2017
08.14

『ダンサー』

Category: 映画の話
『ダンサー』

一部ネタバレ、しかも素人の好き勝手な感想ですので、
あしからず。




若き天才プリンシパル。
キエフバレエ団を経て英国ロイヤルバレエ団の史上最年少プリンシパルとして華々しく舞台を飾ったセルゲイ・ポルーニン。

クラッシックバレエは長い歴史の中で、究極の美を追求し続ける芸術。
身体に張り付くレッスン着は、筋肉の動き、使い方を確実に見えるようにするためだ。

友人に "gracefull beast "と言わしめた、優雅で猛々しく、高く正確なジャンプ。
虎の様に助走し、そのくせ軸がブレることのない美しい回転。

監督のスティーブン・カンターはドキュメンタリー畑の方だそうだ。

子供の頃から現在までの写真や映像が数多く残されているため、天才ダンサーの記録が喰い込む様にその内面に迫っていく。

彼のレッスン費用を出すためにいつしかバラバラになった家族。
その喪失感は彼を破滅の道へと何度も誘う。

彼が『引退』するつもりで踊った
『Take me to Church 』。
彼の苦しみ、魂の渇きは、その類い稀なる才能さえ、自らのGuilty だと感じていたからではないのだろうか。
家族が自分を捨てたのではない。
家族を壊したのは紛れも無い、自分だと、彼は自分を責めていた。
きっと、自分の才能までも。

『Take me to Church 』の歌詞は彼の心そのものであり、裏返しでもあった。
苦しみの表現だけではなく、罪の贖いを求める祈りでもあったと思う。

彼はクラッシックバレエの一線を退いて初めて、自分の公演に家族を招待した。
ようやく自分を許したように私の目にはうつった。

これ程の才能を持って生まれ、苦しんだ挙句

『僕はやっぱり、踊ることが好きなんだ』

そう言ったセルゲイに、観る者も救われる。

正確さを常に要求されるクラッシックバレエにおいて、完璧な基礎の上にしか芸術は生まれないのではないかと、その思いを強くした。

あの厳しくも美しいレッスンからさえはみ出してしまう程の不世出の才能。
子供の頃からのレッスンシーンにさえ鳥肌が立つ。

今現在、自身がプロデュースする公演を
行いながら、既に3本の映画出演が決まっているそうだ。
『オリエント急行』もだが、第2のヌレエフと言われた彼が、ヌレエフの伝記映画、『The White Crow 』の出演も決めているという。

絶対に見逃せない。

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2017
07.17

『フラーの舞台袖』

Category: 映画の話
『ザ・ダンサー』

以下は映画の内容に踏み込んで好き勝手に書いておりますので、
未見でこれからご覧になられる方にはネタバレということをご承知おきください。

映画を観ながら、丁度先日読んでいた本の中の
「エトワール、または舞台の踊り子」の話を思い出した。

本というのは中野京子/著
『怖い絵』
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1878年に描かれたドガの踊り子の絵の本当の姿を、中野氏はこの本でこのように書いている。

「この少女が社会から軽蔑されながらも出世の階段をしゃにむに上がって、とにもかくにもここまできたということ。
彼女を金で買った男が、背後から当然のように見ているということ。
そしてそのような現実に深く関心を持たない画家が、全く批判精神のない、だが一幅の美しい絵に仕上げたということ。」
中野京子/著 「怖い絵」p⑳より



それが、怖い、と中野氏は書くのである。

19世紀後半のオペラ座は、オペラの舞台に自分の踊り子を立たせるために金と権力に物言わせるパトロンが舞台横の桟敷席を買った。
ステイタスだった。
ある種の社交場という性質を持っていたからで、現在の様に純粋に芸術を楽しむ場とは違っていたからだそうだ。

ドガの「踊り子」の視点は、その斜め上の桟敷席からの眺めなのである。

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ドガの踊り子はクラッシックバレエの踊り子で、当時パトロンなしでは中央で踊ることは叶わない一種の娼婦。


この画面左側に胸から下だけ見えている黒いタキシードの男。
これこそが劇場の支配人でもダンサーの一人でもない、パトロンの姿。

さて、映画「ザ・ダンサー」は、引用させて頂いたこの一節通りの状況に、まさに革命を起こしたモダンダンスの祖と言われるロイ・フラーを投じた、ヒリヒリと痛い、アーティストの物語だ。

主人公、ロイ・フラーを演じるソーコの熱情的なダンスシーン。
ダンス、というより舞台芸術と言った方が近いのではないだろうか。

ソーコが迫真の演技で、フラーの芸術を再現する。
圧倒的に美しい舞台芸術を、この時代に実現したとは。
息をのむようなシルクと光のショー。

フラーは新しく独創的な舞台芸術を、自分自身が考える斬新な照明と衣装で観客に見せた。
アメリカでの手痛い経験から、その手法に特許も獲得するのである。


ドガの絵の踊り子とフラーには大きな違いがいくつもあった。
それこそフラーが革命家、と評される所以であり、彼女を題材に映画を制作した理由でもあるだろう。

パトロンと踊り子としてのフラーの関係も通常とは違うように見えた。



映画の中で監督はフラーに言わせている。

「私のダンスは衣装だけ」

イサドラ・ダンカンの自由で自然なダンスを見た後、フラーはパトロンに涙を見せて身体の関係をも結ぶのである。
伯爵はあくまでも彼女がされたいように、優しく彼女を愛する。

謎に満ちた男、ギャスパー・ウリエル演じるルイ・ドルセー伯爵は、愛のない結婚をし、放蕩を尽くして死に場所を求めながらアヘンと女に溺れる男。

フラーをニューヨークで見出し、
カーテン生地では重くて思った動きができないと話したフラーに、
薄くて軽い絹と、オペラ座を目指す資金を(その与え方は普通ではなかったが)与えた。


フラーはやんわりと示唆される映像の中で、女性を愛する女だとわかる。
彼女はパトロンになかなか身体を許さず、それでも伯爵とは互いに身を寄せ合うように生きていた。
パトロンにお金を返し、自立したダンサーとして成功したようにも映画では描かれている。
内実は心身共に蝕まれた、激しい苦悩を癒し合うパートナーとして、2人はそこにいる。


オペラ座の舞台に立つにあたって、身体が限界に達していたフラーをそれでも舞台に立たせることができたのは、「パトロンの権力」だと示唆されている。

ドルセー伯爵は言う。

「ふつう、オペラ座の舞台に立つ踊り子は観客に頭を下げるものだ。
でも君は頭を下げない。」




舞台で倒れた彼女が、必死で降ろされた幕を上げ挨拶に立つ。
オペラ座の観客はスタンディングオベーションで応える。
その時、彼女は観客に向かってお辞儀をするのである。

媚ではない、観客と芸術家の間に湧き上がる感情の表現として。

こうして、オペラ座に立つ女性芸術家は、激しい苦悶の中から美しい蝶のごとく生まれ出でる。

(と、私には思えた。ってくらいのことですから、私見です。)



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モダンダンスの先駆者として19世紀末のヨーロッパで一世を風靡したロイ・フラーの物語を、ミュージシャンで女優のソーコ主演で映画化。

フラーのライバルとなるダンサーのイサドラ・ダンカン役で、ジョニー・デップとバネッサ・パラディの娘として知られるリリー=ローズ・デップが共演。

女性のダンスが卑しいとされた時代に、バレエの殿堂であるパリ・オペラ座で踊るという夢をかなえるためアメリカからフランスへと渡ってきたロイ・フラーが、ドレスや光、鏡などを用いて新たなダンスを創作し、自らの信念と夢のために奮闘する姿を描いた。

監督は、写真家としても活躍するステファニー・ディ・ジュースト。

映画.comより



ジョニデの娘、という冠を外した方がむしろ良かったのではないかと思えるほどの魅力で観る者を惹き付けるリリー・ローズが美しく、素晴らしかった。


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2017
06.22

カメカメカメよ、カメさんよ〜♫

Category: 映画の話
『素敵なウソの恋まじない』

ダスティン・ホフマンとジュディ・ディンチのラブコメディー。

原題『esio trot』の意味がわからず、調べてみると、原題まで逆さま言葉になっていた❣️

『tortoise』⁉️そのものズバリ、🐢カメだった💕

原作のはじめには、北アフリカからかつて劣悪な環境下、大量に輸入されたカメの話が書いてある。
今は人間ではなく『tortoise』のために、保護され、輸入は制限されているという。

先日CSで『卒業』が放映されていて、勿論見逃せなかった。何回見ても年を経るごとに感慨深い。

彼の映画でどれが1番好きだなんてとても決められないが、もしかすると、この『恋まじない』が一番好きかも。

Roald Dahl原作の邦訳は『ことっとスタート』。『恋のまじない、ヨンサメカ』が新しいダールコレクションでは改題されている。
映画を見た後、原作を読んでみたら、so lovely だった💕
飼っている亀をこよなく愛するおばあちゃんに恋したおじいちゃんのお話。
プロポーズまでの遠回しなバカバカしいほどの努力が何とも可愛らしい。

亀は何十年もかかって成長する。
なのに今すぐにでもすくすくと育って欲しいとミセス・シルバーは心から願っているのだ。
主人公のホッピーさんは似たような亀を100数十匹も買ってきて、彼女の願いを叶えるべく、似たような少し大きめの亀にすり替えていく。

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ダスティン・ホフマン演じるミスター・ホッピーのベランダガーデンが素敵。

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恋の駆け引きとしても見ることができるが、何しろ『小さいのは嫌でしょ?』と小柄なホフマンを目の前にしてミセス・シルバーは言ってしまうのだ。
原作には現れない背の高い恋のライバルや亡くなったミセス・シルバーの夫が、ミスター・ホッピーのコンプレックスを刺激するのだが、彼は負けない。

原作の方は子供にも読める単純な短編だが、映画は登場人物を増やし、よく肉付けされていてとても楽しめた。

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物語の語り手、ジェームズ・コーデンが2人の出会いを語り始めてからクライマックスの着地点に至って、なーるほど、と笑顔になる。

人生の終盤を迎えた2人の恋を描いて尚可愛い、ダールのお話を愉しんだ。

ところでダールは友人イアン・フレミングのために『007は二度死ぬ』、『チキ・チキ・バンバン』の脚本を書いている。
ダール脚本の007映画は、浜美枝、若林映子(宇宙怪獣ドゴラの美しい女優さんでした)出演の日本を舞台にした映画。あの日本でのとんでもなくシュールな漁村や結婚式、可笑しなお風呂のシーンは忘れがたい。
余談が止まらないが、この映画で海女のキッシー鈴木(浜美枝)との間に生まれた『鈴木ボンド』は小林信彦の『大統領の密使』に登場し、『わかる人にはわかる』という、イジワルい笑いを提供している。

普通ダール原作の映画作品といえば、あの『チャーリーとチョコレート工場』なのだろう。

『へそまがり昔話』にならって、ジョニデとバートンの映画にはここでは触れないことにしよう。
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2017
06.18

時は、やってくるものなんだ。

Category: 映画の話

「深町君・・・おねがい」

「なに、急に・・・」

「へんな女の子だって、思わないでね」

「うん、思わないよ」

「あなたの、パジャマを見せて」



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いえ、
「KIDS STATION」で『時をかける少女』を観た、というだけなんです。

十分、「へんな女の子」ですよ、芳山さん。

何度も再放送されていますので、何度も観ているんですけど。

こんなにいい映画だったとは・・・!!!


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白いブルマくらいで驚いてはいけません。
体操服がブルマにIN、くらいでも驚いてはいけません。

先生だって
「ホットパンツ」ですから。

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ちがいました。

こんな話ではないんです。

SF的な部分を、
映画は言葉で最低限しか語らない。

あのチープなタイムトラベル場面も、今ならOK。

『事情を最低限しか語らない』ことは必要でした。



やはり「尾道3部作」の代表的作品(だと思うんですけど)。

町並みが、素敵すぎ。
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SFと日本家屋のノスタルジックな雰囲気が独特。

そんなことは、この映画が公開されたころから言い尽くされたことでございましょう。

今頃、その貴重さに気が付いたんですね。

古民家再生とか、斜面地の古い家を残すために、尾道で活動されておられる方のFBなどを見ているせいでしょうか。

「尾道空き家再生プロジェクト Onomichi Akiya Saisei Project」FBからお借りしました。
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通称「ガウディハウス」

映画には、
昭和の終わりが、そのままに。

「時は、過ぎていくものじゃない」

「時は、やってくるものなんだ」


って、西暦2660年からやってきた深町くんも言ってましたね。

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2017
06.14

満員電車は乗り過ごそう

Category: 映画の話
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日本映画チャンネル「市川崑劇場」で見た「満員電車」

ところどころオチに言及しておりますので、あしからず。

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日本映画チャンネルの「あらすじ」には
「ぶっ飛んだギャグの連続は爆笑必死。」とある。

私には全く笑えなかった。
登場人物の名前で辛うじてコメディーだったと気が付く。

作品紹介の様に「ぶっ飛んで」もいず、ギャグという言葉ではとても括れない。
クレイジーキャッツとは全く違うアプローチなのだから。

歯医者といい、社内診療所といい、精神病院といい、
ストレスによる体の不調と医療の関係もストーリーの根幹になっている。
精神科の治療を、「もっと気軽に診てもらえるような精神病院に」と医者の卵が語る場面は、
まるで今の世のことのようだ。



風刺に富んだコメディーだとしても、「非常に上質な」という言葉で修飾したい。
1カットの無駄もなく、際立った個性のスター俳優を随所に配し、
思わせぶりな印象を残しながら脇役一人ひとりに説明不要なスポットライトを当てる。


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主人公 茂呂井民雄 (川口浩)
一流大学を卒業、一流企業(ラクダビール)に就職。
生涯給与の計算など、優秀さはところどころで見せるが、
「茂呂井(もろい)」だけあって、職場のストレスから、人生という満員電車にはじかれる運命だ。

冒頭、卒業式のシーンの土砂降りからすでに雲行きは不安だ。
学生時代のガールフレンドたちに別れを告げ、民雄は社会人への一歩を踏み出す。

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大学でのガールフレンド、壱岐留奈(小野道子)との別れは、いかにもドライな若い男女らしい。
が、この2人も人生の不条理に押し流され、再会した時にはメロドラマか演歌のようなセリフを吐くようになる。
壱岐留奈=(生きるな)って、一番ひどい名前ではなかろうか?

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一種異様な通勤ラッシュが様々な形で描かれる。
狭い商店街を無理に行き交うバス(レトロで素敵)の間を縫うようにして通り抜ける小学生の一コマにゾッとする。


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工場の煙突、ベルトコンベアーで次々に生産されるビール。
この工場がまたとても良くできている。

最先端で、まだ薄汚れた感じはしない。
セットなのだろうが、リアリティーの無さがこの映画の趣にピッタリだ。

それなのに工場の中の騒音とビールが生産されるカットでは一転、
生産効率だけを考えた非人間的工場の無味乾燥さを余すところなく伝える。

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主人公の同僚 更利満(船越英二)
独身寮では珍しく、くつろいだ部屋づくりを心掛け、会社の中では情報通。
満員電車で一人だけ異質な雰囲気を醸し、すいすいと渡り歩く様子が描かれている。
ちょっとオネエっぽい仕草がいい。
「なまけず、休まず、働かず」というサラリーマンの三原則を民雄に説くが、
彼の真の姿もまた、哀れな働き蜂の犠牲者だった。


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和紙破太郎 (川崎敬三)も複雑だ。
孤児として育ち、人生を三段跳びに例え、野心に燃える。
人を手玉に取り、三段跳びをしたつもりが、文字通りその最中にバスにはねられる。
彼の死のあっけなさが、この映画を「コメディー」というより「不条理映画」と呼びたくなる一因かもしれない。

主人公民雄の実家は時計屋。
壁一面の時計が異様に見える。

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父親役の笠智衆の「か」の発音が懐かしい。
「くぁ」と聞こえるのだ。
「かんじょう」を「くぁんじょう」、という具合に。

父は自分の仕事に誇りを持っている。
1分1秒の狂いもないと自負するが、あまりにも言うことがまっとう過ぎて
それ故に世の中と相いれない。
「道理が通らない」ため、
自ら精神病院に入ることで心の安定を図ろうとする姿が、辛うじて哀れに見えない。
妙に共感を覚えてしまうのは、私自身も「世の中と相いれていない」せいだろうか。



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母の杉村春子。
あまりに苦しいことが多いので、
愚痴を言いたくなるたび笑うように心掛けたことを「発狂した」と思われる。

夫を精神病院に置いたまま、無職になった息子の再起に吹き荒れる
文字通り「嵐」にあっても、
息子と一緒にいることに生きる希望を見出している。
吹き飛ばされそうなバラック小屋にしがみつく息子の身体に更にしがみつく母親の異様さが身につまされる。

誰が正気で誰が狂気なのか、この世の中では判然としない。


実に上手い。



これを今作り直そうとしても、過剰な演出でダメにするだけだろう。
テレビ版の「黒い十人の女」なんて、悲惨だったではないか。

元々金田一シリーズの映画位でしか市川崑を知らなかった。

日本映画は昔、こんなにも素晴らしかったのだと、またしても唸る。


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2017
06.06

パーフェクトな女

Category: 映画の話
『ケイト・レディが完璧(パーフェクト)な理由(ワケ)』をAmazonプライムで視聴。

サラ・ジェシカ・パーカーが主演したコメディーである。
wikiより

ボストンの投資会社でファンドマネジャーとして働くケイトは、夫と二人の子供を持ちながら、数々の仕事で成果を挙げるキャリアウーマン。

仕事と家庭をなんとか両立させながら懸命に働く彼女に、ついに大きなチャンスが訪れる。新しい投資ファンドに関する彼女の提案を、ニューヨーク本社の幹部が高く評価したのだ。

この報せを受けて喜ぶ彼女だったが、プロジェクトへの本格参加が決定したことで、ボストンとニューヨークを往復する多忙な日々が始まってしまう。

どうにか今まで通り家庭と仕事を両立させようと奮闘する彼女だったが、次第に両方とも上手くいかなくなってしまう。



原作を読んでいないので、原作者の意図が映画の通りだったかどうかは知らない。

映画は楽しく、予定調和な流れでスルリと喉に通る感じ。

どんなに忙しいワーキングマザー(私は正直、昨今の自称『ワ―ママ』という言葉にはゾッとする)でも、
そこはサラ・ジェシカ・パーカーだ。
実にはまり役だった。
彼女が演じると、決してワーキング・ウーマンにも、冷たい母親にも、やつれた女にも見えないのだからヒロインとしては最高だ。

