2014
10.31

人間はすばらしい

Category:
さて、この1週間というもの、私が没頭していたのは、実はスケアメでも森下アナでもなく、なぜか知らんが椋鳩十の本であった。

たまたま読んだブログの主様が椋鳩十がとてもお好きだったとかで、「日本のシートン」と言われることに違和感があるほどシートンと椋鳩十には動物に対する立ち位置の違いがあり、実に日本人的である椋鳩十の素晴らしさについて情熱をもって書いておられた。

自慢じゃないけど、私、忠犬ハチ公を始め、「動物の物語」は昔から超がつく苦手分野だった。

大昔、小学校の小さな図書室の本は辞典以外はほとんど読み尽くしていたはずなので、読んだ記憶はあるが、心に刻まれてはいないのが、この類の本。

でもせっかくなので、椋鳩十の一冊や二冊、生きてる間にもう一度読んでみよっかな、と思い立ったのである。

で、大好きな太田大八さんの表紙の本や何やかや、借りたり買ったりして読んでみたわけだ。

椋さんが子供向けに動物の物語を書き始める以前に書き、検閲で発禁処分にされたという『山窩調』。
この山の民について書かれた本から椋さんの描きたかった世界の源流を紐解いた考察も読ませていただいた。
この『山窩調』に描かれる女性像のなんという自由。なんという強さ。
ある日ふと、「行ってみたくなったから」とふらっと住み慣れた土地を離れ、どこかへ行ってしまう若い女。
俺を置いていくなら行ってみるがよい、と、その女とステディな関係にあった男は無理やりにその女を乱暴するが、女は動じない。
この女の逞しさはある種、究極の女性賛歌であるかもしれない。
確かに、動物的であるし、決して褒められた生き方ではないかもしれない。
そのような世界には、山賊、と呼ばれる人々もいたかもしれない。
ただ、そこには暴力はあっても、被害者も加害者もいないのではないか。
女に捨てられ、置いていかれる男と、自力で新しい土地を探し流れて行く女がいた。
あくまでもその世界の中の話ではあるが。
どこぞの国の女たちが、商売にしていたことに「奴隷」と名付け、いまだに被害者を装っているのとは大違いである。

しかしこの物語は戦時下の日本ではタブーな性描写が含まれていたということで、封殺されてしまう。

ジプシーの民に近い生活を送っていた山の民も、その昔日本には存在したという。
その自由と引き換えの過酷な人生も。
椋さんは、大自然の中で生き抜く人間、それも強く自由な人間に強烈に惹かれていたのだろう。

戦時下、大人向けの小説を書けなくなった椋さんは、「少年倶楽部」の当時の編集長に薦められ、鹿児島で教鞭を執りながら子供向けの物語を執筆するようになる。

まだNHKが日本のテレビ局だったであろう1987年9月30日に放映された“シリーズ授業”「生きものはすばらしい」のビデオから書き起こした原稿を元に作られた本、「人間はすばらしい」。
椋鳩十さんが故郷長野で卒業した小学校を訪れ、その小学校で児童と語り合う様子が話し言葉そのままに、描かれている。
動物の生態に関するお話を子供たちを相手に繰り広げられるのだが、これがわかりやすく、惹きつけられる話ばかりだ。
目次には、「スカンク」、「アマミノクロウサギ」、「コウモリ」、「トカゲ」、とあり、最後に「ヒト」とある。

椋鳩十著「人間はすばらしい」 より  「ヒト」


前略
コウモリならば、ほかのことはできないが、超音波を出すという力はみんな、おなじように、あたえられとる。
ところが、人間は、動物として生きるための力のほかに、ひとりひとりに、それぞれ、べつべつの“力”をあたえられておる。
絵のじょうずなひと、歌のじょうずなひと、それから、・・・・・・・中略

くりかえしになるけれど、コウモリはねえ、超音波を出す。このへんのコウモリは、ぜんぶ出す。超音波を出せないコウモリなんて、一ぴきも、おらん。
中略
人間でもねえ、それぞれ“すばらしい力”を、じぶんのなかに持って生まれてこない人間はひとりもおらない。
きみも、きみも、きみも・・・。なにかはわからん、ね。なにかはわからんが、みんな、“すばらしい力”を、ひとりひとりが持ってる。



