2017
08.19

楽園でジャケットを脱いだボス

Category: TV番組
個人的な感想とネタバレです。


『ミステリー・イン・パラダイス』、シーズン6を観終わった。

シーズン1からのファンとしては、個人的にこのドラマ最高のシーズンだった。


私はベン・ミラーのリチャード警部補とカミーユ、
ドウェインとフィデルチームが大好きだったので、
ここにきて新シーズンをこんなに楽しめたことに自分でも驚いた。

何しろクリス・マーシャル演じるグッドマン警部補が幸せにセントマリー島を去り、オノレー署の面々にもキャサリンにもちょっぴり変化が訪れたところで終わったのも後味が良かった。
シーズン3の出だしがショッキングだったので、これは本当に嬉しい。

見慣れた楽園が新しいボスのジャック・ムーニー警部補と娘のシボーンの目を通して見るとまた何と美しく見えることか。

ところで下記リンクの記事によれば、ベン同様、クリス・マーシャルも家庭と子育てと仕事の狭間で随分悩んだ挙句の降板だったようだ。
連日40度を超す暑さの中でジャケットを着ての演技。
1年の半分をグワドループ(クワドー4回転じゃないらしい^_^;)で撮影しなければならないことの家族への影響。
主役2人が同じ理由での降板であったにせよ、家族の幸福を考えた結果というのは、素敵なことではないか?

このミステリーを「『刑事コロンボ』と『スクービー・ドゥー』の間」
と評したクリスの表現も面白い。

ステレオタイプのヒーローでは ないのに愛嬌があって、仲間に愛される。
ちょっと変わった名探偵。

今度の警部補は、ようやくジャケットを脱いで半袖姿の捜査も見られる。
考えるに、暑さに関しては署長が1番忍耐強いのでは?


新しい警部補、ジャックも終始何かを口に放り込んでいる食いしん坊。
年頃の娘と2人、妻を亡くしたばかりの彼の心の変化もこれからの見どころ。
あのオノレー署長のキャラも、女子と素早く仲良くなれるという特技で随分変わったし。

シーズン6の終わりになんと市長になってしまったカミーユの母、キャサリン。
彼女の今後も気になるところだ。

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参考リンク
http://www.radiotimes.com/news/2017-08-04/kris-marshall-says-goodbye-to-death-in-paradise-and-explains-why-he-had-to-leave/
http://www.radiotimes.com/news/2014-12-29/kris-marshall-death-in-paradise-is-a-cross-between-columbo-and-scooby-doo/
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/スクービー・ドゥー_(フィクション作品)

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2017
08.14

『ダンサー』

Category: 映画の話
『ダンサー』

一部ネタバレ、しかも素人の好き勝手な感想ですので、
あしからず。




若き天才プリンシパル。
キエフバレエ団を経て英国ロイヤルバレエ団の史上最年少プリンシパルとして華々しく舞台を飾ったセルゲイ・ポルーニン。

クラッシックバレエは長い歴史の中で、究極の美を追求し続ける芸術。
身体に張り付くレッスン着は、筋肉の動き、使い方を確実に見えるようにするためだ。

友人に "gracefull beast "と言わしめた、優雅で猛々しく、高く正確なジャンプ。
虎の様に助走し、そのくせ軸がブレることのない美しい回転。

監督のスティーブン・カンターはドキュメンタリー畑の方だそうだ。

子供の頃から現在までの写真や映像が数多く残されているため、天才ダンサーの記録が喰い込む様にその内面に迫っていく。

彼のレッスン費用を出すためにいつしかバラバラになった家族。
その喪失感は彼を破滅の道へと何度も誘う。

彼が『引退』するつもりで踊った
『Take me to Church 』。
彼の苦しみ、魂の渇きは、その類い稀なる才能さえ、自らのGuilty だと感じていたからではないのだろうか。
家族が自分を捨てたのではない。
家族を壊したのは紛れも無い、自分だと、彼は自分を責めていた。
きっと、自分の才能までも。

『Take me to Church 』の歌詞は彼の心そのものであり、裏返しでもあった。
苦しみの表現だけではなく、罪の贖いを求める祈りでもあったと思う。

彼はクラッシックバレエの一線を退いて初めて、自分の公演に家族を招待した。
ようやく自分を許したように私の目にはうつった。

これ程の才能を持って生まれ、苦しんだ挙句

『僕はやっぱり、踊ることが好きなんだ』

そう言ったセルゲイに、観る者も救われる。

正確さを常に要求されるクラッシックバレエにおいて、完璧な基礎の上にしか芸術は生まれないのではないかと、その思いを強くした。

あの厳しくも美しいレッスンからさえはみ出してしまう程の不世出の才能。
子供の頃からのレッスンシーンにさえ鳥肌が立つ。

今現在、自身がプロデュースする公演を
行いながら、既に3本の映画出演が決まっているそうだ。
『オリエント急行』もだが、第2のヌレエフと言われた彼が、ヌレエフの伝記映画、『The White Crow 』の出演も決めているという。

絶対に見逃せない。

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2017
07.17

『フラーの舞台袖』

Category: 映画の話
『ザ・ダンサー』

以下は映画の内容に踏み込んで好き勝手に書いておりますので、
未見でこれからご覧になられる方にはネタバレということをご承知おきください。

映画を観ながら、丁度先日読んでいた本の中の
「エトワール、または舞台の踊り子」の話を思い出した。

本というのは中野京子/著
『怖い絵』
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1878年に描かれたドガの踊り子の絵の本当の姿を、中野氏はこの本でこのように書いている。

「この少女が社会から軽蔑されながらも出世の階段をしゃにむに上がって、とにもかくにもここまできたということ。
彼女を金で買った男が、背後から当然のように見ているということ。
そしてそのような現実に深く関心を持たない画家が、全く批判精神のない、だが一幅の美しい絵に仕上げたということ。」
中野京子/著 「怖い絵」p⑳より



それが、怖い、と中野氏は書くのである。

19世紀後半のオペラ座は、オペラの舞台に自分の踊り子を立たせるために金と権力に物言わせるパトロンが舞台横の桟敷席を買った。
ステイタスだった。
ある種の社交場という性質を持っていたからで、現在の様に純粋に芸術を楽しむ場とは違っていたからだそうだ。

ドガの「踊り子」の視点は、その斜め上の桟敷席からの眺めなのである。

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ドガの踊り子はクラッシックバレエの踊り子で、当時パトロンなしでは中央で踊ることは叶わない一種の娼婦。


この画面左側に胸から下だけ見えている黒いタキシードの男。
これこそが劇場の支配人でもダンサーの一人でもない、パトロンの姿。

さて、映画「ザ・ダンサー」は、引用させて頂いたこの一節通りの状況に、まさに革命を起こしたモダンダンスの祖と言われるロイ・フラーを投じた、ヒリヒリと痛い、アーティストの物語だ。

主人公、ロイ・フラーを演じるソーコの熱情的なダンスシーン。
ダンス、というより舞台芸術と言った方が近いのではないだろうか。

ソーコが迫真の演技で、フラーの芸術を再現する。
圧倒的に美しい舞台芸術を、この時代に実現したとは。
息をのむようなシルクと光のショー。

フラーは新しく独創的な舞台芸術を、自分自身が考える斬新な照明と衣装で観客に見せた。
アメリカでの手痛い経験から、その手法に特許も獲得するのである。


ドガの絵の踊り子とフラーには大きな違いがいくつもあった。
それこそフラーが革命家、と評される所以であり、彼女を題材に映画を制作した理由でもあるだろう。

パトロンと踊り子としてのフラーの関係も通常とは違うように見えた。



映画の中で監督はフラーに言わせている。

「私のダンスは衣装だけ」

イサドラ・ダンカンの自由で自然なダンスを見た後、フラーはパトロンに涙を見せて身体の関係をも結ぶのである。
伯爵はあくまでも彼女がされたいように、優しく彼女を愛する。

謎に満ちた男、ギャスパー・ウリエル演じるルイ・ドルセー伯爵は、愛のない結婚をし、放蕩を尽くして死に場所を求めながらアヘンと女に溺れる男。

フラーをニューヨークで見出し、
カーテン生地では重くて思った動きができないと話したフラーに、
薄くて軽い絹と、オペラ座を目指す資金を(その与え方は普通ではなかったが)与えた。


フラーはやんわりと示唆される映像の中で、女性を愛する女だとわかる。
彼女はパトロンになかなか身体を許さず、それでも伯爵とは互いに身を寄せ合うように生きていた。
パトロンにお金を返し、自立したダンサーとして成功したようにも映画では描かれている。
内実は心身共に蝕まれた、激しい苦悩を癒し合うパートナーとして、2人はそこにいる。


オペラ座の舞台に立つにあたって、身体が限界に達していたフラーをそれでも舞台に立たせることができたのは、「パトロンの権力」だと示唆されている。

ドルセー伯爵は言う。

「ふつう、オペラ座の舞台に立つ踊り子は観客に頭を下げるものだ。
でも君は頭を下げない。」




舞台で倒れた彼女が、必死で降ろされた幕を上げ挨拶に立つ。
オペラ座の観客はスタンディングオベーションで応える。
その時、彼女は観客に向かってお辞儀をするのである。

媚ではない、観客と芸術家の間に湧き上がる感情の表現として。

こうして、オペラ座に立つ女性芸術家は、激しい苦悶の中から美しい蝶のごとく生まれ出でる。

(と、私には思えた。ってくらいのことですから、私見です。)



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モダンダンスの先駆者として19世紀末のヨーロッパで一世を風靡したロイ・フラーの物語を、ミュージシャンで女優のソーコ主演で映画化。

フラーのライバルとなるダンサーのイサドラ・ダンカン役で、ジョニー・デップとバネッサ・パラディの娘として知られるリリー=ローズ・デップが共演。

女性のダンスが卑しいとされた時代に、バレエの殿堂であるパリ・オペラ座で踊るという夢をかなえるためアメリカからフランスへと渡ってきたロイ・フラーが、ドレスや光、鏡などを用いて新たなダンスを創作し、自らの信念と夢のために奮闘する姿を描いた。

監督は、写真家としても活躍するステファニー・ディ・ジュースト。

映画.comより



ジョニデの娘、という冠を外した方がむしろ良かったのではないかと思えるほどの魅力で観る者を惹き付けるリリー・ローズが美しく、素晴らしかった。


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2017
07.16

Happy Sad

Category: 映画の話
古き佳き建築物を保存するために活動されている方の町家にお邪魔した。

築140年ほどだろうか。





その古民家が、夕べは映画館になった。





エアコンも網戸もない、昔ながらの畳の部屋に、スクリーンを据え。


上映されたのはアイルランド映画、『Sing street 』。

余りに切なく、只々素晴らしかった。

キーワードは、「Happy Sad」。

哀しみを基調にしながら、主人公の未来を信じたくなる。
おいて行く側、行かれる側の引きちぎられるような心の痛み。

こんなにも登場人物の全員に感情移入でき、
セリフの一言一句に共感を覚えた映画は初めてだった。

心に染み入る、恋する人、親子、兄弟との葛藤と深い愛。

少年の成長が1985年当時の音楽シーンと共に描かれる。

オリジナル以外の全ての音楽、バンド、映画はリアルタイムで見てきた。

バンドのメンバーにはクールな黒人が必要だから、という理由で友人を誘うシーンがある。

この映画の時代を更に20年さかのぼるだけで、時代はキング牧師の時代だったのだ。

それからわずか20年。
ヨーロッパの都市ダヴリンではハリウッドにこれほど憧れを持つようになっていたのか。
そこにまず、驚く。

Duran DuranのMTV、Michael Jacksonの「Thriller」、「Beverly Hills Cop」のワンフレーズ、
「Back to the Future」のダンスパーティーなどなど、
兄の「宿題」でDuran、Spandau Ballet、Hall&Oatesなどを聴き、
影響を受ける主人公の少年のルックスの変化と内面の劇的に尖ってゆくさまが見もの。

あの頃、日本はバブルだったが、アイルランドは困難な時代だった。

今だからこそ理解できるのかもしれない。

小さな町の閉塞感。家族の崩壊。愛するものを失っていく痛み。



特に主人公の兄の存在がいい。

町を出て、文字通り人生の荒波に乗り出す弟を送り出す。

兄は自分の全てを弟に注ぎ、託したかのようだ。

長男に生まれた、その生きづらさ。

いくつもの真実、誰にも迫る現実が『自分の物語』のように、手に取るように、わかる。


『国は違っても、なんかみんな同じなんだなあ』と、誰かが言った。

その通りだと、思った。

畳の上で思い思いに寛ぎながら、こんな映画に出会えるとは。



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『シング・ストリート 未来へのうた』


「はじまりのうた」「ONCE ダブリンの街角で」のジョン・カーニー監督の半自伝的作品で、好きな女の子を振り向かせるためにバンドを組んだ少年の恋と友情を、1980年代ブリティッシュサウンドに乗せて描いた青春ドラマ。大不況にあえぐ85年のアイルランド、ダブリン。14歳の少年コナーは、父親が失業したために荒れた公立校に転校させられてしまう。さらに家では両親のケンカが絶えず、家庭は崩壊の危機に陥っていた。最悪な日々を送るコナーにとって唯一の楽しみは、音楽マニアの兄と一緒に隣国ロンドンのミュージックビデオをテレビで見ること。そんなある日、街で見かけた少女ラフィナの大人びた魅力に心を奪われたコナーは、自分のバンドのPVに出演しないかとラフィナを誘ってしまう。慌ててバンドを結成したコナーは、ロンドンの音楽シーンを驚かせるPVを作るべく猛特訓を開始するが……。

映画.comより


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2017
06.22

カメカメカメよ、カメさんよ〜♫

Category: 映画の話
『素敵なウソの恋まじない』

ダスティン・ホフマンとジュディ・ディンチのラブコメディー。

原題『esio trot』の意味がわからず、調べてみると、原題まで逆さま言葉になっていた❣️

『tortoise』⁉️そのものズバリ、🐢カメだった💕

原作のはじめには、北アフリカからかつて劣悪な環境下、大量に輸入されたカメの話が書いてある。
今は人間ではなく『tortoise』のために、保護され、輸入は制限されているという。

先日CSで『卒業』が放映されていて、勿論見逃せなかった。何回見ても年を経るごとに感慨深い。

彼の映画でどれが1番好きだなんてとても決められないが、もしかすると、この『恋まじない』が一番好きかも。

Roald Dahl原作の邦訳は『ことっとスタート』。『恋のまじない、ヨンサメカ』が新しいダールコレクションでは改題されている。
映画を見た後、原作を読んでみたら、so lovely だった💕
飼っている亀をこよなく愛するおばあちゃんに恋したおじいちゃんのお話。
プロポーズまでの遠回しなバカバカしいほどの努力が何とも可愛らしい。

亀は何十年もかかって成長する。
なのに今すぐにでもすくすくと育って欲しいとミセス・シルバーは心から願っているのだ。
主人公のホッピーさんは似たような亀を100数十匹も買ってきて、彼女の願いを叶えるべく、似たような少し大きめの亀にすり替えていく。

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ダスティン・ホフマン演じるミスター・ホッピーのベランダガーデンが素敵。

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恋の駆け引きとしても見ることができるが、何しろ『小さいのは嫌でしょ?』と小柄なホフマンを目の前にしてミセス・シルバーは言ってしまうのだ。
原作には現れない背の高い恋のライバルや亡くなったミセス・シルバーの夫が、ミスター・ホッピーのコンプレックスを刺激するのだが、彼は負けない。

原作の方は子供にも読める単純な短編だが、映画は登場人物を増やし、よく肉付けされていてとても楽しめた。

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物語の語り手、ジェームズ・コーデンが2人の出会いを語り始めてからクライマックスの着地点に至って、なーるほど、と笑顔になる。

人生の終盤を迎えた2人の恋を描いて尚可愛い、ダールのお話を愉しんだ。

ところでダールは友人イアン・フレミングのために『007は二度死ぬ』、『チキ・チキ・バンバン』の脚本を書いている。
ダール脚本の007映画は、浜美枝、若林映子(宇宙怪獣ドゴラの美しい女優さんでした)出演の日本を舞台にした映画。あの日本でのとんでもなくシュールな漁村や結婚式、可笑しなお風呂のシーンは忘れがたい。
余談が止まらないが、この映画で海女のキッシー鈴木(浜美枝)との間に生まれた『鈴木ボンド』は小林信彦の『大統領の密使』に登場し、『わかる人にはわかる』という、イジワルい笑いを提供している。

普通ダール原作の映画作品といえば、あの『チャーリーとチョコレート工場』なのだろう。

『へそまがり昔話』にならって、ジョニデとバートンの映画にはここでは触れないことにしよう。
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2017
06.18

時は、やってくるものなんだ。

Category: 映画の話

「深町君・・・おねがい」

「なに、急に・・・」

「へんな女の子だって、思わないでね」

「うん、思わないよ」

「あなたの、パジャマを見せて」



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いえ、
「KIDS STATION」で『時をかける少女』を観た、というだけなんです。

十分、「へんな女の子」ですよ、芳山さん。

何度も再放送されていますので、何度も観ているんですけど。

こんなにいい映画だったとは・・・!!!


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白いブルマくらいで驚いてはいけません。
体操服がブルマにIN、くらいでも驚いてはいけません。

先生だって
「ホットパンツ」ですから。

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ちがいました。

こんな話ではないんです。

SF的な部分を、
映画は言葉で最低限しか語らない。

あのチープなタイムトラベル場面も、今ならOK。

『事情を最低限しか語らない』ことは必要でした。



やはり「尾道3部作」の代表的作品(だと思うんですけど)。

町並みが、素敵すぎ。
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SFと日本家屋のノスタルジックな雰囲気が独特。

そんなことは、この映画が公開されたころから言い尽くされたことでございましょう。

今頃、その貴重さに気が付いたんですね。

古民家再生とか、斜面地の古い家を残すために、尾道で活動されておられる方のFBなどを見ているせいでしょうか。

「尾道空き家再生プロジェクト Onomichi Akiya Saisei Project」FBからお借りしました。
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通称「ガウディハウス」

映画には、
昭和の終わりが、そのままに。

「時は、過ぎていくものじゃない」

「時は、やってくるものなんだ」


って、西暦2660年からやってきた深町くんも言ってましたね。

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2017
06.14

満員電車は乗り過ごそう

Category: 映画の話
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日本映画チャンネル「市川崑劇場」で見た「満員電車」

ところどころオチに言及しておりますので、あしからず。

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日本映画チャンネルの「あらすじ」には
「ぶっ飛んだギャグの連続は爆笑必死。」とある。

私には全く笑えなかった。
登場人物の名前で辛うじてコメディーだったと気が付く。

作品紹介の様に「ぶっ飛んで」もいず、ギャグという言葉ではとても括れない。
クレイジーキャッツとは全く違うアプローチなのだから。

歯医者といい、社内診療所といい、精神病院といい、
ストレスによる体の不調と医療の関係もストーリーの根幹になっている。
精神科の治療を、「もっと気軽に診てもらえるような精神病院に」と医者の卵が語る場面は、
まるで今の世のことのようだ。



風刺に富んだコメディーだとしても、「非常に上質な」という言葉で修飾したい。
1カットの無駄もなく、際立った個性のスター俳優を随所に配し、
思わせぶりな印象を残しながら脇役一人ひとりに説明不要なスポットライトを当てる。


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主人公 茂呂井民雄 (川口浩)
一流大学を卒業、一流企業(ラクダビール)に就職。
生涯給与の計算など、優秀さはところどころで見せるが、
「茂呂井(もろい)」だけあって、職場のストレスから、人生という満員電車にはじかれる運命だ。

冒頭、卒業式のシーンの土砂降りからすでに雲行きは不安だ。
学生時代のガールフレンドたちに別れを告げ、民雄は社会人への一歩を踏み出す。

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大学でのガールフレンド、壱岐留奈(小野道子)との別れは、いかにもドライな若い男女らしい。
が、この2人も人生の不条理に押し流され、再会した時にはメロドラマか演歌のようなセリフを吐くようになる。
壱岐留奈=(生きるな)って、一番ひどい名前ではなかろうか?