私が知っている限り。

『シンデレラ』⇒昔話ですから

『風と共に去りぬ』⇒ラスト、スカーレットがレットを失っても立ち上がった姿に拍手

『マイフェアレディ』⇒結局はシンデレラ以上にシンデレラだが映画には全く共感するところ無し

『プリティーウーマン』⇒いかにリチャード・ギアでも私は無理

『ワーキング・ガール』⇒80年代と言えばこれっ!痛快だったがこの時のハリソン・フォードは無理

『この映画』⇒現代版ワーキング・ガール。
全てを手にした女だが、サラ・ジェシカのおかげでキュートでチャーミングで嫌味がない。
ピアース・ブロスナン、メチャクチャ素敵ですし。
正直これこそ夢物語のその上をいく。
子ども達が反抗期の頃には、あなたも更年期で悩む年頃では?と意地悪く思ってしまう。

これを「パーフェクト」と呼んではばからないのなら、
世の「働かなくちゃ生活できませんから」という多くのおっかさん方は
昔から「パーフェクト」だったんじゃと思ってしまった。

ああ、素直な心で映画が観たい。

ということで、次はドリュー・バリモアの「Ever After」で勇気をもらおう。

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2017
05.26

TVミュージカル映画の方の「シンデレラ」

Category: 映画の話
レスリーアンウォレン
1965年に制作されたミュージカルTV映画「シンデレラ」をAmazonで視聴。
youtubeにもフルバージョンでありますが。

このTV版「シンデレラ」はリチャード・ロジャースとオスカー・ハマースタイン二世の名コンビが楽曲を作り、
1957年にジュリー・アンドリュース主演で制作したミュージカルのリメイク版。

オスカー・ハマースタイン二世は1960年に亡くなっているんですね。
にも拘わらず、1965年版のクレジットには、ちゃんと「Rodgers & Hammerstein's 」と書いてあるんです。
1957年度版の楽曲を殆どそのまま使用したから、というのもでしょうけれど、ハマースタインへの敬意の深さが感じられるクレジットでした。
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さて、参考リンクに載せている「Classic Film and TV Café 」によると、

1959年11月にブロードウェイで初演したリチャード・ロジャースとオスカー・ハマースタイン二世によるミュージカルが『サウンド・オブ・ミュージック』。

そしてロバート・ワイズ監督による映画「サウンドオブミュージック」の長女役のオーディションには落ちたそうですが、このTVミュージカルでは主役を演じているのが主演のレスリー・アン・ウォレン(Lesley Ann Warren )なんですね。

今もご健在、ご活躍していらっしゃるので息の長い女優さんだと思います。
共演のジンジャー・ロジャース(王妃役で本当にちょっとだけ踊るシーンがある)はさすがに風格がございました。

さて、1951年にミュージカルとして初演されたロジャース&ハマースタインの『王様と私』。
これを5年後にミュージカル映画にしてデボラ・カーとユル・ブリンナーが主演したのは有名ですね。
「Getting to Know You 」は、私が最も好きな曲。
この作曲・作詞者がTV版「シンデレラ」の楽曲を担当した
リチャード・ロジャースとオスカー・ハマースタイン二世だったってわけです。



この映画、他の実写版のテレビ映画のシンデレラの中ではwikiの中でも記述は少ないのですが、参考リンクから飛んだ批評を読む限りでは意外に1957年版より「いいね!」という批評が多く、レビューも好意的なものが多く残されています。

ジュリー・アンドリュースの1957年版は白黒だったそうですのでその点こちらはフルカラーでビジュアル的にも美しかったこともあるのかもしれません。

"In My Own Little Corner,"
"Impossible,"
"Ten Minutes Ago,"
"Do I Love You Because You're Beautiful?"


どれも音楽、歌詞共に素晴らしかったのでございます。


この映画、オープニングから、もしかすると○NKの着ぐるみ人形劇?と思ってしまった舞台っぽいセットでまず観客を惹き付けます。

王子は「ドラゴン退治したりあちこちで色んなプリンセスを救ってきた」という武勇伝を持つイケメンですが、救ったプリンセスの誰とも恋に落ちることなく、国に帰ってくるのです。
武勇伝をどちらかと言えば自慢というより自虐気味に語る王子とか、シンデレラの継母と義理の姉たちの面白おかしい演技とか、素晴らしい楽曲などなど、語るべきところは多くあるのでしょう。
あるのでしょうが、私が今回目が離せなかったのは・・・。

衣装・・・。
衣装に、とにかく目が釘付けでした。

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エンドロールの名前を頼りに調べてみました。

衣装を手掛けたジョージ・ウィッテカーは『刑事コロンボ』や『ナイト・ライダー』『刑事コジャック』などの衣装を手掛けた方なんだそうです。
あら、こちらのドラマも懐かしいではありませんか。

シンデレラって「灰かぶり」なんですから、もっと地味にグレーでも良かったんじゃ?と思うのですが、この衣装を手掛けたお方は全くそうは思わなかったのでしょう。、

普段着のシンデレラ、とにかく衣装も性格も明るいのが印象的です。
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こちらは普段着の継母と姉たち。
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一番まともだと思ったのはシンデレラの後継人らしい妖精さんの衣装でした。
どちらかと言えば、シンデレラより可愛いかも。
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右側が変身後のシンデレラで左が妖精さんなんですから、私ならピンクの可愛い衣装がいいなあ、と思ってしまいました。

が、このシンデレラの衣装には、ちゃんと意味があったのです。

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シンデレラの襟元が、白くてフワフワなファーで縁取ってあるのですが、その白いフワフワに「刺」、ささってませんか?
どう見ても尖ってますし、どう見ても好き勝手な方角を向いた「とげ」。

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襟元に「刺」をさしたままのシンデレラは、とりあえずこんな馬車に乗ってお城へ向かいます。

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すると舞踏会を開いた王様と王妃様のお衣装にも同じフワフワに刺が刺さっているではありませんかっ!

ちなみに一般庶民はこんな感じなんです。
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中世っぽくて、カラフルで素敵です。

で、一応男性は他にもタイツ履いて沢山参加の模様です。
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お姉さま方はこんな感じ。左側のお姉さんなんて、おっかさんのようで、いい味出してます。
正直、シンデレラの衣装より一見ゴージャスですね。
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一方、なんと王家のご家族3人、親子で刺が刺ささってますっ!
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王様の王冠周りにまでファー&刺がっ!
立ってますよね、「刺」!
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さて、そこに「刺」と「冠」でクラス感を出した、明らかに他の参加者とは違うテイストの衣装で、シンデレラが登場します。
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「刺」さして現れたシンデレラを迎え撃つ王子。
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速攻でワルツを踊ります。途中、王子は勢い余って見物人と化した姉さんの一人にぶつかりますが、構わず踊り続けます。
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もちろんジンジャー・ロジャースもいますんで、王様と王妃だって踊りますよ、そりゃ。
刺がどれだけ刺さっていても、踊るんです!
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そして2人きりで向かい合ってみると・・・。
シンデレラの衣装は王子と何気におそろなんです。
はい、このままこの衣装で結婚式があげられそうですね💛
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王子の「刺」は上着の裾と袖口に刺さっておりますが、そんなことはいいんです。
"Ten Minutes Ago,"を歌いながら、
「出会って10分」でこれです。
この後2人は2度にわたってAに及びます。
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さて、12時で魔法が解けた後、王子はガラスの靴を拾っちゃいます。
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例によって「ガラスの靴の持ち主」探しが始まります。
お約束の、「継母の靴だめし」もちゃんとあります。
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さ、シンデレラは機転を利かせて初めて王子と出会ったシチュエーション(お水をひしゃくに一杯、差し上げるんですわ)を再現し、見事王子に気が付いてもらえます。
妖精さんもシンデレラをその場で「刺さしドレス」に着替えさせて準備はOK。
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こうして、白い毛皮のトリミングに刺をさす一家に、家族が一人増えましたとさ、と大団円。
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妖精さんがシンデレラのために歌う"Impossible,"にはこちらまで勇気づけられるようでした。
不可能を可能に!
妖精さんにできないことはないんです。
でも、それもシンデレラの夢見る気持ちがあればこそ。

というわけで、大いに楽しませてもらった1965年版『シンデレラ』ですが、音楽も衣装も、思わぬ懐かしい作品と繋がっていたことがまた嬉しい映画でございました。

「刺」衣装のセンスの謎は多分永遠に解けないかもしれませんけどね('ω')ノ




参考リンク

シンデレラ (ミュージカル)
ロジャース&ハマースタイン
リチャード・ロジャース (作曲家)
サウンド・オブ・ミュージック (映画)
George Whittaker  「IMDb」記事より
レスリー・アン・ウォーレン
CMBA Blogathon: "The Prize" and Rodgers & Hammerstein's "Cinderella"
Comment:2
2017
05.22

バンクス氏の救済

Category: 映画の話
『ウォルト・ディズニーの約束』

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原題は 『Saving Mr. Banks』
直訳すれば「バンクス氏の救済」で、これは映画のテーマそのもの。
バンクス氏が、メリー・ポピンズの原作者、トラヴァース夫人にとって本当に「救済」されたかどうかはわからない。

映画.comより http://eiga.com/movie/77784/

米ウォルト・ディズニーが、自社の映画製作の裏側を初めて描いた作品で、1964年の名作ミュージカル映画「メリー・ポピンズ」の製作秘話をトム・ハンクス&エマ・トンプソン主演で映画化した。

ウォルト・ディズニーは娘が愛読している児童文学「メリー・ポピンズ」の映画化を熱望し、原作者パメラ・トラバースに打診するが、トラバースは首を縦に振らない。

やがてイギリスからハリウッドへやってきたトラバースは、映画の製作者たちが提案する脚本のアイデアをことごとく却下。なぜトラバースは「メリー・ポピンズ」を頑なに守ろうとするのか。

その答えが、幼い頃の彼女と父親との関係にあると知ったディズニーは、映画化実現の最後のチャンスをかけ、トラバースにある約束をする。監督は「しあわせの隠れ場所」のジョン・リー・ハンコック。




メリー・ポピンズの原作者P.L..トラヴァースをエマ・トンプソン、
ウォルト・ディズニーをトム・ハンクス、
リムジンの運転手ラルフはポール・ジアマッティ、
トラヴァース夫人の実父をコリン・ファレルと、
俳優陣が素晴らしかった。

私は映画のメリーポピンズが大好きだったので、この映画の原作が、実は完全に作者トラヴァースの幼少期の裏返しとして描かれていることに結構な衝撃を受けた。


映画は誇張でもなく、すんなりと、たまらなく辛く、でも少しだけ救われる形で描かれる。

ディズニーですから、と言えなくもないが、ディズニー映画にしては大人の映画だし、個人的には素晴らしかったと思う。

トラヴァースの育った家庭と、見事なほどの映画のメリー・ポピンズとの裏表。
「ミスター・バンクスを、救済しよう」というウォルト・ディズニーの最後の口説き文句は泣けた。

メリー・ポピンズのイメージがトラヴァースの過去の中に随所に散りばめられ、映画とは正反対だった事実。

この映画の企画段階でのいきさつが興味深いのでwikiから転載。

Wikipediaから

2002年、オーストラリア人プロデューサーのイアン・コリーはP.L.トラヴァースのドキュメンタリー映画『The Shadow of “Mary Poppins”』を製作した。

製作段階でコリーは「明らかな伝記映画」の要素があることに気づき、オーストラリアのプロダクションであるエッセンシャル・メディア(英語版)にスー・スミスの脚本で長編映画化すべきであると持ちかける。この企画はBBCフィルムズおよびRuby Filmsのアリソン・オーウェンの興味を引くこととなる。BBCフィルムズは企画への融資を決め、オーウェンは脚本の共著者としてケリー・マーセル(英語版)を起用する。

マーセルの草稿ではトラバースと彼女の息子に関わるサブプロットが削除され、また物語をトラバースとディズニーによる製作争いとトラバースが抱える子供時代の問題との取り組みの二筋に分けられていた。しかし、このマーセル版は明らかにウォルト・ディズニー・カンパニーの許諾なくしては使用不可能である音楽および映像の知的財産権にあたる部分を大きく取り上げていた。

「ディズニーという大きな壁を見て見ぬふりしていたよ。」コリーはそう回想している。「ウォルト・ディズニーは映画のキーとなるキャラクターだったし、メリー・ポピンズからいくつか音楽も使用したかった。いずれはデイズニーに伺いを立てなければならないのは皆わかっていたよ。」

2011年7月、イタリアのイスキア映画祭にてオーウェンはジャズミュージシャンのコーキー・ヘイル(英語版)と会う。『メリー・ポピンズ』の作曲を務めたシャーマン兄弟のリチャード・シャーマン(英語版)とは近所づきあいがあるというヘイルがシャーマンに脚本を渡すことを提案。ヘイルに渡された脚本を読んだシャーマンは企画を支持する。

その後マーセルの脚本は出来が良いにもかかわらず製作には至っていないために、プロデューサーたちからランクリン・レオナルド(英語版)の「ブラック・リスト(英語版)」に投票された。

2011年11月、ウォルト・ディズニー・スタジオの製作社長であるショーン・ベイリーはマーセルの脚本の存在を知らされる。ベイリーはディズニーCEOのボブ・アイガーを含むスタジオ重役たちと共に製作の可能性について議論した。スタジオ会長のアラン・F・ホルンはスティーブ・ジョブズからの言葉を借りて映画を「brand deposit」と称した。

アイガーは映画化を許可し、ウォルト・ディズニー役としてトム・ハンクスと連絡を取った。ウォルト・ディズニーがメジャー映画で描かれるのは初めてのことである。役を引き受けたハンクスは、「ピカソやチャップリンと同じく世界に影響を与えてきた人物を演じる機会」だと考えたという。ハンクスはウォルト・ディズニー・ファミリー・ミュージアム(英語版)を何度か訪れ、ディズニーの元従業員や、また娘のダイアン・ディズニー・ミラーを含む親族たちにインタビューを行っている。

メリル・ストリープとの交渉に失敗した後の2012年4月、エマ・トンプソンがP・L・トラバース役の最終交渉に入った。トンプソンは自身が演じた中で最も難しい役柄の1つであり、「彼女はとてつもない複雑さと矛盾を抱えた女性だった」と述べている。

また「悲しみについて、彼女は非常に優れたエッセイを書いている。彼女は実際、非常に悲しい女性だった。つらい幼少期を過ごした人よ。父親はアルコール中毒で、母親は自殺を試みて。彼女は生涯をまさしく深い悲しみの中で過ごしたのではないかしら。それ故に多くを成し遂げたのよ。」とも。

ウォルト・ディズニー・ピクチャーズの承認によって、製作チームはトラバース、ディズニー、シャーマン兄弟そして脚本の共同著者ドン・ダグラディらのやり取りが含まれる『メリー・ポピンズ』の企画開発中の音声録音と1940年代から1960年代にかけてのトラバースとディズニーの書簡の利用が可能となった 。

当初、監督のジョン・リー・ハンコックはディズニーの関与について、創始者の有利になるよう脚本を手直しするのではないかという疑念を持っていたという。しかしマーセルは、ディズニー側は「明らかに脚本への参与や不都合な描写の削除、またウォルトを変えてしまうことを望んではいなかった」としている。

ウォルト・ディズニーに関する描写についていかなる干渉も受けなかったものの、ディズニー側は喫煙シーンを省くことを強く要求した。
これは自社映画から直接的な喫煙描写を排除するという会社理念によるものであり、また、アメリカ映画協会によるレイティング指定を避けるためである。





原作者が、自分の作品の主人公を「売りものにする」ことは魂を引き裂かれるようなものだということをディズニー自身も理解していた。

映画にアニメーションが挿入されることを知り、契約を反故にしてイギリスへ帰ったトラヴァース夫人をディズニー自ら説得に追う。
ディズニー自身が夫人に自らの生い立ちと父を語るシーンは胸にしみる。

ディズニー映画だから、と言ってしまえばそれまでだ。

でも、ウォルト・ディズニーが娘たちに「メリー・ポピンズの映画を作る」と約束した話、
そして唯一トラヴァース夫人と心を通わせたリムジンの運転手の娘も「メリー・ポピンズ」の愛読者であったこと、
ディズニーが原作に惚れ込んだ気持ちは、本の書き手ではなく、読み手として十分すぎるほど理解できる。

トラヴァース夫人の父も銀行家であり、夢見がちな大人だった。
彼にとって銀行はまるで檻のように息苦しく、辛い場所だった。
酒に溺れ、病で早逝する父をコリン・ファレルが好演している。

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この写真の場面、言葉としては出てこないがオーストラリアだそうだ。
彼女の父は「私たちにはケルトの血が流れているんだよ」と娘に語る。
「いかにもイギリス人」として振る舞うトラヴァース夫人だが、生まれも育ちもオーストラリア。

複雑な彼女のコンプレックスが言葉を多用せずに映画でもわずかに描かれる。

メリー・ポピンズのプレミアに呼ばれなかったトラヴァース夫人は自らハリウッドに乗り込むが、出来上がった作品を見ながらあらゆる表情を見せる。
眉をしかめ、あきれ、時に失笑しながらも、父親バンクス氏のことをバートが子供たちに語って聞かせる場面、ミスターバンクスが銀行を首になり、寂しげに歩くシーンに涙を流す。

ディズニーに「泣いている理由」を問われ、「アニメが耐えられなくて」と答えた時のトム・ハンクスの表情が実に味わい深い。
彼女が泣いたシーンに、アニメのペンギンは映ってなどいない。

南半球出身の同僚がよく言う。
「僕たちはよく、残酷さを笑い、悲しみをユーモアでくるみ、真逆の言葉で真逆の気持ちを表すんだ。」と。
彼はアメリカ人とヨーロッパの血筋を色濃く残す自分を一緒にされることをとても嫌う。

彼の言葉を思い出すと、トラヴァース夫人の複雑な反応(とその描き方)も納得できる気がする。

映画の終盤、ミスターバンクスが子供たちと一緒に凧揚げに向かうシーンでは一緒に歌を口ずさんでもいる。

後味は決して悪くないが、これはとても悲しい映画。

最初に作られたドキュメンタリーのタイトル通り、「メリー・ポピンズの影」なのだ。
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2017
05.15

メロディ

Category: 映画の話
今でも時折CSなどで放送される『小さな恋のメロディ』。

小学生になるかならないかの頃、年の離れた姉に連れられて何度映画館に足を運んだことだろう。

ビージーズの音楽が全編に流れる、美しい、特別な映画。

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あらすじ(Wikipedia)

舞台はロンドン。公立学校ながら、厳しい教師と生徒たちの間でささやかな対立がはじまっていた。厳格な教えを説く教師たちや子供に過干渉な親たちと、それらに従うことなくそれぞれの目的や楽しみを見つけようとする子供たち。