こんなことを言ってくれる大人が、誰か一人でもいてくれる子供は幸せだと思う。

「片耳の大鹿」の、嵐を避けて身を寄せた洞窟での出来事は、ただの絵空事とは言いきれまい。
あの寒さに震える身体を寄せずにはいられなかった動物たちの暖かな息遣いと「生きている」温もり。

一歩外に出れば生きるか死ぬかを賭けた敵同士になりかねないお互いである。
地球上に生きる者同士が、いざとなれば、肩を寄せ合い、嵐を凌ぐのだ。

それに対してのちに絵本として描かれた「におい山脈」の人間の、なんと浅ましいことよ。

晩年、変わりゆく世の中を見ていて書かれた絵本であろうが、自分勝手な人間たちに、非常に厳しい目が注がれている。
この「におい山脈」に覆われた地球の最後に、生き残るのは、やはり、文明とはかけ離れた生き方をしていた山の民だというところに、椋さんの見てきた戦前戦後の「オチ」がつけられている気がするのは、私の読み違いであろうか。

椋鳩十はのちに、鹿児島県立図書館の館長となり、現在は当たり前のようになっている、「図書館ネットワーク」の構築の礎を鹿児島で築き、「母と子の20分間読書」運動を推進したという。

さて、もし椋鳩十なら、「母と子の20分間読書」に、選ぶだろうか?
現在の官庁が押し付けるような「おすすめ図書」を?

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2014
10.24

blogramの私

Category: 日常のこと
blogramというボタンをあちこちのブログ様で見かけ、そのブログ様がそこで分析されている中身が面白いので、つい、私も登録してしまった。

ところがブログのどこにそのボタンを貼り付けたら丁度良くなるのかわけがわからなくなったので、今はそのボタンもつけられないまま放置してるんだけど、とりあえず、自分のブログがどんなふうに分析されているかだけでもわかるので、笑いのネタに覗いてみる。

blogram分析によれば、私の頭の中、考えていることは最近まで空っぽであった。
ところがようやく頭の中に芽生えた「考え」は 「橋本聖子」

そして、心の中で最も大きなウエイトを占めるのが  「エルキュール・ポワロ」
次点で「シャーロック・ホームズ」。

残念ながら、リアルには行ったことがない「フィギュアスケート」が「足」で出かける所に大きく載っている。
あらまあ。

そしてカテゴリ別のランキングでは、 「橋本聖子」で7位という好成績を収めているのだ。
すごいぞ、私。
ちなみに7位は、「橋本聖子」カテゴリ、6位の「スクープ!エンタメ 芸能 のツボ」に次ぐ立派な成績。
本来主流であるはずの政治の話も、スピスケの話も一言も書いちゃいませんのに。

頭の中は「橋本会長」について「真摯な気持ち」や「驚き」でいっぱい。
ポワロに「面白さや愛」を感じ、
フィギュアスケートに足を使う「真摯な気持ち」と「好きという気持ち」を持っているのがこの私。

しかも「心の中」に、なぜかある、「兄」カテゴリを押すと、またしても「橋本聖子」が登場するんである。
会長は、「アニキ」かよ。

分析をされたいアナタ、blogramは思いもよらない自分を発見できること請け合いでございます。

これからも、分析された「老嬢」を楽しみに、イロイロ書いてまいりますわ。
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2014
10.19

ビッグ・フォー

今更、なんですが、撮りためて見てたNHKのBS「名探偵ポワロ」の最終シリーズ。
ようやく「ビッグ・フォー」を見終わった。

楽しみに取っておいて、寝る前にこれを見ようとするのだけど、毎度寝落ちしまして。

そこで今日は、午前中にどんな邪魔が入ろうとも見ると決意して、ようやく見ましたのよ。
朝起きてすぐ、2度寝したりしつつ、何度も同じ場面から見る羽目にはなったのだけれど。

ただ夕べ見ていたのがグラナダ版シャーロック・ホームズの「金縁の鼻眼鏡」。
自然、見比べる形になった。
ドラマではワトソン医師役の俳優の都合で、ワトソンの代わりをマイクロフトが務めた。
設定を変えたことで、いいところを全部マイクロフトに持っていかれた感のある「金縁の鼻眼鏡」。