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一種異様な通勤ラッシュが様々な形で描かれる。
狭い商店街を無理に行き交うバス(レトロで素敵)の間を縫うようにして通り抜ける小学生の一コマにゾッとする。


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工場の煙突、ベルトコンベアーで次々に生産されるビール。
この工場がまたとても良くできている。

最先端で、まだ薄汚れた感じはしない。
セットなのだろうが、リアリティーの無さがこの映画の趣にピッタリだ。

それなのに工場の中の騒音とビールが生産されるカットでは一転、
生産効率だけを考えた非人間的工場の無味乾燥さを余すところなく伝える。

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主人公の同僚 更利満(船越英二)
独身寮では珍しく、くつろいだ部屋づくりを心掛け、会社の中では情報通。
満員電車で一人だけ異質な雰囲気を醸し、すいすいと渡り歩く様子が描かれている。
ちょっとオネエっぽい仕草がいい。
「なまけず、休まず、働かず」というサラリーマンの三原則を民雄に説くが、
彼の真の姿もまた、哀れな働き蜂の犠牲者だった。


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和紙破太郎 (川崎敬三)も複雑だ。
孤児として育ち、人生を三段跳びに例え、野心に燃える。
人を手玉に取り、三段跳びをしたつもりが、文字通りその最中にバスにはねられる。
彼の死のあっけなさが、この映画を「コメディー」というより「不条理映画」と呼びたくなる一因かもしれない。

主人公民雄の実家は時計屋。
壁一面の時計が異様に見える。

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父親役の笠智衆の「か」の発音が懐かしい。
「くぁ」と聞こえるのだ。
「かんじょう」を「くぁんじょう」、という具合に。

父は自分の仕事に誇りを持っている。
1分1秒の狂いもないと自負するが、あまりにも言うことがまっとう過ぎて
それ故に世の中と相いれない。
「道理が通らない」ため、
自ら精神病院に入ることで心の安定を図ろうとする姿が、辛うじて哀れに見えない。
妙に共感を覚えてしまうのは、私自身も「世の中と相いれていない」せいだろうか。



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母の杉村春子。
あまりに苦しいことが多いので、
愚痴を言いたくなるたび笑うように心掛けたことを「発狂した」と思われる。

夫を精神病院に置いたまま、無職になった息子の再起に吹き荒れる
文字通り「嵐」にあっても、
息子と一緒にいることに生きる希望を見出している。
吹き飛ばされそうなバラック小屋にしがみつく息子の身体に更にしがみつく母親の異様さが身につまされる。

誰が正気で誰が狂気なのか、この世の中では判然としない。


実に上手い。



これを今作り直そうとしても、過剰な演出でダメにするだけだろう。
テレビ版の「黒い十人の女」なんて、悲惨だったではないか。

元々金田一シリーズの映画位でしか市川崑を知らなかった。

日本映画は昔、こんなにも素晴らしかったのだと、またしても唸る。


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2017
06.06

パーフェクトな女

Category: 映画の話
『ケイト・レディが完璧(パーフェクト)な理由(ワケ)』をAmazonプライムで視聴。

サラ・ジェシカ・パーカーが主演したコメディーである。
wikiより

ボストンの投資会社でファンドマネジャーとして働くケイトは、夫と二人の子供を持ちながら、数々の仕事で成果を挙げるキャリアウーマン。

仕事と家庭をなんとか両立させながら懸命に働く彼女に、ついに大きなチャンスが訪れる。新しい投資ファンドに関する彼女の提案を、ニューヨーク本社の幹部が高く評価したのだ。

この報せを受けて喜ぶ彼女だったが、プロジェクトへの本格参加が決定したことで、ボストンとニューヨークを往復する多忙な日々が始まってしまう。

どうにか今まで通り家庭と仕事を両立させようと奮闘する彼女だったが、次第に両方とも上手くいかなくなってしまう。



原作を読んでいないので、原作者の意図が映画の通りだったかどうかは知らない。

映画は楽しく、予定調和な流れでスルリと喉に通る感じ。

どんなに忙しいワーキングマザー(私は正直、昨今の自称『ワ―ママ』という言葉にはゾッとする)でも、
そこはサラ・ジェシカ・パーカーだ。
実にはまり役だった。
彼女が演じると、決してワーキング・ウーマンにも、冷たい母親にも、やつれた女にも見えないのだからヒロインとしては最高だ。

私が知っている限り。

『シンデレラ』⇒昔話ですから

『風と共に去りぬ』⇒ラスト、スカーレットがレットを失っても立ち上がった姿に拍手

『マイフェアレディ』⇒結局はシンデレラ以上にシンデレラだが映画には全く共感するところ無し

『プリティーウーマン』⇒いかにリチャード・ギアでも私は無理

『ワーキング・ガール』⇒80年代と言えばこれっ!痛快だったがこの時のハリソン・フォードは無理

『この映画』⇒現代版ワーキング・ガール。
全てを手にした女だが、サラ・ジェシカのおかげでキュートでチャーミングで嫌味がない。
ピアース・ブロスナン、メチャクチャ素敵ですし。
正直これこそ夢物語のその上をいく。
子ども達が反抗期の頃には、あなたも更年期で悩む年頃では?と意地悪く思ってしまう。

これを「パーフェクト」と呼んではばからないのなら、
世の「働かなくちゃ生活できませんから」という多くのおっかさん方は
昔から「パーフェクト」だったんじゃと思ってしまった。

ああ、素直な心で映画が観たい。

ということで、次はドリュー・バリモアの「Ever After」で勇気をもらおう。

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2017
05.26

TVミュージカル映画の方の「シンデレラ」

Category: 映画の話
レスリーアンウォレン
1965年に制作されたミュージカルTV映画「シンデレラ」をAmazonで視聴。
youtubeにもフルバージョンでありますが。

このTV版「シンデレラ」はリチャード・ロジャースとオスカー・ハマースタイン二世の名コンビが楽曲を作り、
1957年にジュリー・アンドリュース主演で制作したミュージカルのリメイク版。

オスカー・ハマースタイン二世は1960年に亡くなっているんですね。
にも拘わらず、1965年版のクレジットには、ちゃんと「Rodgers & Hammerstein's 」と書いてあるんです。
1957年度版の楽曲を殆どそのまま使用したから、というのもでしょうけれど、ハマースタインへの敬意の深さが感じられるクレジットでした。
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さて、参考リンクに載せている「Classic Film and TV Café 」によると、

1959年11月にブロードウェイで初演したリチャード・ロジャースとオスカー・ハマースタイン二世によるミュージカルが『サウンド・オブ・ミュージック』。

そしてロバート・ワイズ監督による映画「サウンドオブミュージック」の長女役のオーディションには落ちたそうですが、このTVミュージカルでは主役を演じているのが主演のレスリー・アン・ウォレン(Lesley Ann Warren )なんですね。

今もご健在、ご活躍していらっしゃるので息の長い女優さんだと思います。
共演のジンジャー・ロジャース(王妃役で本当にちょっとだけ踊るシーンがある)はさすがに風格がございました。

さて、1951年にミュージカルとして初演されたロジャース&ハマースタインの『王様と私』。
これを5年後にミュージカル映画にしてデボラ・カーとユル・ブリンナーが主演したのは有名ですね。
「Getting to Know You 」は、私が最も好きな曲。
この作曲・作詞者がTV版「シンデレラ」の楽曲を担当した
リチャード・ロジャースとオスカー・ハマースタイン二世だったってわけです。



この映画、他の実写版のテレビ映画のシンデレラの中ではwikiの中でも記述は少ないのですが、参考リンクから飛んだ批評を読む限りでは意外に1957年版より「いいね!」という批評が多く、レビューも好意的なものが多く残されています。

ジュリー・アンドリュースの1957年版は白黒だったそうですのでその点こちらはフルカラーでビジュアル的にも美しかったこともあるのかもしれません。

"In My Own Little Corner,"
"Impossible,"
"Ten Minutes Ago,"
"Do I Love You Because You're Beautiful?"


どれも音楽、歌詞共に素晴らしかったのでございます。


この映画、オープニングから、もしかすると○NKの着ぐるみ人形劇?と思ってしまった舞台っぽいセットでまず観客を惹き付けます。

王子は「ドラゴン退治したりあちこちで色んなプリンセスを救ってきた」という武勇伝を持つイケメンですが、救ったプリンセスの誰とも恋に落ちることなく、国に帰ってくるのです。
武勇伝をどちらかと言えば自慢というより自虐気味に語る王子とか、シンデレラの継母と義理の姉たちの面白おかしい演技とか、素晴らしい楽曲などなど、語るべきところは多くあるのでしょう。
あるのでしょうが、私が今回目が離せなかったのは・・・。

衣装・・・。
衣装に、とにかく目が釘付けでした。

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エンドロールの名前を頼りに調べてみました。

衣装を手掛けたジョージ・ウィッテカーは『刑事コロンボ』や『ナイト・ライダー』『刑事コジャック』などの衣装を手掛けた方なんだそうです。
あら、こちらのドラマも懐かしいではありませんか。

シンデレラって「灰かぶり」なんですから、もっと地味にグレーでも良かったんじゃ?と思うのですが、この衣装を手掛けたお方は全くそうは思わなかったのでしょう。、

普段着のシンデレラ、とにかく衣装も性格も明るいのが印象的です。
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こちらは普段着の継母と姉たち。
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一番まともだと思ったのはシンデレラの後継人らしい妖精さんの衣装でした。
どちらかと言えば、シンデレラより可愛いかも。
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右側が変身後のシンデレラで左が妖精さんなんですから、私ならピンクの可愛い衣装がいいなあ、と思ってしまいました。

が、このシンデレラの衣装には、ちゃんと意味があったのです。

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シンデレラの襟元が、白くてフワフワなファーで縁取ってあるのですが、その白いフワフワに「刺」、ささってませんか?
どう見ても尖ってますし、どう見ても好き勝手な方角を向いた「とげ」。

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襟元に「刺」をさしたままのシンデレラは、とりあえずこんな馬車に乗ってお城へ向かいます。

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すると舞踏会を開いた王様と王妃様のお衣装にも同じフワフワに刺が刺さっているではありませんかっ!

ちなみに一般庶民はこんな感じなんです。
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中世っぽくて、カラフルで素敵です。

で、一応男性は他にもタイツ履いて沢山参加の模様です。
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お姉さま方はこんな感じ。左側のお姉さんなんて、おっかさんのようで、いい味出してます。
正直、シンデレラの衣装より一見ゴージャスですね。
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一方、なんと王家のご家族3人、親子で刺が刺ささってますっ!
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王様の王冠周りにまでファー&刺がっ!
立ってますよね、「刺」!
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さて、そこに「刺」と「冠」でクラス感を出した、明らかに他の参加者とは違うテイストの衣装で、シンデレラが登場します。
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「刺」さして現れたシンデレラを迎え撃つ王子。
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速攻でワルツを踊ります。途中、王子は勢い余って見物人と化した姉さんの一人にぶつかりますが、構わず踊り続けます。
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もちろんジンジャー・ロジャースもいますんで、王様と王妃だって踊りますよ、そりゃ。
刺がどれだけ刺さっていても、踊るんです!
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そして2人きりで向かい合ってみると・・・。
シンデレラの衣装は王子と何気におそろなんです。
はい、このままこの衣装で結婚式があげられそうですね💛
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王子の「刺」は上着の裾と袖口に刺さっておりますが、そんなことはいいんです。
"Ten Minutes Ago,"を歌いながら、
「出会って10分」でこれです。
この後2人は2度にわたってAに及びます。
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さて、12時で魔法が解けた後、王子はガラスの靴を拾っちゃいます。
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例によって「ガラスの靴の持ち主」探しが始まります。
お約束の、「継母の靴だめし」もちゃんとあります。
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さ、シンデレラは機転を利かせて初めて王子と出会ったシチュエーション(お水をひしゃくに一杯、差し上げるんですわ)を再現し、見事王子に気が付いてもらえます。
妖精さんもシンデレラをその場で「刺さしドレス」に着替えさせて準備はOK。
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こうして、白い毛皮のトリミングに刺をさす一家に、家族が一人増えましたとさ、と大団円。
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妖精さんがシンデレラのために歌う"Impossible,"にはこちらまで勇気づけられるようでした。
不可能を可能に!
妖精さんにできないことはないんです。
でも、それもシンデレラの夢見る気持ちがあればこそ。

というわけで、大いに楽しませてもらった1965年版『シンデレラ』ですが、音楽も衣装も、思わぬ懐かしい作品と繋がっていたことがまた嬉しい映画でございました。

「刺」衣装のセンスの謎は多分永遠に解けないかもしれませんけどね('ω')ノ




参考リンク

シンデレラ (ミュージカル)
ロジャース&ハマースタイン
リチャード・ロジャース (作曲家)
サウンド・オブ・ミュージック (映画)
George Whittaker  「IMDb」記事より
レスリー・アン・ウォーレン
CMBA Blogathon: "The Prize" and Rodgers & Hammerstein's "Cinderella"
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2017
05.22

バンクス氏の救済

Category: 映画の話
『ウォルト・ディズニーの約束』

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原題は 『Saving Mr. Banks』
直訳すれば「バンクス氏の救済」で、これは映画のテーマそのもの。
バンクス氏が、メリー・ポピンズの原作者、トラヴァース夫人にとって本当に「救済」されたかどうかはわからない。

映画.comより http://eiga.com/movie/77784/

米ウォルト・ディズニーが、自社の映画製作の裏側を初めて描いた作品で、1964年の名作ミュージカル映画「メリー・ポピンズ」の製作秘話をトム・ハンクス&エマ・トンプソン主演で映画化した。

ウォルト・ディズニーは娘が愛読している児童文学「メリー・ポピンズ」の映画化を熱望し、原作者パメラ・トラバースに打診するが、トラバースは首を縦に振らない。

やがてイギリスからハリウッドへやってきたトラバースは、映画の製作者たちが提案する脚本のアイデアをことごとく却下。なぜトラバースは「メリー・ポピンズ」を頑なに守ろうとするのか。

その答えが、幼い頃の彼女と父親との関係にあると知ったディズニーは、映画化実現の最後のチャンスをかけ、トラバースにある約束をする。監督は「しあわせの隠れ場所」のジョン・リー・ハンコック。




メリー・ポピンズの原作者P.L..トラヴァースをエマ・トンプソン、
ウォルト・ディズニーをトム・ハンクス、
リムジンの運転手ラルフはポール・ジアマッティ、
トラヴァース夫人の実父をコリン・ファレルと、
俳優陣が素晴らしかった。

私は映画のメリーポピンズが大好きだったので、この映画の原作が、実は完全に作者トラヴァースの幼少期の裏返しとして描かれていることに結構な衝撃を受けた。


映画は誇張でもなく、すんなりと、たまらなく辛く、でも少しだけ救われる形で描かれる。

ディズニーですから、と言えなくもないが、ディズニー映画にしては大人の映画だし、個人的には素晴らしかったと思う。

トラヴァースの育った家庭と、見事なほどの映画のメリー・ポピンズとの裏表。
「ミスター・バンクスを、救済しよう」というウォルト・ディズニーの最後の口説き文句は泣けた。

メリー・ポピンズのイメージがトラヴァースの過去の中に随所に散りばめられ、映画とは正反対だった事実。

この映画の企画段階でのいきさつが興味深いのでwikiから転載。

Wikipediaから

2002年、オーストラリア人プロデューサーのイアン・コリーはP.L.トラヴァースのドキュメンタリー映画『The Shadow of “Mary Poppins”』を製作した。

製作段階でコリーは「明らかな伝記映画」の要素があることに気づき、オーストラリアのプロダクションであるエッセンシャル・メディア(英語版)にスー・スミスの脚本で長編映画化すべきであると持ちかける。この企画はBBCフィルムズおよびRuby Filmsのアリソン・オーウェンの興味を引くこととなる。BBCフィルムズは企画への融資を決め、オーウェンは脚本の共著者としてケリー・マーセル(英語版)を起用する。

マーセルの草稿ではトラバースと彼女の息子に関わるサブプロットが削除され、また物語をトラバースとディズニーによる製作争いとトラバースが抱える子供時代の問題との取り組みの二筋に分けられていた。しかし、このマーセル版は明らかにウォルト・ディズニー・カンパニーの許諾なくしては使用不可能である音楽および映像の知的財産権にあたる部分を大きく取り上げていた。

「ディズニーという大きな壁を見て見ぬふりしていたよ。」コリーはそう回想している。「ウォルト・ディズニーは映画のキーとなるキャラクターだったし、メリー・ポピンズからいくつか音楽も使用したかった。いずれはデイズニーに伺いを立てなければならないのは皆わかっていたよ。」

2011年7月、イタリアのイスキア映画祭にてオーウェンはジャズミュージシャンのコーキー・ヘイル(英語版)と会う。『メリー・ポピンズ』の作曲を務めたシャーマン兄弟のリチャード・シャーマン(英語版)とは近所づきあいがあるというヘイルがシャーマンに脚本を渡すことを提案。ヘイルに渡された脚本を読んだシャーマンは企画を支持する。

その後マーセルの脚本は出来が良いにもかかわらず製作には至っていないために、プロデューサーたちからランクリン・レオナルド(英語版)の「ブラック・リスト(英語版)」に投票された。

2011年11月、ウォルト・ディズニー・スタジオの製作社長であるショーン・ベイリーはマーセルの脚本の存在を知らされる。ベイリーはディズニーCEOのボブ・アイガーを含むスタジオ重役たちと共に製作の可能性について議論した。スタジオ会長のアラン・F・ホルンはスティーブ・ジョブズからの言葉を借りて映画を「brand deposit」と称した。

アイガーは映画化を許可し、ウォルト・ディズニー役としてトム・ハンクスと連絡を取った。ウォルト・ディズニーがメジャー映画で描かれるのは初めてのことである。役を引き受けたハンクスは、「ピカソやチャップリンと同じく世界に影響を与えてきた人物を演じる機会」だと考えたという。ハンクスはウォルト・ディズニー・ファミリー・ミュージアム(英語版)を何度か訪れ、ディズニーの元従業員や、また娘のダイアン・ディズニー・ミラーを含む親族たちにインタビューを行っている。

メリル・ストリープとの交渉に失敗した後の2012年4月、エマ・トンプソンがP・L・トラバース役の最終交渉に入った。トンプソンは自身が演じた中で最も難しい役柄の1つであり、「彼女はとてつもない複雑さと矛盾を抱えた女性だった」と述べている。

また「悲しみについて、彼女は非常に優れたエッセイを書いている。彼女は実際、非常に悲しい女性だった。つらい幼少期を過ごした人よ。父親はアルコール中毒で、母親は自殺を試みて。彼女は生涯をまさしく深い悲しみの中で過ごしたのではないかしら。それ故に多くを成し遂げたのよ。」とも。

ウォルト・ディズニー・ピクチャーズの承認によって、製作チームはトラバース、ディズニー、シャーマン兄弟そして脚本の共同著者ドン・ダグラディらのやり取りが含まれる『メリー・ポピンズ』の企画開発中の音声録音と1940年代から1960年代にかけてのトラバースとディズニーの書簡の利用が可能となった 。

当初、監督のジョン・リー・ハンコックはディズニーの関与について、創始者の有利になるよう脚本を手直しするのではないかという疑念を持っていたという。しかしマーセルは、ディズニー側は「明らかに脚本への参与や不都合な描写の削除、またウォルトを変えてしまうことを望んではいなかった」としている。

ウォルト・ディズニーに関する描写についていかなる干渉も受けなかったものの、ディズニー側は喫煙シーンを省くことを強く要求した。
これは自社映画から直接的な喫煙描写を排除するという会社理念によるものであり、また、アメリカ映画協会によるレイティング指定を避けるためである。