気が弱く大人しい11歳のダニエルもそんな生徒の一人だったが、同じ学校に通うメロディという少女と出会う。2人はいつしか互いに惹かれあい、悩みを打ち明け、初めて心を許す相手を見つけたと感じた。純粋ゆえに恐れを知らない2人は、学校をさぼって海水浴場へデートに出かけたことから校長先生に叱られ、クラスメートたちにも散々笑い者にされる。ダニエルは悪友オーンショーにしつこくからかわれ、殴り合いの喧嘩まで繰り広げてしまう。

事情を聴くこともなく押さえつけようとする大人たちに対し、2人は一つの望みを口にする。それは「結婚したい」という驚くべきものだった。「どうして結婚できないのか」と問うが、当然親も教師もとりあわない。ある日、教師が授業を始めようとすると、教室はほとんどもぬけらの空であった。自分たちの手で2人の結婚式を挙げようと、クラスの生徒が集団エスケープしたのである。教師たちはあわてて彼らを探しに行く。

廃線脇の隠れ場所で、オーンショーが神父を務める結婚式がとり行われていた。ダニエルとメロディが誓いの言葉を唱えようとした時、教師たちに見つかってしまい、子供たちは散り散りに逃げていく。暖かい日差しの中で大人と子供の乱闘が繰り広げられ、発明狂の男の子が作った自家製爆弾が車を見事に爆破すると、大人たちは恐れをなして一目散に逃げて行く。子供たちはやんやの喝采を挙げる。その頃、ダニエルとメロディの2人はオーンショーの助けで追手を振り切り、トロッコに乗って線路のはるか向こうへと駆け出して行った。



『若葉のころ』が流れるお墓でのデートシーン。
歌詞を聴きながら、
やはりこの映画は、かつて無垢な子供だった全ての大人へのオマージュなのではと思った。

映画は実のところ、子供の目線ではなく、はっきりと大人の目で描かれている。

ダニーとメロディの家庭の違いを印象付けるシーン。

海でのデートでも、彼らの会話から両親の姿が浮かび上がる。
くっきりと。

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ダニー 「結婚しようか」

メロディ 「いつかね」

メロディ 「なぜ水がしみ出ていくの?」

ダニー 「いくつで結婚できる?」

メロディ 「石を入れとくとどうかしら・・・。
      両親くらいの年よ」

ダニー 「そんな年まで待てないよ。年寄りはたいていみじめだ。」

メロディ 「年をとると何でもわかるのよ。だから飽きちゃうのよ。」

カメラは中年の太った男女が海に足だけ浸しながら並んで立っている後姿を映す。

メロディ 「わからないわ。ほんとよ。」




「わからない」ことの尊さ。

爆弾づくりの少年の意外な活躍。
ジャック・ワイルドが実に繊細に表現した友情(今ならBLと言われても仕方ないほどの)。

以前もGleeの最終回の記事で同じことを書いたが、
最後の曲は深い。


「Teach Your Children」(Crosby Stills Nash & Young )

You who are on the road
Must have a code that you can live by
And so become yourself
Because the past is just a good bye.

Teach your children well,
Their father's hell did slowly go by,
And feed them on your dreams
The one they picked, the one you'll know by.

Don't you ever ask them why, if they told you, you would cry,
So just look at them and sigh and know they love you.

And you (Can you hear?) of tender years (And do you care?)
Can't know the fears (And can you see?) that your elders grew by (We must be free)
And so, please help (To teach your children) them with your youth (What you believe in)
They seek the truth (Make a world) before they can die (That we can live in)

Teach your parents well
Their children's hell will slowly go by
And feed them on your dreams
The one they picks, the one you'll know by

Don't you ever ask them why
If they told you, you will cry
So just look at them and sigh
And know they love you



三者面談でゴリオの担任の先生から
きつーいお言葉を頂いてきた。

実はかなり、どよーーんと落ち込んでいるので、
この映画でこの曲を聴きたくなってしまったというわけです。
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2017
04.08

夜は短し走れよゴリオ

Category: 映画の話
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2017
03.05

アナ雪

Category: 映画の話
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2016
11.18

モテる男

Category: 映画の話
渥美清が金田一耕助を演じた『松竹版 八つ墓村』を久しぶりに見た。

wikiによれば

本作を原作とした映画が3本、テレビドラマが6作品、漫画が5作品、舞台が1作品ある(2014年3月現在)。
9度の映像化は横溝作品の中で最多


舞台を入れると10作品もあるという。

実に色んなバージョンで見ているので、頭の中でまぜこぜになっている。

印象に残っているのは、古谷一行TV版、終戦後のうらぶれた雰囲気の漂う雰囲気が好きだった。
鰐淵晴子の美也子にも良い意味で意表を突かれたし、何しろこちらは結末で不気味な印象を残している。




さて、野村芳太郎監督の『八つ墓村』は、興行的にも最も成功した横溝作品だという。

あまりにも有名だし、話の筋も皆さまご存知だろうし、
なのでその辺りはばっさり割愛する。

過去の記憶では、私的なこの映画のポイントは、これまでこの3つだった。

1. 山﨑努の32人殺しの恐ろしさ。
2. 小川眞由美がまさに鬼と化し、鍾乳洞で後を追ってくるコワさ。
3. 典子(原作では辰弥と結ばれる)おらんのか~~~い。


今回のポイントは、大きく変わっていた。

1. ショーケン、こりゃモテる。
  これはモテずにはいられない。何がこんなにいいのかわからないが、
  鍾乳洞で美也子の手を引いて走る辰弥が超カッコイイ。

2. 山崎努、こりゃモテる。
  久弥役で病床で目の下真っ黒でも、要蔵として人斬りに村中走り回っていても、キレがいい。
  隠しようのない色気と目ヂカラと、何しろ体躯の美しさに惚れ惚れ。

3. 加藤嘉、モテる。
  最初の被害者だし、じいさんだけど、こりゃモテる。
  宮参りに山の石段を上る赤ん坊を抱いた中野良子親子を見つめる優しさにグッとくる。




モテる男
yatuhaka.png



この際2と3のポイントは置いておこう。

1. のショーケンが肝心なのだ。

実は、この映画のほとんどは彼のカッコよさで出来ているんじゃなかろうかと思った。
これってある種のアイドル映画だと何故昔、気が付かなかったんであろう。

最後の空港の整備士姿。

舞台を現代に置き換えたからそれっぽさを出したかったとか、ショーケンはお父さんがどこか外国にいると渥美金田一から吹き込まれたはずなので、そんなこともあったりで、別にいきなり整備士姿でもいいわけだが。

最後までノーサツする気か、ショーケンっ!

そんな感じで、今見てもコワかった小川眞由美の美也子がぶっ飛んでしまった。

「3. 典子(原作では辰弥と結ばれる)おらんのか~~~い。」

当然ですな。

ショーケンが主人公である限り、典子が出てきては困るはずだ。
ショーケンは、誰とも安易に結ばれてはいけない。
最後にパパになったりなんか、しちゃいけない男なのである。

ショーケンが主人公である限り、小川眞由美とのシーンは許されても、
他の若い女子と結ばれてはいけなかったのだ。

監督、よくわかっていらっしゃるっ!

元々圧倒的に山﨑努が好きだったのだが、これはしてやられた。


セクシーとか、カッコいいとか、そんな言葉で括れる魅力ではなく。

なんだろう。

ヤバイ感じ、とでも言えばよいのか。

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うちのゴリオ(仮名)は残念なことにモテない。
黙っていればカッコいいよと慰められることもあるようだが、
それって、どう聞いても「おまえは、どうやってもモテないよ」と断言されているようなものではないか。


何がこんなに違うのか。

ショーケンとゴリオの違いはどこにあるのか?

人間とゴリラの違いか?

ゴリオほど安全で安心な男はいない。

モテる男とは。
きっと安全、安心とは対極にある男。

・・・・でなければ、究極に優しい爺さん。

あんなに怖い『八つ墓村』で。
こんなこと考えるとは思いもしなかった。

いやあ、映画って、いいですね。


忘れていたので追記

渥美清の金田一。
この映画では物語の収拾をつける「語り役」。
静かで丁寧な口調に、素の渥美清が透けている気がした。



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2016
10.15

オシャレ怪獣ドゴラ

Category: 映画の話
『宇宙大怪獣ドゴラ』をCSで観たのです。
1964年、東京オリンピックの年に公開されているんですね。

チャンネルNECOより
http://www.necoweb.com/neco/program/detail.php?id=3797

宇宙大怪獣ドゴラ 1964 東宝

【キャスト・スタッフ情報】
監督:本多猪四郎 特技監督:円谷英二 原作:丘美丈二郎 脚本:関沢新一 出演:夏木陽介 ダン・ユマ 中村伸郎 小泉博 藤山陽子

あらすじ

『ゴジラ』の本多猪四郎監督×特技監督・円谷英二コンビが手掛けたSF怪獣映画。あいつぐ核実験の結果、宇宙に発生したアメーバ状の細胞が巨大な宇宙怪獣ドゴラに成長し、ドゴラのエネルギー源である炭素を求めて地球に大挙来襲する。ドゴラは石炭やダイヤモンドを吸い上げては成長し、地球を壊滅の危機に追い込んでいく。


ええと、音楽もですが、私、特撮SF映画にも全く詳しくございません。
ですので、手前勝手な感想のみ書き残します。
お詳しい方には、以下、馬鹿馬鹿しくてやってらんねえ感じの感想ですので、
スルーしていただけると幸いです。


この映画をつべで探すと、英語版のタイトルには『宇宙怪獣ドゴラ-「jellyfish」クラゲの襲撃』と書いてあるのです。
なるほど、wikiには「イカ型」とか書いてありますが、確かにクラゲっぽくもありますね。

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宇宙大怪獣ドゴラ予告

予告編に、映画全編で活躍する外国人マークを、単に「変な外人」と紹介しているのが笑えました。
彼はこの映画の「ギャング」対「外事警察」を国際的な秘密組織な感じに大きく見せる、スリルでボンド的な役割を担った重要人物なんですよ。


Dogora the Space Monster (1964) - Attack of the space jellyfish!


この映画、一言で言って、とにかくオシャレ。

出だしに謎の女が見張りに使っているスポーツカーからしてもうオシャレ。
警報の出ている北九州市に寝台特急「さくら」に乗って、東京からヤングソルジャー気分で乗り込む「博士」と「お嬢」の2人組。
この2人が寝台車の中で使う赤い水筒が死ぬほどオシャレかつカワイイ。
どこでだったか、皆でラジオのニュースを聞き入る場面で大写しになるラジオのデザインがまた悶絶するほどオシャレ。
イカ型になった「大怪獣」のフォルムがスマートでオシャレ。
華麗なる怪獣だと言ってもよいほど、動きだって軽い。
新鮮なイカならではの透明感がそこはかとなく漂っていて、それはもう、上空のトルネードと一緒に神秘な映像になっています。



映画「ボルサリーノ」が1970年だとしても、それ以前に真似真似ではなく日本人がスーツに帽子をかぶるそのオシャレな感じ。
悪役が揃って洒落ているだけでなく、悪い人なのか何者なのか判然としない外国人のマークが明るい暖色系、茶系の服と茶色い帽子のリボン的なもの(なんていうのかわかりません)がキャラクターをよく示していて、この映画を独特なAに引き上げている気がします。
あくまでも、私の中でですが。

怪獣とダイヤ窃盗団に、マークとかいう謎の外国人と「博士」、夏木陽介の外事警察がどう絡もうと、正直どうでもよくなるほどのオシャレ感。

窃盗団の女は黒髪のロングヘアにノースリーブの短めチュニックとスリムなパンツがもうオシャレ。
彼女の短めチュニックはレオパード柄のVネック。
ワルイ女を表現した柄の選び方にもかかわらず、これが黒髪によく似合って、下品にならないのが上級者。
ボスと合わせたような半袖グレーのタイトスーツも、悪役集合の画面全体のコーディネートとして、クールでステキでした。

「博士」の美人助手の「お嬢」も、ダークスーツのオヤジ共に囲まれながら、あくまでも、どこまでも「お嬢ファッション」を貫きました。

「お嬢」と「博士」と「外事警察」3人組
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この時のペイズリーっぽい柄のノースリーブ、こちらもオレンジ系で、お嬢の肌の色によく似合っています。
昨今いうところのカラーコーディネートの理論から言っても、善悪、その中間の人物像を、着ているものの色で描き分けをしているかのようで、このあたり、ただモノではない衣装係のセンスが伺えます。

外事警察のくせに、謎の外国人マークの空手チョップでのされた若き警察官が目覚めると、そこには真っ白いブラウス姿の「お嬢」が。
今年よく見る襟の詰まったラウンドネックに小ぶりなペンダントが清楚で超オシャレ。
その時点で彼女の身にどう危険が迫っているかには関係なく、彼女を自宅近くまで送る刑事の特権。
オシャレな「お嬢」は、外に出ると、そのブラウスらしきものの上には、短い襟付きのノースリーブジャケット。
これがスカートと上下のスーツになっていて色がまた上品なコーラルピンク。

ノースリーブの水色ドレス。
柄物のノースリーブのツーピース。
生地と、女優さんの身体にピッタリした仕立ての良さからして、制作予算のいくばくかにこのお衣装代がつぎ込まれていることは間違いないと思われます。
外事警察もときめく可愛い上品系衣装が美人さんによく似合います。

ほかのオヤジ全員がダークスーツにも関わらず、「博士」だけは麻らしき薄ベージュのジャケットを着ていたり、半袖グレージャケット姿の窃盗団の「ボス」もいますので、夏から秋にかかる季節とお見受け致しました。
地球温暖化が進む前の湿度の高い日本の残暑でも、警察ではこれでいけたんでしょう。

外の場面では半袖白シャツ姿や浴衣姿の普段着衣装の庶民が逃げまどったりしますので、怪獣が東京上空などに出没して初めて、本当の季節感を感じる映画ですね。

でもノースリーブを貫く間に、「お嬢」が長そで花柄プリントブラウスなどを突然着て、お茶を出したりしていますので、油断のできないオシャレさんです。
黄色を基調とした同系色の花柄に白いタイトスカート姿も、広めのラウンドネックブラウスのわずかな襟の立ち上がりがなんともレトロで可愛らしい。

後半、ダイヤを持ち逃げした窃盗団の女の方は、黒いノースリーブのドレスにハイヒールで林を分け入り、海岸を逃げまどいます。どう考えても場にそぐわない衣装なんですが、ヘプバーンのティファニーで朝食をの衣装を盛り込みたかったとしか思えません。

思わずwikiでこの映画と同年の映画のラインナップを探してしまいました。
海外映画も華やかな名作映画が多かった年ですね。
なーるほど、と膝を打ちたくなりました。

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さて、肝心の怪獣です。

どんな「大怪獣」かと思いきや、「大怪獣」が「大」だったのは、炭鉱の町、北九州上空だけでのことでした。
巨大イカのような大怪獣になった後は攻撃やら何やら受けまして、散り散りに散った水晶の玉的なものになったり、最後は「地蜂の毒」でカラフルな巨岩になって落ちてくる、という姿を変える怪獣だったのです。

「大」の時でさえ、その全貌はチラリとしか出てきません。
チラリズムの極致を楽しむのに、これほど食指を動かされる怪獣映画があるでしょうか。
もうそのものをズバッと見せつけられる何倍も、「いいんじゃないの、これ、くるわー」感が増幅されます。

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なにせイカですから、何本も触手があって、それが時折アニメ化までして、特撮もあの時代ですから、どんな風に撮ったのか、興味深くてお詳しいブログ様やwikiを散々読む羽目になったほどです。

1964年、CGもない時代に、実写だったりとても精巧に作られたミニチュアだったり、なんとアニメですらあったりする「若戸大橋」をぐしゃっと掴んでポイッとやる、なんて映像が出てくるわけです。

この部分なんて、ディズニー映画のようです。

アニメからの
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合成からの
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本当に質感のあるミニチュア
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そしてドボーン!
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あとは何といっても、「炭素」系のものを食べて生きる大怪獣が吸い上げる「巻き上げられる石炭」のシーン。
撮影は大変だったそうですが、工夫の甲斐あって今見ても自然です。


大怪獣が石炭を吸い込んでます!確かに!墨吐いてません、吸い込んでるんです!
でも粉々になったあとの身体で、どうやって摂取していたのかは、最後まで謎のままでした!
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実際の映像とミニチュアの「若戸大橋」の赤が、嫌味なく普通に繋げて鑑賞に堪えます。
潰れていく工場や町の精巧な作りには驚くほど。
何しろ作り物感で猥雑な感じが一切ないのは、空一面を覆う得体のしれない怪獣を見せるために、街全体を引いたカメラで撮っているせいでしょうか。
『スカイライン-征服』とか、『クローバーフィールド/HAKAISHA』とか、お好きな方には申し訳ないのですが、このあたりのディザスターSF映画は、見た後にどっと疲れる私ですので、レトロ系はしっくりくるのかもしれません。

宝石泥棒の話と怪獣退治が平行線で噛み合わなかったりする話ですので、そこをどう感じるかで評価も別れるところでしょう。
ラストの「博士」の旅立ちといい、子どもが見てもつまらなかったかもしれませんが、大人が見る分には十分楽しめました。



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2016
09.19

よい子が住んでるよい町は

Category: 映画の話
この連休中、他のブログ様を読んで楽しませて頂いたり、
撮りためたTV録画を繰り返し見たり、
相変わらず本の雑読(私の場合、読書というほどのものでもないので)を致しております。

まずは
「シャーロック・ホームズVSモンスター」

ぶっ飛んだC級。
何に驚くかって、これが2010年制作だというところでしょうか。

2010年だよ。
ガイ・リッチーの「シャーロック・ホームズ」の後ですよ。
60年くらい昔の映画だと思って見れば
「すげーなー、このメカロボ。
どうやって作るんだろなー、この恐竜とか空飛ぶでっかい翼竜ロボ。」と、
ある種の感慨があったかもしれません。

ホームズの推理場面にどれ程の無理矢理感があろうと、
ワトソン博士を無駄に危険なパシリに使おうと、
どこか良いところがないかと何度か見直した程でしたが、どうにもこうにも、でした(´;ω;`)ウッ…



「宇宙からの脱出」
1969年制作

グレゴリー・ペックがSF映画に出ていたとは知りませんでした。
宇宙空間の映像は素晴らしいと思いました。
前年の「2001年宇宙の旅」とは全く違って、どちらかと言えばドキュメンタリーに近いでしょうか。
淡々と話は進むのですが、ジーン・ハックマンの見せる人間臭さに救われた映画でした。

この映画の場合、グレゴリー・ペックはミスキャストだったかもしれません。
非情な上層部、非情な研究者、あるいはホントは良心の塊なのに任務を遂行しなくてはならないジレンマに苦悩する1人の男。
・・・・・・・・・・どこにも当てはめようがなくて困りました。

グレゴリー・ペックの役を、もっとアクの強い俳優が演じたらどうだっただろうと思ったのですが、
それは今の時代だからそう思うのかもしれませんね。

高校生の頃、グレゴリー・ペックが好きで好きで
リバイバルの映画館に通ったもんですが、
彼は良くも悪くも映画におけるクォーターバックのような存在だったのかもと思います。


「宇宙人東京に現る」
1956年1月公開

制作が前年だとすると、戦後わずか10年。
敗戦国となった日本が、それからわずか10年でこのカラー特撮映画を撮ったことにまず驚きます。

岡本太郎氏が宇宙人をデザイン!ということで食いついて見ました。

wikiによると

『宇宙人東京に現わる』(うちゅうじんとうきょうにあらわる)は、1956年1月29日に公開された、大映製作のSF特撮映画である。日本初の本格的カラー空想特撮映画。
英語表題は "Warning from Space"、もしくは"Mysterious Satellite"。

概要

友好的な宇宙人は1951年公開のアメリカ映画『地球の静止する日』、地球への天体衝突は同じく1951年公開のアメリカ映画『地球最後の日』で描かれており、『宇宙人東京に現わる』はこれら2作品の発想を合わせたような作品である。
ストーリーは、被爆国である「日本」の核兵器廃絶の理想と、未来の宇宙時代への夢が織り込まれている。特撮の担当は、のちに円谷プロのウルトラシリーズを手掛ける的場徹。登場するヒトデ形の宇宙人「パイラ星人」のキャラクターデザインは芸術家・岡本太郎が担当している。
後年のウルトラシリーズによくある「姿形の全く違う宇宙人が地球人に変身して人類社会に潜伏する」という描写を、日本映画としては初めて見せた作品でもある。



これは楽しめました。

何よりツボだったのはこちら↓

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この「宇宙人」という文字のオシャレっぷり!
文字なのに、本当に「宇宙人」を形にするとまさにこんな感じなのでは?