まあ、事件の真相の裏に横たわる政治背景、裏切りの過去なんかは映像だからわかりやすかったけれど、謎解きに関してはちょっとがっかりだったかしら。

この回では、ホームズとマイクロフトの「事情」が垣間見えてその点では面白い一作。
でもコアなファンしか興味のない部分かもしれないわ。
せっかく原作に忠実なドラマシリーズなのに、なぜこの話に限って・・・と残念ではありました。

それに比べてポワロの「ビッグ・フォー」、スケール的には惜しい気もしたが、ドラマとしては十分楽しめた。
原作は読んでいなかったけれど、クリスティがいかにも言わせたかったであろう犯人の言葉が、このミステリの肝だろうと思った。

本物の舞台を用いながら、いかにも舞台の一幕のように犯人がぶつけてみせた、ポワロの「本質」。
クリスティがうんざりしていたというこのポワロの劇場型謎解きに対する作者ならではの「言いたかったこと」を、あの迫力で犯人に言わせた。

ポワロの、見方によれば、最も嫌らしいとさえ思える「本質」をこの場面でこうも巧く用いて、尚且つポワロがそれでも愛される偉大な人物であるという大団円に持っていった。

なるほど、脚本はマーク・ゲイティス。
やはりこの人は、原作からその世界の核となる部分を抽出してドラマに再現させることにかけて、素晴らしい才能があるに違いない。

テーマ、というものを外さない。そして作品に愛がある。
原作をどのように脚色しようとも、大切な「ここだけ」を逃さない。
その上で、挑戦を続ける「SHERLOCK」は面白くて当然だろう。

クリスティドラマには、ポワロ、マープルとも同じ役者が何度も出演しているので探すのも楽しい。
勿論ゲイティスもポワロ、マープル、どちらのドラマにも出ている。
俳優としても癖のある存在感で素晴らしい。。

「カーテン」の脚本が彼だったなら、一体どうなっていただろう。
もう少し、救いのある脚色になっていたかもしれないな。



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2014
10.18

朝市の嫁さん

Category: TV番組
いやあ、この「花アン」のスピンオフ作品、脚本家変えて、大成功でしたわね。

朝市のお嫁さん役(石橋杏奈)、演技も自然、綺麗だし、素直そうな瞳がものを言う。

スピンオフの方が上出来なはずだ。

脚本も主人公もずーーっといいんだもん。

宇田川先生の登場もよかったわね。

醍醐さんと兄やんも登場、それぞれの恋模様が重なって面白かったわ。

朝市がこんなにいい男に見える、これも演出や脚本の力?

ちづ江さん役の女優さんも、私が知らなかっただけで、芸歴、モデル歴、ながっ!

最後のアキヒロさまの「ごきげんよう、さようなら~」まで一番の出来。
腹心の友の写真は、「ふじ(室井滋)とリン(松本明子)」で〆。

「花子とアン」の素材は素晴らしかったけれど、アンの言葉は、やはりドラマの進行上、出演者に言わせちゃだめだったわね。
あれはやはり、本の中のアン自身の言葉として語らせるのが一番よかったのでは、と今更思ったわけでした。





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2014
10.18

ブタとオオカミ

Category:
私はプレッシャーに弱いので、日程が差し迫った、自分のひと仕事に戦々恐々として日々を過ごしている。

緊張して怖いなら、もっと準備を重ねればよいものを、逃げ道ばかり探している。

うちの息子はこんな私の背中を見て育つのであろう。
たるんたるんの背肉と共に。

さて、心の逃げ道として一番良いのは笑うこと。

私が日々埋没しているネットの世界では、OWD関係でさまざまなボロが出始めているという話題が。
読み始めると際限がなく、国会で紛糾している問題でさえ、いつものメディアの手だろうなとしか思えず、読めば読むほどもう笑えないところに来てしまっている。