原作者が、自分の作品の主人公を「売りものにする」ことは魂を引き裂かれるようなものだということをディズニー自身も理解していた。

映画にアニメーションが挿入されることを知り、契約を反故にしてイギリスへ帰ったトラヴァース夫人をディズニー自ら説得に追う。
ディズニー自身が夫人に自らの生い立ちと父を語るシーンは胸にしみる。

ディズニー映画だから、と言ってしまえばそれまでだ。

でも、ウォルト・ディズニーが娘たちに「メリー・ポピンズの映画を作る」と約束した話、
そして唯一トラヴァース夫人と心を通わせたリムジンの運転手の娘も「メリー・ポピンズ」の愛読者であったこと、
ディズニーが原作に惚れ込んだ気持ちは、本の書き手ではなく、読み手として十分すぎるほど理解できる。

トラヴァース夫人の父も銀行家であり、夢見がちな大人だった。
彼にとって銀行はまるで檻のように息苦しく、辛い場所だった。
酒に溺れ、病で早逝する父をコリン・ファレルが好演している。

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この写真の場面、言葉としては出てこないがオーストラリアだそうだ。
彼女の父は「私たちにはケルトの血が流れているんだよ」と娘に語る。
「いかにもイギリス人」として振る舞うトラヴァース夫人だが、生まれも育ちもオーストラリア。

複雑な彼女のコンプレックスが言葉を多用せずに映画でもわずかに描かれる。

メリー・ポピンズのプレミアに呼ばれなかったトラヴァース夫人は自らハリウッドに乗り込むが、出来上がった作品を見ながらあらゆる表情を見せる。
眉をしかめ、あきれ、時に失笑しながらも、父親バンクス氏のことをバートが子供たちに語って聞かせる場面、ミスターバンクスが銀行を首になり、寂しげに歩くシーンに涙を流す。

ディズニーに「泣いている理由」を問われ、「アニメが耐えられなくて」と答えた時のトム・ハンクスの表情が実に味わい深い。
彼女が泣いたシーンに、アニメのペンギンは映ってなどいない。

南半球出身の同僚がよく言う。
「僕たちはよく、残酷さを笑い、悲しみをユーモアでくるみ、真逆の言葉で真逆の気持ちを表すんだ。」と。
彼はアメリカ人とヨーロッパの血筋を色濃く残す自分を一緒にされることをとても嫌う。

彼の言葉を思い出すと、トラヴァース夫人の複雑な反応(とその描き方)も納得できる気がする。

映画の終盤、ミスターバンクスが子供たちと一緒に凧揚げに向かうシーンでは一緒に歌を口ずさんでもいる。

後味は決して悪くないが、これはとても悲しい映画。

最初に作られたドキュメンタリーのタイトル通り、「メリー・ポピンズの影」なのだ。
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2017
05.21

マッサージ探偵

Category: TV番組
http://www.tv-tokyo.co.jp/mt_jyo/
『マッサージ探偵 ジョー』tubo.png

テレ東土曜ドラマ。
Amazonのオンデマンド配信で視聴。

色んな探偵がいますが、とうとうマッサージしながらツボと一緒に犯人を探し当てる探偵が登場したんです。

短い、間合いが笑える、もちろん設定も変、ついでに最後の踊りの残念感がツボ、などなど、確かに『ほぐされました』という感じで笑わせて頂きました。

連休中に行った鍼&マッサージが体にあっていたのか、先日鍼を打ってもらって以来目の調子が上向きなんです。
この2週間、遠近の眼鏡は外したまま、軽めの老眼鏡だけで仕事ができました。

前回、鍼の直後からあまりにも絶好調だったので、今回も鍼終了後は遊びに行く気満々でいたのですが、普通の人は眠くなったりするそうで、「鍼の後はゆっくり半日身体を休ませるよーに」と言われて、真っ直ぐに家に帰りました。

確かにすごく眠かったんです、今回。

やっと反応が人並みになってきたようです。

で、帰ってからそのまま爆睡し、夕飯後から見ハマったドラマが
『マッサージ探偵』。

内気なマッサージ師が出張マッサージに出向いた先で様々な事件を解決するのですが。
容疑者を一列に寝かせてマッサージをし、身体の張り具合から真相を推理するという無茶な発想がツボ。

鍼を打ってくれる従弟から教えてもらったのですが、
モノホンの鍼灸師が見ても十分面白いとか。

たまには何も考えず、ゲラゲラ笑って楽しむことも血行を促すと信じて。
『マッサージ探偵』に笑いのツボを押さえてもらう週末です。




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2017
05.15

メロディ

Category: 映画の話
今でも時折CSなどで放送される『小さな恋のメロディ』。

小学生になるかならないかの頃、年の離れた姉に連れられて何度映画館に足を運んだことだろう。

ビージーズの音楽が全編に流れる、美しい、特別な映画。

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あらすじ(Wikipedia)

舞台はロンドン。公立学校ながら、厳しい教師と生徒たちの間でささやかな対立がはじまっていた。厳格な教えを説く教師たちや子供に過干渉な親たちと、それらに従うことなくそれぞれの目的や楽しみを見つけようとする子供たち。

気が弱く大人しい11歳のダニエルもそんな生徒の一人だったが、同じ学校に通うメロディという少女と出会う。2人はいつしか互いに惹かれあい、悩みを打ち明け、初めて心を許す相手を見つけたと感じた。純粋ゆえに恐れを知らない2人は、学校をさぼって海水浴場へデートに出かけたことから校長先生に叱られ、クラスメートたちにも散々笑い者にされる。ダニエルは悪友オーンショーにしつこくからかわれ、殴り合いの喧嘩まで繰り広げてしまう。

事情を聴くこともなく押さえつけようとする大人たちに対し、2人は一つの望みを口にする。それは「結婚したい」という驚くべきものだった。「どうして結婚できないのか」と問うが、当然親も教師もとりあわない。ある日、教師が授業を始めようとすると、教室はほとんどもぬけらの空であった。自分たちの手で2人の結婚式を挙げようと、クラスの生徒が集団エスケープしたのである。教師たちはあわてて彼らを探しに行く。

廃線脇の隠れ場所で、オーンショーが神父を務める結婚式がとり行われていた。ダニエルとメロディが誓いの言葉を唱えようとした時、教師たちに見つかってしまい、子供たちは散り散りに逃げていく。暖かい日差しの中で大人と子供の乱闘が繰り広げられ、発明狂の男の子が作った自家製爆弾が車を見事に爆破すると、大人たちは恐れをなして一目散に逃げて行く。子供たちはやんやの喝采を挙げる。その頃、ダニエルとメロディの2人はオーンショーの助けで追手を振り切り、トロッコに乗って線路のはるか向こうへと駆け出して行った。



『若葉のころ』が流れるお墓でのデートシーン。
歌詞を聴きながら、
やはりこの映画は、かつて無垢な子供だった全ての大人へのオマージュなのではと思った。

映画は実のところ、子供の目線ではなく、はっきりと大人の目で描かれている。

ダニーとメロディの家庭の違いを印象付けるシーン。

海でのデートでも、彼らの会話から両親の姿が浮かび上がる。
くっきりと。

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ダニー 「結婚しようか」

メロディ 「いつかね」

メロディ 「なぜ水がしみ出ていくの?」

ダニー 「いくつで結婚できる?」

メロディ 「石を入れとくとどうかしら・・・。
      両親くらいの年よ」

ダニー 「そんな年まで待てないよ。年寄りはたいていみじめだ。」

メロディ 「年をとると何でもわかるのよ。だから飽きちゃうのよ。」

カメラは中年の太った男女が海に足だけ浸しながら並んで立っている後姿を映す。

メロディ 「わからないわ。ほんとよ。」




「わからない」ことの尊さ。

爆弾づくりの少年の意外な活躍。
ジャック・ワイルドが実に繊細に表現した友情(今ならBLと言われても仕方ないほどの)。

以前もGleeの最終回の記事で同じことを書いたが、
最後の曲は深い。


「Teach Your Children」(Crosby Stills Nash & Young )

You who are on the road
Must have a code that you can live by
And so become yourself
Because the past is just a good bye.

Teach your children well,
Their father's hell did slowly go by,
And feed them on your dreams
The one they picked, the one you'll know by.

Don't you ever ask them why, if they told you, you would cry,
So just look at them and sigh and know they love you.

And you (Can you hear?) of tender years (And do you care?)
Can't know the fears (And can you see?) that your elders grew by (We must be free)
And so, please help (To teach your children) them with your youth (What you believe in)
They seek the truth (Make a world) before they can die (That we can live in)

Teach your parents well
Their children's hell will slowly go by
And feed them on your dreams
The one they picks, the one you'll know by

Don't you ever ask them why
If they told you, you will cry
So just look at them and sigh
And know they love you



三者面談でゴリオの担任の先生から
きつーいお言葉を頂いてきた。

実はかなり、どよーーんと落ち込んでいるので、
この映画でこの曲を聴きたくなってしまったというわけです。
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2017
04.23

ほめごろし

Category: TV番組
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2017
04.15

「やすらぎ」はどこに

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2017
04.12

スマイル

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2017
04.08

夜は短し走れよゴリオ

Category: 映画の話
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2017
04.02

太鼓持ち居酒屋

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2017
04.01

プログラム

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2017
04.01

味わいたい

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2017
03.30

ラヴェンダー咲く

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2017
03.30

ゴリラとポゴリラヤ

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2017
03.18

孫の応援

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2017
03.05

アナ雪

Category: 映画の話
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2017
02.18

勝者は全てを奪いはしなかった

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2017
02.05

畳の銀河

Category: TV番組
「The Tatami Galaxy」
こうググると、
➡http://ejje.weblio.jp/content/The+Tatami+Galaxy

Weblio英和対訳辞書での「The Tatami Galaxy」の意味

The Tatami Galaxy
四畳半神話大系
『四畳半神話大系』(よじょうはんしんわたいけい)は、森見登美彦による日本の小説である。



こんなん出てきました|д゚)

で、OPをつべで探すと
アジカンの曲なので著作権法に守られているとはいえ。

海外アニオタの手によってちゃんとupされているのだった。

というわけで、コメントも日本語以外が多し。

ジブリも新海も知ってるけど、これすげー大好き。とか。
animeマスターピースのひとつとか。

アジカンの曲をアニメに充てているのだが、これがまたピッタリであるが故か、
「この曲、何でだろ、好き。」といったコメントも。

四畳半という、日本独特の部屋のあの感じ。
あれをどう彼らは見ているのか?

私がゴリオ(仮名)以外でアニメの話をガチでできる同僚は20代後半の超オタク。
ナイスな職をあっさりと捨てて南半球からアニメの国、日本にやって来た。

彼のオタクとしての屈折っぷりは屈折し過ぎて円を描くほどである。
(彼曰く)太陽と海のイメージの国で、オタクであることの切なさをどっぷり背負って生きてきた。
残念なことに、それは日本でも変わらない。
只、「アニヲタ」ということで理解しようとする空気が職場の方にあるので、生きやすいのかもしれない。

彼が知らない日本のアニメはガンダムで線引きできるのでわかりやすいが、ガンダム以降はその知識の広さと深さで私などでは太刀打ちできない。
ラノベは日本語で読んでいるし、
西尾維新領域ですら叶わない。

ビッグバンセオリーのシェルドンみたいだと仲間から言われ。
人から好かれることに慣れていないと自嘲し。

そんな彼は四畳半をすでに見ているのだろうかとふと思った。
どうせ日本でも屈折するならこのくらい屈折して黒髪の乙女に恋でもしてくれ、と。
まるで息子のように心配しているのだ。

週明けの明日、「The Tatami Galaxy」を君は見たか?
と、携帯でこのつべを開いてから聞いてみることにしよう。

彼が「The Galaxy Express 999」の方を、知らないことは知っているので。

動画貼り付けは削除の元だった(´;ω;`)ウッ…

2017年 新バージョン
https://www.youtube.com/watch?v=NpU9T-wM10U
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2017
02.05

あの子でなきゃやらないこと

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2016
12.12

アクセルより、ブレーキで。

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2016
12.10

始まらない女子SP

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2016
11.27

小さな■

Category: TV番組
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2016
11.22

私はルバーツ星人

Category: TV番組
相変わらず『ウルトラQ』を見ております。

以下、何もわからず書きたいように書いているド素人の感想ですので、ファンの方がいらっしゃいましたら、どうか『ふ、何もわからぬたわけめ・・・・』と、スルーしていただければ幸いです。


ファミリー劇場では『カネゴンの繭』と2話連続で放送されましたのがこちら。

第21話『宇宙指令M774』

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字体も完璧ですね。この文字の形、最高に好きです💛

わくわくするようなタイトルではありませんか。
『宇宙指令M774』ですよ。
どんな宇宙からの『指令』を受けるのか、期待が高まります。

まず、例の飛行機野郎2人組と、報道カメラマンが、客船で旅をしている、というところからして尋常ではありません。
星川航空と毎日新報のお給料で、どうやったら若者3人が、そんな長旅をするお金と暇ができるのでしょう。
地球の人々の中から、宇宙人に『この3人』が選ばれるのも無理からぬ無理な感じが漂います。

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それにしても、船旅のカメラマン、ユリちゃんは、オシャレです。
モリモリの女優ヘアにパールのネックレス。
女らしいスーツは痩せているためかピタリと決まりませんが、最初の頃とは別人のような美しさが前面に出ています。
これも恋のなせるワザでしょうか。

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昔の日本人はこんな顔だったなあ、と懐かしくなる面々が揃う白黒時代のテレビドラマ。
特に主人公、万城目淳の顔立ちには見るたび郷愁めいたものを覚えます。

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それはさておき。
何しろ、この船旅のユリちゃんに、船に落ちていたお人形が話しかけるのです。

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「私の名はゼミ。
ルバーツ星人です。
地球人に警告します。
地球に怪獣ボスタングが侵入しました。
とても危険です。」



私も持ってた記憶があります。
なんか、喋る人形が、流行った時があったのです。
あの不気味さが蘇りました。
いや、危険だとしたら、いきなり喋る人形でしょう。
ユリちゃんから海に投げ捨てられても、これは仕方のないところです。

一方飛行機野郎2人組は、宇宙人によって飛行機を操縦中に何処か見知らぬ場所にワープさせられてしまいます。
岩場から山中に移動する2人。
すると、山の中にいきなり渋いバーが出現。

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かと思ったら、サイフォンにはコーヒーがっ!
天井にはアンティークっぽい車輪が付けられ、なんだかシャレオツ。

ライトにツボりました。
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またまた突然、店内のジュークボックスが
『ボスタングがいつ暴れ出すかわからないのです。』
とかなんとか喋り出すのです。
レコードなんですが、厚みがあって、ディスクっぽいんですよね。

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まあ、こんな言葉ひとつで地球人に信じてもらえるはずもなく、
仕方ないので宇宙人は、飛行機野郎とあろうことか『中央図書館』で待ち合わせしようと言うのです!
『中央図書館』って、どこの『中央』だよっ!
東京なら何区かくらい言いたまえっ!

それはさておき、
オシャレは足元から。
今なら、なんていうことのないクロップト丈柄パンツとサンダル履きですが、この当時はかなり斬新だったのではと思われます。

こんなサンダル履きで。
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こんな円盤に乗って
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宇宙人はやってきました。

やってきたルバーツ星人がご心配の危険怪獣がこちら。

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(゜-゜)

お酒はあぶったイカでいいんですが。
エイ、とかそちらの方でしょうか。
地球征服、する目的で送り込まれたそうなのですが。

待ち合わせの『中央図書館』には、
一条貴世美と名乗る美女がいました。
彼女が3人組に示した一冊の本。
ルバーツ星から持ってきたのか、『ボスタング』掲載の事典らしきものがっ!!!
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せっかくなので、総天然色からキャプをとってみました。
手が込んだ小道具だと思います。
こういった細かいところが、ウルトラQの面白さだと思います。

いよいよ『怪獣』が現れたというので、海へ。

『ボスタングがやったのです』

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どっちかというと、スカーフを巻いた可愛いお顔のあなたの方が怖いんですけど。



すぐにでも攻撃しようと構える巡視船の船長ですが、
ルバーツ星人はそれを止めます。



『待ってください。とても勝ち目はありません。
かえってボスタングを怒らせるばかりです。』




怒ってなさそうです。
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むしろ、笑顔で登場です。


あ、船長も日本人・・・というか、両さんっぽくて好きです。
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音に敏感な怪獣を刺激しないため、巡視船はエンジンを止め、援護が来るまで怪獣を伺っているのですが、そこへ民間の客船がっ!

乗客の命が優先、ということで、怪獣への攻撃を始めてしまいます。

ところが、私は見たのです。
怪獣に攻撃したと思ったら、弾、客船も攻撃してませんか?

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怪獣への攻撃が迷走しているところへ、
ようやく航空部隊が登場。

空から攻撃して
怪獣は、あっけなく

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木っ端みじんに(´;ω;`)ウッ…
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さて、
ここからがこの第21話が、他のお話と、一線を画すところですのよ、皆さまっ!

怪獣の脅威から地球を守ったルバーツ星人と飛行機野郎たち3人組ですが。

ルバーツ星人は、このまま地球=『美しい星』に住むことにした、と言います。

『この地球には、私と同じように
地球を守るために宇宙から来た
そのまま住み着いた人がたくさんいるんです。
昔から
たくさんの宇宙人が来ました。』



オシャレは足元から。
これがルバーツ星人、一条貴世美さんのサンダル。
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あの人も。
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あの人も。
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あの人も。
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そしてこの人も。
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『あなたの隣の方。
その人も
宇宙人かもしれませんよ』




オシャレは足元から。



グラディエーターサンダル!

あれを履いているのは、ルバーツ星人だったのねっ!

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SATCの映画で、サマンサがこのグラディエーターの、甲の部分が魚の骨になってた銀色の超ハイヒールサンダルを履いてましたっけ。

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これですね。


サマンサも、そして私も、ルバーツ星人だったとはっ!



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2016
11.20

ブーツの金田一

Category: TV番組
『放送コードのあれ、言っていいのかい?』

そこが気になるドラマ『獄門島』。

きっちり、言いましたね。
大丈夫なんでしょうか?

原作を読んだことのない人、市川作品さえ見たことのない人にも
『わかりやすい』ドラマになっていた。

『獄門島』

スーパープレミアム「獄門島」
【放送予定】11月19日(土)[BSプレミアム]後8:00~10:00


横溝正史の最高傑作

数々のミステリーランキングで1位に輝く名作をドラマ化
長谷川博己演じる新しい金田一耕助が事件の謎に挑む!

戦争直後の瀬戸内の孤島を舞台にした、おどろおどろしい雰囲気、殺人の巧みなトリック。昭和22年の発表当初から高い評価を受けている「獄門島」は、古今東西のミステリー小説を対象にしたランキングで何回かベスト1に輝いたのをはじめ、常に上位にランクイン。これまでに映画化2度、テレビドラマ化4度と、今もその人気は衰えない。

この傑作ミステリーを、各種の映画機材等を用いることで、映画とみまごうクオリティーで映像化。また、孤島の地形(殺人トリックに不可欠)や島を覆う不気味な空気感の描写を、雄大な自然と歴史的建造物が多く残る佐渡で再現する。

そして、金田一耕助。戦争でトラウマを抱え、心に空いた穴を埋めるため、取り憑かれたように事件を解明しようとする姿は、風変わりでとぼけてはいるがどこかヒーロー然としていた従来の金田一像とは一線を画す。

「うぐいすの身を逆さまに初音かな」閉鎖的な孤島で繰り広げられる連続殺人。何故か俳句に見立てられたそのコロシの謎に、金田一耕助が挑む!