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ポスターの方の文字は少し丸っこい感じでしょうか。
こちらも素敵です。

Warning_from_Space_Pairans.jpg
このヒトデ、やっぱりタロウ・オカモトな感じでしょうか?
可愛いし、何より親切なんです。

それにしても、核廃絶を訴えながらも、何事か起きた時には『もっとすごい爆弾』で相手をぶっ飛ばす➡そして平和・・・?

今も続く同じループの中にいる人類。

この映画、東京に住んでいる市井の人々や、子ども、
人間味あふれる科学者の家庭生活が良く描かれているんですね。
世界中の原水爆を打ち上げても『新天体 R』には効かなかったという緊迫した場面の間に、
『幼稚園の先生』である科学者の娘が、避難先で子供たちにお姫様の昔話をしてなだめているんです。
古き良き日本映画の雰囲気に、地球人を救うために頑張る宇宙人。

何度も響く「歌の町」の歌詞。

「よい子が住んでるよい町は~」♪

この『町』を守るため、みんな頑張るのです。

で、特に外国人は出てこないのに、
流ちょうな英語で海外と電話で連絡を取る研究者を何度も画面に写し、
『臨時ニュース』の放送を適宜流すことで
グローバル的大事が「東京」だけの問題ではないリアルをきちんと感じさせてくれるのです。

(パイラ人が)日本に現れたのも「世界唯一の核攻撃による被害国なら、話を聞き入れてもらえるだろう」と判断したから

というのも無理なく納得できて、そのあたりの配慮が
「シャーロック・ホームズVSモンスター」と違ってこの映画を『A』と呼びたくなる理由でしょうか。



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2016
08.22

ブラッドベリと怪獣

Category: 映画の話
この夏、CSで怪獣映画を沢山流していた。
もしやと思って番組表から
和田誠さんの本にも出てきた「原子怪獣現る」を見つけることができた。


「原子怪獣現る」

dvd-642.jpg

原題は「The Beast From 20.000 Fathoms」

つべはこちら➡https://www.youtube.com/watch?v=rGsilO8T4yI
こちらの方が見やすいかも➡https://www.youtube.com/watch?v=NbqhbrycSGE

wikiより
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8E%9F%E5%AD%90%E6%80%AA%E7%8D%A3%E7%8F%BE%E3%82%8F%E3%82%8B


概要

核実験で現代に蘇った恐竜と人間との攻防を描く作品。『Monster from Beneath the Sea』のタイトルでも知られる。
原作はレイ・ブラッドベリの短編小説『霧笛』 (The Fog Horn)。特撮部分をレイ・ハリーハウゼンが担当している。登場する恐竜と思しき巨大生物は、原作小説では「灯台のサイレンに反応して現れた」とされているが、映画では「水爆実験によって復活した」と設定が変更されている。「夜の灯台を怪獣が破壊する」というシーンに原作の名残が見られ、それが本作の名場面にもなっている。
「核実験で蘇った巨大な怪獣が都市を襲撃する」という本作の設定や特撮技術は、『ゴジラ』(1954年)など後世の作品にも大きな影響を与えた。

あらすじ
北極圏で核実験が行われる。様子を見ていた物理学者のトーマス・ネスビットは、「繰り返される核爆発がどのような結果をもたらすのか、今は誰にも分からないだろう(時間が経たないと分からないだろう)」と予言じみたことをつぶやく。その翌日、野外調査に向かったネスビットは、核実験でひび割れた氷原で、全長30メートルの肉食恐竜リドサウルスを目撃する。しかし、恐竜を見たと訴えても周囲の人には信じてもらえない。
リドサウルスは北アメリカ大陸東海岸を南下し、グランド・バンクス(ニューファンドランド島沖の大漁場)とマーケットで漁船を、メイン州で灯台を襲撃する。生き残った漁師の一人がネスビットと同じ恐竜を目撃したと証言し、以後、ネスビットは古生物学者のサーグッド・エルソン教授と助手のリー・ハンターと行動を共にするようになる。エルソンは、リドサウルスは同種の恐竜の化石が最初に発見されたハドソン川流域に戻ろうとしているのではないかと予想し、ハドソン川の河口の海底谷を潜水鐘で捜索する。予想通りリドサウルスが現れたものの、リドサウルスは潜水鐘を沈めてマンハッタンに上陸する。リドサウルスは市街地で暴れまわり、数百名を死傷させる。駆けつけた軍隊はリドサウルスを電気柵で足止めし、バズーカを命中させて海に追い返すが、リドサウルスがまき散らした血液は謎の病原体を含んでおり、さらに多くの人が感染症の犠牲になってしまう。
血液を流出させずにリドサウルスを倒すため、ネスビットは新兵器アイソトープ弾の使用を提案する。一方、リドサウルスは再上陸を試み、コニーアイランドの遊園地を襲撃する。軍隊の狙撃手のストーン伍長はアイソトープ弾を装填したグレネードランチャーを携えてリドサウルスと対決し、バズーカの傷跡にアイソトープ弾を撃ち込むことに成功する。リドサウルスは悲鳴を上げてのたうち回るが、ついに地面にくずおれ、息絶えるのだった。


スタッフ
監督:ユージーン・ルーリー
製作:ジャック・ディーツ、ハル・チェスター
原作:レイ・ブラッドベリ
脚本:ルー・モーハイム、フレッド・フリーバーガー、ユージーン・ルーリー、ロバート・スミス
撮影:ジャック・ラッセル
音楽:デビッド・バトルフ
美術:ユージーン・ルーリー
編集:バーナード・W・バートン
特殊効果:ウィリス・クック
特殊撮影:レイ・ハリーハウゼン



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クライマックスの遊園地のシーン。
巨大木製ジェットコースターに乗って怪獣にアイソトープ弾を撃ち込む射撃手と科学者の二人。

インディ・ジョーンズのトロッコをちょっと思い出してしまったが、こちらのジェットコースターの箱は、この映画では無常にも逆側に落ちて行ってしまって、逃げる時には乗れない。
主人公がそれでも普通に助かってしまうのはご愛嬌。

原作がレイ・ブラッドベリであったことも、しかもその原作があの「霧笛」であったことも、
ネットで調べるまで知らなかった。

わずかにタイトルから感じられる、深い海の底から来たんだよ、という感じ。
原作の遠い水底から霧笛の鳴る灯台を、仲間ではないかと遙々やって来た取り残された恐竜の哀しみは描かれずとも、このタイトルは紛れもなく原作のテイストを残している。

あの短編から、こんな映画を作ることができるだなんて。

インスピレーションは無限。

勿論映画と原作は全く別物なのだが、
あの短編から巨大化した恐竜(リドサウルスとか言うらしい)を造形し、
「何故」そんな姿になったのかを水爆実験と関連付けた。



恐竜の体液や血液に入っているかもしれない病原菌や放射性物質に言及することで
パンデミック映画の系譜にも名を連ねることができるかもしれない。
その上ロマンスあり、
科学者の命を懸けた研究への情熱まで垣間見せる。

昔の映画らしく、全てにおいて品が良いところも私には好もしい。

1953年公開のこの映画に、今に通じる怪獣映画のほとんど全てが、
「種」くらいの形で沢山つまっている。

ブラッドベリの「霧笛」をわずかに思い出させるのは、巨大化した恐竜が灯台を破壊する場面なのだが、
事件の1点にしかなっていない。


私の中で、「霧笛」は郷愁。
古代からただ一頭だけ生き残った巨大な生き物の時間を超えた孤独と、灯台守の心象風景が重なった「詩」だった。
海の底で過ごす、孤独な恐竜の長い長い時間が、短い言葉の中に手に取るように感じられる、
不思議な深く青い海の、詩だ。

ブラッドベリは短編の名手。
SFも彼の手になるものはあまりに美しく、時に胸に刺さる悲しみを残す。

「ウは宇宙船のウ」で、若い日の切なる希望と現実を鮮烈に体験させてもらい、
「宇宙船乗組員」では人を愛する悲しみを知り、
「長雨」では人間の欲するものを皮膚感覚で味わった。

それが、怪獣映画の元になるとは思いもしなかった想像力の欠落した自分にびっくり。


さて、お次は

「怪獣ゴルゴ」


同じユージーン・ルーリー監督の手になる1961年制作のイギリス映画。
こちらはカラー。
wiki➡https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%80%AA%E7%8D%A3%E3%82%B4%E3%83%AB%E3%82%B4

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トレーラーだけですが、つべはこちら➡https://www.youtube.com/watch?v=RxazeJ7TlWM


怪獣ゴルゴ

親:身長60メートル
子:身長20メートル

海底火山の爆発によって目覚めた太古の怪獣。ナラ島ではオグラと呼ばれており、海の精霊、航海の守り神として言い伝えられていた。ゴルゴという名前の由来はギリシャ神話の怪物ゴルゴンからで、サーカス側が勝手に名付けたものである。劇中では詳しい生態には触れられずゴルゴが恐竜の生き残りなのかは不明(ゴルゴサウルスという恐竜は実在したが、関連はない)。
海外の怪獣映画としては珍しく人類の兵器は一切通用しないという設定である。幼獣は危険を感じると体から燐に似た体液を出す。

解説
本作は着ぐるみの怪獣を特撮用ミニチュアセットの中で演技させている。日本では1954年の『ゴジラ』以降、「巨大生物モノ」に関しては時間や予算的制約から人間が中に入る“着ぐるみ”で撮影するのが一般的だが、モデルアニメーションや機械・操演によるパペット、あるいは本物を大写しにするといった手法が多い海外の特撮作品としては、珍しいタイプの特撮映画といえる。
監督のユージン・ルーリーはかつて『原子怪獣現わる』でもメガホンを取ったが、この映画を自身の娘に見せたところ、その結末に関して大いに不満を漏らした。この経験が、本作のラストに生かされている。
企画の段階では、怪獣ゴルゴの上陸地点はフランスの首都・パリということになっていた。だがパリは海から100キロ以上離れた内陸にあったため、海から上陸した怪獣が襲うのは変だということになり、より河口に近いロンドンへ舞台が移された。

当初は舞台を日本にした、日英合作の作品にする案であった。

ゴルゴの捜索シーンに『空の大怪獣ラドン』のF-86Fセイバーのフィルムが一部流用されている。
キャスト全員が子役も含めて全員男性であり、母ゴルゴを除くと、主要キャストに人間の女性が一切出演しない映画である。
本作は製作国であるイギリスに先駆けて日本で先行公開された。





wikiを読んで納得。

只怪獣映画のイギリス版と見るには、あまりに設定が日本人好みでおわり方もお馴染みな感じだったので不思議だった。

欲に流され、海から怪獣の子どもを引き上げて見世物小屋に売り飛ばそうとする大人達の中で、「これは人間が見るものではないよ」とゴルゴを逃がそうとする男の子。
人間から見ると巨大でも、男の子からすりゃ、同じ子ども同士だったのだ。

「原子怪獣現る」の唐突なエンディングに比べ、親子で海へ帰っていくラストもいつか見た怪獣の後ろ姿な気がして。
本当にそんな怪獣映画を見てきたかと聞かれても、「イメージ」先行型なもので確信はないが、
非常に共感を覚える映画だった。

同じ監督の手による怪獣映画でも、ずいぶん雰囲気が違って、こちらはこちらでまたとても良い。
カラーだし。


ところで、ブラッドベリの「巨大生物と郷愁」をある意味踏襲しているのは、実はこちらかもしれないと思ったのだった。


ウルトラマン空想特撮シリーズ第35話「怪獣墓場」2/2

怪獣のフォルムはカッコいいのに、たそがれたり、すねたり、最後はウルトラマンに首をすくめるジェスチャーをされてしまう。

カッコ可愛い怪獣。

東京オリンピックの8分間プレゼンを、テレビは流 しておりますが。

同じくカッコ可愛い感じが、ニッポンなのでしょうか。



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2016
05.29

絵筆のサスペンス

Category: 映画の話


『迷宮のレンブラント』
原題 INCOGNITO
製作年/国 1997年/米
配給 東宝東和
時間 107分
公開日 1999年10月9日(土)
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監督
ジョン・バダム

出演
ジェイソン・パトリック
イレーヌ・ジャコブ
ロッド・スタイガー
イアン・リチャードソン




ストーリー

 【キネマ旬報データベースより】

(※内容にネタバレを含みます)
ハリー・ドノヴァン(ジェイソン・パトリック)は天才的な贋作画家。ニーヨークでケチな依頼主に贋作を売りながら生活していた彼は、ある日、報酬50万ドルでオランダの巨匠レンブラントの絵画を描くという特別な注文を受ける。
ハリーはアムステルダムに住み、レンブラントの研究を始める。
途中、パリヘ移ったハリーは学生だと名乗るマリーケ(イレーヌ・ジャコブ)に出会う。
恋に落ちたハリーはマリーケと一夜を過ごすが、翌朝マリーケはメモを残して去っていた。

アムステルダムヘ戻ったハリーは製作中の絵画に父の眼を描きこみ、一枚の肖像画を完成させる。依頼主の画商たちはその絵をスペインの農家で見つけたと偽って、専門家に鑑定させる。

その鑑定の場に来たのがマリーケで、彼女は「これはレンブラントではない」と言う。

その後、ハリーは絵を盗難。逃亡するが、その直後、画商たちのあいだで殺人事件が起こる。ぬれぎぬをきせられたハリーはマリーケを連れて逃げるが、警察につかまる。

裁判の席で絵が贋作であることをその場で絵を描くことで証明しようとしたハリーだが、父の眼にとがめられるような気がして筆を置く。

状況は不利に思えたが、画商のひとりが仲間を裏切って真実を告白したため、ハリーの殺人罪は冤罪だと発覚。レンブラントの贋作は本物としてスペイン政府のものになり、マリーケとハリーは和解するのだった。



日曜の朝からたまたまテレビで見たんですが。
いやもう、とにかく楽しみました。


舞台が主にヨーロッパだとはいえ、映像も内容もグッと落ち着いている。
サスペンスと言いながら、手錠をかけた逃亡劇も、「スピード」感はそれほどない。
ジェイソン・パトリックが異常に腕っぷしの強い絵描きなのは、「ワイルド」だからなんでしょうか?
あの「サタデーナイトフィーバー」の監督は、やはりただモノではなかったことは確か。

贋作作家とはいえ、確かな腕を持つ画家が、
「レンブラント」の贋作を依頼され、
愛する父の面影を移した絵にインスピレーションを得た瞬間から、
一気に豹変するんですね。




絵具の研究から始まり、
まずとッ散らかったねぐらを徹底的に掃除する。

大物の器具を入れる。
どでかいのは、オーヴンだったようだ。
オーヴンで絵を3回焼いて、年季の入り具合を調節する。

それからカンヴァス、顔料、古い時代から使われている絵具、文字通りの鉛の兵隊から酢を使って取り出すホワイト、そしてブルー。
わずかな特別な、レンブラントが使った何とかブルー(もう名前忘れた)を手に入れるため、大枚をはたく。

24本の絵筆。リスなど動物の毛を数種指定し、選び抜いた太さの絵筆。

描き始めると、それはもう、確かなデッサンによって迷いなくグングンと描かれていく。

レンブラントは夕べもNHKで『光と影の画家』として紹介されていた番組で見ていたのだが、人物の瞳の奥行が素晴らしい。

この映画の主人公は描きあげた完璧なレンブラントの贋作に、落ちぶれてはいるが画家だった愛する父親の瞳を描き込む。

殺人罪に問われたの裁判のシーンで、自らの潔白を証明するために法廷で模写する時にも、彼が書き上げつつあった絵の人物の瞳は、まさに彼の父の目だった。

彼の絵の才能は父譲りだったが、贋作は父の友人の贋作の専門家に手ほどきを受けた。
父親は彼の全てを受け入れてはいたが、内心天才的ともいえるが贋作しか描けない息子を案じていた。

その父の目を、彼は自ら描いた絵の中に見てしまう。
父の死を知り、父の思いを窮地の場で真に感じ取った彼は、法廷の場でそれ以上、「贋作」を描くことができなくなる。

映画の中で使われた絵とはいえ、その瞳が素晴らしく描けているんですわ。

逃亡中、奪った車に残された子供の絵に手を加えたデッサン画。
子どもの描いた単純な山と太陽の絵が、主人公の手によってあどけない子どもの寝姿に見る見るうちに変化する様。
その絵を売って熱を出したヒロインの薬代にする主人公。

