2017
09.10

明智探偵の衣装係

Category: TV番組
CSで『江戸川乱歩シリーズ』が放送されている。


天知小五郎探偵版。

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いわゆる『美女シリーズ』で、毎回色々な懐かしい女優さん俳優さんを拝見できるので、土曜日は遅くまで寝られない‥‥はずだが、寝落ちするので録画している。

岡田奈々さんの巻は岡田さんのあまりの可愛らしさと、
天知茂が二役している『お兄さん』に驚いて三回も観てしまった^_^;


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それにしても、見れば見る程明智探偵のお面(変装用)と衣装(パッと脱げて、下にはスーツ着れるやつ)は、事件の最中に誰が作ってどこで忙しい明智探偵に渡しているのかが不思議でたまらない。

事件の始まりとともに発注しておくのだろうか⁉︎
誰が変装用のお面をあのクオリティで短期間に準備し、衣装を縫うのだろう?

探偵事務所の2人の助手にはそんな暇はなさそうだが‥‥。

どちらかといえば助手の(こちらも美人助手という設定)文代の方が活躍度は高いように見えるので、
助手だとすれば探偵活動中に小林君がお面と衣装の用意をしているのだろうか?

いや、やはり衣装の係がいるに違いない。
松竹衣装とは言わないでいただきたい。
そこには夢があるのだ。

お面(仮面?)、カツラ、衣装の3点セット。
日本の何処かに工房を持ち、其々が担当任務を果たすべく、
日夜明智探偵の『あの人の顔にこの衣装ね〜』という指示を待っているチーム明智の衣装係。

私の想像は回を重ねる毎に膨らむばかりだ。

毎度脱ぎ捨てられる衣装一式は使い捨てではエコじゃないし。
きっと衣装係は事件の進展中にもこっそりとそれらを回収し、
どっかで再生しながら次の出番を待っているのではないか?

wikiを見るとそうそうたる美女揃いの犯人。
彼女達の愛を一身に浴び、一瞬で脱げる衣装は音響とぴったり重なり白いスーツを下から露わさねばならない。

誰だろう(衣装係)?
一体誰が(作って渡すの)?

wikiによれば、明智探偵の一瞬の変装脱ぎシーンは監督による演出から生まれたらしい。

変装
シリーズのお約束である、クライマックスで明智が変装を解いて謎ときをするシーンは、第一作『氷柱の美女』の脚本には書かれておらず、井上梅次監督が現場で思いついて採用したアイディアであった。

『氷柱の美女』の脚本におけるクライマックスでは、明智が簡単に犯人の前に現れて謎ときをするのだが、それでは面白くないと考えた井上監督が効果的な演出を考えた結果、現場で思いついて演出したのが「犯人が鏡に向って仮面をとると、その鏡の中に脱いだはずの吸血鬼の仮面が映る。びっくりして振向くと、もう一人の吸血鬼がゆっくり仮面をとり、明智探偵の顔が現れる」というシーンだった。この趣向は井上監督も大いに自信をもち、以降は明智が変装を解いて謎ときをするシーンがシリーズにおける定番として決まって取り入れられるようになった。

シリーズの中で定着していった変装を解くパターンは次のような順である。

定番のBGM → 髭 → カツラ → (ここまで別俳優) → 左頬から仮面をはがす(ここは左からの顔面アップ) → 服を取り払う(歌舞伎のような早変わり、全身像) → パリっとしたスーツ姿(BGMクライマックス) → 犯人のトリックの解説
となる。



ま、こう書いてでもおかなくては、明智探偵事務所の秘密が世間にバレてしまうんで仕方ないのだろう。

『美女シリーズ』の犯人はすぐにわかる仕組みだが、
明智探偵事務所の謎は
ちょっとやそっとじゃ解けないのだ。

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実際の衣装早変わりシーンはどうぞ番組かDVDでご堪能下さいませ。

参考
wiki先生
映画.com
当時の思い出を語る明智探偵の助手役、五十嵐めぐみさんのインタビューがありました。
パッと脱ぎの衣装は手作りで、撮影も一発勝負だったようです。
http://eiga.com/news/20150620/3/


部品を変えたのですが、PCが復旧しませんため、ブログ更新は時間のある時のみになります^_^;
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2017
08.19

楽園でジャケットを脱いだボス

Category: TV番組
個人的な感想とネタバレです。


『ミステリー・イン・パラダイス』、シーズン6を観終わった。

シーズン1からのファンとしては、個人的にこのドラマ最高のシーズンだった。


私はベン・ミラーのリチャード警部補とカミーユ、
ドウェインとフィデルチームが大好きだったので、
ここにきて新シーズンをこんなに楽しめたことに自分でも驚いた。

何しろクリス・マーシャル演じるグッドマン警部補が幸せにセントマリー島を去り、オノレー署の面々にもキャサリンにもちょっぴり変化が訪れたところで終わったのも後味が良かった。
シーズン3の出だしがショッキングだったので、これは本当に嬉しい。

見慣れた楽園が新しいボスのジャック・ムーニー警部補と娘のシボーンの目を通して見るとまた何と美しく見えることか。

ところで下記リンクの記事によれば、ベン同様、クリス・マーシャルも家庭と子育てと仕事の狭間で随分悩んだ挙句の降板だったようだ。
連日40度を超す暑さの中でジャケットを着ての演技。
1年の半分をグワドループ(クワドー4回転じゃないらしい^_^;)で撮影しなければならないことの家族への影響。
主役2人が同じ理由での降板であったにせよ、家族の幸福を考えた結果というのは、素敵なことではないか?

このミステリーを「『刑事コロンボ』と『スクービー・ドゥー』の間」
と評したクリスの表現も面白い。

ステレオタイプのヒーローでは ないのに愛嬌があって、仲間に愛される。
ちょっと変わった名探偵。

今度の警部補は、ようやくジャケットを脱いで半袖姿の捜査も見られる。
考えるに、暑さに関しては署長が1番忍耐強いのでは?


新しい警部補、ジャックも終始何かを口に放り込んでいる食いしん坊。
年頃の娘と2人、妻を亡くしたばかりの彼の心の変化もこれからの見どころ。
あのオノレー署長のキャラも、女子と素早く仲良くなれるという特技で随分変わったし。

シーズン6の終わりになんと市長になってしまったカミーユの母、キャサリン。
彼女の今後も気になるところだ。

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参考リンク
http://www.radiotimes.com/news/2017-08-04/kris-marshall-says-goodbye-to-death-in-paradise-and-explains-why-he-had-to-leave/
http://www.radiotimes.com/news/2014-12-29/kris-marshall-death-in-paradise-is-a-cross-between-columbo-and-scooby-doo/
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/スクービー・ドゥー_(フィクション作品)

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2017
08.14

『ダンサー』

Category: 映画の話
『ダンサー』

一部ネタバレ、しかも素人の好き勝手な感想ですので、
あしからず。




若き天才プリンシパル。
キエフバレエ団を経て英国ロイヤルバレエ団の史上最年少プリンシパルとして華々しく舞台を飾ったセルゲイ・ポルーニン。

クラッシックバレエは長い歴史の中で、究極の美を追求し続ける芸術。
身体に張り付くレッスン着は、筋肉の動き、使い方を確実に見えるようにするためだ。

友人に "gracefull beast "と言わしめた、優雅で猛々しく、高く正確なジャンプ。
虎の様に助走し、そのくせ軸がブレることのない美しい回転。

監督のスティーブン・カンターはドキュメンタリー畑の方だそうだ。

子供の頃から現在までの写真や映像が数多く残されているため、天才ダンサーの記録が喰い込む様にその内面に迫っていく。

彼のレッスン費用を出すためにいつしかバラバラになった家族。
その喪失感は彼を破滅の道へと何度も誘う。

彼が『引退』するつもりで踊った
『Take me to Church 』。
彼の苦しみ、魂の渇きは、その類い稀なる才能さえ、自らのGuilty だと感じていたからではないのだろうか。
家族が自分を捨てたのではない。
家族を壊したのは紛れも無い、自分だと、彼は自分を責めていた。
きっと、自分の才能までも。

『Take me to Church 』の歌詞は彼の心そのものであり、裏返しでもあった。
苦しみの表現だけではなく、罪の贖いを求める祈りでもあったと思う。

彼はクラッシックバレエの一線を退いて初めて、自分の公演に家族を招待した。
ようやく自分を許したように私の目にはうつった。

これ程の才能を持って生まれ、苦しんだ挙句

『僕はやっぱり、踊ることが好きなんだ』

そう言ったセルゲイに、観る者も救われる。

正確さを常に要求されるクラッシックバレエにおいて、完璧な基礎の上にしか芸術は生まれないのではないかと、その思いを強くした。

あの厳しくも美しいレッスンからさえはみ出してしまう程の不世出の才能。
子供の頃からのレッスンシーンにさえ鳥肌が立つ。

今現在、自身がプロデュースする公演を
行いながら、既に3本の映画出演が決まっているそうだ。
『オリエント急行』もだが、第2のヌレエフと言われた彼が、ヌレエフの伝記映画、『The White Crow 』の出演も決めているという。

絶対に見逃せない。

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2017
08.05

『ぽ』

Category: 日常のこと
』って、なに❓


『ネガポ辞典』なるムック的な本は、普通に考えて『ネガティブーポジティブ』ってわかるんですが。

『ダメぽ』はダメっぽいだし、

『ぬるぽ(ヌルポ)』に至っては
wiki曰く、


『プログラミング言語であるJavaにおいて、処理に異常(例外)が発生したときに表示されるメッセージのひとつであるjava.lang.NullPointerExceptionの略語で
単にその場を茶化したいときなどに意味も無く書かれることが多い。』



また、

『NullPointerExceptionはJavaによるプログラミングでのバグにより実行時にエラーとして見かけることが多いため、「良くないこと」「あってはいけないこと」の揶揄として使われることも多い。』