【出演】長谷川博己、仲 里依紗、小市慢太郎、古田新太 / 奥田瑛二 ほか

【作】横溝正史『獄門島』
【脚本】喜安浩平

【演出】吉田照幸
【制作統括】村松 秀、西村 崇、大谷直哉



『獄門島』の新バージョンを見た。

結構な衝撃。

脚本家は誰だろうと、Twitterも読んだ。

喜安浩平さん、舞台や声優など、幅広い分野でご活躍の方だという。

昨今の日本のTVに面白いものなんか作れないと思っていたけれど。

『ちかえもん』といい、長谷川金田一といい、
やるじゃん。

あんまり褒めるのも悔しいが、
正直言って、カンバーバッチシャーロックを初めて見た時の興奮に近い。

原作を初めて読んだのは小学生の時で、その後何度も読み返しているがせいぜいそれも高校生までのことだった。
映画版の石坂金田一のイメージが定着してしまうと共に、原作の面白さをすっかり忘れていた一作だ。

その金田一耕助が、とんでもなくエキセントリックで病的な探偵になって帰ってきた。
もし次があるのなら、戦争から帰ったばかりの傷がいくばくか消えた金田一になっていてほしいが、
何しろこれは良かった。

ユーモア、抜け感、くすぐり的なものは見られない。
子供っぽい感じが、ラストに象徴されてはいる。
けれど、それがあざとさを感じさせず、好もしい。

市川作品へのオマージュとも取れる音楽と映像美。
ロケ地や建物など、本物の質感に拘った。
どんなに説明台詞が多くったっていいのだ。
原点に戻ることが斬新さを産んでいる。

原作の面白い部分は、本来理詰め。
台詞が多くて何が悪いと思う。
映像で見せるからといって、全てを映像に語らせる必要なんてないはず。
敢えて金田一の心象、トラウマに千万太の亡霊を使ったことも、金田一と鵜飼、「戦争から生きて帰った者」がこれから生きる意味を問うラストも、今の時代に納得のシーンだったと思う。
全てを獄門島の由来や歴史に帰するのは、今の時代では無理がある。
いわくつきの歴史、因縁、血の穢れなどを今使えば、
それはもう、パロディーか大真面目なお笑いに陥るしかない。

金田一を狂気に陥らせることで、十分『変』なのだから、もうこれ以上のオドロオドロは必要ない。

閉鎖的な狂気の潜む島の描写に、市川版のような島の名の由来や住人たちの出自についての説明がいらない。
淡々とした画面でも、ロケ地の質感で納得させてしまう。

無駄な時間は、ほとんどない。

2時間を余すところなく使い切った。

この後、すぐに市川崑の『獄門島』が放送されたため、両方を一度に見ることができたことが、また良かった。

これまでの横溝作品の映像化は、ほとんどが原作のエログロを強調するか、大物俳優陣を揃えることで、原作の本当の不気味さや複雑なトリックの面白さを損ねていた。
トリックについての説明不足、理にかなわない部分は「オドロオドロ」で胡麻化されてしまっていた。

ところが、長谷川金田一が一つ一つ確認し、問い詰め、叫びわめく中に、きちんと筋道立ったトリックと、金田一が最後に和尚に詰め寄った理詰めの謎解きが、観る者にきちんと頭で理解できるようにしてくれるのだ。

久しぶりに、この小説を読んだ時のトリックの面白さ、犯人の意外性をはっきりと思い出したのだからこのドラマは大成功に違いない。
主演の長谷川さんも、脚本の喜安さんも、シリーズでやりたいと口をそろえて言うのだから、是非シリーズ化して欲しいものだ。


ドラムとギターの効果。
ジャズの新しさと昭和21年の日本のミスマッチを市川作品は狙っていたのかもしれないし、観るほうもあれは良かったと思っていたが、平成版は数段上手だった。

何より成功しているのが、役者の使い方だろう。

真矢みきが演じたビックリ『黒蜥蜴』を見たばかりだったので余計にそう思う。
局の都合でかき集めた俳優だらけで、製作費は殆どギャラで消えたのか。
オリエント急行同様、ゴーリキーの顔を見ただけで、ドラマのお里が知れてしまうのだ。
どれだけ良い役者が揃っても、こんな駄作ができるのだという見本だった。

それに比べてこちらの『獄門島』。
舞台の役者さんも使ったのだろうか。
素晴らしかった。
これだけ女優の数を使いながら、事務所の都合や「押し女優」の目白押しが見られない。
早苗役でさえ、若手の押しかも、と思ったが、抑えた演技は「押し女優ありき」の作品でないことを象徴しているかに見えた。

最後の奥田瑛二と長谷川博己の丁々発止は長すぎたし、あんまりだったが。

了然和尚を殺したのは、これじゃ、金田一その人ではないか。
死者にとりつかれたのは犯人だけではなく、金田一もだったというわけか。

金田一君、これでは君も、和尚殺しの犯人だ!



長谷川金田一はインタビューでこんな風に話している。

http://tvfan.kyodo.co.jp/feature-interview/interview/1078400
【インタビュー】「獄門島」長谷川博己「金田一耕助を演じてきた歴代の俳優の中に、自分の名前が連なると思うとすごくうれしかったです」
2016年11月19日 / 13:41

 横溝正史の原作をドラマ化した「獄門島」(19日、BSプレミアム午後8時~午後10時)で、長谷川博己が名探偵、金田一耕助を演じる。戦友が残した「妹たちが殺される」という最期のメッセージを胸に、瀬戸内海に浮かぶ獄門島にやってきた金田一が連続殺人の謎に挑む様子を描く。今回の金田一像は従来とは一線を画すという。長谷川が、実際に演じた感想、さらに役者としての思いを語った。


-横溝作品の中でも絶大な人気を誇る「金田一耕助」シリーズですが、オファーが来た時の心境はいかがでしたか。

 金田一耕助を演じてきた歴代の俳優の中に、自分の名前が連なると思うとすごくうれしかったです。日本を代表する探偵シリーズ、シェークスピアでいえば『ハムレット』みたいなものですから。そういった意味では“金田一アクター”という枠の中に入れた。これほど光栄なことはない、という気持ちでした。

-「獄門島」の印象はどのようなものでしたか。

 やはり、僕は市川崑さんの作品(1977年の同名映画)が好きだったし、素晴らしかったので、それを自分がやるというのはかなり大変なことだなと思いました(笑)。僕の中では市川監督の金田一のイメージが強かったのですが「金田一は傍観者としているべき」「例えて言うなら天使だ」とおっしゃっていたと、どこかで聞いたことがあります。ところが、今回の金田一は、それとは違って、ズバズバいろんなことをしゃべるし、エキセントリックな印象でした。原作を読むと、今回は原作に割と近いなと感じたので、そういう意味では、一度、過去のイメージから「自由になっていいんだ」という気がしました。

-今回の金田一の魅力は何でしょう。

 最初に台本を読んだ時に、ヒーローというよりも、後半に関しては「こっちがヒール(悪役)なんじゃないかな」と感じる部分がありました。なので、従来の金田一像と比較できる、そこが魅力かもしれません。戦争のトラウマなど金田一の心の闇が描かれている。それも一つの魅力だと思います。

-演じる上でのこだわりはありましたか。

 台本に忠実に、求められていることを表現していく、というのがいつもの役に対するアプローチです。そういう意味では今回特に強いこだわりのようなものはありませんでした。それよりもとにかく佐渡が島という素晴らしいロケーションで、周りの役者さんたちと一緒に、その場所、その場で生まれたものを大切にワンシーン、ワンシーンを丁寧に演じていく感じでした。あえて言えば、げたではなくブーツでやったということですかね。山の中をとにかく猛スピードで走りまくるので、監督に「げただと転びそうですね」と話したら、「じゃあ、ブーツにしようか」となったので、それでいいんだ…と思って、そうなりました(笑)。

-“探偵役”を演じるということに対しては、何か特別な思いはありますか。

 イギリスで言えば、シャーロック・ホームズですよね。
探偵役はすごく魅力的です。自分も役者じゃなかったら、探偵をやりたかったなと思うほど。いろいろ変装とかできて楽しいじゃないですか。どこかアウトローですしね。

-撮影を通じて、今後何度も演じてみたいキャラクターになったのでは?

 それはもちろんです。ただ、今回は結構せりふの量が多かったので(笑)。金田一って、あまりしゃべらないイメージがあったのですが。金田一が「そうですか?」「でもこうじゃないですか?」ってちょっと言ったら、周りがワーッとなって、一気に解決していくみたいな。そういう展開をちょっと期待していたのですが、世の中そう楽には行きませんよね(笑)。

でも、シリーズ化されたら、ぜひまたやらせていただきたいです。

-夏目漱石に続いてまた有名なキャラクターを演じたことへの思いは?

 夏目漱石という実在した偉大な作家を演じられたり、金田一耕助というポピュラーなキャラクターを演じることができたり、本当に役者冥利(みょうり)に尽きます。こういう役を任せていただけるようになったことをうれしく思うのと同時に身が引き締まります。

-来年は40歳を迎えます。今年はとても忙しく充実した時を過ごされたと思いますが、来年への意気込みをお願いします。

 今年はいろいろな役を頂けて確かに充実していました。これからも気負うことなく一つ一つ丁寧にやっていけたらな、と思っています。

-最後に視聴者にメッセージを。

 皆さんには一度、これまでの金田一像を忘れて、先入観なく見ていただけたらうれしいです。


評判が良ければ次回作もやるよ、というスタンスだろうか。

乗りましょう。その手に。

次回作ではエキセントリック金田一は少し抑えて。
そうすれば、日本のバッチ君になれると思うのですが。
どうでしょう?

「見ろ!全部解いてやったぞ!」

さあ、これがキメ台詞になるかな?
そこまで世間はノッテ来ないかな?


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2016
11.19

見たとばい、ユーリ

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2016
11.18

モテる男

Category: 映画の話
渥美清が金田一耕助を演じた『松竹版 八つ墓村』を久しぶりに見た。

wikiによれば

本作を原作とした映画が3本、テレビドラマが6作品、漫画が5作品、舞台が1作品ある(2014年3月現在)。
9度の映像化は横溝作品の中で最多


舞台を入れると10作品もあるという。

実に色んなバージョンで見ているので、頭の中でまぜこぜになっている。

印象に残っているのは、古谷一行TV版、終戦後のうらぶれた雰囲気の漂う雰囲気が好きだった。
鰐淵晴子の美也子にも良い意味で意表を突かれたし、何しろこちらは結末で不気味な印象を残している。




さて、野村芳太郎監督の『八つ墓村』は、興行的にも最も成功した横溝作品だという。

あまりにも有名だし、話の筋も皆さまご存知だろうし、
なのでその辺りはばっさり割愛する。

過去の記憶では、私的なこの映画のポイントは、これまでこの3つだった。

1. 山﨑努の32人殺しの恐ろしさ。
2. 小川眞由美がまさに鬼と化し、鍾乳洞で後を追ってくるコワさ。
3. 典子(原作では辰弥と結ばれる)おらんのか~~~い。


今回のポイントは、大きく変わっていた。

1. ショーケン、こりゃモテる。
  これはモテずにはいられない。何がこんなにいいのかわからないが、
  鍾乳洞で美也子の手を引いて走る辰弥が超カッコイイ。

2. 山崎努、こりゃモテる。
  久弥役で病床で目の下真っ黒でも、要蔵として人斬りに村中走り回っていても、キレがいい。
  隠しようのない色気と目ヂカラと、何しろ体躯の美しさに惚れ惚れ。

3. 加藤嘉、モテる。
  最初の被害者だし、じいさんだけど、こりゃモテる。
  宮参りに山の石段を上る赤ん坊を抱いた中野良子親子を見つめる優しさにグッとくる。




モテる男
yatuhaka.png



この際2と3のポイントは置いておこう。

1. のショーケンが肝心なのだ。

実は、この映画のほとんどは彼のカッコよさで出来ているんじゃなかろうかと思った。
これってある種のアイドル映画だと何故昔、気が付かなかったんであろう。

最後の空港の整備士姿。

舞台を現代に置き換えたからそれっぽさを出したかったとか、ショーケンはお父さんがどこか外国にいると渥美金田一から吹き込まれたはずなので、そんなこともあったりで、別にいきなり整備士姿でもいいわけだが。

最後までノーサツする気か、ショーケンっ!

そんな感じで、今見てもコワかった小川眞由美の美也子がぶっ飛んでしまった。

「3. 典子(原作では辰弥と結ばれる)おらんのか~~~い。」

当然ですな。

ショーケンが主人公である限り、典子が出てきては困るはずだ。
ショーケンは、誰とも安易に結ばれてはいけない。
最後にパパになったりなんか、しちゃいけない男なのである。

ショーケンが主人公である限り、小川眞由美とのシーンは許されても、
他の若い女子と結ばれてはいけなかったのだ。

監督、よくわかっていらっしゃるっ!

元々圧倒的に山﨑努が好きだったのだが、これはしてやられた。


セクシーとか、カッコいいとか、そんな言葉で括れる魅力ではなく。

なんだろう。

ヤバイ感じ、とでも言えばよいのか。

//////////////////////


うちのゴリオ(仮名)は残念なことにモテない。
黙っていればカッコいいよと慰められることもあるようだが、
それって、どう聞いても「おまえは、どうやってもモテないよ」と断言されているようなものではないか。


何がこんなに違うのか。

ショーケンとゴリオの違いはどこにあるのか?

人間とゴリラの違いか?

ゴリオほど安全で安心な男はいない。

モテる男とは。
きっと安全、安心とは対極にある男。

・・・・でなければ、究極に優しい爺さん。

あんなに怖い『八つ墓村』で。
こんなこと考えるとは思いもしなかった。

いやあ、映画って、いいですね。


忘れていたので追記

渥美清の金田一。
この映画では物語の収拾をつける「語り役」。
静かで丁寧な口調に、素の渥美清が透けている気がした。



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2016
11.13

的を外す新技術

Category: TV番組
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2016
10.15

オシャレ怪獣ドゴラ

Category: 映画の話
『宇宙大怪獣ドゴラ』をCSで観たのです。
1964年、東京オリンピックの年に公開されているんですね。

チャンネルNECOより
http://www.necoweb.com/neco/program/detail.php?id=3797

宇宙大怪獣ドゴラ 1964 東宝

【キャスト・スタッフ情報】
監督:本多猪四郎 特技監督:円谷英二 原作:丘美丈二郎 脚本:関沢新一 出演:夏木陽介 ダン・ユマ 中村伸郎 小泉博 藤山陽子

あらすじ

『ゴジラ』の本多猪四郎監督×特技監督・円谷英二コンビが手掛けたSF怪獣映画。あいつぐ核実験の結果、宇宙に発生したアメーバ状の細胞が巨大な宇宙怪獣ドゴラに成長し、ドゴラのエネルギー源である炭素を求めて地球に大挙来襲する。ドゴラは石炭やダイヤモンドを吸い上げては成長し、地球を壊滅の危機に追い込んでいく。


ええと、音楽もですが、私、特撮SF映画にも全く詳しくございません。
ですので、手前勝手な感想のみ書き残します。
お詳しい方には、以下、馬鹿馬鹿しくてやってらんねえ感じの感想ですので、
スルーしていただけると幸いです。


この映画をつべで探すと、英語版のタイトルには『宇宙怪獣ドゴラ-「jellyfish」クラゲの襲撃』と書いてあるのです。
なるほど、wikiには「イカ型」とか書いてありますが、確かにクラゲっぽくもありますね。

dogora7.png


宇宙大怪獣ドゴラ予告

予告編に、映画全編で活躍する外国人マークを、単に「変な外人」と紹介しているのが笑えました。
彼はこの映画の「ギャング」対「外事警察」を国際的な秘密組織な感じに大きく見せる、スリルでボンド的な役割を担った重要人物なんですよ。


Dogora the Space Monster (1964) - Attack of the space jellyfish!


この映画、一言で言って、とにかくオシャレ。

出だしに謎の女が見張りに使っているスポーツカーからしてもうオシャレ。
警報の出ている北九州市に寝台特急「さくら」に乗って、東京からヤングソルジャー気分で乗り込む「博士」と「お嬢」の2人組。
この2人が寝台車の中で使う赤い水筒が死ぬほどオシャレかつカワイイ。
どこでだったか、皆でラジオのニュースを聞き入る場面で大写しになるラジオのデザインがまた悶絶するほどオシャレ。
イカ型になった「大怪獣」のフォルムがスマートでオシャレ。
華麗なる怪獣だと言ってもよいほど、動きだって軽い。
新鮮なイカならではの透明感がそこはかとなく漂っていて、それはもう、上空のトルネードと一緒に神秘な映像になっています。



映画「ボルサリーノ」が1970年だとしても、それ以前に真似真似ではなく日本人がスーツに帽子をかぶるそのオシャレな感じ。
悪役が揃って洒落ているだけでなく、悪い人なのか何者なのか判然としない外国人のマークが明るい暖色系、茶系の服と茶色い帽子のリボン的なもの(なんていうのかわかりません)がキャラクターをよく示していて、この映画を独特なAに引き上げている気がします。
あくまでも、私の中でですが。

怪獣とダイヤ窃盗団に、マークとかいう謎の外国人と「博士」、夏木陽介の外事警察がどう絡もうと、正直どうでもよくなるほどのオシャレ感。

窃盗団の女は黒髪のロングヘアにノースリーブの短めチュニックとスリムなパンツがもうオシャレ。
彼女の短めチュニックはレオパード柄のVネック。
ワルイ女を表現した柄の選び方にもかかわらず、これが黒髪によく似合って、下品にならないのが上級者。
ボスと合わせたような半袖グレーのタイトスーツも、悪役集合の画面全体のコーディネートとして、クールでステキでした。

「博士」の美人助手の「お嬢」も、ダークスーツのオヤジ共に囲まれながら、あくまでも、どこまでも「お嬢ファッション」を貫きました。

「お嬢」と「博士」と「外事警察」3人組
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この時のペイズリーっぽい柄のノースリーブ、こちらもオレンジ系で、お嬢の肌の色によく似合っています。
昨今いうところのカラーコーディネートの理論から言っても、善悪、その中間の人物像を、着ているものの色で描き分けをしているかのようで、このあたり、ただモノではない衣装係のセンスが伺えます。

外事警察のくせに、謎の外国人マークの空手チョップでのされた若き警察官が目覚めると、そこには真っ白いブラウス姿の「お嬢」が。
今年よく見る襟の詰まったラウンドネックに小ぶりなペンダントが清楚で超オシャレ。
その時点で彼女の身にどう危険が迫っているかには関係なく、彼女を自宅近くまで送る刑事の特権。
オシャレな「お嬢」は、外に出ると、そのブラウスらしきものの上には、短い襟付きのノースリーブジャケット。
これがスカートと上下のスーツになっていて色がまた上品なコーラルピンク。

ノースリーブの水色ドレス。
柄物のノースリーブのツーピース。
生地と、女優さんの身体にピッタリした仕立ての良さからして、制作予算のいくばくかにこのお衣装代がつぎ込まれていることは間違いないと思われます。
外事警察もときめく可愛い上品系衣装が美人さんによく似合います。

ほかのオヤジ全員がダークスーツにも関わらず、「博士」だけは麻らしき薄ベージュのジャケットを着ていたり、半袖グレージャケット姿の窃盗団の「ボス」もいますので、夏から秋にかかる季節とお見受け致しました。
地球温暖化が進む前の湿度の高い日本の残暑でも、警察ではこれでいけたんでしょう。

外の場面では半袖白シャツ姿や浴衣姿の普段着衣装の庶民が逃げまどったりしますので、怪獣が東京上空などに出没して初めて、本当の季節感を感じる映画ですね。

でもノースリーブを貫く間に、「お嬢」が長そで花柄プリントブラウスなどを突然着て、お茶を出したりしていますので、油断のできないオシャレさんです。
黄色を基調とした同系色の花柄に白いタイトスカート姿も、広めのラウンドネックブラウスのわずかな襟の立ち上がりがなんともレトロで可愛らしい。

後半、ダイヤを持ち逃げした窃盗団の女の方は、黒いノースリーブのドレスにハイヒールで林を分け入り、海岸を逃げまどいます。どう考えても場にそぐわない衣装なんですが、ヘプバーンのティファニーで朝食をの衣装を盛り込みたかったとしか思えません。

