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2015
03.28

男前女子FS

知子ちゃん、世界選手権銀メダルおめでとう!

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日本女子は3人とも本当に素晴らしかったわ。
フリーに来てアメリカ女子も底力を出して来たので、滑走順からいっても難しい戦いをよく最後まで頑張りました。


宮原 フリーでも自己最高点で銀!日本女子10大会連続表彰台
スポニチアネックス 3月28日(土)15時27分配信

 フィギュアスケートの世界選手権第4日は28日、上海で行われ、初出場でショートプログラム(SP)で3位と好発進した宮原知子(17=関大高)が、フリーでも自己最高得点の126・58をマーク、合計でも自己最高得点の193・60点を挙げ2位となり、日本勢10大会連続の表彰台をマークした。

 宮原は3回転ルッツで回転不足を取れらたものの、冒頭の3―2―2回転やダブルアクセル(2回転半)―3回転トーループなど正確に決めた。

 SP1位のエリザベータ・トゥクタミシェワ(18=ロシア)が、細かいミスはあったもののフリーでもトップの132・74点をマーク、合計210・36点で初優勝。SP2位のエレーナ・ラジオノワ(16=ロシア)がフリー121・96点、合計191.47点で3位に入った。

 SP5位の本郷理華(18=愛知みずほ大瑞穂高)はフリーで自己最高の122.41点、合計でも自己最高点を更新する184・58点をマークし6位。SP4位の村上佳菜子 (20=中京大)はジャンプのミスもあり、フリーでシーズンベストの114・18点を出したが、合計179・66点で7位となった。

 この結果、日本女子は来年の世界選手権の出場枠「3」を守った。

 ▼宮原知子の話 表彰台に乗るのも難しいと思っていたので、びっくりしているし、うれしい。シニアに上がって、少ししかたっていない。これからが本当のスタート。長い道のりだが、もっと頑張りたい。

 ▼本郷理華の話 初めての世界選手権で大きなミスなくできて、少し達成感がある。充実したシーズンだった。目標の180点を超えて良かったが、もっと上を目指さないといけない。



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<世界フィギュア>宮原「真央ちゃんの後と思って」動じず銀
毎日新聞 3月28日(土)19時29分配信

 ◇女子フリー(28日・上海)

 「3位になれるかも」。自己ベストの得点が示されると、宮原知子(大阪・関大高)は思った。後に4人が滑ったがトゥクタミシェワにしか抜かれず、結果は銀メダル。「2位になれるとは思わなかった。うれしかった」と静かに喜んだ。

 中盤の3回転ルッツで着氷が乱れて片手をついた。しかし、後半にダブルアクセル(2回転半)-3回転トーループの連続ジャンプに2回挑み、どちらも決めて挽回した。理想は演技冒頭にルッツ-トーループの連続3回転を入れることだが、無理して理想を追わず「基礎点も高いし、確実に得点できる」と考えた構成で、持ち味の安定感を発揮。先月の4大陸選手権前に痛めた右足の甲と、すねの不安も振り払った。

 フリーの滑走順は、地元中国の李子君の直後。出番が来た時はリンクを埋めるように大量のぬいぐるみが投げ込まれ、場内は大歓声が響いた。それでも宮原は、わずかに緊張しただけで落ち着いていた。滑走順が決まった時、浜田コーチから「真央ちゃんの後と思って」と助言を受けていたのだ。一昨季の全日本選手権で日本のエースの直後に滑った記憶を思い出し、動じることなく演じきった。

 4歳の時、家族で住んでいた米国・ヒューストンでスケートを始めた。最初の発表会では、母親に付き添われて泣きながらリンクの中央まで行ったが、恥ずかしさのあまり一緒に戻ってしまい、結局出場できなかった。そんな少女が26日に17歳になり、世界の表彰台に立った。メダルを贈られた姿は、以前より堂々としているように見えた。
【福田智沙】




ポゴは、試合前から腰を痛めていたらしいけれど、ショートの転倒でどこかまた痛めていたのだろう。
それでも彼女の火の鳥は、初めて心に残るものだった。
私はロシア女子はみな好きなのだけれど、リプのツンとした顔はチャーミングに思えるのに、ポゴが思うような演技ができなかったあとの客席への挨拶の仕方が好きになれなかった。
演技も大味、同じ十代でも精神的に何か足りないものを彼女に感じていた。
けれど昨日、今日のポゴはこれまでとは違っていた。
情熱があった。
転んでも痛そうでも、諦めずに滑りきった後、声援に心通わせる笑顔で観客に応えた。
彼女は精神的に、とても成長したのだと思う。