この映画のサスペンスとは、まさに絵を描くことそのものにあるようだった。

いえ、お話としてはちゃんと伏線もあり、どんでん返し的な結末もあり、
ロマンスもありで他にも見どころは沢山あるんでしょうけれど。

バランスの良い映画なので、どこから見てもそれなりに楽しめるのでは。

余談ですが、私的なツボは、法廷で鬘を被った弁護士(主人公を有罪にしようとする敵方の)が、
先日からものすごく気に入っているシャーロック・ホームズテレビドラマパロディーの亜種、
「コナン・ドイルの事件簿 Murder Rooms」でベル教授を演じていたイアン・リチャードソンなんですね。

もうすでにお亡くなりになられているのが残念でならない俳優です。

目力があって、チャーミングで。

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ミス・マープルの書斎の死体での富豪役では別人のようでした。

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ドラマもですが、ハリウッドでも人気があったのでしょう、多くの映画に出演した、息の長い俳優さんでした。








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2016
05.03

ラストベガスは最後じゃないよね

Category: 映画の話
熊本で被災した友人が連休で実家に帰って来た。
心身共に疲れていないか、どうだろうと心配していたが、会って顔を見ると元気そうでホッとした。

地震の瞬間とその後の話は聞いた話であっても辛くてここには書けないが、
兎にも角にも無事でよかった。

今回集まったのは4人。
女子高からエスカレーターに一緒に乗った仲間である。

多分校則の厳しさに一番辟易していたのは私だったと思うが、
皆それなりに学生時代を楽しんだ。

考えてみると私は学生時代、彼女たちとは厳密には「別グループ」に属していて、
それを思うと、卒業後にこうして集まる中に私が混じっているのは本当に不思議というものなのだ。
何が違うかと言えば、私を除く彼女たちは真面目できちんとしていて、
私はそうではなかったという点だろう。

卒業後、それぞれ違った道を行き、違った環境で暮らしてきた私たちだが、
今回友人の一人が、しみじみと言ったのだ。

「私たちが受けた教育ってさ、厳しかったけど、意外に間違っていなかったってことじゃないかな」

そうかもしれず、そうではないかもしれないが、あと20年もたてば、その是非もいい加減わかるだろう。

  

さて、70歳にもなろうとする、映画「ラストベガス」の4人の爺様たちはいたって元気だった。

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4人の爺様、豪華な上にイカシテル。
決してイカレテはいないのだ。

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上の写真の左から

マイケル・ダグラス演じるビリーは、成功した実業家。
31歳の若い彼女とベガスで結婚することになった。
恩師の葬儀の席で自らの老いと対峙し、思わずプレイボーイを返上し、彼女にプロポーズしてしまったのだ。
ところが自分のバチェラーパーティーを開くために集まった旧友との再会の場で、運命の女性と出会ってしまう。
プレイボーイを気取っているが、実は友人思いで自分を良く知っている男、ビリー。
一見華やかなはずの彼が実はフクザツなハートと過去を持っていた・・・。


ロバート・デニーロ演じるパディは、最愛の妻を亡くして1年が経つが、近くに住む娘に食事を差し入れしてもらいながら、妻の写真に囲まれた寂しい一人暮らし。
若い頃、妻を巡ってライバル関係だったビリーが、妻の葬儀に来なかったことを未だに根に持っている「気難しや」だ。
妻亡き後、ベガスで出会った美しい妙齢のクラブ歌手に心惹かれるが、彼女の気持ちは別の人に。
覇気のない爺様が、ベガスで弾けるうち、ゴッド・ファーザー、レイジング・ブルを彷彿とさせる迫力とパンチを繰り出す。

モーガン・フリーマンが演じるのは脳梗塞を患って以来、息子夫婦から大事にされ過ぎ、子供のように心配されるアーチ―。
しょんぼりとベッドに寝ているはずの彼が、ベッドから脱出する時のクスグリが笑える。
病気だったことを逆手に取り、嫌がるパディをベガスに引っ張り出すために一芝居打ったり、若い男子に女の子を誘うテクニックをサラッと教授する。パーティーで踊る姿は粋でまだまだイケている。
ラストで見せる孫との姿ではまた普通のおじいちゃんに戻っているが、彼が背筋を伸ばし、スーツを決め込んだら誰よりもクールなのだ。

そしてケビン・クラインが演じるのは平凡だが幸せな結婚生活を今も営むサム。
ベガスに発つ時に、素敵な奥さんから「隠し通してね」のメッセージと共に手渡されたのはバイアグラとコンドーム。
妻が車で走り去ると同時に「ヒャッホー!」と小躍り。
束の間の情事を夢見てベガスに旅立つサムだが、彼が声をかけたのはドラッグクイーンだったり、おじいちゃん好きな若い女の子だったり。
サムは愛される男。愚かではなく、大人で、それも大きな幸せに包まれた男だった。


「ハングオーバー!」や「スタンド・バイ・ミー」を連想するというレヴューも多かった。
確かにそうなのだが、彼らの現実とはかけ離れたベガスでの豪遊を可能にしたのは、
紛れもなく「お金の力」。
その点で、私にはSATCの女4人組の映画とも重なってしまった。

ベガスに着くなり、貯金の半分を持ち出してきたアーチ―が
真面目な顔してギャンブルにハマってしまう。
結果1万5千ドルの所持金が10万ドルに!
軍資金たっぷりのアーチ―のおかげで、予約も取っていなかった彼らはホテルでもパーティーでもVIP待遇。
ビキニ・コンテストの審査員の座までゲットするのだ。

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豪華な俳優陣にこれだけ素敵な役を割り当て、大活躍させた監督は「ナショナル・トレジャー」のジョン・タートルトープ。
ヒロイン役ともいえるクラブ・シンガーには「バック・トゥ・ザ・フューチャー3」でドクの恋人役になるメアリー・スティーンバージェン。

「ラストベガス」と言いながら、
彼らのバチェラーパーティーはまた行われることだろうし、
来年も、また次の年もどこかで「ラスト」を続けることだろう。

老いてなお人は成長し、出会いがあり、新しい自分を発見する。
4人の俳優陣が魅せる其々の「人生」には、どのシーンも笑いがこみ上げ、同時に胸にしみるものがある。
文句なしの楽しい映画だった。



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2016
04.06

「女経」の純情

Category: 映画の話
日本映画には全く興味がなく、この年まで来てしまった。

ところが、このところ「日本映画チャンネル」の古い映画にハマっている。

昨日見たのが薬師丸ひろ子の「Wの悲劇」。
最後に薬師丸が歌うユーミンの曲、こんなに良かったっけ。
あの芝居がかった芝居を真似して遊んだものだが、今見ると三田佳子も凄いし、ラストの後味も悪くない。

「探偵物語」は若い頃何度も見たが、今見ても薬師丸が素晴らしい。
顎のラインのボブにワンピースがとても似合って、私はこの映画、衣装も好きなのだ。
これを見て大きな白いイアリングを買った記憶がある。
松田優作との最後のキスシーンがやはり可愛くて切ない。
秋川リサとの大人の関係が松田優作の複雑さを物語っていて、
彼の映画でも、私はこれが一番好きなのだ。

赤川次郎原作ものは大体においてそうなのかもしれないが、
犯人探しなど実はどうでも良い映画だったのだと今更気が付く。
昔見た時には、犯人とその動機に「おぉっ」と思った自分は若かったのだ。

薬師丸ひろ子はある意味肉感的で、なのに清潔感があった。
身体の線が全部出るようなワンピースやタンクトップにスカートであっても、
身体つきはとても魅力的なのに、妙な色気は皆無。
男女両方から好かれる珍しいタイプだったと思う。

「里見八犬伝」では、薬師丸の弾むような若い肉体(私、おっさんか?)の記録映像のようで、
もう「八人の犬士」の話なんか(あの夏木マリのメーキャップでさえ)どうでもよかったんだなと、ようやく納得がいったものだ。

昔は小ばかにしていた「男性目線」が、「美しさ」をいかに的確につかんで映像に残したか、
今更ながら参りました、と思わずにはいられない。

前置きが長すぎた。

「女経」の話を書きたかったのだ。

これは、3監督によるオムニバス映画。
3話とも男よりお金が大事とばかりに生きてきた女たちが、それでも女の幸せをいつか掴みたいと、其々の道で生きていく話。

第1話から、まるでフランス映画を思わせる空気が漂っていた。
お洒落で、切なく、女の優しさが身に染みる。
蓮っ葉な嘘つきで、金の亡者のように生きながら、本当に愛した人から身を引く潔さ。
若尾文子の上手いこと。小悪魔と呼ぶには軽すぎる。
彼女の抱える人生の重みをしっかりと演じ、大人の映画として十分に鑑賞に堪える。

第2話は幽霊か、妖怪かと思わせる不思議な女が、正体を現したとたんに現代的なしたたかな女に変身し、
はてさて画面がガラッと明るくなってコンゲーム(詐欺)の話かと思いきや
「ティファニーで朝食を」のラストのように突然ハッピーエンドを迎える。
たった30分の中のこの充実感。30分だからこその長すぎない絶妙なテンポ。
舞台となる古い日本家屋が、市川崑監督らしい。
3作の中で、一番結末が明るくて好きだ。

第3話、幸せなのか不幸なのか、この女の行く末はわからない。
それでも刑務所に入った男を待とうと決める女心はいじらしくも強い。
しっかりものの京女の純情に、こちらがコロッと参りそうだ。
重態の幸薄い学生への献血を申し出、「栄養はたっぷりなんだから」と着物の袖から白く美しい腕を露わにする瞬間の艶。
素晴らしかった。

「1960年」、日本映画はこんなにも素敵だった。
日本映画がまだ職人の手によって作られていた時代だという。
見事というほかない、一級品ではないかと思う。



Movie Walkerより

「女経」
1960年1月14日公開

村松梢風の「女経」にヒントを得て、「天下の大泥棒 白浪五人男」の八住利雄が三つの物語を構成したもの。「貴族の階段」の吉村公三郎「野火」の市川崑「闇を横切れ」の増村保造がそれぞれを監督した。撮影も「浮草」の宮川一夫、「野火」の小林節雄、「闇を横切れ」の村井博がそれぞれ担当。


第1話〔耳を噛みたがる女〕  監督 吉村公三郎  増村保造

紀美―若尾文子

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 紀美は隅田川にもやうダルマ船の娘だが、貧しい家庭に愛想をつかし銀座のキャバレー・ゴンドラにつとめて男どもを巧みにだましては金をまきあげ、株を買っているという年に似合わぬしたたかもの。
 会社社長の後とり息子・正巳は、この紀美を陥落させて見せると友人の春本と賭けをした。スポーツカーでのドライブ、それからパチンコ屋、ついでゴンドラで飲んだ正巳と紀美はホテルの一室へ落着いた。正巳を好きでたまらないという紀美。そんな紀美を例の手練手管の思う正巳。しかし紀美は、あっさり正巳に抱かれた。
 翌朝、紀美の寝ているうちに正巳はホテルをぬけ出した。ついに賭けに勝った。が、正巳にはどうもスッキリしない後味だった。どうも紀美は商売ぬきで本気に自分を愛していたのではないか……。実は、この日、正巳は父の命令で好きでもない娘と結婚式を挙げることになっていた。昨夜は、いわば自由と恋愛の最後の夜だったのだ。好きでもない女と結婚するより、自分を本当に愛している女と……。正巳は紀美を探しに出た。
 そのころ紀美は友人の五月のアパートで、五月あての正巳の結婚披露の挨拶状を見つめていた。そこへ正巳が飛込んできた。正巳は紀美の心を確かめようとした。が、紀美は、昨夜のお金を頂戴と手を出した。怒った正巳は部屋を飛出した。
 正巳の将来を思う紀美の心も知らずに。今夜からまた男をだまして金を巻上げよう……。紀美の顔に悲しいかげが走った。


第2話 〔物を高く売りつける女〕  監督 市川崑

土砂爪子―山本富士子
三原靖―船越英二


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 「流行作家三原靖氏失踪か! 自殺の恐れあり」と新聞が報じたころ、当の三原氏は空ろな眼をして湘南の海岸に身を横たえていた。その彼の眼前を一瞬よぎった白い顔の女。三原氏はギョッとした。翌日三原氏は砂浜に泣く彼女の姿を見て再びギョッとした。夜、女は燃える手紙の束を見ていた。三原氏は彼女の傍に立った。女は死んだ主人の手紙を焼いていると言った。
 激しく惹かれた三原氏は彼女の眼を盗んで手紙の端をポケットに入れた。翌日、一軒の別荘の前に彼女が立っていた。三原氏は招ぜられて中へ入った。風呂をすすめられた。湯舟につかる三原氏の前に白い裸身の女が入ってきた。上気した三原氏は女の頬に思わず接吻した。女は、主人がお風呂のとき、いつも私に背中を流させました、あなたの背中を主人と思って流させて頂きありがとうございましたと礼を述べた。そして、女は実家も主人の家も東京にあり、この家は売りに出してあると話した。
 三原氏は好奇心にかられ、この家を女もろとも買うと言った。売値は六百万。契約の日、三原氏は百万円持って女の家を訪ねた。売買契約書を持った女の態度は大へん事務的だった。
 翌日、三原氏が女を訪ねると誰もいず、売買契約の事務は不動産がやるとの女の置手紙があった。そのころ、女--土砂爪子は不動産から売買手数料の五万円をもらっていた。彼女は美貌を資本とする住宅ブローカーだった。
 してやったり、ところが彼女のアパートに三原氏が訪ねてきた。驚いて謝る爪子。しかし三原氏はあの家を五十万円儲けて売ったと言った。氏は爪子が燃し残した請求書から、彼女のからくりを知ったのだ。
 “君と結婚すればノイローゼにもならないし、小説の種もつきない”--三原氏はにやりと笑った。


第3話 〔恋を忘れていた女〕 監督 増村保造 吉村公三郎

お三津―京マチ子

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 お三津は京都の修学旅行専門の宿屋の主人だ。昔は先斗町の売れっ妓。碇家に嫁ぎ主人に先立たれてから舅の五助に楽隠居させ、木屋町に酒場、先斗町にお茶屋を経営する働き者である。死んだ主人の妹弓子が恋人吉須と結婚するため金を借りにくるが、碇家の財産を狙ってきたものと思い、いい返事をしない。
 この碇家に名古屋の小学校の団体が宿泊したが、生徒の一人がオートバイにはねられて重傷を起し大騒ぎ。そこへ、お三津の芸妓時代の恋人兼光から電話がくるが、お三津は居留守を使う。何やかやでクサクサしたお三津は自宅へ帰るが、一度関係をつけた五助は、お三津に迫る。五助を突き飛ばして自分の酒場チャイカへ走ったお三津は、そこに彼女を待っていた兼光の傍へ座って泣き伏した。
 が、昔のことを思って訪ねてきたと思った兼光に二百万円の手形を割引いてくれと切出され、お三津は彼との情愛に水をさされた。そのとき、刑事が入ってきた。九州で詐欺をやった指名手配の男、兼光を逮捕に来たのだ。兼光は抵抗も空しく捕った。 
 そこへ碇家から、怪我した生徒が重態という電話。病床に駆けつけたお三津は子供の苦しそうな姿に輸血を申し出た。助かった子供の感謝の眼は、自分のことしか考えずに生きて来たお三津に新しい喜びを与えた。
 東京へ帰る弓子と吉須が挨拶に来た。お三津は気持よく金をやった。そして自分も、刑務所へ入った男を待って女の幸せをもう一度つかみたいと明るく言った。



ただし、いくら映画のストーリーとはあまり関係のない小説のエッセンスを頂いたからといって、このタイトルはいかがなものか。

これではただのピンク映画と間違われる。

こんなに美しいのに。

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2016
04.02

「ガス燈」の旋律

Category: 映画の話
イングリッド・バーグマンが1944年アカデミー主演女優賞を得た映画。

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Movie Walkerより

「ガス燈」
1947年6月公開

1870年のロンドン。オールクィスト家に起こった歌手アリス・オ ールクィスト嬢の殺人事件は未だ犯人があがっていなかった。アリスの姪ポーラはグレゴリー・アントンと結婚したが、良人の言に従い問題の家で結婚生活を営むことになった。ある日ハンドバックに入れたはずの首飾りが紛失して以来、グレゴリーはポーラが自分のしたことを少しも記憶していないといってことごとに彼女を責めた。そのあげく、彼女も精神病で死んだ彼女の母と同じく次第に精神が衰えて死ぬだろうというのだった。ポーラは良人の言を気にしながら一人不安な日を送っていたが、次第に自分の精神状態に自信を失い、夜ごとにポッと薄暗くなるガス燈の光も、天井に聞こえる奇怪な物音も、自分の精神の衰えているための錯覚かと焦燥にかられた。ある夜久し振りで良人と出かけた知人宅で時計を隠したといって良人から辱しめられたとき、彼女は堪え難い悲しみに襲われたがその様子を注視している若い男があった。彼はブライアン・カメロンという探偵で、少年時代憧れていた名歌手アリスの殺人事件には非常な関心をもっていた。彼はある夜グレゴリーの外出中家人の制止もきかずポーラに会い、彼女の叔母の事件についていろいろとポーラに語ってきかせ、また、彼女が決して精神に異常を来しているのではなく、良人の策略にすぎないこと、夜ごとに暗くなるガス燈の光も良人が閉鎖された屋根裏の部屋にいるためであることなどを説明した。ブライアンがグレゴリーの机をあけてみると、彼女が隠したと良人から責められた数々の品物が現われ、20年前のこの家の殺人事件にグレゴリーが重大な関係を持っていた事実を説明する手紙も発見される。やがて探し求めていたダイヤモンドを手に入れて現われたグレゴリーはブライアンに捕まえられるのだった。

スタッフ
監督 ジョージ・キューカー
脚色 ジョン・ヴァン・ドルーテン 、 ワルター・ライシュ 、 ジョン・L・ボルダーストン
原作戯曲 パトリック・ハミルトン
製作 アーサー・ホーンブロウ・ジュニア


キャスト
Gregory_Anton シャルル・ボワイエ
Paula イングリッド・バーグマン
Brian_Cameron ジョゼフ・コットン



シャルル・ポワイエ扮する夫グレゴリーはピアニスト。
彼の陰湿なマインドコントロールでバーグマン演ずる妻ポーラは正気を失ったように思いこまされる。

ポーラは病気だからと訪ねてきた知人にも会わせてもらえない日々が続く。
一人部屋に残されることを怖がるほど追い込まれた彼女が追いすがってもなお、作曲のためだと夜の町に出ていくグレゴリー。


