、
スケ連一枚岩。


写真は、スケ連とは何の関係もございません。
『氷上のお殿様』からお借りいたしました。
イクメン癒し、です。

ikumen.png

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2015
10.16

美しいジャンプ

シーズン初戦で、体力的にもどの選手もまだキツイ時期なんだろうなあ、と思いながら、今朝家族が付けっぱなしにしていたニュース番組を見ておりました。

王者ハニューの今季初戦SP。

先ほどフリーも見ましたが、体力不足が惜しい。

ナム君との比較でいえば、今回の結果はこうなんでしょうが、
同じく初戦での昌麿、知子、真央3選手のあの底知れぬパワーを思うと、
体力不足が、惜しい演技でした。

後半に4回転という高難度構成に再び挑戦、らしいので、そこは最後まで滑りきる、跳びきる体力が必然なわけでしょう。

とはいえ、フリーのSEIMEIは曲のアクセントに振付を合わせているだけで、和のリズム感に関しては難しいものがあるんだろうなと思いました。
ハニュー選手は、挑戦している過程、なのでしょう。


頭で考えるより先に身体にリズムが入る人が時々いるけれど、そういうタイプの人は、
音楽にノる、ということに関しては何も考えずに身体が動くんだろうなあ、と高橋大輔を思わずにはいられませんでした。

ハニュー選手も音楽に乗せて美しく滑る選手だけれど、
SEIMEIに関しては、頭を通さずにあの独特のリズム感に乗り切るまで行けるかが、楽しみ。



今朝見た鳥モーニングでは、長い尺使って、佐野解説も、手厚かったですね。

「美しいジャンプ」
そう言いましたね。

ああ、こんな言葉も言える人なんですよね。

先ほど、報捨てで聞いた佐野解説も、ふぉろーふぉろーふぉろーの連続。

こーんなに「良いところしか見ない」ことだってできるのに、
どうしてそれが特定選手に限られるのか、興味深いところでございます。

佐野さん、電話インタにまで答えておられました。

「(昨季、アクシデントがあった中国大会は)
今回のプログラム構成と同じだったんです。
ショートが終わって、翌日のフリーでああいう事故が起きましたよね。
それだと非常に体力的につらいので
一昨年の構成に戻したというのが実情なんです。

去年、でききれなかった後半に4回転を入れるということに
再チャレンジ、ということで、ファイターですよね。
羽生結弦という選手は燃える人ですから。
非常にやりがいのあることなんじゃないかという風に思いますね。」



更にハニュー選手のフリーの注目点に関して

「やはり“ジャンプ”
内容も重要だが
世界と勝負するには(ジャンプを)決められるかどうか」



先日のパトリックのインタビュー(こちら)との対比がとても面白いなと思いました。

スケ連の中でも表に出る人として、選手のフォローに回る。
これは彼らの大切な仕事だと思います。

これをなぜ、全ての選手に対してやらないのか、
そこに作為を感じるのでございます。

いつもいつも同じことばかり書いているようですが、
本当に不思議なんですもん。

自分の国なのに、重箱の隅をつつく解説と採点しかしてもらえない選手と
何をしても素晴らしいと、常に、持ち上げてもらえる選手。

その理由がコーチであったり練習拠点だったり、コーチの人脈であったりするのかどうかは知りませんが。
それがスケ連の「押し」とどのような関係があるのかもまた、謎なのでございます。

所詮、ルールもなーんにも知らない素人の戯言でございます。



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2015
10.14

マオの記録を残す本・・・が読みたい

Category: 浅田真央
http://www.pluto.dti.ne.jp/~ando3/figureskate/Philippe/02philippe/index.html
↑こちらに詳細がありますが、
2002年のFOIは、かのキャンデロロ様が冠についた「PHILIPPE CANDELORO FANTASY ON ICE 2002」というアイスショーだったそうでございます。

浅田真央は2002、2003年、フィリップ・キャンデロロ出演、プロデュースのこのショーに出演。

そう、ひろのがスケ連の協力のもと、様々な雑誌の既出記事を「ポエム」にまとめた本には、
知らなかった情報がまだまだあった。

2002年のファンタジー・オン・アイスの出演者、
シングルスケーターは
フィリップ・キャンデロロ
アレクセイ・ウルマノフ
高橋大輔
佐藤有香
ルシンダ・ルー
浅田真央

初めてのFOIは浅田真央が、まだ小学生の時だったそうだ。

このショーのプロデューサーでもあったキャンデロロ様は
12歳の浅田をこう紹介したと書いてある。

「未来のオリンピックチャンピオン、マオ、アサダです!」



キャンデロロ様といえば、浅田真央の保護者のように、
彼女の演技を茶番のあの時でさえ堂々と褒めたたえてくれた方。

2002年時にすでにこう語っていたという。

「びっくりしたのはショーのリハーサルの前。朝8時だというのに、
もうマオは、トリプルアクセルの練習をしていたんだ。
トリプルアクセルなんて、僕が現役時代は男子選手が人生をかけて
チャレンジしていた、むずかしいジャンプだよ。
これは・・・この子を応援しなくちゃ! と思ったね。

僕のアイスショーは、マオにとって初めての本格的なアイスショーだったんだ。
そんな形で僕が真央のゴッドファーザー(後見人)になれたこと、誇りに思っているんだよ。」

「浅田真央物語 Princess Mao」 角川書店 2010年より



雑誌に既出の記事をつなぎ合わせた本であるが、
奥付にはそのことわりと元記事掲載の雑誌名などがきちんと載せてある。
角川書店の名には恥じぬが、
作者をこの人にしたことに、今さらスケ連の意図を感じる。