ラジ子の演技もそうだった。高熱を出した後の身体は普通でも力が入らない。
気迫はあっても、足にきていた。
それでも最後まで笑顔で滑りきったあの精神力はどこからくるのだろう。
ロシア女子の底力は、こんなところにあるのかもしれない。

マダムも点数はぶっちぎりだったけれど、スタミナはギリギリだったのじゃないかしら。
演技全体としては少し荒さがあったのではと思う。
それでもジャンプのキレは今日も素晴らしかったわ。

一番落ち着いていたのはやはり知子ちゃんだった。
スタミナがあると言われるだけあって、終始コントロールの効いた滑り。
秘めた情熱がいじらしいほどで、点数が出た時はお茶の間で拍手していた。

負けん気、というものは人に向けるものではないと思う。
いまだにフフングと呼ばれる、他をあざ笑うかのような表情をするものを、負けん気が強いとは私は思わない。
自分が最も辛い時、自分に負けそうになるときこそ立ち上がる。
辛い時こそ応援してくれる人たちに笑顔を向けることのできる人。
負けん気が強いとは、そういうことではないかしら。

そういう意味で、私は勝気な女子が大好きなのだ。

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2015
03.28

3A一般化運動

マダムの男前なご意見はごもっともだわ。


フィギュア:女子の「大技の新時代」の幕開け予感
毎日新聞 2015年03月27日 14時38分(最終更新 03月27日 15時05分)


 【上海(中国)福田智沙】
26日夜に行われたフィギュアスケートの世界選手権の女子ショートプログラム(SP)で18歳のエリザベータ・トゥクタミシェワ(ロシア)がトリプルアクセル(3回転半ジャンプ)を成功させた。女子の国際競技会では6人目の快挙。2018年平昌五輪に向け、女子も大技に挑む新時代の幕開けを告げたかもしれない。

 トゥクタミシェワがトリプルアクセルの練習を始めたのは1月。半分は着氷し、半分はミスしていた大技への挑戦はリスクがあると分かっていたが、プログラムに組み入れた理由をこう語る。

 「フィギュアスケートは進化する必要がある」

 これまで国際競技会でトリプルアクセルを成功させたのは伊藤みどりさん、トーニャ・ハーディング(米国)、中野友加里さん、リュドミラ・ネリディナ(ロシア)、浅田真央。男子はすでに高難度の4回転ジャンプの精度を競うハイレベルな戦いを繰り広げており、トゥクタミシェワは「女子も男子と同じくらいのリスクを冒す必要がある。難しい要素もこなさなくてはならないし、停滞させることもできない」と言う。

 日本勢でも今季世界ジュニア選手権3位の樋口新葉(わかば)=東京・日本橋女学館中=がトリプルアクセルに取り組み、「すごく調子のいい時であと4分の1(回転)必要。来季の後半には(プログラムに)入れられるようにしたい」と意欲的だ。女子は連続3回転ジャンプが当たり前になりつつあり、樋口を指導する岡島功治コーチも「平昌(五輪)では女子でも3回転半は当たり前。4回転を跳ぶ選手もいる」と予想。高難度の技に挑戦することは新たな時代の流れとなっている。



ずっと3Aを跳び続けてきた浅田の恩師、マスターノブオではなく、まだ3Aを試合に組み込んだこともない選手のコーチがなに言ってんのかしら、とは、だーれも思いませんことよ、ね?
ネットの煽りですから、真に受けちゃいけませんわ。

みどり様と浅田が、数回、公式戦で跳んだ選手と一緒にされてる記事ですが。
あらあら、「女子も大技に挑む新時代」って、昨シーズンまでの浅田の挑戦はなかったことにする気でしょうか?