夫が外出すると「ガス燈」が急に暗くなるのは外出したと見せかけて宝石を探す夫が屋根裏にいる時のトリックだった。
ポーラの叔母を殺し、彼女の宝石を狙って跡継ぎである姪のポーラまで破滅に追い込もうとしたのは夫グレゴリーだった。

グレゴリーが家でオペレッタなどを弾いてみせる。
楽しそうに音楽に合わせて歌うポーラに、いきなりグレゴリーのピアノが止まる。
妻を責める夫の言葉は、ピアノの音が止むと同時に始まる。
ピアノの音は妻の感情を揺さぶる鍵だ。

ある時、ポーラの家と昔懇意だったダルロイ邸でのコンサートに招かれたグレゴリーとポーラ夫妻。
グレゴリーはポーラを病気と偽り断りの返事を出すが、ポーラは一人でも行こうとする。

この映画で出色だと思ったのは、結局二人で出かけたダルロイ邸でのコンサートのシーン。
ピアニストが弾くのは「ショパンのバラード一番」。
バラード一番が流れる中で、ポーラが知らない間に夫の時計がなくなり、その時計はポーラのバッグに入っていた。
混乱して取り乱すポーラを責めつつ、周囲に「妻は具合が悪い」と言いながらポーラを連れ出すグレゴリー。

ポーラの恐怖と混乱をこの「バラード一番」の緊張感あふれる旋律が伝える。
格調高い、けれど緊迫した場面だ。

自分が狂気に陥っていると恐れるポーラ役のバーグマン、迫真の演技。
バラ一は美しいだけの曲ではなく、こんな場面にもぴったりだったのだ。



格調高いバラ一が秘める狂気の一面。

グレゴリーは宝石目当てにポーラの叔母を殺害し、跡継ぎのポーラまでも宝石のために病院送りにしようと画策していた。



グレゴリーは最後まで残酷だ。

「僕らの間にあったのはあの宝石だ。炎のように頭の中で君との間を隔てていた。宝石に取りつかれて。なぜだろう。」





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2016
03.29

SATC的「追憶」

Category: 映画の話
「追憶」
原題名は”The Way We Were”

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Movie Walkerよりストーリー


1937年の春、ケイティー(バーブラ・ストライサンド)とハベル(ロバート・レッドフォード)の2人は、大学の創作クラスで机をならべて勉強していたが、政治活動に熱中するケイティーとそれに興味を示さないハベルの生き方はまったく違っていた。

やがて、学生たちは卒業し、各方面に散っていった。第2次世界大戦中のニューヨークで、ケイティーとハベルは偶然、再会した。ハベルは海軍大尉だった。2人は急速に親しくなり、アパートの1室で愛の生活を始めるようになったが、ケイティーの政治への興味は尽きず、積極的な活動家として活躍し、ハベルはそんなことに興味を持たなかった。

除隊したハベルとケイティーは結婚した。彼女はハベルに創作を促し、著作に多くの助言を与えた。だが、ケイティーはハベルの大学時代の友人たち、キャロル・アン(ロイス・チャイルズ)、J.J(ブラッドフォード・ディルマン)夫婦を好きになれなかった。ケイティーとハベルは40年代の終わりハリウッドに移った。

ようやくハベルの脚本が売れ出し、映画脚本家・小説家として有名になっていった。そして、ハベルの小説をプロデューサーのJ.Jが映画化する。収入も安定してきて、ケイティーが妊娠した。生活は平和そのものだったが、それは永くは続かなかった。ハリウッドにも共産主義者狩のマッカーシズムが荒れ狂い始めたのだ。

ケイティーは反マッカーシズム運動に力を入れたが、創作に自信を喪失したハベルはマッカーシズムの嵐から身を避けようと考えた。そのためにはケイティーと離れ、元恋人のキャロルと近づくことが有利だった。ケイティーはハベルとキャロルの関係を知って別れることを考え始めた。別れることによって、ハベルがブラック・リストからはずされるかもしれない。ケイティーは離婚を申し出た。そして、2人は子供が生まれた後、離婚した。

50年代初め、ケイティーがニューヨークで“原爆禁止”の署名を集めているとき、ハベルに離婚以来初めて会った。彼女はなつかしさのあまり、ハベルに近づいた。だが、1度切れた絆はつながらない。ケイティーは再婚していたし、ハベルは脚本家として一応の成功を収めていた。2人は、お互いの元気な姿を確かめ、いたわるように抱き合った。過ぎ去った愛の時が2人の胸に去来した。

監督 シドニー・ポラック
脚本 アーサー・ローレンツ

katie バーブラ・ストライサンド
Hubbell ロバート・レッドフォード
J.J. ブラッドフォード・ディルマン
Carol_Ann ロイス・チャイルズ
George_Bissinger パトリック・オニール




録画しておいたものをようやく見た。
レッドフォードの若い頃は(年齢を重ねても変わらないが)それはもう美しく、私の興味からは全くあまりにもかけ離れていたので、この映画は観たことが無かった。

大好きだったSATCシーズン2の最終話「Ex and the City」で、ビッグが婚約披露パーティーを開くことにショックを受けたキャリー。
彼女を囲んでいつものメンバーでランチしながら、彼女たちはハタと気が付くのだ。
これは「ハベル」よっ!

他人のロマンスになど興味のないサマンサが「追憶」を見ていないのも笑えたが、ミランダ、シャーロット、キャリーは映画「追憶」のテーマをカフェで歌いだす。

「カーリーヘアのエキセントリックなケイティ―と、ストレートヘアの女。ハベルはストレートヘアの女を選んだじゃないの!」
「ケ・ケ・ケ・ケイティー!」
「カ・カ・カ・カーリーヘア!」キャリーは自分のロングカーリーヘアを引っ張りながら、自分はケイティ―タイプだと腑に落ちる。

私はこのシーンが大好きで、3人が追憶のテーマを調子っぱずれに歌う姿を愛しそうに涙ぐんで見ているサマンサに笑いながらも胸をギュッと掴まれる思いだった。

だから、いつかあの美しすぎる男、レッドフォードとバーブラの「追憶」は見ておかなくてはと思っていた。

さて、SATCの中では、カーリーヘアのケイティ―タイプであるキャリーは、上品でハンサム、全てにおいて完璧な男、ビッグを愛したが、彼は上品なお嬢様ナターシャとシーズン2の最後で婚約してしまう。

このシーズン2最後のシーンで、婚約披露パーティーを終えたビッグに、「なぜ私じゃないの?」と聞かずにはいられなかったキャリー。
ビッグは返答に詰まるが、彼女はそこでバーブラがレッドフォードにしたように、彼の前髪を撫で、言うのだ。「可愛い彼女(ひと)ね、ハベル」
観光用の馬車を引く白い馬が御者の言うことを聞かず嘶く。
白い馬はキャリーの白いドレスと重なり、ビッグに伴侶として選ばれなかった自分をそこに見る。
それは自立したカーリーヘアの、じゃじゃ馬である自分。

彼女は振られた女としてではなく、ビッグが御しきれない女、ケイティ―である自分に納得することで、ビッグと別れる。




SATCのシーズン1で、ミランダがスノビッシュ(今もこんな言葉使うんだろうか?)なエリート仲間の中でモデル好きな男友達の開くパーティーに毎度呼ばれ、そこでは必ず呼ばれた美しい女の品定めのため、同じ話題が振られるというシーンがある。
「好きな俳優は?」と誰かが聞き、順に決まった台詞を答えていくのだ。
そこでミランダがいつも言うのが、「ショーン・コネリー。昔も今も、そしてこれからも」という台詞。

全く同意見。
私はこれで、ミランダとこのドラマが好きになった。


ニューヨークのキャリーの部屋の窓は、ケイティ―のアパートのそれと似ていて驚く。
キャリーもビッグの周りの友人知人とは全く反りが合わなかった。
まあ、彼女に「思想」があるとしたら、それは「labelとlove」だったかもしれないが、
彼女は主張を声高に叫ぶ前に、違う男友達と飲みに出てしまった。

それからGleeのレイチェル・ベリーの「レイチェル」は、ケイティ―とハベルの間に生まれた娘の名前だったとか。

オマージュと取れる断片を見つけていくたび、
長く愛されてきた素敵な映画だったんだなと思った。
全てはバーブラの魅力的な瞳と悲しそうな笑みに集約されているようだった。

私なら、レッドフォードのハベルなんてまっぴらごめんだが。
レッドフォードが嫌いなわけではない。
「サンセット物語」でのレッドフォードはハマり役だったし、
原作にすっかり参っていた時期に見た「華麗なるギャツビー」には泣きそうになった。

ところで、SATCの原作は翻訳もひどいが、
中身も実際面白くはなかった。

あの原作をこれだけのドラマに仕立てたプロデューサー、
「ビバヒル」や、「メルローズ・プレイス」を手掛けたダレン・スターは、やはりすごいなあと思うのだ。

すっかり「追憶」から話がそれてしまった。

ひたすらバーブラが素晴らしく、そしてやはり最後のシーンにグッとくる映画。
再開したケイティ―は、またカーリーヘアに戻っていた。
彼女らしい、生き方を全うしようとしていた。

ひたすらケイティ―の女としての自分へのコンプレックスや美しい男への憧れ、捨てられない信条、でも愛する人には尽くしたい気持ち、そんな諸々が心に残る。

それにしても私のような恋愛音痴には、この映画の良さなんか到底理解できないのだろう。
ほんと、あの男と別れて良かったね、ケイティ―、と最後に思ってしまったのだから。

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2016
03.20

黒蜥蜴の唄

Category: 映画の話
先日江戸川乱歩と美輪明宏さんの話を書いたら映画「黒蜥蜴」のことをコメントで頂いたり、
リンクさせていただいている「にゃんこさんさんのブログ」様でもご覧になられた感想を書いてくださっていた。

見たいと思ったのだが、この映画、私が調べた限りではどうやらDVDになっていないようなのだ。
代わりにつべで見つけた。

つべに上がっている映画はフランス語字幕がついている。
海外評価の方が高いのだろう。
三島の戯曲からの映画だし。


映画はこちら➡https://youtu.be/pyJgu3ClTYw?t=2928v

映画.com http://eiga.com/movie/36193/より

「黒蜥蜴(1968)」

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解説
日本の推理小説界の第一人者である故江戸川乱歩の原作を、三島由紀夫が戯曲化し、それを「雪夫人繪圖(1969)」の成澤昌茂が脚色、「博徒解散式」の深作欣二が監督した舞台の映画化。撮影は「ケメ子の唄」の堂脇博。

ストーリー
世界的宝石商の岩瀬は、娘早苗の誘拐と、時価一億円のダイヤ「エジプトの星」の強奪を予告する女賊黒蜥蜴におびえ、探偵明智に警護を依頼した。岩瀬父娘は大阪のホテルに姿を隠したが、隣室には岩瀬の店の顧客緑川夫人が泊っていた。実は彼女こそ黒蜥蜴だったのだ。黒蜥蜴は部下の雨宮を使って早苗をまんまと誘拐したものの、明智は機敏な処置で、早苗を奪い返したのだった。黒蜥蜴もさるもの、明智に追いつめられても慌てず、わずかな隙をみて逃走したのである。それから半月後、的場刑事率いる警察陣に守られた岩瀬邸から、早苗が忽然と姿を消した。黒蜥蜴が家政婦ひなの手引で早苗を誘拐したのだ。明智が駆けつけた時は、早苗と引換えに「エジプトの星」を持参せよ、という紙が残っているきりだった。指示通り、岩瀬は「エジプトの星」を黒蜥蜴に渡したが、早苗は戻らなかった。黒蜥蜴は早苗の美しさに魅せられていたのだ。一方、そんな黒蜥蜴にひそかに恋焦がれている雨宮は、黒蜥蜴が明智を恋していることに気づき、嫉妬を感じるのだった。その頃、明智は、一度は黒蜥蜴の手にかかって殺されたと見せかけ、部下の一人に変装して本拠地に忍び込んでいた。彼もまた、純粋な美に生きる黒蜥蜴に恋していた。黒蜥蜴を捕える自信はあったが、世間の秩序の彼方に己れの倫理を築きあげている彼女を、よく理解出来たのである。本拠地には、人間剥製の美術館があった。早苗もその一つに加えられようとしていた。雨宮はそんな早苗を助けることによって黒蜥蜴の関心を自分に向けようとしたが、捕えられてしまった。早苗の隣の檻の中で、雨宮は早苗が実は、替玉だったと知った。一方、黒蜥蜴は明智の変装を見破ったが、その時、警官隊がなだれ込んで来た。逃れぬと悟った黒蜥蜴は毒を仰ぎ、明智の腕の中で息を引きとった。好敵手と、そして不思議な美しさで人を惹きつけた恋人を失い、明智は黙然と突っ立っているばかりだった。...


松竹1968年版
映画『黒蜥蜴』1968年(昭和43年)8月14日封切。1時間26分、カラー作品。
製作・配給:松竹。監督:深作欣二。原作戯曲:三島由紀夫。脚本:成沢昌茂、深作欣二。音楽:冨田勲。

キャスト
黒蜥蜴(緑川夫人):丸山明宏(現:美輪明宏)
明智小五郎:木村功
雨宮潤一:川津祐介
岩瀬早苗・桜山葉子(二役):松岡きっこ
岩瀬庄兵衛:宇佐美淳也
的場刑事:西村晃
ひな:小林トシ子
黒木:丹波哲郎
原田:小田草之助
富山:服部欽二
大川:佐藤京一
松吉:木村功
堺:加島潤
木津:舟越竜二
ショーダンサー:宝みつ子
日本青年の生人形:三島由紀夫:※特別出演
映像ソフト化・テレビ放送


1980年代にRCA コロムビア・ピクチャーズ・インターナショナルビデオからVHSが発売された。
上記のビデオ版を除いて、日本国内では2014年現在までDVD等の映像ソフトは発売されていない。
2005年に東映チャンネルで深作欣二特集の一環として放送された。
2014年1月11日にWOWOWで美輪明宏特集の一環としてテレビ放送された。その後、何度かリピート放送も行われている。




最後の美輪さんの歌が洒落ている。
ボサノヴァのリズムにシャンソンを歌うような。
作詞作曲 歌も 丸山明宏(現:美輪明宏)
画像の端が切れているが、確認できる。
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感謝してお借り致します。




このテーマ曲のつべのコメントには『 "SUKIYAKI"「上を向いて歩こう」の作曲家「中村八大」が編曲』と詳細を載せて下さっているファンの方がいる。
美輪明宏は日本で初めてゲイであることをカミングアウトした「 drag queen 」=(女装した男性。特に、派手な衣装や化粧などのショー的な要素を含む扮装をしたホモセクシュアルの男性。)だと書いている。
だからこそ日本人はボーイ・ジョージやデヴィッド・ボウイにも驚かなかったとも。
なるほど、そういえばそうかも!

こちらの動画でそれについては美輪さん自身が語っている。



さてこの曲、ヘプバーンの「シャレード」(1963年)のテーマを思い出す。
大好きな映画音楽だ。


2012-2013シーズンに今井遥ちゃんがSPで演じた。
ずいぶん難しい曲をと思ったものだが、遥ちゃん(と振付の佐藤有香先生)の挑戦にワクワクした。

江戸川乱歩の美女シリーズ第8作 「悪魔のような美女」(1979年)は見ているのだが、いやもう、こちらの映画版はなんというか、比べようがない。
この映画、私はヒロインの美輪さんにつきると思うが。
美術品、宝石を手に取る時の、自らが芸術品のように放つ輝き。
明智とのゲームのようなデッドヒートの時には少女のようにさえ見える。
そして明智に心惹かれていく様は妖艶であり切なくもあり。
迎賓館にいてもいいような衣装で埠頭に立とうと、何の違和感もないのだからすごい。

台詞の一言一言が磨き抜かれている。
犯罪において、まさに光と影の2人が
言葉を介して互いを愛し合うかのようなやり取り。
2人は敵同士などではなく、
犯罪に魅せられたある意味、同士。
緑川夫人(黒蜥蜴)が明智に心惹かれた瞬間。

「大体、危機というものは、退屈の中にしかないものです」
「退屈の白い紙の中から、突然あぶり出しのように犯罪の横顔が浮かび上がってくる」
「それを子供のように期待しながら待っているのは、なかなか楽しいもんですよ。」



明智がこう言った時、
緑川夫人の表情がサッと変わる。
相反するソウルメイトを見つけたような衝撃のように見える。

明智は犯罪を犯す女の例を挙げるが、その言葉は緑川夫人にとって口説き文句にしか聞こえない。
明智の青い血は、ただ常々考えていることを口にしただけだ。
けれど同時に緑川夫人をすでに挑発し、「わかっている」と本当は匂わせていたのではないか。
違う役者が同じセリフを言っていたならもっと明確になったのかもしれない。

美しいデコ調の衝立を通しての2人の相対する姿。
ガラスのテーブルを通した2人のカードゲームの丁々発止。


舞台を見たかったなと思う。

それにしても、深作欣二監督のこんな素敵な映画、もっと知られて良いのでは?

個人的には明智探偵は天地茂の方が好きなのだが。

ジャズ・オーケストラ、「ピンク・マルティーニ Pink martini Sympathique」が「Song of the black lizard」としてこの曲をカバーしたのがこちら

後半日本語歌詞がそのまま使われている。
つべのコメント欄、
絶賛です。


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2016
02.21

忌まわしき花嫁と黒い十人の女

Category: 映画の話
ゴリオ(仮名)の部活が無い休日はめったにないので、昨日は貴重な一日だった。

朝から仕事の勉強会。
面白くてあっという間に時間が過ぎた。

昼食を摂る間もなく映画館に急いで、ギリギリに上映時間に間に合った。



「SHERLOCK シャーロック 忌まわしき花嫁」


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ベネディクト・カンバーバッチ主演で世界的人気を誇る英BBCドラマ「SHERLOCK シャーロック」の特別編。舞台を現代から1895年ビクトリア朝のロンドンに移し描かれるスペシャルエピソードで、本国イギリスとアメリカでは2016年元日に放送される作品を、日本で劇場公開。映画館では「忌まわしき花嫁」本編(90分)に加え、特典映像として「脚本家スティーブン・モファットと巡るベーカー街221Bの旅」(5分)、「シャーロック製作の裏側 主要キャスト・スタッフとともに」(15分)が上映される。
本編後に約15分のメイキング映像が上映されます。



なるほど、BBCお正月の特別篇「SHERLOCK」だったものを映画館で見たということですね。
これで納得。

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2人とも本当に素敵だった。

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ワトソン博士。
ベイジル・ラスボーン版のナイジェル・ブルースを意識したというが、うーん、可愛い!

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レストレードは驚きのハマり方。
昔のホームズ本の挿絵のもみあげがそっくりだし、これは懐かしい!
衣装も!本当に子どもの頃読んだホームズの挿絵!