思わずwikiでこの映画と同年の映画のラインナップを探してしまいました。
海外映画も華やかな名作映画が多かった年ですね。
なーるほど、と膝を打ちたくなりました。

dogora.png


さて、肝心の怪獣です。

どんな「大怪獣」かと思いきや、「大怪獣」が「大」だったのは、炭鉱の町、北九州上空だけでのことでした。
巨大イカのような大怪獣になった後は攻撃やら何やら受けまして、散り散りに散った水晶の玉的なものになったり、最後は「地蜂の毒」でカラフルな巨岩になって落ちてくる、という姿を変える怪獣だったのです。

「大」の時でさえ、その全貌はチラリとしか出てきません。
チラリズムの極致を楽しむのに、これほど食指を動かされる怪獣映画があるでしょうか。
もうそのものをズバッと見せつけられる何倍も、「いいんじゃないの、これ、くるわー」感が増幅されます。

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なにせイカですから、何本も触手があって、それが時折アニメ化までして、特撮もあの時代ですから、どんな風に撮ったのか、興味深くてお詳しいブログ様やwikiを散々読む羽目になったほどです。

1964年、CGもない時代に、実写だったりとても精巧に作られたミニチュアだったり、なんとアニメですらあったりする「若戸大橋」をぐしゃっと掴んでポイッとやる、なんて映像が出てくるわけです。

この部分なんて、ディズニー映画のようです。

アニメからの
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合成からの
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本当に質感のあるミニチュア
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そしてドボーン!
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あとは何といっても、「炭素」系のものを食べて生きる大怪獣が吸い上げる「巻き上げられる石炭」のシーン。
撮影は大変だったそうですが、工夫の甲斐あって今見ても自然です。


大怪獣が石炭を吸い込んでます!確かに!墨吐いてません、吸い込んでるんです!
でも粉々になったあとの身体で、どうやって摂取していたのかは、最後まで謎のままでした!
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実際の映像とミニチュアの「若戸大橋」の赤が、嫌味なく普通に繋げて鑑賞に堪えます。
潰れていく工場や町の精巧な作りには驚くほど。
何しろ作り物感で猥雑な感じが一切ないのは、空一面を覆う得体のしれない怪獣を見せるために、街全体を引いたカメラで撮っているせいでしょうか。
『スカイライン-征服』とか、『クローバーフィールド/HAKAISHA』とか、お好きな方には申し訳ないのですが、このあたりのディザスターSF映画は、見た後にどっと疲れる私ですので、レトロ系はしっくりくるのかもしれません。

宝石泥棒の話と怪獣退治が平行線で噛み合わなかったりする話ですので、そこをどう感じるかで評価も別れるところでしょう。
ラストの「博士」の旅立ちといい、子どもが見てもつまらなかったかもしれませんが、大人が見る分には十分楽しめました。



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2016
10.02

アナ米

Category: TV番組
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2016
09.27

ウルトラな感動

Category: TV番組
「ウルトラマン」と
「ウルトラQ」を
続けて観ると、両者は別物だったのだと、素人ながら思います。

初代のウルトラマンは、番組冒頭にウルトラQの始まりの絵が使われていました。
そのQを破るようにギザギザ真っ赤な画面と共に「ウルトラマン」の文字が大きく飛び出てきます。

wikiに撮影フィルムの話が出ていますが、
ウルトラマンの街並みや、怪獣と映る樹木の近影のクオリティーと、
Qのそれとは質感が全く違います。

「かっちょええ」


これはカッコいい。

で、今回見たのは、ウルトラQ『火星からの贈り物』と、『鳥を見た』。


火星怪獣ナメゴンのあのヌメヌメとしたいかにもナメクジな質感に驚きます。
この質感ならカラーではなく白黒の方が良いと思います。

CGのない時代に、こんなものを作ったとは。

キャプがカラー版からしか取れませんでした(´;ω;`)ウッ…
namegon1.png


namegon2.png


片栗粉でとろみをつけた何物かのように、ヌメッタ感のある怪獣や宇宙生物はあまた登場してきましたが、
こんな感じのヌメッタ奴に、テレビ画面でお会いしたことはありません。
本物のナメクジ画像と合成でもしているのでしょうか?

「鳥を見た」の少年が漁師たちに小屋を引きずり出されるシーンの緊迫感。
ショットがまるっきり映画です。

しかも終わり方が素晴らしい。

「鳥を見た」の最後のシーンの余韻。

長い。

ありえないほど、長い。

「さようーならー」という少年の別れの言葉と夕日の海が、
全くクサくないですし。

バブル時代を知っている人間には、
ほんとならあの類のシーンは恥ずかしいものなんです。

でもあれは恥ずかしくない。

これはすごい。

感動いたしました。

次の土曜日が待ち遠しい( ^ω^)・・・




Comment:4
2016
09.20

ウルトラQuestion

Category: TV番組
撮りためていたテレビ番組で、最近一番面白かったものと言えば、
やはりこれです。

『ウルトラQ』
urutoraq1.jpg


今のところ制作順に放送された2話を観ただけですが、
コワかった~~~~!

「マンモスフラワー」
「悪魔っ子」

どちらも今のところ、「ウルトラ関係者」や「宇宙怪獣」は出ておりません。
完全に「トワイライトゾーン」のノリです(私のハッキリした記憶は、リメイク版ですので「ミステリー」ではありません)。

白黒でしたので余計に怖い感5割増しでした。

特撮ものにはとんと疎いもので、ウルトラQについての詳細は、お詳しいブログ様にお任せするとして、
私の個人的ツボは、
そう、

建物のミニチュアの完成度が半端ないこと
でございました。

こちらは合成だと思うのです。
q5.jpg


でもですよ。
下にお借りした画像はカラーですが、
ちょっとこれ、本当に作り物ですか?とお聞きしたいのです。
とてもじゃありませんが、のちのウルトラシリーズの森や山と比べても
お金のかけ方と技術がすご過ぎる気がするのですが。
q3.jpg

もしかすると、本物の市街地の映像に「マンモスフラワー」をのっけただけかもしれませんが、
これがもし「作り物」だとしたら、

ほしいです。

q6.jpg

すごい・・・・。
q7.jpg


「悪魔っ子」の魂と身体が分離した(?)的な映像もコワかったです。
怖いので、画像も載せられないほどですっ!

女の子のパパの顔は、もっと怖かった。

q8.jpg

この女の子ですね、オードリー若林とそっくりだと言われている少女は。
確かに似てますけど、コワいんです~~~!

さあ、もう一度最後にQエスチョン。

「建物、全部ミニチュアなんですか?」
Comment:10
2016
09.19

よい子が住んでるよい町は

Category: 映画の話
この連休中、他のブログ様を読んで楽しませて頂いたり、
撮りためたTV録画を繰り返し見たり、
相変わらず本の雑読(私の場合、読書というほどのものでもないので)を致しております。

まずは
「シャーロック・ホームズVSモンスター」

ぶっ飛んだC級。
何に驚くかって、これが2010年制作だというところでしょうか。

2010年だよ。
ガイ・リッチーの「シャーロック・ホームズ」の後ですよ。
60年くらい昔の映画だと思って見れば
「すげーなー、このメカロボ。
どうやって作るんだろなー、この恐竜とか空飛ぶでっかい翼竜ロボ。」と、
ある種の感慨があったかもしれません。

ホームズの推理場面にどれ程の無理矢理感があろうと、
ワトソン博士を無駄に危険なパシリに使おうと、
どこか良いところがないかと何度か見直した程でしたが、どうにもこうにも、でした(´;ω;`)ウッ…



「宇宙からの脱出」
1969年制作

グレゴリー・ペックがSF映画に出ていたとは知りませんでした。
宇宙空間の映像は素晴らしいと思いました。
前年の「2001年宇宙の旅」とは全く違って、どちらかと言えばドキュメンタリーに近いでしょうか。
淡々と話は進むのですが、ジーン・ハックマンの見せる人間臭さに救われた映画でした。

この映画の場合、グレゴリー・ペックはミスキャストだったかもしれません。
非情な上層部、非情な研究者、あるいはホントは良心の塊なのに任務を遂行しなくてはならないジレンマに苦悩する1人の男。
・・・・・・・・・・どこにも当てはめようがなくて困りました。

グレゴリー・ペックの役を、もっとアクの強い俳優が演じたらどうだっただろうと思ったのですが、
それは今の時代だからそう思うのかもしれませんね。

高校生の頃、グレゴリー・ペックが好きで好きで
リバイバルの映画館に通ったもんですが、
彼は良くも悪くも映画におけるクォーターバックのような存在だったのかもと思います。


「宇宙人東京に現る」
1956年1月公開

制作が前年だとすると、戦後わずか10年。
敗戦国となった日本が、それからわずか10年でこのカラー特撮映画を撮ったことにまず驚きます。

岡本太郎氏が宇宙人をデザイン!ということで食いついて見ました。

wikiによると

『宇宙人東京に現わる』(うちゅうじんとうきょうにあらわる)は、1956年1月29日に公開された、大映製作のSF特撮映画である。日本初の本格的カラー空想特撮映画。
英語表題は "Warning from Space"、もしくは"Mysterious Satellite"。

概要

友好的な宇宙人は1951年公開のアメリカ映画『地球の静止する日』、地球への天体衝突は同じく1951年公開のアメリカ映画『地球最後の日』で描かれており、『宇宙人東京に現わる』はこれら2作品の発想を合わせたような作品である。
ストーリーは、被爆国である「日本」の核兵器廃絶の理想と、未来の宇宙時代への夢が織り込まれている。特撮の担当は、のちに円谷プロのウルトラシリーズを手掛ける的場徹。登場するヒトデ形の宇宙人「パイラ星人」のキャラクターデザインは芸術家・岡本太郎が担当している。
後年のウルトラシリーズによくある「姿形の全く違う宇宙人が地球人に変身して人類社会に潜伏する」という描写を、日本映画としては初めて見せた作品でもある。



これは楽しめました。

何よりツボだったのはこちら↓

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この「宇宙人」という文字のオシャレっぷり!
文字なのに、本当に「宇宙人」を形にするとまさにこんな感じなのでは?


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ポスターの方の文字は少し丸っこい感じでしょうか。
こちらも素敵です。

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このヒトデ、やっぱりタロウ・オカモトな感じでしょうか?
可愛いし、何より親切なんです。

それにしても、核廃絶を訴えながらも、何事か起きた時には『もっとすごい爆弾』で相手をぶっ飛ばす➡そして平和・・・?

今も続く同じループの中にいる人類。

この映画、東京に住んでいる市井の人々や、子ども、
人間味あふれる科学者の家庭生活が良く描かれているんですね。
世界中の原水爆を打ち上げても『新天体 R』には効かなかったという緊迫した場面の間に、
『幼稚園の先生』である科学者の娘が、避難先で子供たちにお姫様の昔話をしてなだめているんです。
古き良き日本映画の雰囲気に、地球人を救うために頑張る宇宙人。

何度も響く「歌の町」の歌詞。

「よい子が住んでるよい町は~」♪

この『町』を守るため、みんな頑張るのです。

で、特に外国人は出てこないのに、
流ちょうな英語で海外と電話で連絡を取る研究者を何度も画面に写し、
『臨時ニュース』の放送を適宜流すことで
グローバル的大事が「東京」だけの問題ではないリアルをきちんと感じさせてくれるのです。

(パイラ人が)日本に現れたのも「世界唯一の核攻撃による被害国なら、話を聞き入れてもらえるだろう」と判断したから

というのも無理なく納得できて、そのあたりの配慮が
「シャーロック・ホームズVSモンスター」と違ってこの映画を『A』と呼びたくなる理由でしょうか。



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2016
09.11

昔日のトミー

高校の数学の先生は「トミー」と呼ばれたメガネのとっちゃん坊やでした。

約40名の女子学生の注視を浴びた彼の授業はいつもしどろもどろで、
クラスの成績が急降下した責任を問われ、
ベテランの先生が授業を見に来ていた時期もありました。

一生懸命な「トミー」が可愛くて、いたぶるように「わかりませーん💛」を連発していた私たちも、
さすがに反省し
次の数学のテストは、皆頑張って勉強したもんです。
だって、「トミー」のためですもの、辞めさせられては退屈な授業の中の、
ささやかな息抜きの時間がなくなってしまいます。

あれじゃあ結婚もできまいと心配した私たちは、
いつか自分たちの誰かがトミーと結婚してあげようと
超上から目線で勝手に決めていたのでした。

あれから幾年月。



「トミー」と言えば?

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「マツ」!


「トミマツ」はキャラが絶妙な凸凹2人組でございましたが、

「トミーとタペンス」は2人揃ってステキなカップルだと思っておりました。

作品の中で歳を重ねることにおいてはサバ読むこともなく、安心の面白さで読める小説だったはず。


ところがっ!

犬HKを見逃していたので、AXNミステリを楽しみに録画していたアガサ・クリスティのあの「おしどり探偵」が超おマヌケな迷惑夫婦のドラマになっていたなんて!


新しい「トミーとタペンス」を、大丈夫かBBC!と違う意味でハラハラしながら、とりあえず「秘密機関」、「NかMか」を我慢して見ましたわ。

あまりのshockに、昔日の記憶がウツクシク感じられるのと同じかと思い、若かりし日に読んだ原作を読み返したほどでした。


こちらは懐かしいジェームズ・ワーウィックとフランチェスカ・アニスの「おしどり探偵」。
フランチェスカ・アニスの品の良い美しさは「バートラムホテルにて」でミス・マープルの友人として出演していた時も変わりなく、とても素敵でした。
「なぜ、エヴァンスに頼まなかったか」でもこの2人が主人公を演じ、「おしどり夫婦」ものではありませんでしたが、これも大好きなドラマでした。

「親指のうずき」はフランス版がとてもよくできていましたし、これをミスマープルものに仕立てたドラマのベレスフォード夫人も見事な美しい、そしてちょっと悩める中年夫人でしたね。


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こちらのトミーは長身の頼りなげな優男ですが、機知に富み行動的なタペンスと共に
事件を解決していきます。
古いドラマというだけでなく、セットが中途半端でお粗末なところが残念ではあるのですが、
そんなことは吹き飛ばすくらいは一応このお2人、活躍するんですね。




こちらが今回のBBC版
デヴィッド・ウォリアムス、ジェシカ・レインの「トミーとタペンス―2人で探偵を」

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慎重な性格という設定を大幅にはみ出した愚鈍なトミーと、活動的というよりハチャメチャな我儘女タペンス。
ジェシカ・レインはタペンスにピッタリなのですが、キャラクターに一貫性なさすぎ。
何しろお話があまりにもあまりにもあまりにも・・・・・・・!!!!!!

第一次世界大戦後を第二次世界大戦後に変えましたとか、そういうことではなく。
軽いお楽しみミステリかと思えば、人の首をひねり殺すシーンとか妙に残酷だったり。

事件の全貌もろくにわかりませんが、
何しろ2人は悪者どもと諜報局を引っ掻き回した挙句、
別に事件を解決しましたぜってわけでもないんですわ。


秘密の通路から海岸に出るまでのきったない闇を歩く間も、トミーを探して海岸をウロウロする時も、
なぜか脱がないすっげー毛皮のコート。
なのに靴は何とも言えないブーティーですか何ですか?
確かにハイヒール履いて歩ける所じゃありませんけど、
豪華なドレスも着るんですが、タペンスの魅力を活かしきれない演出。

子どもを寄宿学校に預けたら後は会話にしか出てこないってところも変ですが。
ストーリーがあそこまでわからんちんでは、見ている方も開いた口が塞がらないままですわ。

そもそも戦争が終わって幼馴染が再会するところから始まる展開が大好きだったのに、
いきなり2人は「無職」で「子持ち」、その上おじさん頼みのいい加減夫婦からのスタートって?

いいんですよ、カーター氏とアルバートがどんな人物設定にされていようと。
脇役なんですから。

いくらなんでもトミーがあれではクリスティーも浮かばれまいと思うのですが。

あ、数学の先生の方の「トミー」は、その後無事に結婚して、今も同じ学校で数学教えてますので、
昔日の「トミー」はお幸せです💛

追記
ジェラルディンさん版ミス・マープルの「書斎の死体」に、自分の車に死体を載せられた上、車を焼いてしまわれるちょっとおまぬけな青年がおりましたが、あの俳優さんがこちらの「トミー」になっていたんですね。
どこかで見た顔だと思っていたのです。
うわー。マープルドラマの方が役どころ、ピッタリでしたわー。




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2016
08.22

ブラッドベリと怪獣

Category: 映画の話
この夏、CSで怪獣映画を沢山流していた。
もしやと思って番組表から
和田誠さんの本にも出てきた「原子怪獣現る」を見つけることができた。


「原子怪獣現る」

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原題は「The Beast From 20.000 Fathoms」

つべはこちら➡https://www.youtube.com/watch?v=rGsilO8T4yI
こちらの方が見やすいかも➡https://www.youtube.com/watch?v=NbqhbrycSGE

wikiより
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8E%9F%E5%AD%90%E6%80%AA%E7%8D%A3%E7%8F%BE%E3%82%8F%E3%82%8B


概要

核実験で現代に蘇った恐竜と人間との攻防を描く作品。『Monster from Beneath the Sea』のタイトルでも知られる。
原作はレイ・ブラッドベリの短編小説『霧笛』 (The Fog Horn)。特撮部分をレイ・ハリーハウゼンが担当している。登場する恐竜と思しき巨大生物は、原作小説では「灯台のサイレンに反応して現れた」とされているが、映画では「水爆実験によって復活した」と設定が変更されている。「夜の灯台を怪獣が破壊する」というシーンに原作の名残が見られ、それが本作の名場面にもなっている。
「核実験で蘇った巨大な怪獣が都市を襲撃する」という本作の設定や特撮技術は、『ゴジラ』(1954年)など後世の作品にも大きな影響を与えた。

あらすじ
北極圏で核実験が行われる。様子を見ていた物理学者のトーマス・ネスビットは、「繰り返される核爆発がどのような結果をもたらすのか、今は誰にも分からないだろう(時間が経たないと分からないだろう)」と予言じみたことをつぶやく。その翌日、野外調査に向かったネスビットは、核実験でひび割れた氷原で、全長30メートルの肉食恐竜リドサウルスを目撃する。しかし、恐竜を見たと訴えても周囲の人には信じてもらえない。
リドサウルスは北アメリカ大陸東海岸を南下し、グランド・バンクス(ニューファンドランド島沖の大漁場)とマーケットで漁船を、メイン州で灯台を襲撃する。生き残った漁師の一人がネスビットと同じ恐竜を目撃したと証言し、以後、ネスビットは古生物学者のサーグッド・エルソン教授と助手のリー・ハンターと行動を共にするようになる。エルソンは、リドサウルスは同種の恐竜の化石が最初に発見されたハドソン川流域に戻ろうとしているのではないかと予想し、ハドソン川の河口の海底谷を潜水鐘で捜索する。予想通りリドサウルスが現れたものの、リドサウルスは潜水鐘を沈めてマンハッタンに上陸する。リドサウルスは市街地で暴れまわり、数百名を死傷させる。駆けつけた軍隊はリドサウルスを電気柵で足止めし、バズーカを命中させて海に追い返すが、リドサウルスがまき散らした血液は謎の病原体を含んでおり、さらに多くの人が感染症の犠牲になってしまう。
血液を流出させずにリドサウルスを倒すため、ネスビットは新兵器アイソトープ弾の使用を提案する。一方、リドサウルスは再上陸を試み、コニーアイランドの遊園地を襲撃する。軍隊の狙撃手のストーン伍長はアイソトープ弾を装填したグレネードランチャーを携えてリドサウルスと対決し、バズーカの傷跡にアイソトープ弾を撃ち込むことに成功する。リドサウルスは悲鳴を上げてのたうち回るが、ついに地面にくずおれ、息絶えるのだった。