3回転半。トリプルアクセル。
女子では現在最も難しいと言われるこのジャンプを何年も跳び続け、1回目のOPではコンビネーションまでつけて計3回成功させ、2回目のOPでは全種類のトリプルジャンプと共に3Aを成功させた。

それでもこんな記事には今までお目にかかったことはないわ。
書かれてるのに、見逃してたのかしら?
浅田のあれがダメこれがダメとけなしまくるポエムは沢山読んできましたけど。

浅田が成したことがどれ程大変なことだったのか、今も記事にするものはいない。
彼女の演技がどれほど美しく高難度であろうと「子供っぽいから勝てない」ってスケ連の理事様まで新聞に寄稿してたくらいでしたものね。
どの試合の解説も重箱の隅をつつくので忙しそうでしたし。

ジャンプ矯正中の1,2年を除いて浅田が選手として出場した、ほとんどすべての公式戦でこのジャンプを跳び続けた。
これから先、美しい3Aを跳ぶ選手がどれ程出てこようと、これだけ長期間跳び続ける選手が果たして出てくるのかは、わからない。ましてや全てを兼ね備えた滑りと共に。

体型変化も、年齢も、ジャンプの矯正すらも乗り越えて手放さなかったジャンプ。

同じように跳んでも、試合によって、テクニカルによって認められたりバッサリ切り捨てられてきたジャンプ。

それをロシアの選手がワールドで1回跳んだから、そこで初めて「女子の新時代」?

「表現力という顔芸」は、「技術」より大事だったんじゃなかったのかしら?

3A1本入れるより3-3を「お手本」のように跳んでクネクネしてた方が「お得」だった摩訶不思議な時代がようやく終わったってだけの話じゃないの。

「女子の新時代」
それは難しいことに挑戦しない選手に高い得点を出すための枷が外れた時代。
高難度に挑戦したものに、まともな評価が下される時代。
そうであってほしい。

そう願わずにはいられない。

こういった記事の裏側に、3Aを誰もが挑戦するジャンプとして刷り込み、浅田の偉業を「女子では当たり前」にすり替えようとする意図を読んでしまうのは、きっと花粉症で目が霞んでいるせいね。
あ、老眼も進んでるしね。


動画を紹介されているブログ様がありましたので、youtubeからこちらにもお借りしてきました。
ありがとうございます!


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2015
03.27

アンタッチャブル

世界選手権、バタバタと忙しく、今録画で見たわ。

マダムトゥクタミ、3A、飛んだわね。
興奮して鼻血が出そうでしたわ。
すごいボレロでございました。

ラジ子もだけれど、あのポゴでさえ、ロシア勢は情熱的な滑りが目立った。
国内が熾烈なだけに、メンタルが超合金でマジンガーでなければやっていけないのね。

インタビューにもそれがよく表れてたわ。
内心はどうでも、強気な発言はしておかなくては、女子の国は生き抜けない。

蛆放送は塩抜き、ジャニ抜き、煩わしさは減っても相変わらず。

すっかり本郷さん要員になった明子先輩。
ルンバくらい役に立つロボットでいてくれりゃいいのに、好き嫌いが隠せない副会長。

天野投入で、トゥクタミちゃんの3Aをどうするつもりかと思ったら、スコアはまだ見ていないけど、
あの点数なら加点までついてるんでしょうよ、認めたのね。
良かったわ。
マダム、おめでとう!

佳菜子さんの復調といい、本郷さんのまさかのポーリーナ越えといい、
日本勢、なんと3人とも最終グループに。

精密なオルゴールのように繊細で軽やかに舞うくせに、
私を泣かせる知子ちゃん。
今日は特に良かったわ。
低いけどね、5コンポーネンツ。

本郷さんの時と比べて、解説席は静かでしたけれど、そんなこと、当たり前ですわね。
狭い世界、身びいき、とか、コーチとか派閥、とかなんとか、色々あるんでしょうね。


ああ、隣でヤマト先生が飲み物を渡してくれるだなんて、羨ましすぎる。

・・・。

楽しく、嬉しい世選の女子SP。

トゥクタミちゃんの6分間練習で3Aの話題になった時も、マダムが堂々とそれを成功させた時も、
蛆ではまるでこれまで誰も飛ばなかったすごいジャンプのようなおっしゃり様でしたわね。

伊藤みどりと浅田真央のこれまでを、消し去るかのように。
当然解説席のお二人も、一言も触れなかったと思うわ。
浅田の名は、アンタッチャブル。
彼女がこれまでそのジャンプを飛び続けた偉業にも、決して触れてはならない。