浅田自身の当時の言葉、
「日本スケート連盟のあるスタッフ」の(余計な)言葉、
そして浅田選手のお母様の言葉をも数多く残されている。

正直言って、これらの浅田の記録は、非常に貴重なものなのだ。
なぜ作者を選ばなかったのか、残念でならない。
この本だって、深読みすれば浅田の人物像に対する情報操作の一つなのだから、
スケ連の正体を考えれば作者がこれでも当然と言えば当然だろうが。



先日テレ東で流れた「マイ・ベスト・トリプルアクセル」の時にも浅田の3-3-3が取り上げられていたが、
その頃のことも、練習で4回転に挑戦していた頃のことも、伊藤みどり様へのあこがれも、存分に書いてある。
オンダさんも、ロボットシズカも、浅田に非常に身近な選手として登場する。

宇都宮直子さんの10代シリーズにも重なる部分は多いが、
よりスケ連内部情報が多かったためか、回りの状況はご自分たちの都合のいいように書かれている。
でも、ラファエルとの行き違いの件は、宇都宮さんの本と同じ。
やはり当時は、ラファの方に選手を責任持って育てる気概がなかったことは間違いないと思う。


それにしても、これだけ身近に浅田真央と接しながら、
長い時間をかけ、見続けていながら、
海外メディアからも、他のスケーター達からどのように評価されていたのかも
知っていながら。

よくもあんな落とし駄文をあちこちに書けたものだと怒りが増す。

ロボットは勿論、オンダさんも同じだ。

大人の事情とはいえ、よくも、あんなことをテレビで言えたものだ。
本当の浅田を知っていながら。


あの五郎丸選手の本で私が驚いたのは、プロになった現在も続く、起床から朝食までの時間の過ごし方である。
修行僧かと思うほど、本格的な練習に入る以前から、厳しいトレーニングを始める。

現役時代の柔道の鈴木桂治さんの練習メニューも凄まじかった。
一時期毎日ブログを拝見していたのだが、
実際に道着を着て組む練習よりも、筋トレの時間の方が長かったという。


彼らと、浅田選手の間に、どれ程の違いがあるというのだろう。
格闘系とフィギュアスケートだから、トレーニングの質が違う、そういう問題ではないだろう。

嫉妬や某国が絡まない、勿論スケ連も一切絡まないところで、
きちんと浅田の記録を残してはくれないかと思う。

勿論、吉田順さんの本も決して悪くはないのだが、
アスリート浅田の記録、それでいいのだ。

茶番後に編纂されたひろの本の終わりのポエムによれば、

「このあとの『真央物語』は、みんながこの目で見届ける物語だ。」

ということだが、これからのマオを記録に残すのは、ポエムではない。
ノンフィクションであってほしい。





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2015
10.12

ヤマト先生、発進!

Category: ヤマト先生
たんたかたーんたかたんたったたーーーん!


頭の中で「宇宙戦艦ヤマト」のテーマが鳴り響いております。

ヤマト先生、いや、違いました、本田真凛ちゃん、JGPクロアチア大会優勝&ファイナル進出おめでとう!

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JGPクロアチア杯2015(ISU Junior Grand Prix Croatia Cup 2015)日本代表-本田真凜さんの演技動画です。
動画主様、ありがとうございます。




ジャンプがキレてます。
高さ、回転軸、素晴らしかった。

演技後の解説がべた褒めです。
声色や興奮した物言いなどいらない。
こんな風に彼女の演技が魅せた点を一つ一つ取り上げ、
冷静に「彼女はスターだ。スペシャルだ。」と言い切ってくれる。
聞いていて、とても嬉しいです。

決してコーチから何やら言って聞かせてもらっているのがあくまでも自分であるような脳内妄想など致しておりません。
ご了承くださいまし。

いや、本当は、浅田選手の「バース・デイ 告白・・・ 浅田真央25歳 空白の1年の真実」
こちらの感想を書くはず、だったのです。

こちらの動画で涙したその涙も乾かぬうちに、

次の動画で、
たんたーっかたーん、たかたんたったたーーーん♪
ヤマトスイッチが入ってしまったのでした。

私の息子、「ごりお」(仮名)が、娘であったなら・・・。

自分もなぜだかグラウンドの砂にまみれて負け試合を見た後。
練習着をお風呂場のシャワーと足で踏んで泥を落とし、洗濯機に放り込み。
それでも洗濯物を干す部屋の床は砂まみれな連休。
おやつにどんぶり飯とラーメンと卵と肉とプロテイン入り野菜ジュース。
今日は練習試合中内臓をしたたか打った「ごりお」(仮名)はおやつ後に爆睡。
寝ている間に晩飯を作り、明日の弁当と捕食の準備に追われていた。
今起きてきた「ごりお」に夕食を食わせなくては・・・。
あ、夕食は食わせたはずなのに、明日の朝食のハムをデザートに食っている。
当然そのあとはパンで〆、のコースである。
これで炭水化物が足りないって言われるのはおかしいと思う。

