2015
03.30

アスリート本

Category:
時々、フィギュアスケーターではないアスリートの本を読むこともある。
今回読んだのはラグビー選手の本である。

http://otomo-rug.jugem.jp/?eid=1354
こちらに本の詳細がある。


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不動の魂~桜の15番 ラグビーと歩む
五郎丸歩 著  大友信彦 編
実業之日本社

この本も、購入するとその売り上げの一部が東北にも寄付されるそうだ。


ワールドカップ日本開催を控え、ラグビー界では稀有なスター選手が語った(書いた?)ラグビー人生。
間に挟まれる客観的な大友氏の記述がなければ、語り口が淡々としているのでうっかり普通の選手かと勘違いしそうになる。

私がこの本に好感を持ったのは、五郎丸選手がほとんど自分自身について語っていないところだ。

自らのラグビー人生を、周りの家族やチームメイト、監督そして印象深い試合を通じて浮かび上がらせている。

多分そこを狙ってのことではない。
そういう人なのだろう。

私はいまだにラグビーのルールはざっとしかわからないし、知ろうとも思わないが、試合は見ている。

いつも見ているフィギュアスケートは画面を通じてだが、こちらは生観戦が主だ。

芝生を駆けるラグビーを見れば、その興奮と生々しさに、白いリンクを美しく滑るスケーターをどうしても見たくなる。
この二つは、私の中では両極にあるスポーツ。
ラグビーを見た後のメリチャリなんて、それはもう、脳内に何か分泌してるんじゃないかと思う。
うっとり加減が数十倍増し。

五郎丸選手の著書を読みながら、生い立ちには浅田真央を、ケガを押しても試合に出続ける不屈の魂には羽生結弦を重ねていた。
フィギュアスケーターである彼らを思いながら読むと、五郎丸選手の競技者としての気持ちが私なりに理解できる気がした。

競技は違っても、やはりスポーツ選手、それも一流のスポーツ選手には共通点があると思う。

兄や姉、または目標とする近親者を追いかけながら、負けたくない一心で練習を重ねる。
負けん気の強さ。
持って生まれた肉体と運。
名監督達との出会い。
ついでに頑固さ。

誇張も、媚も、自意識の過剰さも感じられない。

淡々と綴られたラグビー人生はまだ道半ば。
負けた試合、悔いのある試合、ビデオで見返すことさえできない試合について、より詳細が語られるのが特徴でもある。

兄たちの後を追いかけた小・中学生時代。
もう一度最初から基礎を叩きこまれた高校時代。
学生チームの主力であると同時に日本代表として招集される。
本当はすごいことのはずだが、淡々としたまま、話は世界へ。
海外遠征で得たものの大きさ。
プロである先輩方から学んだもの。
尊敬する選手のルーティンを真似、自分のルーティンを確立していく道のり。
大学では日本代表として大きく成長すると同時に、チームの勝利を最優先に、決断を下していく。
社会人になってからは家族もでき、プロとしての悩みも生じる。

若さゆえの失敗、容赦ないマスコミにも少しだが言及している。

ラグビー界を背負う人であることには間違いない。

ただ、この本にラグビーという競技そのものの過酷さや厳しさ、楽しさや魅力がつまっているかというと、実はそうでもない気はする。
五郎丸選手の言葉には、装飾も感傷もない。

ラグビー選手だから。
そう一言でくくることのできない普遍性があると思う。

心に残るのは、そのスポーツがなんであれ、その世界で心身ともに成長し成功するという過程。
多くの人が関わり、影響し、誰より本人があらゆることを飲み込んで吸収する。

現役アスリートに見えている風景は、ある意味狭い世界だ。
それが世界で戦うことによって広がる。

プロになって、より広がる。

ここで私の心はまた本を離れ、ハーフハーフな浅田のところへ戻っていた。

競技は違っても、同じように努力する天才である、もう一人のアスリートのところへ。


追記
ラグビーは団体競技では一番多い15人で戦う。
自分のトライのために、チームの誰もが身体を張ってくれていた、ここまでやっていてくれたというプレーを、後で画像で見るとやはり感激するそうだ。

ラグビーの大きな魅力だろう。

華やかに見えるキッカーの厳しさ、なすべきことについても言及している。

肉体的な厳しさとは裏腹な、スポーツの醍醐味がそこにある。

私が昨日、この本に感じていたのは、実はジェラシーかもしれない。
同じようにアスリートなのに。

必死で限界まで肉体を酷使することに変わりはないのに。

フィギュアスケーターは、氷上でたった一人で戦う、キッカーのようなものか。

五郎丸選手のこの本は、実際とても良かった。

あまりにかけ離れたスポーツと比べるから、いけないのだ。




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2015
03.29

センチメンタル男子FS

夕べの男子は、なんだか切なく、プロトコルももういいか、で寝てしまいました。

テンくん、私の中ではとにかくもう、素晴らしいプログラム。
PCS、もっと出せとこぶしを握ってしまった。

ミーシャ、なんだか応援したくなる。

ヴォロ演技、私は好きだった。

リッポンポン、ジュベみたいなこと言って、おばちゃんは泣くからね。
4Lzはともかく、滑りは別格に美しかった。

こづこづ・・・こづこづ・・。
来季があるのなら、ミヤケン先生振付でもう一度滑ってほしい。

そしてJB。
ユーロ動画のコメント欄がおもしろかったわ。
クワドを入れなければ上には行けないという人あり、それでも表彰台まであと一つだったという人あり、でも3位のテンくんとの点差を見ればそれはどうよという人ありで、クワド談義再びの様相。
私的にはトリスタンとイゾルデFSをしっかりものにした素晴らしい演技だったと思うけれど。
超絶つなぎの連続にクワドをそのまま持ってくることはSPもそうだけれどとても難しいと思うわ。
4大陸でのお試しを経て、今回に関してはこれで正解だったかも。
贔屓してしまうのかしらね、JBにだけは、「難しいことに挑戦しないやつ」とは思えないのよ。
クワドを入れることで演技全体が崩れるなら入れない選択をする。
それほど彼のプログラムは濃密で、ショーの要素が強いのかもしれない。

高橋大輔という男前は、それでもプログラムにクワドを入れなくてはという信念を持ってたわね。
あれだけのエンターテイメント性を持ったプログラムに、クワドを入れることを諦めなかった。


大輔さんといえば、「道」を滑ったナムくんですが。
彼的にはいい演技ができて点数も出て、嬉しそうで。
ウィルソン姐プロの「道」。
曲のぶちつなげといい、振付そのものといい・・・?
ジャンプは素晴らしかったけれど、やはりプログラムとしては音を無視したあの動きが、どうにも・・・。
ナムくんがどうのこうのというよりも、ウィルソン姐は、もう振付師としていかがなものかと、思ってしまったのでした。

ナンデス君の優勝も良かったけれど、ナンデス君の振付もどうよ?
(ロシア女子もですが、それはまた別の話で・・・)

あとは、よくわからないので書けません。

怪我や手術の後でも頑張りぬいた王者絶賛は、他の方にお任せよ。







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2015
03.28

男前女子FS

知子ちゃん、世界選手権銀メダルおめでとう!