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クリスマスシーズンの番組だったということで、まるでクリスマスキャロル。

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素敵だけど、コスプレに見えなくもない・・・。

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このまま本の挿絵になりそう。

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ハドソン婦人のセリフは伏線になっているのだが、うーん、結末はお粗末。


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この立ち姿には鳥肌が立った。
ホームズ!まさに本の中のホームズ!


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最高。

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ホームズを普通に演じていたら、稀代のホームズ俳優と言われたかもしれない。




ここから先はネタバレですので、これからご覧になられる方はご遠慮くださいませね。


本編前の約5分の撮影美術特典映像。
これがモファットさんが語る、ファンのための小ネタでもうニヤニヤが止まらない。

シカのヘッドフォンと補聴器。
スリッパの中のタバコ。
ナイフの刺さった手紙の束。
遠くから見るとスカル、近くで見ると鏡を見る女性に見える絵画。
原作に忠実な部分とスタッフの遊び心。
ホームズの時代、男性は料理をしてはならなかったという。
だから221Bの二人の部屋にはキッチン部屋はあってもキッチンは無い。
蘊蓄がたまらなく愛しい。

本編は約90分。
前半はヴィクトリア朝時代の誰もが知るホームズとワトソン。
お話は最初ゴシックホラーかと思わせるつくり。
ワクワクしていたが、やはりこれは劇場用ではない。
後半にきてドラマの続きが出てきた時は正直がっかりした。

なぜドラマ版とのミックスにしたのだろう。

普通にヴィクトリア朝時代のホームズにしておけば、後々まで残るTV映画の一つにもなったかもしれないのに。

それでも、大画面で見るベネディクト・カンバーバッチはまさにホームズ。

後半、虐げられてきた女性たちの秘密結社の会合に乗り込むホームズとワトソン。

冒険も危険もないまま話は進み、動機が上手く描かれない。
しかも何で黒いヴェールの女で始まってオレンジの種5つなの~~~?
元からファンって人にしか楽しめないのはちょっとどーなの~~~?

女性達が自分等を苦しめた男達に復讐するというのに、それを示唆する映像もなく、結局ホームズがモリアーティというゴーストに苦しめられ、過去と現在が交差する中で自分を取り戻していくクリスマスキャロルで話が終わってしまう。

先日同じように、自分たちをもて遊んできた男への復讐劇を描いた市川崑監督の「黒い十人の女」をテレビで見たばかりだった。
こんなにクールで洒落た日本映画があったとは、と参った。

ネタは男が殺される場面からすぐにわかるような話だったが、映像もセリフも、すれっからしな感じも雰囲気も衣装も何とも言えずモダン。
女たちとあの船越英二が対照的で、「卍」の時同様、平凡でも品のある船越が際立たせる女優陣の魅力が満載の映画だ。

イトイ対談のバレエの話ですっかり〇〇な女だと露呈したが、それまで私は岸恵子が好きだった。
彼女のドラマも映画も見ている方だと思ったが、これは初めてだった。
岸恵子最高の作品だったのではないだろうか。
それでも最後の最後にもうひとひねり欲しいと思った。
「郵便配達は2度ベルを鳴らす」みたいな。

この「忌まわしき花嫁」も女性が一団になり力を合わせて男に復讐しようとする話のはずだったが、
メンバーはいつものレギュラー陣以外は誰だかわからず。
最後の一捻りが欲しいどころか、「花嫁」なんか結局どうでもよかったのねで終わってしまったのが残念だった。動機としては斬新だったのに。
「ホームズを心身ともに最も疲弊させた事件」だなんて、ワトソン博士よ、大げさすぎ。

とはいえ、十二分に休日を楽しいものにしてくれた「SHERLOCK」。
正統派ホームズを堪能できただけでも、ファンには嬉しいのだった。


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2015
12.26

東京物語

Category: 映画の話
先日お亡くなりになられた原節子の代表作ということで、『東京物語』が放送されたので、録画しておいた。



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尾道の小さな港の湾沿いに並ぶ瓦葺の屋根。
蒸気機関車の吐く黒い煙。

戦後の復興と共に失われた家族の在り方の欠片が散らばる。

どこまでも善良で、
「私らは幸せですよ」と語り合う老夫婦。

田舎から東京まではるばる子ども達に会いに来た両親に、冷たい実の子ども達とは違って、血の繋がらない義理の娘の紀子(原節子)が一番優しかったという、ただそれだけの話なのだが。


老夫婦(笠智衆 、東山千栄子)が20年ぶりに訪れた東京は、トンチントンチンと、
お囃子や流行歌がどこかから聞こえてくるような街。

そこに住む長男は医者(山村聰)、長女(杉村春子)は美容室の経営者となっている。

そして戦死した次男の嫁が原節子。

全ては笠智衆 、東山千栄子のやわらかな物腰、善良で優しい姿に集約される。
彼ら無しに、この映画は成り立たなかったと感じる。

特筆すべきは杉村春子。
さすがというしかない。

俳優座と文学座の劇団所属の俳優に、子役は劇団ちどり、劇団若草から。
劇団によって、演技スタイルが違っていたのかもしれないが。

長兄の家に滞在する両親を訪れた時の杉村扮する長女「志げ」が見せる、
都会に根を下ろした中年女の自然な立ち姿。
慣れない老祖父母にどう接して良いかわからぬ(1950年代当時の)現代っ子を彼らの元に連れて行き、挨拶を促す貫禄。
家でのだらしなく膝を開いた座り姿。
両親に持っていく土産を2度とも「煎餅でいいのよ。」と自分もぼりぼり貪るように食う表情。
そして母を亡くした直後に泣く姿の翌朝には、ケロッと自分の現実に立ち返っている食事時の所作。

どのシーンもカメラの存在を感じさせない。
最も人間臭く、最も都会ずれした、商売に長けた中年の女。

医者のはずだが、どこか浮世離れした長兄の山村聰とは対照的だ。

戦争未亡人の原節子と、笠智衆 、東山千栄子演ずる老夫婦のふれあいに心和む。


長男の家では、子ども達がおじいさんおばあさんである老夫婦になつかず、上の孫は祖父母のために勉強部屋を明け渡すことに不満を持っている。
仕方なく勉強部屋ではなく、父親の診察室の机で勉強する孫は、何故かこれみよがしに英語を勉強している。
学生服でもなく、キャップ帽をかぶった姿はあどけないが、中学生らしい。

教科書には「NEW TSUDA READERS」と書いてある。
津田塾?何故?と思って調べてみた。
CiNiiによれば、これは実在した教科書で、「New Tsuda readers [津田塾大学編修部著]Sanseido, 1948-1950」とある。
「昭和23年8月26日文部省検定済教科書中学校外国語科用」と書誌情報にあるので、どこの中学校でも使われていたものだろうか。
この映画が1953年の作であることを思えば、英語で「冷たい冬は終わり、春がやってきた」と読むあどけない中学生は、父のあとを継ぐべき、新しい長男の姿だったのかもしれない。
これをGHQ政策の一つと捉えるか、新しい時代の萌芽と見るべきかは、意見の分かれるところか。

長男、長女の家で其々居心地の悪い思いをし、海辺の町からやってきたのに熱海(だったと思う)に追いやられる。
東京に戻っても実の娘は冷たく、その中で父は旧友と再会を果たし、母は義理の娘が一人暮らすアパートに泊めてもらい、安らぎを見出す。

だが、帰路の途中から、母親は体調不良を訴える。

あっけなく母は亡くなり、葬儀の後の家族がまたリアルに描かれていく。

笠智衆のぼうっとした立ち姿は、長年連れ添った妻を亡くした男を表現するに、これ以上のものがあるかと思わせるものだった。
あんなにさりげないのに。

東京で母危篤の知らせを受け、喪服の相談をする長男長女の会話は身につまされた。

義理の娘の原節子と、老夫婦が同居している次女の香川京子の二人の頭には、喪服の準備のことなど毛頭もなかった。

人一人が亡くなる、その周辺では、時に箍が外れたように様々なことが噴出する。

人間の本性、本音が一番浮かび上がるのが、人の危篤から臨終の時なのではないか。

私は自分も経験した細やかな幸せや、裏切られた不幸を思いながら、舅姑の姿が目に浮かんだ。

葬儀の翌朝の食事の場面で、カメラの正面、今ならお誕生席と呼ばれる中央に座っているのは長男である。
本来なら家長はやはり老父ではないかと思ったが、跡継ぎとして、実権は父から長兄に移っているのかと思わせる場面だった。
家の中ですら、席順からその人の立場がわかるなんて、今はもうほとんど見られない光景かもしれない。

何でもない光景なのに、涙が流れて止まらなかった。

この何でもなさが、この映画の真骨頂なのだろう。
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2015
12.20

ルーク・スカイウォーカー

Category: 映画の話
先日「スターウォーズ」を地上波で録画した。

『スター・ウォーズ エピソード4/新たなる希望』を最初からじっくり観たのは初めてだ。

「2001年宇宙の旅」は好きな映画だし、レイ・ブラッドベリは大好きな作家なのに、
どういうわけか「スターウォーズ」シリーズが公開された時点では第1作目だったこの映画は、
食わず嫌いのまま、まともに見たのはファントム・メナスくらいで、この年になってしまった。

ルーカス制作の作品では、「インディ・ジョーンズ」は一作目から映画館で何度も楽しんだのに、何が違ったのだろう。
いまだに不思議だが、ファンの多い作品への食わず嫌いはこれだけではないので、
きっとへそ曲がりのせいだろう。

というわけで、ようやく見た「スターウォーズ」は、悲しいことにおかしなところでぶつ切りにされた、CMだらけの悲しい映画と相成った。
それでもこれはまさに冒険活劇であり、インディ・ジョーンズの兄弟分でもあり、とても楽しかった。

突っ込みどころの多さでは今ならBだと言っていいほどの破たんも見せているが、
あの当時の技術でも尚、素晴らしいSF映画であることに変わりはない。

で、私にとってのスターウォーズがこれまで何だったのかというと、
あの小林信彦が短編(オヨヨ大統領シリーズでしたっけ?)の中で
スターウォーズのパロディをちょっとだけネタで取り入れていて、
その中であのルーク・スカイウォーカーは「大空歩(おおぞら・あゆむ)」と呼ばれていたのだ。

あまりにもハマり過ぎた名前と話の持って行き方に、大笑いして読んだ記憶がある。

「おおぞらあゆむ」には、
「それじゃあ、まるで漫才師の名前じゃありませんか」という突っ込みが入っていたとも思うが、
それがまたスターウォーズブームの時の賑々しさと相まって笑えた。

辺境の地で作物を育てる叔父夫婦の手伝いをして育った青年が、何故あれほど精密な宇宙船を最初から乗りこなせたのかも、フォースの力も何もかも、あれが第1作だったから良かったのだ。

もしかすると、私には難しすぎて話がわからないかも、と思っていたのかもしれない。
でも、話の辻褄なんてどうでもよかった。
楽しかった。

へそ曲がりは、返上しよう、と思った。



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2015
09.06

キャデラック・レコード・ラバーズ・オンリー

Category: 映画の話

「キャデラック・レコード ~音楽でアメリカを変えた人々の物語~」Cadillac Records


たまたまテレビをつけたら、こんなに素敵な映画が。

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http://www.cinematoday.jp/movie/T0007617
シネマ・トゥデイより

1950年代のシカゴを中心に、伝説的なレコード・レーベル、チェス・レコードと所属アーティストたちの盛衰を描く実話ドラマ。監督は『彼らの目は神を見ていた』のダーネル・マーティン。チェス・レコードを立ち上げたレナード・チェスをエイドリアン・ブロディ、グラミー賞受賞シンガー、エタ・ジェイムズをビヨンセが演じている。偉大なミュージシャンたちの波乱に満ちた半生と、彼らを熱演した出演陣から目が離せない。



http://american-life.jp/special/cadillac-records/index.html

「AMERICAN LIFE MAGAZINE」
より

ストーリー:
1941年、ポーランド移民のレナード・チェス(エイドリアン・ブロディ)は、キャデラックを乗り回すことを夢見てシカゴの黒人街にクラブをオープンする。一方、ギター一本でシカゴにやってきた南部の黒人マディ・ウォーターズ(ジェフリー・ライト)は、若く衝動的なハーモニカ奏者リトル・ウォルターとブルースバンドを結成し、家族同様に付き合うようになる。ある日クラブで演奏する彼らを見て、マディの音楽がビジネスになると感じたレナードは、マディをレコーディングに誘い、チェス・レコードを立ち上げる。

そうしてレナードとマディは楽曲のプロモーションのためラジオ局を巡る旅に出る。黒人差別があからさまだった時代、二人は奇異な眼差しで見られるが、レナードは「ビジネスパートナーは家族と同じ」と意に介さない。世間の思惑に反してレコードは大ヒット、レナードはマディを称えキャデラックを贈る。マディはチャンスをくれたレナードに感謝し、「誘われても移籍はしない」と誓うのだった。

シカゴで最高のスタジオを構えた二人に加えて、作曲家のウィリー・ディクソン、シンガーのハウリン・ウルフを迎え、チェス・レコードはチャートを席巻する。マディは男が憧れ女性が焦がれるヒーローとなり、ウォルターはソロでもヒットを飛ばし、レナードは彼らから“白人の父”と慕われた。
皆が“音楽・キャデラック・女・人生”を謳歌し有頂天だったが、レナードもマディも家庭を顧みず、ウォルターは酒やドラッグに溺れていく。ついにウォルターは白人警官とトラブルを起こし、レナードに見放されてしまう・・・。



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スタッフ
監督・脚本: ダーネル・マーティン
製作総指揮: ビヨンセ・ノウルズ / マーク・レヴィン
製作: アンドリュー・ラック / ソフィア・ソンダーヴァン
編集: ピーター・C・フランク
撮影: アナスタス・ミコス
音楽: テレンス・ブランチャード
衣装デザイン: ジョネッタ・ブーン

キャスト
レナード・チェス:エイドリアン・ブロディ
マディ・ウォーターズ:ジェフリー・ライト
エタ・ジェームズ:ビヨンセ・ノウルズ
リトル・ウォルター:コロンバス・ショート
チャック・ベリー:モス・デフ
レベッタ・チェス:エマニュエル・シュリーキー
ウィリー・ディクソン:セドリック・ジ・エンターテイナー
ジェニーヴァ・ウェイト:ガブリエル・ユニオン
ハウリン・ウルフ:イーモン・ウォーカー
タミー・ブランチャード
ノーマン・リーダス



制作がビヨンセ。

オースティン・パワーズでは散々だったビヨンセだが、この映画では制作総指揮の他、エタ・ジェームズとして出演。
『ドリームガールズ』より際立った、素晴らしい歌姫だったと思う。
ダイアナ・ロスを演じた時には彼女の実際の声質に合わせてトーンを落として歌ったという話だったと思うが、この映画の彼女は、歌だけでなく演技でも際立っていた。


先日キング牧師を描いた初めての映画、「グローリー」を見たばかり。

非常に近い時代を描きながら、全く違うアプローチだが、こちらも「グローリー」に負けない素晴らしさだった。

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http://www.allmovie.com/movie/v429778
「ALLMOVIE」
こちらのサイトによれば、

「チェス・レコードはいち早くブルースの才能を持つアーティストたちの【ホーム】として世間に認められたレーベル。しかし彼らの音楽を世界に届ける、その道のりは容易いものではなかった。」



なぜ彼らの成功への道のりが大変なものだったのか。
人種差別が根強く残る中、音楽だけでシカゴから世界を席巻するに至った彼ら。
その途中に立ちはだかったものは、差別だけではなかった。


この映画の抜きん出ていることは、チェス・レコードの抱えた問題が、ただ「差別される側だった彼ら」という視点にのみ置かれておらず、彼ら自身が抱えていた愛とセックス、そしてドラッグの問題を同時に描いていた点に見ることができると思う。

マディ・ウォーターズ、リトル・ウォルター、ウィリー・ディクソン、ハウリン・ウルフ、エタ・ジェームズそしてチャック・ベリー。

チャック・ベリーの逸話は誰もが聞いたことのあるような話ではあったが、無駄のない演出で成功している。

群像劇でもあるこの映画にはあちこちに心をギュッと掴まれるエピソードや、印象的なショットが織り込まれている。

ブルースを音楽のメインストリームに乗せ、そこから波及した彼らの音はローリングストーンズ、ビートルズなどにも受け継がれていく。

マディたちの元に、イギリスから「坊や」だったローリングストーンズが訪れる。
マディは思う。

「イギリスの若者たちが追随した。黒人をアメリカ人だとは、誰も思っていなかったようだが。」



だが、ミックと思われる若者は笑顔でこう挨拶する。

「Mr.ウォーターズ、僕達、あなたの大ファンです。あなたなんです。僕たちが一緒にいる理由は。(字幕では“僕たちの目標だ”ですね)バンド名はあなたの歌にちなみました。“ローリング・ストーン”」



「ストーンズ、ビートルズ、フリートウッド・マック、ツェッペリン、クランプトン・・・誰もが知っている名だ。」



マディの曲をカバーしたストーンズの歌がヒットチャートを駆け上る。

アンプで音を増幅させることで彼独自の音作りをしたという天才ブルース・ハープ奏者リトル。
その彼に、ヒットに拘るレナードは、「アンプを外せ」と命じた。
リトルを庇えなかったマディ。

彼の短すぎた命に責任を感じながらも、マディ自身も時代に翻弄される。

マディがウィリーと共にイギリスへ初めて向かった時。
飛行機を降りる彼の足先にはレッドカーペットが敷かれ、彼の脳裏に一瞬、荒れた土地を耕す過ぎた日がよぎる。

彼を取り囲むのは、大勢の記者やカメラマンたち。

どんな成功した姿よりも、印象に残る演出。

のちに、ウィリー・ディクスンはチェス・レコードから、ようやく自分が書いた曲の印税を貰う権利を勝ち取った。
彼の遺族が旧チェス・レコードの建物を買い取ったのは1993年、ブルース・アーティストの支援を行っている。

R&B、ロックンロール、ヒップホップ、どれも彼らの血が流れている。
「ブルーズ」が音楽のビッグバンを起こした。

「ブルーズ」、と言っている。
この部分のナレーション、ウィリー役の嬉しさの滲む声。
誇りに思う気持ちが、声と独特のリズムのある言葉にあふれる。


映画で実際に演奏して歌ったクールな俳優陣。

彼らの粋な立ち姿に、山田詠美の「ソウル・ミュージック・ラバーズ・オンリー」を思い出していた。



彼女はこの短編集のあとがきにこう書き残している。

「私は黒人が好きである。何故なら慣れ親しんでいるから。自堕落でやさしくて感情を優先させる自意識の強過ぎる、そして愛に貪欲な彼らが大好きである。」 ~山田詠美/著 角川文庫 昭和62年初版 あとがきより~



彼女の言う、「愛に貪欲な彼ら」に、この映画で出会えた気がした。

音楽で世界を変えた。
でもその素顔は、愛情深く、時に不器用で、熱い血の流れる男たち。


今、「ソウル・ミュージック・ラバーズ・オンリー」は幻冬舎から出ている新しい装丁でしかAmazonには載っていないようだ。
角川版の装丁が大好きだった私は、この本を繰り返し読んだあの頃から30年近くも経っていることに、ちょっと驚いている。




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2015
06.22

足は真っ直ぐね

Category: 映画の話
「ステップアップ4 レボリューション」を見ていた。

ストリート系、というのか、このあたりのダンスは好んで見ないのだが、
この映画の女優さんのダンスにはくぎ付け。
素晴らしかった。

足が素晴らしい。
新体操のような、足の使い方。

裸足で踊ります。





ステップ・アップ4:レボリューション
STEP UP REVOLUTION


全世界で大ヒットの最強ダンス映画シリーズ第4弾。故郷の街を再開発計画から守るため、ダンス・パフォーマンスを企画する若者たちの姿を描く。

ストーリー
最先端の“フラッシュモブ”を得意とするマイアミのダンス・パフォーマンス集団“ザ・モブ”。リーダーのショーンはプロのダンサーを目指すエミリーと出会い、惹かれ合う。だが彼女の父で実業家のアンダーソンは、ショーンらの故郷、湾岸スラム地区で一方的な再開発計画を進めていて・・・。


監督
スコット・スピアー
出演
ライアン・ガスマン
キャサリン・マコーミック




パフォーマンス、身体表現として、外しているところはひとつもない。
メリチャリがいかに素晴らしいか、こういったダンスを見ていると共通するものを感じる。
この類の映画を見ている人たちって、フィギュアスケートなんか見ないのかしら?