裸族の「ごりお」は食事時も裸族。
下だけは履いているが・・・。



ああ、せめてこの微笑ましい師匠と可憐な教え子の姿に、
癒されたいのでございます・・・(ToT)/~~~


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2015
10.11

阿呆の読書

Category:
私がこいつらだけはぜーったいに・・・・。
とその存在を自分の地図上から消している物書きが数名いる。

勿論筆頭はスケ連御用聞きのひろの。
ご自分のお国のために、真央選手の件ではずいぶん実績を残されたお方。

そして真央ギネス記録のことをこともあろうに新聞上で「豚」と一緒にした森絵都である。
この森絵都の件はこちらのブログ様が詳細を残してくださっている。

「フィギュアスケートを死なせたくない」様の
「ギネス認定 何にでも世界一って......」 (37) という記事だ。
↑リンクしてます。

たったこれだけのコラムだが、この悪意には赤ランプが点いた。
映画版「カラフル」を息子と一緒に見た勢いで、原作を読んだ日が懐かしい。

彼女の本は処分。
売りもしなかった。
捨てたのだ、ゴミ箱に。

そんな過去がある私だが、
あのひろのが書いた角川つばさ文庫の「浅田真央物語 Princess Mao」をガン無視したままだったので、今なら読んでも破り捨てない自制心がある気がして、図書館から借りてきた。

全編へどが出そうだったが、私が知らないことも情報として書いてあったので、そこは面白く読めた。

よく知られているのは、浅田選手の母、匡子さんが、舞&真央姉妹をバレエのための足首強化のためにフィギュアスケートに連れて行ったことである。

匡子さんが尊敬したバレエダンサーが「ニーナ・アナニアシヴィリ」。

このバレリーナが最初フィギュアスケートをしていたために、足首が強かったという話を匡子さんが知っていらしたため、娘たちをスケートリンクに連れて行ったということだ。

wikiによれば

ニーナ・アナニアシヴィリ (具:ნინო ანანიაშვილი, 英: Nina Ananiashvili, 1963年3月28日 - ) は、グルジア共和国のバレエダンサー。2004年よりグルジア国立バレエ団芸術監督、および付属のチャブキアニ・バレエ学校校長。

ボリショイバレエ団のプリマ・バレリーナを20年以上、アメリカン・バレエ・シアター(ABT)のプリンシパルを16年務めたが、2009年6月、ニューヨークでの 『白鳥の湖』 公演を最後に、ボリショイに続いてABTからも引退した[1]。今後はグルジア国立バレエ団で指導をしながら出演を続けるという[2]。

シルヴィ・ギエム、アレッサンドラ・フェリ、M=C・ピエトラガラとともに、1980年代後半~2000年代を風靡したバレリーナの一人である。

地質学者の父親、言語学者の母親の長女としてトビリシに生まれる。先祖はグルジアの貴族だったが1930年代に粛清され、父親は男性としての唯一の生き残りであったという[3]。4歳でフィギュアスケートを始め、10歳のとき地区大会で優勝、その後誘われてバレエに転向した。地元のトビリシ・バレエ学校で学んでいたが、13歳のときにモスクワの関係者の目に留まり、ボリショイ・バレエ学校に編入した。






ニーナ・アナニアシヴィリ
ニーナ・アナニアシヴィリ

グルジアと言えば、エレーネ・ゲデヴァニシヴィリを思い出すが、顔だちも同じ系統な気がする。
美しい人。

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引退公演が「白鳥の湖」だったそうだ。
浅田の「白鳥」をお母様はきっと喜ばれただろう。


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ニーナ・アナニアシヴィリ の黒鳥の32回グランフェッテも
瀕死の白鳥もつべで見てしまいました。

ドン・キホーテも、華があって力強くて、素敵です。
この方がいなければ、フィギュアスケーター、浅田真央もいなかったのかも、と思うと、不思議な気持ちです。
浅田選手とはタイプも全く違いますが、美しい。


https://www.youtube.com/watch?v=vk1Nokw232k

こちらから、「Nina Ananiashvili in Swan Lake 」が見られます。
リンクができないタイプのようですので、youtubeでどうぞ。




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2015
10.08

面白いのは「気づき」かた

先日お世話になったSちゃんは大変な読書家である。
面白い本や、読んだものについて教えてもらえるので、話をしていてとても面白い。

JOの時にも、「そういえば、こういう話を読んだ」「あれは面白かった」とあれこれ盛り上がったのだが、
今回はどの話も「本」ではなかった。

人様のブログを勝手に載せさせて頂いて、非常に心苦しいのですが、
「これ」も「あれ」もなんと

 「ǑKKANABIKKURING」のぢょん・でんばあ様が書かれた話だったのだ。

「あの話は良かったわあ。」
「あれは面白かったわあ。」

という「話」が、一つのブログ様に集中するだなんて、活字中毒の私たちが読む量から考えれば、すごいことではありませんか。


というわけで、先日読んだコラムの中に、でんばあ様の書かれるものが「何故」面白いのか、腑に落ちるような話があったので書いておこうと思う。

本当はご本人のブログにコメントで残したかったのだが、この長さじゃ無理。

すみません、そういうわけで、自分のところに書きます(;´∀`)


腑に落ちる話、とは「似ているようで違う『方丈記』と『徒然草』」なるタイトルのコラムだ。

法政大学の小秋元教授が「少年写真新聞」発行の9月28日付ニュースに書かれたものである。

そのコラムによれば、
『方丈記』は厳密に言えば、『住居論』、といういわば中国伝来の「自らの住みかと生活について書く文学のスタイル」を手本にしているという。

えっ?
授業で教わった無常感はどこへ?

「住居と生活」って、めっちゃ現実的では?

しかも「方丈記」の文章は型に乗っ取った磨き抜かれた文章だという。

だって、 「日本3大随筆」じゃなかったの?

まさか「型」があったとは。

習ってないよ、そんなこと。


それに対して「徒然草」は現代の随筆に近いもので、多様な内容について思ったことを書くというスタイルは、当時まだなかったという。

ということで、従来あった文学の「既存の枠を破った」のが「徒然草」だったらしい。

では「徒然草」は何故面白いのか?