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日本女子は3人とも本当に素晴らしかったわ。
フリーに来てアメリカ女子も底力を出して来たので、滑走順からいっても難しい戦いをよく最後まで頑張りました。


宮原 フリーでも自己最高点で銀!日本女子10大会連続表彰台
スポニチアネックス 3月28日(土)15時27分配信

 フィギュアスケートの世界選手権第4日は28日、上海で行われ、初出場でショートプログラム(SP)で3位と好発進した宮原知子(17=関大高)が、フリーでも自己最高得点の126・58をマーク、合計でも自己最高得点の193・60点を挙げ2位となり、日本勢10大会連続の表彰台をマークした。

 宮原は3回転ルッツで回転不足を取れらたものの、冒頭の3―2―2回転やダブルアクセル(2回転半)―3回転トーループなど正確に決めた。

 SP1位のエリザベータ・トゥクタミシェワ(18=ロシア)が、細かいミスはあったもののフリーでもトップの132・74点をマーク、合計210・36点で初優勝。SP2位のエレーナ・ラジオノワ(16=ロシア)がフリー121・96点、合計191.47点で3位に入った。

 SP5位の本郷理華(18=愛知みずほ大瑞穂高)はフリーで自己最高の122.41点、合計でも自己最高点を更新する184・58点をマークし6位。SP4位の村上佳菜子 (20=中京大)はジャンプのミスもあり、フリーでシーズンベストの114・18点を出したが、合計179・66点で7位となった。

 この結果、日本女子は来年の世界選手権の出場枠「3」を守った。

 ▼宮原知子の話 表彰台に乗るのも難しいと思っていたので、びっくりしているし、うれしい。シニアに上がって、少ししかたっていない。これからが本当のスタート。長い道のりだが、もっと頑張りたい。

 ▼本郷理華の話 初めての世界選手権で大きなミスなくできて、少し達成感がある。充実したシーズンだった。目標の180点を超えて良かったが、もっと上を目指さないといけない。



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<世界フィギュア>宮原「真央ちゃんの後と思って」動じず銀
毎日新聞 3月28日(土)19時29分配信

 ◇女子フリー(28日・上海)

 「3位になれるかも」。自己ベストの得点が示されると、宮原知子(大阪・関大高)は思った。後に4人が滑ったがトゥクタミシェワにしか抜かれず、結果は銀メダル。「2位になれるとは思わなかった。うれしかった」と静かに喜んだ。

 中盤の3回転ルッツで着氷が乱れて片手をついた。しかし、後半にダブルアクセル(2回転半)-3回転トーループの連続ジャンプに2回挑み、どちらも決めて挽回した。理想は演技冒頭にルッツ-トーループの連続3回転を入れることだが、無理して理想を追わず「基礎点も高いし、確実に得点できる」と考えた構成で、持ち味の安定感を発揮。先月の4大陸選手権前に痛めた右足の甲と、すねの不安も振り払った。

 フリーの滑走順は、地元中国の李子君の直後。出番が来た時はリンクを埋めるように大量のぬいぐるみが投げ込まれ、場内は大歓声が響いた。それでも宮原は、わずかに緊張しただけで落ち着いていた。滑走順が決まった時、浜田コーチから「真央ちゃんの後と思って」と助言を受けていたのだ。一昨季の全日本選手権で日本のエースの直後に滑った記憶を思い出し、動じることなく演じきった。

 4歳の時、家族で住んでいた米国・ヒューストンでスケートを始めた。最初の発表会では、母親に付き添われて泣きながらリンクの中央まで行ったが、恥ずかしさのあまり一緒に戻ってしまい、結局出場できなかった。そんな少女が26日に17歳になり、世界の表彰台に立った。メダルを贈られた姿は、以前より堂々としているように見えた。
【福田智沙】




ポゴは、試合前から腰を痛めていたらしいけれど、ショートの転倒でどこかまた痛めていたのだろう。
それでも彼女の火の鳥は、初めて心に残るものだった。
私はロシア女子はみな好きなのだけれど、リプのツンとした顔はチャーミングに思えるのに、ポゴが思うような演技ができなかったあとの客席への挨拶の仕方が好きになれなかった。
演技も大味、同じ十代でも精神的に何か足りないものを彼女に感じていた。
けれど昨日、今日のポゴはこれまでとは違っていた。
情熱があった。
転んでも痛そうでも、諦めずに滑りきった後、声援に心通わせる笑顔で観客に応えた。
彼女は精神的に、とても成長したのだと思う。

ラジ子の演技もそうだった。高熱を出した後の身体は普通でも力が入らない。
気迫はあっても、足にきていた。
それでも最後まで笑顔で滑りきったあの精神力はどこからくるのだろう。
ロシア女子の底力は、こんなところにあるのかもしれない。

マダムも点数はぶっちぎりだったけれど、スタミナはギリギリだったのじゃないかしら。
演技全体としては少し荒さがあったのではと思う。
それでもジャンプのキレは今日も素晴らしかったわ。

一番落ち着いていたのはやはり知子ちゃんだった。
スタミナがあると言われるだけあって、終始コントロールの効いた滑り。
秘めた情熱がいじらしいほどで、点数が出た時はお茶の間で拍手していた。

負けん気、というものは人に向けるものではないと思う。
いまだにフフングと呼ばれる、他をあざ笑うかのような表情をするものを、負けん気が強いとは私は思わない。
自分が最も辛い時、自分に負けそうになるときこそ立ち上がる。
辛い時こそ応援してくれる人たちに笑顔を向けることのできる人。
負けん気が強いとは、そういうことではないかしら。

そういう意味で、私は勝気な女子が大好きなのだ。

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2015
03.28

3A一般化運動

マダムの男前なご意見はごもっともだわ。


フィギュア:女子の「大技の新時代」の幕開け予感
毎日新聞 2015年03月27日 14時38分(最終更新 03月27日 15時05分)


 【上海(中国)福田智沙】
26日夜に行われたフィギュアスケートの世界選手権の女子ショートプログラム(SP)で18歳のエリザベータ・トゥクタミシェワ(ロシア)がトリプルアクセル(3回転半ジャンプ)を成功させた。女子の国際競技会では6人目の快挙。2018年平昌五輪に向け、女子も大技に挑む新時代の幕開けを告げたかもしれない。