回転不足かどうかなんて、まるっきり関係ないかのような口ぶり。
飛んで降りれば認められるとでも決まってるんでしょうか。

去年までとはずいぶん違うのね。

副会長は何度も「3Aより、後半に3-3を持ってくる高難度構成」を繰り返す。

マダムトゥクタミが3Aを飛ぶ事で女子フィギュアのレベルが上がったんだって言ったわね。
そう、中村アナは言ったのよ。

「これが新世紀の、世界のレベルです!3Aを成功させて、女子フィギュアの世界を、更に進化させました!」

ま、蛆だし、日本のテレビ局ではないそうだから、当然ですわね。

誰よりも高難度な構成を組み、
只々美しく、
何年もの間3Aを飛び続けた。
女子のレベルを頭一つ越え続けた選手が自国にいるのに一言も触れない。

日本で流されるテレビの向こうは、これからも日本ではないらしい。







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2015
03.19

卒業おめでとう

Category: 浅田真央
袴姿がとても似合って、すがすがしい。

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浅田真央:「新たなスタート」…卒業式後の会見・一問一答
毎日新聞 2015年03月19日 18時21分(最終更新 03月19日 18時59分)

 浅田真央選手が中京大卒業式後に行った記者会見の内容は次の通り。

 浅田 本日無事に卒業することができました。多くの皆さんに感謝しています。ありがとうございました。

 −−今の気持ちは。

 浅田 卒業式に出て、学生生活が終わったんだなと思っています。

 −−大学生活の間に五輪があり、競技生活でも大きな節目がありましたが、どのように振り返りますか。

 浅田 私が小さい頃から目標にしていたオリンピックという舞台を、バンクーバーオリンピックとソチオリンピックと2大会経験できたのも、この中京大学のリンクがあったからだと思っています。とても感謝しています。

 −−学生生活を通して、選手としても人間としても大きくなったと思いますが。

 浅田 多くのことを経験したので、それを乗り越えてきたのが自分の今後にも生きてくるのではないかなと思っています。

 −−大学を卒業し、今後はどういう形になりますか。

 浅田 今日、卒業を迎えることができて、また、新たなスタートを切るのではないかなと思っています。

 −−今何か考えていることがあったら教えてください。

 浅田 昨年、休養宣言してからこの1年、大学を卒業するのを目標に頑張ってきましたので、それが今日、ようやく卒業という形で迎えられて、今ホッとしている気持ちと、同時にまた新たな一日が始まるんだなと思います。

 −−スケート以外で思い出に残っているのは。

 浅田 友達とスケートとは違ったことを話したりだとか、ごはんを食べて普通の話ができる友達もできましたので、そういう友達を今後も大切にしていきたいと思っています。

 −−学生生活最後の1年間はどんな感じでしたか。

 浅田 今まではスケートが生活の中心で、朝から晩までスケートに費やしてきたんですけれど、この1年というのは、今までとはちょっと違った生活ではありましたが、これも良い経験です。

 −−その経験を今後の人生にどう生かしますか。

 浅田 今後どうなるか分かりませんけれど、先生方にご指導を受けたりすることは、そうないと思うので、今後もそういうことを忘れずに生活していけたらいいなと思います。

 −−中京大リンクは、浅田選手や安藤美姫選手が練習できるようにと新しくできたリンクです。今後の練習はどうしますか。

浅田 バンクーバーオリンピックとソチオリンピックと、本当に毎日、この中京大リンクで練習させてもらえて、私はこのリンクがあったからこそだと思っています。これからもこのスケートリンクを拠点として練習していこうかなと思っています。





真央ちゃん、卒業おめでとう!

かくいう私も、今日は卒業式に行ってきた。

最近の卒業式はよーく考えてあり、昔とはずいぶん違ってみんなよく訓練されている。

高校だとサプライズでコンサート会場化したりもする学校もあるようだが、
そういうのに、何か意味があるんだろうか。

ま、学生が喜べばそれでいいんだろうけど、なんだかよくわからない。


卒業証書の授与が延々と続き、やっと終わったら式辞・祝辞が続く。

そこに挟んで歌だ。

送辞・答辞も学校行事全部言わんでええがな。

そしてまた歌う。

国家、校歌を含めて、いったい何曲歌っただろう。
延々と続く卒業生と在校生の「歌合戦」に、正直辟易していた。

いい歌なんだけど、いいんだけど、まだ?まだ歌うの?
心中叫ぶので忙しく、写真も撮り忘れた。

卒業式の帰り、親と一緒に帰りもしないわが子をしり目に、どっと疲れて弁当屋に駆け込んだ母でしたとさ。



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2015
03.14

10日間

Category: 浅田真央
NHK総合 浅田真央 被災地への旅
3/14(土)20:00~20:45



被災地を訪ねるために10日間という日程で、東北を巡った真央ちゃん。

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真摯に多くの被災地の方の声を聞き

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再開されたスケートリンクで子供たちにスケートを教える。

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真央ちゃんのスケート靴
紐を編み上げるスピードが倍速のように早い。

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氷の上で、本当に楽しそう。

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マイク片手に超絶美ポジ。

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プリプリの牡蠣にこの顔!