とある。


かつて『ぽ』にこんなに多くの意味が付加された時代があったのだろうか⁉️

『ぽ』を舐めてはいけない。

『ぬるぽ』と聞いて
『お湯でもぬるい感じなのかしら』とでもうっかり口に出してしまったら。

口の端をフン、と上げた嘲りの表情で
何も言わずパソコンの画面に視線を戻す
若いもんのリアクションが
もれなくついてまいります。


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2017
08.03

写真集

Category: 浅田真央
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2017
08.01

See you tomorrow

Category: 日常のこと
7月は飛ぶように去ってしまった。

公私ともに忙しく、それだけに夜寝る時間も惜しかった。

8月はもう一つの別れと出会いの季節。

4月ほどの節目でなくとも、春の別れとはまた違う。

『また、明日ね』

ある日突然、そう言えなくなる。

4月の節目とは違って、別れを惜しむ雰囲気でもなく。

なんと言えば表現として適切なのかはわからない。


今までにない不思議な感情とせめぎ合っている。


まだ若い友人は、
羽を準備する間も無く飛び立とうとしている。

SNSがどれ程発達しようとも、

ただ、『また明日』と、

互いの存在を確認しながら別れる。

そうできなくなる日。

それが、こんなに寂しいとは。

フィギュアスケートを見る、
あの日あの時の感激と興奮が2度と戻らないように。

今回の別れも、楽しかった時間は、
もう、2度と帰らない。

1人で呟く、『また、明日ね』。

あなたの幸せを信じて。



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2017
07.30

すごい‥‥

Category: 浅田真央
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2017
07.25

共通のナヤミ

Category: 日常のこと
友人のIzuちゃんとヒロちゃん。

40年近い付き合いの間、私たちは様々な悩みを相談し合ってきた。

共通の悩みに突破口を開くのはいつもヒロちゃん。

結婚、子育て、仕事復帰、そして親を看取ること。
ヒロちゃんはいつも果敢に人生を歩く。

彼女がまたしても新しい分野で先陣を切ったのは去年のこと。

私たちの共通の悩みは、「お肌」。
この改善に着手したのである。

効果は劇的だった。

高校生の頃よりピカピカになった白い肌。
すっぴんでファミレスに颯爽と現れた時には驚いた。

肌の悩みは人それぞれ。


ヒロちゃんの悩みは「そばかす」。

私は紫外線による大きくて深い「しみ」。

そしてIzuちゃんの目下の悩みは「肝斑」だ。

ヒロちゃんは大成功。

続いてレーザー治療を受けた私はまだまだボヤーンとした肌。

さて、次はIzuちゃんが「肝斑」に挑む。



これが何とかレンジャーだったら、私たちの名はなんだろう?




「そばかすのヒロ!」

「シミのミカイドウ!」

「肝斑のIzu!」

見栄をきったところで、ちっとも強そうじゃないな。


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2017
07.17

『フラーの舞台袖』

Category: 映画の話
『ザ・ダンサー』

以下は映画の内容に踏み込んで好き勝手に書いておりますので、
未見でこれからご覧になられる方にはネタバレということをご承知おきください。

映画を観ながら、丁度先日読んでいた本の中の
「エトワール、または舞台の踊り子」の話を思い出した。

本というのは中野京子/著
『怖い絵』
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1878年に描かれたドガの踊り子の絵の本当の姿を、中野氏はこの本でこのように書いている。

「この少女が社会から軽蔑されながらも出世の階段をしゃにむに上がって、とにもかくにもここまできたということ。
彼女を金で買った男が、背後から当然のように見ているということ。
そしてそのような現実に深く関心を持たない画家が、全く批判精神のない、だが一幅の美しい絵に仕上げたということ。」
中野京子/著 「怖い絵」p⑳より



それが、怖い、と中野氏は書くのである。

19世紀後半のオペラ座は、オペラの舞台に自分の踊り子を立たせるために金と権力に物言わせるパトロンが舞台横の桟敷席を買った。
ステイタスだった。
ある種の社交場という性質を持っていたからで、現在の様に純粋に芸術を楽しむ場とは違っていたからだそうだ。

ドガの「踊り子」の視点は、その斜め上の桟敷席からの眺めなのである。

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ドガの踊り子はクラッシックバレエの踊り子で、当時パトロンなしでは中央で踊ることは叶わない一種の娼婦。


この画面左側に胸から下だけ見えている黒いタキシードの男。
これこそが劇場の支配人でもダンサーの一人でもない、パトロンの姿。

さて、映画「ザ・ダンサー」は、引用させて頂いたこの一節通りの状況に、まさに革命を起こしたモダンダンスの祖と言われるロイ・フラーを投じた、ヒリヒリと痛い、アーティストの物語だ。

主人公、ロイ・フラーを演じるソーコの熱情的なダンスシーン。
ダンス、というより舞台芸術と言った方が近いのではないだろうか。

ソーコが迫真の演技で、フラーの芸術を再現する。
圧倒的に美しい舞台芸術を、この時代に実現したとは。
息をのむようなシルクと光のショー。

フラーは新しく独創的な舞台芸術を、自分自身が考える斬新な照明と衣装で観客に見せた。
アメリカでの手痛い経験から、その手法に特許も獲得するのである。


ドガの絵の踊り子とフラーには大きな違いがいくつもあった。
それこそフラーが革命家、と評される所以であり、彼女を題材に映画を制作した理由でもあるだろう。

パトロンと踊り子としてのフラーの関係も通常とは違うように見えた。



映画の中で監督はフラーに言わせている。

「私のダンスは衣装だけ」

イサドラ・ダンカンの自由で自然なダンスを見た後、フラーはパトロンに涙を見せて身体の関係をも結ぶのである。
伯爵はあくまでも彼女がされたいように、優しく彼女を愛する。

謎に満ちた男、ギャスパー・ウリエル演じるルイ・ドルセー伯爵は、愛のない結婚をし、放蕩を尽くして死に場所を求めながらアヘンと女に溺れる男。

フラーをニューヨークで見出し、
カーテン生地では重くて思った動きができないと話したフラーに、
薄くて軽い絹と、オペラ座を目指す資金を(その与え方は普通ではなかったが)与えた。


フラーはやんわりと示唆される映像の中で、女性を愛する女だとわかる。
彼女はパトロンになかなか身体を許さず、それでも伯爵とは互いに身を寄せ合うように生きていた。
パトロンにお金を返し、自立したダンサーとして成功したようにも映画では描かれている。
内実は心身共に蝕まれた、激しい苦悩を癒し合うパートナーとして、2人はそこにいる。


オペラ座の舞台に立つにあたって、身体が限界に達していたフラーをそれでも舞台に立たせることができたのは、「パトロンの権力」だと示唆されている。

ドルセー伯爵は言う。

「ふつう、オペラ座の舞台に立つ踊り子は観客に頭を下げるものだ。
でも君は頭を下げない。」




舞台で倒れた彼女が、必死で降ろされた幕を上げ挨拶に立つ。
オペラ座の観客はスタンディングオベーションで応える。
その時、彼女は観客に向かってお辞儀をするのである。

媚ではない、観客と芸術家の間に湧き上がる感情の表現として。

こうして、オペラ座に立つ女性芸術家は、激しい苦悶の中から美しい蝶のごとく生まれ出でる。

(と、私には思えた。ってくらいのことですから、私見です。)



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モダンダンスの先駆者として19世紀末のヨーロッパで一世を風靡したロイ・フラーの物語を、ミュージシャンで女優のソーコ主演で映画化。

フラーのライバルとなるダンサーのイサドラ・ダンカン役で、ジョニー・デップとバネッサ・パラディの娘として知られるリリー=ローズ・デップが共演。

女性のダンスが卑しいとされた時代に、バレエの殿堂であるパリ・オペラ座で踊るという夢をかなえるためアメリカからフランスへと渡ってきたロイ・フラーが、ドレスや光、鏡などを用いて新たなダンスを創作し、自らの信念と夢のために奮闘する姿を描いた。

監督は、写真家としても活躍するステファニー・ディ・ジュースト。

映画.comより



ジョニデの娘、という冠を外した方がむしろ良かったのではないかと思えるほどの魅力で観る者を惹き付けるリリー・ローズが美しく、素晴らしかった。


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2017
07.16

ダイエット

Category: 日常のこと
体重を測ることなく、毎日鏡を確認することで

ダイエットに挑戦中。

体重計の数字より、
実物を見た方が
「何とかしなくては」という
切実さが増す。

夜の炭水化物を控え、寝る前にストレッチを十分に。

可能な日は、夕方できるだけ早い時間に食べたいおやつか食事を済ませて家に帰り、
夕食は作っても、自分は翌朝まで食べない。

すると、顔のラインから変わり始めた。

今は背中とおなかだ。

12年ぶりに大好きな友人と会う、ただそれだけのために、
重い腰を上げる気になるものなのだ。







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2017
07.11

my垂涎本

Category:

あかね書房の推理・探偵傑作シリーズは、1975年頃が初版だったと思う。
責任編集にあの『福島正実』が名を連ねる。

黄色い部屋の秘密 (推理・探偵傑作シリーズ 15)


『オペラ座の怪人』を書いたガストン・ルルーの状態の良いこのシリーズの本を見つけて、即買い。
綺麗だと思ったら1997年に再販されたものだった。

シリーズのお仲間には『少年少女世界SF文学全集』もあって、昨日古書店ではこちらのシリーズまで見つける時間はなかったが、次は必ず見つけ出そうと決めている。

私が小学生の頃、このシリーズは出版されたばかりだったはずなのに、誰も来ない図書室の本は、もうすでに落丁があったり傷みが激しかった。
図書室の書架から外れてしまったページを探し出し、1人で補修して読んだ。
推理小説の数ページが欠けているだなんて、残念すぎる。

このシリーズで海外の有名どころの推理作家を知った。

翻訳に勢いがあり、選び抜かれた作家と作品は、私をそのままハヤカワミステリや創元社文庫に誘った。
『各務三郎』の名前を小林信彦の本で見つけた時の興奮といったらなかった。

『World Famous Mystery Stories 』
原題のタイトルが裏表紙に載せてある児童書の翻訳本なんて、今時あるだろうか。

しかも海外大人向けの基本のキ、を児童向けにした一流の翻訳で。
ルビが振ってあることは当然だが、小学生が教わらない難しい漢字はひらがな表記にしてある。

翻訳そのものが子ども向けなので非常にわかりやすい。

挿画は『横山まさみち』と、これまた珍しい。この方の作品では、間違いなく異色の仕事だろう。

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2017
06.22

カメカメカメよ、カメさんよ〜♫

Category: 映画の話
『素敵なウソの恋まじない』

ダスティン・ホフマンとジュディ・ディンチのラブコメディー。

原題『esio trot』の意味がわからず、調べてみると、原題まで逆さま言葉になっていた❣️

『tortoise』⁉️そのものズバリ、🐢カメだった💕

原作のはじめには、北アフリカからかつて劣悪な環境下、大量に輸入されたカメの話が書いてある。
今は人間ではなく『tortoise』のために、保護され、輸入は制限されているという。