 トゥクタミシェワがトリプルアクセルの練習を始めたのは1月。半分は着氷し、半分はミスしていた大技への挑戦はリスクがあると分かっていたが、プログラムに組み入れた理由をこう語る。

 「フィギュアスケートは進化する必要がある」

 これまで国際競技会でトリプルアクセルを成功させたのは伊藤みどりさん、トーニャ・ハーディング(米国)、中野友加里さん、リュドミラ・ネリディナ(ロシア)、浅田真央。男子はすでに高難度の4回転ジャンプの精度を競うハイレベルな戦いを繰り広げており、トゥクタミシェワは「女子も男子と同じくらいのリスクを冒す必要がある。難しい要素もこなさなくてはならないし、停滞させることもできない」と言う。

 日本勢でも今季世界ジュニア選手権3位の樋口新葉(わかば)=東京・日本橋女学館中=がトリプルアクセルに取り組み、「すごく調子のいい時であと4分の1(回転)必要。来季の後半には(プログラムに)入れられるようにしたい」と意欲的だ。女子は連続3回転ジャンプが当たり前になりつつあり、樋口を指導する岡島功治コーチも「平昌(五輪)では女子でも3回転半は当たり前。4回転を跳ぶ選手もいる」と予想。高難度の技に挑戦することは新たな時代の流れとなっている。



ずっと3Aを跳び続けてきた浅田の恩師、マスターノブオではなく、まだ3Aを試合に組み込んだこともない選手のコーチがなに言ってんのかしら、とは、だーれも思いませんことよ、ね?
ネットの煽りですから、真に受けちゃいけませんわ。

みどり様と浅田が、数回、公式戦で跳んだ選手と一緒にされてる記事ですが。
あらあら、「女子も大技に挑む新時代」って、昨シーズンまでの浅田の挑戦はなかったことにする気でしょうか?

3回転半。トリプルアクセル。
女子では現在最も難しいと言われるこのジャンプを何年も跳び続け、1回目のOPではコンビネーションまでつけて計3回成功させ、2回目のOPでは全種類のトリプルジャンプと共に3Aを成功させた。

それでもこんな記事には今までお目にかかったことはないわ。
書かれてるのに、見逃してたのかしら?
浅田のあれがダメこれがダメとけなしまくるポエムは沢山読んできましたけど。

浅田が成したことがどれ程大変なことだったのか、今も記事にするものはいない。
彼女の演技がどれほど美しく高難度であろうと「子供っぽいから勝てない」ってスケ連の理事様まで新聞に寄稿してたくらいでしたものね。
どの試合の解説も重箱の隅をつつくので忙しそうでしたし。

ジャンプ矯正中の1,2年を除いて浅田が選手として出場した、ほとんどすべての公式戦でこのジャンプを跳び続けた。
これから先、美しい3Aを跳ぶ選手がどれ程出てこようと、これだけ長期間跳び続ける選手が果たして出てくるのかは、わからない。ましてや全てを兼ね備えた滑りと共に。

体型変化も、年齢も、ジャンプの矯正すらも乗り越えて手放さなかったジャンプ。

同じように跳んでも、試合によって、テクニカルによって認められたりバッサリ切り捨てられてきたジャンプ。

それをロシアの選手がワールドで1回跳んだから、そこで初めて「女子の新時代」?

「表現力という顔芸」は、「技術」より大事だったんじゃなかったのかしら?

3A1本入れるより3-3を「お手本」のように跳んでクネクネしてた方が「お得」だった摩訶不思議な時代がようやく終わったってだけの話じゃないの。

「女子の新時代」
それは難しいことに挑戦しない選手に高い得点を出すための枷が外れた時代。
高難度に挑戦したものに、まともな評価が下される時代。
そうであってほしい。

そう願わずにはいられない。

こういった記事の裏側に、3Aを誰もが挑戦するジャンプとして刷り込み、浅田の偉業を「女子では当たり前」にすり替えようとする意図を読んでしまうのは、きっと花粉症で目が霞んでいるせいね。
あ、老眼も進んでるしね。


動画を紹介されているブログ様がありましたので、youtubeからこちらにもお借りしてきました。
ありがとうございます!


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2015
03.27

コリオグラファーは写真入りでね

上海ワールド。

エン・カン選手のSP、振付はローリー。
まあ、ずいぶん垢抜けたこと。
ヴァイオリン弾きを軽妙に演じた彼も素晴らしいけれど、やはりここはローリーの勝利と言っていいかもしれない。

ローリーといえば、テンくん。
音楽のトラブルがあったとはいえ、3位につけている。
身体もよく絞れて、ローリーの振付を彼の品のある動きで余すところなく表現。
今季も素晴らしい。
4回転の転倒が惜しかったわ。
蛆のおバカなインタビューにムッとしてたかもね。

小塚選手はミヤケン先生の作品。
今季小塚選手のSPは本当に素敵。
体調が思わしくなかったのか、調整不足だったのか、演技は残念だったけれど、数年前のカクカクとした上半身が嘘のように美しい流れの演技になっている。
ようやく彼のツルツルの滑りに上半身がついてきて、円熟期に入ろうかという時にケガというのが本当に惜しい。
全日本で見せたあの演技をもう一度リピしたくなる。

ミーシャ・ジーは中国を拠点に、自分で振付をして頑張って来たんだな。

ブレジナはブルナー&ランビの名前が振付師として出ている。
ステファン・ランビエールは振付の中にも彼の姿が浮かぶような瞬間がある。
ああ、ブレジナの背中がもう少し開いて動けば、もっと美しさが際立つのに。

世選のSPで4回転を入れずにメダル争いに残ったJBは勿論あの「ロヒーン」氏の振付だし。
休む間もないつなぎの連続をよくもまあ、楽しそうに滑りきったものだわ。
彼は自分のスタイルを「ロヒーン」氏と共に確立しつつある、と思うわ。
JB、キスクラでコーチは黙ってるのにまったく一人で何言ってんだか。

リッポンポン・・・ヒゲ?
4Lzに挑む男前。
回転不足は取られたけれど、このプログラムは私は好きだな。
知子ちゃんのミス・サイゴン、戦場のメリークリスマスも素晴らしかったディクソン夫妻の振付。
リッポンに合っていると思うな。

無良選手も振付はディクソン氏。
このカルメンの振付も好き。
ジャンプの失敗で体力を奪われたかという演技だった。
4回転に挑む選手にはリスクが伴う。

あらためて、昨日のマダムトゥクタミ、男前だったわ。
3Aを跳ぶというだけでなく、トータルで誰よりも上を目指している彼女。
3Aを決められたら、誰も彼女の上には行けないと知らしめた。