ということで、私が脱走したのはこの手の絵本の中、であった。

AMAZON商品の説明より


3びきのこぶた ~建築家のばあい~

スティーブン・グアルナッチャ (著, イラスト), まきお はるき (翻訳)
3bikikentiku.png

むかしむかし・・・
3びきのこぶたは、それぞれの家をたてます。
でも、わるいオオカミが近くにかくれていて、こぶたたちを食べようとするのです!
おなじみのお話ですが、この本ではちょっと違います。
オオカミはいつものようにずるがしこいけれど、
こぶたたちには、建築とデザインに生まれつきの才能があります。
スクラップ、ガラス、石とコンクリートの家は、有名な建築家の作品がもとになっています。
フランク・ゲーリー、フィリップ・ジョンソン、フランク・ロイド・ライトの3人です。
また、家のなかは世界中の有名なデザイナーによる名高い調度品でいっぱいです。
さあ、オオカミにプーとふきとばされないのは、だれの家でしょうか。
作者のスティーブン・グアルナッチャは、スウォッチの腕時計やMoMAのカードのデザインでも活躍。



オオカミがとにかくオシャレ。
痩せてスタイル抜群のオオカミが、革ジャン着てバイクをかっ飛ばし、子ブタの建てたアートな家を次々と訪れるわけなんだけど、オオカミなんて、プーっと家を吹き飛ばすくらいで、子ブタの兄弟のほうがやはり賢いわけよ。
注目はこの絵本に出てくるほんまもんのデザイナー建築や家具調度、オオカミの乗るバイク、そして可愛い絵を引き立てるその字体へのこだわり。
フォントが通常の活字体とはちょっと違って、この絵本にまた個性を与えている。
っていうか、個性の結集がこの3匹の子ブタを素材に存分に表現されてるってところが、大人向けかも。

色んなフォントが出回っている昨今。
字体そのものが挿絵のように絵本の手触りを決めるアートな一面を担っている。
これは本当に素敵。

次のこれは、正統派、3びきの子ブタ。
シングルマザーの母ちゃんが育てきれないからって、可愛い3匹を家からおっぽり出すところから始まるなんて、童話って、元はどうしてこう、みなこんなのばっかりなのかしら。


三びきのこぶた

ポール ガルドン (著), Paul Galdone (原著), 晴海 耕平 (翻訳)
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おなじみの、こぶたとおおかみをめぐる、イギリスの昔話。
お母さんぶたは、三びきのこぶたをそだてきれなくなって、じぶんの力で生きいていくようにと、世のなかへおくりだしました。
一ばんめのこぶたは、わらで家をつくり、二ばんめのこぶたは、木のえだで家をつくり、三ばんめのこぶたは、れんがで家をつくります。
この絵本では、昔話のもとの話にそって、最後の結末も改作することなく、このお話の持っている力を、正しく子どもへ伝えようとしています。



絵がいい。
ごく安心して読めるという、普通の一作。
冒頭、ポイッと子ブタたちをほっぽりだし、手を振る母ブタ。
無いのは食べ物と経済力だけで、家はあるんじゃん。
7匹の子ヤギの話と比べると、自立してるのね、ブタは。

ところで、逆転の一作、ここに出てくる極悪ブタと、建築家のブタの家を吹きまくるオシャレオオカミを対決させてみたい、と思わずにはいられないのがこちら。


3びきのかわいいオオカミ

ユージーン トリビザス (著), ヘレン オクセンバリー (イラスト), Eugene Trivizas (原著)
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あるところに、ふわふわのけがわにふさふさのしっぽをもった3びきのかわいいオオカミが、おかあさんといっしょにくらしていました。いちばんうえのにいさんはまっくろ、にばんめははいいろ、すえのおとうとはまっしろでした。
あるひ、おかあさんが3びきをよんでいいました。「さあおまえたち、そろそろひろいせかいにでておいき。かあさんのうちをでて、じぶんたちのうちをつくりなさいな。
でも、わるいおおブタにはきをつけるのよ。」「しんぱいしないでかあさん。ぼくたち、ブタにはきをつけるから。」
そういって3びきのオオカミは、ひろいせかいにでていきました。



とにかく笑える。
ブタのキャラが際立っていて、ラストが微笑ましいのがまた素晴らしい。
このブタキャラ、ほかの動物絵本にも出演して、色んなところを荒らしまわっていただきたいと思うのは、私だけであろうか?
著者については、
「ユージーン・トリビザス(Eugene Trivizas)ギリシアの作家、犯罪学者。ギリシアでは有名な作家、詩人であり、演劇やテレビの脚本も書いている。」とある。