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子供たちの前に立つ時の笑顔。

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震災が落としたもう一つの影。
スケート関係のスポーツを、
続けることが困難な子供も多い。
残念そうな顔の真央ちゃん。

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中学生のスピードスケートの練習を一緒に。
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スピスケ真央ちゃん。

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珍しい光景?

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中学生の悩みに真剣に向き合う。
自らのアスリートとしての現在と重なる。

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奇跡の一本松を見ながら、自らを語る。

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私はよく、海にほど近い山頂のグラウンドに行くと、閉ざされたアイスリンクで練習を重ねているであろう真央ちゃんを思っていた。

海と芝生の青と緑。
眩しいグラウンドで青空の下にいながら、今頃真央ちゃんは何を思い、白いリンクで練習しているのかと、思ったものだった。

その真央ちゃんが今こうして、海を見ながら立っている。

少しでも多くの人のためにスケートを滑っていきたい、と語っている。


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2015
03.11

「わかりません」と言えるプロフェッショナル


職種は違うがある意味同業と呼べる方の講演を拝聴した。

瑞々しい感性の持ち主による講演は湧き水のように新鮮だが、
潤うには鋭く、春の山菜の苦味とえぐ味にも似た若さを感じた。

その道のプロとして、自分の苦手分野にどう対処するのかと聞かれた彼は答えた。

「わかりませんと言います。」

自分は専門家かもしれないが、その中でも得意分野で勝負しているという。
苦手なものはそれが得意な人に任せればよい、という。

なるほど、そういう考えもあるんだな。

私の好きな言葉は「餅は餅屋」だが、餅屋にも得意分野がある、ということだ。

私は仕事に関してはある程度オールマイティーであることがお給料を頂く最低限の礼儀だと思っていた。
得意分野はプラスアルファであって、得手不得手は自分の問題。
仕事で人に見せる部分ではない。
そう思ってきた。

「わかりません」と言った後に何ができるか。

肝心なのはそこだろう。

彼はその仕事をする人間としては遅咲きであったという。
生粋の、とはいえない、非常に努力した人だ。
苦労も沢山あっただろう。
でも好きなことを仕事にできた彼はきっと幸せだ。

好きな仕事を好きな部分に特化してやっている、それがまた幸せだ。

私は彼が苦労したであろう部分での苦労はしたことがないのだと思う。
それだけに感動もなく、できることが当たり前のように思っている。
好きだという自覚すらなかった。

私にさえ、与えられたギフトはあったのだ。
仕事だからとて全てに触手を伸ばす必要はないのかもしれない。

同じ仕事をしていても、あの人にしかできないもの、この人だから完璧に見えるものがある。

「わかりません」があってもいいのかもしれない。

私にしかできないこともあるのなら、それが売り、でもいいではないか。

私にわからなくても、あの人に聞けばわかるということを知ってさえいれば。

何が得意な餅屋になろうか。

やっぱり、理想は大粒あずきの大福、だろうか。





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2015
03.08

トントン スー

Category: 浅田真央
http://www.nhk.or.jp/fukushima/note/


NHK総合   特集 明日へ -支えあおうー 震災から4年 つなげよう
3月8日(日)午前10:05~10:54、午後1:05~4:00

キーステーション:南相馬市小高区


被災地の声や復興への取り組みを紹介する「明日へ-支えあおう-」。今も避難生活が続く子どもたちの通う、福島県南相馬市の仮設小学校をキーステーションに、生放送でお伝えする。テーマは「つなげよう」。震災前のふるさとの記憶を未来の世代につなぐ。被災地と全国の人たちをつなぐ。フィギュアスケート浅田真央選手の被災した子どもたちを対象としたスケート教室の模様も中継。震災から4年、未来に向けて、つないでいくきっかけとなる番組を目指す。

【キャスター】畠山智之アナウンサー、伊東敏恵アナウンサー
【ゲスト】西田敏行、南果歩、玄侑宗久(作家・福聚寺住職)、高橋みなみ、サンドウィッチマン
【中継ゲスト】浅田真央(フィギュアスケート選手)
【経済解説】田久保善彦(グロービス経営大学院・経営研究科研究科長)
【VTRリポーター】ハリー杉山