不思議よね、昨季までの3Aとは違う種類のジャンプなのかしらね。
これが本当の評価のはず。
それほど3Aは女子にとって高いハードルだったはず。
マダムのドヤ顔は当然よ。

浅田にあの顔はできなかった。
できないようにされてきた。
この理不尽を何年も見てきて、今、例え認められたのがロシアのトゥクタミちゃんであっても本当にうれしい。
ファンにとっては悔しさも倍増だけれど、浅田はきっと自分の残した財産をこれから享受できると信じている。
メダルという形ではなくとも、ジャンプの認定という形ではなくとも。

ナンデス君のコリオグラファーは、ウィルソン姐とバトルさん。
ジャンプは4Sは完璧、いい演技だったんだけど。
この人の演技、会場は沸いたけれど、トップに立ちにくい曲と振付ではないかといつも思う。
こういった曲を選ぶなら、ウィルソン姐より、時代はロヒーンかもよ?
それにしても、ナンデス君、今日の王者の演技の下に置かれてしまったことには納得いかなかったと思うな。

バトルさんの振付で滑るのは王者。
うーん、なんだかよくわからないわ。
いい時の王者とは違ってたし。
これでSBねえ。

ナンデス君は、悔しいわね。

男子は振付師がうまくその選手の個性を引き出し、選手も曲と振付に自分を乗せることができた選手が光ったと思うわ。

バトルにランビ、ミヤケン先生、謎のロヒーン氏。
コリオグラファーは名前だけじゃなくて、ご本人も見たい。
無茶な注文をつけたくなった男子SPでございました。
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2015
03.26

去るもの、来るもの

Category: 日常のこと
さて、送別会のシーズン。

桜もほころび始めて、いい季節だ。


息子は無事に希望する進路に進むことができた。
ここでなくては、という彼のこだわりは、母親を胃潰瘍にするには充分な無謀さだった。

結局人間なんて小さい頃から何も変わらないものらしい。

親の言うことなど聞きやしない。
自分の好きなようにしてきた男なのだから、好きなようにやっていくのだろう。
これからも。



先日行われた送別会で、若い女子から声をかけられた。

彼女は職場では一言も口をきかず、休憩時間はスマホだけと向かい合っていた。

話しかけても、ニッコリするだけで、仕事以外の話はしなかった。

おばちゃんは年々お節介になるものらしく、私は彼女が気がかりだった。
私ならあんなに1日中口をきかずにいたらどうにかなる。
でも、何もできなかった。

送別会の席で、異動が決まった彼女は、私のところにやってきた。
短い間に、彼女の日本語は素晴らしく上達していた。

「私に、話しかけてくれてありがとう。
うれしかった。」

彼女の精一杯だったのだろう。

彼女の今回の異動は異例だったので、その玉突き人事についてひとしきり話をしたが、表情は晴れ晴れとしていた。

言葉が通じるということはこんなにも大切だったのだ。

日本語が話せない、理解できない間は貝のように口を閉ざしていたが、ある程度理解できるようになると、日本語でも英語でも、意思表示をするようになった。

私がこれまで出会ったイギリス人は皆律儀だったが、彼女もそうだったらしい。
ペコペコと頭を下げ、日本式に挨拶をしあう私たちを、周りの人たちは不思議そうに見ていた。

郷に入っては郷に従えというが、どこに行っても郷に従えない私こそ、彼女のような人を見習わなくてはならないのだろう。

息子と私は、見かけも中身も全然似てないとよく言われるが、
好きなことを好きなようにやってしまうのは、
やはり同じらしい。






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2015
03.25

一本松

Category:

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「奇跡の一本 大津波を乗り越えて」
なかだえり 文、絵 汐文社



先日、浅田真央がどうしても訪れてみたかったと会いに出向いた陸前高田の奇跡の一本松。

この一本松を主人公にした絵本を読んだ。


樹木を主人公に
希望、が描かれていると思った。

繰り返す自然災害に知恵で生き延びる術を
培ってきた陸前高田の土地の人々の歴史が短い中にも伝わる。

作者にとっては故郷だそうだ。
惨状を描く辛さは察するに余りある。

絵本の中で、たった1本取り残された松は気がつく。


おいていかれたのではない、
のこしてもらったのだ。
ここに松原があったことを伝えるために、
おそろしい津波の歴史を伝えるために。



この本を買うと、一部は陸前高田の松原の保全に役立てられるそうだ。


7万本の松の中で、1本だけあの海岸に残った木。

震災とは決して比べるべきものではないとは思う。
それでも、あの木の姿に、なんとなく、通じるものを感じずにはいられなかった。


スポーツと呼ぶにはあまりにギモンの多い競技。
こちらは魑魅魍魎によってあるべき姿が破壊されそうな勢いだった。

ただ一人、それでも真っ直ぐに立ち続け、滑り続けた。

ワールドが始まっている。
TVをつけると、王者の4回転の映像。
そのあとに、浅田真央の笑顔のニュース。

あの幸せそうな笑顔に、こちらまでホッとする。

世界選手権は、遠い世界のように思えた。

結局、見るのだろうけれど。



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2015
03.19

卒業おめでとう

Category: 浅田真央
袴姿がとても似合って、すがすがしい。

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浅田真央:「新たなスタート」…卒業式後の会見・一問一答
毎日新聞 2015年03月19日 18時21分(最終更新 03月19日 18時59分)

 浅田真央選手が中京大卒業式後に行った記者会見の内容は次の通り。

 浅田 本日無事に卒業することができました。多くの皆さんに感謝しています。ありがとうございました。

 −−今の気持ちは。

 浅田 卒業式に出て、学生生活が終わったんだなと思っています。

 −−大学生活の間に五輪があり、競技生活でも大きな節目がありましたが、どのように振り返りますか。

 浅田 私が小さい頃から目標にしていたオリンピックという舞台を、バンクーバーオリンピックとソチオリンピックと2大会経験できたのも、この中京大学のリンクがあったからだと思っています。とても感謝しています。

 −−学生生活を通して、選手としても人間としても大きくなったと思いますが。

 浅田 多くのことを経験したので、それを乗り越えてきたのが自分の今後にも生きてくるのではないかなと思っています。

 −−大学を卒業し、今後はどういう形になりますか。

 浅田 今日、卒業を迎えることができて、また、新たなスタートを切るのではないかなと思っています。

 −−今何か考えていることがあったら教えてください。

 浅田 昨年、休養宣言してからこの1年、大学を卒業するのを目標に頑張ってきましたので、それが今日、ようやく卒業という形で迎えられて、今ホッとしている気持ちと、同時にまた新たな一日が始まるんだなと思います。