それは吉田兼好の「気づき」にあるという。

小秋元教授によれば

現代の随筆もそうですが、優れた作品には読者の共感を誘う、著者の『気づき』が記されているのです。
『がっかりだよね』と兼好が言うと、八百年後の読者も『そうだよな』と思えるのです。



確かにそうだ。

でんばあ様のブログが面白いのはその着眼点である。

私たちが見ているものと同じようなものを見ながら、でんばあ様の目を通してそれらを見ると、なぜかクスリと笑ってしまう。

パンも、お菓子も、ネーミングや袋の写真までが、違ったものに見えてくる。

いつもいつも共感しながら、「そうだよな」とポチを押すのだ。

時には胸にじんと響く一行に涙しながら。

時にはパソコンに向かって大声で笑っていることもある。

「気づき」とは誰もが「気づく」もんでもなかろうと思う。

というわけで、私は今日も、「ǑKKANABIKKURING」を楽しみに開くのである。




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2015
10.07

シーズンイン

Category: スポーツ
フィギュアスケートの選手がジャンプで転んだ時の転び方の上手さに
驚くことがある。

あのスピードで固い氷に身体を打ち付けながらもすぐさま立ち上がり、演技を続ける。
JOでも、GGがジャンプで転倒してもすぐに立ち上がり演技を続ける速さとバネに驚いた。

素人ならしばらく立ち上がることもできないと思う。

一番印象に残っているのがあの浅田真央2008年ワールドのフリー。
3Aを跳ぶために上げたスピードのままジャンプが抜けてそのままリンクサイドのボードにぶつかったあの時だ。

あの後の神演技を可能にしたのは、ジャンプを跳べずにリンクに身体を打ち付けた状態で、ボードにぶつかる前のわずかな時間にスーッと身体を滑らせ、衝撃を逃がしながら、身体の立て直しができたからではないかと思う。
恐怖感を超えたその後のジャンプ、キレのあるステップ、スピンの美しさはいつも以上。
あんなことができるのは、勿論アドレナリンの仕業かもしれないが、日ごろどれ程の訓練を積んでいるかがわかる演技ではなかったか。

アクシデントではあったが、あれも訓練の賜物ではないだろうか。
そうでなければ、骨などすぐに折れるかどうかするだろう。

浅田真央は転んだ姿も美ポジ、という写真がいくつもあるが、
あれは転び姿勢の取り方の上手さ、身体の柔軟性を示しているのではないかと思う。





さて、息子の競技は、これからがメインシーズンである。

この大事な時期に、チームは怪我人続出。
骨折や脱臼等、多少の怪我はつきものだが、それにしても多い。

明日は我が身である。

このままではギリギリの人数で現チーム最後の試合に臨まなくてはならなくなる。


理由はわかっている。

基礎練習がほとんどまともに行われていないのだ。

体力作りに走ったら走りっぱなし。

前後のウォーミングアップ、クールダウンも決まっていないようだ。

筋トレにトレーナーがいないため、正しい姿勢でトレーニングしていない。

何度も行うべき基本の動きを繰り返し練習していない。

試合に必要なある部分だけを取り出して何度合わせ練習をしても、
一人一人の基本的な身体能力が上がっていないままでは
身体に負担がかかるばかりだ。

だから怪我人が増える。

ド素人の私が、息子から端的に聞く話だけでもこれだけ挙げられるのだから、
詳しい方が見たら、試合に出られるチームには程遠いと思われるのではないだろうか。

勿論、そういった練習がしたければそういったチームに入れば良かっただけの話かもしれないが。

正しい基礎訓練を入れた時、その選手がどれほど実戦で結果を残すように伸びるのかを、私は少ない経験ながらも見てきた。
試合を想定した練習より、基本の基本からしっかり、でも死ぬほどルーティンを繰り返すことで、ハッキリ効果が上がるかを目の前で見てきた。

ルーティンを繰り返すことほどきつい練習はないと思う。
でも基礎を積むと、それはどんなスポーツにも通用する身体能力を作ることになりうると思う。

努力は人を裏切らない、というが、努力の仕方も、正しいやり方で、という条件があるだろう。

やみくもに頑張るだけで結果は出ない。

息子はチームに戻って以来、自分の意思で戻ったという意識があるせいか、
愚痴を一切言わなくなった。

だからこそ、心配だ。
きちんとした基礎訓練がもう一度必要だ。

スポーツは、最低限、怪我をしない身体づくりが大事なのだと思わずにはいられない。


女子で3Aを長年にわたり試合で跳び続け、更に全ての3ジャンプに挑み、エッジの矯正まで尚も可能にしつつある浅田真央。
超人なのではなく、超人的努力をする人。

今世界で戦い続けるアスリート達が素晴らしいのは、身体作りを怠ることがなかったからだと思う。
その地道な努力をこそ尊敬する。








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2015
10.07

氷上のソリスト

プリンシパル、という華々しさとは少しだけ違った。

町田樹の「継ぐ者」だ。

ジャンプに衰えもなく、
淡々としたピアノ曲なのに全く飽くことがない演技だった。

もしかすると現役選手よりも
身体の動きはキレていたかもしれない。

バレエダンサーを氷上で見ている、そんな時間だった。

これまでの演技に見られた力みは、
バレエのレッスンでポジションを確かめるような僅かなタメにとって代わった。
美しかった。

最後にわずかに足にきている揺らぎを見た時、
6分もある演技だったことを思い出した程、
あっという間。

このまま競技に復帰できないものかと
今さらながら、残念だった。



滑走路をぶっ飛んで行ってしまった後に、
こんな演技を見せてもらえるとは。

ありがとう。




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2015
10.05

蝶々夫人

Category: 浅田真央
「マダムバタフライ」という名のバラがあるそうだ。
淡いピンクの可憐さ。

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浅田選手については、落ち着いてからと思っていたが、
落ち着いても時間をかけても、とてもきちんとしたものは書けそうにないので、忘れないうちに
素人目の感想だけ。