もしこんなダンスを踊れる人で、オリンピックだけでもいい、フィギュアを見ている人がいたとしたら、
それでも茶番の金、措置の銀メダリストの表現が素晴らしかったと思うのかしら?


不思議。
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2014
08.01

パガニーニ

Category: 映画の話
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「21世紀のパガニーニ」と称される美貌のヴァイオリニスト、デイヴィッド・ギャレット。
超絶技巧を自在に駆使しての自由闊達なヴァイオリンの音色に只々あっけにとられ続けた。

天才の一生というものは、とかく映画になっても切なく苦しいものが多いものだが、これもその一つと言っていいだろう。
ただこの映画、一生を丹念に追う必要がないほど、主演、制作総指揮のデイヴィッド・ギャレットは映画の中でパガニーニを演じ切った。
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この瞳とあの激しい演奏で、映画の中のオペラ座での演奏会は失神する淑女までいたほど。
クラッシックの枠はとうに超えていた。
イタリアから船で渡り、ロンドンに着いたパガニーニが、退屈しのぎにパブを訪れる。
すぐに喧嘩が始まるが、彼はその場でギタリストと一緒にヴァイオリンを弾き、その場の人々を熱狂させる。
現代に生まれたヴァイオリニストが弾いていると、これは映画なのだとわかっていても、鳥肌が立った。
圧倒的だった。
悪魔などであるはずがない。
たとえ時代がそう望んだとしても。
演出として彼の「物語」を作るための冠に、「悪魔」という言葉をプロモーターだったウルバー二が用いたとしても。
天分、天才という言葉には「天」が付いているではないか。

さて、この映画をどうしても見たかったのは、超絶技巧で演奏される「カプリース」(24のカプリース)を聞きたかったからよ。

この映画について教えてくれた職場の女性に、私はその場で浅田真央の「カプリース」をyoutubeで見せたわ。
「浅田真央って、こんな演技もできるの?試合ではいつも苦しそうで見ていられなかったけど」
そういった彼女に、話したいことは山のようにあったけれど、
「これが、本当の浅田真央なんですよ、きっと」
私が言えたのはそこまでだった。

だって、その女性は浅田真央の「カプリース」を、結局最後まで黙ったままじっと見ていたから。


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2014
07.31

マダム・イン・ニューヨーク

Category: 映画の話
仕事が終わり夕食の支度をすませ、もうすぐ私の住む町では上映が終わってしまう「パガニーニ」を見るために映画館に急いだんだけど。
時間が変わっていたので午後7時からの映画は「マダム・イン・ニューヨーク」。
ポスターが好きだったし、ニューヨークに行った気分になれるなら、と見るとにした。

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とかく「ボリウッド」と揶揄されるインドの映画だが、これは素晴らしかった。

インドに住むシャシは専業主婦。夫はやり手(らしい)ビジネスマン、娘はちょっとフクザツなティーンエイジャーで成績優秀。息子はまだいたずら盛りの幼い子だ。
シャシは美しく料理上手な理想の主婦なのに、ただ英語が苦手というだけで夫からも娘たちからもバカにされていて、時々そんな自分が嫌になっている。
そんな時、ニューヨークに住む姉の娘が結婚することになり、シャシは家族に先駆けて結婚式の準備を手伝うため単身ニューヨークに旅立つことに。
飛行機に乗るところから入国までの一苦労、そしてニューヨークについてからも「英語が話せない」ことで、お茶を飲むことすらままならない。
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この女優さんの美しいこと。
大きな瞳が時々ゲデ子に似ていて、とてもチャーミング。
なのにどこまでも清らかで、芯の強さと同時に、インド女性の良き母性を余すところなく演じている。

ニューヨークに来る早々、落ち込むシャシだがバス広告に載っていた電話番号を頼りに、彼女は自分がニューヨークに滞在する4週間の間に、英会話教室で英語の勉強をしようと決心するのだ。
シャシは言葉が通じず散々な目にあったカフェで、一人のフランス人男性と出会う。
彼は偶然、シャシと同じ英会話教室にも通うことになって、何かとシャシにモーションをかけてくる。
この英会話のクラスメート達がみなイキイキとしていて、それぞれの事情を抱えて英語を教わりに来ているのだけれど、先生も交えて、言葉だけではない、気持ちでつながるクラスメートとなっていくのよ。

彼女は言葉を学んでいく楽しさとともに、その場の皆に認められ、励まされることで、それまで感じたことのなかったであろう「自尊心」を取り戻していく。
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一番好きだったのは、ビルの屋上からフランス男とシャシが、ニューヨークの街を眺めるシーン。
思わずシャシが、眼下に広がるニューヨークの街に「beautiful!」と叫ぶ。
何のてらいもなく彼女の口からほとばしった言葉に、身震いしそうな感激が伝わった。
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姪の結婚式の日と英会話クラスの最後の試験が重なってしまい、映画にありがちなアクシデントも重なって、シャシは英会話の試験を受けられなかった。
けれど、シャシの英会話スクールの秘密を一人だけ知っていたもう一人の大学生の姪が、シャシのクラスメートと先生を結婚式に招待するのだ。
そこではシャシお得意のスイーツが皆に振舞われ、そして姪に促されたシャシは、夫や娘、英会話スクールの友人たちの前で、素晴らしい英語のスピーチをするのだ。

「夫婦とは、イコールの二人が、同等に生きるもの。時にどちらかが自分を劣っていると感じることもあるかもしれない。そんな時こそ助け合って生きていくもの。助け合えない時には、自分で自分を助ければいい。けして互いを馬鹿にせず、尊敬し続ける、それが家族。」
シャシの言葉はその場の皆の胸を打つ。

「自分のことが好きになれない時、人は自分の周りも嫌になるけれど、自分のことが好きになれた時に、自分の周りも悪いものじゃないと思えた。」シャシはそう言って、クラスメートの皆に感謝する。
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私なら、男尊女卑夫は捨てて、フランス男の元に残ると思ったんだけどなあ。
サウンドトラックがあるなら欲しい、と思うほどの音楽の楽しさ。素晴らしさ。

すっかり幸せな気分で、家路についた。

さて、最終日までにパガニーニを見ることができるのか、私?
絶対に残業しないで走らなくては!
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2014
07.08

眠れる森の美女

Category: 映画の話
「Dlife」チャンネルが、アンジー姐さんの「マレフィセント」公開記念にディズニー映画「眠れる森の美女」を放送してくれてたので、息子と一緒にあれこれ突っ込みながら鑑賞中。

テレビのHDが壊れてしまって、データもだめになってたので、これは嬉しかったわ。

王国にようやく誕生したお姫様のお祝いの席で、この姫は粘着質の悪い魔女に呪いをかけられてしまう。
魔女の呪いからお姫様を守るため、3人の善良な魔法使いが森の奥で彼女を手塩にかけて育てる。
で、16歳になった姫は、森の奥で動物たち相手に歌ったり踊ったり、ペラペラおしゃべりしてる、頭のイカレたお姉ちゃんに育つわけよね。
とびきり美しくて優雅だけどね。
イカレ姫は夢に見た、素敵(だけどお気楽な)な王子と偶然森で出会い、恋に落ちたにもかかわらず、互いの素性を知らぬまま、魔女の罠に落ちてしまう、と。

まあ、どんなに突っ込んでも、この映画の素晴らしさ、完璧さは1作目の「白雪姫」同様、永遠だと思うわ。

「ジブリの方がすげーよ」と言い放った息子に、「このアニメが1959年に公開されたことはどう思うのよっ!」とたちまちけんか腰。
音楽の美しさ、登場人物たちのキャラを身のこなしで描く見事な表現。
55年前の映画だなんて、とても思えない。

王子とお姫を取り巻く王様たちや魔法使いたちの愛くるしくて笑える楽しさ。
そしてあの「マレフィセント」。

101匹わんちゃんの「クルエラ」とも、原作では実母であったという白雪姫の国の王妃とも違って、何が彼女にそうさせたかが「お祝いに呼ばれなかった」くらいでそんなことするか?っていう謎として確かに残るわよね。
いいところをついて新しい映画にしたなあって思うわ。
「ジュリア・ロバーツ」に次いでお姫様を殺そうとする悪役にアンジーを持ってきたとは、それもまた実写版のいいところだろうけど。あの実写版「白雪姫」の映画もかなり面白かったわよね。特に王子様がね。

アンジーはインタビューの中で、「マレフィセント」を演じるにあたって、もともと彼女自身が子供の頃から「ただ美しく育ち、王子様と結婚して幸せになるオーロラ」には共感を持てなかったと語ってるわ。
逆にマレフィセントの身に起こった不幸、それによって彼女の闇の部分が生まれ、それは「この世界に存在する不当さにあたると解釈している」と言ってるのよね。
アンジー、私は嫌いじゃないのよ。

昨日はLaLaTVでドイツ製作の「グリム童話・白雪姫」を見ていた。
こちらも何度も何度も魔女の同じ手に引っかかって命を落としかけるお馬鹿姫の話だけれど、こちらの実写版、とにかく映像の美しさと、原作の面白さと残酷さが残ってて、見ていて楽しかったわ。
ラプンツェルは配役がちょっと・・・だったけれど、この白雪姫はひたすら美しかったわ。
原作でこの王妃が実母だったって話は、身につまされるわね。
私の母親も、私が幸せな時は鬱状態、うまくいかない時には一気に回復するという不思議な人だったわ。
できるだけ距離を置き、気持ちは完全に離れた方が互いに幸せだと心底納得するまでの葛藤はそれは凄まじいものだった。母親とて万能ではなく。勿論、私だってそうよ。
グリム童話は男性が書いた話なのに、どうしてこんな物語が書けたのか?
昔からたまにある(もしくはよくある)話だったからなのかしら?

この「グリム童話実写版連続視聴」に続いて、家族団らんの時間を「眠れる森の美女」で過ごすとは、10代男子にとってはかなり特殊な家庭環境かもしれないわね。
その点夫は賢く、さっさと愛する「吉田類の酒場放浪記」の先日放送されたロングバージョンの元へさっさと逃げたわ。

白状したくはないけれど、私はこの「眠れる森の美女」のディズニー映画の絵本版を持っていて、小さい頃、それはそれは愛してたのよ。リカちゃん人形なんかよりずっと。
本がぼろぼろになるまで、何度も何度も読んだわ。
このオーロラが世界で一番美しいお姫様だと信じて疑わなかった。
私の中の唯一子供らしい部分は、ディズニーのオーロラに独占されてたといってもいいくらいよ。
ヘプバーンやグレース・ケリーを知るまでは、世界で最も美しいのはディズニーのオーロラだと、長いこと思ってたので、その美しさに目がくらんで、「寝てる間にことが片付いただけのラッキーなお姫」とは思ってもいなかったのよ。

息子と一緒にドラマや映画を見ると、「中二病的見解」を語り合いながら見るので、うっとりはできない代わりに、テレビに向かって突っ込むのは、まあ、お互いに面白いわね。

ということで、どんなに愛らしいお姫様を見ても、凛々しい王子を見ても、「おバカ姫」と「バカップル」にしか見えなくなってしまったとさ。
めでたくもなく、めでたくもなし。



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2014
02.20

ヘアスプレーのおばちゃんダンス

Category: 映画の話
トラボルタが太ったママに大変身して話題を呼んだ映画、「ヘアスプレー」。
これはリメイク版。
《Welcome to the 60's》
Lサイズショップのモデルをしないかと話をもちかけられたトレーシーが、太りすぎてもう何年も外に出かけようとしなかったママ・エドナと一緒にミスター・ピンキーのお店に出かける時の曲で、6分13秒もあるわ。

ソチ五輪の女子シングルショートプログラムの演技が始まってしまった。
私はとても落ち着いていられず、・・・この曲で腰振っているのよ。
アホね・・・。

さて、Youtubeの画像の5分9秒から15秒くらいの間にほんのちょっと出てくる太った白人のお針子さんたち。
フィギュアスケートにバレエの素養が必ずしも必要というわけではないとは思いながら、この「ヘアスプレー」のミスター・ピンキーの店のお針子おばちゃんのダンス、こんなにおばちゃんでも、太ってても、見事にクラッシックの基本がが入ったダンサーだわなあ、と思い出したのよね。ま、こんなので比べたって、何の意味もないのよ。
でもこのおばちゃんたちにはあって、沢庵にないものが見えない人たちもいるんだなと思ったら・・・

明らかに黒人系の3人娘とはダンスの質を変えてある。うまくそろえたと思うわ。
この映画は、こういったダンサーの使い分けがまた見どころのひとつかしら。ダンススタイルで登場人物のバックボーンが見えるように作ってある。お店の外での群舞も楽しいわ。
このぽっちゃりしたおばちゃんたちが飛び跳ねながら踊るほんの数秒、この人達がいくつになろうと、どんなに太ろうと、体に染みついたクラッシック独特の筋肉の(脂肪に隠れてるけど)使い方は一生変わらないわね。


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2013
11.28

dream

Category: 映画の話

I have a dream that my four little children will one day live in a nation where they will not be judged by the color of their skin but by the content of their character.
私には夢がある。私の小さな四人の子ども達が、いつの日か肌の色ではなく人間の中身によって評価される国に住めるようになるという夢だ。


I have a dream today

私にも夢があるわ。
組織の力関係ではなく、演技そのものによって評価されるスポーツを見るって夢よ。
だけどフィギュアに関しては、苦い恨み言だって言いたくなるわよ。


むかーし、マーティン・ルーサー・キング牧師のあの演説「I have a dream」の録音(30年以上も昔だからカセットテープよ)を聞きながら、演説の原文がそのまま載ったテキストを訳すって授業があった。

英語の授業は苦痛だったが、この演説にはハマった。
昔の女子高生には、今ほどの知識も幅広い情報もなかったけれど、バックグラウンドを知る手がかりを本から探し、黒人差別を扱った映画を探しては見たものだ。


キング牧師の肉声にはリズムがあった。
心地よくて力強く、訴えかける何かを持っていた。
どうしても暗記したいと思うほど、その言葉の持つリズムに魅了された。

キング牧師の夢の最後の部分は、シンプルだけど壮大な叙事詩のようだった。
美しくて辛くて、情熱的だった。
小さな島国に生まれたアジアンの一人である私に、その夢の切なさがわかろうはずもなかったのに。

というわけで、キング牧師の演説のレコードも登場する映画「ドリームガールズ」を見ている。

ビヨンセの小股の切れ上がったいい女っぷりはともかく。
ジェニファー・ハドソン、ジェイミー・フォックス、この二人の意味ありげな目、表情、もうほんとに素敵。

ジェニファー・ハドソンと言えば、SATC映画の最初のやつで、キャリー初のアシスタントとして活躍してくれたわね。あのクルクルとした瞳がいいのかしらね。

全編に流れる音楽が最高。



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2013
08.21

納涼007

Category: 映画の話
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「007サンダーボール作戦」

いわずとしれた、007映画の第4作目である。
なんといっても、ふんだんに取り入れられた水中シーンが怖かったり美しかったりで、夏にはぴったり、目にも涼しい。

暑い時に、海の映像を見ながら涼しい部屋でボーっとする。
ずーっとこうしていられたら、どんなにいいだろう。

ジェームスボンド役のショーンコネリーが少々暑苦しいが、大好きな俳優なので仕方ない。

この映画の全編に、あの007のテーマが、繰り返し使用されている。

海とアクションの映像で涼んでいるつもりが、ついつい、あの「茶番」クーバーのことまで思い出す。

2分50秒のショートプログラムの中に、よくぞ上手いことあの曲のキモの全てを入れ込んだもんだと思う。

皆それぞれの言い分はあるだろうが、やはりあのSPは、素晴らしかった。

編曲、振り付け、大衆演芸、三位一体のエンターテイメント。

ただそこに、浅田真央がいたから、あのバカげた点数を盛るしかなかったのだ。

バンクーバーシーズン、全日本まで、真央ちゃんの「鐘」は賛否両論だったと思う。

私もSP、LP共に、「戦略的に」これでいいの?と思っていた。

でも全日本の時だった。

オリンピックを賭けた後のない勝負。

あの時の「鐘」には鳥肌が立った。

「これは大変なことが起きたんだと思うんだけど・・・。これって、何?」

それまで見てきたスケートとは全然違った何かだった。

007のプログラムは、確かに素晴らしいものだった。

なのに、戦う相手が別の次元だった。

2008年のGPFで、浅田真央が勝ってしまってから点数だけ別次元にいってしまった「例のあの人」だが、同時代に浅田真央がいなければ、こんなことも起こらなかったかもしれない。

繰り返し流れる007のテーマに、私の中でソチのスイッチがうっかりオンしてしまったよ。







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