★「スケートで伝える被災地への思い」 浅田真央・被災地でのスケート教室
フィギュアスケートの浅田真央選手が仙台市で行う被災地の子どもたちへのスケート教室の模様を生中継する。発災時、被災地の子供たちを励ましたいと願いながらも、大きな大会を控え実現できなかった浅田選手。4年間ずっと気がかりだったという被災地の子どもたちとふれあい、スケートを教えることで元気づけようと考えている。このスケート教室の模様と浅田選手の思いをたっぷりとお伝えする。また、浅田選手が被災地を巡った模様は、3月14日(土)に特集番組「浅田真央 被災地への旅」としても放送する。



石巻市で真央先生のスケート教室

浅田真央が子供たちに氷の上を歩くから滑るまでを教える姿。
スケート靴を滑らせる感覚を掴ませるために、浅田真央が言う。


『トントン スー って』


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うまくできなかった男の子にも丁寧に。
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『できた?そうそう その感じ これ結構大事』

スケートでは男前だったが、この人はやはり滑ることがこんなにも好きだったのだと見ていて思う。

翌日、小学校を訪れた浅田に、スケート教室ではなかなか滑れなかった男の子が手紙を書いてきてくれる。
『うまくなったねって言ってくれて 僕はうれしかったです』

被災地を訪れ、仮設住宅の方々のお話を伺う。
家族を亡くした方々の話を淡々と聞いている様子だが、
浅田も、『そばにいた人を失う悲しみ』を知っている。

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がれきの残る地を歩き
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小学校へと向かう。
『みんな勉強してるかな(^^♪』と楽しそう。
まずは子供たちの太鼓に迎えられ、
教室へ。
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子供たちから質問。
『なぜ石巻に来ようと思ったのですか?』と聞かれ

『去年から、スケートの選手としてやるかやらないかをすごく悩んでいる時に
今しか、来ることができないかな、今の時期に
いちばん、自分の気持ちも来られるかなと思って』

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笑顔のやさしさ。

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真央先生、子供たちにお話をします。

『私は5才からフィギュアスケートを始めたんです。だから幼稚園からずっとスケートをやってます。
小学校1年生から6年生まで、小学校が終わってからはすぐにアイスリンクに行って、
ずっとスケートをしていました。
小学校の頃はスケートがいちばん好きなものであり、夢中になれるものであり、お友達みたいな感じでした。

一つのことを長くやり続けることはすごく大変なことかもしれないんですけど、
必ず、将来、ああ、やってて良かったなと、思える時が来ると思うので
みんなも何かひとつ、夢中になれるものや、
頑張れるものを見つけて、頑張ってほしいなと思います』



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そして仙台からライブ中継。

笑顔が輝いている。
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スケートの話になると笑顔にまた光が増す。

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子供たちの前でも、インタビューの受け答えでも彼女の言葉はいつもシンプルだ。
聞かれたことにスッと素直に答える。

スケーターである自分、世界で戦ってきた自分を誇示することもなにもなく、
ごく普通に、カメラの前の自分、人前で語る自分に酔うこともなく、
素のままで、水のように透明で喉になにもひっかかるところがない。


番組の詳細、動画は詳しいブログ様が取り上げて下さることを待とう。

午前の浅田真央の出演を受け、スタジオゲストに招かれていた
玄侑宗久さん(作家・福聚寺住職)が感想を話された。
印象的だったので書き起こしておく。

『前からファンだったんですけど、理由が今、わかりましたね。
観音様とか、弥勒菩薩にそっくりなんですよ。

それと、2011年というのは、彼女にとっても大震災だったわけですよね。(スケートの矯正、お母様を亡くしたこと)
こうやってわざわざ(被災地に)来てくださらなくとも、去年のソチオリンピックで、あそこで復興を遂げた(浅田のフリーの)姿を見せてくれてて、それにどれだけ皆さん励まされたかっていう風に思いますね。』


浅田のソチのフリーこそ、彼女自身の復興だったとこの方は言ったのである。



午後の部を見たら、気力があれば、また感想を書きましょう。
何しろ年度末で、休み返上で片付けなければならない仕事がてんこ盛り。

こんな時も、この笑顔に、救われる思いがする。
で、書かずにはいられなくなる。
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追記

まったくどうでもいいことなんですが、個人的な感想。

浅田真央の言葉を書き起こすと思うのは、
この人の話す言葉は万人に通じやすいのではないかということ。
英語のインタビューを読んでも、日本語で言ってることと変わらないなあ、とは思っていたのだが、内容がどうとかいうことではなく、翻訳した時にも何ら変わらず意味の伝わる日本語を話しているのではないか。