6分間の時に何度か確認していた2A3T。
最初の2Aがでかい。
セカンドの3Tが高い。
3Aは入りの確認は何度かしていても、今までのように
何としても跳んで確認しておきたい、という感じではなかった。

クリック女子にはいい思い出がない。
だから余計、3Aが認定されたかどうか、それだけが気がかりだった。
リーザも回りきっての転倒になっていたらしい。
彼女がいることで、回ってるだろっ!という浅田の3Aを
試合によっては絶対に認めない、ということはできにくくなるのでは、とかすかな希望を抱く。

どのトリプルジャンプも、あのふわり感。

ローリーの振付は、「浅田真央」の蝶々夫人であって、バタ臭さは鼻につかない。

浅田の儚さ、芯の強さ、花びらのような個性が、このプロを成功させているように見える。

スピンもステップも、新鮮だった。

浅田が、音楽を完全にものにしている。
そういったところも、彼女が「コントロールできた」一つかもしれない。

彼女の言葉通り、3Aでさえ、エレメンツの一つ。


さて、『蝶々夫人』はアメリカの作家ジョン・ルーサー・ロング作の同名の小説を元にしたダヴィッド・ベラスコの戯曲。
ロングの小説から、時代は日清戦争があった1894~5年頃の19世紀末、舞台は長崎の長崎港を見下ろす丘の上にあった外国人居留地と推測されているそうだ。
普通に考えると、修学旅行でお馴染みのグラバー園側から港を眺めて暮らしていたイメージなのだが、原作では「ヒガシヒル」、つまり東山手という、「オランダ坂」側に住んでいたことになっている。
ここからでは港は見えにくいようだ。
現地に行かずして書かれた小説だということで、実際の地理はどうでも良いわけだが、勝手に南山手からの風景を想像していたものとしては驚きだ。

世界の檜舞台、ロンドンのアルバートホールで演じた蝶々夫人が大成功を収めた日本人プリマドンナ三浦環。
プッチーニからも「世界にただ一人の、もっとも理想的な蝶々夫人」と最大級の賛辞を受けたといわれている。

今、プッチーニが浅田の「蝶々夫人」を観たら、何と言うだろう。

「世界にただ一人の、もっとも理想的な蝶々夫人」は、間違いなく浅田真央だと言われるだろうと信じてしまう。


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2015
10.05

私の感想

今回の、「JOのチケットは取ったけど、どうなることやら」、というヘタレの私に、応援のコメントを残してくださった方々、
そして防寒具、暖かい飲み物、応援グッズ、布団の用意等など、全て準備万端に整えてくれたSちゃん、本当に本当にありがとうございました。

無事に行ってまいりました。


交通機関にも乗り換えにも慣れていたはずだが、いかんせん、以前とは違う私。
周囲の心配は大変だったと思う。
「緊張で行き倒れていないか」とまで人に心配させてスケート見に行くなんて、どんだけよ。
すみませんでした。

乗換案内で空港からと、空港まで、あの行き方、この行き方なら負担なく行けるだろう、などなど、沢山調べてもらった。
そして、それらをさっくり自己流に適当に変えて、気の向くまま、あっちに寄りこっちに寄りして、会いたい人には日曜の朝に奇襲をかけるなどして帰って来たのだった。
すみませんでした。

ということで、最後に奇襲をかけた別の友人は、電話して10分で支度をし、羽田まで付き合ってくれた。

全く人迷惑なおばさんである。

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太っ腹なアサヒさんのスタイルバランス2本組。
飲めない私にはありがたく、そしてとーってもおいしかったです。

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すごい人でした。

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真央ちゃんの柱(?)の周りの人だかり。
さすがの人気!

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まさか私がこの写真を撮る日が来ようとは・・・。
バンクーバーでのP、絶対王者のPをあんなに言って、本当に悪かったわ。

行きも帰りも、私が乗った「JAL」では、真央ちゃんのCM、流れませんでした。
勿体ない。
他のはいいから、あれだけは流してほしかった。
爆睡していたせいで気が付かなかったのかもしれませんけど。

生でメリチャリを見られた、メリルのキレッキレダンスをフィナーレで見られた眼福。
まっちーの万感の思いを感じられた幸せ。
昌麿、知子から「伝わる熱」が半端なかったこと。

アシュリーへの印象が全く変わってしまったこと。
彼女は本当に素敵だった。
逆に今回のGGはどうしたわけか、あんなにかわいいのに、元気いっぱいなのに、友人と二人、眠くなったねと同意見だった。


アボがますます好きになった。
Pのジャンプにはまだ時間が必要なのかもしれないが、
彼が見つけた彼のスタイルは、大事にしてほしいなと勝手に思った。

大介君は、とてもとてもいい演技だった。
多少のミスであのPCSはないだろう、と思ったほど。

リーザは本調子ではなく、
逆にアデリナの方が慈愛の時よりジャンプが戻っていた。
アデリナには金メダリストとしての品格と言えばいいのか、礼というものさえ感じられた。
華があるだけの人ではないことがとても嬉しかった。


雨女の赤い衣装。
ロシア女子の黒い衣装。
演技にも選曲にも、国によってこれほどはっきりと個性が出るものかと思った。

バレエの基礎を徹底的に入れて訓練されてきた選手でも、そのやり方が違えば表現に使う身体の使い方も異なる。

知子ちゃんの衣装のお尻のフリフリの可愛かったこと。
真央ちゃんはとにかく別格。

というわけで、楽しい週末でした。

皆さま、ありがとうございました。(^^)/ 続きを読む
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2015
10.04

スケーティング

カーニバルオンアイスは、佐藤有香さんの滑りにくぎ付けになった。

ジャンプもひとつ?ふたつあった?
ところがところが、もう、そのスーッと移動してキュッと自由自在に止まる足元から、
目を離すことができなかった。

瞬間移動ですか?