 −−スケート以外で思い出に残っているのは。

 浅田 友達とスケートとは違ったことを話したりだとか、ごはんを食べて普通の話ができる友達もできましたので、そういう友達を今後も大切にしていきたいと思っています。

 −−学生生活最後の1年間はどんな感じでしたか。

 浅田 今まではスケートが生活の中心で、朝から晩までスケートに費やしてきたんですけれど、この1年というのは、今までとはちょっと違った生活ではありましたが、これも良い経験です。

 −−その経験を今後の人生にどう生かしますか。

 浅田 今後どうなるか分かりませんけれど、先生方にご指導を受けたりすることは、そうないと思うので、今後もそういうことを忘れずに生活していけたらいいなと思います。

 −−中京大リンクは、浅田選手や安藤美姫選手が練習できるようにと新しくできたリンクです。今後の練習はどうしますか。

浅田 バンクーバーオリンピックとソチオリンピックと、本当に毎日、この中京大リンクで練習させてもらえて、私はこのリンクがあったからこそだと思っています。これからもこのスケートリンクを拠点として練習していこうかなと思っています。





真央ちゃん、卒業おめでとう!

かくいう私も、今日は卒業式に行ってきた。

最近の卒業式はよーく考えてあり、昔とはずいぶん違ってみんなよく訓練されている。

高校だとサプライズでコンサート会場化したりもする学校もあるようだが、
そういうのに、何か意味があるんだろうか。

ま、学生が喜べばそれでいいんだろうけど、なんだかよくわからない。


卒業証書の授与が延々と続き、やっと終わったら式辞・祝辞が続く。

そこに挟んで歌だ。

送辞・答辞も学校行事全部言わんでええがな。

そしてまた歌う。

国家、校歌を含めて、いったい何曲歌っただろう。
延々と続く卒業生と在校生の「歌合戦」に、正直辟易していた。

いい歌なんだけど、いいんだけど、まだ?まだ歌うの?
心中叫ぶので忙しく、写真も撮り忘れた。

卒業式の帰り、親と一緒に帰りもしないわが子をしり目に、どっと疲れて弁当屋に駆け込んだ母でしたとさ。



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2015
03.14

10日間

Category: 浅田真央
NHK総合 浅田真央 被災地への旅
3/14(土)20:00~20:45



被災地を訪ねるために10日間という日程で、東北を巡った真央ちゃん。

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真摯に多くの被災地の方の声を聞き

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再開されたスケートリンクで子供たちにスケートを教える。

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真央ちゃんのスケート靴
紐を編み上げるスピードが倍速のように早い。

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氷の上で、本当に楽しそう。

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マイク片手に超絶美ポジ。

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プリプリの牡蠣にこの顔!

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子供たちの前に立つ時の笑顔。

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震災が落としたもう一つの影。
スケート関係のスポーツを、
続けることが困難な子供も多い。
残念そうな顔の真央ちゃん。

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中学生のスピードスケートの練習を一緒に。
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スピスケ真央ちゃん。

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珍しい光景?

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中学生の悩みに真剣に向き合う。
自らのアスリートとしての現在と重なる。

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奇跡の一本松を見ながら、自らを語る。

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私はよく、海にほど近い山頂のグラウンドに行くと、閉ざされたアイスリンクで練習を重ねているであろう真央ちゃんを思っていた。

海と芝生の青と緑。
眩しいグラウンドで青空の下にいながら、今頃真央ちゃんは何を思い、白いリンクで練習しているのかと、思ったものだった。

その真央ちゃんが今こうして、海を見ながら立っている。

少しでも多くの人のためにスケートを滑っていきたい、と語っている。


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2015
03.14

春よ来い

Category: 日常のこと
息子がようやく終えたのは、「お」が付かない方の受験である。

塾に行くのが楽しみだったらしいが、塾でしか勉強しなかったので、息子が勉強する姿は見たことがない。

たまに机に向かっていたかと思えば、志望校に入ってから取るはずの資格を入学前から一人で取りに行き、合格証を得意げに見せに来た。

意味不明なことをやらかす。

普通は心配するか勉強させるかするのだろうが、悲しいことに私は負けず嫌いだ。

彼が試験に落ちれば全てパーになる旅行の準備を始めてやった。


試験当日、弁当を作るのが面倒で、試合じゃないんだからいいよね、と普通サイズの弁当を作った。
彼は「普通サイズ」の自分の弁当と私の分の、二人前の弁当を当たり前のように鞄に入れて出かけて行き、完食して帰って来た。


私は彼が試験を受けている間も、終わった後にメールしてくれていたことにも気が付かないで働いていた。


不思議なことに先日から悩まされていた胃痛が、試験が終わった日からピタッと止まった。

どうやら私も緊張し、ストレスすら感じていたらしい。

息子はやたら疲れたと言い、爆睡するようになった。

とりあえず、試験は終わった。

結果はともかく、スーツケースはすでに目の前に置いてある。

春になったら、友人達に会えるのだ。

息子が一緒に来ることになろうと、なるまいと。



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2015
03.12

貴重な資料、貴重な記事

Category: 迷探偵モンク
http://www.huffingtonpost.jp/2015/03/10/rikuzentakadashi-library_n_6837100.html


【3.11】「高所へ逃げろ」と書かれた陸前高田市立図書館の本がたどった運命 地域の歴史を忘れず、伝えるために
2015年03月11日 07時17分 JST 更新: 2015年03月11日 14時21分 JST

高所へ逃げろ。「津浪記念碑」という本の表紙には、そうメモ書きされていた。2011年3月11日、東日本大震災による大津波は、この本を所蔵していた岩手県の陸前高田市立図書館にも襲いかかった。職員7人全員が落命、蔵書8万冊も全て流出。地域の人々に愛されてきた図書館は、壊滅した。

図書館の貴重な資料を救うため、博物館や図書館関係者は早くから動いていた。4月には、図書館の特別書庫に収蔵されていた岩手県指定文化財の「吉田家文書」などが救出。岩手県立博物館や国立国会図書館による修復作業が行われた。

しかし、文化財として重要な資料以外の図書館の本は、骨組みだけとなった建物周辺に散乱。自衛隊や地元の人たちによって車庫に積み上げられ、震災から1年近く経ってもそのままにされていた。「津浪記念碑」もそのうちの1冊だった。津波に浸水し、ボロボロとなってしまったこの本は、その後、どのような運命をたどったのだろうか?