犯罪学者が描く、ブタ。でもこのブタ、どうしても憎めないのが挿絵の力かしらね。
オオカミがとことん善人なのがまたおかしくて、何度でも読んでしまう。


そして、極め付け、まさにパロディー編の不気味な顔したブタたち。


3びきのぶたたち

デイヴィド ウィーズナー (著), David Wiesner (著), 江國 香織 (著)
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おなじみの『3びきのこぶた』から、こぶたたちがぬけだして、別の世界に旅立ちます。
おおかみがいえをふきとばしたとき、ぶたたちもおはなしの向こう側へとふきとばされてしまったのです。
ぶたたちは、紙ひこうきにのって、ちがうお話にでかけ、そのなかの動物たちとともだちになっていきます。
四次元の世界を旅しているような奥行きのある絵と、かわいいぶたたちのせりふが効いた、ユニークな作品。
2002年コールデコット賞受賞作です。ウィズナーのイマジネーションあふれる世界をお楽しみ下さい。



期待を裏切って枠をはみ出して、どんどん違う世界へ人を誘う、まさにパロディーの醍醐味。
3匹の子ブタの元の話とセットで読むのがコツかしら。

ところで私が子供の頃大好きだった絵本は、「3びきのくま」


3びきのくま (世界傑作絵本シリーズ―ロシアの絵本)

トルストイ (著), バスネツォフ (イラスト), おがさわら とよき (翻訳)
3kuma.png

くまの家に入り込んだ女の子が、小さな子どものくま用のいすを壊し、スープを飲み、ベッドで眠ってしまうくだりは、思わず一緒にはらはら。
はたして、3びきのくまが帰ってくると――?お子さんの心をぐっと引き込む物語展開が素晴らしく、ロシアらしい濃密で豊かな絵がそれに花を添えます。繰り返し楽しめるロングセラー絵本です。




多分大昔に私が読んでた絵本はこれ。

この話のワクワクドキドキは今でもよーく覚えていて、好奇心に負け、小さな可愛い椅子をぶっ壊し、食欲に負け、くまさんのスープに手をだし、最後はベッドまで勝手に使って爆睡するという、人間の欲望に忠実な女の子がそれはとても無垢で可愛らしく描いてあるというトルストイの一品。

相手が優しいクマの親子でほんとによかったよ。

にしても、この女の子の行動のひとつひとつにこんなに説得力があるのは、森で迷子になるという心細さ、そこで出会う生き物の生活感に感じる安堵、いかにも暖かい心の持ち主が住んでいるかのような家の中のしつらえ、そしてどうにもおいしそうなスープの魅力。
ここがきっちりと表現できているからだと思う。
ってか、子供だったからこそ、この女の子の気持ちになりきって、「ちょっと休ませてもらえないかしら」なんて後先考えずに人んちに入り込むドキドキを味わえたのかもしれない。

読書に関して異常に早熟だった私は、大人になっても大人に相応しいと思われる読書ができない。
子供が子供である内に、きちんとその時期にしかできない体験をどんな形でもいいから、しつくしておくこと。
これがどんなに大切なことか。

我が子のおバカっぷりには悩みも多いが、子供らしく育った、その一点で、羨ましいなあ、と思うこともあるのだった。

とはいえ、この「3匹のくま」にもさかさまバージョンがあるんだって。
逆転パロディー版、流行なのかしらね。

ターゲットは、大人・・・かも。

大人に相応しい読書、してるのかも・・・。

おっと、気晴らしのつもりが、なんだか、えらい長い話になっちゃったわ。

さ、気晴らしがおわったところで、ネットでOWD問題、とーぐー問題のお勉強でもしましょ。

え?仕事?

ほほ、ほほほほほほ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
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2014
10.13

民話と教科書

Category:
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2014
10.10

ギョーザはいかが?