教え子のアボットも美しい滑りだけれど、彼は試合の時からとても楽しんでいたように見える。
先日のインタビュー(こちら)を読んでも、何か次のステップに向かって前向きに進んでいるからかもしれない。

スケートって、きれいだなあとつくづく思った。
こういった技術はジャンプやスピンと違って、一生ものなんだろうなあ。

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足元、と言えばこの方。

私は大判のカナダ国旗バスタオル持参でひざ掛け兼用にしていたのだが、
客席のカナダ国旗の多かったこと。
ひざ掛け&涙吹き兼用のバスタオルでごめんよ、パトリック。


彼は、絶対王者と言われていた間、もしかすると孤独だったのかもしれない。
心は閉じられていたのかもしれない。
開きたいともがきながら。

パトリックについて、これまで自分が思ったり書いたりしてきたことが思い出されて、
ごめん、と内心思いつつ、泣けた。

JOでは、ジャンプがまだこれからなんだという感じはあったが、緊張も見て取れた。


昨季休養パトリック・チャン「怖さあった」実戦復帰
日刊スポーツ[2015年10月3日20時39分]

 ソチ冬季五輪銀メダリストで昨季休養したパトリック・チャンが実戦に復帰した。冒頭に予定していた4回転-3回転の連続ジャンプが3回転の単発にとどまるなど、得点は伸ばせなかったが「復帰戦としてはまあまあ」と表情は明るかった。

 久々の実戦で「怖さがあった。最初の1分くらいは脚が自分の脚じゃないような感覚だった」という。「今季は完璧なシーズンにはならないと思っている。試合勘を取り戻す必要がある」と、焦らず状態を取り戻す姿勢を強調した。



フリーのショパンメドレーは、これまでのPのそのままかな。
でも上半身の動きは各段に良かった。

COIで滑った「Mess Is Mine」。
アンコールでBLACK BIRDを滑ってくれた。
彼は「Dear Prudence」で始まるビートルズと、この「Mess Is Mine」で、彼のスタイルを打ち出してきたように思う。

素朴な懐かしさの詰まった美しいメロディーが、彼のスケーティングには良く似合っていた。
素の彼は、こちらに近いのかもしれない。

「Mess Is Mine」←この曲だったと思います。オーストラリアのアーティスト?ステキでした。

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2015
10.04

友人の感想

スケートを全く見ないわけではなかったと思うが
今回JO,COIの両方に付き合ってくれた友人は、
全て見終わって彼女の家に着いてからも
疲れていたはずなのに興奮さめやらぬ様子で、
私が寝落ちした後も、録画していたJOを見ていたようだった。


その友人が、JOでは宇野昌麿、
COIでは町田樹の演技に
「ほんとに来た甲斐があったわ。」と言った。

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とても的を得ていると思った。
宇野選手の演技は魂のこもった素晴らしいものだった。
スタオベもすごかった。

彼の中には一体何が詰まっているのだろう。
ひたむきさと情熱。
そしてあの若さで、多分悔しい思いも沢山してきているのだと思った。
それが演技を裏付けている。

町田樹は、COIの中に、彼だけの異空間を作ってしまった。
これが最後、とアナウンスが言ったと思う。

友人は「勿体ない。なぜ?」と繰り返した。



生浅田を見てしまった彼女は、
ソチSPの転倒から始まったJOの番組にさえ、「なんでもっといいところ(演技)から見せないかなあ」と一人ごちた。
あれくらい、何でもない良い番組に作ってあったので、
私の方が驚いた。
これまでの浅田選手についての話を簡単にした。
実に的確なリアクションでもって、
「フィギュアスケートってそんなにおかしなことがまかり通っちゃうわけ?」と言う。

一部のファンがあれこれ言ってるだけの「陰謀論」だそうだが、
普通の人が見聞きしたって、同じことを思うのだ。
だって、スポーツですから。

友人は、「宮原選手はリンクでとても大きく見えるよね。」とも言った。

その通りだった。
6分間練習に飛び出す前も、ピョンピョン跳び、元気が良い。
その背中の美しさ。
細かい細い筋肉。
バレエレッスンが生きた腕、肩、首の角度の効果的な使い方。
その上にスケーティングの伸びやかさ。


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ずっと見ているがゆえに、慣れてしまって当たり前のように思って見ているところもある。
客観的な意見の方が的を得ていることがある。

「素人はルールのことなど知らなくとも衣装でも楽しんでいればよい。」ってなことを言っていらした「玄人」さんもいらっしゃいますが。

つくづく、先入観なく見る人の目の鋭さを感じたのだった。

で、素人ながら、見れば何かを突っ込まずにはいられない私は、
JOの知子はんの演技に、あのPCSしか出さなかったジャッジに、ムラムラ腹が立っていたのであった。
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2015
10.04