スタッフ
監督:ユージーン・ルーリー
製作:ジャック・ディーツ、ハル・チェスター
原作:レイ・ブラッドベリ
脚本:ルー・モーハイム、フレッド・フリーバーガー、ユージーン・ルーリー、ロバート・スミス
撮影:ジャック・ラッセル
音楽:デビッド・バトルフ
美術:ユージーン・ルーリー
編集:バーナード・W・バートン
特殊効果:ウィリス・クック
特殊撮影:レイ・ハリーハウゼン



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クライマックスの遊園地のシーン。
巨大木製ジェットコースターに乗って怪獣にアイソトープ弾を撃ち込む射撃手と科学者の二人。

インディ・ジョーンズのトロッコをちょっと思い出してしまったが、こちらのジェットコースターの箱は、この映画では無常にも逆側に落ちて行ってしまって、逃げる時には乗れない。
主人公がそれでも普通に助かってしまうのはご愛嬌。

原作がレイ・ブラッドベリであったことも、しかもその原作があの「霧笛」であったことも、
ネットで調べるまで知らなかった。

わずかにタイトルから感じられる、深い海の底から来たんだよ、という感じ。
原作の遠い水底から霧笛の鳴る灯台を、仲間ではないかと遙々やって来た取り残された恐竜の哀しみは描かれずとも、このタイトルは紛れもなく原作のテイストを残している。

あの短編から、こんな映画を作ることができるだなんて。

インスピレーションは無限。

勿論映画と原作は全く別物なのだが、
あの短編から巨大化した恐竜(リドサウルスとか言うらしい)を造形し、
「何故」そんな姿になったのかを水爆実験と関連付けた。



恐竜の体液や血液に入っているかもしれない病原菌や放射性物質に言及することで
パンデミック映画の系譜にも名を連ねることができるかもしれない。
その上ロマンスあり、
科学者の命を懸けた研究への情熱まで垣間見せる。

昔の映画らしく、全てにおいて品が良いところも私には好もしい。

1953年公開のこの映画に、今に通じる怪獣映画のほとんど全てが、
「種」くらいの形で沢山つまっている。

ブラッドベリの「霧笛」をわずかに思い出させるのは、巨大化した恐竜が灯台を破壊する場面なのだが、
事件の1点にしかなっていない。


私の中で、「霧笛」は郷愁。
古代からただ一頭だけ生き残った巨大な生き物の時間を超えた孤独と、灯台守の心象風景が重なった「詩」だった。
海の底で過ごす、孤独な恐竜の長い長い時間が、短い言葉の中に手に取るように感じられる、
不思議な深く青い海の、詩だ。

ブラッドベリは短編の名手。
SFも彼の手になるものはあまりに美しく、時に胸に刺さる悲しみを残す。

「ウは宇宙船のウ」で、若い日の切なる希望と現実を鮮烈に体験させてもらい、
「宇宙船乗組員」では人を愛する悲しみを知り、
「長雨」では人間の欲するものを皮膚感覚で味わった。

それが、怪獣映画の元になるとは思いもしなかった想像力の欠落した自分にびっくり。


さて、お次は

「怪獣ゴルゴ」


同じユージーン・ルーリー監督の手になる1961年制作のイギリス映画。
こちらはカラー。
wiki➡https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%80%AA%E7%8D%A3%E3%82%B4%E3%83%AB%E3%82%B4

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トレーラーだけですが、つべはこちら➡https://www.youtube.com/watch?v=RxazeJ7TlWM


怪獣ゴルゴ

親:身長60メートル
子:身長20メートル

海底火山の爆発によって目覚めた太古の怪獣。ナラ島ではオグラと呼ばれており、海の精霊、航海の守り神として言い伝えられていた。ゴルゴという名前の由来はギリシャ神話の怪物ゴルゴンからで、サーカス側が勝手に名付けたものである。劇中では詳しい生態には触れられずゴルゴが恐竜の生き残りなのかは不明(ゴルゴサウルスという恐竜は実在したが、関連はない)。
海外の怪獣映画としては珍しく人類の兵器は一切通用しないという設定である。幼獣は危険を感じると体から燐に似た体液を出す。

解説
本作は着ぐるみの怪獣を特撮用ミニチュアセットの中で演技させている。日本では1954年の『ゴジラ』以降、「巨大生物モノ」に関しては時間や予算的制約から人間が中に入る“着ぐるみ”で撮影するのが一般的だが、モデルアニメーションや機械・操演によるパペット、あるいは本物を大写しにするといった手法が多い海外の特撮作品としては、珍しいタイプの特撮映画といえる。
監督のユージン・ルーリーはかつて『原子怪獣現わる』でもメガホンを取ったが、この映画を自身の娘に見せたところ、その結末に関して大いに不満を漏らした。この経験が、本作のラストに生かされている。
企画の段階では、怪獣ゴルゴの上陸地点はフランスの首都・パリということになっていた。だがパリは海から100キロ以上離れた内陸にあったため、海から上陸した怪獣が襲うのは変だということになり、より河口に近いロンドンへ舞台が移された。

当初は舞台を日本にした、日英合作の作品にする案であった。

ゴルゴの捜索シーンに『空の大怪獣ラドン』のF-86Fセイバーのフィルムが一部流用されている。
キャスト全員が子役も含めて全員男性であり、母ゴルゴを除くと、主要キャストに人間の女性が一切出演しない映画である。
本作は製作国であるイギリスに先駆けて日本で先行公開された。





wikiを読んで納得。

只怪獣映画のイギリス版と見るには、あまりに設定が日本人好みでおわり方もお馴染みな感じだったので不思議だった。

欲に流され、海から怪獣の子どもを引き上げて見世物小屋に売り飛ばそうとする大人達の中で、「これは人間が見るものではないよ」とゴルゴを逃がそうとする男の子。
人間から見ると巨大でも、男の子からすりゃ、同じ子ども同士だったのだ。

「原子怪獣現る」の唐突なエンディングに比べ、親子で海へ帰っていくラストもいつか見た怪獣の後ろ姿な気がして。
本当にそんな怪獣映画を見てきたかと聞かれても、「イメージ」先行型なもので確信はないが、
非常に共感を覚える映画だった。

同じ監督の手による怪獣映画でも、ずいぶん雰囲気が違って、こちらはこちらでまたとても良い。
カラーだし。


ところで、ブラッドベリの「巨大生物と郷愁」をある意味踏襲しているのは、実はこちらかもしれないと思ったのだった。


ウルトラマン空想特撮シリーズ第35話「怪獣墓場」2/2

怪獣のフォルムはカッコいいのに、たそがれたり、すねたり、最後はウルトラマンに首をすくめるジェスチャーをされてしまう。

カッコ可愛い怪獣。

東京オリンピックの8分間プレゼンを、テレビは流 しておりますが。

同じくカッコ可愛い感じが、ニッポンなのでしょうか。



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2016
07.11

アレルギー

Category: TV番組
いやあ、アレルギー症状でしょうか。

もう、駄目なんですね、ちょっとでも触れると。

こういう症状って、改善するんでしょうか。

突然発症することもあるということですが、
最近意欲もわかないし、何かこう、前兆としてはあったのです。

「村」や「スポナビ」を覗く頻度もすっかり減りましたし。
ルールがまたわけのわからぬ改悪。
この日が来るのも時間の問題でございました。

録画していたDOI、副怪鳥の声を聴いた瞬間、うんぎゃーとテレビを消してしまいました。
オープニングの白さっとんは美しく、メドべ子はツインテールで「月に代わって」滑って行きますし。
見たいのはヤマヤマでしたが、もう、アレルギーなんですね。
あの声を聞いただけで。

深呼吸して消したテレビをつけ直し、副音声を探しましたが、ありません。

♪諦めました~。あなた~のことは~。
♪も~う、セーラームーンも、見れない~。

今シーズン、果たして私はスケートを見ることができるのでしょうか。

別にもう、つべで見れば良いのかもしれませんが、
それも他国の解説者で見るしかありません。

なにせ、アレルギーなのですから。


楽しみにしていたウルトラマン50周年はどこの民放かと思いましたわ。
とても最後まで正視できずギブアップ。


選挙速報でさえどこかのバラエティーかと見まごうばかりで、テレ東でさえ見ることができませんでしたわ。

今も、何がしか選挙のニュースを見たくてチャンネルを地上波に合わせると、
どこかの蕎麦のイノシシのニュースなど、
非常にどーでも良い、ノルマかと思うような、
蕎麦ニュースを連発で見せられました。

国内のニュースは流さんのかい。

すぐにチャンネルは変えましたが、
変えた先では
勝った政党より大きく議席を減らした政党の議員の話ばかりに花が咲いておりましたよ。

あからさまですなあ。





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2016
06.26

7月10日、ウルトラマンの日

Category: TV番組
来月、7月10日は『ウルトラマンの日』なんだそうである。

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というわけで、CSの方でも初代ウルトラマンの放送があるという。


ウルトラマン HDリマスター版 (全39話)

現在もその人気が衰えることなく、
新たなブームを生みながら進化している
「ウルトラマン」シリーズ、
その原点をHDで楽しもう!

M78星雲光の国を故郷とする宇宙警備隊のウルトラマンは、怪獣墓場に護送中の凶悪な怪獣ベムラーに逃げられてしまった。ベムラーを追って日本の竜ヶ森にやってきたウルトラマンは、科学特捜隊のハヤタ隊員の乗る小型ビートルに接触。ビートル機は墜落し、ハヤタは重傷を負ってしまう。ウルトラマンはハヤタを助ける為に、彼と一身同体となって地球にとどまり、地球の平和の為に戦う事を決意した。ハヤタ隊員は、困難な状況に陥った時ベーターカプセルを点火し、身長40メートルのウルトラマンに変身!
次々と現れる宇宙人や怪獣に対し、キックにパンチ!スペシウム光線で戦う!



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先行放送をまとめて先月録画しておいた。
あまりに面白くて何度も見返している。
とりあえずキャッチアップ放送は第1話から第6話までだったが、有名どころが沢山出てきて最高だ。

私はウルトラQどころか、この初代(?)ウルトラマンも、見ていない。

記憶があるのは、『セブン』が少しと、ウルトラマンが『帰ってきた』あたりからだ。

初めて見る『帰る前の』ウルトラマンは、とても、なんというか、礼儀正しい宇宙人だった。

第1話で、ウルトラマンが『心ならずも』ハヤタ隊員に重傷を負わせてしまい、非常に責任を感じたウルトラマンが、ハヤタ隊員の意識に話しかける場面は驚きの連続だ。


ハヤタ隊員  「おい、誰だそこにいるのは」
         「君は一体何者だ」


ウルトラマン 「M78星雲の宇宙人だ」

ハヤタ隊員 「M78星雲の宇宙人?」
        
ウルトラマン 「そうだ。遠い宇宙から、ベムラーを宇宙の墓場に運ぶ途中、
         ベムラーに逃げ出されて、それを追って地球に来た。」

ハヤタ隊員  「ベムラー?」

ウルトラマン 「宇宙の平和を乱す、悪魔のような怪獣だ。」

         「申し訳ないことをした」


ここで、ウルトラマンは、両手を広げたまま、ハヤタ隊員に礼儀正しくぺこりと頭を下げるのだ!


「申し訳ない」って!
ぺこりと頭を下げて!
宇宙から来たM78星人がっ!
なんて礼儀正しいんだっ!

ところでこのファミリー劇場のサイトで、ハヤタ隊員は「重傷」と書いてあるので私もそう書いているが、これはどう見てもほぼ臨死状態なのでは?と思った。
wikiにもウルトラマンがハヤタ隊員を「死なせた」と書いてある。
そうでなけりゃ、宇宙人のウルトラマンが初対面の地球人と『一心同体』になろうと思うだろうか?

そのあたりはよくご存知の方々がご存知だと思うので、とりあえずおいておくが、
私はこれをゴリオ(仮名)と一緒に見ていたのである。

『ウルトラマン』は彼にとって戦隊ものをはじめとする「戦い系」コンテンツに入っている。

なのに何なのだろう、この礼儀正しさ。
サムライのような潔さ。

しかも戦う相手はちょっとトボケタ宇宙人だ。

コワくないではないか。

ゴリオ(仮名)は美少女が主人公である場合を除き、戦いものがコワくて見ることができなかったクチである。

東京ドームシティのリアル戦隊も、
東武遊園地の仮面ライダーも、
彼を石のように固まらせるには十分な恐怖だった。
何しろキックやパンチは痛そう、というのが理由だったのだと思うが、
今となっては遠い過去の話である。

石坂浩二はドラマの二枚目(古い話ですが)やお宝鑑定、金田一耕助なだけではない。
こちらのナレーションで、新たに録音した彼の声を聴くことができる。
ふっと力の抜けた、今現在、大人が見る「ウルトラマン」に、ふさわしい声なのだ。





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2016
05.29

絵筆のサスペンス

Category: 映画の話


『迷宮のレンブラント』
原題 INCOGNITO
製作年/国 1997年/米
配給 東宝東和
時間 107分
公開日 1999年10月9日(土)
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監督
ジョン・バダム

出演
ジェイソン・パトリック
イレーヌ・ジャコブ
ロッド・スタイガー
イアン・リチャードソン




ストーリー

 【キネマ旬報データベースより】

(※内容にネタバレを含みます)
ハリー・ドノヴァン(ジェイソン・パトリック)は天才的な贋作画家。ニーヨークでケチな依頼主に贋作を売りながら生活していた彼は、ある日、報酬50万ドルでオランダの巨匠レンブラントの絵画を描くという特別な注文を受ける。
ハリーはアムステルダムに住み、レンブラントの研究を始める。
途中、パリヘ移ったハリーは学生だと名乗るマリーケ(イレーヌ・ジャコブ)に出会う。
恋に落ちたハリーはマリーケと一夜を過ごすが、翌朝マリーケはメモを残して去っていた。

アムステルダムヘ戻ったハリーは製作中の絵画に父の眼を描きこみ、一枚の肖像画を完成させる。依頼主の画商たちはその絵をスペインの農家で見つけたと偽って、専門家に鑑定させる。

その鑑定の場に来たのがマリーケで、彼女は「これはレンブラントではない」と言う。

その後、ハリーは絵を盗難。逃亡するが、その直後、画商たちのあいだで殺人事件が起こる。ぬれぎぬをきせられたハリーはマリーケを連れて逃げるが、警察につかまる。

裁判の席で絵が贋作であることをその場で絵を描くことで証明しようとしたハリーだが、父の眼にとがめられるような気がして筆を置く。

状況は不利に思えたが、画商のひとりが仲間を裏切って真実を告白したため、ハリーの殺人罪は冤罪だと発覚。レンブラントの贋作は本物としてスペイン政府のものになり、マリーケとハリーは和解するのだった。



日曜の朝からたまたまテレビで見たんですが。
いやもう、とにかく楽しみました。


舞台が主にヨーロッパだとはいえ、映像も内容もグッと落ち着いている。
サスペンスと言いながら、手錠をかけた逃亡劇も、「スピード」感はそれほどない。
ジェイソン・パトリックが異常に腕っぷしの強い絵描きなのは、「ワイルド」だからなんでしょうか?
あの「サタデーナイトフィーバー」の監督は、やはりただモノではなかったことは確か。

贋作作家とはいえ、確かな腕を持つ画家が、
「レンブラント」の贋作を依頼され、
愛する父の面影を移した絵にインスピレーションを得た瞬間から、
一気に豹変するんですね。




絵具の研究から始まり、
まずとッ散らかったねぐらを徹底的に掃除する。

大物の器具を入れる。
どでかいのは、オーヴンだったようだ。
オーヴンで絵を3回焼いて、年季の入り具合を調節する。

それからカンヴァス、顔料、古い時代から使われている絵具、文字通りの鉛の兵隊から酢を使って取り出すホワイト、そしてブルー。
わずかな特別な、レンブラントが使った何とかブルー(もう名前忘れた)を手に入れるため、大枚をはたく。

24本の絵筆。リスなど動物の毛を数種指定し、選び抜いた太さの絵筆。

描き始めると、それはもう、確かなデッサンによって迷いなくグングンと描かれていく。

レンブラントは夕べもNHKで『光と影の画家』として紹介されていた番組で見ていたのだが、人物の瞳の奥行が素晴らしい。

この映画の主人公は描きあげた完璧なレンブラントの贋作に、落ちぶれてはいるが画家だった愛する父親の瞳を描き込む。

殺人罪に問われたの裁判のシーンで、自らの潔白を証明するために法廷で模写する時にも、彼が書き上げつつあった絵の人物の瞳は、まさに彼の父の目だった。

彼の絵の才能は父譲りだったが、贋作は父の友人の贋作の専門家に手ほどきを受けた。
父親は彼の全てを受け入れてはいたが、内心天才的ともいえるが贋作しか描けない息子を案じていた。

その父の目を、彼は自ら描いた絵の中に見てしまう。
父の死を知り、父の思いを窮地の場で真に感じ取った彼は、法廷の場でそれ以上、「贋作」を描くことができなくなる。

映画の中で使われた絵とはいえ、その瞳が素晴らしく描けているんですわ。

逃亡中、奪った車に残された子供の絵に手を加えたデッサン画。
子どもの描いた単純な山と太陽の絵が、主人公の手によってあどけない子どもの寝姿に見る見るうちに変化する様。
その絵を売って熱を出したヒロインの薬代にする主人公。

この映画のサスペンスとは、まさに絵を描くことそのものにあるようだった。

いえ、お話としてはちゃんと伏線もあり、どんでん返し的な結末もあり、
ロマンスもありで他にも見どころは沢山あるんでしょうけれど。

バランスの良い映画なので、どこから見てもそれなりに楽しめるのでは。

余談ですが、私的なツボは、法廷で鬘を被った弁護士(主人公を有罪にしようとする敵方の)が、
先日からものすごく気に入っているシャーロック・ホームズテレビドラマパロディーの亜種、
「コナン・ドイルの事件簿 Murder Rooms」でベル教授を演じていたイアン・リチャードソンなんですね。

もうすでにお亡くなりになられているのが残念でならない俳優です。

目力があって、チャーミングで。

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ミス・マープルの書斎の死体での富豪役では別人のようでした。

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ドラマもですが、ハリウッドでも人気があったのでしょう、多くの映画に出演した、息の長い俳優さんでした。








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2016
05.03

ラストベガスは最後じゃないよね

Category: 映画の話
熊本で被災した友人が連休で実家に帰って来た。
心身共に疲れていないか、どうだろうと心配していたが、会って顔を見ると元気そうでホッとした。

地震の瞬間とその後の話は聞いた話であっても辛くてここには書けないが、
兎にも角にも無事でよかった。

今回集まったのは4人。
女子高からエスカレーターに一緒に乗った仲間である。

多分校則の厳しさに一番辟易していたのは私だったと思うが、
皆それなりに学生時代を楽しんだ。

考えてみると私は学生時代、彼女たちとは厳密には「別グループ」に属していて、
それを思うと、卒業後にこうして集まる中に私が混じっているのは本当に不思議というものなのだ。
何が違うかと言えば、私を除く彼女たちは真面目できちんとしていて、
私はそうではなかったという点だろう。

卒業後、それぞれ違った道を行き、違った環境で暮らしてきた私たちだが、
今回友人の一人が、しみじみと言ったのだ。

「私たちが受けた教育ってさ、厳しかったけど、意外に間違っていなかったってことじゃないかな」

そうかもしれず、そうではないかもしれないが、あと20年もたてば、その是非もいい加減わかるだろう。

  

さて、70歳にもなろうとする、映画「ラストベガス」の4人の爺様たちはいたって元気だった。

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4人の爺様、豪華な上にイカシテル。
決してイカレテはいないのだ。

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上の写真の左から

マイケル・ダグラス演じるビリーは、成功した実業家。
31歳の若い彼女とベガスで結婚することになった。
恩師の葬儀の席で自らの老いと対峙し、思わずプレイボーイを返上し、彼女にプロポーズしてしまったのだ。
ところが自分のバチェラーパーティーを開くために集まった旧友との再会の場で、運命の女性と出会ってしまう。
プレイボーイを気取っているが、実は友人思いで自分を良く知っている男、ビリー。
一見華やかなはずの彼が実はフクザツなハートと過去を持っていた・・・。