先日CSで『卒業』が放映されていて、勿論見逃せなかった。何回見ても年を経るごとに感慨深い。

彼の映画でどれが1番好きだなんてとても決められないが、もしかすると、この『恋まじない』が一番好きかも。

Roald Dahl原作の邦訳は『ことっとスタート』。『恋のまじない、ヨンサメカ』が新しいダールコレクションでは改題されている。
映画を見た後、原作を読んでみたら、so lovely だった💕
飼っている亀をこよなく愛するおばあちゃんに恋したおじいちゃんのお話。
プロポーズまでの遠回しなバカバカしいほどの努力が何とも可愛らしい。

亀は何十年もかかって成長する。
なのに今すぐにでもすくすくと育って欲しいとミセス・シルバーは心から願っているのだ。
主人公のホッピーさんは似たような亀を100数十匹も買ってきて、彼女の願いを叶えるべく、似たような少し大きめの亀にすり替えていく。

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ダスティン・ホフマン演じるミスター・ホッピーのベランダガーデンが素敵。

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恋の駆け引きとしても見ることができるが、何しろ『小さいのは嫌でしょ?』と小柄なホフマンを目の前にしてミセス・シルバーは言ってしまうのだ。
原作には現れない背の高い恋のライバルや亡くなったミセス・シルバーの夫が、ミスター・ホッピーのコンプレックスを刺激するのだが、彼は負けない。

原作の方は子供にも読める単純な短編だが、映画は登場人物を増やし、よく肉付けされていてとても楽しめた。

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物語の語り手、ジェームズ・コーデンが2人の出会いを語り始めてからクライマックスの着地点に至って、なーるほど、と笑顔になる。

人生の終盤を迎えた2人の恋を描いて尚可愛い、ダールのお話を愉しんだ。

ところでダールは友人イアン・フレミングのために『007は二度死ぬ』、『チキ・チキ・バンバン』の脚本を書いている。
ダール脚本の007映画は、浜美枝、若林映子(宇宙怪獣ドゴラの美しい女優さんでした)出演の日本を舞台にした映画。あの日本でのとんでもなくシュールな漁村や結婚式、可笑しなお風呂のシーンは忘れがたい。
余談が止まらないが、この映画で海女のキッシー鈴木(浜美枝)との間に生まれた『鈴木ボンド』は小林信彦の『大統領の密使』に登場し、『わかる人にはわかる』という、イジワルい笑いを提供している。

普通ダール原作の映画作品といえば、あの『チャーリーとチョコレート工場』なのだろう。

『へそまがり昔話』にならって、ジョニデとバートンの映画にはここでは触れないことにしよう。
Comment:2
2017
06.18

時は、やってくるものなんだ。

Category: 映画の話

「深町君・・・おねがい」

「なに、急に・・・」

「へんな女の子だって、思わないでね」

「うん、思わないよ」

「あなたの、パジャマを見せて」



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いえ、
「KIDS STATION」で『時をかける少女』を観た、というだけなんです。

十分、「へんな女の子」ですよ、芳山さん。

何度も再放送されていますので、何度も観ているんですけど。

こんなにいい映画だったとは・・・!!!


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白いブルマくらいで驚いてはいけません。
体操服がブルマにIN、くらいでも驚いてはいけません。

先生だって
「ホットパンツ」ですから。

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ちがいました。

こんな話ではないんです。

SF的な部分を、
映画は言葉で最低限しか語らない。

あのチープなタイムトラベル場面も、今ならOK。

『事情を最低限しか語らない』ことは必要でした。



やはり「尾道3部作」の代表的作品(だと思うんですけど)。

町並みが、素敵すぎ。
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SFと日本家屋のノスタルジックな雰囲気が独特。

そんなことは、この映画が公開されたころから言い尽くされたことでございましょう。

今頃、その貴重さに気が付いたんですね。

古民家再生とか、斜面地の古い家を残すために、尾道で活動されておられる方のFBなどを見ているせいでしょうか。

「尾道空き家再生プロジェクト Onomichi Akiya Saisei Project」FBからお借りしました。
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通称「ガウディハウス」

映画には、
昭和の終わりが、そのままに。

「時は、過ぎていくものじゃない」

「時は、やってくるものなんだ」


って、西暦2660年からやってきた深町くんも言ってましたね。

Comment:2
2017
06.14

満員電車は乗り過ごそう

Category: 映画の話
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日本映画チャンネル「市川崑劇場」で見た「満員電車」

ところどころオチに言及しておりますので、あしからず。

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日本映画チャンネルの「あらすじ」には
「ぶっ飛んだギャグの連続は爆笑必死。」とある。

私には全く笑えなかった。
登場人物の名前で辛うじてコメディーだったと気が付く。

作品紹介の様に「ぶっ飛んで」もいず、ギャグという言葉ではとても括れない。
クレイジーキャッツとは全く違うアプローチなのだから。

歯医者といい、社内診療所といい、精神病院といい、
ストレスによる体の不調と医療の関係もストーリーの根幹になっている。
精神科の治療を、「もっと気軽に診てもらえるような精神病院に」と医者の卵が語る場面は、
まるで今の世のことのようだ。



風刺に富んだコメディーだとしても、「非常に上質な」という言葉で修飾したい。
1カットの無駄もなく、際立った個性のスター俳優を随所に配し、
思わせぶりな印象を残しながら脇役一人ひとりに説明不要なスポットライトを当てる。


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主人公 茂呂井民雄 (川口浩)
一流大学を卒業、一流企業(ラクダビール)に就職。
生涯給与の計算など、優秀さはところどころで見せるが、
「茂呂井(もろい)」だけあって、職場のストレスから、人生という満員電車にはじかれる運命だ。

冒頭、卒業式のシーンの土砂降りからすでに雲行きは不安だ。
学生時代のガールフレンドたちに別れを告げ、民雄は社会人への一歩を踏み出す。

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大学でのガールフレンド、壱岐留奈(小野道子)との別れは、いかにもドライな若い男女らしい。
が、この2人も人生の不条理に押し流され、再会した時にはメロドラマか演歌のようなセリフを吐くようになる。
壱岐留奈=(生きるな)って、一番ひどい名前ではなかろうか?

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一種異様な通勤ラッシュが様々な形で描かれる。
狭い商店街を無理に行き交うバス(レトロで素敵)の間を縫うようにして通り抜ける小学生の一コマにゾッとする。


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工場の煙突、ベルトコンベアーで次々に生産されるビール。
この工場がまたとても良くできている。

最先端で、まだ薄汚れた感じはしない。
セットなのだろうが、リアリティーの無さがこの映画の趣にピッタリだ。

それなのに工場の中の騒音とビールが生産されるカットでは一転、
生産効率だけを考えた非人間的工場の無味乾燥さを余すところなく伝える。

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主人公の同僚 更利満(船越英二)
独身寮では珍しく、くつろいだ部屋づくりを心掛け、会社の中では情報通。
満員電車で一人だけ異質な雰囲気を醸し、すいすいと渡り歩く様子が描かれている。
ちょっとオネエっぽい仕草がいい。
「なまけず、休まず、働かず」というサラリーマンの三原則を民雄に説くが、
彼の真の姿もまた、哀れな働き蜂の犠牲者だった。


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和紙破太郎 (川崎敬三)も複雑だ。
孤児として育ち、人生を三段跳びに例え、野心に燃える。
人を手玉に取り、三段跳びをしたつもりが、文字通りその最中にバスにはねられる。
彼の死のあっけなさが、この映画を「コメディー」というより「不条理映画」と呼びたくなる一因かもしれない。

主人公民雄の実家は時計屋。
壁一面の時計が異様に見える。

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父親役の笠智衆の「か」の発音が懐かしい。
「くぁ」と聞こえるのだ。
「かんじょう」を「くぁんじょう」、という具合に。

父は自分の仕事に誇りを持っている。
1分1秒の狂いもないと自負するが、あまりにも言うことがまっとう過ぎて
それ故に世の中と相いれない。
「道理が通らない」ため、
自ら精神病院に入ることで心の安定を図ろうとする姿が、辛うじて哀れに見えない。
妙に共感を覚えてしまうのは、私自身も「世の中と相いれていない」せいだろうか。



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母の杉村春子。
あまりに苦しいことが多いので、
愚痴を言いたくなるたび笑うように心掛けたことを「発狂した」と思われる。

夫を精神病院に置いたまま、無職になった息子の再起に吹き荒れる
文字通り「嵐」にあっても、
息子と一緒にいることに生きる希望を見出している。
吹き飛ばされそうなバラック小屋にしがみつく息子の身体に更にしがみつく母親の異様さが身につまされる。

誰が正気で誰が狂気なのか、この世の中では判然としない。


実に上手い。



これを今作り直そうとしても、過剰な演出でダメにするだけだろう。
テレビ版の「黒い十人の女」なんて、悲惨だったではないか。

元々金田一シリーズの映画位でしか市川崑を知らなかった。

日本映画は昔、こんなにも素晴らしかったのだと、またしても唸る。


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2017
06.14

路面電車の休日

Category:


『袋小路の休日』

小林信彦の連作短編集。

乾いた、と評されるクールな文体で東京の人、街の変貌をスケッチしたかのように描く。

文字で残さなければ、という小林の意識がそこここに感じられる。
私小説に限りなく近い文学。

彼以外に誰がこの高度成長期の東京と、そこに生きる人々をこんな風に描けただろう。

彼の物事の捉え方、笑いのセンス、透徹する目。
全てが教科書だった。

芥川賞、直木賞に5度もノミネートされながら受賞を逃した。

山田詠美が直木賞を獲った時にもノミネートされていたというから驚きだ。

今これを読むと、解説とは違う見方になってしまう。
小林信彦はその時代には早すぎる才能だったと言うが、
同時にバブル期に咲くには遅すぎた文学、だったのではないか?