「図書館戦争」どころの話ではない。

この図書館を置いて逃げるに逃げられなかった職員の方々の必死の思い。

いかにネット社会が進もうとも、紙媒体の貴重な資料は後世に伝えなくてはならない。
海水に浸り、放置されたままの本の修復に携わる方々もまた、復興の大きな役割を担っておられる。

試行錯誤を重ねながら、東京都立中央図書館で修復

都立中央図書館の資料保全室は、全国の公立図書館で唯一の資料修復専門部署だ。前身である東京市立日比谷図書館が1908(明治41)年に開館して以来、資料の修復技術を受け継いできた。通常は専門の職員が江戸時代の和装本の保存や、経年劣化した資料の修理などを行っている。

高い修復技術を持つ資料保全室だが、津波による塩分や汚泥を含む資料を修復するのは、初めての経験だった。「塩分や汚物を含んだ泥は、普通の落とし方では取れない状態でした」と振り返るのは、資料保全専門員の眞野節雄さんだ。津波被害に遭った本の修復についての研究も少なく、作業は試行錯誤で進められた。

修復は、資料を紙1枚、1枚に解体することから始まる。粉塵やカビが飛散したり、作業する職員の健康を害さないよう、フィルター付きの集塵機を使いながら作業する。解体が終わったら、乾燥している状態で落とせる汚れを刷毛やスポンジで落とし、クリーニング。汚泥にも浸かっているため、エタノールで消毒をほどこす。

「それから、紙を1枚1枚、慎重に洗いますが、津波に浸かった資料を扱った経験が誰もありませんでした。どれぐらいの温度で、どれぐらいの時間、洗えばいいのか、最初は本当に手探りでした」と眞野さん。「海水に浸かった資料には塩分が入っています。塩分をきちんと抜かないと紙が湿り気を帯びてしまい、湿気が入りやすくなる。その後、カビが生えやすくなってしまうのです」

濡れると破れやすい紙を丁重に洗い、伸ばして乾燥。「それから後は、私たちが通常、行っている作業になります。和紙とでんぷん糊で欠けているところを修復します。カビにやられていて脆弱になっているページは、極薄の和紙を全面に貼ります」

長ければ1冊につき1週間かかるという工程を職員3人で行い、1年半にわたる修復は完成した。そうして作業を終えた51点は3月20日、仮設で運営されている陸前高田市立図書館に返還される。



詳しくは上記ページを参照されたい。
この記事元が、
huffingtonpost(日本版)だというところもフクザツだ。

地上波はほとんど見ないので知らないだけかもしれないが、船やナッツの話は朝からいくらでも見かけてきたのにこんな話はテレビで丁寧に伝え続けられていないと思う。
原発については論外。

なんのための報道なのか。
誰のためのネット記事なのか。






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2015
03.11

「わかりません」と言えるプロフェッショナル


職種は違うがある意味同業と呼べる方の講演を拝聴した。

瑞々しい感性の持ち主による講演は湧き水のように新鮮だが、
潤うには鋭く、春の山菜の苦味とえぐ味にも似た若さを感じた。

その道のプロとして、自分の苦手分野にどう対処するのかと聞かれた彼は答えた。

「わかりませんと言います。」

自分は専門家かもしれないが、その中でも得意分野で勝負しているという。
苦手なものはそれが得意な人に任せればよい、という。

なるほど、そういう考えもあるんだな。

私の好きな言葉は「餅は餅屋」だが、餅屋にも得意分野がある、ということだ。

私は仕事に関してはある程度オールマイティーであることがお給料を頂く最低限の礼儀だと思っていた。
得意分野はプラスアルファであって、得手不得手は自分の問題。
仕事で人に見せる部分ではない。
そう思ってきた。

「わかりません」と言った後に何ができるか。

肝心なのはそこだろう。

彼はその仕事をする人間としては遅咲きであったという。
生粋の、とはいえない、非常に努力した人だ。
苦労も沢山あっただろう。
でも好きなことを仕事にできた彼はきっと幸せだ。

好きな仕事を好きな部分に特化してやっている、それがまた幸せだ。

私は彼が苦労したであろう部分での苦労はしたことがないのだと思う。
それだけに感動もなく、できることが当たり前のように思っている。
好きだという自覚すらなかった。

私にさえ、与えられたギフトはあったのだ。
仕事だからとて全てに触手を伸ばす必要はないのかもしれない。

同じ仕事をしていても、あの人にしかできないもの、この人だから完璧に見えるものがある。

「わかりません」があってもいいのかもしれない。

私にしかできないこともあるのなら、それが売り、でもいいではないか。

私にわからなくても、あの人に聞けばわかるということを知ってさえいれば。

何が得意な餅屋になろうか。

やっぱり、理想は大粒あずきの大福、だろうか。





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2015
03.08

世界Jrチャンピオン

昌麿くん、やりましたね。
優勝おめでとう!
SP、FPとも難しい曲だと思うんだけど、彼は曲負けしない。

ショートの時から、リンクに出る時の目が良かったわ。
リラックスした表情とも違うけれど、彼の目に『恐れ』がなかった。

勿論演技はあっという間にもう終わり?と思うほど。

昌麿君、最後のポーズを終えた瞬間にもう動き出したのであかん、と思ったけれど、
彼の客席から湧き起る拍手に対する笑顔と挨拶は素敵だった。

動画主さま、感謝してお借りいたします。

Shoma UNO - World Junior Figure Skating Championships 2015 [SP]



2015 World Junior Championships. Junior Men - FS. Shoma UNO




ところで、ラトビアのデニスくんは成長期?
手足がこの1年で驚くほど伸びて、ジャンプが安定しない。

7位で終わる選手じゃないと思うので、彼のピークは身長の伸びが止まってからかしら。

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2015
03.08

トントン スー

Category: 浅田真央
http://www.nhk.or.jp/fukushima/note/


NHK総合   特集 明日へ -支えあおうー 震災から4年 つなげよう
3月8日(日)午前10:05~10:54、午後1:05~4:00

キーステーション:南相馬市小高区


被災地の声や復興への取り組みを紹介する「明日へ-支えあおう-」。今も避難生活が続く子どもたちの通う、福島県南相馬市の仮設小学校をキーステーションに、生放送でお伝えする。テーマは「つなげよう」。震災前のふるさとの記憶を未来の世代につなぐ。被災地と全国の人たちをつなぐ。フィギュアスケート浅田真央選手の被災した子どもたちを対象としたスケート教室の模様も中継。震災から4年、未来に向けて、つないでいくきっかけとなる番組を目指す。

【キャスター】畠山智之アナウンサー、伊東敏恵アナウンサー
【ゲスト】西田敏行、南果歩、玄侑宗久(作家・福聚寺住職)、高橋みなみ、サンドウィッチマン
【中継ゲスト】浅田真央(フィギュアスケート選手)
【経済解説】田久保善彦(グロービス経営大学院・経営研究科研究科長)
【VTRリポーター】ハリー杉山