ロバート・デニーロ演じるパディは、最愛の妻を亡くして1年が経つが、近くに住む娘に食事を差し入れしてもらいながら、妻の写真に囲まれた寂しい一人暮らし。
若い頃、妻を巡ってライバル関係だったビリーが、妻の葬儀に来なかったことを未だに根に持っている「気難しや」だ。
妻亡き後、ベガスで出会った美しい妙齢のクラブ歌手に心惹かれるが、彼女の気持ちは別の人に。
覇気のない爺様が、ベガスで弾けるうち、ゴッド・ファーザー、レイジング・ブルを彷彿とさせる迫力とパンチを繰り出す。

モーガン・フリーマンが演じるのは脳梗塞を患って以来、息子夫婦から大事にされ過ぎ、子供のように心配されるアーチ―。
しょんぼりとベッドに寝ているはずの彼が、ベッドから脱出する時のクスグリが笑える。
病気だったことを逆手に取り、嫌がるパディをベガスに引っ張り出すために一芝居打ったり、若い男子に女の子を誘うテクニックをサラッと教授する。パーティーで踊る姿は粋でまだまだイケている。
ラストで見せる孫との姿ではまた普通のおじいちゃんに戻っているが、彼が背筋を伸ばし、スーツを決め込んだら誰よりもクールなのだ。

そしてケビン・クラインが演じるのは平凡だが幸せな結婚生活を今も営むサム。
ベガスに発つ時に、素敵な奥さんから「隠し通してね」のメッセージと共に手渡されたのはバイアグラとコンドーム。
妻が車で走り去ると同時に「ヒャッホー!」と小躍り。
束の間の情事を夢見てベガスに旅立つサムだが、彼が声をかけたのはドラッグクイーンだったり、おじいちゃん好きな若い女の子だったり。
サムは愛される男。愚かではなく、大人で、それも大きな幸せに包まれた男だった。


「ハングオーバー!」や「スタンド・バイ・ミー」を連想するというレヴューも多かった。
確かにそうなのだが、彼らの現実とはかけ離れたベガスでの豪遊を可能にしたのは、
紛れもなく「お金の力」。
その点で、私にはSATCの女4人組の映画とも重なってしまった。

ベガスに着くなり、貯金の半分を持ち出してきたアーチ―が
真面目な顔してギャンブルにハマってしまう。
結果1万5千ドルの所持金が10万ドルに!
軍資金たっぷりのアーチ―のおかげで、予約も取っていなかった彼らはホテルでもパーティーでもVIP待遇。
ビキニ・コンテストの審査員の座までゲットするのだ。

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豪華な俳優陣にこれだけ素敵な役を割り当て、大活躍させた監督は「ナショナル・トレジャー」のジョン・タートルトープ。
ヒロイン役ともいえるクラブ・シンガーには「バック・トゥ・ザ・フューチャー3」でドクの恋人役になるメアリー・スティーンバージェン。

「ラストベガス」と言いながら、
彼らのバチェラーパーティーはまた行われることだろうし、
来年も、また次の年もどこかで「ラスト」を続けることだろう。

老いてなお人は成長し、出会いがあり、新しい自分を発見する。
4人の俳優陣が魅せる其々の「人生」には、どのシーンも笑いがこみ上げ、同時に胸にしみるものがある。
文句なしの楽しい映画だった。



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2016
04.06

「女経」の純情

Category: 映画の話
日本映画には全く興味がなく、この年まで来てしまった。

ところが、このところ「日本映画チャンネル」の古い映画にハマっている。

昨日見たのが薬師丸ひろ子の「Wの悲劇」。
最後に薬師丸が歌うユーミンの曲、こんなに良かったっけ。
あの芝居がかった芝居を真似して遊んだものだが、今見ると三田佳子も凄いし、ラストの後味も悪くない。

「探偵物語」は若い頃何度も見たが、今見ても薬師丸が素晴らしい。
顎のラインのボブにワンピースがとても似合って、私はこの映画、衣装も好きなのだ。
これを見て大きな白いイアリングを買った記憶がある。
松田優作との最後のキスシーンがやはり可愛くて切ない。
秋川リサとの大人の関係が松田優作の複雑さを物語っていて、
彼の映画でも、私はこれが一番好きなのだ。

赤川次郎原作ものは大体においてそうなのかもしれないが、
犯人探しなど実はどうでも良い映画だったのだと今更気が付く。
昔見た時には、犯人とその動機に「おぉっ」と思った自分は若かったのだ。

薬師丸ひろ子はある意味肉感的で、なのに清潔感があった。
身体の線が全部出るようなワンピースやタンクトップにスカートであっても、
身体つきはとても魅力的なのに、妙な色気は皆無。
男女両方から好かれる珍しいタイプだったと思う。

「里見八犬伝」では、薬師丸の弾むような若い肉体(私、おっさんか?)の記録映像のようで、
もう「八人の犬士」の話なんか(あの夏木マリのメーキャップでさえ)どうでもよかったんだなと、ようやく納得がいったものだ。

昔は小ばかにしていた「男性目線」が、「美しさ」をいかに的確につかんで映像に残したか、
今更ながら参りました、と思わずにはいられない。

前置きが長すぎた。

「女経」の話を書きたかったのだ。

これは、3監督によるオムニバス映画。
3話とも男よりお金が大事とばかりに生きてきた女たちが、それでも女の幸せをいつか掴みたいと、其々の道で生きていく話。

第1話から、まるでフランス映画を思わせる空気が漂っていた。
お洒落で、切なく、女の優しさが身に染みる。
蓮っ葉な嘘つきで、金の亡者のように生きながら、本当に愛した人から身を引く潔さ。
若尾文子の上手いこと。小悪魔と呼ぶには軽すぎる。
彼女の抱える人生の重みをしっかりと演じ、大人の映画として十分に鑑賞に堪える。

第2話は幽霊か、妖怪かと思わせる不思議な女が、正体を現したとたんに現代的なしたたかな女に変身し、
はてさて画面がガラッと明るくなってコンゲーム(詐欺)の話かと思いきや
「ティファニーで朝食を」のラストのように突然ハッピーエンドを迎える。
たった30分の中のこの充実感。30分だからこその長すぎない絶妙なテンポ。
舞台となる古い日本家屋が、市川崑監督らしい。
3作の中で、一番結末が明るくて好きだ。

第3話、幸せなのか不幸なのか、この女の行く末はわからない。
それでも刑務所に入った男を待とうと決める女心はいじらしくも強い。
しっかりものの京女の純情に、こちらがコロッと参りそうだ。
重態の幸薄い学生への献血を申し出、「栄養はたっぷりなんだから」と着物の袖から白く美しい腕を露わにする瞬間の艶。
素晴らしかった。

「1960年」、日本映画はこんなにも素敵だった。
日本映画がまだ職人の手によって作られていた時代だという。
見事というほかない、一級品ではないかと思う。



Movie Walkerより

「女経」
1960年1月14日公開

村松梢風の「女経」にヒントを得て、「天下の大泥棒 白浪五人男」の八住利雄が三つの物語を構成したもの。「貴族の階段」の吉村公三郎「野火」の市川崑「闇を横切れ」の増村保造がそれぞれを監督した。撮影も「浮草」の宮川一夫、「野火」の小林節雄、「闇を横切れ」の村井博がそれぞれ担当。


第1話〔耳を噛みたがる女〕  監督 吉村公三郎  増村保造

紀美―若尾文子

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 紀美は隅田川にもやうダルマ船の娘だが、貧しい家庭に愛想をつかし銀座のキャバレー・ゴンドラにつとめて男どもを巧みにだましては金をまきあげ、株を買っているという年に似合わぬしたたかもの。
 会社社長の後とり息子・正巳は、この紀美を陥落させて見せると友人の春本と賭けをした。スポーツカーでのドライブ、それからパチンコ屋、ついでゴンドラで飲んだ正巳と紀美はホテルの一室へ落着いた。正巳を好きでたまらないという紀美。そんな紀美を例の手練手管の思う正巳。しかし紀美は、あっさり正巳に抱かれた。
 翌朝、紀美の寝ているうちに正巳はホテルをぬけ出した。ついに賭けに勝った。が、正巳にはどうもスッキリしない後味だった。どうも紀美は商売ぬきで本気に自分を愛していたのではないか……。実は、この日、正巳は父の命令で好きでもない娘と結婚式を挙げることになっていた。昨夜は、いわば自由と恋愛の最後の夜だったのだ。好きでもない女と結婚するより、自分を本当に愛している女と……。正巳は紀美を探しに出た。
 そのころ紀美は友人の五月のアパートで、五月あての正巳の結婚披露の挨拶状を見つめていた。そこへ正巳が飛込んできた。正巳は紀美の心を確かめようとした。が、紀美は、昨夜のお金を頂戴と手を出した。怒った正巳は部屋を飛出した。
 正巳の将来を思う紀美の心も知らずに。今夜からまた男をだまして金を巻上げよう……。紀美の顔に悲しいかげが走った。


第2話 〔物を高く売りつける女〕  監督 市川崑

土砂爪子―山本富士子
三原靖―船越英二


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 「流行作家三原靖氏失踪か! 自殺の恐れあり」と新聞が報じたころ、当の三原氏は空ろな眼をして湘南の海岸に身を横たえていた。その彼の眼前を一瞬よぎった白い顔の女。三原氏はギョッとした。翌日三原氏は砂浜に泣く彼女の姿を見て再びギョッとした。夜、女は燃える手紙の束を見ていた。三原氏は彼女の傍に立った。女は死んだ主人の手紙を焼いていると言った。
 激しく惹かれた三原氏は彼女の眼を盗んで手紙の端をポケットに入れた。翌日、一軒の別荘の前に彼女が立っていた。三原氏は招ぜられて中へ入った。風呂をすすめられた。湯舟につかる三原氏の前に白い裸身の女が入ってきた。上気した三原氏は女の頬に思わず接吻した。女は、主人がお風呂のとき、いつも私に背中を流させました、あなたの背中を主人と思って流させて頂きありがとうございましたと礼を述べた。そして、女は実家も主人の家も東京にあり、この家は売りに出してあると話した。
 三原氏は好奇心にかられ、この家を女もろとも買うと言った。売値は六百万。契約の日、三原氏は百万円持って女の家を訪ねた。売買契約書を持った女の態度は大へん事務的だった。
 翌日、三原氏が女を訪ねると誰もいず、売買契約の事務は不動産がやるとの女の置手紙があった。そのころ、女--土砂爪子は不動産から売買手数料の五万円をもらっていた。彼女は美貌を資本とする住宅ブローカーだった。
 してやったり、ところが彼女のアパートに三原氏が訪ねてきた。驚いて謝る爪子。しかし三原氏はあの家を五十万円儲けて売ったと言った。氏は爪子が燃し残した請求書から、彼女のからくりを知ったのだ。
 “君と結婚すればノイローゼにもならないし、小説の種もつきない”--三原氏はにやりと笑った。


第3話 〔恋を忘れていた女〕 監督 増村保造 吉村公三郎

お三津―京マチ子

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 お三津は京都の修学旅行専門の宿屋の主人だ。昔は先斗町の売れっ妓。碇家に嫁ぎ主人に先立たれてから舅の五助に楽隠居させ、木屋町に酒場、先斗町にお茶屋を経営する働き者である。死んだ主人の妹弓子が恋人吉須と結婚するため金を借りにくるが、碇家の財産を狙ってきたものと思い、いい返事をしない。
 この碇家に名古屋の小学校の団体が宿泊したが、生徒の一人がオートバイにはねられて重傷を起し大騒ぎ。そこへ、お三津の芸妓時代の恋人兼光から電話がくるが、お三津は居留守を使う。何やかやでクサクサしたお三津は自宅へ帰るが、一度関係をつけた五助は、お三津に迫る。五助を突き飛ばして自分の酒場チャイカへ走ったお三津は、そこに彼女を待っていた兼光の傍へ座って泣き伏した。
 が、昔のことを思って訪ねてきたと思った兼光に二百万円の手形を割引いてくれと切出され、お三津は彼との情愛に水をさされた。そのとき、刑事が入ってきた。九州で詐欺をやった指名手配の男、兼光を逮捕に来たのだ。兼光は抵抗も空しく捕った。 
 そこへ碇家から、怪我した生徒が重態という電話。病床に駆けつけたお三津は子供の苦しそうな姿に輸血を申し出た。助かった子供の感謝の眼は、自分のことしか考えずに生きて来たお三津に新しい喜びを与えた。
 東京へ帰る弓子と吉須が挨拶に来た。お三津は気持よく金をやった。そして自分も、刑務所へ入った男を待って女の幸せをもう一度つかみたいと明るく言った。



ただし、いくら映画のストーリーとはあまり関係のない小説のエッセンスを頂いたからといって、このタイトルはいかがなものか。

これではただのピンク映画と間違われる。

こんなに美しいのに。

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2016
04.02

「ガス燈」の旋律

Category: 映画の話
イングリッド・バーグマンが1944年アカデミー主演女優賞を得た映画。

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Movie Walkerより

「ガス燈」
1947年6月公開

1870年のロンドン。オールクィスト家に起こった歌手アリス・オ ールクィスト嬢の殺人事件は未だ犯人があがっていなかった。アリスの姪ポーラはグレゴリー・アントンと結婚したが、良人の言に従い問題の家で結婚生活を営むことになった。ある日ハンドバックに入れたはずの首飾りが紛失して以来、グレゴリーはポーラが自分のしたことを少しも記憶していないといってことごとに彼女を責めた。そのあげく、彼女も精神病で死んだ彼女の母と同じく次第に精神が衰えて死ぬだろうというのだった。ポーラは良人の言を気にしながら一人不安な日を送っていたが、次第に自分の精神状態に自信を失い、夜ごとにポッと薄暗くなるガス燈の光も、天井に聞こえる奇怪な物音も、自分の精神の衰えているための錯覚かと焦燥にかられた。ある夜久し振りで良人と出かけた知人宅で時計を隠したといって良人から辱しめられたとき、彼女は堪え難い悲しみに襲われたがその様子を注視している若い男があった。彼はブライアン・カメロンという探偵で、少年時代憧れていた名歌手アリスの殺人事件には非常な関心をもっていた。彼はある夜グレゴリーの外出中家人の制止もきかずポーラに会い、彼女の叔母の事件についていろいろとポーラに語ってきかせ、また、彼女が決して精神に異常を来しているのではなく、良人の策略にすぎないこと、夜ごとに暗くなるガス燈の光も良人が閉鎖された屋根裏の部屋にいるためであることなどを説明した。ブライアンがグレゴリーの机をあけてみると、彼女が隠したと良人から責められた数々の品物が現われ、20年前のこの家の殺人事件にグレゴリーが重大な関係を持っていた事実を説明する手紙も発見される。やがて探し求めていたダイヤモンドを手に入れて現われたグレゴリーはブライアンに捕まえられるのだった。

スタッフ
監督 ジョージ・キューカー
脚色 ジョン・ヴァン・ドルーテン 、 ワルター・ライシュ 、 ジョン・L・ボルダーストン
原作戯曲 パトリック・ハミルトン
製作 アーサー・ホーンブロウ・ジュニア


キャスト
Gregory_Anton シャルル・ボワイエ
Paula イングリッド・バーグマン
Brian_Cameron ジョゼフ・コットン



シャルル・ポワイエ扮する夫グレゴリーはピアニスト。
彼の陰湿なマインドコントロールでバーグマン演ずる妻ポーラは正気を失ったように思いこまされる。

ポーラは病気だからと訪ねてきた知人にも会わせてもらえない日々が続く。
一人部屋に残されることを怖がるほど追い込まれた彼女が追いすがってもなお、作曲のためだと夜の町に出ていくグレゴリー。


夫が外出すると「ガス燈」が急に暗くなるのは外出したと見せかけて宝石を探す夫が屋根裏にいる時のトリックだった。
ポーラの叔母を殺し、彼女の宝石を狙って跡継ぎである姪のポーラまで破滅に追い込もうとしたのは夫グレゴリーだった。

グレゴリーが家でオペレッタなどを弾いてみせる。
楽しそうに音楽に合わせて歌うポーラに、いきなりグレゴリーのピアノが止まる。
妻を責める夫の言葉は、ピアノの音が止むと同時に始まる。
ピアノの音は妻の感情を揺さぶる鍵だ。

ある時、ポーラの家と昔懇意だったダルロイ邸でのコンサートに招かれたグレゴリーとポーラ夫妻。
グレゴリーはポーラを病気と偽り断りの返事を出すが、ポーラは一人でも行こうとする。

この映画で出色だと思ったのは、結局二人で出かけたダルロイ邸でのコンサートのシーン。
ピアニストが弾くのは「ショパンのバラード一番」。
バラード一番が流れる中で、ポーラが知らない間に夫の時計がなくなり、その時計はポーラのバッグに入っていた。
混乱して取り乱すポーラを責めつつ、周囲に「妻は具合が悪い」と言いながらポーラを連れ出すグレゴリー。

ポーラの恐怖と混乱をこの「バラード一番」の緊張感あふれる旋律が伝える。
格調高い、けれど緊迫した場面だ。

自分が狂気に陥っていると恐れるポーラ役のバーグマン、迫真の演技。
バラ一は美しいだけの曲ではなく、こんな場面にもぴったりだったのだ。



格調高いバラ一が秘める狂気の一面。

グレゴリーは宝石目当てにポーラの叔母を殺害し、跡継ぎのポーラまでも宝石のために病院送りにしようと画策していた。



グレゴリーは最後まで残酷だ。

「僕らの間にあったのはあの宝石だ。炎のように頭の中で君との間を隔てていた。宝石に取りつかれて。なぜだろう。」





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2016
03.29

SATC的「追憶」

Category: 映画の話
「追憶」
原題名は”The Way We Were”

thewaywewere-a.jpg

Movie Walkerよりストーリー


1937年の春、ケイティー(バーブラ・ストライサンド)とハベル(ロバート・レッドフォード)の2人は、大学の創作クラスで机をならべて勉強していたが、政治活動に熱中するケイティーとそれに興味を示さないハベルの生き方はまったく違っていた。

やがて、学生たちは卒業し、各方面に散っていった。第2次世界大戦中のニューヨークで、ケイティーとハベルは偶然、再会した。ハベルは海軍大尉だった。2人は急速に親しくなり、アパートの1室で愛の生活を始めるようになったが、ケイティーの政治への興味は尽きず、積極的な活動家として活躍し、ハベルはそんなことに興味を持たなかった。

除隊したハベルとケイティーは結婚した。彼女はハベルに創作を促し、著作に多くの助言を与えた。だが、ケイティーはハベルの大学時代の友人たち、キャロル・アン(ロイス・チャイルズ)、J.J(ブラッドフォード・ディルマン)夫婦を好きになれなかった。ケイティーとハベルは40年代の終わりハリウッドに移った。

ようやくハベルの脚本が売れ出し、映画脚本家・小説家として有名になっていった。そして、ハベルの小説をプロデューサーのJ.Jが映画化する。収入も安定してきて、ケイティーが妊娠した。生活は平和そのものだったが、それは永くは続かなかった。ハリウッドにも共産主義者狩のマッカーシズムが荒れ狂い始めたのだ。

ケイティーは反マッカーシズム運動に力を入れたが、創作に自信を喪失したハベルはマッカーシズムの嵐から身を避けようと考えた。そのためにはケイティーと離れ、元恋人のキャロルと近づくことが有利だった。ケイティーはハベルとキャロルの関係を知って別れることを考え始めた。別れることによって、ハベルがブラック・リストからはずされるかもしれない。ケイティーは離婚を申し出た。そして、2人は子供が生まれた後、離婚した。

50年代初め、ケイティーがニューヨークで“原爆禁止”の署名を集めているとき、ハベルに離婚以来初めて会った。彼女はなつかしさのあまり、ハベルに近づいた。だが、1度切れた絆はつながらない。ケイティーは再婚していたし、ハベルは脚本家として一応の成功を収めていた。2人は、お互いの元気な姿を確かめ、いたわるように抱き合った。過ぎ去った愛の時が2人の胸に去来した。

監督 シドニー・ポラック
脚本 アーサー・ローレンツ

katie バーブラ・ストライサンド
Hubbell ロバート・レッドフォード
J.J. ブラッドフォード・ディルマン
Carol_Ann ロイス・チャイルズ
George_Bissinger パトリック・オニール




録画しておいたものをようやく見た。
レッドフォードの若い頃は(年齢を重ねても変わらないが)それはもう美しく、私の興味からは全くあまりにもかけ離れていたので、この映画は観たことが無かった。

大好きだったSATCシーズン2の最終話「Ex and the City」で、ビッグが婚約披露パーティーを開くことにショックを受けたキャリー。
彼女を囲んでいつものメンバーでランチしながら、彼女たちはハタと気が付くのだ。
これは「ハベル」よっ!