これはすごいと思う。
翻訳者泣かせなインタビューはいくらでもあるだろうが、
こんなに他言語にしやすい日本語で語る人は珍しいと思う。


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2015
03.03

追いつかない

Category: 浅田真央
真央ちゃんが凄い勢いで活動の幅を広げています。

おおお、追いつかないのでコピペばっかり。

一番好きなこのDJの写真、笑顔が柔らかい。
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真央 初の冠番組で近況報告「料理教室へおいしいものを食べに行く」
スポニチアネックス 3月2日(月)21時50分配信

 フィギュアスケート女子で今季休養中の浅田真央(24)が初のラジオパーソナリティーを担当する新番組「住友生命 presents 浅田真央のにっぽんスマイル」が2日に放送され、休養中の現在の生活などについて報告した。

 「緊張しています」と滑り出すと、まずは近況報告。中京大学4年生として「大学に通うことをメーン」(浅田)とし、時間が空いている時にジャズダンスや料理教室に通っていることを明らかにした。

 大学に通い始めた直後は「(周囲が)私に注目して、見られているんじゃないかと思い、疲れてしまった」と振り返ったが、今では普通に大学生活を送っていること。また、料理教室では「習いにいくというより、おいしいものを食べに行くという感覚」と話すなど、普通の女性の一面をのぞかせた。

 また、歌手・浜崎あゆみ(36)のコンサートに毎年欠かさず足を運んでいるといい「パワーをもらっている。いつも叫びまくって、また頑張ろうと思えることを楽しみにしている」と、歌姫の舞台が浅田の原動力になっていることも披露した。


真央が気仙沼訪問 被災地に元気届ける
niccannsports.com [2015年2月22日21時19分]
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 フィギュアスケートの世界女王で今季は休養中の浅田真央(24=中京大)が22日、宮城県気仙沼市を訪問した。

 同世代の若者と一緒に社会貢献で日本を応援する「YOUNG JAPAN ACTION 浅田真央×住友生命」の一環で、プロジェクトリーダーとして大賞を受賞した「気仙沼ゲストハウス“架け橋”」の活動に参加し、副賞の100万円の活動支援金を贈呈した。

 空き家を改修して学生向きのゲストハウスにし、長期ボランティア用の宿泊拠点を作るプロジェクトで、浅田は東日本大震災による被災地の状況、体験談などを聞き、気仙沼市内の状況も確認。「私と同世代のみなさんが、こうして自ら被災地にきて、いろいろな方々の手助けをしていることを目の当たりにして、私自身も頑張らないといけないなと思いましたし、YOUNG JAPAN ACTIONとして、私たち若い世代が、日本を元気にしていけるような活動が広がっていってほしいなと思います」とコメントを寄せた。


浅田真央、畑で輝く笑顔「みんなが1つになれた」
日刊スポーツ 3月2日(月)23時54分配信

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フィギュアスケートの世界女王で今季は休養中の浅田真央(24=中京大)が2日、佐賀県佐賀市を訪問し、同世代の若者とともに農作業などを行った。

 社会貢献で日本を応援する「YOUNG JAPAN ACTION 浅田真央×住友生命」の一環で、プロジェクトリーダーとして大賞を受賞した「ForS.」の活動に参加し、副賞の100万円の活動支援金を贈呈。

 高齢化や後継者不足により年々増加している耕作放棄地を借りて開墾し、無農薬の米や野菜、いもなどを育てている佐賀大農学部の学生を中心にした農業サークルで、浅田も一緒に畑を耕した。

 活動内容にも熱心に耳を傾け、「地域のお年寄りの方々に教えていただきながら、みんなで料理を作ったり、一緒にご飯を食べたり、畑で農作業をやったりして、私にとってもいい思い出となる活動ができました。特に、一緒に畑に種芋を植えたときは、皆が1つになれたと感じました。また、私たちが活動したことで、地域の皆さんがとても喜んでくださり、みんなが笑顔になれたことが、すごくうれしかったです」とコメントを寄せた。



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今、一日一日を大事に生きていれば、真央ちゃんの道はおのずと定まっていくはず。

連盟様は頑張っている選手達をしっかり育ててりゃいいのよ。

つい1年前まであんな男前な厳しい顔で戦いに挑んでいたのが嘘のよう。
こんな笑顔の真央ちゃんが見られるのが、嬉しくもあり。
試合でのきりっとした表情が見られないことに、うっかり涙が出たり。