小林氏御本人が1番良く描けているとあとがきで述べた『路面電車』。

瞬く間に東京から路面電車が消えて行った頃。
最後に残った都電荒川線に娘を乗せてやろうと
主人公は家族で出かける。

ところが
荒川線の始発が早稲田からなのか、
早稲田のどの辺りに乗り場があるのかも心許ない。

結局早稲田から王子で一時下車、飛鳥山で子供を遊ばせる。

『東京からずいぶん離れてしまった気がする』

主人公にとって、当時の王子は東京ではなかった。
何しろ転居した先を三鷹辺りかと思って読んでいたら、杉並だと言うではないか。

この辺りがとても興味深い。

『街』でも環状7号線ができる前後の街の変わり様が描かれる。

ゴリオを連れて環七を通るバスで王子に向かい、飛鳥山で遊んでから都電で荒川まで足を伸ばしたことがあった。
クタクタになったあの日をふと思い出す。

小林信彦の描く世界に、自分との接点は一つもない筈だった。

まさか彼の小説で、時代もシチュエーションもこれ程違うにも関わらず、
何か郷愁めいたものを感じるとは思いもしなかった。

奇妙な感慨を胸に、『唐獅子』の世界へまた舞い戻ることにしよう。

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2017
06.13

カエルの君

Category:
『青木雨彦』

紫陽花の頃、雨といえば思い出すのが、コラムニストだった青木雨彦のことである。
最初に出会ったのが、高校生の時、この『夜間飛行』だったと思う。

私が只一度、著者のサイン会の行列に並び、サインを貰った人である。

おじさんおばさんの列に1人混じった19か20歳の私は、場違いな雰囲気に恥ずかしくて堪らず、
終始俯いていた。
青木氏の顔は、見ることもできなかった。

ミステリを語りながら男女のなさぬ仲をいつの間にかチョロリと読ませる。
彼が書くサラリーマンの背中は、カッコ悪く、憎めなかった。
照れくさがりな人柄が滲むコラムを夢中で探して読んだ。

評論家という肩書きも、ご本人の容姿コンプレックスから『雨彦』と名乗るお茶目さにかき消えてしまう。
堅苦しさも難解さもない文章の数々。

堤中納言物語の『虫めづる姫君』が蛙につけた『雨彦』がペンネームの由来だったと記憶している。
違ってたらごめんなさい。





訃報を知って以来、悲しくて一度も彼の本を開いていない。

あの頃の彼の年齢になった今なら、もう一度読めるかもしれない。




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2017
06.06

パーフェクトな女

Category: 映画の話
『ケイト・レディが完璧(パーフェクト)な理由(ワケ)』をAmazonプライムで視聴。

サラ・ジェシカ・パーカーが主演したコメディーである。
wikiより

ボストンの投資会社でファンドマネジャーとして働くケイトは、夫と二人の子供を持ちながら、数々の仕事で成果を挙げるキャリアウーマン。

仕事と家庭をなんとか両立させながら懸命に働く彼女に、ついに大きなチャンスが訪れる。新しい投資ファンドに関する彼女の提案を、ニューヨーク本社の幹部が高く評価したのだ。

この報せを受けて喜ぶ彼女だったが、プロジェクトへの本格参加が決定したことで、ボストンとニューヨークを往復する多忙な日々が始まってしまう。

どうにか今まで通り家庭と仕事を両立させようと奮闘する彼女だったが、次第に両方とも上手くいかなくなってしまう。



原作を読んでいないので、原作者の意図が映画の通りだったかどうかは知らない。

映画は楽しく、予定調和な流れでスルリと喉に通る感じ。

どんなに忙しいワーキングマザー(私は正直、昨今の自称『ワ―ママ』という言葉にはゾッとする)でも、
そこはサラ・ジェシカ・パーカーだ。
実にはまり役だった。
彼女が演じると、決してワーキング・ウーマンにも、冷たい母親にも、やつれた女にも見えないのだからヒロインとしては最高だ。

私が知っている限り。

『シンデレラ』⇒昔話ですから

『風と共に去りぬ』⇒ラスト、スカーレットがレットを失っても立ち上がった姿に拍手

『マイフェアレディ』⇒結局はシンデレラ以上にシンデレラだが映画には全く共感するところ無し

『プリティーウーマン』⇒いかにリチャード・ギアでも私は無理

『ワーキング・ガール』⇒80年代と言えばこれっ!痛快だったがこの時のハリソン・フォードは無理

『この映画』⇒現代版ワーキング・ガール。
全てを手にした女だが、サラ・ジェシカのおかげでキュートでチャーミングで嫌味がない。
ピアース・ブロスナン、メチャクチャ素敵ですし。
正直これこそ夢物語のその上をいく。
子ども達が反抗期の頃には、あなたも更年期で悩む年頃では?と意地悪く思ってしまう。

これを「パーフェクト」と呼んではばからないのなら、
世の「働かなくちゃ生活できませんから」という多くのおっかさん方は
昔から「パーフェクト」だったんじゃと思ってしまった。

ああ、素直な心で映画が観たい。

ということで、次はドリュー・バリモアの「Ever After」で勇気をもらおう。

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2017
06.06

出会いのタイミング

Category:
『あしながおじさん』を数十年ぶりに読んだ。

言わずと知れたウェブスターの名作。
アステアの映画は借りてきたのに見ることができなかった。

原作もアステアも好き過ぎて、どちらのイメージも壊したくなかった。

大人になって読み直すと、以前は気づかなかったことに気がつくものだ。

ジューディーが『普通の女子学生』の中に入る時の第1のハードルは、皆が成長過程で当然知っているはずの一般常識的事柄がすっかり抜け落ちていたことだった。
たわいない冗談も『メーテルリンク』もわからない。

そこから彼女は猛然と読書を始める。

どんな本を読んだのか、その内容の彼女的解釈、感想、文体、登場人物の言葉を真似て『おじさん』に手紙を書き送る。

女性に参政権がなかった時代に、この手紙は読み手の「ミスター・スミス」にとってどれほど痛快で画期的なものだっただろう。

辛かった少女時代を『今この瞬間を生きることにする』ことで徐々に克服していくジューディーは、
ユーモアと客観性に富んだ物の見方で、学生生活を謳歌し、作家としてデビューする機会を得る。

この本のチャーミングな所は、惨めな思いをして育った「孤児」が知的な、でもごく普通の女子に変貌していくところでもある。
スイーツや服や帽子や靴、室内装飾、家具に至るまで、その抗いがたい興味関心がつぶさに描かれる。

さて、それにしても、だ。

自分が思っていた本の世界の数十分の一しか、実は文字としては描かれていなかったことに今更気が付く。

何度となくこの本を読み返していた頃は、きっと本の文字の間に埋もれる未知の世界を『想像』で膨らませ、はっきりと本の世界を脳内に描きながら読んでいたのだろう。

人生のどの時点でその本に出会ったか。
その映画に、音楽に出会ったか。

これはとても重要なことではないのだろうか。

もし今、私が初めてこの本の読者になっていたとしたら。

この時代のこの階級のお金持ちの言うところの「コミュスト」、「フェミニズム」がどの程度のものだったかを調べ、
慈善施設を作ることの困難さをクリスティーの「魔術の殺人」と比較もするだろう。

本の中に描かれなかった「抜け」にツッコミを入れ、
所詮「シンデレラ」だなんて、思ったかもしれない。

人と出会うことも同じ。

人生のどの時点でその人と出会っていたら、どう変わっていたかわからない。

岩波書店の箱付の本を今も大切に持っているのに、
本がこれ以上いたむのが嫌で、文庫本を買いなおした私は、

『あしながおじさん』に9歳で出会って、幸せだった。


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2017
06.02

おばさんか、おとなか

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2017
05.28

快速船で宇宙にはなかなか行けない

Category: 日常のこと
夕べ、洗濯も終わり、洗い物も拭き掃除も終わり、さてアマゾンプライムで『宇宙快速船』を開こうとしたその時。

ゴリオが『足の親指の生爪剥がれた』と部屋から出てきた。
完全に剥がれて出血というか、体液っぽく粘っている。

先日、ゴリラ仲間のあっちゃんは足のすり傷からバイ菌が入って足全体がパンパンに膨れ上がり入院。
歩けるようになるまで車椅子だった。

菌でできるイボは年中部員内で移しあっているので、
皮膚科の先生はその度嬉しそうに
『どう? イタイ?』と
液体窒素でジューっと焼いてくれるのだ。

グラウンドの土には破壊力のある雑菌がたくさん棲息しているらしい。

もう11時過ぎ。

試合前の練習を、試合に出られない位でゴリオが休んでくれるはずもない。

『舐めて治せ』と言いたかったがその後に行くグラウンドの土は怖い。

12時まで開いているドラッグストアまでトンネルを越え車で走った。

ゴリオは普通に靴下を履きランニングシューズを履いてついてきた。
イタイより、腹が減ったのだ。

ドラッグストアでキズが早く治るパッド(高いんですよ)を買ったら
『それ、病院に行った方がいいですね〜』と言われ、そのまま夜間救急外来に走る。

処置が終わった途端、『腹減った』。


ところが込み入った住宅街に迷い込んで夜だったこともあり、またしても道に迷う。

昼間、たくさん歩いたので眠くなってくる。

どういう訳かグルグル同じ所を回って出られない。

無事にコンビニにはたどり着いたものの、

ヘトヘトになって空っぽになった財布を手に、夜空を見上げる。

旨そうにコンビニの焼き鳥を頬張るゴリオを横目に、

月に向かって吠えたくなる。

どうしよう、宇宙快速船に乗る前に獣に変身しそうだ。

kaisokusen.jpg
画像お借りしました
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2017
05.26

TVミュージカル映画の方の「シンデレラ」

Category: 映画の話
レスリーアンウォレン
1965年に制作されたミュージカルTV映画「シンデレラ」をAmazonで視聴。
youtubeにもフルバージョンでありますが。

このTV版「シンデレラ」はリチャード・ロジャースとオスカー・ハマースタイン二世の名コンビが楽曲を作り、
1957年にジュリー・アンドリュース主演で制作したミュージカルのリメイク版。