Category: 日常のこと
こんな、何書いてるのか、わからんちんの最果てのブログにも、「訪問者リスト」に足跡を残してくださる方々がいらっしゃる。

せっかくなのでこちらからもお邪魔させていただくのだが、これがとても楽しい。

ここ一番のブログ様、私の元気の源はこちら
http://okkanabikkuring.blog.fc2.com/

まことに勝手にすみません。東のフモフモ編集長、西のぢょん・でんばあ様、みたいな。

それから、面白い記事や画像をTwitterなどからご紹介くださっているブログ様のところにもお邪魔した。

こちらのブログ様から、私的にヒットしたのはこちら。

「日本餃子協会」
http://www.nihon-gyouza.org/

トップ画面から「もっと画像をみる>>Click‼」を押しまくると、次々と笑えるギョーザのポエムと出会うことができる。

ギョーザについて語っていながら、妙に面白いので、別にギョーザのことなどどーでも良くなるほどである。
トップ画面から目が離せないのでそこだけで終わってしまい、日本餃子協会様ご提案の「ご当地餃子」まで読んでる場合じゃない。

ただし、この画面はどれだけクリックし続けても、もう出てこなかったので、転載の転載ですみません。

gyo-za.png

同じ画像が何度出てきても、押し続けることが、新しいポエム発見の極意ざんす。



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2014
10.07

カーテン

さて、ポワロ最後の事件、「カーテン」。

昨日、この重たい事件を見た後、Dずにーのハロウィンなんか見ちゃったわけである。

クリスティが家族に遺産を残すため、とも言われているが、前もって書かれて、周到に準備されていた一作。

ポワロがヘイスティングスに最後の手紙を残したがごとく、アガサも世間に向けて、自分の最後の言葉を残したのだ。

最後にポワロがしたことについての是非。

あの「オリエント急行」からもう一歩踏み込んだ。

「人間心理」について、描き続けた果てに行きついたのは、「手を下すことすらない殺人」。

昔読んだこの「カーテン」はただ重く、ポワロとクリスティが重なったことだけを覚えている。
あれほど「うんざりしていた」ベルギーの小男に、彼女は究極の犯罪を示し、その解決を託したのだ。
丁度同時期に延々と読んでいた清張や横溝にはなかったものが、そこにあった。
何か哲学めいたもの。犯罪の向こうにあるものを追及してやまなかった推考の果て。
私はこの二人の作家に関しても、当時出版されていた本はことごとく読んでいた。
スケートと同じで、延々と読み続けなければ見えてこないこともある。

松本清張の「社会派」と言われた犯罪の温床となった貧困や社会悪。
横溝の描いた日本の地方に蔓延る陰惨さ。
推理小説という分野を大人の喜びそうなエロスと切り離せなかった彼らの小説は、私にとって、ついに純粋な「推理小説」にはなりえなかった。
男性による男性のための、そして文庫本を廉価で数多く売り、テレビや映画化のための本として理解するしかなかった。

彼らに見出せず、クリスティにあったもの。
人間そのものに対する深い洞察とそれでも溢れてやまない愛情。

ポワロは生涯独り者だったが、チームポワロ、といえる人間関係の中にいた。
探偵にも、救いがあった。
ユーモアがあった。

くすぐりがあってこそ、生きるもの。

それにしても、ポワロの魂は神によって許され、安息しているのか。
そうであってほしいと、まるで友人に対するがごとく、願わずにはいられない。






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2014
10.07

ハロウィンという妄想

Category: TV番組
私はイカレタおばさんなので、Dずにーの番組とか、バービーの映画もどき、とか、大好きなんである。

今、わざわざ録画までして寝る前に見ているのは、「【特別編成】Dズニータイム ハロウィーン」というやつである。

MっきーやDなるど達のハロウィンがいかなるもんなのか、ひとつ見てやろうと思っていたら、新しいタイプのMっきーの映像の劣化が見るに堪えず。

小さい子向けの番組と、ママたち向けのCMなんだろう。
そのDずにーの英語教材のCMに並ぶ「若くてオシャレで頭がJack-O'-Lanternかもしれないママ&ハロウィン仮装の可愛い子供たち」の映像にはさすがに、うげー。

ハロウィンは今や英会話教室では必須のお祭りアイテム。
その根っこを教えられることなく、「とりっくおあとりーと」を言わされ、着なれない「仮装」をママたちが張り合う。

Mっきーは言う。

「ウサギはニンジンをつかまえられるかな?つかまえられるよね?だってウサギはニンジンがだいすきだもんね!」



「そうだね!」
うっかり返事しそうになったわ。
意味は不明である。

「ハロウィン」=「仮装パーティー」になってるよ。

楽しいんだったら、それでいいんでしょうよ。

でもさ、
これでは、古代ケルト民族の方々にあんまりではないのか?