他人のロマンスになど興味のないサマンサが「追憶」を見ていないのも笑えたが、ミランダ、シャーロット、キャリーは映画「追憶」のテーマをカフェで歌いだす。

「カーリーヘアのエキセントリックなケイティ―と、ストレートヘアの女。ハベルはストレートヘアの女を選んだじゃないの!」
「ケ・ケ・ケ・ケイティー!」
「カ・カ・カ・カーリーヘア!」キャリーは自分のロングカーリーヘアを引っ張りながら、自分はケイティ―タイプだと腑に落ちる。

私はこのシーンが大好きで、3人が追憶のテーマを調子っぱずれに歌う姿を愛しそうに涙ぐんで見ているサマンサに笑いながらも胸をギュッと掴まれる思いだった。

だから、いつかあの美しすぎる男、レッドフォードとバーブラの「追憶」は見ておかなくてはと思っていた。

さて、SATCの中では、カーリーヘアのケイティ―タイプであるキャリーは、上品でハンサム、全てにおいて完璧な男、ビッグを愛したが、彼は上品なお嬢様ナターシャとシーズン2の最後で婚約してしまう。

このシーズン2最後のシーンで、婚約披露パーティーを終えたビッグに、「なぜ私じゃないの?」と聞かずにはいられなかったキャリー。
ビッグは返答に詰まるが、彼女はそこでバーブラがレッドフォードにしたように、彼の前髪を撫で、言うのだ。「可愛い彼女(ひと)ね、ハベル」
観光用の馬車を引く白い馬が御者の言うことを聞かず嘶く。
白い馬はキャリーの白いドレスと重なり、ビッグに伴侶として選ばれなかった自分をそこに見る。
それは自立したカーリーヘアの、じゃじゃ馬である自分。

彼女は振られた女としてではなく、ビッグが御しきれない女、ケイティ―である自分に納得することで、ビッグと別れる。




SATCのシーズン1で、ミランダがスノビッシュ(今もこんな言葉使うんだろうか?)なエリート仲間の中でモデル好きな男友達の開くパーティーに毎度呼ばれ、そこでは必ず呼ばれた美しい女の品定めのため、同じ話題が振られるというシーンがある。
「好きな俳優は?」と誰かが聞き、順に決まった台詞を答えていくのだ。
そこでミランダがいつも言うのが、「ショーン・コネリー。昔も今も、そしてこれからも」という台詞。

全く同意見。
私はこれで、ミランダとこのドラマが好きになった。


ニューヨークのキャリーの部屋の窓は、ケイティ―のアパートのそれと似ていて驚く。
キャリーもビッグの周りの友人知人とは全く反りが合わなかった。
まあ、彼女に「思想」があるとしたら、それは「labelとlove」だったかもしれないが、
彼女は主張を声高に叫ぶ前に、違う男友達と飲みに出てしまった。

それからGleeのレイチェル・ベリーの「レイチェル」は、ケイティ―とハベルの間に生まれた娘の名前だったとか。

オマージュと取れる断片を見つけていくたび、
長く愛されてきた素敵な映画だったんだなと思った。
全てはバーブラの魅力的な瞳と悲しそうな笑みに集約されているようだった。

私なら、レッドフォードのハベルなんてまっぴらごめんだが。
レッドフォードが嫌いなわけではない。
「サンセット物語」でのレッドフォードはハマり役だったし、
原作にすっかり参っていた時期に見た「華麗なるギャツビー」には泣きそうになった。

ところで、SATCの原作は翻訳もひどいが、
中身も実際面白くはなかった。

あの原作をこれだけのドラマに仕立てたプロデューサー、
「ビバヒル」や、「メルローズ・プレイス」を手掛けたダレン・スターは、やはりすごいなあと思うのだ。

すっかり「追憶」から話がそれてしまった。

ひたすらバーブラが素晴らしく、そしてやはり最後のシーンにグッとくる映画。
再開したケイティ―は、またカーリーヘアに戻っていた。
彼女らしい、生き方を全うしようとしていた。

ひたすらケイティ―の女としての自分へのコンプレックスや美しい男への憧れ、捨てられない信条、でも愛する人には尽くしたい気持ち、そんな諸々が心に残る。

それにしても私のような恋愛音痴には、この映画の良さなんか到底理解できないのだろう。
ほんと、あの男と別れて良かったね、ケイティ―、と最後に思ってしまったのだから。

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2016
03.20

黒蜥蜴の唄

Category: 映画の話
先日江戸川乱歩と美輪明宏さんの話を書いたら映画「黒蜥蜴」のことをコメントで頂いたり、
リンクさせていただいている「にゃんこさんさんのブログ」様でもご覧になられた感想を書いてくださっていた。

見たいと思ったのだが、この映画、私が調べた限りではどうやらDVDになっていないようなのだ。
代わりにつべで見つけた。

つべに上がっている映画はフランス語字幕がついている。
海外評価の方が高いのだろう。
三島の戯曲からの映画だし。


映画はこちら➡https://youtu.be/pyJgu3ClTYw?t=2928v

映画.com http://eiga.com/movie/36193/より

「黒蜥蜴(1968)」

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解説
日本の推理小説界の第一人者である故江戸川乱歩の原作を、三島由紀夫が戯曲化し、それを「雪夫人繪圖(1969)」の成澤昌茂が脚色、「博徒解散式」の深作欣二が監督した舞台の映画化。撮影は「ケメ子の唄」の堂脇博。

ストーリー
世界的宝石商の岩瀬は、娘早苗の誘拐と、時価一億円のダイヤ「エジプトの星」の強奪を予告する女賊黒蜥蜴におびえ、探偵明智に警護を依頼した。岩瀬父娘は大阪のホテルに姿を隠したが、隣室には岩瀬の店の顧客緑川夫人が泊っていた。実は彼女こそ黒蜥蜴だったのだ。黒蜥蜴は部下の雨宮を使って早苗をまんまと誘拐したものの、明智は機敏な処置で、早苗を奪い返したのだった。黒蜥蜴もさるもの、明智に追いつめられても慌てず、わずかな隙をみて逃走したのである。それから半月後、的場刑事率いる警察陣に守られた岩瀬邸から、早苗が忽然と姿を消した。黒蜥蜴が家政婦ひなの手引で早苗を誘拐したのだ。明智が駆けつけた時は、早苗と引換えに「エジプトの星」を持参せよ、という紙が残っているきりだった。指示通り、岩瀬は「エジプトの星」を黒蜥蜴に渡したが、早苗は戻らなかった。黒蜥蜴は早苗の美しさに魅せられていたのだ。一方、そんな黒蜥蜴にひそかに恋焦がれている雨宮は、黒蜥蜴が明智を恋していることに気づき、嫉妬を感じるのだった。その頃、明智は、一度は黒蜥蜴の手にかかって殺されたと見せかけ、部下の一人に変装して本拠地に忍び込んでいた。彼もまた、純粋な美に生きる黒蜥蜴に恋していた。黒蜥蜴を捕える自信はあったが、世間の秩序の彼方に己れの倫理を築きあげている彼女を、よく理解出来たのである。本拠地には、人間剥製の美術館があった。早苗もその一つに加えられようとしていた。雨宮はそんな早苗を助けることによって黒蜥蜴の関心を自分に向けようとしたが、捕えられてしまった。早苗の隣の檻の中で、雨宮は早苗が実は、替玉だったと知った。一方、黒蜥蜴は明智の変装を見破ったが、その時、警官隊がなだれ込んで来た。逃れぬと悟った黒蜥蜴は毒を仰ぎ、明智の腕の中で息を引きとった。好敵手と、そして不思議な美しさで人を惹きつけた恋人を失い、明智は黙然と突っ立っているばかりだった。...


松竹1968年版
映画『黒蜥蜴』1968年(昭和43年)8月14日封切。1時間26分、カラー作品。
製作・配給:松竹。監督:深作欣二。原作戯曲:三島由紀夫。脚本:成沢昌茂、深作欣二。音楽:冨田勲。

キャスト
黒蜥蜴(緑川夫人):丸山明宏(現:美輪明宏)
明智小五郎:木村功
雨宮潤一:川津祐介
岩瀬早苗・桜山葉子(二役):松岡きっこ
岩瀬庄兵衛:宇佐美淳也
的場刑事:西村晃
ひな:小林トシ子
黒木:丹波哲郎
原田:小田草之助
富山:服部欽二
大川:佐藤京一
松吉:木村功
堺:加島潤
木津:舟越竜二
ショーダンサー:宝みつ子
日本青年の生人形:三島由紀夫:※特別出演
映像ソフト化・テレビ放送


1980年代にRCA コロムビア・ピクチャーズ・インターナショナルビデオからVHSが発売された。
上記のビデオ版を除いて、日本国内では2014年現在までDVD等の映像ソフトは発売されていない。
2005年に東映チャンネルで深作欣二特集の一環として放送された。
2014年1月11日にWOWOWで美輪明宏特集の一環としてテレビ放送された。その後、何度かリピート放送も行われている。




最後の美輪さんの歌が洒落ている。
ボサノヴァのリズムにシャンソンを歌うような。
作詞作曲 歌も 丸山明宏(現:美輪明宏)
画像の端が切れているが、確認できる。
kurotokage2.png


感謝してお借り致します。




このテーマ曲のつべのコメントには『 "SUKIYAKI"「上を向いて歩こう」の作曲家「中村八大」が編曲』と詳細を載せて下さっているファンの方がいる。
美輪明宏は日本で初めてゲイであることをカミングアウトした「 drag queen 」=(女装した男性。特に、派手な衣装や化粧などのショー的な要素を含む扮装をしたホモセクシュアルの男性。)だと書いている。
だからこそ日本人はボーイ・ジョージやデヴィッド・ボウイにも驚かなかったとも。
なるほど、そういえばそうかも!

こちらの動画でそれについては美輪さん自身が語っている。



さてこの曲、ヘプバーンの「シャレード」(1963年)のテーマを思い出す。
大好きな映画音楽だ。


2012-2013シーズンに今井遥ちゃんがSPで演じた。
ずいぶん難しい曲をと思ったものだが、遥ちゃん(と振付の佐藤有香先生)の挑戦にワクワクした。

江戸川乱歩の美女シリーズ第8作 「悪魔のような美女」(1979年)は見ているのだが、いやもう、こちらの映画版はなんというか、比べようがない。
この映画、私はヒロインの美輪さんにつきると思うが。
美術品、宝石を手に取る時の、自らが芸術品のように放つ輝き。
明智とのゲームのようなデッドヒートの時には少女のようにさえ見える。
そして明智に心惹かれていく様は妖艶であり切なくもあり。
迎賓館にいてもいいような衣装で埠頭に立とうと、何の違和感もないのだからすごい。

台詞の一言一言が磨き抜かれている。
犯罪において、まさに光と影の2人が
言葉を介して互いを愛し合うかのようなやり取り。
2人は敵同士などではなく、
犯罪に魅せられたある意味、同士。
緑川夫人(黒蜥蜴)が明智に心惹かれた瞬間。

「大体、危機というものは、退屈の中にしかないものです」
「退屈の白い紙の中から、突然あぶり出しのように犯罪の横顔が浮かび上がってくる」
「それを子供のように期待しながら待っているのは、なかなか楽しいもんですよ。」



明智がこう言った時、
緑川夫人の表情がサッと変わる。
相反するソウルメイトを見つけたような衝撃のように見える。

明智は犯罪を犯す女の例を挙げるが、その言葉は緑川夫人にとって口説き文句にしか聞こえない。
明智の青い血は、ただ常々考えていることを口にしただけだ。
けれど同時に緑川夫人をすでに挑発し、「わかっている」と本当は匂わせていたのではないか。
違う役者が同じセリフを言っていたならもっと明確になったのかもしれない。

美しいデコ調の衝立を通しての2人の相対する姿。
ガラスのテーブルを通した2人のカードゲームの丁々発止。


舞台を見たかったなと思う。

それにしても、深作欣二監督のこんな素敵な映画、もっと知られて良いのでは?

個人的には明智探偵は天地茂の方が好きなのだが。

ジャズ・オーケストラ、「ピンク・マルティーニ Pink martini Sympathique」が「Song of the black lizard」としてこの曲をカバーしたのがこちら

後半日本語歌詞がそのまま使われている。
つべのコメント欄、
絶賛です。


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2016
03.08

□(四角)がすき

「名探偵ポワロ」TVシリーズで、また「ヒッコリーロードの殺人」を見ていた。

秘書のミス・レモンの姉で、寮母のハバード夫人が面倒を見る学生たちの間で起きる殺人事件。
ドラマ版ではジャップ警部とポワロとミス・レモンの「料理対決」があったり、
ポワロの「ホワイト・ヘヴン」になんと「ビデ」が付いていて、それをジャップ警部が何も知らず
色んな使い方をしちゃうという小ネタで笑わせてくれる。
このあたり、ドラマならではの視覚に訴える演出が楽しい。

ところが私、このポワロの部屋のインテリアには少々違和感があるのだ。

それは「シンメトリー」を愛する男、エルキュール・ポワロにしてはあまりにも
「ズレてる」ホワイト・ヘヴンの部屋の中。
シーズンによって、年代によってポワロの住む部屋もインテリアも変わる。
でもヒッコリーロードの事件の中のインテリア、このズレ方はなんだか気持ちが悪い。

で、こちら「Investigating Agatha Christie's Poirot 」にポワロのフラットについての考察が載っていたので、読んでみた。

かなり原作を再現している、という結論のようだが、ポワロのフラットにはいくつも部屋があるし。
相当量の美術品があるというこのブログの話は全くそのとおりだと思う。
・・・ミス・レモンの仕事部屋に通じるこの部屋には、少々多すぎる気もする。

poirot room1

こちらはヒッコリーロードの回ではないが。
poirot room2


彼は最初の事件、スタイルズ荘からしてその左右対称への偏愛から事件を解決に導く糸を手繰り寄せたはず。

私が愛する探偵の中でも「エイドリアン・モンク」と「エルキュール・ポワロ」の室内に関しては
いつも清潔で美しく、そして左右対称であるはずなのだ。

こちらの部屋は納得。
poirot room3


ポワロは潔癖症の手前でとどまっているので単に「お洒落」な感じで、というスタッフの考えもあるのだろう。
アール・デコやモダンな絵画、アート使い、スチールパイプのモダン家具、アンティークと、行く先々の家や事件現場でも飽かせることがない。

ブログ「Investigating Agatha Christie's Poirot 」はこれだけでも読み応え十分なのだが、(なんとTV版ホワイト・ヘヴンの間取り図2案とも載っていたりする!)
アン・ハートの著書「Agatha Christie's Poirot: The Life and Times of Hercule Poirot」も紹介されている。
ポワロガイドの決定版とまでコメ欄でも人気のようだが、どうやら翻訳版は出ていない模様・・うう・・。

一方、モンクさんの部屋の中は私にとって完璧だった。
シンメトリーの極致である。

この写真は宣伝用だと思う。普段の部屋はもっと落ち着いて重厚だった。
monk.jpg

本物のMonk(修道士)だってこう几帳面にはいかないだろう。
トニー・シャルーブ演じる名探偵モンクは強迫神経症の上38種の恐怖症を抱える名探偵なのだから、仕方ないのだが。

名探偵モンクについて詳しいことは
こちらが面白かった。


いつも同じスケジュールを守り、同じルーティンで食事メニューも決まっている。
ジャケットもシャツもパンツも全て同じものを揃え、
シャツは決まった検品係の手によるものでなければ買いたくない。
(そのおかげで、検品係のおばちゃんの息子の事件を解決しましたね。)
なのでインテリアだってシーズンによって大きく変わるということは
なかったように思う。(いつもうろ覚えですが)
クローゼットの中身まで、スッキリと同じ服が並ぶ爽快感。

Monklol.jpg


ポワロは洒落者なので、そういうわけにはいかなかっただろうし、そもそもあの髭そのものが曲線だ。
四角というだけで彼をひとくくりにするわけにもいかないだろう。


ところで、「赤ちゃんをほしがったお人形」ディミーター インキオフ /著
という子供向けの本がある。
これはマトリョーシカ人形にまつわる小品なのだが、オチがいい。

これを読んでいて、昔家にあった、古いマトリョーシカ人形を好きになれなかった理由がわかった。

四角い入れ子の箱を愛してやまなかった私に、マトリョーシカは入れ子として気味の悪いものだったのだ。

そういえば、うちにあったリカちゃんハウスは、四角い箱状の家の中にリビングや寝室がある代物だったと記憶している。


リカちゃんもワタル君も、リカちゃんママも、いずみちゃんもそれなりに愛着があったが、
なにしろ私は、「箱状のハウス」の分解に興味があった。

箱型「ハウス」にくっついている家具は邪魔だったが、箱をハサミを使ってまで平らにするのは楽しかった。
リカちゃんハウスには悪いことをした。

それから小学生になって、定規が手に入ると展開図らしきものを書くようになった。
数学的な展開図は学生時代苦手だったので、そんなこととは何ら関係ない落書きのようなものだ。

箱を平らにすると四角がいくつも連なる形になっていて、立方体に組み立てるためには「まち」がいること。
その「まち」を斜めにカットすると綺麗な箱ができること。
和菓子の箱はまたちょっと違った作りで分解してもよくわからなかったこと。
段ボールに展開図を定規で引き、切って組み立てるのが楽しかった。

そんな遊びの記憶が今でもポワロやモンクを見ると思い出されるのだ。

シンメトリーとは何の関係もないはずなのだが、彼らの性癖を見るにつけ、彼らの部屋は
曲線というより、やはり角ばっていなければならない気がする。

大人になった私は、今は展開図こそ描かないが、
代わりに立方体を描く。

CADなんか使えないので、エクセルで四角の組み合わせを駆使し、
間取り図や家具の絵を描く。

食器棚は手書きで描いた。
寸法も全部書き込んだそれは、家具というより、店舗に置く「什器」に近かった。

下駄箱はゴリオ(仮名)の靴が巨大化してから熱心に考えるようになった。

原型は早くから出来上がっていたので、最終形になったのは最近のことである。
戸棚内部の寸法と靴を収納する向きなどをあれこれ考えている時間が楽しかった。

自分で描いた家具を初めて家具職人のおっちゃんに作ってもらったのが3年前。
手書きした食器棚だった。

そして最近、できあがった最終形をおっちゃんに見てもらい、プロとしての意見を入れて貰って、
ようやく下駄箱を作ってもらった。



自分が考えたものが現実化するのは嬉しいと言えば嬉しいが、
「箱」を作れない自分が妙に悔しく、頼れる家具職人のおっちゃんに嫉妬すら覚える。

職人のおっちゃんの手は正確だ。


人間のアシンメトリーな手が作る、正確無比なシンメトリー。

おっちゃんが家具を取り付ける時は片時も離れず、ずっと見ている。

左右対称を愛するポワロやモンクの家のようにはいかないが。

私の住むところも、やはり四角い箱なのだ。





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