オスカー・ハマースタイン二世は1960年に亡くなっているんですね。
にも拘わらず、1965年版のクレジットには、ちゃんと「Rodgers & Hammerstein's 」と書いてあるんです。
1957年度版の楽曲を殆どそのまま使用したから、というのもでしょうけれど、ハマースタインへの敬意の深さが感じられるクレジットでした。
cinderella8.png

さて、参考リンクに載せている「Classic Film and TV Café 」によると、

1959年11月にブロードウェイで初演したリチャード・ロジャースとオスカー・ハマースタイン二世によるミュージカルが『サウンド・オブ・ミュージック』。

そしてロバート・ワイズ監督による映画「サウンドオブミュージック」の長女役のオーディションには落ちたそうですが、このTVミュージカルでは主役を演じているのが主演のレスリー・アン・ウォレン(Lesley Ann Warren )なんですね。

今もご健在、ご活躍していらっしゃるので息の長い女優さんだと思います。
共演のジンジャー・ロジャース(王妃役で本当にちょっとだけ踊るシーンがある)はさすがに風格がございました。

さて、1951年にミュージカルとして初演されたロジャース&ハマースタインの『王様と私』。
これを5年後にミュージカル映画にしてデボラ・カーとユル・ブリンナーが主演したのは有名ですね。
「Getting to Know You 」は、私が最も好きな曲。
この作曲・作詞者がTV版「シンデレラ」の楽曲を担当した
リチャード・ロジャースとオスカー・ハマースタイン二世だったってわけです。



この映画、他の実写版のテレビ映画のシンデレラの中ではwikiの中でも記述は少ないのですが、参考リンクから飛んだ批評を読む限りでは意外に1957年版より「いいね!」という批評が多く、レビューも好意的なものが多く残されています。

ジュリー・アンドリュースの1957年版は白黒だったそうですのでその点こちらはフルカラーでビジュアル的にも美しかったこともあるのかもしれません。

"In My Own Little Corner,"
"Impossible,"
"Ten Minutes Ago,"
"Do I Love You Because You're Beautiful?"


どれも音楽、歌詞共に素晴らしかったのでございます。


この映画、オープニングから、もしかすると○NKの着ぐるみ人形劇?と思ってしまった舞台っぽいセットでまず観客を惹き付けます。

王子は「ドラゴン退治したりあちこちで色んなプリンセスを救ってきた」という武勇伝を持つイケメンですが、救ったプリンセスの誰とも恋に落ちることなく、国に帰ってくるのです。
武勇伝をどちらかと言えば自慢というより自虐気味に語る王子とか、シンデレラの継母と義理の姉たちの面白おかしい演技とか、素晴らしい楽曲などなど、語るべきところは多くあるのでしょう。
あるのでしょうが、私が今回目が離せなかったのは・・・。

衣装・・・。
衣装に、とにかく目が釘付けでした。

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エンドロールの名前を頼りに調べてみました。

衣装を手掛けたジョージ・ウィッテカーは『刑事コロンボ』や『ナイト・ライダー』『刑事コジャック』などの衣装を手掛けた方なんだそうです。
あら、こちらのドラマも懐かしいではありませんか。

シンデレラって「灰かぶり」なんですから、もっと地味にグレーでも良かったんじゃ?と思うのですが、この衣装を手掛けたお方は全くそうは思わなかったのでしょう。、

普段着のシンデレラ、とにかく衣装も性格も明るいのが印象的です。
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こちらは普段着の継母と姉たち。
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一番まともだと思ったのはシンデレラの後継人らしい妖精さんの衣装でした。
どちらかと言えば、シンデレラより可愛いかも。
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右側が変身後のシンデレラで左が妖精さんなんですから、私ならピンクの可愛い衣装がいいなあ、と思ってしまいました。

が、このシンデレラの衣装には、ちゃんと意味があったのです。

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シンデレラの襟元が、白くてフワフワなファーで縁取ってあるのですが、その白いフワフワに「刺」、ささってませんか?
どう見ても尖ってますし、どう見ても好き勝手な方角を向いた「とげ」。

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襟元に「刺」をさしたままのシンデレラは、とりあえずこんな馬車に乗ってお城へ向かいます。

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すると舞踏会を開いた王様と王妃様のお衣装にも同じフワフワに刺が刺さっているではありませんかっ!

ちなみに一般庶民はこんな感じなんです。
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中世っぽくて、カラフルで素敵です。

で、一応男性は他にもタイツ履いて沢山参加の模様です。
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お姉さま方はこんな感じ。左側のお姉さんなんて、おっかさんのようで、いい味出してます。
正直、シンデレラの衣装より一見ゴージャスですね。
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一方、なんと王家のご家族3人、親子で刺が刺ささってますっ!
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王様の王冠周りにまでファー&刺がっ!
立ってますよね、「刺」!
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さて、そこに「刺」と「冠」でクラス感を出した、明らかに他の参加者とは違うテイストの衣装で、シンデレラが登場します。
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「刺」さして現れたシンデレラを迎え撃つ王子。
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速攻でワルツを踊ります。途中、王子は勢い余って見物人と化した姉さんの一人にぶつかりますが、構わず踊り続けます。
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もちろんジンジャー・ロジャースもいますんで、王様と王妃だって踊りますよ、そりゃ。
刺がどれだけ刺さっていても、踊るんです!
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そして2人きりで向かい合ってみると・・・。
シンデレラの衣装は王子と何気におそろなんです。
はい、このままこの衣装で結婚式があげられそうですね💛
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王子の「刺」は上着の裾と袖口に刺さっておりますが、そんなことはいいんです。
"Ten Minutes Ago,"を歌いながら、
「出会って10分」でこれです。
この後2人は2度にわたってAに及びます。
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さて、12時で魔法が解けた後、王子はガラスの靴を拾っちゃいます。
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例によって「ガラスの靴の持ち主」探しが始まります。
お約束の、「継母の靴だめし」もちゃんとあります。
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さ、シンデレラは機転を利かせて初めて王子と出会ったシチュエーション(お水をひしゃくに一杯、差し上げるんですわ)を再現し、見事王子に気が付いてもらえます。
妖精さんもシンデレラをその場で「刺さしドレス」に着替えさせて準備はOK。
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こうして、白い毛皮のトリミングに刺をさす一家に、家族が一人増えましたとさ、と大団円。
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妖精さんがシンデレラのために歌う"Impossible,"にはこちらまで勇気づけられるようでした。
不可能を可能に!
妖精さんにできないことはないんです。
でも、それもシンデレラの夢見る気持ちがあればこそ。

というわけで、大いに楽しませてもらった1965年版『シンデレラ』ですが、音楽も衣装も、思わぬ懐かしい作品と繋がっていたことがまた嬉しい映画でございました。

「刺」衣装のセンスの謎は多分永遠に解けないかもしれませんけどね('ω')ノ




参考リンク

シンデレラ (ミュージカル)
ロジャース&ハマースタイン
リチャード・ロジャース (作曲家)
サウンド・オブ・ミュージック (映画)
George Whittaker  「IMDb」記事より
レスリー・アン・ウォーレン
CMBA Blogathon: "The Prize" and Rodgers & Hammerstein's "Cinderella"
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2017
05.22

バンクス氏の救済

Category: 映画の話
『ウォルト・ディズニーの約束』

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原題は 『Saving Mr. Banks』
直訳すれば「バンクス氏の救済」で、これは映画のテーマそのもの。
バンクス氏が、メリー・ポピンズの原作者、トラヴァース夫人にとって本当に「救済」されたかどうかはわからない。

映画.comより http://eiga.com/movie/77784/

米ウォルト・ディズニーが、自社の映画製作の裏側を初めて描いた作品で、1964年の名作ミュージカル映画「メリー・ポピンズ」の製作秘話をトム・ハンクス&エマ・トンプソン主演で映画化した。

ウォルト・ディズニーは娘が愛読している児童文学「メリー・ポピンズ」の映画化を熱望し、原作者パメラ・トラバースに打診するが、トラバースは首を縦に振らない。

やがてイギリスからハリウッドへやってきたトラバースは、映画の製作者たちが提案する脚本のアイデアをことごとく却下。なぜトラバースは「メリー・ポピンズ」を頑なに守ろうとするのか。

その答えが、幼い頃の彼女と父親との関係にあると知ったディズニーは、映画化実現の最後のチャンスをかけ、トラバースにある約束をする。監督は「しあわせの隠れ場所」のジョン・リー・ハンコック。




メリー・ポピンズの原作者P.L..トラヴァースをエマ・トンプソン、
ウォルト・ディズニーをトム・ハンクス、
リムジンの運転手ラルフはポール・ジアマッティ、
トラヴァース夫人の実父をコリン・ファレルと、
俳優陣が素晴らしかった。

私は映画のメリーポピンズが大好きだったので、この映画の原作が、実は完全に作者トラヴァースの幼少期の裏返しとして描かれていることに結構な衝撃を受けた。


映画は誇張でもなく、すんなりと、たまらなく辛く、でも少しだけ救われる形で描かれる。

ディズニーですから、と言えなくもないが、ディズニー映画にしては大人の映画だし、個人的には素晴らしかったと思う。

トラヴァースの育った家庭と、見事なほどの映画のメリー・ポピンズとの裏表。
「ミスター・バンクスを、救済しよう」というウォルト・ディズニーの最後の口説き文句は泣けた。

メリー・ポピンズのイメージがトラヴァースの過去の中に随所に散りばめられ、映画とは正反対だった事実。

この映画の企画段階でのいきさつが興味深いのでwikiから転載。

Wikipediaから

2002年、オーストラリア人プロデューサーのイアン・コリーはP.L.トラヴァースのドキュメンタリー映画『The Shadow of “Mary Poppins”』を製作した。

製作段階でコリーは「明らかな伝記映画」の要素があることに気づき、オーストラリアのプロダクションであるエッセンシャル・メディア(英語版)にスー・スミスの脚本で長編映画化すべきであると持ちかける。この企画はBBCフィルムズおよびRuby Filmsのアリソン・オーウェンの興味を引くこととなる。BBCフィルムズは企画への融資を決め、オーウェンは脚本の共著者としてケリー・マーセル(英語版)を起用する。

マーセルの草稿ではトラバースと彼女の息子に関わるサブプロットが削除され、また物語をトラバースとディズニーによる製作争いとトラバースが抱える子供時代の問題との取り組みの二筋に分けられていた。しかし、このマーセル版は明らかにウォルト・ディズニー・カンパニーの許諾なくしては使用不可能である音楽および映像の知的財産権にあたる部分を大きく取り上げていた。