冷たいリンクの風が

半年ぶりの埼玉は暑かったです。

たまアリの熱狂、で、完全武装の私は汗だらだらでございました。

テレ東放送のJOの前に、「お帰りなさい浅田真央~復活、伝説の第2章へ~」がありましたね。

COIの練習時でしょうか、真央ちゃんの言葉がとても印象的でした。


「冷たいリンクの風が 自分の顔に 当たる 肌がすごく引き締まる感じが 懐かしいなって思いました。」




何年も何年もリンクで過ごしてきた。
その浅田選手の皮膚感覚。
身体に染みついているもの。
最後は理屈ではなかったのではないかと思う。

JOでの浅田選手の3Aの高さには息を飲んだ。
驚くほどの高さ。

まさに別格の美しさ。

心が震える、という経験が一生にどれほどあるだろう。
浅田選手の「蝶々夫人」が始まって、終わるまではあっという間だったが、
申し訳ないが、そのあとのリーザの演技も、日本の優勝、表彰式も、
時間は長く感じたのに、記憶は曖昧だ。

良い意味でのゆとりと自分への客観性。
「気持ちのコントロールができていた」と
浅田選手も語っていたが、その通りだったと思う。

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衣装は、着物風になるだろうなと思っていたが、ロボット版蝶々夫人の、着物をミニにしてみました、というあの極彩色は・・・と思っていたので、ジュピターの時のようなあの袖と淡い美しい紫色は品があって、浅田選手に良く似合っていた。

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浅田真央の十代。

常に試合の前に立ちはだかった、彼女言うところの「大きく高い壁」。
プレッシャーをそう表現していたのかと思うが。

彼女はスケートが好きだという純粋さでその壁を打ち破ったのではないか。
そうして帰って来た。

演技にとどまらず、全ての所作の美しさに見える。
ゆっくりと動きながら
氷の感触を確かめるように、胸に刻みつけるように。

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成熟度が増した浅田真央の“深化”
上々の復帰戦から紡がれる新たな物語

スポーツナビ

浅田を指導する佐藤信夫コーチもこう述懐する。


「本当にどうなるか分からなかったんです。休養明けという状況は彼女も初めてだし、私も25歳になる女性の選手を指導するのが初めての経験でしたから。やはり心配な要素が多かったですし、不安だらけでした」
そうした中、佐藤コーチは練習である変化を加えた。以前は細部にわたり指示を出していたが、トレーニングを再開してからは浅田の自主性に任せたのだ。


「いつまでも子供扱いはいけないと思うし、あんまりそうすると反発も大きくなってくる。もう25歳になっていますからね(笑)。もちろん厳しく指導しなければいけないところは妥協しないでやっています。ただ今までのように『これをしなさい』という感じではなく、自分のやりたいようにやって、スケートを楽しんでいるというのはあると思います。演技で感情が出るようになったのもそういうことがつながってきているのかなと思います」


 ジャパンオープンで演じた『蝶々夫人』は、1人の男性を待ち続ける悲しい女性の物語。そうした難しい人物像を描き切るには、それ相応の表現力が必要となる。しかし、浅田は切ない曲調と見事に同化し、女性の悲哀を表した。感じられたのはスケーターとしての“深化”だ。


 佐藤コーチは語る。


「1年間休養したことで、世界の状況なんかも外からじっくり観察することができて、スケートに対する理解も深まったんじゃないかと思います。私ともいろいろと話をするわけですけど、その中でよく考えながら『こうかな、これは違うかな』という彼女なりの試行錯誤が入ってきて、時間とともに良い方向に変わってきてるのかなと思います」


 休養を経たことで、選手としても人間としてもより深みが出てきたというわけだ。浅田も手応えを感じている。


「日本人として芯の強い女性を演じたいと思って、今日は臨みました。ジャンプや技術の部分だけではなく、自分がこういう滑りをしたいという滑りができたと思っています」



ギリギリだったが良い席が取れたこともあり夜のCOIも見てきた。

ショーと試合は全く違った。

浅田選手が「試合が恋しくなった」ように、
私たちも、「試合に臨む浅田選手」が、恋しかったのだ。


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2015
10.02

MY BEST トリプルアクセル

Category: 浅田真央

「MY BEST SHOW ~スゴい人自ら選ぶNo.1~'」

テレビ東京
2015年10月2日(金) 19時00分~20時50分
http://www.tv-tokyo.co.jp/mybestshow151002/

明日553日ぶり完全復活“浅田真央”緊急出演!!独占取材で明かす自身最高のトリプルアクセル



1日12時間の練習の合間を縫って、真央ちゃん、番組のために選んでくれていました。
「MY BEST トリプルアクセル」!!!

「ひとつだけには決められない」ということで、思い出深いジャンプを挙げてくれました。

ところどころ、「はい?」と突っ込みたくなるところもなきにしもあらずでしたが、
ソチの6種8トリプルについての言及は勿論のこと、
これまでスルーされ続けてきた浅田選手の偉業を
ポイントポイントで押さえていました。

よっしゃ。

写メの画質が悪すぎるのですが、とりあえず貼るだけ貼っておきましょう。

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ちゃんと「伊藤みどりに憧れて」という夢をいれてくれましたね。

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2002年、小学生ながら特例で出た全日本の話も。




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伊集院光さんが言ってくれました。

「今、しれっと流してましたけど、最後に言った
『今日の練習の方がベストジャンプだと思います』って、すごくない?