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2015
03.02

スケート教室

Category: 浅田真央
http://www.news-gate.jp/article/55934/

浅田真央「目標もしっかり持ってやっていく」
ザテレビジョン 2015年3月2日 4時28分 配信

フィギュアスケートの浅田真央選手とタレントの浅田舞が、愛知・日本ガイシアリーナ・アイスリンクで開催された「LOTTE フィギュアスケート教室」に特別コーチとして登場。100人の小学生を前に華麗な滑りを披露した。

初めてのスケートで緊張気味の子供たちも多く、二人のコーチは優しく話し掛け、ストレッチから丁寧に指導。前進歩行を教えるパートでは、なかなかうまくできない子供の手を取ってあげたり、肩を支えてあげたりと終始笑顔で教室は行われた。

スケート教室終了後、真央選手は「初めて滑る子も多かったんですけど、みんな成長するのが早くて、いろんな技を教えるのが楽しかったです。本当に楽しい気持ちを忘れないでこれから何事も挑戦していってほしいなって思いました」とメッセージを寄せた。

今後の目標については「方向性がちゃんとしっかりしたら、目標もしっかり持ってやっていくと思いますが、今はどの方向に行くかをしっかり考えていきたいなと思っています」と述べた。

一方舞は「子供たちがすごくキラキラして、楽しそうにスケートしている姿が本当に私たち自身すごくうれしくて楽しい時間でした」と振り返り、「あまりにも子供たちが元気過ぎて汗だくになっちゃったので、先生としてはもうちょっと体力をつけないといけないなと思いました(笑)」と照れ笑いを浮かべた。



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子供たちがたくさん!

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準備運動?

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イキイキしてる真央せんせい!

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かわいい~~~

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がんばれ真央せんせい!

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かっこいいし

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舞さん、うつくしいし

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「また参加してくださいね」って言ってたらしい。
そういわれちゃったら、私だって小学生になりたい。


ところで浅田姉妹のお母様の話で、こんな記事も上がってましたね。

フィギュア村上大介の葛藤、アメリカから日本へ
東京ウォーカー(全国版) 2015年2月27日 15時06分 配信

村上大介の名前を知ったのは、2006年3月のスロベニアでの世界ジュニア選手権。アメリカ代表のメンバーの中に日本人らしき名前を発見したのが最初だった。

浅田真央と小塚崇彦を目当てに集まった日本の報道陣の間でも、村上の存在は話題になった。ウエストサイドストーリーを表現力豊かに演じた演技が目に留まったのだ。

当時、ラファエル・アルトゥニアンに村上は師事していた。そこへ日本から一人のスケーターがチームに加わる。浅田真央だ。この出会いが人生を変えることになった。浅田真央の母、故・匡子さんから日本の代表として戦うことを勧められたのだ。

村上大介は神奈川県で生まれ、幼少期はそのまま日本で育った。そして9歳の時にアメリカへ渡り、スケートを始めた。たちまち頭角を現し、アメリカ代表として世界ジュニアに派遣されるほどの成長を遂げる。

この時点では「どちらの国の代表を目指すのかは真剣に考えていなかった」。だが、思春期を迎えた頃、自らのアイデンティティについて悩みを抱えるようになったそうだ。

村上の心情を知った浅田匡子さんは、熱心に説得したという。それは決して、アメリカでの競争が厳しいから、などといったネガティブな理由ではなかった。

「あなたは日本で生まれた日本人なのだから、日本人として戦うべきだ」。浅田匡子さんは、日本の代表として戦うことを強く勧めた。
この言葉が村上の心を大きく動かし、2007年に日本へと拠点を移したわけだが、その後の道のりは決して順調とは言い難かった。


中略


最後に、「日本を選んだことに後悔はないのか」という質問に、村上は曇りのない視線で真っ直ぐに答えた。

「日本の代表として戦えることが本当に幸せなんです。確かに芽の出ない時期は長かったけれど、後悔したことはありません。日の丸を背負って国際大会で戦うことはとても大きな意味があります。今季の活躍でようやくスタートラインに立てました。これから日本のために貢献していきたいんです」。

自らのアイデンティティを確立し、村上大介はようやくスタートラインに立ったのだ。日本の代表として戦うことを勧めた、浅田匡子さんも天国できっと喜んでいるはずだ。
【中村康一】

 



苦労はしてきたと思うけれど、日本代表として厳しい道を選んだことを悔いていないと知って、
なんだかとても嬉しいわ。






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