「ディズニーという大きな壁を見て見ぬふりしていたよ。」コリーはそう回想している。「ウォルト・ディズニーは映画のキーとなるキャラクターだったし、メリー・ポピンズからいくつか音楽も使用したかった。いずれはデイズニーに伺いを立てなければならないのは皆わかっていたよ。」

2011年7月、イタリアのイスキア映画祭にてオーウェンはジャズミュージシャンのコーキー・ヘイル(英語版)と会う。『メリー・ポピンズ』の作曲を務めたシャーマン兄弟のリチャード・シャーマン(英語版)とは近所づきあいがあるというヘイルがシャーマンに脚本を渡すことを提案。ヘイルに渡された脚本を読んだシャーマンは企画を支持する。

その後マーセルの脚本は出来が良いにもかかわらず製作には至っていないために、プロデューサーたちからランクリン・レオナルド(英語版)の「ブラック・リスト(英語版)」に投票された。

2011年11月、ウォルト・ディズニー・スタジオの製作社長であるショーン・ベイリーはマーセルの脚本の存在を知らされる。ベイリーはディズニーCEOのボブ・アイガーを含むスタジオ重役たちと共に製作の可能性について議論した。スタジオ会長のアラン・F・ホルンはスティーブ・ジョブズからの言葉を借りて映画を「brand deposit」と称した。

アイガーは映画化を許可し、ウォルト・ディズニー役としてトム・ハンクスと連絡を取った。ウォルト・ディズニーがメジャー映画で描かれるのは初めてのことである。役を引き受けたハンクスは、「ピカソやチャップリンと同じく世界に影響を与えてきた人物を演じる機会」だと考えたという。ハンクスはウォルト・ディズニー・ファミリー・ミュージアム(英語版)を何度か訪れ、ディズニーの元従業員や、また娘のダイアン・ディズニー・ミラーを含む親族たちにインタビューを行っている。

メリル・ストリープとの交渉に失敗した後の2012年4月、エマ・トンプソンがP・L・トラバース役の最終交渉に入った。トンプソンは自身が演じた中で最も難しい役柄の1つであり、「彼女はとてつもない複雑さと矛盾を抱えた女性だった」と述べている。

また「悲しみについて、彼女は非常に優れたエッセイを書いている。彼女は実際、非常に悲しい女性だった。つらい幼少期を過ごした人よ。父親はアルコール中毒で、母親は自殺を試みて。彼女は生涯をまさしく深い悲しみの中で過ごしたのではないかしら。それ故に多くを成し遂げたのよ。」とも。

ウォルト・ディズニー・ピクチャーズの承認によって、製作チームはトラバース、ディズニー、シャーマン兄弟そして脚本の共同著者ドン・ダグラディらのやり取りが含まれる『メリー・ポピンズ』の企画開発中の音声録音と1940年代から1960年代にかけてのトラバースとディズニーの書簡の利用が可能となった 。

当初、監督のジョン・リー・ハンコックはディズニーの関与について、創始者の有利になるよう脚本を手直しするのではないかという疑念を持っていたという。しかしマーセルは、ディズニー側は「明らかに脚本への参与や不都合な描写の削除、またウォルトを変えてしまうことを望んではいなかった」としている。

ウォルト・ディズニーに関する描写についていかなる干渉も受けなかったものの、ディズニー側は喫煙シーンを省くことを強く要求した。
これは自社映画から直接的な喫煙描写を排除するという会社理念によるものであり、また、アメリカ映画協会によるレイティング指定を避けるためである。





原作者が、自分の作品の主人公を「売りものにする」ことは魂を引き裂かれるようなものだということをディズニー自身も理解していた。

映画にアニメーションが挿入されることを知り、契約を反故にしてイギリスへ帰ったトラヴァース夫人をディズニー自ら説得に追う。
ディズニー自身が夫人に自らの生い立ちと父を語るシーンは胸にしみる。

ディズニー映画だから、と言ってしまえばそれまでだ。

でも、ウォルト・ディズニーが娘たちに「メリー・ポピンズの映画を作る」と約束した話、
そして唯一トラヴァース夫人と心を通わせたリムジンの運転手の娘も「メリー・ポピンズ」の愛読者であったこと、
ディズニーが原作に惚れ込んだ気持ちは、本の書き手ではなく、読み手として十分すぎるほど理解できる。

トラヴァース夫人の父も銀行家であり、夢見がちな大人だった。
彼にとって銀行はまるで檻のように息苦しく、辛い場所だった。
酒に溺れ、病で早逝する父をコリン・ファレルが好演している。

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この写真の場面、言葉としては出てこないがオーストラリアだそうだ。
彼女の父は「私たちにはケルトの血が流れているんだよ」と娘に語る。
「いかにもイギリス人」として振る舞うトラヴァース夫人だが、生まれも育ちもオーストラリア。

複雑な彼女のコンプレックスが言葉を多用せずに映画でもわずかに描かれる。

メリー・ポピンズのプレミアに呼ばれなかったトラヴァース夫人は自らハリウッドに乗り込むが、出来上がった作品を見ながらあらゆる表情を見せる。
眉をしかめ、あきれ、時に失笑しながらも、父親バンクス氏のことをバートが子供たちに語って聞かせる場面、ミスターバンクスが銀行を首になり、寂しげに歩くシーンに涙を流す。

ディズニーに「泣いている理由」を問われ、「アニメが耐えられなくて」と答えた時のトム・ハンクスの表情が実に味わい深い。
彼女が泣いたシーンに、アニメのペンギンは映ってなどいない。

南半球出身の同僚がよく言う。
「僕たちはよく、残酷さを笑い、悲しみをユーモアでくるみ、真逆の言葉で真逆の気持ちを表すんだ。」と。
彼はアメリカ人とヨーロッパの血筋を色濃く残す自分を一緒にされることをとても嫌う。

彼の言葉を思い出すと、トラヴァース夫人の複雑な反応(とその描き方)も納得できる気がする。

映画の終盤、ミスターバンクスが子供たちと一緒に凧揚げに向かうシーンでは一緒に歌を口ずさんでもいる。

後味は決して悪くないが、これはとても悲しい映画。

最初に作られたドキュメンタリーのタイトル通り、「メリー・ポピンズの影」なのだ。
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2017
05.21

マッサージ探偵

Category: TV番組
http://www.tv-tokyo.co.jp/mt_jyo/
『マッサージ探偵 ジョー』tubo.png

テレ東土曜ドラマ。
Amazonのオンデマンド配信で視聴。

色んな探偵がいますが、とうとうマッサージしながらツボと一緒に犯人を探し当てる探偵が登場したんです。

短い、間合いが笑える、もちろん設定も変、ついでに最後の踊りの残念感がツボ、などなど、確かに『ほぐされました』という感じで笑わせて頂きました。

連休中に行った鍼&マッサージが体にあっていたのか、先日鍼を打ってもらって以来目の調子が上向きなんです。
この2週間、遠近の眼鏡は外したまま、軽めの老眼鏡だけで仕事ができました。

前回、鍼の直後からあまりにも絶好調だったので、今回も鍼終了後は遊びに行く気満々でいたのですが、普通の人は眠くなったりするそうで、「鍼の後はゆっくり半日身体を休ませるよーに」と言われて、真っ直ぐに家に帰りました。

確かにすごく眠かったんです、今回。

やっと反応が人並みになってきたようです。

で、帰ってからそのまま爆睡し、夕飯後から見ハマったドラマが
『マッサージ探偵』。

内気なマッサージ師が出張マッサージに出向いた先で様々な事件を解決するのですが。
容疑者を一列に寝かせてマッサージをし、身体の張り具合から真相を推理するという無茶な発想がツボ。

鍼を打ってくれる従弟から教えてもらったのですが、
モノホンの鍼灸師が見ても十分面白いとか。

たまには何も考えず、ゲラゲラ笑って楽しむことも血行を促すと信じて。
『マッサージ探偵』に笑いのツボを押さえてもらう週末です。




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2017
05.16

手書き文字の愛

Category: 浅田真央
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2017
05.15

メロディ

Category: 映画の話
今でも時折CSなどで放送される『小さな恋のメロディ』。

小学生になるかならないかの頃、年の離れた姉に連れられて何度映画館に足を運んだことだろう。

ビージーズの音楽が全編に流れる、美しい、特別な映画。

melody1.jpg


あらすじ(Wikipedia)

舞台はロンドン。公立学校ながら、厳しい教師と生徒たちの間でささやかな対立がはじまっていた。厳格な教えを説く教師たちや子供に過干渉な親たちと、それらに従うことなくそれぞれの目的や楽しみを見つけようとする子供たち。

気が弱く大人しい11歳のダニエルもそんな生徒の一人だったが、同じ学校に通うメロディという少女と出会う。2人はいつしか互いに惹かれあい、悩みを打ち明け、初めて心を許す相手を見つけたと感じた。純粋ゆえに恐れを知らない2人は、学校をさぼって海水浴場へデートに出かけたことから校長先生に叱られ、クラスメートたちにも散々笑い者にされる。ダニエルは悪友オーンショーにしつこくからかわれ、殴り合いの喧嘩まで繰り広げてしまう。

事情を聴くこともなく押さえつけようとする大人たちに対し、2人は一つの望みを口にする。それは「結婚したい」という驚くべきものだった。「どうして結婚できないのか」と問うが、当然親も教師もとりあわない。ある日、教師が授業を始めようとすると、教室はほとんどもぬけらの空であった。自分たちの手で2人の結婚式を挙げようと、クラスの生徒が集団エスケープしたのである。教師たちはあわてて彼らを探しに行く。

廃線脇の隠れ場所で、オーンショーが神父を務める結婚式がとり行われていた。ダニエルとメロディが誓いの言葉を唱えようとした時、教師たちに見つかってしまい、子供たちは散り散りに逃げていく。暖かい日差しの中で大人と子供の乱闘が繰り広げられ、発明狂の男の子が作った自家製爆弾が車を見事に爆破すると、大人たちは恐れをなして一目散に逃げて行く。子供たちはやんやの喝采を挙げる。その頃、ダニエルとメロディの2人はオーンショーの助けで追手を振り切り、トロッコに乗って線路のはるか向こうへと駆け出して行った。



『若葉のころ』が流れるお墓でのデートシーン。
歌詞を聴きながら、
やはりこの映画は、かつて無垢な子供だった全ての大人へのオマージュなのではと思った。

映画は実のところ、子供の目線ではなく、はっきりと大人の目で描かれている。

ダニーとメロディの家庭の違いを印象付けるシーン。

海でのデートでも、彼らの会話から両親の姿が浮かび上がる。
くっきりと。

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ダニー 「結婚しようか」

メロディ 「いつかね」

メロディ 「なぜ水がしみ出ていくの?」

ダニー 「いくつで結婚できる?」

メロディ 「石を入れとくとどうかしら・・・。
      両親くらいの年よ」

ダニー 「そんな年まで待てないよ。年寄りはたいていみじめだ。」

メロディ 「年をとると何でもわかるのよ。だから飽きちゃうのよ。」

カメラは中年の太った男女が海に足だけ浸しながら並んで立っている後姿を映す。

メロディ 「わからないわ。ほんとよ。」




「わからない」ことの尊さ。

爆弾づくりの少年の意外な活躍。
ジャック・ワイルドが実に繊細に表現した友情(今ならBLと言われても仕方ないほどの)。

以前もGleeの最終回の記事で同じことを書いたが、
最後の曲は深い。


「Teach Your Children」(Crosby Stills Nash & Young )

You who are on the road
Must have a code that you can live by
And so become yourself
Because the past is just a good bye.