しかもDずにーの取り柄、音楽が悲惨なことになってるし。

映像も単純な機械製。
音楽は適当。

英語教育システムを売るための番組なんて、「ハロウィン」さえ名乗ってれば、どう劣化したDずにーキャラでも番組内容でもいいんか?

アナ雪の主人公たちの身体の動きは超リアル。
あれはすごい。
でも昔のDずにー映画のお姫様たちの動きはバレリーナのそれだった。
基本、ミュージカルだったから。
姿勢、身のこなし、歩き方。振り向く姿まで。
アニメの究極といって良いほどお姫様の所作は美しかった。

いかなDずにーも、英語教材の宣伝番組なんか、こんなもんでいいんか?

見るだけ見といて文句言うのもなんだけど、英語だけ話せたって、ハロウィンを自分の生まれた国の行事と対比もできず、自分の国を何ひとつ語れない人たちが育ってもそれでいいんかい?
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2014
10.06

今更 The Ice

Category: 浅田真央
週末は、ひたすら家で持ち帰りの仕事をしていた。

で、目の保養に、再放送で撮った「ザ・アイス2014」をまた、じーっくり見たりしてたわけである。

途中に入る、演技後の出演者たちのインタビュー。
日本のファンの応援に、こんなにたくさん感謝の言葉を連ねてくれているのね。
ソト子なんて、特に、彼女の興奮がそのまま。
「アデリナ!」の声援がとても嬉しかったのね。

最初から最後まで、スケーター一人一人をずーっと見る。
試合の時でもそうだが、通して何人もの選手を見比べるとわかることもあるのだ。
世界でもとびきり豪華な選手を揃えたショーなのに、やっぱり浅田真央は別格だった。

気が付くと、また涙がこぼれていた。
あの背中、肩のライン、腕の、指先の動き。
スケート靴をはいて滑っているとも、もう思えない。
氷から浮いてるんじゃないかと思えるような天上の動き。

どうしようもなく心揺さぶられる。

でも、彼女は氷上で言葉すら発していないのだ。

ただ音とひとつになっているだけで。

この浅田真央が、ソチで無冠だったとは。

どんなにソト子が好きな私でも、認めざるをえない。
金メダリストが霞んでしまうほどのオーラを纏う浅田。

あのメリチャリでさえ、あら、なんて素敵、うっとり、で終わってしまう。

浅田真央はそれを超えている。

人は、この領域にまで達することができるものなのかしら。
最初っから、天女だったとか?

theice mao




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2014
10.02

ドキッとする時

Category: 浅田真央
ドキッとしたって、別に素敵な彼と出会ったわけでもなく、動悸がしたわけでもなさそうだ。

ただ、ある日、今更気が付く、ふと心の底から共感する一瞬がある。

そういう時、ドキッとする。

こんな私も、ふとした拍子に詩を読む羽目に陥る時がある。

昨日、たまたま数人の詩人の数編を読み比べていたのだ。

その一節に、「あ」っと浅田真央の顔が浮かんだ。

生きる
谷川俊太郎  
 
~中略~

生きているということ

いま生きているということ
それはミニスカート
それはプラネタリウム
それはヨハン・シュトラウス
それはピカソ
それはアルプス
すべての美しいものに出会うということ
そして

かくされた悪を注意深くこばむこと

生きているということ
いま生きているということ


泣けるということ
笑えるということ
怒れるということ
自由ということ


~後略~



美しいものに出会うと、同時にかくされた悪も浮かび上がるということか。
そして、それに気が付いたものは、注意深くその悪をこばむという意思を示さなければ。

浅田真央に出会ったとき、私たちがしてきたことは、このようなことではなかったかしら。
浅田真央に出会ったとき、私たちは「自分が生きること」についても考えるようになったのではないかしら。

それほど、浅田真央は、「美しいひと」だということ。
そしてそれは、この詩にあるような、様々な形をした「美」の一形態ではあるけれど、心をも含む「美しさ」だと、この詩が呼び起こしたのだ。

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