★「スケートで伝える被災地への思い」 浅田真央・被災地でのスケート教室
フィギュアスケートの浅田真央選手が仙台市で行う被災地の子どもたちへのスケート教室の模様を生中継する。発災時、被災地の子供たちを励ましたいと願いながらも、大きな大会を控え実現できなかった浅田選手。4年間ずっと気がかりだったという被災地の子どもたちとふれあい、スケートを教えることで元気づけようと考えている。このスケート教室の模様と浅田選手の思いをたっぷりとお伝えする。また、浅田選手が被災地を巡った模様は、3月14日(土)に特集番組「浅田真央 被災地への旅」としても放送する。



石巻市で真央先生のスケート教室

浅田真央が子供たちに氷の上を歩くから滑るまでを教える姿。
スケート靴を滑らせる感覚を掴ませるために、浅田真央が言う。


『トントン スー って』


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うまくできなかった男の子にも丁寧に。
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『できた?そうそう その感じ これ結構大事』

スケートでは男前だったが、この人はやはり滑ることがこんなにも好きだったのだと見ていて思う。

翌日、小学校を訪れた浅田に、スケート教室ではなかなか滑れなかった男の子が手紙を書いてきてくれる。
『うまくなったねって言ってくれて 僕はうれしかったです』

被災地を訪れ、仮設住宅の方々のお話を伺う。
家族を亡くした方々の話を淡々と聞いている様子だが、
浅田も、『そばにいた人を失う悲しみ』を知っている。

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がれきの残る地を歩き
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小学校へと向かう。
『みんな勉強してるかな(^^♪』と楽しそう。
まずは子供たちの太鼓に迎えられ、
教室へ。
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子供たちから質問。
『なぜ石巻に来ようと思ったのですか?』と聞かれ

『去年から、スケートの選手としてやるかやらないかをすごく悩んでいる時に
今しか、来ることができないかな、今の時期に
いちばん、自分の気持ちも来られるかなと思って』

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笑顔のやさしさ。

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真央先生、子供たちにお話をします。

『私は5才からフィギュアスケートを始めたんです。だから幼稚園からずっとスケートをやってます。
小学校1年生から6年生まで、小学校が終わってからはすぐにアイスリンクに行って、
ずっとスケートをしていました。
小学校の頃はスケートがいちばん好きなものであり、夢中になれるものであり、お友達みたいな感じでした。

一つのことを長くやり続けることはすごく大変なことかもしれないんですけど、
必ず、将来、ああ、やってて良かったなと、思える時が来ると思うので
みんなも何かひとつ、夢中になれるものや、
頑張れるものを見つけて、頑張ってほしいなと思います』



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そして仙台からライブ中継。

笑顔が輝いている。
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スケートの話になると笑顔にまた光が増す。

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子供たちの前でも、インタビューの受け答えでも彼女の言葉はいつもシンプルだ。
聞かれたことにスッと素直に答える。

スケーターである自分、世界で戦ってきた自分を誇示することもなにもなく、
ごく普通に、カメラの前の自分、人前で語る自分に酔うこともなく、
素のままで、水のように透明で喉になにもひっかかるところがない。


番組の詳細、動画は詳しいブログ様が取り上げて下さることを待とう。

午前の浅田真央の出演を受け、スタジオゲストに招かれていた
玄侑宗久さん(作家・福聚寺住職)が感想を話された。
印象的だったので書き起こしておく。

『前からファンだったんですけど、理由が今、わかりましたね。
観音様とか、弥勒菩薩にそっくりなんですよ。

それと、2011年というのは、彼女にとっても大震災だったわけですよね。(スケートの矯正、お母様を亡くしたこと)
こうやってわざわざ(被災地に)来てくださらなくとも、去年のソチオリンピックで、あそこで復興を遂げた(浅田のフリーの)姿を見せてくれてて、それにどれだけ皆さん励まされたかっていう風に思いますね。』


浅田のソチのフリーこそ、彼女自身の復興だったとこの方は言ったのである。



午後の部を見たら、気力があれば、また感想を書きましょう。
何しろ年度末で、休み返上で片付けなければならない仕事がてんこ盛り。

こんな時も、この笑顔に、救われる思いがする。
で、書かずにはいられなくなる。
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追記

まったくどうでもいいことなんですが、個人的な感想。

浅田真央の言葉を書き起こすと思うのは、
この人の話す言葉は万人に通じやすいのではないかということ。
英語のインタビューを読んでも、日本語で言ってることと変わらないなあ、とは思っていたのだが、内容がどうとかいうことではなく、翻訳した時にも何ら変わらず意味の伝わる日本語を話しているのではないか。

これはすごいと思う。
翻訳者泣かせなインタビューはいくらでもあるだろうが、
こんなに他言語にしやすい日本語で語る人は珍しいと思う。


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2015
03.03

追いつかない

Category: 浅田真央
真央ちゃんが凄い勢いで活動の幅を広げています。

おおお、追いつかないのでコピペばっかり。

一番好きなこのDJの写真、笑顔が柔らかい。
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真央 初の冠番組で近況報告「料理教室へおいしいものを食べに行く」
スポニチアネックス 3月2日(月)21時50分配信

 フィギュアスケート女子で今季休養中の浅田真央(24)が初のラジオパーソナリティーを担当する新番組「住友生命 presents 浅田真央のにっぽんスマイル」が2日に放送され、休養中の現在の生活などについて報告した。

 「緊張しています」と滑り出すと、まずは近況報告。中京大学4年生として「大学に通うことをメーン」(浅田)とし、時間が空いている時にジャズダンスや料理教室に通っていることを明らかにした。

 大学に通い始めた直後は「(周囲が)私に注目して、見られているんじゃないかと思い、疲れてしまった」と振り返ったが、今では普通に大学生活を送っていること。また、料理教室では「習いにいくというより、おいしいものを食べに行くという感覚」と話すなど、普通の女性の一面をのぞかせた。

 また、歌手・浜崎あゆみ(36)のコンサートに毎年欠かさず足を運んでいるといい「パワーをもらっている。いつも叫びまくって、また頑張ろうと思えることを楽しみにしている」と、歌姫の舞台が浅田の原動力になっていることも披露した。


真央が気仙沼訪問 被災地に元気届ける
niccannsports.com [2015年2月22日21時19分]
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 フィギュアスケートの世界女王で今季は休養中の浅田真央(24=中京大)が22日、宮城県気仙沼市を訪問した。

 同世代の若者と一緒に社会貢献で日本を応援する「YOUNG JAPAN ACTION 浅田真央×住友生命」の一環で、プロジェクトリーダーとして大賞を受賞した「気仙沼ゲストハウス“架け橋”」の活動に参加し、副賞の100万円の活動支援金を贈呈した。