Teach your children well,
Their father's hell did slowly go by,
And feed them on your dreams
The one they picked, the one you'll know by.

Don't you ever ask them why, if they told you, you would cry,
So just look at them and sigh and know they love you.

And you (Can you hear?) of tender years (And do you care?)
Can't know the fears (And can you see?) that your elders grew by (We must be free)
And so, please help (To teach your children) them with your youth (What you believe in)
They seek the truth (Make a world) before they can die (That we can live in)

Teach your parents well
Their children's hell will slowly go by
And feed them on your dreams
The one they picks, the one you'll know by

Don't you ever ask them why
If they told you, you will cry
So just look at them and sigh
And know they love you



三者面談でゴリオの担任の先生から
きつーいお言葉を頂いてきた。

実はかなり、どよーーんと落ち込んでいるので、
この映画でこの曲を聴きたくなってしまったというわけです。
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2017
05.13

Chitty Chitty Bang Bang

Category:
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『わたしの絵本、わたしの人生』
ジョン・バーニンガム/著

高かったが、どうしても買わずにはいられなかった。

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この素晴らしい挿絵は、007シリーズで有名なイアン・フレミングが書いた、あの『チキチキバンバン』のためにバーニンガムが描いたものだ。

バーニンガムの挿絵に、フレミングは殆ど注文を付けなかったそうである。

この本の挿絵がバーニンガム、映画の脚本はあのロアルド・ダール!

『チキチキバンバン』は私が本当に小さな時、初めて映画館で観た映画で、洋画好きな母に連れて行かれた記憶がある。

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ジョン・バーニンガムについては➡Whadayamean で一度書いているのだが、「わたしの絵本、わたしの人生」を読むまで、「チキチキバンバン」の本の挿絵については全く知らなかった。


1年ほど前、バーニンガムの絵本『いつもちこくのおとこのこ』の朗読をさせて頂く機会があった。

原題にもなっている、主人公の名前、
『ジョン・パトリック・ノーマン・マクヘネシー』と書かれた、そのままを読むことに違和感が拭えず、原書で読み直した。
「マクヘネシー」ではリズムが取れなかった。

これ程名前を繰り返すには、何か意図があるはずだ、と思っていたら。
絵本の中で主人公の名前が何度も繰り返される理由は、バーニンガムの本で解き明かされる。

『法廷では、被告人はフルネームで呼ばれるという慣習がある』

これにヒントを得てこのタイトルと文章になったのだそうだ。(私の絵本、私の人生p158より)


『良心的兵役拒否』。
バーニンガムについて調べていると必ず出てくる言葉だが、
戦時下のイギリスにこんな制度があったことを全く知らなかった。
彼の父は一度兵役に就いたのだが、
第一次世界大戦、第二次世界大戦を通じ、親子2代でこの「良心的兵役拒否」を選択している。

「何でも屋」のように、トレーラーハウスで各地を回りながら様々な仕事を無償で行う。
それが良心的に兵役を拒否したものの仕事だった。

彼の作品を数多く収めたこの本には、その生い立ちについて辛かったことは何も書かれていない。

学校生活でも、売れない画家だった時も、
彼は洒落者で、ちょいワルで、そしてアーティストだった。

最初の絵本、『ボルカ』以来、強烈な主張があるように思って読んでいたが、
自伝に書かれた絵本に込められた思いは意外なほどサラッとしている。

表現しているものの豊かさと、彼自身のあっさりとした軽やかさに、ますます魅了されている。


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2017
05.09

「たつのこたろう」も少年だった

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「赤神と黒神」は2人の男性に慕われるモテ女子の話だった。➡「赤神と黒神」

今回、松谷みよ子の名作『たつのこたろう』=少年ジャンプ説を私は唱えたい。

私が読んでいるのは絵本なので、元の話はかなり端折られていると見た。

にしても、パロディーにしたらワンピースっぽくなった、というより、
話そのものがアクションシーン満載のマンガなのだ(と、私には読めてしまったので松谷さんの偉大な本を尊敬こそすれ揶揄する気持ちはみじんもございませんm(__)m)。



たつのこたろう (新装版日本の名作)
松谷 みよ子 (著)



以下は絵本のざっくりとしたストーリーと、一部私のツッコミですので、
物語はネタバレしております。


―たつのこたろう―

父は無く、母は青龍にされ、自分の目玉をお乳の代わりにたろうに与えて姿を消した。

たろうは母の目玉をしゃぶって育ち、村では『たつのこ』と囃し立てられながら、ばあさまに育てられた。

ばあさまの作る団子を食べ、只ぶらぶら暮らしていた彼に、ある日「あや」と言う名の友達ができる。

彼女は横笛を吹く少女で、笛でけもの達を魅了する能力者だが、ある日鬼にさらわれる。

突如として目覚める たろう。

鬼退治に行こうとする たろうに、ばあさまは天狗の最強アイテム、『力のつく酒』をもらって行けと言う。

団子ばかり食べてぶらぶらしていた時にそれを言ってあげていれば、
彼ももう少し早目に覚醒したんじゃなかろうか?

でもそこはそれ、たろうは赤天狗と白天狗の酒を無事に頂いて、最強のパワーを手に入れる。

たろうは太鼓好きな鬼を投げ飛ばし、あやを奪還して帰ってくるが、
ただ投げ飛ばして来たわけではなかった。

赤鬼は空へ投げられ、彼が望む雷様になった。
黒鬼は望んだかどうか知らないが、岩となって動けなくなった。

考えると、鬼たちは音楽が好きなだけだった奴らではないのか。
バンドのメンバーに「横笛」を加えたかっただけではないのか。

でも鬼はいつの日も悪者にされるので、
鬼退治を果たした たろうは、ふもとの村で大そう感謝される。

見返りは米の握り飯だったが・・・。
もしかすると、その握り飯は天狗の酒の数百万倍のパワーを秘めた握り飯だったかもしれない。

さて、たろうは、ふもとの豊かな村で広い田畑を見た。

そこでばあさまの待つ貧しい村にも、こんな土地があったらなあ、と何がしかのミッションを感じる。

たろうは握り飯をもらって、そのまま母を探しに旅立つ。

途中ふしぎな婆様に出会い、これから先に待ち受ける困難を諭されるが、もちろん先へ進む。

9つの山を越え、勇敢に困難を乗り越えてゆく。

婆様の予言通り、雪女があらわれ、たろうは道を阻まれるが、そこに黒鬼退治で奪ったらしい白馬に乗った「あや」が助けに来る。

1日百里(約3.9km×100=約390㎞)走る、という触れ込みで登場した子馬
(ちなみに百里= 「JR中央本線 東京駅―名古屋駅 : 396.9km」“Yahoo知恵袋より”なので現代ならどうってことはない)
は、なんと東京―名古屋間どころか空飛ぶ白馬となって あやと再登場した。
すごいバージョンアップである。

白馬は2人を母の住む五色に輝く湖に運ぶ。

もちろんナビなど付いていなくとも、白馬には何もかもわかっているのだ。
理屈などいらない。

湖に到着した たろう。
「のどから血がでそうなくらい」叫んでも湖から母が出てくる気配はない。

しかし「お通さん」(吉川英治の小説「宮本武蔵」に登場する)かと勘違いしそうな『あやの横笛』の能力により、
湖は真っ二つに裂け、
サンダーバードならぬ、龍となった たろうの母が現れる。

母が龍にされたのは、村が貧しく食べ物が足りなかったせい
(この山国では「一人で岩魚を三匹食べると贅沢な所業とされ龍になる」という悲しいオキテがあったんで)
だとわかり、
たろうは湖を開いて田んぼにしようと、母である龍の背中に乗り、山にぶつかっていく。

と、そこに現れたのは、かつてたろうと戦ったあの赤鬼ではないか!
しかも仲間を引き連れて。

鬼たちの手助けもあり、湖の水は川となって海へ流れ落ち、平野が生まれた。

そして青龍は、母の姿に戻った。

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いやこれ、少年ジャンプでしょ、と思うのは私だけだろうか?

後は黒鬼なんかが実の父親だったら、
コンプリート?

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2017
05.08

連休総括

Category: 日常のこと
この連休中、我が家で一番働いていたのは、
誰あろう、空気清浄機の「キヨコ」だろう。

黄砂が飛んできているらしく、窓を開けていると
ゴォォォ~~~~~~~~!と左右に赤ランプを点けながら全力で何かを除去している。

ゴリオ(仮名)のニオイ以外にこんなに反応するのはかつてないことだった。

キヨコはついに自分の本領を発揮しはじめたのである。
「高感度モード」でもないのにランプはマックスの赤、
回転する音は夜中まで続いている。

せっかくなのでしっかり働いてもらおうと「静音モード」にもしないでいると、
キヨコは本当に休むことなく動き続けた。

我が家の空気は、どんだけ汚れているんだろう?