あれだけのもの見せて、ブランクがあって、今、復帰戦寸前で、それ言われちゃうと、またオレらすげえもの見せてもらえるのかな?って。」




すごいですよ、そら。
浅田真央ですから。


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2015
10.01

ニコルさんの記事

こちらから飛びます。

浅田、名振付師と再タッグ スケートに「新しい喜び」

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ニコル 「『マダムバタフライ』はビビッときたの。真央は他にも興味のある曲があったみたいだけれど、私があまりピンとこなかった。プッチーニのこの曲はなんといっても美しい。真央は悲しい経験を乗り越え、深い感情を理解するようになった。人生の違うステージに立っているから、ぴったりだと思う」
 「真央とは女性の権利についての歴史を話した。私たちは現代に生まれてラッキーだと思うけれど、100年以上前の『蝶々(ちょうちょう)さん』たちのような女性がいて、今がある。そうした女性の立場の変遷を知った上で、真央には女性が権利に向かって立ち上がることを表現してほしいと話した」



ニコル 「第一に、私はクラシック音楽と同じくらいジャズが好き。どっちもエレガントで洗練されて知的な芸術形式よね。真央らしいジャンルだと思う。真央のためにはアップビートで陽気、または上品なジャズを選ぶようにしている。ただ、ジャズは複雑で、滑りこなすのに時間がかかる。演技の幅を広げるためにも、若いときからショーナンバーで少しずつ冒険することは大切。今の真央はどんどん演技の幅を広げられるんじゃないかしら」



ニコル 「まるで氷上を羽のようにポンポンポンと駆け抜けていく軽やかさ。あれは真央にしかない。ショパンの洗練された旋律そのものよ。今は成熟したので、ショパンだけの枠には収まらないけれど、この軽やかさは不変だわ」
 「真央はいつも“いい人”であり、まじめで、道を踏み外すことはない。それは14歳のときに会ってすぐ分かった。でも、従順なだけでなく、もうちょっと自己主張してほしいなとも思った。言ったことは何でもするけれど、将来、どんな女性になるかをイメージしにくかった。私はスケーター本人を知って、持ち味を生かしてプログラムを作りたい。振付師が選手に色をつけるのでなく、選手たちの色を出したいタイプなの」



ニコル 「何とか表現に興味を持てるようなプログラムを作ったものよ。チャンには深いエッジを持ったスケーターになってほしかったから、それが自然と身につくようなプログラムも用意した。クワンもそうね。『官能的で強い女性』になれるよう、計画的にプログラムを作った。カロリナ・コストナー(イタリア、12年世界女王、ソチ五輪銅メダル)も同じ。イタリアの小さな村から出てきた女の子が、どうやったら自信に満ちあふれた女性になれるか。アップダウンがあって10年近くかかったわね」
 「真央とは距離的に離れていたこともあって、理解を深めるのに時間がかかった。常にまったく体重を感じさせない軽やかさが真央の特長だから、それをどうやったら生かせるかは考えてきた」



ニコル 「プログラムは作らなかったけれど、バンクーバーの年もずっと真央のことは応援していた。離れても真央が戻ってきてくれるのは、信頼関係だと思う。10年近く一緒に仕事をすれば、私のことを真央が分かってくれたろうし、信頼関係が醸成されていたとも思う。そういう関係があると、よりエネルギーがあって美しいプログラムが作れるものよ」
 「選手が毎年、様々な振付師のところに行くのは今は普通のこと。振付師はエモーショナルな人が多いから、最初はショックだったけれど、それも仕事の一部と思えるようになった」



ニコル 「真央がすごく特別な人間になっていくのを見ている気がしたわ。興奮したり、大笑いしたり……。2人で一緒に作品をこしらえていると、真央の素顔がどんどん出てきて。真央は10年間でいろんなプログラムを滑り、芸術的なベースが強固なものになってきたので、振り付けのプロセスにも興味を持つようになった。だから、洗練を表現するにしても様々なニュアンスを出せる。真央の表情や好きな動きをする姿にインスピレーションが湧いたし、いま思い出しても楽しい時間だった」
 「特に、トリオは真央の意見が強く反映されている。2人で嫌になるほど音楽を聞いたのよ。『これはいい曲だけどプログラムにはいまいち』『なんか違う』……。2人同時に『これだ』って叫んだ曲(ミサ曲『ベネディクトゥス』)を使った。真央はカロリナとジョアニーとの距離感をよく理解して、リンク全体から見えるイメージもつかんで作っていたわ。この作品は真央にとって転機になったと思う」p>



 ニコル 「どんなに一生懸命練習しても落とし穴がある。トリッキーなスポーツだわ。だからこそ『常に完璧に滑れるわけじゃない』という事実を受け入れると、パフォーマンスって良くなるもの。真央も様々なアップダウンがあってそれは理解していると思うの。なのでパフォーマンスも良くなると思うわ」


 浅田を指導する佐藤信夫コーチは、「(芸術面の担当は妻の久美子コーチで)みんなが言うとおかしくなるから、極力タッチしないけれど」と前置きしつつ、「とってもいいプログラムで、それをきちんと表現できるように彼女が成長できていることは間違いない。ガンガン盛り上げてほしい」。

 「マダムバタフライ」の初披露は10月3日のジャパンオープン(さいたまスーパーアリーナ)になる。



日経さん、良記事が続いています。

ホッとします。

落とし記事に慣れすぎて、最後の1行まで読まなければ意図が測りかねることも多かったので。


さて、夕べ、友人から写メが送られてきた。

スケオタでもなんでもない、普通の人だ。
それがなんと男子版まで手作り。
「まお」は勿論、「知子」の文字に、嬉しくて泣いてしまったのは内緒。



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「行く」というだけで精一杯な私と違って、
友人は防寒具をはじめとする至極もっともな準備を万端にしてくれていたのだった。


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