 空き家を改修して学生向きのゲストハウスにし、長期ボランティア用の宿泊拠点を作るプロジェクトで、浅田は東日本大震災による被災地の状況、体験談などを聞き、気仙沼市内の状況も確認。「私と同世代のみなさんが、こうして自ら被災地にきて、いろいろな方々の手助けをしていることを目の当たりにして、私自身も頑張らないといけないなと思いましたし、YOUNG JAPAN ACTIONとして、私たち若い世代が、日本を元気にしていけるような活動が広がっていってほしいなと思います」とコメントを寄せた。


浅田真央、畑で輝く笑顔「みんなが1つになれた」
日刊スポーツ 3月2日(月)23時54分配信

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フィギュアスケートの世界女王で今季は休養中の浅田真央(24=中京大)が2日、佐賀県佐賀市を訪問し、同世代の若者とともに農作業などを行った。

 社会貢献で日本を応援する「YOUNG JAPAN ACTION 浅田真央×住友生命」の一環で、プロジェクトリーダーとして大賞を受賞した「ForS.」の活動に参加し、副賞の100万円の活動支援金を贈呈。

 高齢化や後継者不足により年々増加している耕作放棄地を借りて開墾し、無農薬の米や野菜、いもなどを育てている佐賀大農学部の学生を中心にした農業サークルで、浅田も一緒に畑を耕した。

 活動内容にも熱心に耳を傾け、「地域のお年寄りの方々に教えていただきながら、みんなで料理を作ったり、一緒にご飯を食べたり、畑で農作業をやったりして、私にとってもいい思い出となる活動ができました。特に、一緒に畑に種芋を植えたときは、皆が1つになれたと感じました。また、私たちが活動したことで、地域の皆さんがとても喜んでくださり、みんなが笑顔になれたことが、すごくうれしかったです」とコメントを寄せた。



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今、一日一日を大事に生きていれば、真央ちゃんの道はおのずと定まっていくはず。

連盟様は頑張っている選手達をしっかり育ててりゃいいのよ。

つい1年前まであんな男前な厳しい顔で戦いに挑んでいたのが嘘のよう。
こんな笑顔の真央ちゃんが見られるのが、嬉しくもあり。
試合でのきりっとした表情が見られないことに、うっかり涙が出たり。



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2015
03.02

スケート教室

Category: 浅田真央
http://www.news-gate.jp/article/55934/

浅田真央「目標もしっかり持ってやっていく」
ザテレビジョン 2015年3月2日 4時28分 配信

フィギュアスケートの浅田真央選手とタレントの浅田舞が、愛知・日本ガイシアリーナ・アイスリンクで開催された「LOTTE フィギュアスケート教室」に特別コーチとして登場。100人の小学生を前に華麗な滑りを披露した。

初めてのスケートで緊張気味の子供たちも多く、二人のコーチは優しく話し掛け、ストレッチから丁寧に指導。前進歩行を教えるパートでは、なかなかうまくできない子供の手を取ってあげたり、肩を支えてあげたりと終始笑顔で教室は行われた。

スケート教室終了後、真央選手は「初めて滑る子も多かったんですけど、みんな成長するのが早くて、いろんな技を教えるのが楽しかったです。本当に楽しい気持ちを忘れないでこれから何事も挑戦していってほしいなって思いました」とメッセージを寄せた。

今後の目標については「方向性がちゃんとしっかりしたら、目標もしっかり持ってやっていくと思いますが、今はどの方向に行くかをしっかり考えていきたいなと思っています」と述べた。

一方舞は「子供たちがすごくキラキラして、楽しそうにスケートしている姿が本当に私たち自身すごくうれしくて楽しい時間でした」と振り返り、「あまりにも子供たちが元気過ぎて汗だくになっちゃったので、先生としてはもうちょっと体力をつけないといけないなと思いました(笑)」と照れ笑いを浮かべた。



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子供たちがたくさん!

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準備運動?

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イキイキしてる真央せんせい!

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かわいい~~~

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がんばれ真央せんせい!

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かっこいいし

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舞さん、うつくしいし

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「また参加してくださいね」って言ってたらしい。
そういわれちゃったら、私だって小学生になりたい。


ところで浅田姉妹のお母様の話で、こんな記事も上がってましたね。

フィギュア村上大介の葛藤、アメリカから日本へ
東京ウォーカー(全国版) 2015年2月27日 15時06分 配信

村上大介の名前を知ったのは、2006年3月のスロベニアでの世界ジュニア選手権。アメリカ代表のメンバーの中に日本人らしき名前を発見したのが最初だった。

浅田真央と小塚崇彦を目当てに集まった日本の報道陣の間でも、村上の存在は話題になった。ウエストサイドストーリーを表現力豊かに演じた演技が目に留まったのだ。

当時、ラファエル・アルトゥニアンに村上は師事していた。そこへ日本から一人のスケーターがチームに加わる。浅田真央だ。この出会いが人生を変えることになった。浅田真央の母、故・匡子さんから日本の代表として戦うことを勧められたのだ。

村上大介は神奈川県で生まれ、幼少期はそのまま日本で育った。そして9歳の時にアメリカへ渡り、スケートを始めた。たちまち頭角を現し、アメリカ代表として世界ジュニアに派遣されるほどの成長を遂げる。

この時点では「どちらの国の代表を目指すのかは真剣に考えていなかった」。だが、思春期を迎えた頃、自らのアイデンティティについて悩みを抱えるようになったそうだ。

村上の心情を知った浅田匡子さんは、熱心に説得したという。それは決して、アメリカでの競争が厳しいから、などといったネガティブな理由ではなかった。

「あなたは日本で生まれた日本人なのだから、日本人として戦うべきだ」。浅田匡子さんは、日本の代表として戦うことを強く勧めた。
この言葉が村上の心を大きく動かし、2007年に日本へと拠点を移したわけだが、その後の道のりは決して順調とは言い難かった。


中略


最後に、「日本を選んだことに後悔はないのか」という質問に、村上は曇りのない視線で真っ直ぐに答えた。

「日本の代表として戦えることが本当に幸せなんです。確かに芽の出ない時期は長かったけれど、後悔したことはありません。日の丸を背負って国際大会で戦うことはとても大きな意味があります。今季の活躍でようやくスタートラインに立てました。これから日本のために貢献していきたいんです」。

自らのアイデンティティを確立し、村上大介はようやくスタートラインに立ったのだ。日本の代表として戦うことを勧めた、浅田匡子さんも天国できっと喜んでいるはずだ。
【中村康一】

 



苦労はしてきたと思うけれど、日本代表として厳しい道を選んだことを悔いていないと知って、
なんだかとても嬉しいわ。






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