古本屋で見つけたムック本のおすすめ家電を見ながら、
「ルンバ」の拭き掃除版を買ってもいいかなと一瞬思ったが。

うちの砂と泥だらけの床を思うと家電に気の毒でそれはできない、と思う。

働き者のキヨコに晴れやかな休日が訪れるのは、一体いつだろう・・・。



というわけで、
連休も終わってしまった。

どこにも行かず、なーんにもしなかったと思っているのだが、三原ちゃん式に「嬉しいこと」を数えてみたら、結構あった。

まず、

巨大な古本屋でゆっくり本を選び。



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温泉で汗を流し。



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人生初の「鍼」をうってもらった。
「鍼」がとてもよく効くタイプらしく、一発で楽になった(部分もある)。


身体のケアをするとテンションも上がる。


学生時代の友人たちと旧交を温めもした。

数十年ぶりに再会した友人とは、
誰だか一瞬わからなかった場合もあるにはあるが、
それはお互いさまだろう。

話し始めると、長い年月は吹っ飛んで、
まったく普通に話がはずんでしまうのが不思議なほどだ。

古い町並みを歩き、空き家の冒険を果たし。

賑わう場所には一切近づかず。

いつもは連休中も持ち帰りの仕事をするのだが、
とうとう一度もUSBをパソコンにささなかった。


ロシア版のシャーロックホームズ(リヴァーノフ版とペトレンコ版ですね)を堪能し、
録りためていた古谷版金田一シリーズに拳を握りしめて(心の中で)ツッコミを入れ続け、
アニメ「団地ともお」に涙し、

建設的なことは、何もしなかった。


休みだから休んだ、それでよかったということで。

今日からまた働くのだ。

行ってまいります。



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2017
05.05

ゴリオ(仮名)の日

Category: 日常のこと
先日CSで大昔のディズニー映画、アニメーションの「シンデレラ」を観ていた。
ああ、この曲はいつか繰り返し聴いた曲・・・。
映画の一部からそのままCD化されていたんだなあ、と懐かしい。

ゴリオ(仮名)がまだ腹の中にいた頃、繰り返し聴いていたのはディズニーの映画音楽だった。
つわり症状の一環か、ホルモンのせいだったのか、妊娠中は食べるものだけではなく、
聴ける音楽、観られるテレビ番組が極端に変わっていた。

「名探偵コナン」のコミックスを甥っ子が暇つぶしにどっさり貸してくれたのに、とうとう一冊も読めなかった。
テレビは相撲と野球しか見ることができなかったし、
音楽は一日中胎教用のクラッシックかディズニーの二択。

まったくどうかしていたとしか思えない。

さて、アニメーションの「シンデレラ」である。

シンデレラの住む家から王様の住むお城の窓にカメラが鳥のように飛んでいく。
鳥たちと窓に近づくと、いきなりガシャン、と王冠が窓から飛び出てガラスが割れ、
お城の中の様子に場面が切り替わる。

王様は王冠を窓に投げ捨てて王子に怒っている。

「言い訳は聞きあきた!
息子が王子としての責任を自覚しておらぬのがじれったい。」

「余はもう若くない。
年ごとに、老いていくだけだ。
生きているうちに、孫をこの手に抱きたいのだ。」

「いや、一人息子に親離れされる親の気持ちはそちにはわからん。
息子というのは、大きくなるにつれ、
親から離れていくものだ。
余は、この古い王宮の中でひとりぼっちで・・・。
もう一度、バタバタと走り回る小さな足音を聞きたいのじゃ・・・。(泣く)」



といった複雑な親心で、例の舞踏会は開かれることになったわけだ。


今日はこどもの日。

ゴリオ(仮名)は、言うまでもなく我が家の子どもだが、
とてもじゃないが、「こども」という雰囲気は既に微塵も残っていない。

今の私には、王様が王子に怒っている気持ちがよくわかる。

すっかり大人のくせに、大人としてなすべきことをしない歯がゆさ。
一方で親離れしていく息子が何かと小憎らしい。

小さかった息子がパタパタと走り回る、その足音までが愛おしかった。
幼いあの子がもう懐かしい日々と共に戻ってくることがないならば、
「孫をこの手に抱きたい」のがせめてもの願いではないか。

私も、あの日のゴリオの小さくて元気の良い足音をもう一度聞きたい。

そんな思いは「シンデレラ」に秘め、
ゴリオの未来に向かって、私も走り出さねばならない。

ああまったく、それが舞踏会だったら、いいのだけれど。

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2017
05.04

アンでダイアナで

Category:
CMでもよく見る眼鏡型ルーペで続けざまに本ばかり読んでいたら、目・肩・腰、全身に痛みが・・・。

そうだった。

私はハドソン夫人。
老眼鏡どころか、ルーペで目の疲れを癒さなければならないほどキテいたのだ。

最近読んだのは

重松清 『きみの友だち』

これは構成が・・・。
良い話だが読み辛かった。
この書き方を敢えて押し通してもそうしたかった理由があったのだろうとしか、思いようがない。
ただ、最後まで読み通して、本当に良かったと思える本。
2人の少女に、周りを囲む人々が時を行き交いながら交差する。
哀しみが根底にあるのに、きちんと救いもある。



さて、連休中もゴリオにも休みはない。
夜、夕食と洗濯が終わってからゴリオの弁当を作っておく。
ついでに私は夜型なので、掃除機の代わりに拭き掃除を寝る前にやってしまう。

家事が終わってから読み始めると、一晩で大体ハードカバー1冊が限度。
それでもかなり早いペースなのかもしれないが、
心動かされる本だったりすると後が大変。
しばらくボーっと浸ってしまうのでそのままでは眠れない。

「きみの友だち」を読んだ日もそうだったが、
その前日もそうだった。



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柚木麻子  『本屋さんのダイアナ』

作者の柚木麻子氏が好きだったという児童文学と私のそれとがほぼ重なっているのでこれはたまらなかった。

「ダイアナという友人がいたからこそ、アンは村の人々に受け入れられた」
確かにそうだったと記憶をたどる。

一応ダブルヒロインではあるが、敢えて言えば主人公にあたる大穴(ダイアナ)の少女時代は
まるでリンドグレーンの「長靴下のピッピ」。
小学校までのダイアナと、アンの役を割り当てられた彩子の役回りは逆のようにも読める。
作中のキーとなる、とある「本」の中のダイアナも勇敢なヒロインだ。

一方2人のヒロインが成長するにしたがって、マシューとマリラと現代のアンが「これ?」とばかりに主張を始める。

本書のダイアナとアンは2人とも美少女で、聡明だ。
どちらがアンでどちらがダイアナかなんて、あまり気にしなくて良いように思う。

作者がダイアナと彩子に其々託したものは、夢ではなく、現実世界のアンとダイアナだろう。
どちらもアンであり、どちらもダイアナ。

多くのレビューで「これはいらなかったのでは」と書かれていた「事件」と、その扱いの少し軽い印象も、
私はそう気にならなかった。
彩子の本当の人生(と払わなくてはならない代償)はこの後から始まろうとするのだから。

面白かったのが、「アンの愛情」からはアンのキャラクターが変わってしまって面白くないと主人公達が思っているところだ。

私は真逆で、一作目の「赤毛のアン」には正直うんざりしていた。
アンが大学に行く頃から好きになりはじめ、一番好きなアンを巡る登場人物は「ミス・ラヴェンダー」だった。

アンが流産した巻の悲しみの日々は、哀しい記憶として今も残っている。
本の中のほんの一部分なのに。

アンのシリーズは全て、幾度となく繰り返し読んだが、多分9歳頃から20代の終わりまででそれも終わってしまっていた。
カナダ制作のドラマは、何となく「口に合わな」かった。

それなのに、数十年ぶりにもう一度新しい「アンとダイアナ」に出会ってしまったら、読み終わった後も、しばらく涙は止まらない。

後になって自分でも驚いたのだが、
私は「ダイアナ」と自分を重ね合わせたことがなかった。
大人から「良い子」と見られた覚えも一度もない。

ひねくれた娘だった自分が
全く変わっていないことに、笑ってしまう。


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2017
05.01

きらきら

Category: 浅田真央
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2017
04.26

活字中毒の業

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2017
04.24

水平線の向こうには

Category: 日常のこと
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2017
04.23

ほめごろし

Category: TV番組
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2017
04.21

はなのすきなうし

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2017
04.20

誰にも見えない

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2017
04.20

全力疾走

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2017
04.20

技術と芸術?

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2017
04.16

すべてを抱きしめたい

Category: 浅田真央
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2017
04.15

「やすらぎ」はどこに

Category: TV番組
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2017
04.12

スマイル

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2017
04.12

美しいひと

Category: 浅田真央
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2017
04.12

違和感

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2017
04.12

空を仰いだ

Category: 浅田真央
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2017
04.11

QED(エラリー・クイーン風に)

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2017
04.11

背中

Category: 浅田真央


2017年4月10日(月)

ご報告致します。


突然ですが、私、浅田真央は、フィギュアスケート選手として終える決断を致しました。

今まで、長くスケートが出来たのも、たくさんの事を乗り越えてこれたのも、多くの方からの支えや応援があったからだと思います。

ソチオリンピックシーズンの世界選手権は最高の演技と結果で終える事ができました。その時に選手生活を終えていたら、今も選手として復帰することを望んでいたかもしれません。実際に選手としてやってみなければ分からない事もたくさんありました。

復帰してからは、自分が望む演技や結果を出す事が出来ず、悩む事が多くなりました。

そして、去年の全日本選手権を終えた後、それまでの自分を支えてきた目標が消え、選手として続ける自分の気力もなくなりました。このような決断になりましたが、私のフィギュアスケート人生に悔いはありません。

これは、自分にとって大きな決断でしたが、人生の中の1つの通過点だと思っています。この先も新たな夢や目標を見つけて、笑顔を忘れずに、前進していきたいと思っています。

皆様、今までたくさんの応援、本当にありがとうございました。

浅田真央



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2017
04.08

夜は短し走れよゴリオ

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2017
04.03

ネイサンの'Sleeping Beauty'

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2017
04.02

太鼓持ち居酒屋

Category: TV番組
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2017
04.02

GとJK

Category: 日常のこと
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